2回目の緊急事態宣が発出された。その背景の一つが昨年末から年明けに急速に感染者が増え、病床が逼迫してきたからと発表されている。何故、これほどまでに急速なのかは感染症の専門家の分析を待たなければならないが、年末に向けたクリスマスを含めたイベントでの感染によるものではないかとも。また、長野や宮崎といった地方の感染者の急増は「帰省」によるものであるとも報道されている。しかし、この帰省については夏のお盆帰省と同程度の移動であったことから、何故これほどまでの急増したのかという疑問に答えることはできない。ある感染症の専門家は季節性インフルエンザの流行と同様、寒い気候、しかも乾燥した環境がウイルスには増殖の好条件であるからという説明にある程度納得できる理屈ではある。
世論調査の多くは政府の緊急事態宣言の発出が遅れたとし、支持率も急落している結果となっている。その責は政府が負わなければならないが、昨年末までに各地方の知事からの要請は皆無であった。各都道府県の責も当然ある。つまり、政治行政が混乱しており、ある意味リーダー不在状況になっているということだ。TV番組のコメンテーターはドイツのメルケル首相のようなリーダーシップを求める声があるが、批判のための批判であって解決の芽にすらならない。混乱の本質・問題は大きくは2つある。一つは特措法を変えていくことと、昨年4月以降の第一波、第二波において「何故感染が減少に向かったのか」その根拠・エビデンスを明らかにすることにある。同じことを繰り返しても意味のないことから、このブログの主旨に戻ることとする。
ところで今回のテーマは2回目の発令にもかかわらず、夜の街の人出は減少したが、昼間の人出にはその傾向が見えないといった報道がなされている。その報道の内容となっているのが、「危機感が伝わらない」というものである。前回の年頭のブログにも書いたが、伝わらないのは当たり前のことで、特に伝えたい相手の20代~30代に対し、伝えるメディアも伝える内容もまるで見当違いであることによる。TVのワイドショー番組でいくら「危機」を叫んでも、届くのは高齢の視聴者だけで、結果人出は減ることはない。考え違いが甚だしいということだ。
以前流行語大賞に選ばれた言葉の一つに「KY語」(空気が読めない)があった。翌年ローマ字式略語約400語を収めたミニ辞典「KY式日本語」が発売された。その中に納められたキーワードの1位はKY、上位にはJK(女子高生)やHK(話変わるけど)といった言葉遊びが中心となっている。面白い言葉では、ATM、銀行の自動支払機ではなく(アホな父ちゃんもういらへん)の略語やCB、コールバックや転換社債ではなく(超微妙)の略語で若者が多用する言葉らしさに溢れている。勿論、その多くは数年後には使われることなく死語となっているように、時代の変化と共に「仲間こどば」は変わっていく。
この「仲間ことば」でコミュニケーションすれば良いのではと短絡的に考えてはならない。例えば、昨年菅総理がニコ動を使っての記者会見をしたことがあった。菅総理の最初の言葉が笑いながら「ガースーです」と挨拶したことへの批判が集中した。つまり、こんな危機にあるのに「ガースーなんて」常識がない、不謹慎であるという声であった。そもそもニコ動を使って既存のマスメディアにも流したこと自体に問題があったのだが、周知のようにニコ動は画面上に視聴者が入力したコメントを字幕として表示し、自分のコメントと一緒に表示される。このことにより他の人たちと感想を共有でき,あたかも一緒に見て いるかのように感じられる動画である。画面に「ガースー」というコメントが一斉に流れ、思わず菅総理も「ガースーです」と挨拶したわけである。非難した政治部記者も専門家もニコ動の仕組みを知らない無知を曝け出したこともあり、非難は急速に萎んでしまったが、実はこの「仲間ことば」によるコミュニケーションの無理解については今なお続いている。
また、昨年若い世代に人気があり、流行語大賞にもノミネートされた「フワちゃん」を東京都知事が都庁に呼んだことがあった。パフォーマンスの長けた小池知事のやり方であるが、若い世代にも会話しているという映像をテレビメディアに撮らせ流させる。つまり、若い世代とのコミュニケーションを深めるのではなく、「やっている」ことを視聴者に見せる手法であって、「仲間ことば」の無理解においては同様である。
その感染拡大の中心として名指しされている若い世代であるが、前回若い世代に決定的に足りないのは「経験」「実感」であると書いた。実は価値観から言うと、極めて合理的な思考を持っていることがわかる。TV離れ、車離れ、オシャレ離れ、海外旅行離れ、恋愛離れ、結婚離れ、とまるで欲望を喪失したかのように見える世代であるが、彼らの関心事の中心にあるのは「貯蓄」である。安定を求めながら、将来不安を少なくするためであり、例えば女性とデートする場合でも「ワリカン」であったり、デート場所はホテルなどのレストランではなく自宅とかで近くのコンビニで飲み物や食べ物を買って好きなDVDを観たりする。あるいは上司に誘われても飲みにいくことは極力避ける。仲間内の合コンも居酒屋ではなく、仲間の自宅で行うパーティにしたり、コストパフォーマンスを考えた行動をとることが多い。確かPayPayのCMであったと思うが、ワリカンアプリを使って楽しめるものであったと思う。1円単位でシェアーしてその金額は支払い者に送金するという合理性である。自分達は新型コロナウイルスにかかっても軽症もしくは無症状であり、未知のウイルスという怖さはすでに無い。こうした彼らのライフスタイルやその行動を子細にに見てていくならば、飲食店だけに時短要請をしてもその効果は半減するということだ。
この時代のコミュニケーションの難しさはKY語という言葉によくあらわれている。「空気読めない」という意味だが、その「空気」とは何かである。言葉になかなか表しにくい微妙な世界、見えざる世界、こうした世界を感じ取ることが必要な時代に生きている、そんな時代の最初の流行語であった。善と悪、YesとNo、好きと嫌い、美しいと醜い、こうした分かりやすさだけを追い求めた二元論的世界、デジタル世界では見えてこない世界を「空気」と呼んだのである。つまり、伝わらない時代にいるということである。
こうした時代にあってヒントをくれた人物を思い出す。広告批評という雑誌を長く続けたコラムニスト天野祐吉さんである。まだ元気に活動されていた天野さんは「言葉の元気学」というブログの中で「広告批評」で若いコピーライターの卵100人に「からだことば」のテストを行い、その結果について次のようにコメントされていた。
・「顔が立つ」/正解率54.9%/回答例 目立つ 、化粧のノリがいい
・「舌を巻く」/正解率42.3%/回答例 キスがうまい、言いくるめる、珍味、
・「あごを出す」/正解率35.2%/回答例 イノキの真似をする、生意気な態度をとる
体にまつわることばについて、「無知」「国語の再勉強」というのではそれで全てが終わってしまう。天野さんは”「舌を巻く」なんていうのは、これからは「キスがうまい」というイミに使ってもいいんじゃないかと思うぐらい面白いですね。(どうせ、半数以上の若者は本来のイミを知らないんだし、そのことにいまさら舌をまいても仕方がないしね)と、書かれている。「いいか、わるいか」ではなく、「素敵か、素敵じゃないか」「カッコイイか、ワルいか」を感じ取れる世界、それでいて若い世代にも分かるような「大人のことば」が問われているということだ。天野さんのように「キスがうまい」と、大人への扉を開けてあげる知恵やアイディアが若い世代とのコミュニケーションを成立させる。何故なら、彼らは十分すぎるほどの自己表現メディアを持っているからだ。天野さんが活躍していた時代から更に固有な解釈から生まれる「表現」を持っている。つまり、「ことば」を持っているということだ。昨年「香水」で大ヒットした 瑛人のように、楽譜は読めないが人の心を打つ楽曲ができるように。
コロナ禍の一年、ストレスが極度に積み重なり、ある意味社会全体がヒステリー状態に向かいつつある。昨年は自粛警察を始め社会現象として誹謗中傷やデマが奔出し始めている。こうした芽はTVメディアによる恐怖の刷り込みによるものであるが、未知のウイルスから既知のウイルスへと変ってきた。その変化の中心が若い世代である。当初の「正しく 恐る」は、その正しさが偏った「正しさ」として報道されたことによって「既知」となった。若い世代は軽症もしくは無症状という情報によるものである。その通りであると感染症の専門家も認めることだが、「社会」は一人で生きていけるものではない。多くの関係の中で生きていくことは周知のことではあるが、彼らにそのことを伝える「ことば」を持っていない。
「仲間」に一番近くにいる大人の人物にはある程度聞く耳は持っている。前回青山学院駅伝監督の原さんの事例を出したが、原監督に言われるまでもなく、学生・選手は感染者が出ればどんな「事態」になるかよく理解している。つまり、箱根駅伝には出場できないという事態である。こうした事態は身近な問題として実感できることである。飲食店やコンビニでバイトをしている学生であれば、感染したらバイトができなくなるだけでなく、その店は休業状態になるということは容易に想像できる。会社勤めであれば同じように社内の「仲間」も濃厚接触者として仕事に就くことはできなくなる。身近にいる「大人」が繰り返し会話することしかない。政治家のリーダーシップを問うコメンテーターが多いが、政治家は一番遠い大人である。こうした若い世代も高齢者も同じように新型コロナウイルスの恐ろしさを感じたのは志村けんさんの死であった。身近な存在で実感できる恐ろしさであったということだ。しかし、若い世代にとって、時間の経過と共に「実感世界」は消えていく。マスメディアが世界の感染情報を伝えれば伝えるほど「日本は大丈夫。若い世代が重症化することは極めて少ない」という思い込みは加速していく。例えば、感染が急激に加速している英国における死者の88%が高齢者であるといった情報が報道されている。情報は常に自分勝手に解釈するものである。
また、今回緊急事態宣言によって飲食事業者への時短要請がポイントとなっているが、要請に従わない店も従う店の多くも、その根底には「実感」の無さがある。従業員も来店顧客も、いずれの場合にも周辺には感染者はいない。近隣の飲食店にも感染によって休業となった店もほとんどない。前回のブログにも書いたが、欧米の感染者数と比較し、日本の場合は極めて少ない。しかも、第一波第二波共にクラスターという小集団感染が主体であった。今回の第三波は市中感染状態から考えていくと「感染者」や「感染飲食店」と出会うことになるかもしれない。新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA)のダウンロードすうは約2310万人、陽性登録件数はわずか6929件である。この接触者数の少なさを見てもわかるように極めて少ない。実感するには程遠い存在なのが新型コロナウイルスである。
実は昨年夏に「もう一つのウイルス」として誹謗中傷・デマを取り上げることがあったが、感染者が急増するにしたがってこの人間心理に潜む厄介なウイルスが再び活動し始めている。このウイルス拡散も、実は時代の唯一の見極めは「実感」できるか否かである。実感から離れたとき誹謗中傷・デマが生まれ拡散する。過剰な情報が行き交う時代にあって、唯一の判断指針となるのは「実感」できるか否かである。(続く)
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