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やっと日記を再開しようと思っていたら、どうにも体調不良。ヒーリングを受けてしのうごうとしていたのですが、体調不良が悪化して息切れして歩けない。土曜日の午後で大学病院の救急外来でとりあえず酸素補給と胸水を抜いてもらってほうほうのていで家に帰ってきました。後日血液検査をしたところ前回のがんの再発のみらしいので、しばらく自宅療養となりました。自律神経が働かなくなって免疫が落ち込んだのが最大の原因。ということでパソコンも電磁波防止シートにくるまってしばらく控えめになので日記のほうもぼちぼちになりそうです。
2005年06月27日
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日記の前に広告です。*********************************************************土曜クラス教師募集東京シュタイナーこどもの会土曜クラスでは、10月開講予定の1年生の担任教師を募集しています。応募資格は シュタイナー教員養成講座を修了している、あるいは、それに相当する経験をお持ちの方です。締め切りは6月17日(金)です。お問い合わせは 代表 遠山理津子 Tel.Fax 03-3756-3760まで。*********************************************************月に2-3回土曜日開講です。さて、土曜教室は今週末はオイリュトミーのクラス。上の子が5年生になっていままで水色のオイリュトミードレスを使っていたのですが、「黄色いのにしたい」と言い出して先生に確認。急遽生地をさがしてよなべ仕事。どうにか朝までに仕上げたのですが、母はふらふら。その後下の子の風邪をもらって体調不良。直前に変更するのは止めて欲しかった。
2005年05月12日
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昨日土曜教室が始まりました。て昨日のことを書いてどうする。とは思ったのですが、昨日はひさびさの遠出をした感もあって、バタンキューでした。たかだか片道40分のバスと電車なのに春休みですっかり体がなまったのか、子供と共に就寝。上の子は新しい女の子も入って、6年生と同じ教室で授業を受けて興奮して帰って来ました。でも授業の内容の話しはめずらしく聞けずに女の子の話しばかり。ま、ぼちぼちなのでしょう。そのうちエポックノートも見せてもらえると期待しているのですが。5年生になって学校でミシンの授業があるとかで、今日はその話しばかり。期待に胸をふくらませているのですが、今一親に似ず、機械オンチな長女で不安がつのります。もうちょっとちゃんと手縫いが出来てからでも良いように思うのですが、学校はそこまで待ってくれないみたいなので、家での宿題が増えるんだろうなーと母は不安。
2005年04月17日
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いよいよ明日土曜教室開講です。立ち上げの方々ありがとうございました。私めはほとんど端で見ていただけで、お手伝いになりませんでした。明日は無事に辿りつけるとよいのですが。下の子は体が大きくなってきたせいか、術後後遺症が出てきて不整脈がたまにでるようです。せきも出ていて、はたして花粉症なのか心臓肥大のせいなのか。悩ましいところなので明日はだんなとお留守番です。そうそうスポーツトレーナーさんのHPで、子供の酸素吸入とAED訓練の講習を見つけました。要するに心臓の電気ショック家庭版です。救急車が間に合わない時の救急救命処置訓練、「心臓病の子供を持つ親の会」でもやっているみたいなのですが、いつも日程があわないのでこの際こちらに行ってみようと。気になる方はこちらです。http://www.navi-sports.com/emp.htmでも機械は買うと高そう・・下の子も来年は小学校。そろそろ心臓病障害者1級を受け入れてくれそうな学校探しです。
2005年04月15日
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ふと気が付くと前の日記からすでに一月以上経過している。いけない。いけない。こんどの土曜から新生土曜教室がはじまるというのに、幼稚園も父母会。体はひとつ。で幼稚園の方に出席。幼稚園の大掃除もしたし、カーテンもきれいになったし(家のそうじもしろよな・・と合いの手が)と思ったらうわばきが小さい!!ついでに上の子が「オイリュトミードレス別の色にしたい」とのたもうた。先生に確認して急遽布の買い出し、これから行ってきます。
2005年04月08日
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おひさしぶりです。日記から離れて早半年も経ってしまってました。何をしていたかというと、体調不良と幼稚園の行事と土曜教室の独立と・・休みつつ忙しく(何だそれ)。というわけで東京シュタイナーシューレ土曜教室がようやく「東京シュタイナーこともの会」として、独立しました。ご興味のある方はこちらからどうぞ。http://t-steiner.net/こちらのHPもちょっと夏のまんまなんで手をいれたいのですが、また様子を見て復活してゆきたいと思うのですが。それではまたよろしくお付き合いください。
2005年02月27日
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すみません。子供の付き合いでお疲れ中です。いろいろ書きたいことはあるんですが、復活したらまた書きます。
2004年08月18日
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シュタイナー教育では良く羊毛を使った手芸品を作る。天然素材のものでということで、ドイツからそのまま入ってきている。色もできれば草木染めなどのものを使う。それはそれでとてもきれいなのですが、日本の夏は暑い。子供とフエルトを作っていて、それはそれで石鹸遊びのようで楽しいのですが、毛糸などのあみぐるみもそうなのだけれど、とけも夏にさわりたくないシロモノ。けっこうこまめに洗濯しないと虫に食われそうだし。置いておいても見た目あつくるしい。で何か羊毛ボールに代るものはないかと思って、そうだ日本にはてまりがあるではないか。と思い立った。これなら木綿の糸だし日本刺繍の太目の糸で刺し子をすればきれいに上がるはず。たださがしてみると最近は結構芯に発泡スチロールを使っていたりするらしい。昔はまゆだまやらハギレをしっかりまいて作っていた。どうも家には適当な材料が見当たらない。で結局芯だけ羊毛にした。その上にひたすらしつけ糸をまきつけてゆく。これが結構たいへんで丸にならない。糸も大量に使う。というところでまだまだ試行錯誤中。羊毛ボールのほうがよっぽど簡単なようです。
2004年08月13日
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今日はじめて「つくつくぼうし」の鳴き声を聞きました。いよいよお盆も近くなってなんとなーく夏休みも終盤かしらと思わせる雰囲気。最近5歳も近くなってようやっと絵本を読む時につけているろうそくや「イトウテルミー」に火をつけるときのろうそくの火をこわがらなくなってきたので、数年前からお蔵入りしていたいただきものの「花火」を出してみた。お姉ちゃんは乗り気になって、つられて下の子も「こわくないもん」。それじゃあというんで夕食後、7時を回って暗くなってきてから近くの広場へ。花火が湿けってなければいいのだけれどとローソクに火をつけていざパチパチと始まると「こわいー」。母の後ろでしがみつき状態。お姉ちゃんに持たせてみたのだけれど、こちらも心なしかへっぴり腰。うーんまだまだ花火で喜んで遊ぶ状況ではなさそう。結局ふくろに20本ほど入っていたのだけれど、数本火をつけただけで断念。まだまだ無理のようでした。
2004年08月09日
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今日は近所の盆踊りの予定・・だったのですが、午後からは雲行きがおかしい。せっかく上の子の浴衣だけでも完成したので、着てゆこうかどうしようか悩んだのですが結局5時でいよいよ暗くなってきたので浴衣は断念。とりあえず様子だけ見にゆくことに。会場についてみればいよいよ雨が落ちてきそう。商店街の盆踊りなので夜店は全て100円。とりあえずヨーヨーつりを始めると雨が降り出した。おにいさんもほとんど投売り状態。水槽に山盛りになったヨーヨー摂り放題。なのにお姉ちゃんは水につかったヨーヨーを釣ろうとして、あえなくコヨリが切れてしまった。お姉ちゃんいわく「ヨーヨー釣りの練習がしたかった。」らしい。結局下の子3個、お姉ちゃん2個のヨーヨーとタダの綿菓子をせしめて夕立のなか帰宅。1年に2-3回だけの家の甘いもの解禁日は終了。あと1回秋祭りに行く予定。ところで色と子供の気質の関係。日本のゆかたの色合いははっきりいってかなり派手なものが多い。シュタイナーでは人の気質を4種に分けているが、子供は基本的に多血であるという。思い立ったことをその場ですぐに行動に移す。子供の場合は後で・・は無いのである。思ったことをその場でやらないともう興味を失ってしまう。その他に憂鬱質、胆汁質、粘液質とあるが、気質が偏った場合に身に付ける色によって緩和されることがある。小さな子供の場合は色は補色によって認識されるようだ。赤を見続けていると、青が見えてくるのと同じ。だからよく動く子供を落ち着かせたい時は、赤い洋服を、おとなしい子供を元気にしたければ青い洋服を選ぶという。大人が気持ちを向上させたいとき、いわゆる勝負服に赤を着用する、大統領などが良く赤いネクタイをするのは自分を優位にする意味がある。子供にとっては逆のようだ。日本人にとっては朱赤はハレの色。神社と鳥居の色。そして紺色は紫が貴族の高官などの色にたいして庶民の色。渋い色だけが日本の色ではない。最近は日本の色柄も見直されているが、今みてもモダンな柄がある。子供の着物も最近は洋服のような色柄が多いし蛍光色もある。去年の盆踊りで帯にネオンのような飾りがついていたのは、びっくりした。昔ながらのさっぱりした白地のゆかたもあってもいいとは思うのですが。
2004年08月07日
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昨日今日と楽天の機能追加でサーバーが混んでいますね。なかなかアクセス、更新できずに様子見でしょうか。機能もふえたようですが、しばらくこのまま。さて、下の子は生まれて初めてのプール体験でした。無事心臓の手術の終えて経過も良いし、ギプスも取れて生活の制限解禁になったので、初挑戦です。お姉ちゃんの泳ぎも見るために、市営のプールへ。夏休みもそろそろ中盤。さすがにすいていました。母の小学生の頃は公営プールは芋の子を洗うようで、とても泳ぐどころではなかったのですが、最近はお出かけ場所も増えたせいか近所も閑散としています。外は暑かったのに水はつめたかった。特に幼児用のプールは足だけつけてふるえて25mプールへ移動。下の子は、はじめはおっかなびっくり。浮き輪につかまって手すりから離れられなかったのですが、母につかまってしばらくしたら、足が離れても面白がるように。最後は手足を使ってなんとか移動できるようになりました。母が「のし」でひっぱって泳ぐと大喜び。たったのふたかきくらいでしたが。40分もプールに居るとさすがに唇の色が悪くなって、下の子は「もっと泳ぐー」と不満を残しつつも、お姉ちゃんを残して退却。お姉ちゃんはビート板を使ってバタ足でようやっと25m泳ぎきりました。息継ぎが問題のようで。ちなみに平泳ぎは手足がバラバラ。もうちょっと力をつけないといけない様子。母も数年ぶりのプール。さすがに入院、通院で筋力が落ちてなくなっているようで、夜には筋肉痛。おねえちゃんもへとへとに。おねえちゃんは2時間の山登でへばっていたようだし、今年の我家の課題は体力アップでしょうか。唯一下の子は「明日もプール行く~」と言ってますが、あさってにしようね。
2004年08月04日
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日曜にオーラソーマが届いた。母が使ったのは55番「キリスト」怒りの開放、光と直感が実存的世界に入り込む。地上への光と愛。とポマンダーのディープレッド。オーラソーマと出会ってこれも10年近くになるが、ハーブやオーラソーマはすぐピンと来るのに、まだまだバッチフラワーとホメオパシーは選択が出来ずにいる。出会った師が自分にとって良かったのか、ホメオパシーはより物質的なものから入るからか、漢方により近いようにも思えるし、バッチフラワーはより表層の意識、現象を客観視する必要性があるように思える。要するに自分を認めたくないせいかとも思うのだけれど。こだわっていた怒りが落ち着くと、次のこだわりがやってくる。次なるテーマは「孤独」。胸に手をあてて「どうして、どうして・・・」と5分間思い続ける。沸いてくる過去の記憶を全部、地面と光に返しますと自分で手放してゆく。より具体的な感情にとらわれているものが、次の手放す課題。とらわれずに「もう私には必要のないものですから」と流せるまで続ける。かなり自虐行為に近いとも思うけれど、確実に過去の感情を越えてゆけると思う。逆に手放す心構えがないと堂々巡りにおちいってしまう。思い出しては過去のこだわりにとらえられてしまうから。手放さないと次はない。言い古された言葉だけれど、「古い皮袋に新しい酒は入れられない」のだから。さてお姉ちゃんはどうなんでしょうか。とりあえずは落ち着いているようですが。根本的に解消するのは子供の場合どうなされるのか、まだまだ勉強してみないといけないようです。
2004年08月02日
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今日も雨模様。夕方の雲は入道雲と秋のすじ雲が一緒になってました。台風が来てはや秋の気配?でも湿っぽいです。思わずお絵かきソフトで描いてみましたが、やっぱりマウスだと描きにくいですね。それにもっと雲は夕日に照らされて光ってきれいだったのですが、なんとなくインパクトの無いものになってしまいました。さてお姉ちゃんですが、いつも遊んでいたお友達がだんだん気が合わなくなってきたらしい。午前中はプールに行ったのですが、帰ってから怒りバクハツ状態。上の子の場合、憂鬱質に粘液質を持つタイプ。普段はあまり怒らないけれど、怒りだすといつまでもひきずる。夏休み前に帰り道お友達二人が上の子のお葬式ごっこをはじめたらしい。もう少し前はその二人がカッターナイフの切りっこをしていて一緒にやらなかったので二人に責められたとか。誕生日に偽名(差出人の名前が別の子だったらしいが、どうやらいつもの友達らしい)で「バカ、ブス云々」の手紙をもらったとか昨日のお天気並みの荒れようだった。近頃小学生の事件が多いせいか、ニュースで影響されるのだろう。けれど子供の話を聞く限り、ちょっとエスカレートしすぎに思える。学校は学校で7/16の日記に書いたように先生もそれどころではない様子。夏休みが明けて子供がいなくなったら、それとなくお母さんにでも電話で聞いてみようか。上の子が色々言われやすいのは今に始まった事ではない。というか、以前の環境が問題だったし、本人もそのような傾向を持って生まれてきたのだと思う。引っ越す以前はお義母さんと同居していたが、親への文句を子供に言う。子供の居る前で母への文句をどなる。子供の食事時に用事を言いつけに来る。要するにかっとなったら見境のない人だった。下の子の入院で付き添っている間は、アトピーで食べられない牛乳を大きくなれないからと、主人と2人して無理やり飲ませていたらしい。あとで子供が内緒の話といって話してくれた。それまで除去していてアレルギー値が下がっていたため、ショック死はしなかったが、ぜんそくの発作をおこした。ちなみにアレルギー値が高いと急性の発作にみまわれるが、低くとも、遅延性のアレルギーを起こすものもある。それまでも、その後もぜんそくの発作は起こしていないので、多分食事の問題だったのだろうと思う。もろもろのストレス及び被害者意識が、子供を自分自身で追い込むような行動を取らせているようだ。もちろん母のその頃の心情も多分に影響したとは思う。なにせ下の子とおばあちゃんと実家同士のけんかにまで発展して問題山積していた。今は夏休み。ようやっと下の子の5年にわたる入院、通院も段落がつくようになった。学校の無い間に本人のストレス解除とおだやかさを取りもどしたいもの。そう思って、とりあえずオーラソーマの「チャイルドレスキュー」を購入。これで3本目になるが、学校に行っていると母が言わないと使わない。就寝前だけだとどうしても弱いようだ。母の場合は集中的に大量に使った方が、こだわりもぬけるのが早いように思える。こういった対人問題の場合結局のところ、自分で気付いて自分が変わっていかないと周囲の状況も変わらない。いつまでも同じ考えにとらわれていると、学校を変わってもまた同じような状況が繰り返される。昔、結婚前母が聞いた話、「こういう因縁は結婚して強く出るものなのよ。だから結婚はよくよく人に相談したほうがいいの。結局自分が思っている状況をより近しい人に求めてしまうの。これでもかってくらい因縁の深さを見せつけられるから。」と言われた。さすがに自分が結婚してみて身にしみる。おかげで自分の因縁の方は解消しつつあるとは思っているのだけれど、子供の方は放っておけない。因縁は心の傷、深層意識、オーラの傷、色々である。自分の二の舞にはさせたくないものである。そろそろお姉ちゃんの方も、根本的に治療を始めなくてはいけない。ホメオパシーの予約を取ろうか思案中。
2004年07月30日
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今日もまた病院通い。午後の診察に朝9:30診察券を機械に通しておく。「育成医療券」がやっと申請が通り、送られてきたので早めに家を出て今までの精算に。案の定入退院手続きが混んでいるのと、計算に時間がかかったのとで小1時間。早めのお昼を食べていざ診察。と思ったら今日は午後1番でレントゲンなし。「今日は全部とっちゃいましょう」の一言にやったね。1週間ぶりの右手とご対面となったのだけれと、プラスチックをじかに手にあてていたので、暑さでむれたのか手が赤くまけていた。せっかく包帯が取れたのになんだか素手のほうが痛々しい。傷口の方はさすがにきれいで縫ったあとが手のしわかと思うほど目立たない。1本縦に線がついているだけに見える。2:30には無罪放免で病院を出て来たのに下の子はまだギプスをしているみたいに手をかばっている。しばらくは指もまともに動かないようだし、落ち着くまではもう少しかかりそうだ。今度は1ヶ月後の診察。ようやっと少しは病院通いから開放される。今度も幼稚園が始まる前に心臓とダブル受診にしようか。やっと下の子も夏休みに入った気がする。病院やらお役所通いでまる2ヶ月落ち着かなかったし・・帰ってから「指はどこについていたの?」と聞いてくる。さすがに気になっていたらしい。今まで本人かなり自覚していただけあって、不思議そうに自分の手を見ている。本当に今で良かったのか、手術が妥当だったのか、母にはわからない。大分前にイギリスでやはり多肢症のおじさまが、自分の指を自慢している番組があった。ただ心臓の先生の薦めもあって、ほとんど他の選択肢をさぐるとなると病院に行きづらくなるという思いが母の中にあったのも事実。とにかく手術を選択し、本人も辛い思いを乗り越えてきたので今は是非は問うまい。せめて今後のケアを考えてゆきたいと思う。オーラソーマかホメオパシーかヒーリングかと思案中。秋には心臓カテーテルがまだひかえている。
2004年07月27日
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夕方6時立川駅までお手伝いのお母様がたに連れられ上の子は帰ってきた。寝不足と日焼けで真っ黒の上隈まで出来ている。何事も無く2泊3日のお泊りだったようで、お母様方お疲れ様でした。母の顔を見るなり「おなかすいた~」。食事はちゃんと出ていたろうにと思うと、「時間が足りなくてあわてて食べた」らしい。もともと量は食べるのだが時間がかかるタイプ。食事の時間がネックだったらしい。下の子とだんなにはご飯を置いてきたので、途中で食事。1時間かけて母の分と1人前半たいらげて、帰ってからさらにおにぎり1個とトウモロコシ半分食べた。胃拡張を心配する程食べた。これで太らないのだから食べたものはどこに行っているのか不思議。お泊りは満足したらしく、授業も楽しかったようだ。上の子は食べるだけ食べてお風呂にこれまた1時間入ってひとしきりさわいでから就寝。集団生活で大分疲れたろうにまた行きたいとしきりに言っていた。下の子が落ち着いたら母も来年は手伝いに行きたいものです。だいたい上の子はかなり外面がいい。いわゆる優等生タイプ。答えが間違っているのを心配して学校ではあまり発言していない様子。その反動が家に居ると強烈にやってくる。シュタイナーによると7才にエーテル体が体の外でただよっていたものが、体の中に入ってくる。そして9才ころに自我を子供は自覚しはじめる。それは子供にとって重く苦しいものであり、はっきりした意識を持った大人には耐えられないほどの苦痛であるという。母の9才のある日それはやってきた。半ば早期教育の弊害もあったのだろうか、始めはかろやかに光がまわって体の上にただよっていたものがやがて大きく、重く、黒くのしかかってきて、眠っていたのに恐怖で叫ぶところで目がさめた。あれは何事だったのだろうかと思うほどの経験だったが、シュタイナーに出会って「ああそうだったのか」とはじめて得心した。そう、子供は叫び声を上げて抵抗しているのである。おとなしいお行儀の良い子供ほど、内面が活発に働いていないと言う。大人の価値観での行動を子供の強制すると、50歳以降動脈硬化などの体の硬化となって表われるという。子供は子供なりに必要があっての行動を取る。まだまだ大人の「こうしなさい」はむずかしい。7才から9才ころまでは、まだまだ大人の行動をまねる存在である。その意味で大人の強制するお行儀の良さはその子の大人になってからの人生において苦しみを増やすものでしかないようだ。上の子は家で集団生活での「いい子」を開放してバランスを取っている。それでも学校よりも少しは開放されて色々な方とたくさんおしゃべりをしてきたようだ。
2004年07月25日
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行ってきました山の中。下の子を連れてお姉ちゃんのお泊り。現地集合片道2時間半。電車は30分に1本。バスは2時間に1本。めざすは昔の小学校の分校といったところ。山なんで着替えを多めに、長袖も入れて・・2泊3日なのに4-5泊しそうな荷物をしょって、バス亭から歩くこと10分山道。大荷物をしょっての歩きに下の子も充分追いつける速さ。標高1000m位なので心配した心臓も大丈夫なようで、無事到着。母もひさしぶりの山でうれしい限り。子供は初めての山で興奮気味。おかしいなぁ。おねえちゃんはもうちょっと手前のところには、幼稚園までよく連れて遊びに来ていたはずなのに、全然覚えていないらしい。かっこうは鳴いているし、運が良ければしかも見れるようだ泊るところは元小学校の校舎。といっても分校といったところ。木造の校舎に板張りの床。さすがにワックスはしていなかった。教室は4部屋。おふろとトイレは外。帰りのバスが来るまで2時間はあるので、お風呂掃除のお手伝い。このおふろなんと総ひのき。さすがに山の資源の豊富な所と感心してしまう。お昼を他のお母さん方と一緒に食べて、オリエンテーションが始まるので、バスに間に合うように山を降りて帰ってまいりました。今度は一緒にお手伝いをしたいと思います。なんだか学生時代の体育会の合宿を思い出してしまいました。でもあの頃の方がきつかったけど。じつは母、中学の頃は日帰りハイクにこのあたりを良く歩いていた。大学になってからはバイクと車で林道走行も。当時と全然道も風景も変わっていない。唯一数年前の土砂くずれでトンネルが一つ新しくなったぐらいか。駅のそばのあゆつり場もあいかわらずある。こんどゆっくりこどもとあゆつりでもしてみたい。唯一母の行っていないのは雲取山。山で泊りをするようになってからはこのあたりに来なくなって、一度は行こうと思いつついまだに登っていない。子供がもう少し大きくなったら行ってみたいものだ。途中下の子のおやつだトイレだと寄り道しながら帰ったので家に帰ってきたのが夕方。下の子は「山に登っていない」と大いに不満だったらしい。小学校にあがったら行ってもいいかな。
2004年07月23日
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今日は暑かったですねー。外に出て見て熱気で息苦しいような1日でした。朝9:00発病院行き。午後診察2科受診、支払いを済ませ薬1か月分いただいて、家に帰ってきたのは夕方6:50。へとへとになってごはんとシャワーをすませて、そのまま子供と朝まで寝てました。お姉ちゃんは終了式だったのですが、「あゆみ」も夏休みのプリントもそこそこに明日ゆっくり見よう。形成外科にてやっとギプスがはずれました。グラインダーのようなものでけずると言われていて、ずいぶん不安で泣けていたのですが、いざはずしてみると「なんだむけるじゃない」。包帯に硬化樹脂をしみこませたようなものなので、包帯を取るように取れてしまって「あれ?」。手術からまる6週間、抜糸から3週間。中を見てびっくり。真っ黒の手になってました。支えのワイヤーも抜いて蒸しタオルで拭いてもらってやっとさっぱりしたところでまたしてもレントゲン。骨は付きかけているとのことで、今度は手のひらの方に補助板のようなプラスチックをあててまた包帯。全部取れてすっきりするのかと思っていたら、まだ自由にはならなかった。心臓の検診は2時の予約を大巾に遅刻して3時。と思ったらまだ1時半の予約の人が待っていた。いつものことながらこちらは待ちが長い。一人の検診に30分はかかる。重い心臓疾患のお子さんばかり。と思ったら手の入院で隣のベッドにいたお子さんが来ていた。無事退院したんだー。川崎病の後遺症の検診でこちらは初診らしい。これから受診してレントゲンに行って心電図とってエコーまでしたら何時になるんだろう。やっと下の子の番になって術後の経過が良いので2ヶ月に1回の受診になった。でも薬は1ヶ月分しかもらえないので、母が取りにくるのか・・?4時に受診終了。会計に回って薬が出たのは5:30。子供の分量が中途半端に少ないせいか、大抵大人より薬の出来が遅い。待ち時間のあいだに遅いおやつと水分補給して、帰ってまいりました。
2004年07月20日
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と言っても行ったのは上の子だけ。このへんは小学校4年生にならないと、子供だけで入らせてくれない。ようやっと一人でゆけるようになったので、学校以外で初プール。生まれてこのかた「スイミング」なるものに行ったことがなかったので今だにバタ足で10mしか泳げない。しかも息継ぎが出来ない。よってそろそろ特訓かとも思っていたら、お友達と行くという。下の子もまだギプスをしているし、だんなは休日出勤。よって今日は遊びでもいいかと思って行かせた。帰ってから聞いてみるとお友達はスイミングスクールに通っているらしく、クロールを教えてもらってきたらしい。でも腕の力がないせいか、口が水面より上に出ずに結局息継ぎはできないまま。上の子は運動オンチらしく体を動かすのがかなりの苦手。最近は休み時間も暑いので図書館で涼んでいるらしい。図書館はクーラー付なので学校の人気スポット。小学校に行くまでフィールドアスレチックのはしごにこわくて上れなかった。滑り台も母つきでないと上っておりてこれない。一度デパートの屋上でお金を入れて動く乗り物にさそってみたが、乗り物がけっこうゆれる。これがこわくて足が踏み出せない。よって1度も乗ったことが無い。これだからもちろん遊園地も行ったことが無い。家から学校まで片道大人の足で15分強。上の子だと20数分かかる。家と学校の往復が唯一の運動らしい運動か。4年生になると6時間目までの日が多くなり、大体家に帰るのが4時頃。その後宿題があるので、平日は遊びに行けない。体育以外は体を動かしていないので、当然と言えば当然のごとく運動ができない。体格もようやっと小学校1年生の大きなお子さん位になったので、そろそろ本腰を入れてもいいかなといったところ。今年の夏はせめて25mは泳いでほしいと母の密かな期待はどうなるでしょう。
2004年07月18日
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幼稚園も夏休みに入ってはや3日目。毎日夕立、雷雨で涼しくなってくれるので助かります。午前中は幼稚園の庭掃除。お庭用の遊び道具を洗ってきれいにして、だんな様方はすのこの修理。雑草取り。今朝は比較的涼しくて助かりました。下の子は母に付いて来てお手伝い。上の子はもうすっかり一人が気に入ったのか、一人で留守番。二人いると一緒に遊んで大騒ぎをするのにこういう時はここぞとばかりにお留守番を買って出る。ひさしぶりの庭仕事はさすがに腰にきてそろそろグロッキー気味。草むしりをしているといろんなものが出てきました。土ガエルにみみず、メタリックグリーンのかなぶん、ダンゴ虫。下の子はいままでありが嫌いだったのが、おもしろがってありの行列をながめていた。さすがに手は出ませんでした。けっこう集まったので大分さっぱりしました。でも9月になったらまた雑草が増えてるんだろうな。お姉ちゃんはあと1日終了式を残して気分はすっかり夏休み。通信教育の添削問題もぎりぎりながら提出して、良い成績だったので本人ご満悦。なんだか最近100点を取りたくて燃えている。でも夏休みに入ったらだれるんだろうな。添削をしてもらっている先生からは電話で「よくやっているので夏休みは遊ばせてあげてください」と言ってもらったけれど、普段の上の子を見ていたらとても言えないようなせりふをいただいた。まあどちらにしてもさっさと宿題だけは終わらせてもらいたいものだ。なんせせっぱつまらないとエンジンがかからない。見ていてこちらのほうが落ち着かないので、あまり口は出したくない。まあ自由研究だけはテーマは決まっているようなので、しばらくは様子見。と思ったら一人で図書館へ行って、読書10冊は読みたい本の目星をつけてきたらしい。好きなものは早い。来週はいよいよ初お泊り。そろえるものはこの連休でそろえないといけない。
2004年07月17日
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今日は緊急の母の集まりに午後行って来ました。終了式を残して夏休みももう間近というのに・・家は下の子の入院通院でなんとなく、小学校は一歩ひいて子供が話すことしか聞いていなかったら、なんだか大変なことになっていた。長崎の事件の後、図工の時間に男の子さん2人が図工につかうカッターナイフでちゃんばらをして、校長先生にお目玉をくらったという話は上の子がちらっとしていて、まあこの時期だけに学校側もピリピリしているなーぐらいにしかその時思わなかった。その男の子さんは普段から私から見ればやんちゃ坊主。律儀な上の子から見れば「班長の言うことを聞かないし、決まりを守らないどうしようもないけど面白い男の子」。でも先生やお母様にとってはもっと厳しい目を持って見られていたらしい。そしていつもちょっかいを出される女の子さんもいて、その女の子さんにとってはそれがとても辛いことだったようだ。2週間くらいお休みをされていて、かぜかと思っていたら、どうやらカッターナイフのちゃんばらついでにその女の子さんにおどすようなそぶりを見せてしまったらしい。それでその男の子さんは1週間校長室で一人勉強&反省文。そしてその女の子さんか別のお母様(ここのところが今日5分遅刻したので定かでないのです。)ネットで男の子さんの批判文を流した模様。で母親間でメールのやり取りの中、中傷誹謗が流れたらしい。先生もかなり以前から注意するというよりは、目をつけていたといった様子。そんな事をお母さん同士の話から聞こえてきた。確かに悪いことの芽を事前につぶすのも良いかもしれないけれど、うーんと思ってしまった。学校側には確かにニュースを見ていると、かなり重い責任を問われる傾向がある。果たしてそこまで学校に求めるものなのか。子供と向き合う親の対応を考えなければいけないのでは、と思わざるをえないのです。そして子供のいざこざを子供の様子を見ながら、方向修正してあげることが大事。大人が子供を否定してしまうと逃げ場がなくなってしまう。担任の先生と教頭先生から昨日子供にも大体の話をしたようだけれど、はっきり言って上の子はピンと来ていなかった様子。他のお母様方からも、テレビのニュースを見ていないか、詳しく説明していない家庭のお子さんは一様に母親に何か話していったけど、なんのこと?位にしかとらえていなかったらしい。逆に深刻に受け止められた家庭のお子さんほど、その男の子さんを責める立場になっていたようだ。とするとこの10歳という年齢でそこまで社会の問題を真剣に取り上げ、説明することが必要かと思ってしまう。そしてまた、大人の対応が即座に子供の態度に反映されてしまうからこそ、親は子供から試され、学ばせてもらっているということを肝に銘じておかないといけないのではなかろうか。まだまだ親や先生が絶対だし友達を真似る年代。そして自分の世界と価値観しか分からない年代でもある。周りの子供達で過剰反応を引き起こさないかと心配になる会であった。ちかごろようやっとアダルトチルドレンなど心の病が日の目を見るようになってきたけれど、まだまだきびしいしつけと管理が犯罪を防ぐと思われているのだろうか。いやアリス・ミラーになどによればADやきびしいしつけしか知らない親は連鎖してゆく。どこかで止めないと、親が愛情のなんたるかを今一度勉強しなおさないと親の価値観でしか育っていない子供は同じことを繰り返して行く。他の価値観を知らない、体験していないから。子供を怒らないのではなくて怒りたくなる自分を過去にまで遡って見つめなおし、目の前の子供に自分なら何をして欲しかったのか思い起こす努力をしなければ自分の受けた傷はまた子供が繰り返し体験してゆくのである。自分の持っている価値観ははたして本当に子供に伝えてゆきたいものであろうか。自分のエゴとプライドだけで物事を判断していないだろうか。それこそが子供に教えられ、学んで行くことだと思っている。問題なのは今まで子供を怒ってしまった自分を責めて立ち止まること。失敗したら次に何をするか気がつくことが大事ではないでしょうか。答えは周りにあるのではなくて、自分がすでに持っているものだから。
2004年07月16日
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今日で幼稚園はお終い。なんだかんだであっという間の3ヶ月でした。もっとも半分近くは入院もろもろで休んだのですが。とにかく明日から夏休み。なんとなく母もほっと一息、「休みだー遊びにゆくぞー」という気分です。とは言え近所の広場で遊ぶのを見ているだけなのですが。とその前に一仕事。小学校の学区域の防犯パトロール。朝の8:10から出発して、自転車で学校の北半分を一回り。帰ったら幼稚園に行く時間!!あわてて支度をして最終日というのに10分遅刻ですべりこみ。朝から一汗かいてきました。朝涼しくてよかった。さて幼稚園の最後は夏祭り。朝全員集まってからお庭で魚釣り、宝探しなどのお遊び。そしてすいかのおやつ。先生の人形劇を見てから母のコーラス、七夕様の笹が天にかえるのを送ってさようなら。明日は日本では新暦のお盆にもあたります。今の家ではお盆の迎え火も焚きませんが、皆が家に帰ってくる日。明日は線香花火でもしてみようかと思います。母には夏休みの宿題あり。秋のバザーに向けての準備です。ひさしぶりにお人形何体か作りだめです。あっと経理の見直しもしておかなくては。ちゃんとした書類の流れになってるか結合テスト。もちろんお姉ちゃんのお泊り準備もこれから。ついでにお姉ちゃん。今日はピアノの日。バーナム1も終了して、曲ももらった。両手の曲もなんとかさまになってきたと思ったら、来年コンクールに出るそうな。まず予選落ちだろうとは思うけれど、良い経験でしょう。母もそろそろ本腰入れてピアノ復帰しようかと。でも手がつるのでバッハインベンション2声とハノンからやりなおし。夢は子供と一緒にハンガリア狂想曲の連弾。夢はかなうかどうか。今の所喜んで通ってくれているので娘にとって良い先生にめぐりあったようです。
2004年07月14日
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今日はまたもや病院で消毒です。昨日梅雨が明けそうと書いたら、今日は明けたそうな。カエルがのびるー。昔ワニ(飼ってたんですよ)と金魚を締め切った部屋に置いて蒸し風呂にして昇天させたことがあるので、夏場の外出は気をつけましょう。今いる多摩川で取ってきたタナゴの親戚は元気に2年目の夏に突入してます。今日もまたしても暑気あたりしそうな中、病院通いです。35℃位の気温だとアスファルトの表面は60℃にもなるとか。小さな子供はたおれますね。バギーのお子さんも帰りはぐったりでした。クーラーの効いた院内とのギャップもつらい。どうやら来週でギプスをはずしてもらえるようす。今日もまたレントゲンを2枚。診察の度に2枚ずつレントゲンを撮っている。手首から先だけとはいえ、生まれてこのかた年間何枚レントゲンを撮ってきたのだろう。治療の為とは言え、とっくに許容量は越えている。今年も秋には心カテーテル。最低でもビデオ撮影の為に3分は被爆し続ける。さすがに生後4ヶ月の心カテでは5秒だけだった。最近は日本の医療設備の高度化に伴い、検査目的の被爆量の増大が問題になっている。検査の副作用でガンが増えるという説も。さてさて、うちはガン家系らしいのでひと段落したらこちらの方も対策をとらないといけないようです。
2004年07月13日
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ようやっと懸案のかえるの飾り物を仕上げました。もう梅雨も終わろうというので、あわてて仕上げ。ほんの1時間もあれば出来るものなのに、2体目がなかなか手がつかなくて・・あまがえるというよりは、とのさまがえるですね。爬虫類系は結構好きで、こんなサイトを見つけました。「かえる友の会」です。http://www007.upp.so-net.ne.jp/frog/index.html閑話休題。先週は2日幼稚園へ行き、今日から午前保育。朝家を出る時は別段変わったそぶりもなかったのだけれど、幼稚園に行き、さあ帰ろうかと思ったら泣いていた。あとはしがみつきで堰を切ったように泣いていたが、泣き声が落ち着いてきたので先生にタッチ。そのまま幼稚園に置いてきてしまった。しばらくしたらあきらめたのか先生の隣でおとなしく座ってお友達の遊ぶのを見ていた。帰ってからしばらくして本人に聞いてみると、「お母さんとはなれたくなかった」思えば4月にあまりにあっさりと幼稚園に溶け込んでいたのだけれど、2回の入院やら色々あってがんばっていたのが、緊張の糸が切れたよう。まあ明日は病院行き。あさってで1学期はおしまい。長い長い夏休みが始まる。終了式は夏祭り。母は夏祭りの係り。母のコーラスとお庭での遊びのお手伝い。今日も母はコーラスの練習でした。コーラスといっても「ほたる」の輪唱。でもひさしぶりの「ほたる」の歌、輪唱になるとまちがえるまちがえる。練習しとかないと・・
2004年07月12日
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今日はさすがに曇りでちょっと暑さもひといき。と思ったら待望の雨。母はさすがに入院疲れと暑さにあたったか、朝から頭痛。夏風邪かな。今日は土曜でお弁当もなし、だんなは休日出勤で1日母のお休み日。さてさて、7/12号の「アエラ」で母乳のことがでていました。ようやっと「無理な断乳をやめましょう」というのが日の目を見た感がしました。うちは上の子は1歳10ヶ月で卒乳、下の子は2歳3ヶ月位で卒乳したのですが、まだまだ母乳も1歳で断乳しましょう。と保健所の指導が厳しい時期で、病院に通っていたこともあり、検診もさぼり、検診のたびに断乳したことにしていた。「AERA」によると世界保健機構によると2歳かそれ以上まで母乳を育てることを推奨している。とある。要するに何歳になろうと母乳育児を続ける権利があるということらしい。でもちょっとまてよ、保健所では母乳育児をいつまでも続けると虫歯になると言われた。これはどうなるのだろう。べつに甘いおやつを与えて虫歯をひどくするよりは、ひどい虫歯にはならないと思う。実際上の子が虫歯を注意されたのは小学校2年になってから。母乳のせいというよりは、自分で歯みがきを始めて、母にチェックをさせなくなったせいに思える。だったらあの保健所の母乳は止めましょうという、育児経験の無い親には強制とも思える指導はなんだったんだろうと今は思う。母乳をあげています。と言うと、後で別室にて保健婦さんによる、説得が延々と続く。1歳断乳説はどうやら、人工乳育児と同じ扱いらしい。今でも保健所ではまことしやかに1歳断乳を奨励しているのだろうか。強制断乳よりは子供が止めたい時に、卒乳するほうが子供の精神衛生上よっぽど良いと思う。実際人工乳育児でも4歳でも哺乳瓶を離せないお子さんもいる。昔は小学校に上がってもおっぱいが離せないお子さんもいた。今は母乳の安全性も問題だけれど、母乳に出るということは、母親の胎内にいたころも汚染されていたことを思うと五十歩百歩に思う。それよりは、汚染物質を排泄できるような丈夫な体と食事の方が問題ではないだろうか。それに2歳を過ぎて飲む母乳の量は乳児の飲む量や体重比を考えると随分少ない物でしかないと思う。夜の寝しなに母乳をあげなくても、母との添い寝は相変わらず続いている。親からの強制的な親離れよりも自然に自立してくれるのを待っていたいものです。
2004年07月10日
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今日はさすがに暑いでした。自転車のお迎えも熱風の中を泳いでいるみたい。母は近頃入院疲れが今頃出てきたかと思う位、用事を忘れて早くもボケが出てきたか。これじゃあホントにおばあちゃん・・いけないですねー。子供でなくとも水が恋しい1日。シューレの土曜教室も6月末で1学期はおしまい。学校もあと1週間ちょっと。夏休み早々、上の子はお泊りに行きます。生まれて初めてのお泊りです。というのも下の子が生まれてから入院続き。夏休みはおばあちゃん家にお泊りのみ。と言う状況がずっと続いていたので、ここいらで落ち着いてきたし4年生になったしお泊りもいいかな・・との判断から。下の子のギプスは7月一杯取れそうにもないので、母は送り迎えのみ。何のお泊りかというと、井出先生の自然観察授業の林間学校。親が連れて行ってあげられないし、だんなに山登りを要求するのはちょっと酷な話。で、今回は上の子のみ参加。上の子は初めてのお泊りで最近少々興奮気味。母は準備でなんだか落ち着かない。行くのは2泊3日だけなので、そんなに支度はしなくて良いと思うのですが、これがなかなかまとまらない。だいたい荷物を入れるバックがどうも見当がつかない。たしかに小学校4年生には大きい荷物は無理。でも山に行くのに長袖とヤッケと・・とか思うと、何を持たせるか最近思案中。出発まであと2週間は悩みそうだ。
2004年07月08日
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今回の入院での行き違いなど色々書きましたが、構造上の問題であって、治療のほうは感謝するほどスムーズにいってます。入院中は心臓の先生方は時間を見つけてはかわりばんこにお見舞いに来てくださったのですが、下の子はテレ笑いしかしてなかった。先生すみません。でも進歩したんですよ。心臓の手術の時はエコーの診察まで「フン」って言って顔をそむけてましたから。看護士さんには「また来たねー」「赤ちゃんの時から覚えてますよ」と言われて皆さん声をかけていただきました。(ホントは病棟の看護士さんとお馴染みになるのはウレシくないのですが、この先もおせわになるのでありがたいことです。逆に言えばうちの子がそれだけ重症の部類にはいるのかということなので・・確かに入院患者も多少の入れ替わりはあるものの、入院すれば同窓会のように同じような顔ぶれ。みんながんばってました。)こんなベテラン看護士さんに混じって新人看護士さんも増えていて今回の担当看護士さんは1年目の新人さん。でもとっても親身にお世話していただき、やさしい元気なおにいさんで下の子も気に入っていたずら攻撃をしていた模様。さすがにシャワーは女性の看護士さんにしていただいていたらしいです。女の子のお風呂は女性の看護士さんなのでしょうか。コナ薬も水に溶かなくて飲めるようになりました。コナをじかに口に入れて水を一気に流し込む。母の居ない時に担当の看護士さんが試しに飲ませてみたら飲めたということで、母だとどうも過保護気味になっていたのかもと反省。本人曰く「すぐに飲めるからこっちのほうがいい」らしいです。ギプスが小さくなってやはりギプスの中にもアトピーの湿疹が出来ていたもよう。下の子はがまんしていたのか母が見ていてもそんなそぶりは一つもしていなかった。朝の担当医の回診の時に下の子は「先生にここにこんなの出来てたってちゃんと言っといたからね」と後で話していました。うーん一人の入院だと4歳にしてここまで鍛えられるかとちょっとびっくり。お姉ちゃんもちゃんと主人が帰って来るまでお留守番ができました。大分進歩したようです。途中ノートが無くなり買いに行こうかどうしようかと悩んで結局主人に頼んだようですが。ギプスが取れるまであと3週間。秋には術後1年目の心カテーテル。なんとかひとつずつクリアしつつあるようです。
2004年07月03日
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入院中火曜日になってやっと主治医が意見書を書いてきた。さてすぐにでも提出したほうがいいのですが、病院とは反対方向の保健所まで提出に行けず、今日になってやっと保健所に提出に行ってきました。さてここで問題勃発。主治医ではなくて助手の先生に書類を渡したのだが、意見書だけではなく、申請書と家族調書まで渡してほしいと言うので、どうして要るのか不思議に思ったが、書類一式渡してきた。そして書類が出来ましたと看護士さんが持ってきたのは封のしてある封筒一通。なんの疑いもなく受け取って今日の申請手続きに行ったのですが、受付で開口一番申請書を出してください。と言われた。こちらは封筒に一式入っているものとばかり思っていたら、担当者が封を切ると意見書が入っているだけ。しまったーと思ったのは後の祭り。主治医の回診の時に確認すればよかったのだろうけれど、すっかり全部入っていると思っていたので後で確認しようとも思わなかった。結局申請書と家族調書をもう一度書いて無事申請は済んだ。記入項目が簡単な内容だったのと、印鑑も持ってたので良かった。これで調べて書くようなことだとまた出直しかと思うと2度と申請に行けなくなるほど脱力感に襲われる。ましてやもう一度病院へ行き書類を取り戻すためだけに診察して・・と考えただけでもぞっとする。けれどなんでこう煩雑なのだろう。主治医の周りには常に4-5人の若い医師がついている。事務的なことなどは常にそれらの医師を通して伝えられる。別件での申請とのかねあいなどは都庁の担当に問い合わせないとわからない。用紙の書き方は保健所に問い合わせ。出来上がった書類は看護士か受付の事務から渡される。それぞれの話をとりまとめてつなげるのは患者側。病院にもサービス部門はあるのだけれど、カタログ的な対応でしかない。あまりにも縦割り組織に補助って何だと思う。欲しければ苦労しなさいみたいな対応は何なんでしょう。保険会社がこんなんだったら誰も入らないかも。これで審査が通って医療券が来るのは1ヶ月後だそうで、来た医療券を持って再度病院で精算の手続きがある。まだまだ先は長そうです。
2004年07月02日
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やっと下の子は我家に帰ってまいりました。3泊4日とはいえよく頑張ってくれました。(1回夜中に起きて泣けたようですが・・)抜糸は昨日の朝8:30から手術室入り。9:30には終了して手術室に迎えに。すでに起きて看護師さんに抱っこされて母を迎えてくれました。「あのしましまのシャツがお母さんだよ」などと受付のところですっかりうちとけて話していたようです。でも行きも帰りもストレッチャーには横にならず、絶対抱っこでないと行かないと母にしがみつき状態。結局看護士さんはからのストレッチャーを運んだだけでした。(すみませんでした)全身麻酔のため、半日食断ち3:00には水を飲んで、戻さずに水は解禁。点滴もはずれておなかすいた攻勢が激化。夕食は全かゆととうふのおかずを全てたいらげて、やっと落ち着きました。心なしかギプスも小さくなってお昼には帰宅。今回はなんだかひと月位入院していたようなくらい疲れました。もう一つどっと疲れた要因は帰りのタクシー。運転手さんに「誰の入院?」と聞かれて、「娘のですよ」と答えたところ、「小さいのに大変だ。でも、おばあちゃんも若くて元気だからいいよね。」との返答????????おばあちゃんはいなかったしどこをどうしたらこの返答になるかと思い、はたと気が付いた。自分がおばあちゃんだと思われたんだー!!!訂正したら件の運転手さん黙ってしまった。確かに連日上の子のお弁当を作ってから、朝7時8時に家を出て、夜中の11時過ぎに帰って来る。家に帰ってから洗濯雑用を片付けて就寝。昼間に子供と昼寝をするとはいえさすがに寝不足でしわくちゃな顔をしているといえばそうなのだが、うーん。20数歳で子供を生んでその子も20位で子供を生めば確かにおばあちゃんだ・・大分ショック。あんまり体裁を気にする方ではないけれど、いい加減考えないといけない歳なのかとしみじみ思った。別にいまさら若作りしようとは思わないけれど、保護者会におばあちゃんが来たと思われないようにしとかないと子どもに怒られるかな・・
2004年07月01日
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病院というところはどうもお役所と似て縦割り構造が強い。患者とその家族はその構造を自分の目的を達成するために渡り歩くことをしなければいけないらしい。午前中件の書類を担当医に書いてもらうべく診察を待って「書いておいてください」と先生に保健所で言われたことを説明し、家に帰ってきた。とたんに電話が鳴って今度は入院係から「月曜から入院してください」とのこと。ついさっきまで病院に居たのになんで・・とつい思ってしまう。まあ担当が違えば母がどこに居るかわかるほうがこわいかもしれないけれど、病院内に居ること位わかれば2度手間にならないのにと常々思う。以前も別の科で診察中に入院連絡があって、連絡が取れずに(病院内は携帯も当然電源offで留守電にも入っておらず、後付で聞いた)こちらが入院拒否したことになっていたことがあった。こちとら24時間電話の前で待っているわけではないのに、しかもすぐそばに居たのに・・となんとも煮え切らない思いをしてそれが2度目になるところだったから、よけいに横の連携はないのかと思う。さすがに症状が同じで治療目的も同じ時は小児科と心臓外科は連絡があった。でもカルテは別。今回は症状がまったく別。なのでカルテはもちろん違うし、既往症などの対応はまったく無いので、母が1から主治医に説明をすることに。要するにまったく違う病院にかかったのと同じ手間がかかる。同じ病院で良いところは主治医の指示で小児科の主治医に助けが出された時と、初診の時に小児科から紹介状がもらえて一応主治医も院内の紹介を念頭において治療してもらえること、それと小児科の主治医がベッドまで見舞い(診察ではないのです)に来てくれることか。まあこれだけでもありがたいのであんまり文句も言えた立場ではないのだけれど、母と子で3つも4つも科をかけもちで回っていると連絡の悪さに文句も言いたくなる。ほんとにもうちょっとなんとかならいものだろうかと毎度思う。で、実際は水曜日に抜糸の為にベッド確保のためだけに月曜日から入院。差額ベッドではないので入院費は払わないのだけれど、子供の負担は大きい。子供の一時外泊はないのか今度主治医に聞いてみよう。(大人はありなんですよ。これが)でなきゃ少なくとも外出位許してよね。子供の入院ストレス軽減のためにもなんとかしてほしいんですけど、こういうのってどこに訴えたらいいんでしょうね。今でもこの歳にしてけっこうしんどいのに、高齢になって診察のかけもちをしてたら主治医にちゃんと言えるのかしらと不安になるんですよ。実際親も80歳に手が届きそうな年齢になって2つの科で診察をしてもらっているのもある。ついて行ったほうがいいとは思うのだけれど、親のほうが「老人扱いする」(はっきり言って老人ですが・・)と怒るだろうし、こちらも親の通院まで世話をしていると毎日通院するはめになって到底身が持たない。せめて1病院内一人につきカルテ1冊にして診察のたびに主治医同士一言入れておいてくれたらと思うのは私だけでしょうか。今日も結局また家に帰ったとたんに昼ごはんの用意して入院準備に出掛けて子供の相手どころじゃなかった。早く休んでとは思ったのですが、なんとなく腑に落ちず今頃日記を書いてます。早ければ木曜日に退院。またしばらく日記はお休みするかもしれません。
2004年06月26日
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すみません最近シュタイナー教育について書いてません。上の子の土曜教室のにじみ絵はひつじを描いて持って帰ってきました。白いもこもこが良い感じ。こんど画像UPしますね。もうすぐ東京シュタイナーシューレのバザーです。微力ながら手作り品出します。母は季節の飾り物羊毛でカエルを作ってまいりました。でもカエル一匹だけ作って頓挫しています。全部できたら梅雨のあけないうちにUPしてみたいです。で今週は何をしているかと言えば、来週の抜糸のための入院準備に奔走中。火曜日は消毒に通院。他に入院するのに「住居を一にしない者の同意のサインと印鑑」が必要。これをもらいに実家へ。これが1日がかり。さらに火曜日になって先生から、医療費補助の申請の話が出た。心臓の手術の時に申請したもの。あったらいいなと思っていたけど、こちらも聞きそびれていたら、今になって言われた。こちらも先天性疾患の治療目的のため、東京都は申請できるとのこと。あわてて保健所まで申請用紙を取りに行った。これに源泉徴収表と主治医の意見書が必要。聞くと主治医の意見書の書き方によってはさかのぼって医療費の申請ができるらしい。ちょっと安心。骨の手術費用だってばかにならない。なんせ娘は先天性の心疾患をかかえていて、一般の生命保険は一切かけられないそうな。医療費補助だけがたのみの綱。なんせ生まれてからまる4年で入院6回目にもなるとまともに払っていたらいくらになるか・・みなさまの税金を使わせていただいています。ありがとうございます。また病院に行って主治医に一筆書いてもらわなければいけない。また診察券出して病院で待つのかと思うと気が重い。今度の主治医の診察日はあさっての土曜日午前中。さすがに意見書を書いてもらいに行くだけなので、本人はいらないけれど1日だんなに子供2人の面倒はちょっときついかも。最近大分だんなの方も子供の相手でストレスたまりぎみー。でもだんなが病院に行ってもらちがあかないし、主治医に言わなければいけないことの台本を作るのもねぇ。というわけで今週は母は毎日東へ西へと奔走しております。あ、下の子は昨日から幼稚園に行って上機嫌。皆によかったねーと言われ、クラスの皆もまちかねてくれていたようで、感謝感謝の母でした。水遊びはギプスが取れるまで(夏休みに入ってます)見てるだけー。でもお友達がいるだけでも下の子はうれしいらしい。そういえば病院でもプレイルームで入院中のお子さん同士遊んでいたっけ。母はいらないそうでベッドで待っててと言われました。来週また入院予定なので幼稚園に行きたくて毎日夕方になって疲れてくると機嫌が悪い。「もう入院したくない」と不満爆発。いかにして入院しないですむか必死に考えて、色々言ってくる。もうちょっとだからがんばろうね。(でも秋にも術後1年目の心カテ検査入院があるんですけどなんて言おう)
2004年06月24日
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さぼりの後ごたごたしていたら、ふと気がつくといつのまにか4000ヒットを超えてるじゃあありませんか。すみません4000人目の方をチェックしていませんでした。皆様ご訪問ありがとうございました。さて無事退院してきたのはいいが、家で養生というのがくせもの。なぜかというとギプスをはめていると色々不便。まず手が洗えない。ギプスの中にアトピーの炎症が出来るとかゆくてもかゆみ止めが塗れない。親指以外は出ているのだけれど、指を動かすと、親指に響くのでいたくて動かせない。術後の消毒は医師の医療行為であり、看護師の仕事でなく、ましてや素人の母親はガーゼひとつ汚れても取替えられない。よって消毒に病院通いをすることになる。これでは家にて養生というわけにはいかないように思えてならない。今日も午前中病院へ消毒に。土曜日ともなれば病院は半日。平日に通えないような方々でごったがえす。いつもの倍以上疲れた気がする。朝7時前に家を出て診察室に呼ばれたのが10:30。ガーゼをはがし、消毒薬を塗ってあたらしいガーゼをはる。所要時間今後の予定の話も含めて10分。薬はないので、清算のみで30分。家にたどりついたのは12時すぎ。親指の先から太さ2mm近い針金が飛び出しているのにはびっくりした。どうやって刺したんだろう。ちょっと興味深々・・でもあんまり気持ちのいいものではないですね。刺さりっぱなしですもん。でも骨の支えってこんなんでいいんですね。もっとものものしいのかと思ってました。なんせ入院中はベッドをカーテンで囲んで母には消毒風景は見せてもらえない。採血もそうだし、エコーも。あっでも点滴の針を刺す時はオープン。どこが違うんでしょう。近場の病院では対応不可能とはいえ、小さな子連れの往復2時間はいつもながらとてつもなく長く感じる。よっていつもならここで母はあえなくダウンとなるのだけれど、今日はまだ予定がある。午後はひさしぶりに土曜教室の先生との懇談会と、羊毛でカエルの飾り物作り。バザーの出品物も半分渡して残りの手作り品のチェック。帰りに買い物に寄って、ほぼ12時間出ずっぱりの1日でした。また火曜日に通院です。さすがにこれ以上動く気力なし。添い寝のまま就寝の予感大です。
2004年06月19日
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下の娘の多肢症の入院の連絡が病院から飛び込んできた。で急遽入院手術ときて1週間にて退院してきました。今回は付き添いなしで、夜に寝付いたら母は帰宅の毎日。夜帰ってからPCを立ち上げる気力もなく、まるまるこちらはほっぽりっぱなしになってしまい、今日になりました。下の娘も今回で6回目の入院。上の子のお弁当作りもあるし、学校は休みたくないとのことで、下の子にはがんばってもらうことに。手術は急ぐし(秋には検査入院もまっている)、部屋は空かずに入った病室は児童室。小学校4年生と2年生のお姉ちゃんたちに囲まれて、なんとかクリアしてくれました。幼稚園に行ってお友達と遊ぶ楽しさをおぼえたのも、幸いしてか、プレイルームで「お母さんはいらないの」と言って母は病室に追い返されてしまいました。今回は手の手術でベッドに寝てなくて良かったのでそれも幸いしたかも。さて手術のほうは部屋から出て2時間で終了。余分な骨を取るだけではだめで、骨のところがY字型になっているので、残った骨をまっすぐにするのに、付け根の骨をけずるのだそうです。手術室から出て来た時はすでにギプスで固定されてました。この状態で6週間我慢。夏場で水遊びもできずに7月一杯我慢するのは大人でもつらそう。2週間したら、もう一度入院して全身麻酔。支えにしてある指の中のワイヤーを取るのだそうです。(え~)。今回もそうでしたが、下の子。何されるのかと不安で意地でも麻酔に抵抗して寝ない。2歳くらいのころ、MRIやらなんやらでも麻酔をかけられるのですが、麻酔が効きかけるころになっても泣いて抵抗する。今回の手術室でも手術終了で呼ばれて行くと、すでに泣き声が聞こえた。看護師さんに文句の言い放題である。病室に戻るまで文句を言いながら帰ってきて、ベッドに入ってからやっと落ち着いて寝てくれた。3時頃に目がさめたら「おやつはー」。まだ麻酔が抜けてないので当然なし。お腹が動くのをチェックしてから、水をなめることからスタート。どうにか夕飯にはまにあって、ご飯にありつけました。病院のごはんがおいしいと平らげていた下の子は看護婦さんにめずらしがられていましたっけ。
2004年06月16日
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ほんとにひさしぶりになってしまった。これはいかんとあわててページをひらいたわけで・・で、何をしていたかというと、パソコンで遊んでましたー。幼稚園の経理をひきうけたのですが、家には会計ソフトが入ってない。というところで、まずはネットで格安ソフトを見つけてダウンロード。とそこまでは普通の作業。その先がいけなかった。前年度のデータを入れて、やってみるとこれがお手軽ソフトだけあって、機能もお手軽。そこで昔取った杵柄で職人根性に火がついた。(はい、もとシステムエンジニアで・・)「足りない分作ってみるかー」でVBAのマニュアルやら財務の本簿記の本をみーんな引っ張り出してせっせとマクロを組んでは、テストと機能改変。とまあすっかりはまっておりまして、鬱もどこかへとんでしまいました。もともとはまると時間もきにせず没頭するタイプなので、寝食忘れそうになるのですが、これが目覚ましならぬ、子供のハラ時計は正確なもので、きっちり3時になると「おなかすいたー」5時になると「おなかすいたー」となるんですね。お陰で目覚ましを止めるがごとく「もうちょっとー」と母が言っても、こちらは許してくれるわけはなく、しっかり母に戻されて寝付くまではしばしの母タイム。うーん早くシステムも上げなくちゃと思いつつ、余計な仕事を増やして楽しんでる母でした。もうすぐ下の子の多肢症の手術入院。「母子同室の付き添い出来ませんか」の問い合わせの電話もあって、どうしようかーと調整中。子供のみの病室はこの時期にめずらしく満室状態らしい。だんなの仕事も休日出勤が今年一杯続くし、いっぱいいっぱい。やっぱり上の子の学校を休ませて、実家に預けるかなー。たかだか1週間だしー。あんまり先に延ばすといつ病院から「明日入院してください」の電話が入るかと待ち続けるのは母も子も精神状態に悪いし、去年に引き続き、今年も夏休みの予定が立たなくなってしまう。(去年はこれで結局4月から10月まで待った。)そんなこんなでなんとなく落ち着かないけど、1日があっというまに過ぎている。
2004年06月04日
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ヒプノヒーリングを受けてわかったこと。遠い遠い過去に自分は大変な失敗をしでかし、世間様に顔向けできなかったらしい。それを自分で責め続け、師にもハイヤーセルフにも顔向けできず、自分で拒否し続けていたらしい。それが今の生での苦難。そして自分で過去を清算しようと自分でそういう環境を選んで生まれてきたこと。それが重荷となり、かなり頑固な性格もあいまってここまできてしまったこと。性格が性格なだけにヒーリングを受けてもなお、どこか「本当にゆるしてくれる?」と心のどこかでひっかかっている。も一度ヒーリングを受けた方がいいかもしれない。よっぽどがんこだとつくづく思う。けれどなぜ自分の過去生だとわかるか。夢の絵空事かもしれないのである。どちらでもいいと思う。要は「なんで?」という理屈と解答がわかればいい。がんこで理屈っぽい。だからバッチフラワーレメディも今ひとつだったわけだ。自分を認めたがらないから選べない。なぜという疑問に解答がないから納得しない。心のどこかで信頼していないから選んだとしても、効果が表われてこなかったようだ。3年いろいろレメディ、を半年くらいずつ変えてみながらためしたけれど、最終的にはホリーとスターオブベツレヘムしか選べなかったのはそんなところに原因があったようだ。しかしながらバッチフラワーレメディは子供の日常のストレスやケガをしたときなどのショックにはとても有効なようなので、まだまだ勉強の必要ありと思っている。それとこれからの自分の諸々のストレスなどのケアにも。で、ヒーリングの後に随分だるさに悩まされたが、ふとまだあちらの世界との間に片足を残したままなのでは、と思い立った。ヒーリングを終えて自分の体に戻ったつもりだったけれど、なんとなく浮遊している感じはするし、白昼夢というか、突然過去生の自分の顔が浮かんだりする。それにヒーリングのあとから生活は変わっていないはずが、子供のアトピーがちょっと悪化している。上の子の小さい頃、ヒーリンググッズのお店に連れていったことがある。お店に入って数分もしないうちに、かゆいと言い出して15分も居られなかった。何度か同じようになり、波動が良くなると好転反応で体の中にたまったものが、一気に出ることがあるらしい。上の子はそれだったようで、家にいると2-3日でおさまった。(家の波動が悪かったということか・・)今回は2人共。上の子はとっくにアトピーは出ず、寒い時に鼻炎が少々出るくらいだった。それで気がついた。これはまずいと気功で終わったあとにする目覚ましを入念にしたら本当にすっきりさっぱりした。やっとまともな生活に戻ったようだ。頑固で理屈っぽくてくそ真面目に自分をさいなみ続けていた。しかも自分を認めたがらないときた。ほんとに救いがたいとつくづく思う。なにも自分をいじめるのに刃物はいらない。ただ思うだけでいいのである。なんて自分はだめなんだ。って。あとは食べ過ぎてはいけないと思っていても食べ過ぎて、太って健康を害するのも、わざと体をこわすことをしたり、人に悪く思われるようなことをしてみたり、失敗したり。なんでもいい。自分で自分をいじめていただけなんだ。自分は楽しいことをしてはいけない。そんな資格はないとばかり思っていたようだ。自覚がないとおそろしいものである。自分が思ったようにちゃんとなっているのだから。さてちょと魂の掃除もしたし、しばらくこだわっていたものを捨てたあとの自分を観察してみたいと思う。
2004年05月19日
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先週ヒプノヒーリングを受けてきたのだけれど、以来眠い。日記も書けない程やることはあるのに眠く、しばらく日記は開けるだけになってしまっていた。とりあえず精神科にも行ってうつ病の診断も受けてきた。薬ももらった。飲むと立ちくらみはするは体はだるくて、夢も見ないほど眠ってしまう。これはまずい。10年前の自律神経失調症の薬よりは軽いらしいのだけれど、なんだか眠った気がしないまますっきりしない。3日で薬はやめた。そこで過去生ヒーリングを受けることにした。セッションは3時間位。かなり思い出すのを拒否しているらしく、途中で眠ってしまうこともしばしば。それでもなんとか自分の過去の失敗にこだわって、いまだにひきずっていることなど徐々に思い出してきた。泣きの涙で思いっきり吐き出してきた。どうして今生で小さい頃から理不尽な思いや、周りの人間にめぐまれなかったのか分かったような気がする。まだなんとなく残っている気もするけれど、また機会があったら行ってみたい。あとはなんと体が軽いというか、体が動くというか。ある程度なっとくしてもうこだわらないと思ってしまうと、がぜん掃除やらなにやら、片付けたくなった。滞っていたものがすっきりさっぱりしたので、身の回りも片付けたくなったよう。でも体のほうがなじんでいないので、すぐ眠くなる。セッションの次の日は腰がボリボリ音を立ててゆがみがとれたようだ。おかげで筋肉がついてゆかず筋肉痛。がんこな肩こりがもとに戻ってきたようで、痛みも感じないほどだったのが、中途半端に痛い。1週間色々あったのだけれど、なんだかこだわらなくなったのか、眠いせいかなんだか書けずにきてしまった。体がなれるまでこのままになるような気もするのですが、とりあえずちょっとのんびりしています。
2004年05月18日
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このところというか、ここ1年位気になることがある。思ったことが、「しなくてはいけない」に変わること。例えば、今日。冷蔵庫もそろそろ掃除をしなければと思った。夕方入れ物を取り損ねて冷蔵庫の中に煮物をひっくりかえした。結局その場で冷蔵庫の大掃除となった。そんなことが随分続いている。確かに思考は実現する・・らしい。行かなければいけない用事。でも乗り気はしない。結局雨の中を行くはめに。ちなみに娘の遠足はことごとく晴れる。天気予報が雨でも晴れる。雨が降っていても出掛けには晴れてくる。上の子が小さい時はお出掛けは晴れた。最近は微妙だ。母と出掛けるより友達の方がよくなってくる頃から、天気は安定しなくなった。それも思ってから実現までの時間が短い。最近は数時間で現実のものとなる。このあたりがポイント。ストレスを感じるようなことがあるとする。なぜ、ストレスになるかというと、自分が思っていない、または、自分の理想と違うと思うからストレスになる。おもしろければ子供でもえんえんと集中してやっている。自分の限界を超えてもやらなければいけないから、ストレスになる。本当にそうだろうか。今起きて考えていることは表層意識。自覚していない部分は潜在意識。このあたりは大体今は一般的に言われている。要するに潜在意識が求めていなければ実現しない。自分は思っていない。考えていないと思っているのは起きている時の意識だけ。ということになる。考えというのがくせものである。生まれてこのかた、いや母のお腹のなかから漠然と取り込んできた考えは20歳ころ定着し、大人となる。あたかもそれが真実であるがごとく。本当に真実だろうか。~するのがあたりまえ。という考えほどあいまいなものはない。本当に自分はこの現実を望んでいたのかどうか。知りたいと思わなければそれはそれで良い。けれど潜在意識として「NO」と言っていたとしたら、考え(もしくはきらい、きずついたなどの感情)をおしすすめるうちに潜在意識とのギャップは大きくなり、病気となるのではないだろうか。今回の躁鬱でながらくひっかかっているのが、ここのところ。イメージとしては薄暗い林の中。でもその地面の下には明るい世界があるのに地面が卵の殻のようでいて割れないもどかしさ。自分で自分を閉じ込めてしまっているようである。嫌なことを絶対思い出さないように遠い昔に封印してしまったことを、今思い出さないと事態は変化してゆかないという自覚はあるのだけれど、自分では八方ふさがり状態だと思い込んでいるようである。どうやらこの思い込みを解かない限り、体は休眠状態から抜けられない。よって鬱が続いているようである。自分の場合は事態を悪化する(体、健康に対してもそうだし、対人関係にしてもそうなのだけれど)方向へと、自分を追い込んでいるとしか思えないのだけれど、どうしても自覚できない。そんなところで、自力で事態を変えるよりはヒーリング、それもヒプノセラピーを選択してみた。セッションを受けることに果たして思考で選択したのであれば、雨。潜在意識から求めたものであれば晴れと踏んでいるのだけれど、結果はどうなるでしょう。
2004年05月09日
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3000ヒット達成。みなさまご訪問ありがとうございました。なかなか支離滅裂、つれづれなるまま気が向くまま書いておりますので、内容がさだまりませんが、よろしくお願いします。画像はうちのおもちゃの木のおうちと自作の小人、あみぐるみたちです。大きさは小人が高さ4cm位、ちびねことちびうさぎが5cm位、ロバが高さ15cm位。シュタイナーではデフォルメした動物は子供には与えません。それも自分以外の生き物に興味を示す年中位になってから少しずつ与えます。さて今日はちょっと変わって体のこと色々。ちょっと危ないのも含めて精神世界に興味を持って30数年。マクロビオティックという玄米菜食を知って、はじめて25年。(歳がばれそう。はい、下の子は高齢出産です。)色々浮気もしつつやってきたのですが、ここのところ躁鬱の落差が非常に大きくて自分でも「ハテ、コレハイッタイナンデショウ」状態だった。そんな中で、何をもってこの状態に対処しようか、と思ったこと。鬱状態の時、全てが八方ふさがりに思えたこと。やらなきゃわかっていても動けない。動きたくない。夕方になると微熱が出る。(この場合15年前の自律神経失調症状態)やってはいけないとわかっていても、自虐状態に陥る。躁状態の時、動いてないと落ち着かない。のんびりしているのが見ていられない。動くだけ動いたらバッタリと動けなくなる。これらはもう食事でどうこうのレベルではない。そこでハーブ・・気休めぐらい。ホメオパシー・・立ち直るのに時間がかかりそう。 相談に行ってレメディーをもらって と思ったけれど鬱に入ると出掛けるのも おっくうでオンライン診断の書類まで 取り寄せてそのままになってしまった。バッチフラワー・・いまだにこの鬱の発想の根源がわからず レメディを自分で特定できない。 スターオブベツレヘムでお茶をにごしていると いうか、 とりあえず現状維持といったところ。気功・・光が通らない。 特に右半分でひっかかってしまって、 自分を捨てきれていないのはわかるのだけれど、 そこまでたどりつけないというか、 なんというか、気付けない。どうも自力でなんとか出来る状態ではないと思って、ヒーリング。それも現世レベルではほとんど原因は自力でなんとか解消してきたのでヒプノセラピーを選んだ。要するに過去生回帰。昔々、1回だけヴォイスでロブ・ロウ氏の個人セッションを受けたがどうにも原因にたどりつけなかったので、多少不安ではあったけれど、ヒプノをもう一度受けてみることに。とりあえず予約だけはしたので、無事終了したらまた報告します。
2004年05月07日
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幼稚園は10日から始まる。よって今日はひさびさに下の子と二人きりの時間。連休は特にどこに行くでもなく近場で遊び、後半は寒さと大雨と強風でこもりきり。4人も家の中で毎日となるとなんだかわさわさして、落ち着かない。1日があっという間にすぎてしまった。なんせ正月休みよりも長い連休。日記も書けずにのぞいただけで終わった。2日は皆で大掃除をしてくれたのだけれど、なんだか前よりちらかったみたいだし・・みなさーん使った道具は片付けましょうねー。やりかけで置いてかないように。ホットケーキ焼くのはいいんですがー。ガス台も拭いてってねー。小学校4年生と4歳ではこんなもんでしょうか。結局今日は大掃除。下の子は掃除機が大嫌い。よって下をかける時は2階の部屋のドアを閉めて退避。上をかける時は1階に退避。音が止まると「もーいーいー?」と叫んでる。で、ようやっと今はとなりで小人人形で一人おままごと。お姉ちゃんも帰って来たが、何を思ったか勉強にもえている。学校でまた何かあったか、ひさしぶりに学校へ行ってはたと思い立ったのか。わりと単純と言えば単純。素直に感化されるたちなようだ。教訓、家で過ごす連休はつらい!今日明日は母の連休にしようかと一人決めこんでます。調子に乗ってきたのか下の子が遊びながら歌をうたってる。バナナーバナナーバナナーバナナが咲いてーひーいらいたーぎゅっぎゅっぎゅとおべとんばこー意味不明な歌がお経のように抑揚のない節でえんえんと続いている。布切れを集めてバナナを作っていつのまにかお弁当に変身したらしい。下の子のヒット作は2歳の時、♪おいもー、おいもー、あしもー、おててもー♪ちなみに音階でいうと”ソソソー、ソソソー、ララソー、ララソラー”上の子に大うけして上の子はいまだに思い出しては歌って笑っている。まともに聞いていると笑い転げそうになる。
2004年05月06日
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休日というので一家そろっての遠足のはず・・だったのだけれど、だんなは仕事で午前様でギブアップ、お姉ちゃんは昨日、往復2時間も歩いての遠足、しかも同じ場所でリタイヤ。結局母子2人だけの遠足参加。下の子は鼻水せきがまだ不安な状態だったのですが、天気も良いしなにせ「遠足だけは絶対行く。ピクニックする!!」の一点張りの休園だったしこちらの遠足も幼稚園からの歩きの遠足。それも子供が遊びながら歩いても15分そこそこ。お散歩がてら行くかなののりで参加。ひさしぶりのお友達に少々興奮気味。みんなで輪になって家族紹介のご挨拶。その後は輪になってのハンカチ回しなどなど。下の子は自己紹介のあいだから「お腹すいた~」とさわいでいたけれど、遊びにはいるとがぜん元気になっていた。ご希望通りにお弁当をひろげて皆で「いただきます」おやつを食べていないので良く食べること。細巻き2本においなりさん3個。ブロッコリーにミニトマト。お昼が食べたら自由解散。男の子たちは川でザリガニを取ると行ってしまい、下の子は原っぱをはだしになって一人遊んでました。「はっぱがきもちいー。」上の子は絶対いやがって草むらにははいらなかったけど、違うものです。園舎の修復の話があっただけれど、下の子の方が炎天下で疲れそうなので、そのまま帰宅することに。そう言えば、人工血管の時は水分補給をするように言われていたけれど、人工弁と人工隔壁だと気にしなくても良いのだろうか。もうアスピリンも飲んでいないし、心臓肥大もない。人工血管の場合は水分が足りないとつまりやすいため、水分補給には随分気を使っていた。ひさしぶりに炎天下で遊んで家に帰ってから、思い出した。(このへんがぬけてる母)今度の検診の時に紙に書いておいて担当医に確認しておかないといけない。
2004年04月29日
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小学生も4年生になってくると親の言うことにいちいち違うことをしたいと言って来る。今日は暴風雨なのでレインコートを着ていくように言ったのだけれど朝は小降りだったので、「みっともない」とパーカを着て、長靴だけはどうにか履いていった。おかげで帰ってきたら全身ずぶぬれ。かさもさせずに帰ってきたらしい。あ~あ、と思ったけど言うのはやめ。まあしかたがない好きなようにやってみてね。この雨の中、家庭訪問の予定。先生も予定があるから後日というわけにはいかないのだろうか。本当にご苦労さまです。予定より30分遅れで先生がいらした。最近は玄関先で話をして上には上がられない。勉強は問題ないというか、優等生で通っているらしい。学校ではかなりがんばっているらしい。先生の言うことは四角四面に律儀に守る性格。その分融通がきかないというか、なんというか。日常のささいないざこざは先生も注意はしてみますとのこと。席順だけは次回の席替えで考えてもらうことに。四年生の総合学習の時間にホットケーキを焼くらしい。アレルギーのため牛乳がだめな生徒は家も含めて3名。おやきのようなホットケーキなら上の子が日曜日によく自分で焼いているので、とりあえず今度先生に試食してもらう話になった。2年生の時はふかしいも、3年生は干いもを「七輪」で焼いた。畑で作っている大豆が採れたらそれで豆腐も作るらしい。学校にお手伝いに行くことが多くなりそうだ。おかげ様でこの近辺は東京郊外とはいえまだまだ畑の多い土地。(ようするに不便なのだけど)学校より広い畑を近所の農家の方が学校用に提供して、管理もしてくださっている。生徒が植えつけている野菜は大根、ジャガイモ、大豆、さつまいも。収穫には家族ででかけることもある。貴重な農業体験はありがたい。10分の予定が20分近くの話になり、雨風の中先生は次の訪問先へ、ご苦労様です。
2004年04月27日
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土日にだんなと遊びまくってカゼがぬけません。おまけに母も熱っぽい。というところで、2人して夜はいもしっぷで就寝。ハナミズは止まったのだけれどのどがやられたようで、「誰の声?」と思うくらいのハスキーボイスでおしゃべりしまくり。毎日「今日は幼稚園行けるの~?」と言うがこれじゃあちょっと人にうつしそう。下の子は熱は出ていないので、近所の散歩だけ。少なくとも29日の幼稚園の家族そろっての遠足までには、なんとかしたいところ。母も下の子も病院の定期検査があったのだけれどカゼのため予約キャンセルで、ゴールデンウィーク明けまで診察はなくなりました。ゴールデンウィーク明けになると先生達が学会でいなくなるのでなるべく行きたかったけれど、しかたがない。ゴールデンウィークはだんなは休日出勤。ひさしぶりにのんびりした1週間となりそうです。人気のなくなったご近所探索でもしようか・・
2004年04月26日
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下の子がどうしても幼稚園へ行くと言う。カゼ気味は続いているし、しょっちゅうハナをかんでいる。「もう一日休もうよ。」でもどうしても行くと言って玄関で靴をはいて、大騒ぎ。家では鼻をかみつつも遊びまわって寝てないし、とりあえず連れて行って先生にたのんできた。他にもせきが出ているようなお子さんもいるから、みんな疲れ気味かな。なんせいきなり真夏のような日が続いてこちらもなんだか体調が悪い。お迎えにゆくとあんまり機嫌がよくないが、散歩も行っておやつもお弁当も全部食べたとか。帰りは例のごとく川沿いの道を遊びながら帰ったが、半分で「疲れた」。さすがにそうだろうなー。お姉ちゃんが帰ってくるのは4時。それまで昼寝にさそったけれど、結局母で遊ばれてしまっただけ。しかたがないので「三匹のやぎとがらがらどん」と「日本むかしばなし」の「うさぎのそばまき」を5回くらい読んだ。お姉ちゃんが帰ってから、お姉ちゃんの宿題をやっているあいだ、となりで神妙な顔をして絵本を開いている。自分も勉強しているつもりか。気晴らしにお姉ちゃんが下の子に漢字を教えてる。まだやらないでいいんですけど。姉「大根は大きい根っこのことだよ。 音読みでだいこんて言うんだよ。」妹「じゃあ、訓読みは?」(母:そんなことも教えてるのか。まだいいよー。)姉「だいこん・・・・・??」妹「・・ちがうでしょ~」お姉ちゃんの完敗でした。最近下のほうにお姉ちゃんは口で負けてる。下の子の方が鋭いつっこみをしてお姉ちゃんがのんびりしているせいか、下の子のテンポについていっていない。学校で言いたいこともいえない訳だと納得しました。
2004年04月22日
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下の子は結局今朝もみずっぱなをたらしているので、今日は幼稚園はお休み。本人は行きたくてしようがないらしいけど、無理は禁物ということで、なんとか納得。でも1日家で飛び回ってるしなー。明日はどうしよう。鼻水治らないしエキナセアも良いのだけれど、あんまり続けるとアレルギーの湿疹の元。そこそこに切り上げないとこんどは痒くて夜寝れなくなる。お姉ちゃんのピアノは体験レッスンから3回目。「バーナム1」も「ラ」の音までの曲になり、かなりのスピードで飛ばしている。あんまり調子をあげてると後が続かないような気がするのですが。お姉ちゃんを自転車で送った帰りは、川沿いの道を下のが歩くと言う。ほととぎすが鳴いて、つばめも空高く飛んでいた。みずばなは出ているけど、暑い位でいいかと気分転換。さすがに大雨でできていた水溜りも程よい固さに乾いてきていた。水溜りがあると下の子はまたげない。というか、その場で泥遊びになってしまうので、今日はやめておきたいところ。風邪が長引くぞー。程ほどで気分良く帰ってきたのだけれど、PCを上げてふと見るとタイトルのニュースhttp://www.asahi.com/edu/news/TKY200404160396.html「学習指導要領や標準の授業時間数にとらわれない教え方を特別に認める「研究開発学校」の今年度指定分を発表した。」「研究開発学校制度は実践した結果を今後の教育に生かすのが目的だ。」とか。学習指導要領の規制がゆるくなるのは良い傾向だとは思うのだけれど、「研究開発」にどうもひっかかる。要するに、子供を実験台にしてとにかくやってみましょうみたいな意図なのだろうか。それまで新たな教育を実践している学校からの、申請による指定だそうだけれど、「こういった教育をすれば、子供の幸せになるはずだ。」という保障はないわけだし、昨年のゆとり教育の指導要領の範囲削減と今年の復活を見ても理想と親の期待のギャップが教育内容の2転3転につながっていることを思えば、ちょっと節操が無いのではないの。と思ってしまうのは、私だけだろうか。しかも指定校には国立の小、中学の名前も並ぶ。確かに、国立の教育学部附属小学校、中学校は教育研究のための学校であり、ひとつの教育の実験、観察の場である。双子だと入学しやすいと言うのも、双子の(言葉は悪いですけど)特性や特殊教育の調査目的。親の方としては学校のステイタスを望んでの受験だろうが、学校方針を全て受け入れての受験だったのか疑問である。新しい科目、総合学習が失敗でした。成果につながりませんでしたとなった場合も覚悟しての受験だったのか、老婆心ながら考えてしまう。勉強が大学受験には至らない内容のため、塾に走る結果となり、子供の労力を増やしたのでは無かっただろうか。今まで家庭や地域、ボーイスカウトなどでやっていた課外活動的な内容まで全て学校でこなす必要があるのだろうか。フリースクールでの授業内容のようなものを大きな集団で行う無理はないのだろうか。いくら情報化社会とはいえパソコンやインターネットを小学校で教えること自体疑問に思えてならないのだけれど、30人40人学級で担任の先生一人でまかなえる内容ではない。学校方針とは言え、現場の先生がはたして短期間に子供を指導できるだけの実力をつけて授業に臨めるのか不安が残る。上の娘の学校でも昨年は七輪の体験学習を行い、今年は豆腐作りの体験学習を行うと言う。親や地域の方々の助力があっての実現である。確かに貴重な体験なのだけれど、ではその先に何を望むのか、体験から何が生まれるのだろうか。「よかったね。」「昔は大変だったね。」では生徒に何に生かして欲しかったのか。見えてこないのである。生徒一人一人の生活に反映されていく可能性はあるのだろうか。これらは生徒に教える前に教師自体が納得して、実践していなければ、生徒はついてこないだろう。さらに言えば家庭でなされていなければ、身に付くものではない。生徒が教師を信頼し、尊敬の対象となって初めて子供の内に定着するものではないだろうか。子供が親との会話のなかで、「お母さんとの約束だから、これはしないでね。」と子供の責任と反省をうながすものでなければ、「やめなさい」「こうしなさい」では子供は歳がいけばいくほど、親に反抗して離れてしまう。学校の教師も同様ではないだろうか。自分もかつて教育実習を履修すれば、中学の理科の教師になれるはずだった。けれども「果たして、自分は教師になり子供を指導できるだろうか。尊敬に値する人間だろうか。」と自問し、やめてしまった。子供について行きたい人間と思われるような器でないと思った。子育てをしながら、ようやく自分になにが足りないか、見えてきた気がする。子供の態度が教えてくれる。この国の教育はまだまだ諸外国のシステムにふりまわされ、何を教えるかという形だけにとらわれていると思えてならない。本当は教える側の人間の問題だという話題を聞いたことがない。
2004年04月21日
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今日は下の子は大分疲れがたまってきたのか、幼稚園の帰り支度の時にウツラウツラとしていたらしい。夕方からくしゃみ、鼻水。とりあえずエキナセアのチンキを飲ませて夜8時の就寝。明日は幼稚園お休みするかな。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お姉ちゃんはその後毎日のように、誰が手を出す、彼がとおせんぼした、「そばかすマン」と言われてる・・等々。(お姉ちゃんは日に焼けるとすぐそばかすになる。最近は小学生にしてそばかすを気にして母の化粧水と日焼け止めをねらっている)不満爆発大会。で、今日別の女の子のお友達と、学校帰り、件のお友達の嫌な所の不満を言い合って、帰ってきたらしい。う~何かまるで井戸端会議じゃん。と思ったが口にしなかった。こうやってストレス解消法を見つけていくのか・・でも違う。こう何か前向きな対処方法は思いつかないのかとも思うが、小学校4年生ではこの程度か。あのー、人のせいにしても手っ取り早いとは思いますが、解決にはならないんですけど・・子供の日常のなかでこうやってグループに入った、グループからはずされた、などと悩むことになっていくものか・・と行く末が見えるような気がする。結局先生も件のお子様の対応も苦慮なさっていて、決め手もなく、なにかあるごとに個別対応もできるほどヒマでもなし。ま、先生にカウンセラー並みの対応を求める方が無理というものか。そのためにスクールカウンセラーが週3回来ているが、どうも行くお子さんは決まっているし、放課後は友達と帰りたいので無理。相談室に行くのを友達に知られるとまた余計に言われることが増えそうなので、あんまり目立つことをしたくないのが本音のようだ。おまけに相談予定ノートが部屋の前に置いてあり、誰が相談に行ったか、誰でも見れてしまう。ということはすぐに皆に知れてしまうということ。予約方法を変えるべく先生に提案してみるかどうか、現在思案中。とりあえずバッチフラワーのレメディを調合して、しばらく飲ませている。お姉ちゃんは結構いつまでも根が深く残るタイプ。気質でいうと憂鬱質と胆汁気質を併せ持っている。普段は繊細、ばかにされるのを極端にきらう。一旦感情が爆発すると手が付けられないが、しばらくすると平静さが戻り、ゆっくり話しあえ、自分のやったことも理解している。あんまり不満はためこまないでね。ストレス解消にお人形の服でも作り方を教えようか、編み物のマフラーは途中だけどもう暑いから。
2004年04月20日
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昨日の日記で9才になって色々お姉ちゃんも大変だと書いた。今日になってクラスの班でのことを言って来た。「ボール投げがへただからボールにさわらせてくれない。」「背の順に並ぶと後ろの子が上履きを踏んでくる」等々。お姉ちゃんはこういう時、ちゃんと「練習させて」とか、「やめてちょうだい」が言えないようす。四年生になると先生もいちいち出てこないで、「自分達で解決しましょう」みたいなことを言っているらしい。さてこの場合親はどういった対応をとるのでしょう。4年生と言ってもなったばかり。自分の訓練と言っても上の子はそのまま何もしないで後になってまた同じことを繰り返す。だいたいこういうのは性格的なもので、毎度同じパターンで大人になって社会に出て、「やっとこれじゃあいけない」って思うまでかわらないように思えるのだが、集団生活で鍛えられるどうこうの問題でもなさそうに思えるのですが・・親とは色々こういう時はこうした方がいい。と話して頭でわかっても、いざとなると自分からは何もしない。欲求不満を溜め込んで後になって下のにあたる。これが最悪のパターン。まだまだ甘えの残る年頃。考えも思いつきが目立ち強く出られるととたんにだめになってしまうらしい。
2004年04月18日
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下の子は月曜の幼稚園のお弁当を指折り数えて、たのしみにしています。今日も「あと2回寝たらお弁当♪」と幼稚園が待ち遠しくてたまらないよう。さて、土曜教室4年生2回目。今日は父母会。担任の先生がかわられたので、母と初顔会わせ。今の所6人しかいないのでこじんまりと、先生の1回目の感想から。芯にしずけさを持ったおとなしいクラスですね。とのこと。確かに歩き回ることもあるけれど、なにかを始めると結構みんな真剣にやってる様子。月1回は集まって、30分ずつ親の勉強会のようなものも、やりましょうとのこと。これはうれしい。ちょっとずつ色々試してみるのもよいかも。ちなみに先生は三鷹の牟礼と井の頭のコミュニティセンターで大人のオイリュトミーのクラスを持っていらっしゃるとのこと。月2回水曜の10:00-12:00まで。1回1500円。下の子もお弁当が始まって13:30まで帰ってこないので、そろそろ母も出掛けてみようかな・・リコーダーは3年の終わりにやった、輪唱と和音を2学期にやるとのこと。9才まではイメージの世界にいるため、はっきりとした個人としてまだ独立していません。だからそれ以前にパート分けをした合奏というのも、無理が大きいようです。そのほか、大体お手紙でいただいた1学期の方針をうかがっておしまい。子供は今日はオイリュトミーとにじみ絵で「いか」を描いたよう。今年のテーマの「動物と人」の1回目。人から遠い生き物から描き始める。いかを描くといっても形をはっきりと描くのではなく、あくまで色のイメージ。「いか」は固いか、やわらかいか、生き生き動くか、ゆったりしているか。等々、イメージのなかの「いか」を色をぬいたり、かさねたりしながら、描きだしてゆく。輪郭は描かない。形も細かいところまではこだわらない。それでも「いか」に見えるところは子供の色に対する理論でなく、説明でなく、イメージの力がストレートに現す事のできる能力ゆえんでしょうか。大人は残念ながら、直接イメージと色がストレートに結びつかずに一旦言葉が必要になりますし、技術が必要になります。子供だけの特権でしょう。ピカソが求めた永遠の子供の感性は、9才までの子供の内にあるものなのです。よく○才で神童、大人になればただの人。みたいに言いますが、子供のイメージの特権ゆえにイメージとしてすべて取り込めますが、それにたよって、9才以降に思考と知識を自発的に伸ばす訓練をしなければ子供の特権が無くなってしまった後には得るものが少ないということでしょうか。逆にあまりに早くから知識と思考を与えてしまうと、生き生きとした生命力を得られずに、よりどころを失くした心は、不安を常に抱えた大人になると言います。9才まではイメージの中の住人。さて上の子はこれから知識の海へと順調に踏み出して行けるでしょうか。だんだん個人としての独立にめざめ、親の言うことにいちいち反抗して見せている。女の子だから言うこともいっぱしになってきた。本人も試行錯誤の中、必死である。がんばれおねえちゃん。
2004年04月17日
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と、その前に下の子の幼稚園3日目に突入。今日もドアにてバイバイ自分で締めて行ってしまいました。あまりにも割り切りがはやくて母はちょっとさみしいかも。帰りに先生から「今日はいっぱいおしゃべりしました。」どうやら先生につきまとって、お遊びの間中しゃべっていた模様。一体何を話しているのやら。ちょっとドキドキもの。娘の口からは何を話したのかは聞けませんでした。今日のおやつはコロッケ。帰り道は「おなかすいた~」攻勢がはげしく、速攻で家に帰ってきました。お願いだから自転車の後ろで、「おなかすいた~」って節をつけて大声で何回も歌わないでほしい。2時頃から雨。お姉ちゃんのピアノは4時半から。寒い雨の中ピアノへ送っていった。今日からは一人で帰ってくることに。殆ど1本道なので、さすがに方向音痴の娘でも、一人で帰れるだろう。先生から教本をいただいて帰ってきた。とりあえず「バーナム1」から。ドとレしかない。好きなだけやっていいそうな。とか言われると、上の子は最初はめいっぱいやって、あるときフッツとやる気が失せてなんにもしなくなる。その前に次の教本いただかないと、まずいかも。帰ったとたんにピアノに向かい練習を始める。いつまで続くでしょうか。あと楽典はト音記号の書き方と全音符から8部音符までの練集をしてきて二重丸をもらったと得意げに見せに来た。7時までに宿題も明日の支度も終わってさあお風呂と思ったら、理科の教科書を持ち出してきて、月の運行の写真がでているのを見せに来た。今年の初めだったか、日食の特集をテレビで見て以来、かなり気になっていた模様。去年は新月と半月と満月しかなかったようだが、今年はしっかり三日月から乗っている。今の5年生はどこでこの不足を埋めるのだろう。でいきなり月の満ち欠けを地球儀とボールと電気スタンドで解説するはめになった。ついでに日食と月食、星の運行まで一気に1時間の家庭内課外授業。1学期分全部やっちゃったかも。でも半分位納得してないようなので、学校でちゃんと授業聞いてね。上の子は興味が向くととことん聞いてくる。しかも夜になってから。しかも下が自分の範疇にない話題のため、しきりに横槍を入れてくる。しかたなく下の子を抱っこにおんぶで解説。母の本棚から「天体観測の手引き」(たしか小学校の高学年で買った本)と雑誌「天文ガイド」(197?年から2年分)は娘の本棚へと引っ越してゆきました。(小学校から中学までは母は天体観測にはまって、一応天体写真なんかも撮って雑誌に投稿してたな~)お願いだから本は大事にしてね。結局布団に入ったのは9時過ぎ。下の子が寝付いたのは10:00時近く。明日も起きれないぞー。
2004年04月14日
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今日から幼稚園通園。案の定上の子が出掛けるまで起きて来ず、7:45起床。まあ9:00始まり。自転車で5,6分なので余裕で支度。8:30には行く気まんまんで上着をはおって、リュックをしょって玄関で待っている。「おかあさんま~だ~」まだ15分以上あるんですけど。幼稚園についたら3-4回ならし保育で来ているので、荷物やら靴の置き場所も覚えていて、自分でチャッチャカ支度を解いて、自分でドアをしめて保育室に消えてゆきました。後から先生が顔を出されて「じゃあお預かりしますね」とにっこり。あっけない登園初日の幕切れに母はうれしいやら調子が狂うというか。確かに下の子は生まれた時から、八方美人。赤ん坊の頃だっこしていると、知らない人に笑顔を見せて「あらかわいいわねー」といわれてサービス笑顔。さすがにおじさんに笑いかけても反応してもらえないと不思議そうな顔をしてたっけ。その上本番に強いというか、いざとなったらまな板のコイ。「もうどうにでもなれー。」と気合で飛び込んでいく。レントゲンでも心電図でも一応泣く。でも始まるとケロッとして検査技師さんとおしゃべりしてる。でもって母の顔を見ると大泣きする。でもシールを看護婦さんにもらうと、どこに張ろうかととたんに泣き止む。切替が早いというかゲンキンというか・・そうこうしているうちに11:30幼稚園に行くと先生に連れられて部屋を出て来た。帰り支度も母には手出しさせず、先生にさよならをして帰って来ました。
2004年04月13日
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今日は下の子の「なのはな園」の入園式。と、その前に小学校の朝の旗当番が7:45-8:15まで、10:00から新入園のつどいと、午前中はバタバタしていました。それでも一応着替えて9:55分には幼稚園到着。自分のマークの場所にお着替え袋とオイリュトミーシューズ入れをかけて、帽子掛けに帽子をかけて、お部屋に。お子ちゃま達は少々緊張気味。小さなお友達の部屋で呼ばれるのを待ちます。(なのはな園は一応縦割り保育なのですが、年少の12月頃までは別の部屋になります。最初は年長のお友達に圧倒されて、遊べなくなるからとのこと)一人ずつ名前を呼ばれたら、親と一緒に皆で手をつないで、在園のお友達の待つ部屋へ。今日が始めての在園のお友達との対面。在園児達は半円になって待っている。そこへ進入園児が手をつないで入ってゆき、みんなでまあるい円になりました。先生の手遊び歌やらお話を聞いて、お庭に出てまた円になりさよならの歌。在園のお友達から歓迎に一人ずつ、園庭のお花をもらってさよならのごあいさつ。小1時間の普段の保育のような入園式。下の子は先生のお話の時は、一番前に一人でとんでゆき、オイルもつけてもらって大満足。なんとなく、2歳の頃「すみれ幼稚園」の幼児クラスを思い出して、すっかり慣れた様子。これなら明日からだいじょうぶかな。帰りに何度も「明日からはおかあさん迎えにきてね」と念をおしていたので、その気になってきたみたいです。下はけっこう本番に強いというか、その場になると観念して割りきりが早い。明日のおやつの心配までしている。下の子は年中からなので、19日前後からその子の状態を見てからお弁当が始まる。「お姉ちゃんと同じお弁当にしてね」とこれまた念をおされてしまった。今週は11:30まで、お弁当が始まれば13:30までの保育。明日から大丈夫かな。帰りは暑いくらいの陽気。川沿いをゆっくりあそびながら、30分かけて帰ってきました。帰ってからもこの間仕上げた幼稚園用のリュックをしょって明日のティシュとハンカチの入替えをせっせとやって、本人かなり乗り気で明日の朝の心配をしている。「お母さんがお弁当を作り始めたら起きるね。」本当かなー。
2004年04月12日
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今日から東京シュタイナーシュレ土曜教室新年度がスタート。今まで4年生は13名いたクラスもそれぞれのご家庭の都合から女子3名、男子3名の計6名になりました。担任の先生はシュタイナー教育では入学から卒業まで、大抵同じ先生なのですが、先生の諸事情により退職なさったので、4年生からは新しい先生となりました。4年生のテーマは「人と動物」。漢字もお話しもにじみ絵も、エポック授業も人と動物のかかわりについて1年間学んでゆきます。フォルメン線描も1学期にあるとか。手仕事は「クロスステッチ」今年はどんな作品になるでしょうか。家でもガーター編みのマフラーを編んでいたのに、30cmでストップしたまま。3年になってからは友達との遊びの方がよくなってきているので、土曜教室ではゆっくり時間がとれると思います。親のほうは、先生との連絡係りと教師会の総会出席係りの相談。結局昨年と同じ方にお願いすることに。今年は4年生は親主催で高尾から、小仏峠、陣馬山あたりの山登りに挑戦させたいね、ということで、ルート調査に入ることに。できればキャンプで1泊したいので、道具の調達も考えなきゃ。下の子は主人にお願いして付き添いに行きたいものです。結婚前は地域の小学生の夏キャンプのボランティアをやっていたので、今から親の方が楽しみ。体も山登り用に鍛えなおさないと。本格的な登山はもう20年も行ってないので、子どもにおいていかれないようにしないといけないし、いざとなったら子どもをおぶってでも降りてこないといけないので責任重大。上の子も土曜教室に久しぶりに行って、やっぱりここがいいと。平日学校やらの勉強や色々のストレス解消になれば思うのですが。
2004年04月10日
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