平成25年5月7日(火)
午前4時起床。晴れ。肌寒い。
弊社のクールビズは5月1日からです。ノーネクタイで出勤しました。ところが急に会議が入り、締める羽目になりました。年に幾度もないことです。部下に借りて凌ぎました。1本忍ばせておかねばと思いました。ということで朝からバタバタ。連休気分がふっ飛びました。午後に一段落。
遅い時間に取引先の社長を訪ね、挨拶をしました。組織の再編があり、取引の一部が他のチームに移りました。世話になった礼を言いました。「あなたは言葉を選ぶ人だ」と言われました。褒められたのか、のらりくらりの人間と言われたのか、判りかねました。この1年、商談の解約に絡むやりとりだっただけに、多分後者なのだろうなと思いました。忸怩たる思いでした。
夕方、運動公園へ。ラン10km。今日はキロ5分前後のペースで押しました。Kさんとの並走はいい練習になります。話ながらです。息が上がります。きつくなって、無口になります。これって50過ぎの男のすることなのかな。何とはなしに可笑しいです。彼の話した内容は以下のとおりです。4月末にあった番匠健康マラソンで交通整理のボランティアをした、特段トラブルはなかった、ハーフの優勝タイムは1時間12分くらいだったか、K社の社員が大勢参加した、工場長がランナーだからかな、連休後半は娘を高崎山に連れて行った、リヤカーに積んだ芋を撒くときが面白かった、引く男性が転んで人だかりならぬ猿だかりになった、今週末は延岡でゴールデンゲームズがある・・・。
ハーフ、Kさんが走ったら入賞間違いなしだったのにというと、とんでもないと謙遜しました。延岡の大会は失念していました。国内のトップランナーがやってきます。惹かれます。見に行きたいですが、既に別の予定を組んでいます。残念です。
NのZが亡くなりました。一つ年下。幼なじみでした。農業高校を卒業し、そのまま農業助手として残りました。しばらくして米作中心の家業を継ぎました。消防団の分団長をしました。こんなことがありました。聞いた話です。台風時、某家が半水没、婆さんが取り残されたときです。消防のレスキュー隊がやってきて、そこまでのボートが必要だ、署へ取りに帰る云々。Z蔵はそんな時間はないと言い、ロープを腰に巻き、濁流を泳いで向かいました。助け出し戻って曰く「お婆が畳に座って浮いていたわい、面白かったわい」こんなこともありました。別の台風時、公民館に避難したお年寄りが一夜を過ごしたとき、奥さんに命じ、炊き出しをさせました。誰も気づかない先からの仕儀でした。親分肌がありました。も一つ、台風時、見回りの際に冠水した道路を消防車で走り、エンジンをダメにしました。消防署からお叱りを受けると思いきや、彼のしたことだから仕方ないと不問に付されました。大の酒好きでした。焼酎一本やりでした。痩せてガリガリの体躯でした。白髪、頬が痩け、前歯も何本か抜けていました。風の便りに、最近は不遇をかこつ日々と聞いていました。いろいろと事情があったのでしょう。私が少年野球チームの監督をしていたとき、彼の子どもも入部していました。内気な性格はベースボールに向きませんでしたが、好感の持てる少年でした。彼は今どうしているのかな。
今日の一句
訃報聞き巡る思いは何故と問う
今日の写真はブーゲンビリアです。拙宅居間に満開です。Zへの手向けになればよいです。
PR
Comments
Keyword Search
Category