平成25年11月8日(金)
午前5時起床。晴れ。
終日デスクワーク。気がつくと、会議やミーティングがなかった。ポッカリ穴の空いたような気分でした。机上と背中の棚を片付けました。協議・面談のため、書類が溜まります。放っておくと、何が名なんだかわけのわからないことになります。積み上げたままは法度。私の場合、1~2週間に一度は整理が必要です。でも、ファイリングは下手です。結局、締まりのない仕儀で終わってしまいます。
夕方、部下のWが帰社しました。深島へ渡っていたのでした。シュノーケルだけで水中ビデオを撮影する人を案内したとのこと。豊後水道が日向灘に開けた沖合に浮かぶ、人口20人足らずの孤島です。珊瑚の北限として知られています。ダイビングのスポットです。向かう定期船は足が速いです。蒲江港から30分。絶海の感がします。灯台からの眺めは太平洋遙かです。水平線が見えたか訊ねました。少し霞んでいたとのこと。あれこれの様子を聞いて、行った気分になりました。来週に、撮った写真を分けてもらいます。
市野瀬仁氏が亡くなりました。米寿を越えていたのではないかと思います。数日前の新聞に訃報が載っていました。彼は、佐伯史談会の会員にして重鎮でした。私、その方面に疎く、知り合いはいません。面識を得たのは、ひょんなことからでした。広報室にいた頃、部下の一人がタウン誌の編集をやっていました。私は「平成塔の旅」というコラムを受け持ちました。平成塔とは、御影石の標柱です。昭和から平成に代わった際、私のまちの名所旧跡をそれがそうだということで、その名を刻んでその場所に設置しました。これを月1回取り上げ、400字程度に紹介しました。長島町にある地蔵菩薩の番が回ってきた時でした。その分野は全くの門外漢。誰かに教えを請わねばということで、紹介を受け、氏を訪うたのでした。夏でした。御宅は閑静でした。公園の桜から蟬時雨。しかし、氏の居間はひっそりとして、別世界でした。ステテコ姿で現れました。小柄でした。かみしめるような語り口は、それだけで碩学とわかりました。資料をいただき、辞しました。その時はそれだけのことでした。その後、弊社の玄関先で数度、お遇いしました。飄々とした足取り。グランドゴルフをやっているんだ、と話してくれました。ある夜、某病院の会議室を借りたピアノコンサートがありました。岡田将でした。出かけたのですが、そのとき、そこの玄関で彼に会いました。「やあ、久しぶりですね、会場にはどう行けばよいですか」と訊かれました。既にステッキの要る様子でした。普段着でした。その時が、最後になりました。それからもう10年くらい経ったかな。僅かの交誼でしたが、妙に印象深いんです。あの夏の、世俗から離れた氏の居間が、今になって蘇るんです。毛の三本足りないお調子者の私に、懇切丁寧の説明をしてくれました。思い返すと、急ぐ私をたしなめるようでもありました。しんみりします。
今日の一句
交誼の死新聞で知り朝の露
今日の写真もトラです。彼なりに考えのあるような後ろ姿です。
PR
Comments
Keyword Search
Category