平成26年12月21日(日)
午前4時起床。晴れ、午後は曇りました。
午前9時前、地下足袋を履きました。軽トラにチェーンソーと鳶口を積みました。オイル缶を持って、手応えのないのに気付きました。U石油に向かいました。木立にあるエネオスステーションです。家族経営です。拙宅とは父の代からの古い付き合いです。土地の人には売り掛けです。今時珍しい。軽トラへの給油と混合ガソリンをこさえてもらう間、出光と昭和シェルの合併話をしました。若は初めて聞いたようでした。新聞のニュースはスクープだったのかな。写真は国道388号沿い、吹きっさらしにあるそのスタンドです。
先ずはウラ(枝の先の方)の始末でした。他所様の土地に倒しています。小枝は燃料にするには細すぎますが、放って置くわけにはゆきません。今日も4往復。午後になって風が止んだので、燃やし始めました。しばらくすると吹いたり止んだり。運んだ五分の一も焼かず終い。
切り出しに戻りました。幹のほう、胴回りを玉切りました。重くて、動かすのに難儀しました。鳶口が活躍しました。更に小切って、煉瓦ブロック数個分の大きさに。写真はその図です。
鳶の野郎がいました。頭上を通る光ファイバーの線に留まり、こちらを見下ろしていました。何を考えているんだろうか。この日は野鳥も多かったです。そこは栗林です。シジュウカラの群れが幹の何かをついばんでいました。丸く膨れたショウビタキは無言ででした。
前後しますが、昼をしに戻ったとき、義母がいました。妻と年賀状をこさえていました。私もまだ印刷していません。今年は思い切って枚数を減らすつもりです。
薪運びは夕方までかかりました。始末を終えたとき、ちょうどUのKさんが父の家を訪ねてきました。ダム管理人を定年退職した方です。父が豚の人工授精を生業にしていた折り、養豚を営む彼の父が顧客でした。家も豚舎も私の家から1時間近く走った山奥に傾山の麓でした。今もそこに住んでいます。父が彼の月下氷人なのです。40年以上も前、彼のお嫁さんにと親戚筋を紹介したのです。以来、欠かさずの挨拶にやって来ます。思い出があります。まだ小学生の頃、父と一緒に北川ダムへ案内してくれました。アーチ式の大きさに圧倒されました。湖面のモーターボートに乗せてもらい、風を切ったことを覚えています。
閑話休題、風呂に飛び込みました。今日の褒美はこれです。
当ては氷下魚の一夜干し。亮さん、美味しかったです。
今日の一句冬枯れの幹を啄む四十雀
今日の写真は枯葉に埋まった瓶です。鳶口を持っていて、目を足下にやりました。薬瓶がありました。薪取りの栗林、隣は、民家を取り壊したままになっています。腐りかけた木材、散らばった割れ瓦。小さい頃、このあたりも勢力範囲でした。その家には郵便配達夫をしていたという年配のおじさんが住んでいました。目を患っていました。歳がいったのか、もう仕事はしていませんでした。見つけた瓶に眼科医の名称があり、もう記憶の彼方に埋もれて思い出すことのなかったであろう人を思い出し、しんみりしました。
長芋を摺る、薪取り、玉葱を引く 2020年05月04日 コメント(10)
薪取り、自分の作った野菜は平凡なもので… 2020年05月01日 コメント(4)
PR
Comments
Keyword Search
Category