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現在の龍ヶ崎市立龍ヶ崎小学校が仙台藩龍ヶ崎陣屋跡となっております。遺構はほぼ湮滅しているそうで、観るべきものは案内看板くらいです。江戸時代、龍ヶ崎村を中心とした河内郡13か村、信太郡13か村が仙台藩領の飛び地でした。飛び地で一万石余りあったそうなので、大規模な飛び地と言えましょう。さすが仙台藩です。その支配のための役所がこの陣屋であります。
2024年07月28日
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印西市がまだ印西町だった頃、仕事で当地をを廻っていたころ、造成地にいくつか土塁のような遺構が散見されて「これは一体何なのか」と不思議に思っておりました。それから10数年経って、あれは印旛陸軍飛行場の無蓋掩体壕だと知って、また探しに行ったのですが、急速に発展する印西市は以前の姿とは打って変わって、かつての造成地は宅地化し新しい道路も建設されてしまい、元の位置が判らず発見できなかったのでした。最近になって無害掩体壕は1か所だけ残っており、しかも市指定史跡になっているというので見学して来ました。場所はこちら。https://maps.app.goo.gl/T42on6MmZotu3HhK7U字型の土塁でその中に小型機を格納するようになっております。現在、内部に入ることは出来ません。土塁の様子。高さは2mくらい。無蓋掩体壕とは土塁で機体を守るだけの簡易的なもので、爆風から機体を守る機能しかありません。爆弾の直撃や機銃掃射には全く歯が立ちません。その反面、素人でも簡単で安価に作れるというメリットがあります。一方、本格的な有蓋掩体壕はコンクリートで屋根もあります。土塁の外側には堀のようなものがあります。これは防御用の堀ではなく、土塁の土を確保するために掘り出した跡です。無害掩体壕にはこのような堀状遺構が付随しているケースが多いです。近くの公園には無害掩体壕を模したものがあります。内部には双発ジェット機のようなものも格納されております。こちらは昭和22年に米軍が撮影した印旛陸軍飛行場の空中写真。赤丸が無害掩体壕です。(国土地理院webのものを引用・加工した)
2024年07月20日
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気軽に楽しみめるスポットということで茨城県庁展望ロビーに行って来ました。県庁舎25階が展望ロビーとなっていまして、地上高100mからの眺望を楽しめます。当日はよく晴れていたので、関東一円が見渡せました。入場料、駐車料金無料ということで、お手軽に楽しめるスポットとなっております。到着前は「どうせ、ガラガラだろう」と踏んでいたのですが、駐車場はほぼ満車、1階では物産展が催されていて大変混雑していました。展望ロビーもまあまあ入っておりました。
2024年07月18日
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我がXLR200Rは製造されて31年。風雨に晒されてテールバッグはボロボロです。何度も修繕を繰り返しましたが、素材自体が劣化してもうこれ以上の修繕は不可能と判断しました。純正品は¥7,263もします。(なんと今でも売っている!) 社外品で安いものはないかと探していると、中華な通販サイトでよさそうなものを見つけました。サイズはちょっと大きくて、色は同じ赤です。「XR」というロゴも入っています。これで¥2,601(送料無料)でした。さっそく取り付けてみます。取付穴の位置は純正品とは違うので新たにフェンダーに2か所開けました。電装ケーブルと干渉するので少し左に開けたのでご覧の通り左に寄っています。中華な製品のため、全く防水になっていません。縫い目の部分はコーキング剤を塗っておきました。クリア色を選んだものの、コーキング剤は汚れやすく、すでに黒ずんでおりまして、見た目が悪くなっております。こちらは古いテールバッグ。修繕の限りを尽くしたせいで凄いことになっています。
2024年07月08日
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バイクを走らせていたところ、たまたま見つけた史跡です。これの詳細はこちら。https://www.city.katori.lg.jp/culture_sport/bunkazai/isan/111-120.files/h271215.pdf要約すると、江戸時代末期に仇討ちを果たそうとした虚無僧が逆に返り討ちになり、地元民がその虚無僧をここに葬ったそうです。墓前に刀を備えると願いが叶うとかで、実際におもちゃの刀が数本置かれてありました。香取市指定文化財です。
2024年07月06日
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城仲間から「正木氏の香取侵攻(大崎城攻撃)は多古町の松崎城から発向された可能性がある」と教示されまして、その松崎城を見て来ました。ここの管理人は、正木氏は小見川の大根塚を根城にしてそこから船で利根川を遡上し大崎城を攻撃したと考えていたのですが、全く予想もしていなかった大崎城の南方である多古町から進撃したという説に驚いたものです。その説はこちら。https://www.city.chiba.jp/kyodo/katsudo/kenkyuin.html#siro12城址にある日蓮宗勝栄山能満寺は勝浦城主正木時通が天文5年(1536)に創建したとのこと。https://temple.nichiren.or.jp/1011045-noumanji/また、ここの住所は多古町東松崎ですが地元民は「まつさき」とは読まず、「まっさき」と読むそうな。「まっさき」は「まさき」に通じます。https://takojokaku.jp/images/008matsu.pdfこちらが能満寺。さて、その遺構ですが、能満寺付近には城郭遺構と思われるものは乏しいのですが、その西側台地には土塁や段差や平坦面が残されています。ただ、改変が激しいせいか、縄張りの全体像は掴めません。現地に行ったものの、正木氏多古発向説についてはなんの情報も得られませんでした。遺構の写真をどうぞ。
2024年07月03日
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永い間、この地は国立環境研究所の敷地になっていて、内部に入っての見学は不可でしたが、昨年7月より一般公開されるようになりました。廃墟ではありますが、比較的旧海軍の施設が良く残っているということで貴重な戦争遺跡の一つであります。自動車車庫。ただの車庫ではなくて整備もしていたようで下回り作業用のトレンチがありました。また、ここは映画「ゴジラ-1.0」で震電の倉庫として使われていました。本庁舎。当基地の中枢ということでコンクリート造りの立派な建物です。筑波海軍航空隊記念館と雰囲気がよく似ています。本庁内に展示されている、「ゴジラ-1.0」で使用された「震電」。こう見るとただの張りぼてですが、コックピット内は本物そっくりによく出来ています。汽缶場内のボイラー。当基地はセントラルヒーティングを採用していたそうで、その蒸気はこのボイラーで発生させていたそうな。終戦後でも使われていたような感じがしました。
2024年07月01日
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