ふゆゆん亭

ふゆゆん亭

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Profile

ふゆゆん

ふゆゆん

Comments

ふゆゆん @ Re[1]:お返しにお茶漬けセット お茶の荒畑園(06/16) 散歩中の雨雲さんへ ↑何故か私の名前が散…
散歩中の雨雲様~★@ 散歩中の雨雲様~★ 急激な暑さと湿度にへきえきしております…
散歩中の雨雲様~★@ 散歩中の雨雲様~★ うっかりしておりました。 どうやら一般人…

Favorite Blog

私に出来ることは New! あけみ・さん

やっと秋が来た pandanandaさん

MapleNatural  まてん☆さん
teami kago あっちゃん☆*:・さん
Boiling Point boiling pointさん
April 25, 2006
XML
テーマ: 回想(18)
カテゴリ: 思い出
一度だけ、
K子ちゃんを泣かせてしまった話。



昨夜、
気圧の谷に打撃を与えられて
何とか回復しつつ
気力で頑張って晩ご飯を作っていたら

何故か学生時代に 命の恩人 のK子ちゃんを
泣かせてしまった事を思い出しました。


あれは深夜に二人だけで
K子ちゃんの部屋にいたので、
多分大学3年生の頃です。

どうしてその話になったのか
憶えていないのですが、
親が死んだらどうするか
と言う話をしていたんです。


私は
「死んだんだな~と思いつつ生きて行くよ」

と言ったら、K子ちゃんはビックリして
「え~~っ!私だったら
 親が死んだら生きて行けないよ==!!!
 どうしてMYちゃんは
 平気そうに生きて行けるの?!!」

と大騒ぎをしました。
私はケソッと言いました。
「別に事実を受け入れるだけだよ」


K子ちゃんは益々興奮してしまいました。
「親が死んでも平気なの==っ!!?」

「経済的に大変だろうけど、
 ああ死んだんだなと思って生きて行くよ」

と言ったらK子ちゃんは泣いてしまいました。

「ひどいよMYちゃん!
 親が死んでも悲しくないの?!!」

泣きながらK子ちゃんは私に訴えていました。




その頃の私は
親が死んでも平気だと思っていました。

高校3年まで箒の柄で殴られていましたから
親への敬愛とかはありませんでした。


自分の思いどうりに育たなかったからと言って
子供は口で言っても理解出来ないからと言って

高校生だった私に正座をさせて
母が殴るわけですが、
手で叩くと痛いと言って箒を持って来て
柄の方で体を叩く訳です。

絶対、親の前では泣かないと決めていたので
親の前で泣いた事はありませんでした。

逆に本気で睨んでいました。
唯一の私の感情表現だったと思います。


ずっと睨んでいると
母は益々興奮するんです。

「お前のその目付きが憎らしい」
と言って箒の柄で殴るんです。

敬意なんて生まれません。
憎しみしか生まれません。


話し合いはありません。
親が良いか悪いかで総てを決めるので
私に決定権がありませんでした。

私は人を攻撃するタイプではないので
睨んで心から軽蔑するしかなかったのです。


だから
親が死んでも平気だと思っていました。

私を何一つ受け入れてくれず、
認めてもくれず、
褒めた事も一度もありませんでした。


K子ちゃんは親と仲が良くて
愛されて育ちました。

K子ちゃんのご両親はよく遠方から出て来て
食べ物を差し入れていました。

段ボール箱に色んな野菜や
食べ物を詰めて来ました。

そして貧乏な私達にも
快く分けてくれました。

家に皆で遊びに行くと、
心から歓迎してくれて
一緒に出かけたりしました。



だからK子ちゃんが泣いたのも
頷けるものでした。

ああいう優しくて子供の心を
大事にしてくれるご両親の下で育ったので
当然だと思いました。

K子ちゃんは愛されて、
受け入れられて育ったんだと思いました。

正直、優しい親しか知らないK子ちゃんに
何を言っても通じないだろうと思いました。

向かい合って話をしているのに
とても遠くにK子ちゃんがいるような気がしました。

K子ちゃんとは違う世界で生きて来たような
悲しい気持ちになりました。

そして同時に親と闘わなくてはならなかったので
まだまだ私の心は尖っていました。



高校生の時、
廊下の窓越しに外を見ながら友達に
「昨日のアザ」
を報告していた記憶があります。

「今度はここにアザが出来たよ」
と言って脇腹を見せていました。

日常的な一コマで、
誰も驚かなかった記憶があります。


その頃の私は自己表現が下手で
自分がどんなに惨めかを話す事が
出来ませんでした。

いつも言葉を飲み込んでいました。
話す前に諦めていました。


K子ちゃんにも
自分が何故親の死を平気に思うのかを
ちゃんと説明しませんでした。

ただ黙っていたのでした。
多分、子供の頃から黙っている事に
慣れていたのだと思います。


私が6歳で母の実家から家に戻った時
既に弟が我が物顔で振舞っており、
私の意思を表す所はありませんでした。

家で一番権力を持っているのは祖母で
反対勢力の中心に母がいて、
その中でも威張っていたのが弟でした。


その母も今や認知症になって私に甘え、
弟は相変わらず自分が正しいので
言う通りにならない母に苛立ち、
母は弟を急に恐がり出して私に電話を寄こす訳です。

ようやく私は体調を崩した事で
頑張ってせっせと実家に通うのを
止める事が出来ました。

いつも我慢する事が身に付いていたので
したい事は我儘な事で、
しなければいけない事をするべきだと
思い込んでいました。

今もその呪縛からは溶けていません。
気が付くと自分を責めています。

いやんなっちゃいますね。




関係は年齢と情況によって
年々変わって来るものです。

今ではK子ちゃんも
病気のお母さんの看病を長年続けて、
自分の病気も抱えて大変な毎日です。

愛されて育ったK子ちゃんは
優しかったお母さんが認知症になって
性格が変わって来たのを毎日見ながら
看病しなければなりません。

辛い日々だと思います。


片や私も母が違う人になって来た事が
とてもストレスになっています。

私の母は孫が生まれてから
随分丸くなって来て
付き合いやすくなっていたんです。


日々の変化に付いて行けない自分がいます。



二十歳の頃に一度だけ
K子ちゃんを泣かせてしまった私です。

あの頃は自分の気持ちも
よく分かりませんでしたし
客観的に自分を見る事も出来ませんでした。

今ならK子ちゃんもあの頃の
尖った私の気持ちを分かってくれるかな~。







二十歳の頃・ライブ

二十歳の頃に「フォーク愛好会」
でやったライブの合間の写真。

多分、右側の背中がK子ちゃん。
ポスターが時代を物語りますね。









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  April 25, 2006 06:55:11 PM
コメント(11) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: