今が生死

今が生死

2013.03.27
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カテゴリ: 生き方
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咲きはじめのチューリップ

昨日の日本とヨルダンのサッカーの試合で観客が光線ビームで遠藤のフリーキックやキーパー川島のキャッチング時に邪魔をしたと報じられている。遠藤や川島はそのことを言ったら自分の技術や集中力が欠けていた事を人のせいにする言い訳と受け取られかねないので何もコメントしていないが、それが本当なら由々しき問題である。

自分の贔屓チームを勝たせるためには、どんなことをしてもいいと思っていた人達がいたのだと思う。冷静に判断して悪い心であり、悪い行いは明白である。県内で発砲事件があり、暴力員が逮捕された。暴力団に入って人々を苦しめたり社会問題を起こしたりするのも悪い心である。

強盗殺人事件もあった。理由はなんであれ人を殺したり盗んだりするのは悪い心である。自分が儲けさえすればいいと悪い商品を売ったり、宣伝したり、買わせたりするのも悪い心である。

前回のブログでは美しい心の女性について書いたが、美しい心の人々がいる一方で悪い心の人々がいることも現実である。美しい心は生まれつき、親の育て方、教育などによって生まれるのだと思うが、醜い心もまた同じ原因によって生まれるのだと思う。

光線ビームで敵方チームを混乱させようとする考えは我々日本人にはとても考え及ばない。文化の低い国々の信じられない行動は、ヨルダンに限らず、中国、韓国、北朝鮮などにも見られる。過日婦女子に対する集団暴行事件に対してインドで大規模のデモが行われたが、インドの男どもの下劣さ醜さは想像を絶するものがる。

国家としての低劣さ醜さだけでなく、我が国内での個人の醜さにも目を向ける必要がある。自分の利益のため、自分が楽をしたいために行動している人はいないだろうか?

人間は聖人君子ではなく、神々の集団でもない。でも神を求める神に近い存在として造られたものだと私は思っている。それはいい心、悪い心を選別する力が人間にはあるからである。

今回のヨルダンのことは他国のことで我々の力の及ばないことだが、少なくとも自分の行動についてはいい悪いを峻別して行動することはできる。問題は自分の身の回りの人達の行動である。間違っているからやめろと言ったらすぐやめてくれればいいが、反対に「何を!!」と暴力を振るわれたり殺されたりするかもしれない。

今私に考えられる対策はまず各人が自分が正しく振舞うことだと思う。その人の近くの人が次第にそれに近づいていく。その輪をだんだん大きくして、終いにはヨルダンなど外国にまで広げるようにすることだと思っている。





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Last updated  2013.03.27 21:48:15
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