いろを的陶器とちょっと気功な話

いろを的陶器とちょっと気功な話

2008.06.14
XML
陶器10.jpg

 「頭で考えず、体で覚えろ!」

 よくスポーツで耳にする言葉ですね。頭から命令を送る前に体が動くように・・・反応速度をあげるといった意味でしょうかね。「覚える」・・・私にはちょっと違和感のある言葉です。「考える」の方が、後から身についたモノのように感じます。いわば、「本能」に対する一時的なブレーキが、「考える」(理性)のように感じています。 

 『本能』には、「欲求」(純粋に「気持ち良い」を求める)や、私もその定義もしっかり理解しないまま便宜的に遣う「無意識」、それも無数(無限)の「意識」の基のような、時には他との区別も無いような感覚もあります。「英雄色を好む」といった言葉がありますが、人並み外れた「能力」と「本能」(欲?)との間には密接な関係を感じられます。

 時々スポーツ選手が「試合中に体外から自分の姿を見た」と表現していますね。その発言は、大概すこぶる調子の良いときに遣われているようですが、まさに「本能」(欲求)という人格(意識)が解放する場を与えられ先走り、「理性」という別人格(他意識)が置き去りにされている様のように見えてしまいます。

 そして『本能』には、「天真爛漫」や「無邪気」、そして「ワガママ」などの気質に重なりを感じる事も多いです。その様な気質の強い人は、「理性(自制)的な他人」からは「嫉妬」、「本能的な他人」からは「憧れ」(主に性)的攻撃の対象になりやすい質を感じます。もっとも「憧れ」の裏返しが「嫉妬」と感じますが。

 そこで色々な意味で自分を守るために、「理性」という「別人格」(他意識)的なモノを創りだすことが必要になってくるのだと感じます。誰の中にも、「天真爛漫」や「無邪気」、そして「ワガママ」などの気質は顔を出しますね。そして少なからず痛い目を見ていたりしていませんか?(ある意味「守る」も気持ち良いを求める形の1つと感じます)

 また、演技に関わる人が役に入り込んでしまうと、仕事が終わってもしばらくその役を引き摺るような話も聞きます。ヒトは必要に応じて(自己表現や自己防衛)、無意識?(本能的?)に「別人格」(他意識)のようなモノを創りだす力を持っていると感じます。それも複数の。「覚える」より「想い出す」ですかね。いや、「解放」ですか。

 意識的な「解放」には、「研究」や「練習」・「行」等の世界観の気付き(築き)が必要になると感じます。時にはその作業(時には「薬」や「アルコール」)が「解放」する場所を創り、また元から「本能的」な人には不要な作業と感じます。定義はされていませんが、「意識」を通して「欲」と「気」にも密接な関係(世界観的表現の違い)を感じます。(07.11.10著)

・・・・・・・・・・

 「お腹にハチマキを巻くと、足が速くなる」先日TVで見ました。

 マラソンの苦手なポッチャりした子供でしたかね。ハチマキが腹筋を助け、姿勢が良くなり、歩幅がアップするのが「理屈」だそうです。また他に、右回り(逆だったかな?)に回ると力が強くなったり、一瞬で体が柔らかくなるモノもありましたかね?一見何の科学的根拠の無い「行為」(仕掛け)をすることで、能力が変化してしまうような検証番組をよく目にします。 

 いずれも1回目は何もせずに記録を測り、2回目にそれらの「行為」(仕掛け)をしてから計測し、かなりの確率で多くの人が記録を伸ばしていましたね。ただ逆に1回目にその「行為」(仕掛け)をしていたら同じような確率でその記録を上回っただろうかとも感じますかね。先に記録(目標)が出来ると「それを超えたい」的心理(気)も生まれ易かったりしますかね。

 またTVによって初めからその「行為」(仕掛け)をすると「記録が伸びる」雰囲気を漂わせた検証においては、むしろその「記録が伸びる」という言葉や雰囲気(周りの期待)が大きく能力アップに繋がると感じますかね。特にTVや大勢の前での子供や女性・芸能人(一流スポーツ選手等)には、「周りの期待に答えたい!」という本能的な力の資質を強く感じますかね。

 お笑い芸人の「笑いの神様が降りてきた」や、スター選手のチャンスの場面とのめぐり合わせも含め、そんな資質の強さを感じますかね。また一見意味の無さそうな「行為」(仕掛け)→『不思議』的感覚が、人により理屈が生む「矛盾」を一時的にも抑えこみ、またその記録を伸ばした人達を見て触発され、他の人が記録を伸ばしたりするようにも感じますかね。

 「クチコミ」(プラシーボ)的効果とか、一種の「気遣い」とでもいいましょうか?そして後に、「その行為(仕掛け)をしたら記録が伸びた」という事実に対して、研究者が信念により自分の世界観(科学的ルール)で理屈を創り、科学的検証結果を生み、ある意味自分の世界観を守る為に『不思議』から「常識」に変えていかなければならないと感じますかね。(09.4.1著)

・・・・・・・・・・・

 「脱!精神論」

 スポーツ界も昔の「根性」的指導法よりも、理論やデータに基いた指導方法が主流になってきましたかね?確かに私も今の若い人達には理屈っぽさも強く感じたりもしますから、「根性」などの曖昧なモノではなかなか指導者についていくのも難しいモノがありますかね。昔はその指導者の過去の実績(憧れ)だけで充分な説得力もあったように感じますがね。

 昔は今より有名人も特殊・少数、メディアも未発達でプライベートもあまり耳にすることも無く、超スーパースターも生まれ易い環境であったようにも感じますかね。今はメディアの発達でスター性も多様化・分散し、親近感のあるスターも好まれているのかプライベートの負な部分も目に付き、昔ほど神(絶対)的「憧れ」のスターも育ち難い環境でもありますかね。

 「乳酸」は疲れの原因ではなく、むしろ疲れには良いモノ・・・最近TVで知りましたが、信じていた医学(科学)的常識がその医学(科学)によって後に覆っているモノも少なくないですね。時に腹も立ちますが、理屈は後から(揚げ足取り・逆説的に)構築される新しい理屈によって崩されてしまう質も感じ、単に目新しさに「信頼」の要因も感じますね。

 私も指導する立場で、理屈っぽい若い人達に面倒臭くなってつい適当な「理屈」を与えたりしますが、以外にあっさり納得され、結果を出されてしまったりして、特にしっかりと構築された「理屈」に重要性を感じなかったりも少なくないですかね。結局「理屈」は気持を納得(確信)させる手段の1つで、それが精神に働きかけ・・・やはり力は精神(想い)の強さ?

 「理屈」は力を出す「きっかけ」の構築法に過ぎないとも感じますが、皆その構築に苦労しているのでしょうがね?また「精神論」(理屈無く・根性)をも身に付けていれば、その信じてきた理屈を失っても、さほど調子を落とさずにいられるのかもしれませんがね。もっとも『論』が付けばそれも「理屈」になりますし、「理屈」が応用力にも繋がるとも感じますがね。

 またIDとかいって、データ解析による手法を時に「科学的」裏付けのようにして信頼を得ているように感じますが、個人的には「占い」等の「非科学的」とも根底に違いを感じませんがね。むしろ「占い」の方がその歴史の古さを考えれば、集め処理された過去の現象(データ)の量は膨大なように感じますけどね?いま一つ科学も信頼しきれなくて・・・(09.12.2著)




姉妹日記「無」へ  / 「索引1」 「索引2」 「索引3」





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012.03.04 16:37:08
[気功 スピリチュアルかな?] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Calendar

Favorite Blog

誰もが読める新聞記… New! 60ヒロさん

家族が増えました。 松茸の浅井商店三代目さん

「あんのこと」を観て ゴムニュオグマさん

ようつべ 具なしチャーハンさん
健康は大丈夫ですか? ponti21さん

Archives

2024.06
2024.05
2024.04
2024.03
2024.02

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: