島流れ者 - 悪意なき本音

島流れ者 - 悪意なき本音

2004.05.17
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突然だが、私は現実主義の敬虔な無信教者である。今日は前から気になっていた宗教観の違いがどれだけカップルに影響を及ぼすかと言う話をしてみようと思う。

三ヶ月ほど前から、友達の花ちゃん(仮名)が敬虔なクリスチャンと付き合い始めた。花ちゃんは、三十前半の長身ですらりとした体に日本人独特の面持ち、人に対してとても思いやりがある素敵な女性だ。そんな彼女なのに、なぜか男運がない。付き合った男性の中にはとてもいい感じで進んでいった人もいたが、外国に数年間の予定で移ってしまい、長距離恋愛を諦めるなど、残念なことが何度か続いていた。

そんな彼女の現在の彼は、同じく三十代前半で、話を聴く上では、とても律儀でまじめな、結婚相手とするにはもってこいの人らしい。が、問題は、彼は大変敬虔なクリスチャンであると言うこと。彼女といえば、大半の日本人がそうであるように、神様は信じているけれど、特別な宗教活動をするわけでもなく、正月には神社に行って初詣をし、お盆には仏教式の墓参りをし、クリスマスになればケーキを買って祝うと言う、カメレオン宗教者だ。(勝手に命名させてもらうと)

彼女は会社の同僚から紹介されたこの人を一年ほど前から知っていたが、クリスチャンであることと、その当時に前述の彼がいた為に交際することを拒んでいた。そして今回タイミング良くお互いにフリーになったために付き合い始めた。数回のデートの後に、彼女に相談された私は、宗教の違いが恋愛関係や結婚生活にどれだけ大きく影響するかを自己の経験を元に語ったが、彼の人間的な魅力に惹かれた彼女はそれを乗り越えることが出来るであろうと言う淡い期待を持ち、二人は更に深い関係になっていった。

彼と付き合うようになってから、花ちゃんは彼の友達に毎週のように会うようになった。その人たちは全員同じ教会に通うクリスチャンで、彼女との会話に、“何処の教会に行っているの?”と彼女が当然クリスチャンであるに違いないということを前提とした質問をしたり、信者仲間しか分からない様な内容の会話があったりと、全くそういった世界を知らない花ちゃんは戸惑うことがしばしばあった。初めのうちは彼女がほぼ無信教者であることをあまり気にしていないように振舞っていた彼も、付き合いが深くなるにつれてだんだん将来のとこと真剣に考え始めるよういなり、教会に行ってくれると嬉しいんだけど、と遠慮がちに彼女に言うようになっていった。

根が素直な花ちゃんは、彼の要望にこたえてちょっと覗いてみるかといった軽い気持ちで教会に行ってみた。初めてのその彼女の体験した教会というのは、ロックバンドの音楽を交えた熱気溢れる物で、結構楽しかったようだ。それ以来、彼との週末のデートの一行事として、教会に行くことが含まれるようになった。数週間した後の彼女の感想を聞くと、“楽しいのもあるけど、信者が感情を込めて神に対する誓い等を叫んでいるのを見ると、私はああはなれないと覚めた目で見ている自分がいる”と言う。

私の経験とは、クリスチャン暦40年の大変敬虔な信者である母親と、頑固な無信教者である父親との間で繰り広げられ、ときには凄まじい夫婦喧嘩を見て育ったと言うこと。今年で結婚生活44年を迎える彼らは、その当時では当たり前だった見合い結婚だった。母親いわく、‘新婚当時は本当に優しい’父親との間に一人の女の子をもうけた。それからまもなく二人目の子供を身ごもった母親は、経済的な理由で中絶を余儀なくされた。中絶という大きなダメージを受けた彼女は毎晩のように子供の泣き声で目が覚めるというノイローゼ状態に掛かってしまった。丁度その頃近所に住むクリスチャンから教会に誘われて、そのとき以来40年たった今でも、どんなことがあろうとも日曜の礼拝には参加するほどの敬虔な信者となったのだ。

もともと何かに没頭しやすいタイプだった為、それ以降、彼女の生活全てが、教会活動が中心になって行った。日曜日の礼拝以外に、火曜日は週代わりの行事の手伝い、木曜日の夜は祈祷会、金曜日には布教活動の散らし配りといった調子。そして、家では、夕食後に、‘家庭礼拝’なるものが開かれ、父親以外全員を集めて、各自数箇所ずつ聖書を読み、それに関して感想を述べ、お祈りをして締めくくると言う儀式を行っていた。また、子供たちにキリスト教以外の宗教が関連している行事に参加することを禁じていた.例えば遠足でお寺に行った際はお祈りなどしないようにとか、お盆祭りは偶像を祝う行司だから行くな、などと口を酸っぱくして言い聞かせるのだった。このように、二人目の子供を中絶し、ノイローゼ気味になっていたところを救い出され、‘見出された’彼女はその‘神をおそれ、神の教えに従って’子供を授かり続けて五人目の子供が小学校に通うようになる頃までに我が家のキリスト教エンパイアを築き上げていた。家族全員が同じ信仰を持って一致団結しているのならそれもいいんだが、多勢に無勢の頑固な無信教の、家族や父親との夫婦関係に彼女の熱狂振りが家族にも大きく影響した。

例えば日曜日には、子供全員を引き連れて教会に通い、昼の一時過ぎまで家に一人取り残され、お腹ぺこぺこでいきり立っている父親をよそに教会仲間から掛かってきた電話に夢中になっていたり、キリスト教国ではない日本では当然学校の行事が日曜にある中で、母親参観はもちろん、運動会の子供と一緒に参加するレースなどには‘日曜は安息日であり、礼拝に行かなくてはいけない’と言うことで、一度も参加することはなかった。こういった場合、普通父親がこういった役割を果たすわけだが、我が家の場合、全く子育てに関心のない父親だったために、両親の来ない運動会を、すでにティーンェジャーになっていた姉に親代わりになってもらうことが恒例となっていた。そんな中、私は子供ながらにも彼女のキリスト教に対する忠誠心をとても理解し、(今思うと洗脳されていたんだが)友達が、“XXちゃんのうち、お父さんとお母さんが運動会にも来ないんだって”と噂されていたかもしれないが、そんなこと全くお構いなしで明るく”うちは姉ちゃんが付き添ってくれるんだぞ、良いだろ”と自慢するようなたくましい子供であった。

それでも時として、父親と母親が同じ宗教であることを望んだ。なんと言っても問題は、彼らが宗教の違いで争うこと。普段は口数少ないおとなしい父親だが、そのときは大暴れし家のものを壊したり、聖書をびりびり破ったり、時には母親に手を上げることもあった。そのたびに私はおびえてなきながら“やめて!!”と叫んでいたのを今でも覚えている。小さい子供にとって両親がけんかするほど嫌なことはないんじゃないだろうか?また、父親は、虫の居所が悪いときには唯でさえ子供が多い為、渇渇の生活をしていた上に、突然家にお金を入れるのを打ち切ったりした。そのために学校の給食代を入れることが出来ずに母親から担任の先生に連絡してもらったり、家ではおかずなしでご飯に醤油を掛けて食べるということもあった。(余談だが、だからアメリカ人が日本食屋でご飯に醤油を掛けるのを見るととても嫌な気分になるのである。)

私自身といえば、生まれた頃から母親にキリスト教の洗脳を受け、中学生になった頃まで何の疑問もを持つこともなく毎週日曜学校に通っていた。しかし、部活動でバスケットボールを始めので、朝8時ごろから始まる午前中の練習を教会に行くために途中で抜け出さなくてはいけなかった。唯でさえ新入部員のとっては言いにくいことに加え、顧問の先生がとても厳しい女コーチであったため、ついに言い出すことが出来ずに部活動を理由に教会から足が遠のいていったのだった。母親は残念がっていたが、もう私が自分のことは自分で判断できるような年頃になっていたので、教会に行くのを強要しなかった。それ以降あれほどの熱心に通っていたのが嘘のように、無信教者となったのだ。

私個人として他人が宗教を持つことに関してはなんとも思わないが、問題は、その個人が自分だけの枠を超えて、他人にまで悪い意味で影響するようになったとき。一番いい例が、今アメリカで大きく問題になっている同性愛者の結婚や、中絶を、熱心なクリスチャン団体が彼らの信条の元に批判するのみならず、法の力を借りて他人の人生までをコントロールしようとしているのである。イラク侵略にしても、実際の関連を明らかにせぬままに三年前の9月11日の事件を含めたテロ対策の一環とし、‘神の名の下’に都合のいいように正当化した。これでは過激派のイスラム信者のテロリストとさして変わりはないんではないか?

これを言い出したらきりがないし、反対意見をもった人たちに報復されても困るのでこの辺にしておくが、話を元に戻すと、宗教は個人の価値観信念、人生そのものに大きく影響するものだ。この点がカップルの間で違う場合には、A.どちらかが合わせる B.お互い変わらずに違いを尊重しあう C.関係を終える のどれかになるが、花ちゃんは、Bを望んでいる。彼女は熱心な宗教者がいかなるものかを知らないので彼が宗教の違いを乗り越えても愛し合えると思っているようだが、そう簡単にはいかないというのが私の意見。なぜなら、宗教者である側は、信仰が厚ければ厚いほど一番身近な人が同じ心情を持ってくれないと言うことを趣味や思考の違いと同じように受け入れることはとてもできないのである。だから私の母親も過去40年間、父親がキリスト教に少しでも興味を持ってくれるように、トイレにその手の雑誌を置いたり、さりげない会話の中で神様のことを口にしたりとあの手この手を使って涙ぐましい努力を怠らない。一方頑固者の父親は、過去に何度か教会関連で仲間と電話しているのが煩いといっては電話線を切ったり、電話のダイヤル(昔の黒電話)を取って隠してしまったりしたものだが、仕舞いには電話サービス自体を解約してしまったのである。(かれこれ三年ほど前らしい)

このように私の両親は宗教の違いを持った悲惨な例だが未だに一緒に居るのは冷めきった父親をよそに、‘神の教えに従って’離婚せずに頑なに形だけの夫婦関係を保っている母親の意固地さがあるからだ。宗教が違っても夫婦仲良くやっているカップルもあると思うので一概には言えないが、仮に花ちゃんが信者になりきれなくても付き合いを続けて、結婚とまでいった場合、この大きな問題は、多かれ少なかれ、何らかの形で影響があるだろう。しかし、信仰心の厚い彼のほうが彼女が信者にならないようなら関係を打ち切るだろうを私は予測している。花ちゃんには悪いがそのほうか彼女にとって幸せだと思う。皆さんどう思いますか?





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最終更新日  2004.05.18 00:30:16
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