旧車の4輪+2輪を愛でつつ、定年退職後は、年金受給+パートタイマー、そして不動産賃貸業中のパートタイマー大家です。

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2024.09.24
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カテゴリ: 軍事


今回、高塔山に来た理由の一つに帝国海軍駆逐艦涼月の慰霊碑を視察する事がある。

 Wikipediaによれば、涼月は、帝国海軍の秋月型駆逐艦第3番艦で、1942年竣工、公試排水量3470トンの当時としては大型駆逐艦。 強力な九八式10サンチ連装高角砲を4基8門備えた防空駆逐艦として建造されたそうだ。

 艦首や艦尾切断といった沈没の危機を何度も乗り越え、最後は戦艦大和と共に坊ノ岬沖海戦に参加、大破して、通信装置その他に重大な損傷を受けつつも、辛うじて後進で佐世保に帰還したという。 戦後は駆逐艦の冬月、柳と共に、若松区の港に軍艦防波堤として残されている。

 この駆逐艦涼月ほ波乱万丈の生涯を映画化すると、相当見ごたえのある名作になりそうな気がするが、如何だろうか?



 慰霊碑が夏草に埋もれているのは悲しい。



















 これは4年前の2020年に軍艦防波堤を視察した際の写真。 駆逐艦柳だそうだ。



 既にボロボロに腐蝕して辛うじて駆逐艦としてのスリムな艦の形状が分かる程度。 駆逐艦なので、鉄板の厚さは精々40~50ミリ程度か? 戦艦大和の装甲に比較すると紙のように薄い。





 柳、涼月、冬月の順で防波堤とされていたが、その後、涼月と冬月は完全に埋め立てられて、全く分からなくなっている。



 柳の艦首から数メートルの間隔で涼月が埋められている。



 そして、この先には冬月が眠っている。

 さて、軍艦防波堤は4年前の2020年10月25日に訪問したが、一つの疑問がある。

 軍艦防波堤での説明文では、「駆逐艦柳」とあったが、「柳」といっても1916年(大正5年)に竣工した桃型駆逐艦の柳(835トン)とされていた。 1940年には除籍されている。 しかし、高塔山の慰霊碑では1945年竣工の松型駆逐艦の柳(1530トン)という事になっている。 どちらが正解なのか? 

 確かに軍艦防波堤で見た「柳」と称される形跡は、どう見ても1000トン未満の小型艦に思えたので、初代の桃型駆逐艦柳が正解なのではないかと思われる。

 ところで、この慰霊碑。 高塔山にあるのだが、案内看板も無く、スマホの地図アプリで検索してようやく辿り着いた。 付近には駐車場も無いので、もし、訪れる人が居れば、高塔山山頂の駐車場に停めて、スマホの地図アプリを頼りに行く事をお勧めする。 駐車場からは徒歩10分程度だが、行く価値はあると思う。





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Last updated  2024.09.24 21:00:09
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