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短歌鑑賞(田谷 鋭の一首) 後藤瑞義(人徳)昏れ方の電車より見き橋脚にうちあたり海へ帰りゆく水 『乳鏡』 田谷鋭氏は北原白秋の系列の人です。白秋の短歌結社「多磨」から白秋亡きあと、白秋の内弟子の宮柊二氏の結社「コスモス」に所属していました。 ちなみに、白秋亡きあと「多磨」は「コスモス」の他、国文学者の木俣修氏の結社「形成」に分かれました。特に伊豆の賀茂地区はほとんど「形成」に占められていました。それが木俣氏亡きあと大分裂をしまして、「星雲(二つ)」「朔日」「稲取短歌会」「泰山木」等に分かれて現在に至っているわけです。横道にそれました。短歌に戻りましょう。 この歌は、満ち潮が遡上する様子を歌にしたようですが、単なる写生ではないでしょう。そこがやはり白秋系だと思うのです。茂吉や文明のアララギの写生とはたいへん違います。 まず、「見き」と過去の回想の形をとっています。「うちあたり」「海に帰りゆく」「水」という言葉に作者の心の有様が現れているように感じます。 まず、「昏れ方の電車」は、仕事帰りの時間でしょうか、なんとなく気だるさみたいなものを感じました。 海水が満潮で遡上するのは、作者にとって海に流れ込んだ「水」が故郷の山地に戻ろうとしているかのような感じを受けたのでしょうか。しかし、海水は河口近くにかかっている鉄橋の橋脚を打つのが精いっぱいだった。「水」は今や海が自分の住む場所となっていて、海に帰って行った。というような一種の挫折感のようなものがこの歌から感じられました。そして、それは、作者の若い日の回想のように思われたのです。【太田書店】初心者のための短歌教室 / 田谷鋭【中古】【中古本】【古本 古書】
2017.07.29
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茨木のり子詩集『対話』(1)昭和三〇年不知火社より(注:茨木のり子の第一詩集)「魂」あなたはエジプトの王妃のようにたくましく洞窟の奥に座っているあなたへの奉仕のために私の足は休むことをしらないあなたへの媚(こび)のためにくさぐさの虚飾に満ちた供物を盗んだけれど私は一度も見ない暗く蒼いあなたの瞳が湖のように ほほえむのを睡蓮のように花ひらくのを獅子の頭のきざんである巨大な椅子に座をしめて黒檀色に匂う肌よときおり私は燭(しょく)をあげあなたの膝下(しつか)にひざまずく胸飾りシリウスの光を放ち シリウスの光を放ちあなたはいつも瞳をあげぬくるいたつような空しい問答とメタフィジックな放浪がふたたびはじまるまれに...私は手鏡を取りあなたのみじめな奴隷をとらえるいまなお<私>を生きるこのとないこの国の若者のひとつの顔がそこに火をはらんだまま凍っている茨木のり子【予約】 茨木のり子集 言の葉(1)価格:861円(税込、送料別)
2010.07.31
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12月6日(火) 昭和萬葉集(巻十二)(138)(昭和三十年~三十一年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅱ(56) 癒えぬ傷跡(26)基地への怒り(3)田辺卓司「検挙班用意は良いか」雨の中スクラムを組む我等に聞ゆ永井美智夫砲向けて何をか威嚇す鉄条の柵のうちなる駐留軍車大山節子振りまかれし薬莢拾う貧しさにけもののごとくねらい撃たれし狩野源三射殺せし農婦の屍その儘に日暮まで砲を打ちてゐしとぞ江崎釚八郎人ひとり殺されてなほ弾拾ひやむることなし今日のたつきに(つづく)
2022.12.06
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谷川俊太郎詩集「夜のミッキー・マウス」(5)二〇〇三年年九月(株)新潮社あああああああああああ声が出ちゃう私じゃないでも声が出ちゃうどこから出てくるのかわからない私からだじゅう笛みたいになってるあつうぬぼれないであんたじゃないよ声出させてるのはあんたは私の道具よわるいけどこんなことやめたいあんたとビール飲んでるほうがいいバカ話してるほうがいいでもいいこれいいボランティアはいいことだよねだから私たち学校休んでこんな所まで来てるんだよねでもこのほうがずっといいどうして苦しいよ私嬉しいけどつらいよあ何がいいんだなんてきかないで意味なんてないよあんたに言ってるんじゃない返事なんかしないで声はからっぽだよこの星空みたいにもういやだああねえあれつけて未来なんて考えられない考えたくない私ひとりっきりなんだもの今泣くなっていわれても泣いちゃうあああああいい私のおすすめの本谷川俊太郎 SONG BOOK谷川俊太郎【送料無料】みんなの谷川俊太郎詩集価格:714円(税込、送料別)生方たつゑ現代短歌大系(第5巻)価格:1,260円(税込、送料別)Amazon.co.jp 『スター・ウォーズ ブルーレイBOX』 特設ページ
2011.06.25
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4月4日(木) 北原白秋歌集(9) 中公文庫:日本の詩歌9(北原白秋)より 昭和49年十一月初版 「桐の花」(9) 初夏晩春(3) よき椅子(いす)に黒き猫さへ来てなげく初夏晩春の濃きココアかな 昼饗(ひるげ)どきはてしさびしさ春の日も紅茶のいろに沈みそめつつ いつしかに春の名残(なごり)となりにけり昆布干場(こんぶほしば)のたんぽぽの花 寝てよめば黄なる粉(こな)つく小さき字のロチイなつかしたんぽぽの花 洋妾(らしやめん)の長き湯浴(ゆあみ)をかいま見る黄なる戸外(とのも)の燕(つばくろ)のむれ 「春」はまたとんぼがへりをする児らの悲しき頬のみ見つつかへるや (つづく)
2019.04.04
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5月20日(水) 昭和萬葉集(巻十四)(378)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅴ(43) 天地自然(20)風(3)河井たか子 今日の風山より来り涸かれ川がはの砂の上遠く海へ吹きゆく片桐顕智 砂山のかげにくだれば浪の音も遠くなりつつただ風の音 高橋俊人もうもうと砂吹き上げし浜風は長くは吹かず海に吹き落つ佐藤志満湖の方より移る風のおと樹海に入りてその音ながし疲れつつはかなくをれば吹きいでし風に戸袋の中の戸が鳴る (つづく)
2026.05.20
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5月20日(水)能村登四郎 俳句の楽しみ(抜粋:後藤)(269)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第六章 自作自解(11)秋(1)暁紅に露の藁屋根合掌す (昭和30年作)ダムの底になると言われて、飛騨白川郷を訪れました。合掌造りの民家は、森陰に建っています、露のしたたる森を抜けながら見に行きました。合掌したような藁屋根が暁紅の中に粛然と建っていて、感動しました。胡桃焼くやこころの中の隣り人 (昭和40年作)炉の灰の中に胡桃を埋めてゆっくりと時間をかけて焼く、胡桃の殻は堅いが、よく火で焼くと割れて中から香ばしい実が出てきます。そんなことをしながら、温かい隣人の息吹にふとあこがれる気持ちになっていきます。 (つづく)
2026.05.20
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茨木のり子(25)花神社発行:「自分の感受性くらい」より「鍵」一つの鍵が 手に入るとたちまち扉はひらかれる固く閉ざされた内部の隅々まで明暗くっきりと見渡せて人の性格も謎めいた行動も物と物との関係も複雑にからまりあった事件もなぜ なにゆえ かく在ったかどうなろうとしていたかどうなろうとしているかあっけないほど すとん と胸に落ちるちっぽけだがそれなくしてはひらかない黄金の鍵人がそれを見つけ出しきれいに解明してみせてくれたときああ と呻く私も行ったのだその鍵のありかの近くまでもっと落ちついて ゆっくり佇んでいたら探し出せたにちがいない鍵にすれば出会いを求めて身をよじっていたのかも知れないのに木の枝に無造作にぶらさがり土の奥深く燐光を発し虫くいの文献 聞きながした語尾に内包され海の底で腐蝕せず渡り鳥の指標になってきらめき束になって空中を ちゃりりんと飛んでいたり生きいそぎ 死にいそぐひとびとの群れ見る人が見たらこの世はまだあまたの鍵のひびきあいふかぶかとした息づきで燦然と輝いてみえるだろう「自分の感受性くらい」 完結【予約】 茨木のり子集 言の葉2(全3巻)価格:861円(税込、送料別)
2010.08.23
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12月16日(水) 角川短歌賞(335)第三十七回 受賞作品(1991年) 「横断歩道(ゼブラ・ゾーン)」(5)梅内美華子 明日は遅れて来ないでねと言わず電話切るさびしくさせているのは女 ライブ終えし赤毛のボーカルしゃがみこみアスファルトへと叫び始めき 空をゆく鳥の上には何がある 横断歩道(ゼブラ・ゾーン)に立ち止る夏 すっぱい飴を分けてあげようレプリカの教会の涼しき扉の前で 毎晩の君の電話を喜ばず夏の水ひかるビーチボール蹴る (つづく)
2020.12.16
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短歌鑑賞 (若山牧水の一首 ) (二十三年十二月号より「賀茂短歌」)白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ 『海の声』 若山牧水のあまりにも有名な歌です。上の句で「白鳥はかなしからずや」と心の思いをぶつけるように言っています。下の句では、一転して「空の青海のあをにも染まずただよふ」と静かに情景描写をしているだけです。 作者二十三歳の作品ということです。自分を白鳥にみたてて青年らしい生きる苦悩を歌っています。これは、大方の人のこの歌に対する定説のようなものではないでしょうか。 最近気が付いたのですが、この歌は倒置法の歌ではないかということです。「空の青海のあをにも染まらずにただよう白鳥よかなしからずや」が正しい順序ではなかったかと思うのです。 そして、わたしなりの鑑賞をあえて付け加えるとすれば、「空の青海のあおにも染まらずにただよっている白鳥のように、自分も世間に染まることが出来ずにいる…(ただこのように酔って過しているんだ…)。」曲解ですが、牧水は酒がたいへん好きでしたからそんな連想が浮んできたのです。そして次のような歌も作りました。「ただよふ」を「ただ酔ふ」などと解したり酒好きわれを許せ牧水 後藤瑞義
2023.07.14
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後藤瑞義入選句 自転車の一台増えて春の家 下田市 後藤瑞義(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月二十七日 入選 西村麒麟 選)
2026.05.27
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5月27日(水)歌集「涵養の地」(54)発行所:いりの舎著書:君山宇多子発行:二〇二五年十二月十五日作者とは、十数年前静岡県歌人協会の常任委員をともにいたしました。現在は歌人協会の副会長です。若い頃より一本筋金の入った印象がありました。作者の歌の師との師弟関係はほんとうに心温まるものがあります。彼女の師である温井松代氏の師は、大岡博氏(窪田空穂の弟子で、詩人大岡信の父)で、窪田空穂氏とは孫弟子となる人です。ですから、君山さんは空穂のひ孫弟子ということでしょう。そういう一本筋の通った感じが確かにありました祈り(2)野に山にさへづる鳥のこゑは満つヴァイオリンソロの艶めく音色脱穀の杳き日の音聴くらむか歓喜の音色が秋を彩る千の鶴つなぐるごとく祈りこめ千の音色を繋ぐコンサート全きもの在らぬを知りしわが内にヴァイオリン鳴る 力強き音むくどりの幾百のこゑふくれゆく街路樹の下を人の群ゆく (つづく)
2026.05.27
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5月27日(水) 与謝晶子の歌(368)(注)歌友である渡辺つぎさんは、平あみの成二十九年九月六日、百六歳六か月にて永眠されました。「伊豆遊草」には、伊豆におけるおける与謝野晶子の膨大な数の歌が収録されています。その中から出来る限り抜き書きしたいと思います。花のある風景――(3)『冬柏』十巻四号・昭和十四年四月昭和十四年四月九日から十二日まで、伊豆に桜見物に出かける。抛書山荘にも泊って五十首の歌を詠みました。我出でて桜の中の朝露も朴の林のしらつゆも踏む霧消えて蓬のやうにくれ竹の林のなびく湖の山朝露にさくらの山の道芝の濡れぞわたれる月夜のごとく花ごとに露の笑ふをわれ見つつ濡れてさまよふ大池の山山荘のさくらにまがひ白き富士いささか見ゆる猫ねこ越ごしの上 (つづく)
2026.05.27
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9月28日(土) 短歌用語辞典(飯塚書店発行) み(46) みどりご 緑児・嬰児(名詞)二、三歳までの子ども。赤子。えいじ。新芽のように未 熟な子の意。 腹ゆすり胸ゆすり声を立てにけり笑ひたるなりわが緑児は 窪田章一郎 真夜深く覚めゐて思ふしづかなるみどり子の日がこの子にありし 河野裕子 悲傷のはじまりとせむ若き母みどりごに乳をふふますること 葛原妙子 (つづく)
2013.09.28
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現代の詩人9 谷川俊太郎(12)中央公論社 昭和58年3月10日発行六十二のソネット(4)231世界の中の用意された椅子に坐ると急に私がいなくなる私は大声をあげるすると言葉だけが生き残る神が天に嘘の絵具をぶちまけた天の色を真似ようとすると絵も人も死んでしまう樹だけが天に向ってたくましい私は祭の中で証ししようとする私が歌い続けていると幸せが私の背丈を計りにくる私は時間の本を読むすべてが書いてあるので何も書いていない私は昨日を質問攻めにする谷川俊太郎
2010.06.01
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茨木のり子(4) 茨木のり子詩集「自分の感受性くらい」より「癖」むかし女いじめっ子がいた意地悪したり からかったり髪ひっぱるやら つねるやらいいイッ! と白い歯を剥いたその子の前では立往生さすがの私も閉口頓首やな子ねぇ と思っていたのだが卒業のとき小さな紙片を渡されたワタシハアナタガ好キダッタオ友達ニナリタカッタノたどたどしい字で書かれていてそこで私は腰をぬかし いえ ぬかさんばかりになって好きなら好きとまっすぐにぶつけてくれればいいじゃない遅かった 菊ちゃん! もう手も足も出ない小学校出てすぐあなたは置屋の下地っ子以来 いい気味 いたぶり いやがらせさまざまな目にあうたびに 心せよこのひとはほんとは私のこと好きなんじゃないかと思うようになったのだ茨木のり子【予約】 茨木のり子集 言の葉(1)価格:861円(税込、送料別)
2010.08.02
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谷川俊太郎詩集「夜のミッキー・マウス」(21)二〇〇三年年九月(株)新潮社忘れることどうしても忘れてしまういま目の前にある楓の葉の挑むような赤それをみつめているきみのここにはない何かを探しているような表情きみもまたきっと忘れているのだ結局は細部でしかないこの世の一刻一刻をそして憶えていることと言えばただひとつ自分が生れていつかは死ぬという事実それが幼い子どもが初めて描いたクレヨンの一本の線のようにゆがんで曲ってかすれて途切れ……だがどうして忘れてしまってはいけないのか倦きることと忘れることのあのあえかな快楽が朝の光をこんなにもいきいきとさせているのではないかどうしても忘れてしまう記憶だけが人間をつくっているのだということさえだからきっと人間は本当は歴史のうちに生きてはいないのだ限りない流血も人を賢くしないそして忘れ去ったものがゴミのように澱んでいる場所でしかきみもぼくも話し始めることが出来ない谷川俊太郎 SONG BOOK谷川俊太郎【送料無料】みんなの谷川俊太郎詩集価格:714円(税込、送料別)生方たつゑ現代短歌大系(第5巻)価格:1,260円(税込、送料別)
2011.07.26
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7月30日(日)正岡子規歌集(38)中公文庫:日本の詩歌3より昭和五十年九月十日初版竹の里歌(38)明治三十四年(4) しひて筆を取りて佐保さほ神がみの別れかなしも来こん春にふたゝび逢はんわれならなくにいちはつの花咲きいでゝ我目には今年ばかりの春行かんとす病むわれをなぐさめがほに開きたる牡丹の花を見れば悲しも世の中は常なきものと我わが愛めづる山吹の花散りにけるかも別れゆく春のかたみと藤波の花の長ふさ絵にかけるかも (つづく)
2023.07.30
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短歌鑑賞(石川啄木) 歌集「悲しき玩具」(百二十五)下書き 後藤瑞義 (注)歌の順序は歌集の順序によります。 たへがたき渇き覚ゆれど、 手をのべて 林檎(りんご)とるだにものうき日かな。 「たへがたき渇き」は、とりあえずはげしい咽喉のかわき、水を求める気持ちを思います。病床でしょうか。枕もとにはリンゴが置いてあるようです。手を伸ばせば取れる位置にあるようです。しかし、作者は、「林檎とるだにものうき日かな」と詠(うた)っています。 この「たえがたい渇き」は、肉体的というより、精神的な感じがしました。それが、「ものうき」という感じなのではないでしょうか。 啄木は、決して自分の渇きは肉体的なもの、単なる咽喉の渇きではなく、もっと深い精神的な心の渇きであるなどとは、一言もいっていません。単に、現在置かれている状況を述べているだけです。「たえがたい、渇きを感じているが、手を伸ばしてリンゴをとることさえもおっくうで、気がすすまない。」と述べているだけです。しかし、読者の心には啄木の苦悩がじんわりと伝わって来るのではないでしょうか。 短歌はこういう風に作るんだよと啄木に教えられるようです。
2023.11.26
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5月27日(水)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。キリストによる神政の特質キリストによる政治は王政ではありません。ですから、王侯貴族は存在しません。キリストによる政治は共和制ではありません。ですから多数を頼む必要はありません。キリストによる政治は神政と呼んでいいでしょう。無形の神様による政治、無形の神様を信頼する政治です。キリストの政治は国民一人一人が真に独立をすることを奨励します。一人一人が神様とともにたとえ全世界を相手にしてもひるまない人間を作る政治です。一人一人が国を支えることができるようにする政治、国の土台、基礎をしっかりするような政治を目指します。
2026.05.27
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5月27日(水) 昭和萬葉集(巻十四)(372)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅴ(50) 天地自然(27)鳥(6) 外塚杜詩浦雨霧きらふ素ぐろき森に遠ひびく筒鳥のこゑ二つながら止む棚沢慶治仏法僧今宵きかむとひたすらに千三百段の磴とうふみのぼる安田青風笠縫の檜原の奥を大正の代にわたり来し小綬こじゅ鶏けい鳴けり高安国世夜くだちに飛びきたり去る何の鳥朝は雲雀ひばりの声のみ満ちて(つづく)
2026.05.27
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5月27日(水)能村登四郎 俳句の楽しみ(抜粋:後藤)(276)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第六章 自作自解(18)冬(5) 泪目の中に十一月ゆるる (昭和59年作)十一月という、冬でありながら、まだ秋のやさしさを十分に感じさせる季節の中にあるしずかな感動のようなものを詠いました。初あかりそのまま命あかりかな (昭和60年作)元旦、射す日の光、昨日と同じものと思いながらも、新しく改まった年の第一日と思うと緊張します。何事もなく生き延びて新春を迎えられるという感激もなくはありません。初あかり、則ち命のあかりであるという実感です。妻あらばさそひしをこの初芝居 (昭和60年作)わたしは芝居好きです。妻は役者の名などなかなかおぼえませんが、正月の華やかな芝居は好きで、誘うと、うきうき出かけます。正月芝居の豪華な顔ぶれ、ふとつまといっしょだったらと思うのでした。(完結です)
2026.05.27
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5月27日(水)渡辺順三歌集「日本の地図」 発行:平成11年3月23日 発行い所:短歌新聞社 1952年(5) 第二十三回メーデー(3)「血のメーデー」と記載された第二十三回メーデーの、その意味するものをはっきりつかむ。 ・「少数の尖鋭分子」と いつもながらのきまり文句でごまかそうとする。 ・彼らに都合のいいことだけが書かれ、その裏にひそむ真実に触れようとしない。 ・今日――何もなかったように、銀座の街は、若い男女のふやけた群。 (つづく)
2026.05.27
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5月27日(水)後藤瑞義入選歌(平成31年度:令和元年)(3)機関銃撃つごと草を刈りてゆくカエル、バッタの逃げまどうなか(読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月二十六日 入選 渡 英子 選) 落ち水がとくとくとくと音たてて月の光に響く早苗田(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月 三日 佳作 渡 英子 選)(評)稲の苗を植え終ってみずみずしい緑がそよぐ水田。「落ち水」は水路から田に注ぐ水だろうか。それとも水田から落ちる水かもしれない。第二句の擬音語が月明りに響く初夏の早苗田。 朝なさな泡白くぬり髭を剃る職退きてはや十年経つも(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月 十日 入選 渡 英子 選) 二時間に一本通るバス停に雨に打たるる時刻表あり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月二十四日 佳作 渡 英子 選)(評)マイカーを持つ人が増え、過疎化が進む時代を反映した「二時間に一本」のバス。住民の生活を支えるバスの時刻表を打つ雨に作者の深い思いが籠もる印象深い一首となった。天に向き身の潔白を晴らさんと泰山木は大輪開く(読売新聞 読売歌壇 七月二十九日 三席 小池 光 選)(評)タイザンボクの大きな真っ白い花。あたかも身の潔白を晴らすごとくである。この比喩が大胆で気持ちが良い。信長の弟というその名前有楽町に有楽椿に(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月三十一日 入選 渡 英子 選)緑濃き山に向かいて息吸えり大きく吸えり精気もらわん(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月 七日 佳作 渡 英子 選)一晩を茂みにひそみ明かしたる雄鶏露に濡れてかがやく(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月十四日 入選 渡 英子 選)無沙汰わび師の奥津城に額ずけば黒御影石小雨に光る(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月二十一日 佳作 渡 英子 選)その昔松陰漕ぎし湾内を水上スキー波しぶきあぐ(読売新聞 読売歌壇 八月二十六日 入選 小池 光 選)住職の唱える和讃聞いている母に抱かるる赤子となりて(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月二十九日 入選 渡 英子 選)一日の命を惜しみ朝咲ける木槿の花を花瓶に挿せり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月 四日 入選 渡 英子 選)コンクリの上を歩けるわが影の陽炎となりゆらめいている(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月十一日 入選 渡 英子 選)廃線となりたるレールはすでに錆び夏草覆う中に消えおり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月十八日 秀逸 渡 英子 選)(選評)生活の足として機能していた鉄道が廃止され、鉄路と呼ばれたレールも錆を深めている。一つの時代の過ぎた感慨を情景描写のみで表現されて余韻の残る作品となった。 (つづく)
2026.05.27
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