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5月28日(木)後藤瑞義入選歌(平成31年度:令和元年)(4)舗装路の継ぎ目に生きる場所を得て一列に咲く鶏頭の花(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月二十五日 入選 渡 英子 選) 遺されしノートの歌稿読みおれば妻亡きことを忘れ時過ぐ(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月 九日 入選 渡 英子 選) 復旧は夜半もなされず月かげのおだしき光里をおおえり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月十六日 入選 渡 英子 選) 山影の小さくなりてようやくにわが家に光差し始めたり(日本歌人クラブ東海ブロック 十月二十七日 佳作 小塩卓哉 選)この夏を越えし大地の喜びの声のごとくに彼岸花咲く(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月三十日 秀逸 渡 英子 選)(選評)カミソリバナ、シビトバナの別称もある彼岸花のマイナスイメージを「大地の喜びの声」と捉え直して新鮮。猛暑の夏が去り、息を吹き返した大地に咲く彼岸花の生命力が眩しい。 石けんの泡立つように日に向きて白さるすべり花さかせおり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月六日 入選 渡 英子 選)西空に晩夏の光消えゆきて何かが終るごとき静寂(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月十三日 入選 渡 英子 選) 先頭を走りていたる自閉児がテープを切れず立ち止まりたり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月二十日 秀逸 渡 英子 選)(選評)同じく送られた歌の「子の通う養護施設の運動会小雨降るなか決行をする」の歌から運動会の場面が浮かんでくる。一着の晴れがましい瞬間を前にたじろぐ下二句の描写に胸を衝かれた。台風の傷跡残る山々をいたわるごとく霧のおおえり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月二十七日 秀逸 渡 英子 選)(選評)日本の各地に激甚な被害をおよぼした台風が過ぎて、山々の傷跡もふかい。声をあげることのない山々の傷跡を隠すように、いたわるように乳色の霧が降りる景がいとおしい。濁流の迫れる屋根に一本のロープ空より揺れつつ降ろさる(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月四日 入選 渡 英子 選) 高齢化進むわが里にただ一つ残れる電話ボックス灯る(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月十一日 秀逸 渡 英子 選)(選評)日本の各地で公衆電話や電話ボックスが姿を消してゆく。携帯電話の普及によるものだが、ケータイを持たない高齢の方には電話ボックスは必需品。夜道を照らすひとつの灯(ともしび)だ。耕して見ろというがに泡立草休耕田を黄の色に染む(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月十八日 入選 渡 英子 選) (つづく)
2026.05.28
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5月28日(木)渡辺順三歌集「日本の地図」 発行:平成11年3月23日 発行い所:短歌新聞社 1952年(6) 庭の花々 降るかと見れば雲のきれまに陽射し見え庭隅におもくあじさいの花。 ・たかくたかくてっぺんまで咲いた立葵の、真赤な花だ。くれのこる空だ。 ・純白の桔梗の花が、すがすがしく四つ五つ咲いて、 梅雨もあがるらしい。 (つづく)
2026.05.28
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5月28日(木) 与謝晶子の歌(369)(注)歌友である渡辺つぎさんは、平あみの成二十九年九月六日、百六歳六か月にて永眠されました。「伊豆遊草」には、伊豆におけるおける与謝野晶子の膨大な数の歌が収録されています。その中から出来る限り抜き書きしたいと思います。花のある風景――(4)『冬柏』十巻四号・昭和十四年四月昭和十四年四月九日から十二日まで、伊豆に桜見物に出かける。抛書山荘にも泊って五十首の歌を詠みました。かがやける数はえしらずわが路の上手かみてのさくら下手しもてのさくらみづうみの一碧亭の負ひたるが霞に変るさくらに変る霞より矢筈の山が紫のあやめとなりて現れし時千本ちもと咲く桜の台を勝れたる世として次のベランダにある天城なほ鈍にび色いろのまま徐服せず吉田の池にさくら散れども (つづく)
2026.05.28
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5月28日(木) 歌集「涵養の地」(50) 発行所:いりの舎 著書:君山宇多子 発行:二〇二五年十二月十五日 作者とは、十数年前静岡県歌人協会の常任委員をともにいたしました。現在は歌人協会の副会長です。若い頃より一本筋金の入った印象がありました。作者の歌の師との師弟関係はほんとうに心温まるものがあります。彼女の師である温井松代氏の師は、大岡博氏(窪田空穂の弟子で、詩人大岡信の父)で、窪田空穂氏とは孫弟子となる人です。ですから、君山さんは空穂のひ孫弟子ということでしょう。そういう一本筋の通った感じが確かにありました 戴く(1) 鳥威しの鳴子名にもつ草百合は薬草にして父の愛でゐき 山土にまみれ野の草ひた掘りきわが源流に春じをんのはな いとけなきわれをあやすは誰ならむあかときの夢の記憶は残る 黒南風の季は来たれりしだかれて還らぬ方へ薔薇は傾げり 十八歳(じふはち)を発たす胸裡を語るなき娘(こ)を想ひをり 母なることを (つづく)
2026.05.28
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5月28日(き)NHK「俳句入門」―作句編―(抜粋:後藤)(1)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)(はじめに)俳句を作るということ(1) 鷹羽狩行 日本人なら俳句のこころはみなもっています。あとは、五・七・五にするか、しないかです。 俳句とは、あるいは俳句の魅力は、「瞬間を永遠のものにする」深い働きと思います。写真は眼前の対象にかぎられますが、俳句は過去をも映し出すことが可能です。 過去の貴重な体験をいつまでも保ち、失いたくない。実例(NHK全国俳句大会受賞作品より)地上より地下煌々と終戦日 湯峯チヨ戦時下の苦しさ、戦後の高度成長、地下街まで明るい現代、その対比を描いています。戦後のゆたかな繁栄、少しぜいたくすぎないかという想いが、「煌々と」に出ています。(つづく)
2026.05.28
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5月28日(木)昭和萬葉集(巻十四)(386)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)V(51)天地自然(28)鳥(7)高橋誠一岩かげに雛遊ばせて雷鳥のこの親鳥は人を恐れず樋口賢治啼くこゑをかなしと雪ふる中に居り鷗は海の上ひくく飛ぶ山崎方代へり白き目玉かしげている鶏とりのとりとめもない夕まぐれかな築地正子昼の餌ゑを待ちかねて鳴く鶏にはとりの多数をたのむ声となりゆく (つづく)
2026.05.28
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5月28日(木)「眠れぬ夜のために」(ヒルティ)(第一部)(100) 発行所 岩波書店(1973年5月16日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)をしました。 ☆ ☆ ☆ ☆ (前日)一月二十一日(1)神との交わりには、特別の時刻とか時期(朝とか夕べとか)とか姿勢だとか身振りとかいっさい必要としません。必要なのは簡単な言葉、あるいはただ心に思うだけで十分なのです。色々な外的な用意はかえって妨げになることが多いのです。もっとも大切なのは、われらの主心のつながりを持つことです。使徒パウロはこのことを「絶えず祈りなさい」と言っています。この祈りについて、多くのいわゆる祈祷者は実はまったく知らないのです。(よりつづく)一月二十一日(2)祈りは、単純に、誠実に、すこしも形式にこだわらないでなされなければなりません。このような祈りの仕方は、今日の宗教教育ではほとんど教えられなくなりました。それだけでなく、祈りに対する神のお答を聞くことが出来なければなりません。そのためには日常の騒々しさや利己心にすこしも妨げられない、微妙な心の耳が必要です。ところが、多くのいわゆる「祈祷者」たちは、ただ彼らのきまり文句を口ずさみ、それが終わるとすぐ立ち去ったり、あるいはスープに匙をいれたりするのです。まるで実際にはなにごとも起こらなかったように、まして神のお答などおよそ期待しないかのようです。(つづく)
2026.05.28
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5月28日(木)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。世論と神意 世論は神様からの声だと思ったら大間違いです。神様の声はつねに世論に反対します。昔の預言者はことごとく世論の反抗者と言ってもいいでしょう。人類とはそもそも何者でしょうか。聖書にいわく「主天より人の子を望みて、悟る者、神を研(あず)ぬる者ありやと見給いしに、みな叛き出でてことごとく腐れたり、善をなす者なし、一人もなし」と(詩篇十四篇ニ、三節)。神様に叛き神様より去った人類の世論は神意をつたえるものではありません。私は、神様の言葉であります聖書に耳を傾けて、悪人が多数占める社会の世論なぞには従いません。
2026.05.28
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後藤瑞義入選句 自転車の一台増えて春の家 下田市 後藤瑞義(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月二十七日 入選 西村麒麟 選)
2026.05.27
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5月27日(水)後藤瑞義入選歌(平成31年度:令和元年)(3)機関銃撃つごと草を刈りてゆくカエル、バッタの逃げまどうなか(読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月二十六日 入選 渡 英子 選) 落ち水がとくとくとくと音たてて月の光に響く早苗田(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月 三日 佳作 渡 英子 選)(評)稲の苗を植え終ってみずみずしい緑がそよぐ水田。「落ち水」は水路から田に注ぐ水だろうか。それとも水田から落ちる水かもしれない。第二句の擬音語が月明りに響く初夏の早苗田。 朝なさな泡白くぬり髭を剃る職退きてはや十年経つも(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月 十日 入選 渡 英子 選) 二時間に一本通るバス停に雨に打たるる時刻表あり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月二十四日 佳作 渡 英子 選)(評)マイカーを持つ人が増え、過疎化が進む時代を反映した「二時間に一本」のバス。住民の生活を支えるバスの時刻表を打つ雨に作者の深い思いが籠もる印象深い一首となった。天に向き身の潔白を晴らさんと泰山木は大輪開く(読売新聞 読売歌壇 七月二十九日 三席 小池 光 選)(評)タイザンボクの大きな真っ白い花。あたかも身の潔白を晴らすごとくである。この比喩が大胆で気持ちが良い。信長の弟というその名前有楽町に有楽椿に(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月三十一日 入選 渡 英子 選)緑濃き山に向かいて息吸えり大きく吸えり精気もらわん(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月 七日 佳作 渡 英子 選)一晩を茂みにひそみ明かしたる雄鶏露に濡れてかがやく(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月十四日 入選 渡 英子 選)無沙汰わび師の奥津城に額ずけば黒御影石小雨に光る(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月二十一日 佳作 渡 英子 選)その昔松陰漕ぎし湾内を水上スキー波しぶきあぐ(読売新聞 読売歌壇 八月二十六日 入選 小池 光 選)住職の唱える和讃聞いている母に抱かるる赤子となりて(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月二十九日 入選 渡 英子 選)一日の命を惜しみ朝咲ける木槿の花を花瓶に挿せり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月 四日 入選 渡 英子 選)コンクリの上を歩けるわが影の陽炎となりゆらめいている(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月十一日 入選 渡 英子 選)廃線となりたるレールはすでに錆び夏草覆う中に消えおり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月十八日 秀逸 渡 英子 選)(選評)生活の足として機能していた鉄道が廃止され、鉄路と呼ばれたレールも錆を深めている。一つの時代の過ぎた感慨を情景描写のみで表現されて余韻の残る作品となった。 (つづく)
2026.05.27
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5月27日(水)渡辺順三歌集「日本の地図」 発行:平成11年3月23日 発行い所:短歌新聞社 1952年(5) 第二十三回メーデー(3)「血のメーデー」と記載された第二十三回メーデーの、その意味するものをはっきりつかむ。 ・「少数の尖鋭分子」と いつもながらのきまり文句でごまかそうとする。 ・彼らに都合のいいことだけが書かれ、その裏にひそむ真実に触れようとしない。 ・今日――何もなかったように、銀座の街は、若い男女のふやけた群。 (つづく)
2026.05.27
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5月27日(水) 与謝晶子の歌(368)(注)歌友である渡辺つぎさんは、平あみの成二十九年九月六日、百六歳六か月にて永眠されました。「伊豆遊草」には、伊豆におけるおける与謝野晶子の膨大な数の歌が収録されています。その中から出来る限り抜き書きしたいと思います。花のある風景――(3)『冬柏』十巻四号・昭和十四年四月昭和十四年四月九日から十二日まで、伊豆に桜見物に出かける。抛書山荘にも泊って五十首の歌を詠みました。我出でて桜の中の朝露も朴の林のしらつゆも踏む霧消えて蓬のやうにくれ竹の林のなびく湖の山朝露にさくらの山の道芝の濡れぞわたれる月夜のごとく花ごとに露の笑ふをわれ見つつ濡れてさまよふ大池の山山荘のさくらにまがひ白き富士いささか見ゆる猫ねこ越ごしの上 (つづく)
2026.05.27
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5月27日(水)歌集「涵養の地」(54)発行所:いりの舎著書:君山宇多子発行:二〇二五年十二月十五日作者とは、十数年前静岡県歌人協会の常任委員をともにいたしました。現在は歌人協会の副会長です。若い頃より一本筋金の入った印象がありました。作者の歌の師との師弟関係はほんとうに心温まるものがあります。彼女の師である温井松代氏の師は、大岡博氏(窪田空穂の弟子で、詩人大岡信の父)で、窪田空穂氏とは孫弟子となる人です。ですから、君山さんは空穂のひ孫弟子ということでしょう。そういう一本筋の通った感じが確かにありました祈り(2)野に山にさへづる鳥のこゑは満つヴァイオリンソロの艶めく音色脱穀の杳き日の音聴くらむか歓喜の音色が秋を彩る千の鶴つなぐるごとく祈りこめ千の音色を繋ぐコンサート全きもの在らぬを知りしわが内にヴァイオリン鳴る 力強き音むくどりの幾百のこゑふくれゆく街路樹の下を人の群ゆく (つづく)
2026.05.27
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5月27日(水)能村登四郎 俳句の楽しみ(抜粋:後藤)(276)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第六章 自作自解(18)冬(5) 泪目の中に十一月ゆるる (昭和59年作)十一月という、冬でありながら、まだ秋のやさしさを十分に感じさせる季節の中にあるしずかな感動のようなものを詠いました。初あかりそのまま命あかりかな (昭和60年作)元旦、射す日の光、昨日と同じものと思いながらも、新しく改まった年の第一日と思うと緊張します。何事もなく生き延びて新春を迎えられるという感激もなくはありません。初あかり、則ち命のあかりであるという実感です。妻あらばさそひしをこの初芝居 (昭和60年作)わたしは芝居好きです。妻は役者の名などなかなかおぼえませんが、正月の華やかな芝居は好きで、誘うと、うきうき出かけます。正月芝居の豪華な顔ぶれ、ふとつまといっしょだったらと思うのでした。(完結です)
2026.05.27
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5月27日(水) 昭和萬葉集(巻十四)(372)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅴ(50) 天地自然(27)鳥(6) 外塚杜詩浦雨霧きらふ素ぐろき森に遠ひびく筒鳥のこゑ二つながら止む棚沢慶治仏法僧今宵きかむとひたすらに千三百段の磴とうふみのぼる安田青風笠縫の檜原の奥を大正の代にわたり来し小綬こじゅ鶏けい鳴けり高安国世夜くだちに飛びきたり去る何の鳥朝は雲雀ひばりの声のみ満ちて(つづく)
2026.05.27
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5月27日(水)「眠れぬ夜のために」(ヒルティ)(第一部)(99) 発行所 岩波書店(1973年5月16日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)をしました。 ☆ ☆ ☆ ☆ (前日)一月二十日しかしあなたはおそらくこう言うでしょう――私は神とキリストを信じることができません。なぜなら私の思考がそのような無形な直観に反対するのです、と。確かに、それはその通りなのでしょう。けれでも、あなたと、そのような超感覚的思想の世界をへだてるものは、思考ではなくて、なによりもまず、それとは別の心の傾向です。思考の役目は、意志がすでに決心したものを是認するだけです。逆の場合には、われわれは思考のためらいなど、いつでものり越えて進むでしょう。だから、聖書は、罪は人間の破滅であるといっています。罪とは、神を思う心とは両立しないすべての心の傾向です。それが、あなたとあなたの幸福とをへだてているのです。まず、このことを信じなさい。そして、罪をさがしだして、とり除きなさい。そうすれば、信仰はかなり容易に、しかも全くひとりでにやって来るでしょう。(よりつづく)一月二十一日(1)神との交わりには、特別の時刻とか時期(朝とか夕べとか)とか姿勢だとか身振りとかいっさい必要としません。必要なのは簡単な言葉、あるいはただ心に思うだけで十分なのです。色々な外的な用意はかえって妨げになることが多いのです。もっとも大切なのは、われらの主心のつながりを持つことです。使徒パウロはこのことを「絶えず祈りなさい」と言っています。この祈りについて、多くのいわゆる祈祷者は実はまったく知らないのです。(つづく)
2026.05.27
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5月27日(水)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。キリストによる神政の特質キリストによる政治は王政ではありません。ですから、王侯貴族は存在しません。キリストによる政治は共和制ではありません。ですから多数を頼む必要はありません。キリストによる政治は神政と呼んでいいでしょう。無形の神様による政治、無形の神様を信頼する政治です。キリストの政治は国民一人一人が真に独立をすることを奨励します。一人一人が神様とともにたとえ全世界を相手にしてもひるまない人間を作る政治です。一人一人が国を支えることができるようにする政治、国の土台、基礎をしっかりするような政治を目指します。
2026.05.27
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5月26日(火)後藤瑞義入選歌(平成31年度)(2)紅梅の花ほの白き霜置けり少女のごとくかすかにゆれて (読売新聞静岡版 よみうり文芸 三月二十七日 入選 渡 英子 選)柚子の実のあまた浮かべる湯のなかにゆっくり心温まりゆく(読売新聞静岡版 よみうり文芸 四月 三日 入選 渡 英子 選)温泉の捨て湯のけむり早咲きの三分咲きなる桜をおおう (読売新聞静岡版 よみうり文芸 四月 十日 入選 渡 英子 選)一休みして万歩計のぞきたり四千五百七十一歩(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月 一日 入選 渡 英子 選)今日ひと日歌を作らず過ぎにけり死しにびとのごとく布団に入りぬ(読売新聞 読売歌壇 五月 六日 一席 小池 光 選)(評)すごい歌。この方は毎日歌を作ると決めて、たゆまず実行している。今日は遺憾ながら一首もできなかった。まるで死びとのように寝る、まさに頭が下がる思いだ。廃校となりたる庭に子等おらずつくしん坊が列を作れり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月 八日 入選 渡 英子 選)毛衣けころもを脱ぎ一斉に喜びの声あげるごと木蓮の花(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月十五日 入選 渡 英子 選) やわらかき葉をまといたる山々のおおきなあくび赤子のあくび(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月二十二日 佳作 渡 英子 選)(評)冬の季語の「山眠る」を重ねて読ませて頂いた。春の訪れに若葉が萌え出した山々が眠りから覚めてもらす大あくび。無心な赤子のあくびへの連想も楽しい春の讃歌である。菜の花に紋白蝶が触れており二歳に逝きし子が遊ぶごと(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月二十九日 入選 渡 英子 選)妻在りし日は気付かずに過ごしたりわが家の庭の蛇イチゴなど(読売新聞 読売歌壇 六月十一日 入選 小池 光 選)うぐいすとなりてわたしを慰めんと鳴いてくれるや亡き妻の来て(読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月 五日 佳作 渡 英子 選)(評)春告鳥、歌詠み鳥、なつかし鳥などの異名を持つ鶯の啼き声はのびやかに春を知らせてくれる。甘美な鶯の声がふと亡き妻の声を引き寄せる。鶯は妻の魂を運んでくれたのだろう。今宵無事夜警の仕事なし終えてまぶしみ仰ぐ朝の光を(佐佐木信綱祭短歌大会 六月 八日 静岡県歌人協会賞 )やわらかき若葉おおえる山々に吐息の如き霧のかかれり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月十二日 入選 渡 英子 選) (つづく)
2026.05.26
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5月26日(火)渡辺順三歌集「日本の地図」 発行:平成11年3月23日 発行い所:短歌新聞社 1952年(4) 第二十三回メーデー(2)外苑をなだれ出てゆく学生らすでに殺気だちワッショイ、ワッショイなり。 ・スクラムはかたく、さらにかたくひきしめられ、君らなだれゆく、人民広場へ。 ・血まみれの若い男がかつがれてゆく、かつがれて高く手を振ってゆく。 ・苦痛と怒りにゆがんだあの顔を、血に染ったあの顔を、僕はいつまでも忘れぬだろう。 (つづく)
2026.05.26
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5月26日(火) 与謝晶子の歌(367)(注)歌友である渡辺つぎさんは、平あみの成二十九年九月六日、百六歳六か月にて永眠されました。「伊豆遊草」には、伊豆におけるおける与謝野晶子の膨大な数の歌が収録されています。その中から出来る限り抜き書きしたいと思います。花のある風景――(2)『冬柏』十巻四号・昭和十四年四月昭和十四年四月九日から十二日まで、伊豆に桜見物に出かける。抛書山荘にも泊って五十首の歌を詠みました。うぐひすが復活祭の夢も見ん無名戦士の墓に啼くかな荘園の桜ばやしに長さ次ぐ十足村のとをたりの山菜の花が抛書の山の片端を占めてわりなく薫る夕ぐれ山荘のランスの鐘よ今振れば君が涙の散るここちする暁やくぬぎに桜くははりて何れも清く細き春しゅん林りん (つづく)
2026.05.26
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5月26日(火)歌集「涵養の地」(53)発行所:いりの舎著書:君山宇多子発行:二〇二五年十二月十五日作者とは、十数年前静岡県歌人協会の常任委員をともにいたしました。現在は歌人協会の副会長です。若い頃より一本筋金の入った印象がありました。作者の歌の師との師弟関係はほんとうに心温まるものがあります。彼女の師である温井松代氏の師は、大岡博氏(窪田空穂の弟子で、詩人大岡信の父)で、窪田空穂氏とは孫弟子となる人です。ですから、君山さんは空穂のひ孫弟子ということ2でしょう。そういう一本筋の通った感じが確かにありました祈り(1)刳り貫きの会津塗りなる大鉢に夏の野菜の色みづみづし素朴なるものの風格大鉢の深き朱の色暑を寄せ付けず嫁ぐ子に父の持たせし汁椀の小さき剥離はわれの歳月七万本を浚はれにける松原に自しを立たしめし一本の松魂柱なる陸前高田の一本松弦楽奏「四季」の質朴まさる (つづく)
2026.05.26
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5月26日(火)能村登四郎 俳句の楽しみ(抜粋:後藤)(275)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第六章 自作自解(17)冬(4)ひとりでに扉とがあき雪の街に出る (昭和53年作)自動ドアという言葉を使わないで、その気分が出る句を作ってみたいと思いました。削るほど紅さす板や十二月 (昭和57年作)大工さんが鉋(かんな)で板を削っています。檜なのか、その板は削るほど紅の色を増していくのは不思議でもあり美しくもありました。 (つづく)
2026.05.26
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5月26(火)昭和萬葉集(巻十四)(371)和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅴ(49)天地自然(26)鳥(5)松本常太郎春寒く折れ伏す蒲がまにひそみゐし鴨十あまり立ちて低く飛ぶ蓑部哲三玄海を越えて来たりし鴨のむれここより南にわたることなし韓国のいただき越えて吹きおろす雲の中なる郭公のこゑ杉田えい子ペリカンの口より噴ける水飲むと嘴はしにとまりて鳩はうつむく中西輝磨ペンギンの輝く胸の手ざはりを飼育係のわれは知りをり (つづく)
2026.05.26
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5月26(火)「眠れぬ夜のために」(ヒルティ)(第一部)(98) 発行所 岩波書店(1973年5月16日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)をしました。 ☆ ☆ ☆ ☆ (前日)一月十九日(3)現代の人間が、単なる哲学的思索によって、あるいは近代的自然科学と宗教を結びつける試みによって、確固たる神の信仰に到達した例をわたしは見たことがありません。ありません。確固たる信仰は、むしろ実践的要求から生じる場合がはるかに多いのです。というのは、外的幸福もそうですが、とりわけ永続的な内的満足に達する道は、実践的要求からしか見出せないでしょう。高きを求める個々の魂にとっては、深遠な理想主義とも十分一致する霊的存在に対する信仰と、さらに(人間の本性の最下等の本能によってではなく)最高の理念によって支配される世界に対する信仰とが、生きるための切実な要求です。このような信仰がなければ、自己の存在を理解することはできません。また、人生のあらゆる困難にもかかわらず、心やすらかに、生存をつづけることができないのです。そのような人びとのために、イギリスの女流詩人が次のように歌っています。いや、ためらうな――いと気高きものを求めるのは、たしかな善、あなたのただ一つの善である。あなたにはもうそれがわかった。あの崇高なみ姿が、あらゆる卑しい選択を永久にしりぞけたから。(よりつづく)一月二十日しかしあなたはおそらくこう言うでしょう――私は神とキリストを信じることができません。なぜなら私の思考がそのような無形な直観に反対するのです、と。確かに、それはその通りなのでしょう。けれでも、あなたと、そのような超感覚的思想の世界をへだてるものは、思考ではなくて、なによりもまず、それとは別の心の傾向です。思考の役目は、意志がすでに決心したものを是認するだけです。逆の場合には、われわれは思考のためらいなど、いつでものり越えて進むでしょう。だから、聖書は、罪は人間の破滅であるといっています。罪とは、神を思う心とは両立しないすべての心の傾向です。それが、あなたとあなたの幸福とをへだてているのです。まず、このことを信じなさい。そして、罪をさがしだして、とり除きなさい。そうすれば、信仰はかなり容易に、しかも全くひとりでにやって来るでしょう。(つづく)
2026.05.26
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5月26日(火)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。新生命と新事業新しい事業を何かしようとあれこれ考えるよりは、新しい生き方を求めなさいと言いたいのです。新しい事業を始めるからといって必ずしも新しい生き方、新しい生命力を得たとは言えないでしょう。しかし、新しい生き方、新しい生命力を求めて得れば必ず新しい事業が伴ってくるのです。成功の秘訣を自分の外に求めるのは誤りです、自分自身の内に求めるべきなのです。そして、自分自身の内より発生した事業は常に健全です、また常に永続します。わたしが人に新しい生き方、新しい生命力を説くのはなにも宗教のためだけでなく、みなさんが事業に成功するためでもあるのです。
2026.05.26
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5月25日(月)後藤瑞義入選歌(平成31年度)(1)石くれのごとくなりたる野ぼとけにいまだほほえむおもかげのこる(平成三十年度 NHK全国短歌大会 一月十九日 秀作 伊藤一彦 選)飾り置く子育て地蔵の風車かぜのなければ息ふきてやる(平成三十年度 NHK全国短歌大会 一月十九日 入選 )重々おもおもと頭こうべを垂るるススキの穂休耕田に稲穂はあらず(読売新聞静岡版 よみうり文芸 一月二十三日 入選 渡 英子 選)わが里に片足つけて今虹が天城の山を越えて輝く (読売新聞静岡版 よみうり文芸 一月三十日 入選 渡 英子 選)(評)虹を擬人化して「片足つけて」と表現して発想が卓抜。作者の住む下田から天城山へむかって大きな円弧を描きながら虹が架かる瞬間を捉えている。伸びやかな叙景の歌である。 一駅を乗り過ごしたる少年が寂しき夜の駅に降り立つ(読売新聞静岡版 よみうり文芸 二月 六日 入選 渡 英子 選) 工事中の電飾灯の点滅し聖夜を働く笑い声する(読売新聞静岡版 よみうり文芸 二月十三日 入選 渡 英子 選) 独り居の庭に降り立ち水仙に何か言いたき心もちする(読売新聞静岡版 よみうり文芸 二月二十日 入選 渡 英子 選)霜置ける水仙千両庭隅に朝の日差しを黙して待てり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 三月 六日 入選 渡 英子 選) 便利なるレンジエヤコン冷蔵庫にそれぞれ寿命のあればいとおし(読売新聞静岡版 よみうり文芸 三月十三日 佳作 渡 英子 選)(評)同送のハガキに「エアコンで快適生活送りいてわが感覚はにぶりゆくらし」があり、読み比べると面白い。便利さを危ぶみつつ電化製品の「寿命」をいとおしむ歌に滋味が漂う。孫たちがみな帰りゆき広々と静かになりし部屋に息吸う(読売新聞静岡版 よみうり文芸 三月二十日 入選 渡 英子 選) (つづく)
2026.05.25
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5月25日(月)渡辺順三歌集「日本の地図」 発行:平成11年3月23日 発行い所:短歌新聞社 1952年(3) 第二十三回メーデー(1)二コ四のおばさん達の元気な笑顔だ。先頭に立つむしろ旗大きくゆれて。 ・自由労働者の元気な足どり ダダッ、ダダッと、なだれ、波だち怒涛とも見ゆ。 ・蛇行する列のまんなかに彼もいて、グイとふんばる足、すぐそこに見る。 ・「ポポロ座」のプラカード高くゆれゆけば、拍手いせいに湧き、 なりやまぬ。 (つづく)
2026.05.25
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5月25日(月) 与謝晶子の歌(366)(注)歌友である渡辺つぎさんは、平あみの成二十九年九月六日、百六歳六か月にて永眠されました。「伊豆遊草」には、伊豆におけるおける与謝野晶子の膨大な数の歌が収録されています。その中から出来る限り抜き書きしたいと思います。花のある風景――(1)『冬柏』十巻四号・昭和十四年四月昭和十四年四月九日から十二日まで、伊豆に桜見物に出かける。抛書山荘にも泊って五十首の歌を詠みました。荘早く疎らになりぬあはれなり伊東の町の大島ざくら桜分け抛書の荘へ今到る寂しき身だにいのちのあれば久方の天城に近く桜咲く抛書の荘へ入りにけるかな鶯や柳にまがひ痩くぬぎ青める山のみづうみの岸山荘のさくらの端はしを起居たちゐに見星雲せいうんとあるここちこそすれ (つづく)
2026.05.25
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5月25日(月)歌集「涵養の地」(52)発行所:いりの舎著書:君山宇多子発行:二〇二五年十二月十五日作者とは、十数年前静岡県歌人協会の常任委員をともにいたしました。現在は歌人協会の副会長です。若い頃より一本筋金の入った印象がありました。作者の歌の師との師弟関係はほんとうに心温まるものがあります。彼女の師である温井松代氏の師は、大岡博氏(窪田空穂の弟子で、詩人大岡信の父)で、窪田空穂氏とは孫弟子となる人です。ですから、君山さんは空穂のひ孫弟子ということでしょう。そういう一本筋の通った感じが確かにありました。アンコール曲(2)大楢の樹幹も蔓も分けがたし荒ぶる季ときが見する共生身を傾げチェロとひとつに生れしむる楽の音色は人語となりぬウクライナ己が祖国の民謡の土のにほひは奏者の自尊戦場の祖国離さかれるチェリストがアンコール曲に選ぶ「ふるさと」独奏のチェロの「ふるさと」大切なものは優しく時を共にす (つづく)
2026.05.25
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5月25日(月)能村登四郎 俳句の楽しみ(抜粋:後藤)(274)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第六章 自作自解(16)冬(3)手をつなぎくる湖の小春波 (昭和49年作)おだやかな湖の波が横に一列になってしずかに岸によせます。その様子が人が手をつないで遊びでもしているように見えました。薄墨がひろがり寒の鯉うかぶ (昭和50年作)冬の鯉が水底に姿を深く没しています。しかし、時に浮びあがってくることがあります。薄墨の色が水の中に浮び、徐々にひろがって鯉の姿となります。それを写生しました。 (つづく)
2026.05.25
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5月25日(月) 昭和萬葉集(巻十四)(383)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅴ(48) 天地自然(25)鳥(4)加藤信夫 青田の果て霞む山々みな低く反転し白鷺また帰り来つ飯田莫哀 おのづから野性あらはにて鋭ときまなこ吾に向けたり傷つく鷺は歳々に枯死する数を増す樫も椎も枝ごとに鷺の巣をもつ 高折妙子暁暗の空渡りゆく鶴千羽啼く声々を地に降らしつつ (つづく)
2026.05.25
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5月25(月)「眠れぬ夜のために」(ヒルティ)(第一部)(97) 発行所 岩波書店(1973年5月16日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)をしました。 ☆ ☆ ☆ ☆ (前日)一月十九日(2)だが、このような見方によれば、人間を動物から区別する最も重要な点が見失われます――そのかぎりではこの仮説は多分正しいでしょう――、そして人間と動物の区別はもはや大した価値のないものとなります。この問題の岩礁に乗り上げて、いまや、実に多くの人びとの幸福が、ときには全国民の幸福さえもが難破しつつあります。この問題に全然ふれないならば、単なる教会主義的な信仰だけでは、それに対抗するいささかの助けとはならないでしょう。ダーウィン主義の思想と対決するには、生活を支配するほどの確固とした信念がなければなりません。(よりつづく)一月十九日(3)現代の人間が、単なる哲学的思索によって、あるいは近代的自然科学と宗教を結びつける試みによって、確固たる神の信仰に到達した例をわたしは見たことがありません。ありません。確固たる信仰は、むしろ実践的要求から生じる場合がはるかに多いのです。というのは、外的幸福もそうですが、とりわけ永続的な内的満足に達する道は、実践的要求からしか見出せないでしょう。高きを求める個々の魂にとっては、深遠な理想主義とも十分一致する霊的存在に対する信仰と、さらに(人間の本性の最下等の本能によってではなく)最高の理念によって支配される世界に対する信仰とが、生きるための切実な要求です。このような信仰がなければ、自己の存在を理解することはできません。また、人生のあらゆる困難にもかかわらず、心やすらかに、生存をつづけることができないのです。そのような人びとのために、イギリスの女流詩人が次のように歌っています。いや、ためらうな――いと気高きものを求めるのは、たしかな善、あなたのただ一つの善である。あなたにはもうそれがわかった。あの崇高なみ姿が、あらゆる卑しい選択を永久にしりぞけたから。(つづく)
2026.05.25
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5月25日(月)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。聖徒の交際わたしはこの地上で一人神様を愛しているのではありません。わたしは、わたしと同じような心をもった世界中の人、そう聖徒とともに神様を愛しているのです。たとえ身近におなじ心を持つ人が居ないからといって恨みごとを言ったりしてはいけません。わたしと同じ心の人は世界中にはたくさんおります。正しいキリスト信者は主のもとに一体です。その人たちの祈りは世界の方々から天の神様に向って上ってゆくのです。そして、わたしたち聖徒はたとえ世界中に散らばっていても、主の指導のもとに同じように行動しているのです。ですから、どんな境遇におかれても孤独な心を持つ必要がないのです。
2026.05.25
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5月24日(日)後藤瑞義入選歌(平成30年度)(4)自らの病のことは触れずして楽しと農事歌いたる妻(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月二十六日 入選 梅内美華子 選)俗にして俗を越えたる見事さよ美空ひばりやドストエフスキー(読売新聞 読売歌壇 十月一日 入選 小池 光 選)親として子へのパワハラあったかも若き日思うテレビを見つつ(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月十日 入選 梅内美華子 選)もう少し上だとばかり思いおり同年齢の希林さん逝く(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月二十四日 入選 梅内美華子 選)横向きに浮んでいたる竹竿が渦にもまれて立ち上りたり (読売新聞静岡版 よみうり文芸 十月三十一日 佳作 梅内美華子 選)(評)竹竿が立ちあがるほどの強風が吹いた。横向きから縦になる、それは日常が非日常に変ったような瞬間。「渦にもまれて」も上手い。大型の台風が来た日のことだろうか。台風を予感するがに沢蟹が用水路より這い上がりくる(読売新聞 読売歌壇 十一月五日 入選 小池 光 選)ふるさとの秋なつかしき穂すすきがあわだち草にまぎれずそよぐ(読売新聞 読売歌壇 十一月十三日 入選 岡野弘彦 選)コスモスはコスモスたちと群れている彼岸の花と少し離れて(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月十四日 入選 梅内美華子 選)縄文の人の通らぬ舗装路に椎の実あまた踏みしだかれる(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十一月二十八日 佳作 梅内美華子 選)隣地区は消滅したる老人会われらは名付く「みのりの会」と(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月十二日 入選 梅内美華子 選)叱ること多い親なるわれなるに施設に戻る日居たいと拝む(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月十九日 入選 梅内美華子 選)もの言わぬ自閉症児わが子にも「いらっしゃいませ」と自販機が言う(読売新聞 読売歌壇 十二月二十四日 入選 俵 万智 選) (つづく)
2026.05.24
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5月24日(日)渡辺順三歌集「日本の地図」 発行:平成11年3月23日 発行い所:短歌新聞社 1952年(2) 時事の歌 行政協定の全文よめば まざまざと、国売られゆく姿目に見ゆ。 ・屈辱の行政協定調印に、胸たかぶりて眠りがたしも。 ・わが踏みて立つは祖国の大地なり。大地よ怒れ、国売らるるを。 ・ファシズムの復活かくもあらわにて、学問を荒らす泥靴のあと。 ・徴兵制度反対を叫ぶ学生ら手錠はめられ、ひかれてゆきぬ。 (つづく)
2026.05.24
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5月24日(日) 与謝晶子の歌(365)(注)歌友である渡辺つぎさんは、平あみの成二十九年九月六日、百六歳六か月にて永眠されました。「伊豆遊草」には、伊豆におけるおける与謝野晶子の膨大な数の歌が収録されています。その中から出来る限り抜き書きしたいと思います。早潮晩潮――(12)『冬柏』十巻一号・昭和十四年一月昭和十三年十二月八日から十二日まで、多賀へ出かけました。四日から風邪をひいた晶子、温かさを求めて多賀に来たのですが、あてが外れたようでした。五十九首の歌を作りましたが、うまくいきませんでした。「甚だしく精彩を欠いた歌」になった、と書いています。それから、晶子は十五日から二十九日まで肺炎で入院します。ふつつかに竹煮草めく七八もと網代の崎の出端でばたの松はしののめや夜すがら月に洗はれし跡かとばかり白けし岬今朝もあちり北西風ならひの中にわたつみへ崩れ入るべき村と見しかど波は皆羊の歩むやうに去る多賀の入江にならひ立たねば百船がたちどを移し入海が万花鏡にも似たる一とき (つづく)
2026.05.24
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5月24日(日)歌集「涵養の地」(51)発行所:いりの舎著書:君山宇多子発行:二〇二五年十二月十五日作者とは、十数年前静岡県歌人協会の常任委員をともにいたしました。現在は歌人協会の副会長です。若い頃より一本筋金の入った印象がありました。作者の歌の師との師弟関係はほんとうに心温まるものがあります。彼女の師である温井松代氏の師は、大岡博氏(窪田空穂の弟子で、詩人大岡信の父)で、窪田空穂氏とは孫弟子となる人です。ですから、君山さんは空穂のひ孫弟子ということでしょう。そういう一本筋の通った感じが確かにありました。アンコール曲(1)弔問の人らに母は伝はらむわれら三人の選ぶ一葉入学の集合写真に写れるは奉安殿らしわれら知るなく奉安殿墨塗る教科書教員の母は自責を秘めて逝きけむおのおののはた共にする思ひ出か兄妹三人は母の教へ子風にのる雪は吹つかけ愛鷹山あしたかの暗ぐらとしてゆきの降るらし (つづく)
2026.05.24
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5月24日(日)能村登四郎 俳句の楽しみ(抜粋:後藤)(273)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第六章 自作自解(15)冬(2) 板前は教へ子なりし一の酉 (昭和45年作)一の酉の帰り、浅草の鮨屋に寄りますと、景気の良い声をかけた若い板前が中学の時の教え子でした。卒業後、消息を絶っていましたが、板前になっていたのです。元気で生き生きと働いている姿がうれしいものでした。一月の音にはたらく青箒 (昭和46年作)新年に新しい箒を買いました。一月は畳も替えて青畳になっています。青畳と青箒の触れあう音は、新春にふさわしいものです。そこから新しいものが湧いてくるようです。 (つづく)
2026.05.24
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5月24日(日)昭和萬葉集(巻十四)(381)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)V(47)天地自然(24)鳥(3)菅野昭彦石だたみにむらがる鳩ら群がりしままにてややに位置変へてゆく大和勇三割箸わりばしにビニール菅くだもよせあつめあはれ都会の鳩の巣づくり牛田留治水浴みづあびし翅をつくろふ鳥見れば人より清くひたむきに見ゆ井上健太郎日の光しづまれるとき鷺ひとつ白燦然と水をはなれたり (つづく)
2026.05.24
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5月24(日)「眠れぬ夜のために」(ヒルティ)(第一部)(96) 発行所 岩波書店(1973年5月16日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)をしました。 ☆ ☆ ☆ ☆ (前日)一月十九日(1)自然的素質や生の目的の点で、人間は動物と同じではないかの考え方があります。しかし、それをあなたの確信としてはいけません。むしろ、このような近代的な見解に対しては、全力で抵抗をしなさい。なんといいましても、そのような考え方はせいぜい仮説にすぎません。しかもその仮説の証明はまだされていません。そして、今後も永久になされないでしょう。(よりつづく)一月十九日(2)だが、このような見方によれば、人間を動物から区別する最も重要な点が見失われます――そのかぎりではこの仮説は多分正しいでしょう――、そして人間と動物の区別はもはや大した価値のないものとなります。この問題の岩礁に乗り上げて、いまや、実に多くの人びとの幸福が、ときには全国民の幸福さえもが難破しつつあります。この問題に全然ふれないならば、単なる教会主義的な信仰だけでは、それに対抗するいささかの助けとはならないでしょう。ダーウィン主義の思想と対決するには、生活を支配するほどの確固とした信念がなければなりません。(つづく)
2026.05.24
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5月24日(日)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。社会主義とキリストの教え社会主義というのは結局は肉の問題、物質の問題です。それに対してキリストの教えは霊の問題、精神、霊魂の問題です。社会主義は地上での問題を議論し、キリストの教えは天上での、永久の幸せについて問題にしているのです。われわれが空腹に苦しむとき食べ物を下さいと訴えるのが社会主義です。「鹿が渓水(たにみず)を慕い喘(あえぐ)ごとくわが霊魂は主の神を慕い喘ぐなり」(詩篇四十二篇一節)、これがキリストの教えです。社会主義とキリストの教えとは天地雲泥の差があります。いかなるときも、決してこの二つのことを混同しないよう十分注意をしなさい。
2026.05.24
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5月23日(土)昭和萬葉集(巻十四)(381)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)V(46)天地自然(23)鳥(2)中山礼治砂州の嘴はしゑぐれる下にゐる鴉をりをり風に片翼を揚ぐ風の中に揚がれる鴉翼はね折りて相搏あひうつごとき形をぞする北浦 宏白泡の寄する渚に鳥らは吾と距離保もち歩みつつをり 武藤善友十じふ夜会やゑのすぎてやすらぐ小春日こはるびに屋根に鴉が烏賊いかおとしゆく 高見楢吉明暗あけぐれの街の中にて啼く鴉ながく病みつつ吾は知りおり (つづく)
2026.05.24
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5月23日(土)後藤瑞義入選歌(平成30年度)(3)わが体作れるあまたの水たちよ水田のごと天を映せよ (読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月二十七日 入選 梅内美華子 選)自販機にのどのあたりをふるわせてぴったりカエルが貼りついている(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月十一日 入選 梅内美華子 選)極楽はかくのごとしかゆりの花山一面に色とりどりに(読売新聞静岡版 よみうり文芸 七月二十五日 入選 梅内美華子 選)透析の妻のノートに遺りおり心細さを訴える歌(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月一日 入選 梅内美華子 選)マチス作「夢」の女性は妻に似てアンモナイトのように眠れり(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月八日 入選 梅内美華子 選)機関銃の重さのごとき草刈機持ちて夏草薙ぎ倒しゆく(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月二十二日 入選 梅内美華子 選)舗装路の上に止れる揚羽蝶足踏みすれど動くともなし(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月二十九日 入選 梅内美華子 選)五百円硬貨握りて自販機へ釣銭の音好むこの子は(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月五日 秀逸 梅内美華子 選)(評)大人が忘れた楽しみ方を子供は持っている。五百円硬貨を入れて買った後の釣り銭が落ちる音。それを面白がる無邪気さに、あらためて気づく作者。壊れたる農作業小屋カタカタと屋根のトタンがめくれ鳴りいる(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月十二日 入選 梅内美華子 選)速ければいいのだろうか怪物と化したる新幹線の風圧(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月十九日 秀逸 梅内美華子 選)(評)技術が進歩し利便性を追っている。その裏には危険や不安があることを気づかせる歌である。作者の率直な疑問は「風圧」を「怪物」と感受し怖れている。 (つづく)
2026.05.23
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5月23日(土)渡辺順三歌集「日本の地図」 発行:平成11年3月23日 発行所:短歌新聞社 1952年(1)故郷の町(一月十八日)日本海の怒涛すさまじく耳にひびけど、ここらあたりはまだ夜が明けぬ。 ・ほんのりとあかるんできた、車窓にみる、日本海の荒れてさわぐ波。 ・汽車の窓からようやく見えてきた故郷の海、朝鮮からじかに寄せてくる日本海の暗い海。 ・日本海のしぶきにぬれて建つ家のどれもこれも小さく、 屋根の石おもい。 (つづく)
2026.05.23
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5月23日(土) 与謝晶子の歌(364)(注)歌友である渡辺つぎさんは、平あみの成二十九年九月六日、百六歳六か月にて永眠されました。「伊豆遊草」には、伊豆におけるおける与謝野晶子の膨大な数の歌が収録されています。その中から出来る限り抜き書きしたいと思います。早潮晩潮――(11)『冬柏』十巻一号・昭和十四年一月昭和十三年十二月八日から十二日まで、多賀へ出かけました。四日から風邪をひいた晶子、温かさを求めて多賀に来たのですが、あてが外れたようでした。五十九首の歌を作りましたが、うまくいきませんでした。「甚だしく精彩を欠いた歌」になった、と書いています。それから、晶子は十五日から二十九日まで肺炎で入院します。目に見るは山路つはの葉型の朝の海潮鳴りわたれ同じものよりめざましく海に浮びし月光の姿す今朝の磯のけぶりも煙皆山伏越えの裏山に背きて海へ靡き行くかな異りて似ぬにもあらず入海の岬の列と曳船の列 (つづく)
2026.05.23
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5月23日(土)歌集「涵養の地」(45)発行所:いりの舎著書:君山宇多子発行:二〇二五年十二月十五日作者とは、十数年前静岡県歌人協会の常任委員をともにいたしました。現在は歌人協会の副会長です。若い頃より一本筋金の入った印象がありました。作者の歌の師との師弟関係はほんとうに心温まるものがあります。彼女の師である温井松代氏の師は、大岡博氏(窪田空穂の弟子で、詩人大岡信の父)で、窪田空穂氏とは孫弟子となる人です。ですから、君山さんは空穂のひ孫弟子ということでしょう。そういう一本筋の通った感じが確かにありました花ことば(2)ひたむきといふ花ことば山茶花のはな無尽なる父の亡き庭けふ在りて零すはなびら山茶花の根元に朝のひかりが届く咲く花と散るはなの量等しきを識らしめ地つちに紅こう夥しおもむろに脳細胞溶くる感覚を父は言ひけり自しのあるままを試さるるならず試さむ認知力検査の朝を霜の真白し (つづく)
2026.05.23
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5月23日(土)能村登四郎 俳句の5楽しみ(抜粋:後藤)(272)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第六章 自作自解(14)冬(1)凩の中一途ゆく鳥とならめ (昭和41年作)冬の大空を高く吹き過ぎていく風。凩の激しい風の中を、翼をならしながら一生懸命飛んでいく鳥がおります。あのように一途のこころをもちたいと思って詠んだ句です。冬耕の人帰るべき一戸見ゆ (昭和43年作)冬の荒れた土を農民が一人耕しています。耕すのに骨が折れるらしく、はかどりません。見渡してみても誰一人他に耕している人の姿が見えません。孤独な作業しているこの人が帰る家なのか、森陰にちいさな一戸が見えました。 (つづく)
2026.05.23
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5月23(土)「眠れぬ夜のために」(ヒルティ)(第一部)(95) 発行所 岩波書店(1973年5月16日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)をしました。 ☆ ☆ ☆ ☆ (前日)一月十八日悪い読書は、よくない交際よりも危険です。なぜなら、現実の人間は、空想の産物にあるように、純粋な全く誤りの塊なのに、うわべだけ美しい姿をしているということは、決してありません。そのうえ、だれでも悪人からは自然に離れ、用心するからです。ところが書物や娯楽雑誌や演劇などになると、どんな種類のものが上品な婦人や子供たちの視野に入ってくるか、ほとんど思いも及びません。一冊の書物が人の一生に不幸を(もちろん幸福をも)招きよせることさえ珍しくありません。(よりつづく)一月十九日(1)自然的素質や生の目的の点で、人間は動物と同じではないかの考え方があります。しかし、それをあなたの確信としてはいけません。むしろ、このような近代的な見解に対しては、全力で抵抗をしなさい。なんといいましても、そのような考え方はせいぜい仮説にすぎません。しかもその仮説の証明はまだされていません。そして、今後も永久になされないでしょう。(つづく)
2026.05.23
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5月23日(土)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。新しき伝道農夫が農業をやめないで農夫のままで伝道する、商人が商売をやめないで商人のままで伝道をする、医師が肉体をなおしながら霊魂も救ってゆく、官吏はその職に留まって大胆にキリストの教えを表白する。神学者になる必要はありません、現在の職のままで立派な伝道者になれるのです。これからやってくる二十世紀の時代は、まさにそういう新しい伝道が必要とされるでしょう。
2026.05.23
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5月22日(金)後藤瑞義入選歌(平成30年度)(2)躓くは先を見るため足元を見つめて歩く一歩また一歩(読売新聞静岡版 よみうり文芸 三 月二十八日 入選 梅内美華子 選)北陸の友より受けし福寿草伊豆のわが家にその数を増す (読売新聞静岡版 よみうり文芸 四 月 四日 入選 梅内美華子 選)芸終えるつど餌をやる調教師イルカの口もさりげなく開く(読売新聞静岡版 よみうり文芸 四 月十八日 佳作 梅内美華子 選) (評)イルカショーでは芸の合間にイルカの口に何かを与えている。ごほうびをもらうことが芸のモチベーションになるだろう。「さりげなく開く」口にイルカの賢さを見ている作者。話し掛けてくれたる妻の亡くなれば水仙なども寂しかるらん (読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月二日 秀逸 梅内美華子 選)(評)妻が先に旅立った悲しみと喪失感は日常のいろいろな場面でわいてくることだろう。早春の水仙の花を見ても思い出すのだ。花に「話し掛けて」いた妻。水仙に呼びかけるのは自身の寂しさである。妻愛でし木蓮の花咲き始む空に向いて見てというがに(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月十六日 入選 梅内美華子 選)倒れ伏す子象を鼻でなでながら叫び声上ぐ死を知るごとく (読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月二十三日 佳作 梅内美華子 選)一子の死一子の知的障害を嘆くことなく亡くなりし妻(明治神宮春の大祭短歌大会 五月六日 佳作 岡野弘彦 選)石のせてベンチに帽子置かれおり忘れたる人見つけたる人(読売新聞静岡版 よみうり文芸 五月三十日 佳作 梅内美華子 選)(評)忘れ物の帽子、それが風にとばされないように石がのせてある。気づかう人の存在が見えて、作者は感心したのだ。ベンチに生まれた小さな物語。着目した歓声から歌が生まれた。 やわらかき葉におおわれる山々よわれも今日から始めんとする(読売新聞静岡版 よみうり文芸 六月十三日 入選 梅内美華子 選)喜びを上手く伝えること出来ず自閉児わが子が強くつねれる(NHK伊香保短歌大会 六月十一日 特選 黒木三千代選 佳作 林田恒浩 選) (評)言語に問題があるお子さんが、「つねる」ことでお母さんに気持ちを伝えようとしています。「強く」つねるのは「喜び」が大きいのでしょう。子の母への信頼、母の子への深い理解が読者にも伝わってきます。(つづく)
2026.05.22
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