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2014.3.8小学生の頃、雑種の犬を飼っていた私は「夜泣き」することはよく分かっている。ジュンも私も1日だけの忍耐と夜泣き。さて、ペット可のマンションでの初日は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・帰途してから何をどうしたのかはよく覚えていない。カリカリご飯をお湯でふやかし与えたはずである。ケージ内にはトイレ用のプラトレイにペットシーツを敷き、ベッド代わりのブランケットも横に置いたと思う。今夜はジュンの夜泣きで寝不足になるだろう。ボチボチ寝る時間。ジュンをケージに入れると外に出たがり、ピョンピョン跳び上がる。80cm近い高さがあるのだが、ひょっとすると飛び越えるかも知れない。ジュンは居間のケージに、私は寝室へ。・・・すぐに悲しそうに泣きはじめる。私はといえば、母犬・兄弟犬と引き離した後ろめたさが襲ってくる。甲高い鳴き声で近隣からクレームが来るのも不本意である。小学生の頃の「コロ」は夜通し泣き通した。 翌日は隣家のおばさんから嫌みを言われた記憶がある。えーい! 抱き上げて寝室に連れてくる。私はベッドに横になる。ジュンは簡単にベッドに跳び乗る。猫ではないが、布団の中に抱き入れた。背中を向けて眠り始めたら、ジュンは私の背中に体を寄せて寝入る。親兄弟から引き離され、ぬくもりを求めて体を寄せる。せめてもの私の罪滅ぼし。その日から13年のジュンとの生活が始まった。このペット可のマンション占有部はジュンの犬小屋となった。なにせ、私がいる時間よりジュンが留守居する時間の方が長いのだから。20150225記
2015.02.27
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まだジュンはそばにいるような気がする。独りで部屋にいた方が平静である。人と話をすると思わず嗚咽し、言葉が出ない。孤独感はむしろ3年前のジュンの大手術で10日ぐらい入院したときの方が大きい。昼過ぎ、ジュンを乗せてペットセレモに向かう。職員の方にあらためて説明を受け、祭壇の前で焼香。火葬の間、写真が飾られた多くの納骨棚を見学し、遺族が残したノート(子供達のメモ・画が圧倒的)を見たり・・・変わり果てたジュンの遺骨を骨壺に納め、またお守りにと求めた骨ペンダントに残った歯や小さな骨を納めた。動物病院へ死んだ旨とお礼の電話を入れ、鈴木さん宅に向かう。ジュンの先輩、ドンちゃんが出迎えてくれる。当年16歳。「ドン」という名の由来は飼い主のお母さんがクリスチャンだから。白内障と耳が遠くなっている。が、元気。「骨壺は?」と言われ、運び込んで線香をあげていただいた。横は私が言い出して、初めて野島に潮干狩りしたときの写真。ジュンが鈴木さんの前に陣取っている。鈴木夫人は今日は勤務で不在。それでも私の事を気遣っていただいていることはひたすら感謝。2時間ほど滞在してジュンと一緒に帰宅した。
2015.02.25
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眠れない。もう20年近くになるが、母の葬儀の時は伯父たちはお棺の周りに横たわり夜を明かした。(実家で葬儀をした。)ジュンは私のそばで眠っている。おきてくれれば・・・ウイスキーのお湯割りは10杯目。眠れないので、ジュンという宝を得るまでのいきさつを昨日の続きでUPします。20150225・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私は、それなら私が断ってやるから連絡先を教えて・・・ブリーダー:1日だけ待って。で、私のジュンの略奪婚は始まった。・・・・・・・・・・・・・・・・先にジュンを見つけた大阪の愛犬家。航空便で送ってほしい。ペット取引のホームページでは航空便での送致はよく見かけた。しかし、ジュンのブリーダーは航空便での送りつけには抵抗感があったようだ。翌日「そちらに譲り渡します」との連絡をいただいた。メールではネット上とは別の写真も送付してくれた。2001年4月頃だったと思う。引き取りはゴールデンウィークにしたいと、前受金を振り込んだ。3ヶ月くらいは親犬と一緒にいてほしい。(できれば、しつけもね)大きめのケージ、ペットシーツとそのトレイを買い込む。いよいよ引き取りに向かう日、NGSさんに同行を依頼した。横浜から埼玉・比企郡までは随分時間がかかった。ブリーダーさんは豪邸。ジュンとその親犬・兄弟犬(雄1)は人懐っこく大歓迎で出迎えてくれた。しばらく四方山話。ブリーダーさんは同年配かちょっと上。自動車部品会社の営業部長をしていたが、リストラで退社した。ワクチン注射はできるが、資格がないので違法だしと尻込みするが無理強いしてお願いした。同行していただいたNGSさんは機転を利かして「母犬の臭いのついているタオルか何かがあったらいただけませんか」と依頼してくれたが洗濯してしまった後。ご飯はサイエンスダイエット。カリカリご飯は水かお湯で軟らかくして与えて下さいと数日分をいただいた。後部席に座るNGSさんにジュンを預け、さあ横浜へ。高速に乗り帰途を急ぐ。「ワー!」・・・・テッシュ、ティッシュとNGSさんが騒ぐ。車酔いでジュンが嘔吐する。ブリーダーが別れを惜しんで餌を与えすぎたんではという。今思えばその場でワクチン注射を依頼したのが原因だったのかも知れない。結果、ボックスティッシュはすべて使い切り何とか帰り着いた。小学生の頃、雑種の犬を飼っていた私は「夜泣き」することはよく分かっている。ジュンも私も1日だけの忍耐と夜泣き。さて、ペット可のマンションでの初日は・・・続く。2012.11.17 横須賀・立石公園駐車場にて
2015.02.24
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20150224愛犬ジュンはとうとう逝ってしまいました。1年ほど横着し、ブログを更新しませんでしたが、閲覧、コメントをいただきました皆様に篤くお礼申し上げます。ジュンは2001年2月生まれ。ちょうど14年の短い命でした。ジュンに向けて数え切れないほどシャッターを切り、選別してこのブログにアップしてきましたが、写真ファイルはすべて残し2台のPCに残してあります。膨大な写真を探しながら、ジュンとの思い出を綴り自らを慰めていこうと思います。<ジュンとの出会い>ジュンを略奪?ペット可のマンションを購入し、飼おうと思っていたが、釣り仲間他、知人全員に反対された。理由は・・・犬が可哀想。独り者ゆえ、平日日中は孤独に留守番を余儀なくされる。そんな中、ある知人から「ペット可なら、しばらくトイプードルを預かってくれないか」と依頼された。16歳だが加齢臭がきつかった。飼い主には羨ましいほどなついて(当然)いたが、私が帰宅してもお迎えはなし。何度か預かっているうち、自信が出てきた。釣り仲間のSZK氏がパピヨンを飼っていて、いっぺんに気に入りペットショップで探そうと考え始めた。そんな折、NGS氏のアドバイス。「犬を飼うということは、お見合い結婚と同じで10数年つきあうのだから、ブリーダーで親を見て選んだ方が良い」4-5ヶ月くらいネットで探しまくった。雄はいくらでも出てくるが、私は雌にしたかった。理由:人も犬も雌のほうが「孤独」への耐性が強いはずだ。預かったトイプードルも雌だった。ようやく見つけて申し込んだら、「自宅に残す」という。ブリーダーとは言っても、同じ犬種を飼っている仲間内で子犬を産ませている人たちも多いようだ。やっとこさ見つけて申し込んだら、すんでの差で大阪の愛犬家が先を越していた。ブリーダーは埼玉県比企郡の方。電話で話をしたら、大阪の人は航空便で送致を希望しているとのこと。ブリーダーは犬を荷物で送るのは・・・と戸惑い気味。私は、それなら私が断ってやるから連絡先を教えて・・・ブリーダー:1日だけ待って。で、私のジュンの略奪婚は始まった。以下、長いので次回。2014.2.2
2015.02.24
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2月6日、BSフジの「プライムニュース」:「日中韓”悪化”と 経済もつれた糸を読み解く」を見ていた。経済面から俯瞰した3国、世界情勢を議論。宋氏をはじめ米韓の識者が登場。中国出身の経済人、宋文洲氏は好感が持て、彼が現役の頃から注視し日本で創業した企業を引退後も、そのメルマガを購読依頼し様々な観点を教授いただいている。その彼が、「アジアは中華圏になっている。【(大陸)中国】としてみてばかりでは過つ」という意味のことを言った。同感である。私は私なりに中国の動きを、毎日マスコミ・中韓の新聞の日本語版から注視している。東南アジア、米国、アフリカ・・・中国人は世界に「華僑」として経済分野を牛耳っているようだ。欧米経済をユダヤ人が牛耳っているように。ユダヤ人と異なるのは、その「生殖力」。彼らのスタミナにはかなわない。現実に春に、私が野島にアサリ取りに出かけても、中国人は集団で牡蛎をあっという間に取りつくしていく。そのスタミナが、現大陸中国のみならず、東南アジアの「経済」を押さえている。(政治面は苦手!?どうでもいい?)安倍首相の「戦略」の詳細はうかがい知るべくもないが、中国3千年の「民度の進歩が見られない歴史」に対抗すべく、「日本のおもいやる文化」でプラス面での競争をすべきであろう。
2014.02.06
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2014.01.26
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2014.1.19 千葉・州崎からの富士【19日は釣りクラブの例会】・・アマダイ今シーズンは久里浜・久比里の船宿で50cm級が連日揚がっている。しかし、釣りクラブも高齢化で、近場・柴漁港の三喜丸さんから仕立てでアマダイ釣りに。6時半集合だが、私は6時前に一番で到着。船主は「風が強いので、アジでも釣って収まりかけたらアマダイポイントへ行ったら」といい、コーヒーを入れてくれる。しかしアジ仕掛けやビシは皆、持参していない。中止か!?否、強行と相成る。 参加者は11名。横浜・金沢から釣りポイントの千葉寄り・洲崎までは1時間強。相変わらずうねりがひどい。ポイントに着いても強風は止まず、3本仕掛けはひとりで踊り、お祭りに。仕方なく中針を外す。それにしても寒い!一投目は外道のヒラメの園児とトラちゃん。赤イサキ、カナガシラ・・・底釣りなのでいろんなゲストがくる。船中最初に揚げたのは右舷おおとものNTさん。45cm。2番目は左舷みよしの・・・・・ワ・タ・シ。39cm。寒くてトイレに立った隙に船長から「きてるよ!」と、マイクで煽られた。 その後は、右舷のNKMさん。・・・船中3匹のみで、午前で早上がり。アマダイは真鯛より好まれるという京都出身のTKMさんに呈上。私は外道と、船宿からのお土産・・小あじ・グチをいただいて初釣りを終えた。【18日は古巣のOB会:1Q会】例会釣行の前日は、古巣のOB会が品川・大崎で催され4年ぶりに出席した。会場に行く前に、売却されてしまった会社の跡地に建つ高層マンションを見て思いを馳せる。参加者は32名。営業関係だった者が多い。他部門で顔の見覚えはあるが、名前の出てこない方も数名。皆、年をとった。しかしカラ元気ではなく本当に元気である。終盤、個々人の近況報告に入ったが、私のテーブルまで回らないうちに時間切れ。2時間ではなー。延長は後の予約が入っているとのことでホテルからは断られた。年寄りの話は長いので、3時間の確保が必要だろう。(参加常連が多いのか、皆数分で話を纏めていたが。)ちなみに一昨年に新宿で開催した山岳部のOB会は、私が持ち回りだったため、3時間を確保した。会社のOB会幹事にはこの3時間コースの企画は嫌味に受け取られたくないので沈黙。さて、終了後エレベータではO常務と同乗。御年88歳の米寿。松葉杖を突かれ、足はあまり上がらない。誰も一緒にならない。時間もあるので私は逆方向だがエスコート。昔語りをしながら山手線・新宿駅までお送りし、同じホームの向かい側、総武線でお見送りした。20代のころ。遅刻魔だった私はこの新宿で、「運悪く」同じ車両に乗り合わせた私を一瞥後、腕時計を見た常務。バツの悪さが昨日のことのよう。
2014.01.20
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【横浜市金沢区 夕照橋と野島】「お・も・て・な・し」という言葉がオリンピック招致で、キャッチフレーズに使われその概念、対人への仕草が見直された。必ずしも日本だけでの概念ではないと思うが、その他「もったいない」とか、(食事時に命を)「いただきます」という言葉があらためて重みを持って注目されているように感じる。シンボルとしての言葉に代表される概念はその国・民族の「文化・文明」であり、明治期に西欧の概念を翻訳した言葉は「経世済民=経済」をはじめとして、日本が中国などに漢字として伝授貢献したものとして誇ってもいいのではないのかしら。(中国はなにかというと後進国だった日本に文化を教えたと、上から目線でいうが、・・・)さて、日本人の多くは無宗教と言うが、信仰宗教をもつ国の人からはそんなことを言うと「どうやって道徳規範を身につけるのか」とビックリ、あきれかえるらしい。もっとも神道や仏教の影響が日々の生活の中に浸みているので無宗教とはいえないと思うが。「いただきます」は、植物・動物の命をいただきますという感謝・畏れの気持ちを表す言葉だそうだ。日本では仏教の影響で極めて長い間、家畜-牛・豚などは食べなかったが、今では○○牛だの黒豚だの「命をいただきます」と感謝の気持ちを抱いて食べる人はどのくらいいるのだろうか。「豚がいた教室」は学校で豚を飼育し、最後にその豚を食べようという無宗教の日本人ではムリなことをテーマにした傑作だった。家畜とはいえ、豚も愛犬のように人になつく。これを食べるとは!動物の命をいただく。ヒントは最近見たイスラム教を紹介する番組。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教もその聖地が重なっていることは知っていたが、ルーツも3宗教とも旧約聖書にあるみたい。アブラハムが神の命令でその息子を生け贄に差し出す話は有名だが、その寸前で神の信用を得て、代わりに羊を捧げたというお話。これが肉食文化を持つ人たちの「いただきます」という畏れの気持ち・概念のルーツだろう。それにしてもイスラム教ではなぜ豚の摂食が禁じられているのだろう。アルコール類もだめ。・・・・私には耐えられない。【昨年2013.1.1のジュン】
2014.01.14
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【横浜市・金沢区・関ヶ谷】この数年、映画はビデオ録画で見るのみ。 否、どうしても見たい映画はDMMで送りつけていただき、郵便ポストに返却する。今更、英会話のヒアリングレッスンをするつもりはなく、字幕と音声に気が奪われる。感動した名句に遇うと、字幕翻訳者に感謝する。今日の感動した字幕。「彼女は気難しかったが、心はいつも開かれていた。」映画:ママの愛したラブソングジョントラボルタ、スカーレット・ヨハンソンJUN 2014.1.13
2014.01.13
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ブログの更新やいただいたコメントへの返信を怠っていると、気後れして更新がさらにしにくくなってしまう。それでも記録に残しておきたいことがあると、UPしたくなる。で、「鯵三昧」について。沖釣りを本格的に始めたのは地元の「横浜好釣会」に入会してから。会初めての釣行は夜メバル。こんなに釣れるものかと面白かった。鯵釣りは「鴨下丸」当時は手巻きであんどんビシは130号。棚(水深)は100m位。ポイント移動で巻き上げるときは、他のメンバーの多くは電動のため私はつねに焦り狂って遅れないよう努めた。その後、電動リールとロッドホルダーを買い求めたのは当然である。大鯵狙いで走水の船宿に出かけたときのビシは150号。ところがこの数年はライトタックル鯵が流行っている。ビシは30-40号。浅場(30-40m)なので豆鯵かと思いきやそこそこの良形があたる。春に地元の米元丸に出かけた。釣り客は5名。私以外は皆、電動を持ち込んでいる。ライトタックルじゃないじゃん!釣果は思わしくなかった。この9月、再び三喜丸で挑戦。釣果情報では竿頭は100匹以上。当日の私の釣果は72。釣りも忙しかったが、お裾分けに知り合いのお宅を回るのも忙しかった。豆あじも3割くらいで、捌くのがめんどうだが、寿司ネタにはちょうどいいのでは・・と気がついたがあとの祭り。刺身や開きにしてしまっていた。好調なうちに再度チャレンジしようと、また三喜丸へ。今回は形は良かったが(大鯵混じり)、数は32匹。外道は「とろ鯖」、小さな「カサゴ」、「ニベ」。前回不在だったお宅にお裾分け。帰宅後、鯵寿司に挑戦。酢飯はうまくできた。ただ・・・・・シャリの握りが「俵おむすび」状態。3日にかけて食べ終えた。我ながら味はまあまあだった。捌いたあとの中骨に残った身はスプーンでこそいで「なめろう」に。 鯖はこれも初めて「しめさば」に挑戦。冷凍保存が利くようである。 酢には身が白くならないよう15分くらい漬ける。中鯵は干物にして保存。大鯵は刺身。3日目に食べたが、お腹の部位がまだこりこりして一番美味い。鯵釣り。・・・・また行きたい。ジュンは歳をとったものの、相変わらず人懐っこい。
2013.09.22
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梅雨のシーズンの天気予報はあてにならない。29日(土)も予報では雨模様だったが、打ってかわって晴天。日中はジュンと釜利谷散歩。暑くて最後の1時間は抱っこ。(路面熱し)午後3時頃、この天気なら船宿は満席か!釣りクラブのMRIさんと夜メバルの約束をしていた。で、4時頃の送迎を30分ほど繰り上げ、米元丸に向かった。一番乗りでオオトモに釣り座を確保。5時半出船。昨年は1度だけ出かけて、良形のカサゴ&メバルで大満足した。今年は?釣り客が集まり、私の隣は・・・昨年も隣り合わせになった女性が!(今年も3回目だそうな)良形をあげる。このところ体調を崩し、釣果が思わしくないMRIさんにも。写真はカメラが勝手に感度を上げるため明るいが、すでに薄暗い。私は不調。しかし、良形に恵まれイッカだったり、いい引きを楽しめた。翌日は兄宅へクール便で送り、その足で観音崎公園へ木陰散歩に。この月末は恵まれた。
2013.06.30
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6月1日土曜日。3年ぶりの「すみなすフェスタ」・・・の準備。この2年このフェスタには、ボラグループ「助さん」からのお呼びがかからなかった。1日は設定準備なので、ジュンを連れて「すみなす」に向かう。途中、好きな花色-ブルーのアジサイが。初日1日はテントやら、提灯・幟の設営。以下の画は、2日開催日の入口に構えるフリーマーケット出展者の風景。6月2日(日)10時半、職員・ボランティア全員集合で責任者の挨拶。今年の私の受け持ちは、「焼き鳥」。 以下は開場前の準備風景。用意された焼き鳥は500本。生焼けを避けるため厨房で解凍し、キツネ色がつくまであぶるように焼く。11時開場で、来場者が列をなし、休む暇なく立ちっぱなしで焼き、1時間強で完売してしまった。竹串が焦げ、油受けに落ちてしまった焼き鳥は私が買い取り、向かいの飲料コーナーでビールでも買って昼食代わりと思っていたら、「それでいいから」と買い手がついてしまった。・・・・トホホ。次回は800-1000本位仕入れが必要か!?開場時間は2時頃まで・・・他のコーナーの見学に回る。すみなす会建屋の壁に気に入った絵が張ってあったので撮影。さをり織りの体験コーナーも面白かった。小学生が体験していたので、ジジーの私は遠慮。(写真に写っているのは講師です。 小学生は右端)3年前参加したときに、職員に提案していた「魚釣り」。職員の企画力はすばらしい。 袋に書かれた魚だが、その中にはお土産。充実した2日間。翌日の開催日は「食べもの=焼き鳥」を扱うためジュンは留守番。帰宅後、ジュンといつもの90分コース。散歩後、レンタルビデオのDMMに申し込んでいたDVDが届いていた。「犬と猫と人間と」これを知ったのは、ネットでこの2作目「犬と猫と人間と2」のロードショー案内。いつもコメントを下さる、「あきてもさん」にも是非見ていただきたい。愛犬、愛猫をすてる人でなしを憎み、里親募集のボランティア活動で人の悲しみを和らげようと努力するこれまた「人」。ペットを手放さざるを得ない「人」の事情。両者の言い分を考えると、自分の無知・無能を思い知る。書きたいことが山ほどある。如何に人に理解される「表現力」を養うか。人とペット・動物たち、さらに誤解し合う人間間への「理解力」を如何に養うか。婆娑羅さんのブログを真似て、私の個人的テーマ:ブログアップデートは時期がずれても続く。「人のお知恵」も盗むことも、世渡りの工夫・・・かな。
2013.06.02
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今日はこのブログタイトルのルーツ、神武寺へ。鎌倉に近いこの神武寺を、私はしばらく「神護寺」と間違えていた。神護寺は源頼朝の肖像画で有名。その凜々しい風貌が気に入っていたが近年その画は頼朝像ではないとの新説が出ているらしい。逗子方面への道すがら、横須賀・鷹取山や神武寺駅への案内板。ジュンは草を食む。 これが本当の道草。神武寺に向かう山道の途中にはホーム「せせらぎ」があり、季節柄、鯉のぼりがまだ掲揚されていた。その庭に置かれた「布袋尊」はなに?道が細くなり、本格的な山道、参道。ほどなく、神武寺の境内。なんじゃもんじゃの樹がそそり立つ。神武寺の縁起は鎌倉時代より古く、奈良時代 聖武天皇の命で行基が薬師如来を奉ったとある。 で、正式名は医王山神武寺。Uターンはつまらないので、JR東逗子駅方面へ降りる。こちら側の方が山道は広く、整備も行き届いている。車道に出てからしばらく京急田浦駅方面へ歩く。「五霊神社」初めて立ち寄り、ジュンは水、私はメロン水。夏を感じる。この神社には大銀杏が。五霊神社を後にして、ひたすら田浦駅を目指す。駅近くの山の斜面につくられたのだろう集合住宅。なんとなく中東か地中海の雰囲気を思わせる。私は若い頃ならいざ知らず、日当たりは良好だろうが、こんな斜面の住宅に住む気にはならない。ケーブルカーでも設置してあれば最高だが。5月なのに夏のように暑い。田浦駅に着いたら、ジュンは改札にむかう。徒歩で走破する予定だったが、私も汗びっしょり。一駅だけずるをして帰途についた。
2013.05.26
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今日の干潮時間は11時頃。アサリ取りには最高の日。夕照橋たもとの駐車場は8時頃には管理人さんが来るだろう。8時過ぎに出ればいいか。ところが、ジュンがせかす。 7時半頃出発。・・・ 朝ドラのジェジェジェ!駐車場はほとんど満車。 なんとか停めることはできたが。潮が引くまで野島の展望台へ散歩。今朝は曇りで、写真うつりは良くない。(私の技量不足もあるが。)晴天なら待機させるジュンのため、日傘を置こうかと思っていたが必要なし。小さなアサリはいっぱいいるが、納得のいく粒がなかなか獲れない。地場のなれたおばさんが、「とれましたか?」と。見せていただくと、ハマグリかいなという大きなアサリを私の5倍ぐらいの量を獲っていた。(*写真には出ていないが、これと同じぐらいの量のアサリがもう一袋)「小さい方がおいしいわよ。」とプライドを傷つけられた。この婦人は佃煮をつくるそうな。・・・ うらやましい。私のあさりはというと・・・お裾分けにとボランティアのMRさんにメール。すぐの返信には、「昨年、貝のノロに罹り医者からの指導で、我が家の食卓から貝類は消えました。」との残念な回答。で、釣りクラブのMRさん、SZKさん宅へ。陸で待機させられるジュンの表情はいつも渋い。
2013.05.25
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5月の例会は真鯛。私は不参加の予定だったが、ドタキャン1名で人数が9名となり急遽参加することに。船宿は柴漁港の三喜丸。 よく利用しているが、初めて「洋風館船」をあてがわれた。船長は経営者の**氏。TKM氏はすました顔。帰船時に同じ顔で上陸できれば・・・願わくば、満面笑みのご尊顔を。 シーパラダイスの後方に富士山が。 ポイントへ到着。 付け餌はなくなるが、「アタリ」が見えない。小物の外道ばかり。 ANDさんのトホホ。今日もダメなようで。終盤は「お土産釣り」関サバに負けない「松輪サバ」海面から15mの棚で入れ食い。 クーラー満杯で止めた。沖上がり後、MRIさんに「ネコちゃんのお刺身が釣れましたね。」とクーラーを覗いたらたったの3本。で、追加の3本をプレゼント。帰り道にはボランティアでプールでの介助をするHTS君宅がある。メールを入れてお裾分けに立ち寄る。帰宅後、ジュンを同乗してIZTさん宅へも。 そのまま、ヘリ基地へ散歩に。ジュンの顔が・・・「ヘタクソ!」 と言っているような気がする。
2013.05.23
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6日のビシアジは惨敗。悔しいというより虚しくて15日に仕事を休みリベンジ。今度の船宿は弁天屋隣の米元丸。ライトタックル・アジは、弁天屋は午前・午後船になり、米元丸は2時頃まで。客は5名。船長も竿を出す。ライトタックルなのに、私以外は全員電動リール。なかなかあたりが来ない。操舵しながらの船長の竿にアタリ!でかいシログチ。いろいろポイントを変えたが、釣果は伸びない。柴漁港の三喜丸はアンカーを降ろして狙っている。で、・・・・リベンジは返り討ち。船長が釣ったアジ、シログチは一部私のクーラーへ。帰宅後、ジュンの散歩がてらショウガ、ニンニク、大葉を買う。「なめろう」でやけ酒!?まずそー。・・・一口。うまい!! 適当に作ったが、味付けは成功。
2013.05.18
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昨日は一日中雨。今日はスカ天。 気持ちよい。午前はリネツ・プールでボランティア。HTS君を送迎して、ジュン共々向かう。HTS君は、前回はフロートのみで支え無しに泳いだ。今日は消防署勤務のSKMさんに依頼して、私はMAR君を受け持つ。 「知的障碍者」は、きわめてデリケートな一面がある一方、集中力・持続力には欠ける。HTS君は甲高い幼児の声など、キーキー音が苦手。同乗して行くジュンは普通鳴かないが、HTS君を迎えて歓迎して吠える。 「怒っている」とHTS君は言うが、私の膝のジュンは、後部に乗ったHTS君を振り返り、尻尾を振りふり歓迎する。プールに入ってから、私が受け持ったMAR君。集中力を涵養するため、往復するバタ足を休ませないようにする。・・・私が疲れてしまう。皆、少しずつ上手になってきていると思う。TKS君とMOR君は支えもフロートも無しに泳げるはずだ。前回はMOR君はバタフライの泳ぎ方をしているTKS君の向こうを張って、一人でばたばた手を回した。次の26日は二人で競争させよう。プールが終わり、HTS君を送り届け帰宅、昼食。ジュンはいつもと勝手が違った午前だったが、帰宅後も散歩外出したくて、私の様子を鵜の目鷹の目で注視する。野島に行こう。野島運河の端では、中国人の集団が岸壁の牡蠣を山盛りに採取して実を剥いている。一方、日本人はバーベキューやアサリ捕り。砂浜側ではボートを出し、アサリを掘っている。バケツ一杯のアサリを覘くと、まあまあの大きさ。私・・・・・・・・・・・・ 焦る。25日は大潮。干潮時間 12:00頃。ABEさんを誘い、今年もアサリとり。
2013.05.12
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南朝鮮の暗殺された軍事政権大統領:朴正煕の娘、朴槿恵大統領が先週訪米し、オバマ大統領との会談後の記者会見で改めてというか、しつこく日本の歴史認識を糾弾した。ある程度、功を奏したようで米議会調査会は直後、安倍政権に危惧を表明。安倍総理は歴代政権の認識の踏襲を踏まざるを得なかったようである。今を生きる「政治」の弱点である。「歴史」を「現政治の道具」とせざるを得ない、力の世界である。独裁政治国を除けば、政権の寿命は数年。「歴史観」を正すには、その時々の政治力を排すのは困難だが、長期的な正義感を持って、歴史を生かす努力が必要であろう。「歴史」は過去に死別したものではなく、今に生きている。個人的な事柄でも一緒に生きていた頃には分からなかったことが、死別して初めて分かることは多い。個々の文化に生きる「国民」にしてみれば、プロフェッショナルの努力による歴史の精査から学ばざるを得ない。それは、必ずしも「歴史学者」の論文とは限らない。 それぞれ著者は、韓国人、帰化した韓国人、中国人である。左から、「親日派のための弁明 」 金 完燮 「反日韓国」に未来はない 呉 善花 (著, 原著) 韓国は日本人がつくった 黄文雄 「親日派」とはあえて記すが、かの韓国では売国奴を指し、後出しじゃんけんの法律で、その財産も取りあげられているようである。さらに「親日派のための弁明」は韓国では発禁になっているようである。「歴史」は入試では役に立たないかも知れない。しかし、生きていく上での智惠、誇りには大切な役割を果たす。日本よ、「歴史力」を磨け―「現代史」の呪縛を解く [単行本] 櫻井 よしこ (編集) 「温故知新」孔子の優等生は日本人じゃないだろうか。追記:うっとおしい朝鮮半島人のために、犠牲になった日本人は多い。その数は、帝国日本に強要されたという存在が疑わしい売春婦・(慰安婦?)、強制連行者(その実245人?)より日本人の方が多いだろう。(北朝鮮・金一族の拉致はいわずもがな。)「朝鮮併合では、いいこともした。」と発言した議員が辞任に追い込まれた悲惨な不自由言論の時代もあった。いま日本は事実・新資料を元に科学的な言論で自由が認められる。この日本はあまりにも先を行きすぎているのかしら?ネットには皮肉って、こんな「落書き」が見受けられる。「ねずさんのひとりごと」から転載の転載http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1606.html〜〜〜〜〜〜〜〜〜【日本が朝鮮半島にした恐ろしいこと】日本は恐ろしい国じゃ!!★36年の日本帝国主義支配のせいで★朝鮮半島の人口が2倍に増えて★24歳だった平均寿命が30年以上伸ばされて★人口の30%を占めていた奴隷が開放されて★幼児売春や幼児売買が禁止されて★家父長制が制限されて★家畜扱いだった朝鮮女性に名前が付けられるようになって★度量衡が統一されて★8つあった言語が統合され、標準朝鮮語がつくられて★朝鮮語教育のための教科書・教材が大量に作成され、持ち込まれて★5200校以上の小学校がつくられて★師範学校や高等学校が、あわせて1000以上つくられて★239万人が就学して、識字率が4%から61%に上がって★大学が造られて、病院が造られて★カルト呪術医療が禁止されて★上下水道が整備されて★泥水すすって下水道垂れ流しの生活ができなくなって★日本人はずっと徴兵されていて戦場で大量に死んだのに★朝鮮人は終戦間近の1年しか徴兵されず、内地の勤労動員だけで済まされていて★志願兵の朝鮮人が戦死したら、日本人と同じく英霊として祀られてしまって★100キロだった鉄道が6000キロも敷かれて★港が造られて、電気が引かれて★会社が作られるようになって、物々交換から貨幣経済に転換して★二階建て以上の家屋が造られるようになって★入浴するように指導されて★禿げ山に6億本もの樹木が植林されて、ため池がつくられて★今あるため池の半分もいまだに日本製で★道路や川や橋が整備されて★耕作地を2倍にされて★近代的な農業を教えられたせいで、1反辺りの収穫量が3倍になってしまって風習とはいえ、乳を出して生活するのがとても恥ずかしくなってしまって気がついたらいつの間にか近代国家になっていた。〜〜〜〜〜〜〜〜まるで冗談のような書き方をしていますが、ここに書かれているひとつひとつが、全て「根拠のある」事実です。もうひとつ付け加えるならば、そもそも日韓併合の翌年である1911年の韓国の総予算は3565万円です。うち韓国からの税収は1330万円です。たった3分の1です。足りない分をどうしたのか。全額日本からの補充しました。要するに倒産寸前だった韓国を日本が救済したのが韓国併合です。
2013.05.11
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さて、ずーっと一緒だった連休の4日目は・・釣り。で、ジュンは留守番。4月に入り弁天屋から案内状が届き、5月6日はスペシャルデーで、雨天決行・乗船料金半額とのことで即座に「ビシアジ」を予約した。*翌日に考え直し、真鯛への変更を電話したが、すでに予約で一杯だった。 ビシアジ船の客は23名。私は10組仕掛けをこしらえて臨んだが、左右の方に「おまつり」は避けられそうにないので、よろしくお願いしますと事前に挨拶。最初のポイントの棚は40m。ライトタックルアジと大して変わらないじゃないか!なかなかアタリが来ないが、ようやく1匹。きれいで、まあまあの形。 後が続かない。ポイント移動して30m。サバ! おみやげを先に釣らせるのか。その後もいろいろポイントを変えたが、アタリなし!右隣の方と、「今日はダメだね。」とぼやき、14時頃納竿。 私の釣果。アジ1匹。サバ2,シログチ2。あーあ。なにか虚しー。 帰宅したら、ジュンが迎えるもののどこか元気がない。怒っている!?トイレにしている洗面所にはビチ糞。体調を崩した。昨日の風呂のせい?(10日おき位に入れているので、そんなわけがない。)精神的なことからか??5年くらい前にも、スーパーの前につなぎ買い物から戻ったら、急変していたことがあった。このときは2-3日もの間、様子がおかしいので獣医に診てもらったが、「肉体的に異常は認められません。精神的なものでしょう。」と。犬が精神的に???私には心当たりがない。散歩時も元気なくトボトボ歩く。幸い、数日で回復したが。今回は・・・・・「散歩!?」と聞いたら、飛び跳ねる。マンションを出たら、ジュンはいつもと違い、車に走る。福浦のヘリ基地周辺を散歩しよう。・・・散歩はしたものの、帰宅したらやはり元の木阿弥。元気が失せている。食欲もないようだ。変なものは食べていないはずだが。医院は休み。私の胃腸薬を水で溶き、スポイトで2回ほど飲ませた。翌7日の散歩時も、ジュンの排便はビチ。また、飲ませる。昨8日。・・・・・・回復!ジュンの元気の有り難さを再認識した5月。
2013.05.09
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5日は近場。朝比奈切通の熊野神社へ。神社への急な階段は関節を痛めないよう抱っこして上がったが、神殿直前の階段では降ろして登らせる。このところ、よく雑草を選んで食べる。境内の掃除を兼ねるか?急な階段を降りようと抱っこの姿勢をしたら、神殿裏の山道に行こうと勝手に歩を進める。鎌倉方面への分かれ道に降りてきた。私は戻るつもりだったのだが、ジュンは鎌倉へ行きたがる。向こう側はいつもぬかるんでいるので、私は気が進まない。が、明日のこともあるので、仕方ない。行くか!で、案の定。ジュンの脚はどろまるけ。今日は風呂だぞ!で、明日に続く。
2013.05.07
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小田急線所要を兼ねて厚木のビルへ。東名は案の定、インターに入ったらとろとろ運転。朝の散歩もせず、同乗したジュンのトイレは・・・海老名のサービスエリアには入れないだろうな!と、悲観的になっていたら意外と「空きあり」。少し休憩散歩して、厚木に向かう。管理人室で所要を片付け、相模川に向かう。前回は厚木市側を散歩したので、今度は海老名側をと相模大橋を歩いてみたが、やはり戻り厚木市側の護岸を歩く。簡易トイレが設置してあった。相模川を渡る「橋」はいくつ設置されているのだろう。河川敷はいくつものグランドに整地されているが、人出はほとんどなかった。雑草にしては見事な花。私は今日は腰の調子が悪いので、ソニー厚木テクノロジーセンターあたりで引き返すことにした。車道に入り少し歩を進めると、見事に咲き誇るバラ。その少し先にも、赤いバラ。肥料食いといわれるバラだから、しっかり管理されているんだろう。高速料金の節約のため、平塚に南下して海沿いの134号線を走る。時間はたっぷりあるので渋滞は気にならない。景色に向けてカメラを構えると、渋滞は皮肉にも動き出す。鎌倉の中心部は避け、海沿いを逗子経由で帰宅。明日はどこ行こう・・・で、続く。
2013.05.05
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園芸店や日曜大工センターを探し回り、29日に購入した好きな松葉ボタン。野島に向かう途中の室の木公園(野島公園の一部)野島公園の運河側 アサリポイント野島公園海の公園で海の公園 砂浜から奥のジョギングコース称名寺にて。 不埒な韓人どもに盗まれなければ・・・称名寺庭園ご機嫌な1日 明日は厚木にドライブ。相模川散策。
2013.05.03
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「道徳教育」の重要性・復活がさけばれているような。あえて「教育」などと構えなくとも、園児・小学生でも心に残る物語を聞かされれば、人格形成にはその後大きな影響力が与えられる。権利ばかりを訴える左巻き。ネガティブ・暗さばかりを強調し、解決策に智惠が回らない左翼。妄想・独善を「デモ」というお祭りで気勢を上げる自己満足漢たち。さて明るく、心が癒やされる話が多々著されている。時に車中で読み、涙目を見られないようにうつむくこともある。そんな話。33編が纏められている。AMAZONで調べたら、続編も出版されている。先頃、機中で泣き止まない赤ちゃん連れの母子を非難したブログで炎上した漫画家がいたが、それより3年前に同じ状況があった。乗客の60代とおぼしき婦人が、赤ちゃんを取りあげ抱きしめた。心臓の音を赤ちゃんに伝えると安心して大人しくなるのだそうな。生きて成長していく過程では、さまざまな葛藤、不安に遭遇する。これを心地よく解決する先人達の智惠の物語が、「道徳教育」の一部だと思う。
2013.04.29
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<同会、ホームページから>今月20日はボランティアグループ:「助さんの会」の総会だったが、遠征釣りのため欠席した。案内FAXには27日も「たけのこ掘り」を森沢山の会の協力で開催するとのことで、会費=ボランティア保険費を手渡しかったので参加意向を伝えていた。(私は「モリサワヤマノカイ」と読んでいたが、「モリタクサンノカイ」・・・オジンギャグだが、うまいネーミングだと思う。)さて、たけのこ。私の両親はあまり好きでなかったのか、幼い頃に食べた記憶がない。しかし、近所の子供がタケノコの皮に梅干しをくるみチューチュー吸っていたのが羨ましかった。3年前に同じく遠征イサキ釣りの帰途、ラーメンを食べた隣の地元野菜売り場でタケノコを買い、初めてタケノコご飯を作った。(レシピは同乗したSZCさんの奥さんがメモを作ってくれていた。)初日は美味しかったが、独り者の私。1週間連日のタケノコご飯には、辟易してしまった。今日のタケノコ掘り。現地集合時間は9時半。ジュンは遠征散歩だーと、朝ご飯も食べずに飛び跳ねる。会費を渡し、1-2本掘ってとんずらをと考えていたが、現地の雰囲気が許さない。ヘルメットをかぶり、作業ベルトに鉈とノコギリをぶら下げたモリタクサンのメンバーが集合してくる。助さんの会の参加メンバーは数名。遅れてくるメンバーも。急斜面の竹林で掘るタケノコは難儀である。助さんのメンバーは、そそくさと掘ったタケノコを持ち帰る。11時半頃昼食を取り、残った当ボランティアメンバーは会長のISIさんと私だけ。枯れた5-6mの杉を切り倒したり、山道においた間伐竹を支える杭を作って打ち込んだり・・・山の手入れがこんなに重労働だとは思いもよらなかった。2時半頃お開き。ジュンは皆にかまわれ、ご機嫌の1日だったか。残念なのは、現地でカメラの電源を入れたら、バッテリー上がり。さて、いただいて帰った小さめのタケノコ。ぬかを買わなかったので、皮付きのまま鍋に入る大きさに切り、15分ほどゆでる。食感の違いを確かめるため、筋方向・その直角方向で切り分け、削り節をかけて食べた。うまい!* 日本の森林が荒れ放題になっているとのマスコミの指摘があってから随分と時がたつ。なんとかならないかと立ち上がったメンバー達だと思う。活動日が土曜メインとのこと。ちと、考えるか。21日の南房イサキ釣りで、初代「助さんの会」会長にお裾分けに出向いたら、総会欠席を少しなじられたが、「実は・・・」と今月いっぱいで退会する旨を告げられた。事情の深いところはここでは記さない。どの組織でも、ボランティア活動であっても、上部組織、メンバー間でのそれぞれの齟齬がおきる。
2013.04.27
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<かどや丸ホームページから>恒例4月の遠征イサキ釣り。年々参加メンバーが少なくなってきた。(今年は9名)民宿小倉ボタンでの前泊組8名。直行1名。連チャン先発組は20日の午後船でヒラメ狙い。その20日は急に寒くなり、しかも雨。中止かな?しかし、雨だろうが風-海のうねり次第で決まる。私はMORさん、SZCさんを同乗して15時半頃出発。以前は久里浜のフェリー経由で走ったが、ETCでアクアラインを走れば交通費は半額近くなる。小型車で狭苦しいが、費用のかかる遠征釣りのため我慢していただく。ちなみにMORさん、SZCさんの車は大きいがETCをつけてない。民宿に到着前、夕食を済ます。午後船の釣果はNGSさんのみヒラメとワニゴチを揚げたそうでこのコチの刺身をいただいて酒宴。さて、当日の千田港はやはり雨。それでも5時に出船。 うねりは例年通り。(東京湾に較べると荒い。)最初は良形のイサキが釣れたが、そのうちメジナやうまづらはぎばかり。NGSさんには真鯛がきた。イサキがこない!メジナは以前は数匹キープしてあとはリリースしていたが、昨年初めて刺身を食べいけることがわかった。(それまでは、知人にお裾分けしてた。)雨は止まず、ナイロンパーカー・パンツは浸透して内側まで濡れ鼠状態で釣りを続ける。そして、運良く私にも真鯛! 1Kgくらいかな? クーラーボックスは「外道」でいっぱい。当初はNGSさんから回ってくるメジナもキープしていたが、終盤は私にきたメジナをNGMさんに引き取っていただくことに。互いにもう入らない・・で、イサキもこないしメジナはリリース。11時頃沖上がり。イサキは良形だがたった8匹。帰宅後も忙しい。兄宅へは真鯛とデカメバルをクール便で送る。ボランティアグループのNMNさん、お世話になったIZTさん夫人、IZMさん宅へイサキ、うまづら、そしてメジナを押しつける。メジナは一番でかい奴を残して捌いた。 片身をおろしたら、白子ががすごい! もったいないので、湯がいて酒の肴にする。 ジュンは可哀想だが、年に一度の独り寝の最悪日。夕食と翌日の朝食、・・・そしておやつと非常食を置いたら、私が出かける直前におやつも、夕食も食べてしまった。(普段は私が食べ始めないと、食わないくせに。)
2013.04.22
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あさりのシーズンがやってきた。連休前に行かないと、潮干狩りの人たちでごった返す。しかし、連休前の土日は南房への遠征釣りや、ボランティアグループのタケノコ狩りで予定がつまっている。今日しかない。干潮時間は12:00、中潮。10時頃に出かければちょうどいい。それまで、ネットで注文していたトルコ桔梗が届いていたので鉢に植え付ける。まだ時間がある。が、ジュンが許さない。で、9時頃出発。今日は歩き。自分の食い扶持だけ獲れればいい。「連休前に」と考える方も多いようで、野島公園に付帯する室の木グランドは早々と駐車場に。ちんたら歩いて行ったので、潮がちょうど引き始めていた。ジュンいつものように陸で待機。1時間ほどの成果。帰宅後、早速アサリ蒸しで水割り。次回は5月下旬か。
2013.04.13
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<泥亀公園にて 狂犬病予防接種>気候が暖かくなると、固定資産税、自動車税・・で、ふところに寒風が吹く。また春になると、「狂犬病予防接種」の案内も届く。数年前には海外旅行で犬にかまれた方が、狂犬病に罹り亡くなられてしまったとの報道もあった。予防接種を機会にあらためて狂犬病について調べた。→ 世界で狂犬病が発生のしていない国・地域(狂犬病 清浄国)は、 オーストラリア、ニュージーランド、台湾、フィジー、日本、 キプロス、ハワイ、グアム、アイルランド、イギリス、 ノルウエー、アイスランド の12の国・地域だけです。 (約200を数える国や地域のなかで、狂犬病清浄国は非常に稀で 貴重な国・地域であるということが わかります。)これらを見ると「清浄国」は島国が多い。犬にばかり気をとられがちだが、媒介動物も存在する。狂犬病とは ( Rabies )毎年、全世界で3万人以上が死亡する感染症で、狂犬病に感染した哺乳類の唾液に接触することで感染します。狂犬病に感染するのは犬だけではなく、すべての哺乳類(鳥類、キツネ、アライグマ、コウモリ)などにも感染し、発症すれば ほぼ100%死亡する恐ろしい病気です。 (特に中国、インド、タイ、ネパール、南米、アフリカなどで多発)【潜伏期間】 約1週間から長い場合では7年。多くは2から3か月【症状】 恐風症や、恐水症などから昏睡状態、呼吸麻痺に至り、ほぼ100%死亡。先週は中国の鳥インフルエンザH7N9型で、人が亡くなったとのニュースが。人は人同士や生物、細菌との争いの中に生活しているのかしら?面白い歴史書を読み始めている。銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 ジャレド・ダイアモンド (著)
2013.04.06
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三浦 立石公園にて 寒いのにカヤックを楽しむ方々。2013.3.31金曜日の夜8時、マンションの年次総会。出席者は10名ほど。議題は9件。大規模修繕工事が終了してから初めての総会だが、追保全があり、当初の工事の対象外だったとの説明で管理会社と少しもめる。(工事責任者の出席もなく、管理会社からはEMT氏のみの出席。)ゴミ出しマナーが問題で、監視カメラを取り付けようとの案件で、駐車場荒らしの問題も絡み、エレベータ内を含め4基設置を5基にして可決。(リース料は¥2000位上がるだけで月¥25000位。)消防署の指導で、住民から「甲種防火管理者」を置くようにとのことで、私がたまたま仕事柄講習済みだったので請け負うことに。私一人では永久的になりかねないので、前々から複数の人員配置を管理会社には話していたのだが、講習受講諒解者はいまだ一人。謝金が¥30000とのことで、私は高すぎると思ったが、後に続く人を出すためには妥当なところか?これも、可決。駐車場が2台分長く空きになっているので、外部希望者を募集しようとの提案は、否決。来期に再提案。マンションの管理規約の改定。ショックだった。「管理費」未納者が6名。中には100万以上の滞納者がいるという。たまたま当日夕方のTVで、地方税Gメンの徴収シーン番組を見ていた。経済的に払えるのに渋っているのか、困っているのか?終了時、住民から「独居住民」のネットワーク構築の話が出た。私が該当。総会常連の1FTKS氏も同年代で同じである。孤独死が叫ばれてから久しい。立石公園で、スノードロップ。花弁先の緑の点がポイント。小さく花開くタンポポ。翌日、ジュンとの散歩帰り管理人さんと歓談。総会の様子を話す。立石公園このたかが49軒のマンションでも、2名ほど独居者が亡くなられたとのこと。郵便ポストに新聞が溜まっていたので、居住者の親類に連絡をとった。もう1件は、内側から施錠されていたため近親者立ち会いの下、強引に鍵をこじ開けたと話を伺った。49戸とはいえ、私はすべての居住者を知らない。管理人さんでさえ、居住者が変わった部屋の住民の顔はわからないという。ここ横浜のはずれは田舎同然だが、それでも都会の盲点が現存する。プライバシー問題はやっかいだが、人はどんなに他人に迷惑をかけまいと努力しても、死後の始末という迷惑からは逃れられない。町内会からは災害時の要支援者登録の回覧が回っていたが、若い世代との中間に位置する「団塊世代」の出番のようである。
2013.03.31
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土日祝日はジュンとの長距離散歩。この冬もジュンは少し太り気味。立って歩く人間が、メタボで腹/腰回りが太るのは理解できる。が、4つ足歩行のジュンが人と同じように、お腹下肢が太るのは?と、疑問に思いながら、「ダイエット」じゃーと散歩する。日常の散歩コース(夜)にインド・ネパールレストランができている。商売熱心で、不自由な日本語で夜も交差点でチラシを配っている。その小さな女の子も自転車を楽しみながらお父さんのお手伝い。テイクアウト・ランチは¥500。いつか買って帰ろうと思いをして、ようやく3週間前実行。(散歩途上のため、店内での食事はジュンが許してくれない。)カレーとナンとサラダ。ナンは自宅で広げると40cm位ある。(写真を撮るゆとりをいつもなくしてしまい、いつの日かアップ予定。)「辛いの大丈夫?」と聞かれたが、四川料理、ピザには必須のタバスコ、味噌煮込みうどんの一味唐辛子・・・ 好きである。今日は朝寝して、ジュンと文庫駅方面の「釣り具のポイント」へ。昨年暮れから、電気製品の不幸に見舞われ、レンジ・冷蔵庫・・・そして、1月のアマダイ釣りでは電動リールが壊れた。買い換えるのは惜しいので(金もない)、修理依頼して連絡をもらっていた。今日は天気予報では20℃で、上着を羽織らず出かけたがちと寒い。ジャンパーを着にもどるのももどかしく、一方ジュンは攻めるように歩を進める。電動リールを受け取り、寒いのでそのまま帰ろうとするのだが、ジュンは勝手知ったるコース。遠距離コースかよ!で、遠回りの帰り道、くだんのインド・ネパール料理店が頭に浮かんだ。また、ランチを買って帰ろう。店の外で寒い中、できあがりを待つ。メニューにチキンを見つけて追加オーダー。帰宅後、早々に食する。チキンは、香辛料を口中ですすぎ取り、どーかな?とジュンに与える。ジュンは一口してから、正座して次を待つ。あーー。ジュンのダイエットの道は遠い。
2013.03.30
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今年も野島公園でバーベキュー。仕込み&調理は金沢文庫駅近くの「美味しい香り」のシェフ。食材などの運搬人は横浜好釣会の有志。昨年から公園事務所でリアカーを貸してくれるようになったので、コンロまでの運搬はずいぶん楽になった。参集者は「美味しい香り」の常連飲んべえ達。ビールやらワインは何ケース運び込んだことやら。 ブルーシートを敷き、コンロの火も勢いがつき始める頃、参加者が集まる。女性が半数を占める。(「美味しい香り」は女性客が多い。) ジュンは飲食より散歩をしたいのだろうが、つまらなさそうにシートの端でふて寝。 私、今年の花粉症は例年になくひどく、出がけに薬を飲んできたものだから・・・酒に悪酔い。ホタテや焼きそばを焼いた記憶はあるが、食べた記憶がない。殻付き牡蠣は食べた。・・・かな? 数年前は誰にでも愛想を振りまくジュンだったが、このところ「お父さん子」になってしまった。と、参加者のどなたかが言っていた。
2013.03.26
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3月の例会は欠席するつもりだったが、ライトタックルアジとあって、参加。参加者は当初の11名から8名に。先月の「いわしめばる」が不調だったので、早朝をエビメバルで試し釣り後、アジ釣りのリレー釣り。相模湾のいわしめばるに比べれば、東京湾のエビメバルは形が期待できないが、キープサイズも上がる。Nさん、一荷。 放流サイズをキープする不埒な輩もいる中、そこそこのメバルで餌のモエビがなくなってきた頃、アジに変更。 久しぶりに海自の潜水艦と遭遇。 昨日今日は好天に恵まれ、多くの遊漁船が出ていた。単独釣行でよくお世話になる弁天屋。 私、アジの釣果が伸びず。シログチは引きを楽しませてはくれるが、・・・ 沖合にも花粉が飛来し、私はクシャミが止まらない。14時半頃沖あがり。めばるは兄宅にクール便で送った。
2013.03.18
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3Dプリンタ・・て、なに?3Dテレビはすでに30年くらい前に、エレショウで発表されていた。確かに迫力はすごかったが、疲れる。中学生の頃、すなわち50年以上前、一人でエロ映画館に入った。2色のめがねを渡された。パートカラーの洋物。カラー画面になると、「乱視」になったかと思うような映像。迫力はないが思い込めば立体的に見えることも・・・小学低学年の頃。少年向け雑誌の付録には、赤と緑のセロファンで作られた立体めがねと立体漫画。その気になってみれば、絵が浮き上がって見えた。数年前、再び日本のTV業界が3Dテレビにチャレンジしたが団塊の世代に、フンという評価を受けた。(と、思う)いまは4Kだの8Kだのと解像度での競争。30年前のレール上を走ろうとしているに過ぎない。3Dプリンタ。初老の私は2次元空間での安物プリンタを想像していた。が、全くちがう。3DのパラメータはPCで構築できる。3Dプリンタは、その立体構造物を作り上げる。いまでは数十万円のものもあるという。世界に冠たる日本の金型メーカーは新たな生き残り策を模索せざるを得ない。かすかな希望は、その適切な素材と配置への知識・経験。40年前の日本のエレクトロニクス技術は、回路基板での部品配置で如何にノイズ・誤作動を軽減させるかに力を注いだ。以上《開発について》デジタル時代の開発力とは!?デジタルの「商品」であれば、素人でもそこそこのものを作ることができる。その恩恵を受けているのが、韓国&シナ。今の開発力とは企画力・発想力。日本の多くの製造メーカーはハードの開発に力を注いできた。ハードの製造ノウハウの価値に気付くことはなかった。日本のハードのノウハウは「ものつくり」に代表されるように物まねが容易である。ノウハウ・・・知識ではなく智惠=インテリジェンスに力を注ぐ時代に入ったと思う。すなわち体験しなければ得られないノウハウである。体育会系の文化がその体罰文化?でつるし上げを受けている。誤解・コミュニケ-ション、世代間文化の齟齬。** 言葉で伝えることのできる知識・智惠は意外と少ない。 躰で文化を伝えたい。
2013.03.15
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記憶に新しいところでは「毒餃子」。ずいぶん時間のかかった事件の解決は、袋に針穴を開けて農薬メタミドホスを注入したと、スケープゴートの臨時工を検挙した。結局嘘で固めるシナの悪しき風習にあきれた日本は捜査打ち切り。(穴の開いていない袋内部にも農薬が付着していたことはどう解釈するのか。シナの捜査報告に納得した日本人なぞ皆無だろう、と思う。)その1 《領有権》「尖閣諸島」の領有権での反日暴動。官制デモ。法治ではなく、人治のシナは国際法なぞなんのその。シナ法がルールだとばかりに、南シナ海でベトナム、フィリピンを恫喝し島嶼・領海を奪い、貿易でプレッシャーをかける尖閣での暴走漁船事件がなければ、南シナ海でのシナの狡猾・卑劣な行動はあまり知られなかっただろう。・島嶼近辺の海に古陶磁器を沈め、「ここは昔からシナの領土アルヨ」と証拠ねつ造。・漁民保護の名目で海監を派遣し、偽装漁民を上陸させレーダー基地建設。・・・日支事変の時の便衣兵を想起させる。日本が70年ほど前に尖閣の領有化宣言をし、国連での海底資源調査でお宝の存在がわかったら、急に「私のモノアルヨ」と言い出す、卑劣さ。シナにも異見を持つ人物がいる。中国の女性企業家、広東捷盈電子科技・取締役副主席の林凡氏が24日、「尖閣諸島は日本のものだ」とツイートした。林凡氏のツイートとフォローは25日夕方までに、すべて削除された。波紋呼んだ中国人の「尖閣はやっぱり日本のもの」主張 (サーチナから)http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0828&f=politics_0828_018.shtmlその2 《シナの軍国主義化》先頃のシナ艦船からの自衛艦へのレーダー照射、それ以前のヘリの異常接近。危ない人民軍兵士がいる。人民軍はシナ政府の管理下ではなく、共産党の元にあるという。したがってシナ外務報道官の「えー???」という、レーダー照射行為を把握していなかった会見となる。日本は経済一流、政治は二流三流といわれるが、シナは交渉のできる国家なんかいな?という疑念を抱かざるを得ない。今日の新聞にはシナの国防予算10.7%増を危惧する社説があった。習近平体制、「平和発展」から「富国強兵」にシナ人民網・日本語版には、「中国の夢」を後押しする「雷鋒精神」http://j.people.com.cn/94475/8154204.html「中国の夢」をみて、寝言を言っている。その3 《嘘と窃盗とサイバーテロと責任転嫁の悪癖》嘘はドロボーの始まり・・・はシナには通用しないか。日欧米から知財を盗み、「国産」といつわり真似したり輸出する。シナ・朝鮮でも嘘は建前としてはイケナイことになっていると思うのだが、その本音は、「自分が吐く嘘はOK、他人はダメアル。」ということだろう。つまるところ、「だまされる奴が悪い。」という文化。河野談話なぞ騙されたその最たるモノ。その4 《汚染・汚職》大地や河川は産業廃棄物で汚染され、役人は賄賂を強要して汚職まみれ。どーしよーもない!最近のシナ毒はPM2.5。日本では環境技術を輸出してシナをなんとかしようという報道もある。日本製の空気清浄機がエアコンより高価にもかかわらず売れているという。日貨排斥ではなかったのか。困ったときの日本頼み。環境問題解決は「環境技術」以上に、民度の向上が要である。かつての四日市の公害解決は、技術もしかりだが、それ以上に国民の危機意識の共有があった。「うちの工場だけじゃないだろ」と、認識しつつも逃げる企業を説得して回った市の役人の努力がある。これが日本の民度だろう。しかしJBpressの記事を読んで愕然とした。「絶好の商機」ではなくなった中国での環境ビジネス 反日デモと欧米メーカーの大攻勢に打ち勝てるか 2013.02.26(火) 姫田 小夏http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37212環境ビジネスを進めようにも、シナ役人に賄賂を要求される。改革開放後の拝金主義で格差が広がり、軍国主義化・中華主義化でまた「易姓革命」が起きるんだろうな。汚染・汚職大国のシナ人を進化させるのは、日欧米の技術というより、日本の社会文化だと思う。
2013.03.06
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ヘイトスピーチ=憎悪発言憎悪発言の最たるものはファビョるチョンの前酋長:李明博のレームダック時の発言である。人が生まれ変わる限り、次から次に新しい言葉も生まれてくる。が、その概念に新しさを見つけられるものは少ない。皮相的な言葉を、新語らしく言い換えて関心を惹こうとしているだけ。「ヘイトスピーチ」なる言葉はNHKのツィッターの「炎上?」で知った。→ 『ヘイトスピーチをまき散らすだけで、まるで何か世の中の役に立つことをやっている気になっているようなネット弁慶さんたちには、1度でいいから東北へ行ってボランティアでもしてきなよ、と言いたい。かなり本気で言いたい』このツィッターをネタにした日経BPオンラインのコラム、 小田嶋 隆「ネット弁慶が街中に現れた理由」 の文章が私には的を射ていたので、その部分をメモしておく。心を痛めている。 ……という書き出しを読んだ瞬間に、「なんだこの偽善者は」 と身構えるタイプの読者がいる。 ながらく原稿を書く仕事をしてきて、最近、つくづく感じるのは、若い読者のなかに、情緒的な言い回しを嫌う人々が増えていることだ。 彼らが嫌う物言いは、「心を痛める」だけではない。 「寄り添う」「向き合う」「気遣う」「ふれあい」「おもいやり」「きずな」といったあたりの、手ぬるい印象のやまとことばは、おおむね評判が良くない。かえって反発を招く。 彼らの気持ちは、私にも、半分ぐらいまでは理解できる。 この国のマスメディアでは、論争的な問題を語るに当たって、あえて情緒的な言葉を使うことで対立点を曖昧にするみたいなレトリックを駆使する人々が高い地位を占めることになっている。彼らは、論点を心情の次元に分解することで、あらゆる問題を日曜版に移動させようとしている。 若い読者は、そういう姿勢の背後にある卑怯さを見逃さない。 リテラシーとも読解力とも違う、不思議な能力だ。 なので、冒頭の一行目については、思っている通りの言葉で言い直してみることにする。 私は、心を痛めているのではない。私は、アタマに来ている。 あるいは「うんざりしている」の方がいまの気持ちに近いかもしれない。 私はうんざりしている。 』全文は→ http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20130221/244049/?mltこのコラムから「朝日新聞」が頭に浮かんだ。朝日は相変わらず中韓の視点でものをいい,軽佻浮薄で高所からの「いいかっこしい」の姿勢。どうでもよいことだが、先頃主筆だった若宮啓文が朝日を退職し、かの韓国の大学に移ったことは、なぜかネットで目にした。(若宮は竹島問題で「ちょんにあげたら」なんぞと無責任なことを言っていた。)その韓国は朴正煕・・・私は[ボクセイキ]と読んでしまうが・・・の娘パククネが昨日大統領に就任した。(ATOKでボクセイキと入れると変換するのには感激たした。パククネは未だ。)そしていつもながらの 『朴氏、麻生副総理に「歴史直視し努力」求める』うんざり。 ちょん韓国こそ歴史をねつ造せず、正しい歴史を直視すべきである。岡崎研究所 2012年12月13日(Thu) から抜粋。朴槿恵・韓国大統領候補のアジア政策 「正しい歴史認識」と対中認識の甘さ 「正しい歴史認識」と言うものを振り回されても困ります。歴史は科学であるよりも物語で、価値観を織り込んだものです。慰安婦の問題を含め、請求権問題は、完全、最終的に父親の朴大統領時代に解決されています。いまさら歴史問題を蒸し返すのは、日韓関係のためにも良くないでしょう。「従中離米」に走り出した韓国。 「恨」を生きがいとする鮮ひともどき。朝鮮が清時代の冊封国へ回帰するのはもう一歩。台湾は大陸中国から逃げてきた蒋介石の国民軍の非道で日本統治の良さを知った。鮮人は大陸シナの人民解放軍の非道で日本との併合時代を懐かしむだろう。日本が「朝鮮」の「ヘイトスピーチ」から解放されるのは目前。
2013.02.26
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あるブログをひらいていたら、こんな新刊が紹介されていた。 早速AMAZONで検索したら、まだ予約受付の段階。“ダメ老人"観察記 福祉の美名に乗じる、驚くべき老人たち 川本 鉄馬 (著)内容紹介"「老人=賢人」は過去の話。電車で席を譲ろうとして睨まれたり、道で挨拶をしてキレられたり…。最近の老人は、「賢くて穏やか」とは限らない。周囲を見回せば、気分を害する変な老人が大勢見つかる。 問題は、こんな「ダメ老人」にどう対処するか。ダメ老人を舐めてはいけない。侮ると痛い目に会う。自分の年齢に甘えて傍若無人な振る舞いをするのがダメ老人だ。特に、自己満足のボランティア老人には要注意! 自分の間違いを疑わないので始末に負えない。「最近の老人はこんなにヒドいのか! 」と思わず声が漏れる、驚きの観察記。"私の20代の頃は国会や企業内の「老害」なる言葉が、マスコミによく登場していたが、いまや私もダメ老人の域に達している。この「ダメ老人」で脳裏に浮かんだのが、昨日のサンケイ報道の前丹羽駐中国大使の極楽とんぼ発言。『中国のレーダー照射「騒ぎすぎ」、「日本の空気の方がたち悪い」』 丹羽節連発 2013.2.19 18:06 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130219/plc13021918120014-n1.htm火器レーダー照射がきわめて危険な行為であることがわかっていない。しかも、「騒ぎすぎ」という言い方はその前から華紙に登場している。この商人出身の爺様の国籍を疑う。また今日のサンケイは、鳩山由紀夫元首相は20日夜、米軍普天間飛行場がある沖縄県宜野湾市内で講演し、飛行場の県外移設が実現しなかったのは外務、防衛両省の妨害によるものだと断じた。この老人は普天間から、尖閣、・・多々トラブルを起こすことが大好きなようだが、その愚言で無視され消滅寸前。責任転嫁の姿勢は中国譲り。数歩歩くと忘れる鳥の脳の持ち主。どうしようもない。加藤紘一元幹事長が13日に日本記者クラブで中国海軍艦艇による海上自衛隊護衛艦への射撃管制用レーダー照射を「本当か」と疑問視した。またこんなことも、2013.1.26 18:00 (1/4ページ)[高木桂一の『ここだけ』の話] 20日付「しんぶん赤旗」日曜版は1面で安倍政権の「癒着とバラマキ」を批判する一方、4面に慰安婦問題をめぐる加藤紘一氏の見解を掲載した 安倍晋三首相が旧日本軍による慰安婦募集の強制制を認めた「河野洋平官房長官談話」(平成5年)の見直しを表明したことに対し、自民党の加藤紘一元幹事長が20日付の共産党機関紙「しんぶん赤旗」日曜版紙上で批判した。自民党の元重鎮が他党の機関誌にわざわざ登場して“身内”を攻撃するとは、寡聞にして知らない。http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130126/stt13012618000004-n1.htmさらにその根拠のない「談話」で日韓間を損ねてきた河野洋平は「歴史を直視」で一致 河野元衆院議長訪韓、慰安婦は触れず2013.2.14 21:34 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130214/plc13021421350020-n1.htm先には暴言ばあさん田中真紀子は石原前都知事を「暴走老人」と呼んだ。日本はどうしようもない高齢化社会を迎えている。庶民にはこんな本が必要か? 追記私は20代後半、会社の先輩からこんな注意を受けた。「後輩たちが見ている目の前で、同期同士で争ったり、無責任な言動は慎め。」丹羽、鳩山、加藤、河野の4老人は中韓で客死されることが幸せだろう。ジュンも年をとったが、ブリッ子ぶりは健在。
2013.02.21
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17日のイワシメバルは不調。小さなシコイワシ(餌)が獲れなく、メバルはこれを避けるみたい?大イワシを餌に苦戦。しかも極寒! 指先がしびれるほど・・トップ7匹KINSさん。私2匹のとほほ・・さて、昨年は50本くらい買っただろうか。今年もネットで蒸留酒を「大人買い」。私は日本酒、ワインなどは40歳くらいの頃、高尿酸値を疑われ・・早い話が「通風の気」で、医者からは禁酒を。ガクッとした私を見て、医者が「ビールや酒はだめだけど、焼酎などの蒸留酒なら度をこさなければ、飲んでもいいよ」。たまに「禁」を破るが、晩酌は焼酎、ウィスキーのローテーション。昨年暮れ、ウィスキーに飽き、ジャックダニエルが恋しくなった。アメリカのウィスキーといえるバーボン。30年前は高価で、古巣の社長は地方営業所巡りでの手土産にしばしば持ち込んでくれた。私はN営業所時代、親睦会で2/3ほど飲んでしまい非難を浴びた。20歳頃から山岳部では仕方なくつきあいで酒の味を知った。当時はお金がなく、サントリーのレッドが定番。辛くて飲み辛かった。社会人になってからは、ボトルキープのできるスナックに置くのが見栄だった。はじめはサントリー・ホワイト。次第に、角瓶・・オールド・・・と給料が上がるにつれ見栄を張っていった。私の上限はロイヤルサリュート。シーバスリーガル。収入が平均以下に落ちた今の私は安酒=古酒をネットで探す。 オールドパーも昔は手が出なかった。山崎は輸入物より高い。 バラエティセットも落札。 ジョニ黒も手が出なかった。 ブランディーは格好つけ。 夏にはウォッカを飲もう。
2013.02.19
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3連休最終日、ジュンに起こされた。どこ行こう?昨日は野島へのレギュラーコース。帰宅したらジュンはソファに横たわる私の上でイビキ。互いに年取った。観音崎ならすいているか?車で行こう。と、マンションを出たらジュンは朝比奈方面への「散歩」をご希望。環状4号線を朝比奈/大道方面へ。民家軒先の白梅。次は田浦の梅園にいこうか。階段が急だけど・・・釜利谷に抜けたら、サザンカ。釜利谷緑道公園を抜け、Uターンして関谷へ。階段を降りきった先の公園は地元の愛好会の方々による花壇。ビオラ。10分ぐらい先の小川アメニテイー歩道に入る。11時。まだ霜が残っている。小川アメニティー終点から、いつものコースではなく白山道裏道へ。再びリードを外し歩道を歩く。前方からパグを釣れた方が来る。振り返るとジュンは臭い取りに夢中。大丈夫とそのまま前を向き歩き始めたとき・・・パグを連れた夫婦が「あー!」と声を上げる。ジュンが、パグを避け車道に少し出て、その横を車が走り抜けた。肝をつぶし、その後はリードをつけたまま帰宅した。今日は、車に気をつけよう。15時頃、再びジュンを乗せて福浦・ヘリ基地を散歩。その後幸浦に足を伸ばし、リサイクルショップで釣り竿の出物を探したがろくなものがない。Uターンで帰路。「海の公園」前の信号で右折するとき、左側から車が!このくそたれ!直進・左折ラインから右折してきやがった。事故にはならなく幸いだった。シナ人のようにルールを無視する輩は身近にもいる。互いに周りを見て、十分気をつけましょ。
2013.02.11
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このまえ正月休みと思ったら、あっという間にきた3連休。初日はカワハギ・アマダイのリレー釣り。船は社長・NGOさんのプレジャーボート。5名参加。逗子から江ノ島に向かう。空気が冷たく指先がしびれる。ANDさんがガンゾー平目をよく釣るが、本命がこない。ようやくNGSさんに1匹。11時頃あきらめてアマダイに変更。相変わらずANDさんは平目を釣る。そのうちNGSさん、昨暮れにアマダイ釣りをした権兵衛丸に電話。「どの辺で釣れるの?」 普通は教えてくれないはず。だが、今は権兵衛は解禁になったイワシメバル釣り。「江ノ島沖の水深70m位の場所」と聞き、ポイント移動。キタ-! ・・・・ 重い。 50cmのデカアマかな?と、おもいきやでっかいホーボー。そして、NOIさんの竿が大物らしき引き!これまたでかいイトヒキ。満足。そして、NGSさんは小さいながらも本命・アマダイを連発。釣果おきあがり15時前。早朝は冷たくつらい釣りだったが、初めてのデカ**は面白かった。残りの人生で2度目はないだろうな。帰宅後、ジュンとは追浜方面へ90分の散歩。
2013.02.09
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昔々(40年ぐらい前だろうか?)、赤ちゃん言葉でその愛犬に話しかける人を厳しく非難したコラムを読んだ記憶がある。もともと犬や動物は人間の言葉など理解できないが、一緒に生活しているとコミュニケーションは成立し、言葉はその手段の一つとして、幅広く深くなってくる。人間側も犬のなき方のトーン・リズムで喜怒哀楽がわかる。ネットで、「そうだそうだ」というコラムに出会った。→ 論説委員・清湖口敏 私が犬に水を「あげる」理由 2013.2.3 03:04 産経新聞[土・日曜日に書く] からhttp://sankei.jp.msn.com/life/news/130203/art13020303110001-n1.htm動物病院では飼い主を「おかあさん」、「おとうさん」と呼ぶ。私も初めてジュンを病院に連れて行ったとき、獣医さんから「おとうさん」と呼ばれ、悪い気はしなかったというより、「犬を飼った責任」の重さを感じた。以下 抜粋・・・ロビン・ダンバーの『ことばの起源』によれば、言葉は猿のグルーミング(毛繕い)から発生したという。猿は個体間の良好な関係を維持するために、相手を気持ちよくさせる毛繕いを互いに施しあう。・・・・平成20年度の「国語に関する世論調査」は、先の起源説を確信させるに十分な結果を見せた。「美しい日本語とは?」との問いに、「短歌、俳句などの言葉」「アナウンサーなどの語り方」などを大きく引き離して回答の1、2位を占めたのは、「思いやりのある言葉」「挨拶(あいさつ)の言葉」だった。・・・・状況に応じた言葉遣いを心掛けられないのであれば、常に「犬に水をやる」と言うべきだ-と。このコラムにもあるが、私も餌を「ごはん」という。ジュンはブリーダから購入したのだが、「購入」というのが嫌で「譲り受けた」と言っている。「譲り受けた」という表現にもまだ引っかかりが残っているが。ジュンから教わった大切なことがある。「思ったことをしたら、すぐその場で褒めること。」体罰はゆめゆめしてはならない。中学生の体罰-自殺事件は、社会人でも体罰が行われていることを表面化した。彼の死が人の文化・社会をさらによい方向へ向けさせるきっかけになればと思う。
2013.02.08
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「中国海軍のフリゲート艦が、海上自衛隊護衛艦に向けて火器管制レーダーを照射」少し前に「尖閣と盧溝橋事件と琉球・沖縄独立」と題して、原稿をしたためはじめていたのだが、沖縄の独立運動についてはもっと勉強してからと、更新UPには至らなかった。頻繁に尖閣の接続水域・領海を侵し、領空さえも侵犯してくる。尖閣島嶼を治める日本へのシナの挑発であることは明々白々。現近代史を少しかじれば、尖閣へのシナの愚行は「盧溝橋事件」を連想する。「盧溝橋事件」とは日中戦争の引き金になったシナの謀略である。歴史は繰り返すというが、野蛮で進歩しないシナ人は同じ手法を繰り返す。日本は宣伝下手とよく言われるが、国内向け以上に海外メディアにシナの暴力性・覇権主義を訴えなければシナの民主化はおぼつかない。なにせ漢人の繁殖力はすさまじく、「一人っ子政策」だけでは追いつかないのだろうか、過去、インド、ベトナムとドンパチやったのも人口抑制策の一環なのではと勘ぐってしまう。実際、朝鮮戦争時には中共政府に反抗的な「シナ国民」を最前線に送り込み、毛沢東は「大躍進」でさらに人口を抑制した。すでに人民解放軍を掌握したという「おぼっちゃま太子党」の習近平は、対日戦を妄想して国内の不満分子をリストアップしているのでは?格差に不満を持つ分子の一掃と、対日勝利?でシナは安泰??シナの手に乗らず、水面下でアジアの弧を造るべき。事実に基づく「わかりやすい物語」で米・欧・亜にシナの横暴を抑制すべき。世界は上っ面の知識・報道で感情的に判断してしまう人が圧倒的。こんなときこそ冷静な判断ができ、指導力のある政治家、文官が必須である。民主党政権でなかっただけ幸い。福はうち、シナは外!・・・てか。2013.2.3 瀬戸神社にて
2013.02.06
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ついこの前、「いじめ」で自殺してしまった中学生の問題が取りあげられたと思ったら、今度は「体罰」からの自殺。「自殺」から発覚した多くの事例の中には、平手打ちで耳に損傷を受けた生徒がいるようだが、多くは精神的な苦痛だろうと思う。それにしても自殺にまで追い詰められるということが、私には理解できない。その前になぜ第3者に訴えることをしなかったのか。「どうせ・・・」とあきらめ、残り多い人生もあきらめたのかも知れない。残されたご両親のことを思うと、残念・無念。私も小学生の頃、体罰を受けた経験・記憶は鮮明である。なぜなら、無実の体罰だったからである。教師の名前は忘れない。社会人になってからも・・・上司と合わず「私だけがいじめられている」と、思い込んだ時もある。4年ほどでその上司は異動し、わが世の春になった。その経験から、辛いことは永遠に続くものではないことを初めて認識した。話が変わるが、私は昔から運動神経が鈍く体力もない。某夜間短大に入学し、クラブ紹介・部員募集で「山岳部」に入部した。部の名称が「親岳会」で誤解していた。「どうせ、ハイキング程度だろう」となめてかかっていたらとんでもない! ごくごく一般の山岳部だった。当時は某私大のワンダーフォーゲル部での「しごき事件」がマスコミをにぎわせたときでもある。(部員はしごきで死亡。)私はまだましな山岳部にいると自分に言い聞かせた。山行のたびに退部したかったが、2年目くらいから面白くなってきた。あのとき退部していたら、いまの自分はなかっただろう。「自殺」の報道に接するたび、いまの人は年齢によらず「打たれ弱くなってきたのでは?」と、つくづく思う。こんな本に出会って、読んでいる途中。「一億総ガキ社会」・・成熟拒否という病:片田珠美著 2010年著者(精神科医)が臨床現場で感じている3つの特徴的な傾向――1.ひきこもりの増加にみる打たれ弱さ、2.何でも他人のせいにして切り抜けようとする他責的傾向(モンスター・ペアレンツ、モンスター・ペイシェンツ)、3.覚醒剤や合成麻薬などにすがる依存症の増加――を紹介している。苦痛を乗り越える努力はそれが「悪あがき」であってもすべきと思う。乗り越えられなくても「断念」という手がある。しかし、断念が「自殺」であっては断じてならない。福浦に住みつく猫がずいぶん人懐っこかった。こんどはキャットフード持参かな?ジュンは焼きもちもせず、猫様もジュンを怖れず。
2013.02.02
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「生きとし生けるもの」の意味は?辞書によれば「生きるものすべて」と、ある。この言葉を知ったのはいつの頃だろう。小学生?中学生?私の解釈は「生きとし」は「生きようと努力している生き物」。「生けるもの」は、ただ単に受動的に生きているもの。・・・・私の主観。先だって、麻生太郎氏がこんなことを言ったが、同感する人が多かったのだろう。非難論調が多かった空気が読めないマスコミ報道はすぐに沈静化した。→ 21日午前の社会保障制度改革国民会議。高齢者などの終末期医療に関し「いいかげん死にたいと思っても『生きられますから』なんて生かされたんじゃ、かなわない。しかも政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うとますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」と述べた。母が先に逝き、その後16年独居で「生きとし」の存在だった父。帰省するたびに「おまえのおかげでまた寿命が延びた。ありがとう。」その後体調不良から入院した父は見舞いに行っても目覚めることはなく、病院で1年後に逝った。入院した直後、父の近くに住む兄からは「延命治療は断ったからな」と電話を受け、諒解してはいたが・・・母のときは「検査が辛い」とこぼし、あげく認知症にもなって逝ってしまった。10年くらい前だろうか、親友と「ぼけ」の話題で、もし自分が陥ったら・・・「そのときは、自分もわからなくなるからそれはそれでいいんじゃない。」と。それでも私は受動的な「生けるもの」にはなりたくない。さて、愛犬ジュンは受動的な「生けるもの」か、自ら「生きようとしているもの」か? 断じて「生きとしもの」である。12歳になる。1歳の頃、食卓の上に乗りあげて私を見つめるので「これ!」と捕まえようとしたら、私とにらめっこしたまま横飛びして逃げ、私を相変わらず見つめる。「へへん、つかまらないよ。」・・・・小憎らしくも可愛かった。ジュンは果たしてケダモノ=犬なのか?人間と変わらないじゃないか!と思うことがたびたびある。12時近くになると「もう寝ようよ」と、せかす。風呂に入れるときは、「いやー」というようななき方をする。人間の子供のようにグズるときがある。散歩コースで行きたい方向があると、じーっと私を見つめ仕方なく妥協すると「やったー」という仕草をする。ノーリードの山道で先を行き、遅れる私を待っている。* 熊野神社に行ったとき年寄りグループと遭遇し、ジュンが階段途中で私を待っているのをみて感心されたのは自慢だった。(逆に私も先に行ったときは待っているが。ときどき隠れんぼうをすると、必死になって私を追いかけ探すジュンはいとおしい。)夕食の時は、私が食べ終わるまで食べない。それなのにジュンのしつけや芸はトイレ以外全く教えていない。ジュンともし巡り逢わなかったら、・・・・私は今頃アル中で、久里浜を脱走してカワハギ釣りをしていたかも知れない。昨日は遅かったので寝坊した。ジュンは5時前から私を前足でひっかき、起こしてくれた。厚木にはいつも通り到着。明日は珍しく土曜出勤。午後には帰るからね。
2013.02.01
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1月の例会はあまだい。船宿は久比里の山天丸。 参加者11名。ここも駐車場が狭いので心配して早めに到着したが、厳寒期のためか、予想外に空いていた。メンバーがそろったところで出船。私は運よく日当たりの良い右舷につり座が当たったが、防寒対策にはいつも気を病む。ポイントは剣崎沖。棚は90-100m。電動リールは欠かせない。数投目であたり!外道だが、ひらめ!・・と、思いきやカレー。じきにKNSさんに良形の本命が来た。いつもそうだが、誰かがあげると安心し自分にもくると思い込む。そうは問屋がおろさないのが「釣り」。MRさんにはハナダイ。真鯛より珍重されるという京都出身のTKMさんにデカアマダイ! 45cm。15時ごろまで続けたが本命は結局、船中2匹だけ。しかし海底を探る釣りのため、五目釣りと相成った。まあまあか。私の釣果。サバは2枚におろし、トラギス類も寒日干し。ハナダイは小さいが、刺身。翌日は塩焼き。
2013.01.22
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近隣でなにかイベントがあると、散歩の脚が軽くなる。今日は海の公園でどんど焼き。侍従川沿いから野島公園を通り、海の公園に向かう。ちょうど火入れの直前に着いた。いつもは閑散としているが、3つのどんど焼きの周りは人垣で前には出られない。歩道側は学園祭のように出店があふれ、買い求める人が列をなしている。イベントは・・・先週見た釜利谷での太鼓軍団のほうが派手?腹が空いたが、列に並んでいたのでは餓死する?!ジュンは朝食も食べずに出てきている。帰途、八景駅前で手羽焼きを買う。ジュンは4本の手羽の軟骨部を平らげ、朝ご飯もきれいに食べてしまった。明日は・・・ 例会でジュンは留守番。
2013.01.19
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<自宅から>朝寝した。カーテンを開けてビックリ。雪が積もっている。ジュン、散歩は中止!一人でコンビニにスナックとタバコを買いに出かけた。雪の中を散歩に出ている犬連れの方がいた。が、私はいや! 雪はやまない。 やはり散歩は中止。ジュン、ごめん。横浜・金沢区に住んで20年。こんな大雪は初めて。仙台時代が懐かしい。さて、ネットオークションで落札したLED電球が届いた。私の場合、照明器具=ランプが切れた経験が少ない。10年以上、維持ってきたのではないだろうか?ただし、居間のシーリングファンの電球形蛍光灯の寿命は短い。昔ながらの長管形やサークルラインは寿命が長い。寿命が短い理由は、電球型蛍光灯は内部にインバータ回路が入っているからであろう。しかもほとんど中国製。現地での品質管理がなっちょらんのでは!昨年末、とうとう壊れた冷蔵庫は17年近くもった。買い換えた量販店でサービスにいただいたLED電球をトイレの蛍光球と交換してみた。明るい!!これなら使える。(ただし、寿命に不安が残るので蛍光球は保管することにした。)で、順次LED電球に交換することにした。省エネ・・というか、電気代の節約の意味もある。(たいして消費電力は変わらないと思うが・・・)で、ネットオークションで安いものを探した。ただし、大手電機メーカーのものに限る。廊下の照明を含む8個を送料込みで¥6700で落札した。シーリングライト用廊下用小型シーリングライトで使用してきた蛍光球の消費電力は@16W。LEDは@6W。4灯で40Wの節約。交換してみた。明るい!!正解。廊下用小型LED球。これは大失敗。断熱材器具にOKと書いてあったが、既存の白熱小型ランプより1cmほど長く、シェードにぶつかり取り付けられない。照明が明るいと、気分も明るくなる。食卓上の蛍光灯ペンダントもLEDに変える。和室の蛍光灯もLEDに変える。省エネ効果はたいしたことないだろうが、寿命を信じて変える。寿命は10年位かな?* LED電球への交換にあたっては器具との相性、すなわち形状のご確認を。
2013.01.14
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侍従川で鵜が羽干し。カメラを向けたらポーズを取ってくれた。カラスも真似て羽干し?正月休みが明けたと思ったら、また3連休。中日はジュンと長距離散歩大道の横の山道に入る。しばらく行ったら、眼下の公園でどんど焼きをしている。「海の公園」でのどんど焼きはよく宣伝しているが、開催日は19日。その前に地域でのどんど焼き。餅つきもしている。釜利谷緑道に入ったら、多くの人が公園に向かっている。ここでもどんど焼き。こちらは派手で、太鼓のイベントも催されている。高級住宅地故か、最悪の火災に備えて消火ホースも準備されていた。MRIさん宅の前を通ったら、ちょうどご夫婦で出かけるところ。以前、私が帽子を忘れていったとのことだが、覚えがない。見せてもらったら、確かに私のワークキャップ。老いを反省する。文庫の「とんかち」でジュンの砂肝ジャーキーとささみ巻きを買い、ついでにシクラメンが安かったので買い増し、帰宅の途に。
2013.01.13
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新年の金澤七福神巡り。 初回は平成17年。当時の受付場所は金沢文庫駅だった。その後、さぼって3年ほど前から参加するようになり、通算5回、4年連ちゃん。今年から、起点はどこでもOKになった。で、一番近い瀬戸神社へ。人出が気になるので、今日はジュンはリードをつけっぱなし。 2番目は電車で富岡八幡へ。 参加者数がどのくらいかは分からないが、縁起かつぎや健康のためのウォーキングを目的にする方が多いのではないか?四国のお遍路さんも信仰心というより、健康ウォーキングで流行っているんではないかと思う。鎌倉の鶴岡八幡宮は境内が広く、開放的で好きな所だが、富岡八幡宮は一方が山の斜面で、私は比べて好きではない。が、釣りの神様? 恵比寿様があてられている。次の長昌寺に向かう途中、富岡公園ではジュンのリードを外した。 昨年は16号線を歩いて文庫駅に向かったが、今日はまた電車で戻る。その途中、「孫文の碑」が建てられたこぎれいな寺があった。 私は孫文は世間で評価されているほど偉大だとは思わない。民族自立といいながら、辛亥革命後は手のひらを変え、中華思想を押し出した。さて、文庫駅から西に向かい正法院へ。 ここでは、お汁粉やら酒が振舞われる。私も少し「剣菱」をいただいた。普段はあまり酔わないのに、ここで呑むと結構まわる。今度は東側の伝心寺へ。 次いで、龍華寺。 ちょっと休憩。 しばらく歩いたら腹がへってきた。よく通る道だが、鰻松の店先のうなぎのモニュメントに初めて気がついた。 次は最後の寶蔵院。ちょっと疲れ気味。シーサイドラインで柴口まで。 寶蔵院を出てきたら、スーパーの店先でサツマイモが安い。しかもでかい! が、荷物になるので買わなかった。(焼き芋にして売っていればよかったのに・・) 七福神めぐりの最終ゴールは八景島シーパラダイス。 山登りもそうだが、最後が一番きつい。到着は13時。いかになんでも腹が空き、ロッテリアでセットを買いジュンと一緒に外で食べる。朝食抜きで「散歩ー」と勇んで出てきたジュンも珍しく「もっとー」と、エビバーガーをほしがる。 ジュン、来年も元気で付き合ってちょーだい。
2013.01.05
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古巣の後輩からの年賀状。TKSは数年浪人を続けていた。YKWは確か昨年退職していた。2人とも同期入社。YKWは私が名古屋に赴任している頃、異動してきた。TKSは大阪に転勤。当時は月一で大阪にて西日本の合同会議を開いていたのでおのずと親しくなっていった。ところで、2人ともすでに50代。再就職は難しいだろうな。と、暗い気持ちを抱いていたが、明るい賀状を受け取った。記されてはいなかったが、なんと二人とも同じ計測器の会社に勤めているという。古巣の会社のマナーはぬぐい捨て、新人の気持ちで頑張ってほしい。私の正規の年金受給は65歳だが彼らはその先になるだろう。心身ともに健康で、戦中派を超える頑張りをいっしょに!。
2013.01.04
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10時過ぎに冷蔵庫が届いた。廊下に天井まで届く本棚を置いているので、入るかな?と心配していたが、さすがプロ。あっという間に設置して引き上げていった。そしてジュンはというと、「散歩―」としきりに煽る。あさっては七福神めぐりスタンプラリーで長時間歩く。・・・・冷蔵庫は2時間ぐらい経ってから物を入れてくださいとのこと。ウォーミングアップで出かけるか。レギュラーコースをやめ、別方面へ・・・・ウーン。横須賀追浜方面の貝塚山緑地に行くことにした。 予科練の跡地が、横須賀市に移管されたとのこと。「あんず」がいっぱい植えられていて、田浦の梅園に対抗!?入り口に立つと、ため息の出るいきなりの坂道。写真ではたいしたことないように見えるが、気がそがれる。 途中の右手に忠魂碑がある。ほどなく展望台。 住友ドックとその左が野島。 展望台を降りて帰ろうとすると、ジュンは目ざとく左側の道に顔を向け、「こっちにいこう」と目配せをする。 一巡して追浜の方に帰ろうとすると、反対側の海のほうに行きたがる。緑地のすぐ隣りは動物愛護センター。 多くのペットたちが里親に恵まれることを願う。さらにその隣りは「アイクル」-リサイクルセンターである。つくりはお城みたい。まさにマンションである。 海側から見たアイクル。アイクルのこちら側岸壁は釣り人に開放しているようだが、開扉は8時半。・・・これでは釣りにならない。道路沿いはフェンスで竿が出せない。ぐるりと回り、反対側には第一海堡が保存されている。明治期に第一から第三の要塞を東京湾に設置したものである。完成までに30年かかり、その2年後には関東大震災に遭った。 第三海堡は数年前にすべて取り壊されたが、第一、第二は健在。第二海堡は別な目的(私は知らない)で新たに工事中。そういえば、第二海堡では昨年、夜メバルが入れ食いだった。ことしも運が続いてちょーだい。*冒頭写真は横須賀米軍の住宅。その前の海は穴場。昔々、プレジャーボートで釣りをしていたら、海上保安庁の船に怒られた。
2013.01.03
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老境というには、まだ熟しきれない心境だが、そうだよなー、という文を綴られてきた年賀状があった。山岳部の先輩からである。「僕らの年齢になると、うらやましいとか、憎らしいとか、悔しいとか、他人との比較の中で出てくる感情は無くなり、自分なりの楽しみを見つけて、自然体で生きていけるということが、実になんともありがたいものです。又、何かにつけて飲み会を開くようにもなります。歳を重ねるにつれて、「多くを望まず、心の充足を図ってまいりたい」、「ただ生きるのではなく、善く生きるように努めてまいりたい」という思いが強くなってくるからなのでしょう。規則正しい生活の中にあっても、呑んで饒舌に夢を語り、又、ストレッチでいつも汗を掻いて精神と柔軟性を図っています。・・・」その先輩よりさらに年上であろう東北大のO教授からの年賀状。私なんぞに欠かさず暑中見舞い・年賀状を贈ってくださる。老眼には読み辛い小さなフォントで、研究への熱意を語られている。年齢的にはさらにその先輩の勤務先のAさん。84歳。2年ほど前に奥様との旅行のためにポータブルナビを購入。相次いでPCも買ってしまったそうな。年末、勤務先の立体駐車場の車路の清掃、水洗浄を始めだした。作業途中でぶっ倒られてはかなわないと、寒い中、私が仕事をとりあげる。こんな歳になっても、先達には教えられる、しごかれる。
2013.01.02
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