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<環状4号から朝比奈切り通しに入ってすぐの古木。御神木?>昨夜は早く寝に就いたせいもあり、ジュンに起こされ素直に布団から出た。さっそく、ご飯ならぬ散歩の要求。が、今日はガス会社の安全点検日で9時から11時まで自宅待機。いつまで待ってもこなかったが、10時過ぎに呼び鈴が鳴り5分ほどで終了。さあ、今日は熊野神社へ。2年前の今頃は熊野神社から帰途、リードに繋がれていない柴犬が事故に遭い、飼い主の少年や妹たちが泣き叫んでいるのに涙した。その名前-ナナを思い出す。散歩コースとしては気が進まないが、レギュラーコースに厭きて出かける。予報では雨模様だったが、曇り。昨日の雨・雪もたいしたことはなく、山道もそれほどぬかるんではいない。しかし、もう熊野神社という手前で倒木が道を通せんぼ。 山側右を抜け、参道に入る。 勝手知ったるジュンは階段を駆け上る。 前から気になっていたが、階段の石・狛犬に「満州」で起業した方の寄進の銘が刻まれている。 狛犬の下の銘は、昭和2年1月吉日とある。寄進者は満州・安東縣 金井**氏。満州国は1932年-45年だから、それより5年前に金井氏は満州に渡り活躍していたことになる。訪れる人は皆無で、下山。登り口にある自販機でココアをいただく。この周りの工場の方たちへの福祉のためだろう。安く、ココア70円、緑茶は20円になっていた。 環状4号線を歩き始めたら、弱雨になってきた。明日は鎌倉天園-鶴岡八幡宮へと思っていたが、延期かな。
2012.01.21
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7年ほど前、派遣の仕事も更新ならず職安には出向いたものの意欲は無くし、持ち金と数年後の年金受給などを計算して、緻密に80歳までの経済生活計画を練った。ローン、税金やら必要な固定費を考えられるだけ抽出し、毎月の可能な生活支出額を計算した。株は動かさずに持ち続けたため、その後のリーマンショックやらこのところのユーロ危機で私も破たん!?失業後は24時間毎日愛犬ジュンと一緒の極楽?連日の長距離散歩で歩道に繁茂する雑草が気になり、当初は平潟湾南側の遊歩道の草刈りから始めた。作業をそばで見ているノーリードのジュンをかまってくれたり、見知らぬ人から声をかけられ、休憩を兼ねて立ち話をしたり。そんな時、おぼつかない足取りで散歩にきたご老人と老犬。無害安全が一目でわかる。ジュンも逃げない。老犬も主人と同じように動作が鈍い。会話することはなかったが、ひとめぐりして戻る老人に、その老犬はマイペースでうろつき、後をついていかない。そのうち老人が振り返り、かの愛犬を呼ぶ。老犬は無視したまま。と、思ったがひょっとしたら犬も耳が遠くなっていたのかもしれない。私とジュンの将来像がそこに重なる。その後、今の職を得た。この1月で2年目、ビル管理。定期的な点検作業-消防設備、電気保安設備、エレベータ点検などなどは専門業者が実務を行うので、テナントからのクレームなど雑務処理がほとんど。PCを用意していてくれたので、暇に飽かせてニュースやらメルマガを読む。過日もAMAZONを覘いていた。こんな本があった。【犬の老いじたく―愛犬の老化と向き合うために】 中塚 圭子著 ジュンは12歳になる。人間なら私を超えた。それでも若く、元気に散歩・山歩きをするが、急な下り階段では抱っこして下りるようにしている。上りに比べて、下りの関節への衝撃は2倍以上といわれているから。毎日の散歩を強要されジュンの将来・老化のことなどほとんど考えてもいなかった。私自身も職探しをあきらめ、会社-社会から、さよならするまで自身の老いのことなど考えてもいなかった。「人間の老いじたく」に関する著作は、曽野綾子氏をはじめとして多くの方々が書かれている。AMAZONで「老い」をキーワードにして調べてみると、こんな本もあった。【老前整理 捨てれば心も暮らしも軽くなる】 坂岡 洋子 (著) 断捨離が流行ったが、所詮は流行り。私はなかなか捨てられない。なにはさておき、今年は私とジュンの老いじたくの年になりそうだ。明日は例会、真鯛釣り。ジュンは留守番。仕掛けつくりを始めたら、スネて椅子にもぐりこむ。
2012.01.14
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毎年八景駅前の弁天屋から年賀状が届く。お年玉ナンバーにより、無料だったり割引してくれたり・・私には2桁のぞろ目しかなく、社長宛には3桁があったのでこれをいただき、昨8日に出かけた。6時過ぎに着いたが、みよし・おおともとも釣り座はとられていた。陽の当たる右舷・胴の間に確保。7時15分出船。ポイントの千葉・竹岡沖へ約1時間。しかし寒風が強く、寒い。海も時化ている。 船中の釣果は思わしくない。先週も強風で八景沖にのがれ、キス釣りで「おみやげ」を確保したとホームページには書いてあった。ポイントを久里浜沖に移したがそれでも思わしくない。また、竹岡に戻った。で、・・・・・・・・私、初めてのボーズ!!酒を飲みながら釣りしたバチかな。釣り客は16名。トップは10枚。ボーズ6名ほどとか。トホホの初釣りだった。初め悪ければ、後が良いと言う事にしとこ。 7日の七福神巡り、8日の留守番。今日は釜利谷へ。
2012.01.09
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あっという間に一年が過ぎ、今年も七福神スタンプラリーの日がきた。サボった年もあり、通算は4回目。初回の起点は金沢文庫駅前から、その後は富岡八幡宮だったが、今年はどこからでも受け付けてくれるようになった。で、自宅から一番近い瀬戸神社を出発点に8時半に家を出た。<枇杷島側から見る瀬戸神社> 弁天像は国道16号をはさんだ向かい側の枇杷島に置かれている。枇杷島から見える船宿:米元、弁天屋、荒川屋の船は出払った後だった。 富岡八幡はちと遠いので、横着して電車で向かった。 寺社とその七福神はなかなか覚えられない。富岡八幡宮はえびす様だった。 そのまま長昌寺-布袋尊に向かう。このあたりの寺は直木三十五のゆかりの地だったことを思い出した。 次第に人出も多くなってきた。 長昌寺を後にまた電車で金沢文庫駅に戻り、正法院-福禄寿へ。 不動尊がある裏山に上れることは知らなかった。ここでは剣菱をいただいた。昨年は久保田・千寿があったのだが。ジュンはへんな姿勢をする。 再び文庫駅・・-16号線を渡り、伝心寺-毘沙門天にきた。 ここからすぐ近くの、私が一番好きな龍華寺に向かう。 どの寺社もきれいに手入れされているが、龍華寺はなぜか開放的で気分がよい。ぼけ封じの赤い幟が気になったが。ここは大黒様。最後は寶蔵院-寿老人。柴漁港の向かい側の小高い丘の上にある。 七福神巡りの〆は、シーパラダイス。記念品をいただき、毎年催されている秋田フェアを覘いたが、雪のかまくらのみならず、焼きそばなどの売店は列をなしているため、即買えた豚軟骨焼きをジュンと食べ、シーサイドラインで帰途についた。 龍華寺の門前にて。陽がまぶしい。
2012.01.07
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あけましておめでとうございます。2011.1.3 野島公園の展望台から30日は部屋を清掃整理したが、半分までで時間がきた。ジュンと私の身支度をして、深夜に名古屋の兄宅に向かった。全サービスエリアでジュンを散歩させた。浜名湖サービスエリアでは眠気が来て、2時間も寝入ってしまい8時過ぎに到着した。31日はすることもなく、兄と大府のリサイクルショップ「キンブル」へ。所帯じみた家庭用品を買いあさった。昨年は兄嫁のご両親が相次いで亡くなり、初詣は私も遠慮した。4日から仕事始めなので、2日21時ごろに名古屋を出る。渋滞は予想通り。三ケ日、吉田、由比、富士川。今日4時ごろ帰宅して一眠り。届いた年賀状には「お元気ですか」と、井上陽水のCMを連想させる手書きコメントが。ちなみに私は手書きが時間を食うので、以下のコメントを書いた。[近況報告]平日: 横浜&厚木でビルの管理。帰宅後は連日、愛犬の散歩90分。休日: 1. 三浦半島・鎌倉方面へ、ジュンと遠征散歩 2. 沖釣り・・思うように釣れません。 3. ボランティア初夏は野島公園でアサリ獲り、釣魚とともに海の幸を満喫しています。ブログ: 「愛犬ジュンとのなんじゃもんじゃウォーク」・・不定期更新で 6年目ですジュンと一緒にいる時間を大事にしたいので、まだまだ長生きしそうな知己との再会は先のお楽しみにしたい。ジュンは寝正月? 散歩はいつでも大歓迎!
2012.01.03
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横浜・金沢区 シーパラダイス方面を望む。下は横横道路久しぶりに鎌倉天園へ。大道から釜利谷方面への山道に入る。 釜利谷西に上がった。 さっさと先を行ったジュンは、曲がり角で私を待っている。 釜利谷緑道からさらに尾根への階段を上る。この階段で気後れするのだが、今日は寒くて知らないうちに尾根にたどり着いた。 ジュンはさらにすたこら、先を行く。 幾度も来ているがいつも早すぎ、峠の茶屋は仕込み中が多くいままでは「おでん」が食べられなかった。で、今日は10時半ごろ出かけて、昼頃に着くようにした。定番のカップ酒とおでん。 おでんはコンビニと比べるとあまり美味くはないが、そこそこのウォーキングのあとではまた別。ジュンはお店の人やら、訪れてくるハイカー達に愛嬌を振りまくのに忙しい。 しばしの休憩の後、釜利谷に戻る。往路では気がつかなかったが、9月の台風の影響か樹が根こそぎ倒れていた。 釜利谷緑道には降りず、そのまま金沢自然公園へむかう。金沢自然公園からの遠景。1月は恒例、金澤七福神巡りウォーク。2月にはドッグ・キャリーをもって鎌倉天園から鶴岡八幡宮に行こうネ。この1年ご訪問いただきました皆様、ありがとうございました。また、コメントも有難うございました。年末は名古屋の兄宅で過ごします。更新はそれまでおあずけ・・・かな?
2011.12.23
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2011.12.17 横浜・金沢区・福浦岸壁の夕暮れ不幸をもたらす地震・津波にチョン、チャイナ。おとといのニュースで李明博は野田首相との会談で、日本大使館前に設置された慰安婦の碑について、「日本の誠意ある措置がなければ第2、第3の像が建つ」と警告したという。そもそもの発端は、当時の河野洋平官房長官が韓国にはめられ、元韓国人慰安婦の“証言”だけで強制連行を認める虚構の談話を発表したことにある。*私の記憶では「狭義の解釈では・・」と注釈が入っていたが、こと中韓に対しては分りづらい複雑な表現は避け、単純明快に否定すべきであったし、諸般の推察事情は様々あっても四捨五入して、白黒をはっきりと明言すべきである。弱者、頭の悪い奴は狭い了見で自己の都合のいいように解釈し、わめくことだけは天才的で、約束は反故にする。戦時売春婦の話をでっち上げ、恐喝容疑で捕まらないよう、李明博は言葉巧みに「優先的に解決する勇気を持たなければならない」、と暴力団さながらに恫喝してきた。レームダック状態に陥れば常に反日強硬姿勢で、チョン達からの支持を上げようとする。一方、日本では島田紳助の一件以来、暴力団との接触が厳しく制限されてもいる。さてこの李明博会談の記事にムカついていたら、金正日が逝ったというニュース。金日成の息子として生を受けたのが不幸の始まりだが、でなければ好きな映画を作り三流監督ぐらいにはなっていたかもしれない。彼の人生は犯罪歴で埋め尽くされている。特定アジアのテロリストである。サンケイ記事 《世界挑発、重ねた蛮行 テロや弾圧、「瀬戸際外交」》から抜粋すると、http://sankei.jp.msn.com/world/news/111220/kor11122007250010-n1.htm1. 83年10月にはビルマ・ラングーン(現ミャンマー・ヤンゴン)のアウンサン廟(びょう)で爆弾テロ2. 87年11月に起きた大韓航空機爆破事件3. 96年9月には偵察目的で韓国東海岸に潜水艦で工作員を送ろうとしたが、潜水艦が海岸で座礁し工作員は韓国の山中を逃走。4. 70年代から80年代にかけては日本人や韓国人、その他、世界各地の人々を拉致した。5. 武力挑発も頻発した。1998年に中距離弾道ミサイル「テポドン1号」を、2006年に「テポドン2号」を日本海に向け発射し、日本列島を横断させた。6. 同年10月には周辺各国が懸念する中、初の地下核実験を強行7. 昨年3月には黄海で韓国海軍の哨戒艦を撃沈。8カ月後の11月には韓国の延坪島を砲撃した。その外にも偽ドル作成、麻薬を積んだ工作船は海保に追われ、観念して自沈。近年の独裁者たち・・・リビアのカダフィーやイラクのフセインの最期は惨めだったが、金正日はまだましな死に方だった。韓国の大統領も暗殺されたり、引退後に逮捕され死刑判決を受けたり、自殺したり・・・嘘・ねつ造でこり固まった反日国には碌な事がない。
2011.12.20
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納竿は松輪漁港・瀬戸丸でカワハギ。6時過ぎに到着したが、駐車場は満杯。無理やり船着き場近くに停めた。参加者は12名。 釣果・・・トップ21枚。私・・・・・書きたくないが、7枚。帰宅後ジュンを同乗し、IZT婦人とボランティアグループの前会長宅へおすそ分けに回った。ボランティア終了後、ジュンと福浦へ散歩 2011.12.17
2011.12.18
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ソウルの日本大使館前に【従軍慰安婦の像】が建てられたニュースがあった。胡散臭い【従軍慰安婦】は、数年前の米国下院での決議でも、ネットやマスコミで喧々囂々の意見が飛び交ったが、思い込み激しき輩は事実を積み上げ考察することが出来ず、反論は耳に入れようともしない。サンケイWEBから無断拝借。すみません。【慰安婦】とは【売春婦】のことである。この問題は見飽きてきたが、「ぼやきくっくり」というブログには《慰安婦問題 おさらい10問10答》http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1113.htmlが掲載されている。韓国といえば、数年前まで売春が合法で、違法になった直後、売春婦たちの「売春させろ」デモがマスコミを賑わせた。違和感を感じたものだが、同時に平和的で可笑しくもあった。(デモを取り締まる側も楽しかったのでは?韓国もおかしなミンシュ国になったものだ。)さて、問題点は売春そのものではなく、【国家機関が強制連行】したという韓国人が願ってやまない根拠薄き妄想である。現時点では捏造としか考えられない。しかし、併合下の朝鮮の女衒たちが日本軍に商売したことは十分想像できる。実は私が生まれて初めてポン引き氏に遭遇したのは、17年前のソウルである。営業所内の親睦旅行で、「どうせなら、海外へ」と仙台空港から直行できるソウルかシンガポールで、所員一致してソウルにいくことにした。2日目の自由行動でYと分れた直後、背中から流暢な日本語で声をかけられた。喫茶店に入り、その話の持ち込み方は非常に巧妙で、当初はまさかポン引きとは思いもよらなかった。最後に「オンナを買わないか。」というようなことを言われた。「ソウルは人口集中が激しく、地方からやってきている貧しい若い女性たちが多く、生活に困っているから助けてやってくれ。」というようなことを言われた。私・・・韓国人・朝鮮人の危なさを直感していたので断った。その瞬間、ポン引き氏の形相はやくざ模様に変わり、いくばくかの金をせびられた。あー、シンガポールにすれば良かった。なにかにつけ捏造話を持ちかけ、金銭をせびるのは韓国・朝鮮の民族性かしら。昨今はサムスン、現代自動車に負けじと売春を禁止された韓国女性たちも海外に雄飛し、オーストラリア、USAなどなどでご活躍のようである。売春婦大国・韓国といったところか。さて今日の慰安婦像のニュースとともに、台湾が売春を合法化するとの記事もあった。間違いではと目を疑ったが、事実らしい。Wik.で【売春】の項目に目を通すと、世界の売春事情 [編集]現在、世界的に売春は合法化の流れがあるとされる(2009年7月7日読売新聞)。アジアでは、タイで完全に合法化され、台湾でも合法化が検討されている(同日読売新聞)。欧米では、売春自体は合法である国がほとんどである。ただ、斡旋を違法としている国も多い。しかし、2000年にオランダが斡旋を含む売春行為を完全に合法化したのを皮切りに、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランドなども斡旋合法化に踏み切っている。以下、詳述する。・・・・中略韓国の事情 [編集]「:en:Prostitution in South Korea」および「Category:韓国の売春」も参照韓国では、チケット茶房、ルームサロンなどを通じて売春が行われている。売春業の規模が2003年時点で24兆ウォン(約2兆4000億円)でGDP比で約4%、20歳以上の韓国女性の25人に1人が娼婦であるという調査結果を韓国の刑事政策研究院は公表した[20][21]。 また、外国人女性を騙して入国させ、監禁の上で売春を強要する事件まで行った[22]。このような状況から韓国政府は2004年に売春行為を厳しく取り締る「性売買特別法」を施行したが、この法の施行にあたり、約3000人の売春婦が集まり「売春をさせろ」「生存権を保証しろ」とのデモがおこなわれ、その後も規制により生活が苦しくなった売春婦たちのデモが各地で発生するに至っている[23]。2011年には売春婦たちによって規制撤廃を求める大規模なデモがソウルで行われ、裸になった売春婦たちは町に火を付けたり自らガソリンをかぶるなどの恣意行動を外国メディアの前で行った[24]。韓国内の規制が厳しくなったことで、日本や米国をはじめとした海外へ「遠征売春」をしに出かける韓国女性が増加しはじめ[25]、韓国政府関係者によると日本で働く売春婦は3万人にのぼるとされ、それを追いかけて韓国人ホストも毎月100人以上が日本へ上陸していることが伝えられ[26]、米国ではロサンゼルス警察局の関係者によると、毎月逮捕される売春女性のうち、9割が韓国人であることが伝えられ[27]、韓国の売春事情は海外にも影響を及ぼしている。海外で売春をする韓国人は、米国では売春宿に「東京サウナ」[28]、「東京ヘルス・スパ」[29]などの店名を付けたり、オーストラリアでは韓国人売春婦らが「日本人女子大生18歳、(中略)紳士求む」という新聞広告を出して逮捕されたりと[30]、日本人に成り済まして売春行為を行っている姿が見られる。こちらのほうが問題だろ!別の話題:昨日の「中国漁船船長による韓国海洋警官殺傷」ニュースや中国当局の居直りとも受け止められる謝罪のない会見に、日本側の中韓との付き合い方を勉強させられる。すなわち、むやみやたらに謝ってはいけないということ。(昔から言われてきたことだが。)日本人はその場で謝り、あるいは謝罪を受け「水に流して忘れる努力をする」が、中韓は謝罪に対しては権利意識、優越感がむらむらと湧きあがり、いつまでも忘れない。無知・不勉強で騙されやすい日本人は、その場で謝れば済むと思い、その先の落とし穴を予想できない。「村山談話」や「河野談話」を、中韓は内政では国民をまとめる為、外交では日本に優位に立つために利用される。【スミマセン】、【I’m sorry.】は日常生活での潤滑油のような言葉だろうが、シリアスなトラブルに関しては安易に謝るべきではなく、事実を的確・早急に把握して判断して、軽々しく謝るべきではない。さてさて、ソウルの日本大使館前の従軍慰安婦像であるが、売春婦大国・韓国のシンボルとして放置しておけばよい。像はちょうど記念写真が撮れるようベンチまでしつらえてある。
2011.12.14
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日本の12月と8月は開戦、敗戦の記事・番組をよく見るようになったのはこの数年のことではないだろうか。バブル崩壊後は特にこの風潮が強くなってきたと、私が感じているのは不勉強だったせいかもしれないが。自信をなくし、自虐的な歴史観を抱くようになったのは敗戦による。日中戦争(「戦争」とは言わず、「事変」とよんでいた。理由があるのだろう。)に並行して、太平洋戦争に突入したのが70年前の今日12月8日。日本人の心理としては、宣戦布告通知が遅れ、事実上奇襲攻撃になってしまったことにうしろめたさを抱くのは自然だろう。(しかし、最後通牒を発して行われた戦争はどのくらいあるのだろう。しかも、日米戦争に関しては米側の「ハルノート」最終版が実質的最後通牒である。)いまでは開戦の張本人はフランクリン・ルーズベルトであるとの考えに至っている。私の小中学生の頃の歴史の時間では、F・ルーズベルトは大恐慌後のアメリカ経済を「ニューディール政策」で復興させたと学ばされ、好意的な評価だったが、どうもこれは間違いだったようである。今日の新聞には「ルーズベルトの責任・日米戦争はなぜ始まったのか」著者:チャールズ・A・ビーアド(1874-1948)の和訳が近々出版されるそうである。*当時は米政府の圧力で売れなかったそうである。日中戦争(あえてこの表記を使うが)については、辛亥革命で清を倒した孫文の後、後継者の蒋介石の時代には、またぞろ軍賊が割拠しだし、治安はまた乱れ始め、警察行動で抑えにかかった日本軍は、規律のだらしない中国兵、便衣兵(ゲリラ)に対し、泥沼に落ちていった。(それはちょうど、米軍がベトナム、アフガン、イラクで泥沼に落ちた現代と重なって見える。米国はつくづく学ばない。)いまも変わらないようであるが、中国は法治ではなく人治(即ちコネ、賄賂)で、国際法なんぞは自分の都合のいい所だけ受け入れる。しかも、南北朝鮮と同じく、うそ・捏造がうまい。今日、いろいろWEBを渡り歩いていたら、【日米戦争はなぜおきたか:久保有政氏】http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi06.htmを見つけた。私の思いを代表している秀逸な記述だと思う。まだ読んでいないが、加藤陽子氏の【それでも、日本人は「戦争」を選んだ】も興味大である。(加藤氏は今日のテレビ、BS歴史館「真珠湾への7日間-」に出演されていた。)歴史は掘り起こすものだと思う。30年前、私は始めての海外旅行・・ではなく米国出張の機会を与えられた。(会社としてはご褒美のようなものだった。)米英仏独、メキシコ、ブラジル・・世界中の営業マンがオレゴン・ビーバートンに集まり、新製品のトレーニングにかこつけた親睦会のようなものだった。そんなある夜、同僚の小林とホテルのラウンジで飲んでいたとき、アリゾナから来ていた営業マンが同席していいかと寄ってきた。Of course. Please.私の英会話はなかなか覚束ない。が、対面していればある程度理解できる。彼は開口一番、「あのとき、俺の爺様はパールハーバーに居たんだ」・・・・しばしの沈黙。そのとき何を話したか覚えていない。しかし、その後の連日のパーティーやらワークショップではなぜか彼のほうから近づいてきて、テーブル上の新製品をいっしょに評価しあった。私の下手な英語は中々通じず、同席のメキシコから来ていた少し年配の営業マンが私のへぼ英語を通訳してくれたりもした。日米開戦70年の今日、30年前のアメリカでの私のいい思い出がよみがえる。
2011.12.08
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永らく更新せず、それでもご訪問いただきました皆様に御礼申し上げます。ざっ‐かん【雑感】WEB辞書から雑多な感想。まとまりのない思いついたままの感想。とりとめのない感想。雑感その1:TPP関連してFTAだのEPAだの、WTOだのあちこちネットで読んでみるが、訳がわからん。マスコミ・ブログ・メルマガで見受ける論調は、開国だ、攘夷だと幕末ごときに真っ二つに分かれている。TPPのISD条項なるもの。資本力のある国、すなわちアメリカには有利!?バカ正直な日本には不利?・・・でもなさそうだが、訴訟を嫌う日本には??弁護士も職にあぶれているそうだが、法律だけでなく経済も勉強してISD条項を活用し、訴訟を創造するアメリカ弁護士に負けない日本人弁護士を目指すべきとも思う。【農業】いつものことだが、農業関連団体は猛反対。いわく、日本の農業が崩壊する。「オオカミが来た!」というやつである。農業=コメはもう何十年も保護され、見通しは立っていない。農業振興はTPP、WTO以前の問題である。片手間的に農業を営んでいる兼業農家は、いまだ土地信仰に埋没し大局が見えないのだろう。減反・遊休農地は荒れ放題といわれている。プロフェッショナル農業者に貸与or譲渡して競争力を培うべき。建築業者が不況で農業に出たがっている報道も見聞きするが。役人の無能と、農業従事者の【甘え】と言うのは、言いすぎかしら。【医療制度】・・ここからも、TPP反対の声があがった。オバマは国民皆保険を訴えて大統領になったが、腰砕け。日本の医療制度は最高。TPPへの議論参加をきっかけにして、逆に悲惨な米制度をつついて、医療先進国にしてやるべく、喧々囂々の議論を。TPPの中身をすべて知っている日本人はいない。(と、思う)その項目は30位ある。(らしい)賛成者、反対者ともども自分に関係するところのみに目を奪われ、全容を把握して判断を結論付けた記事はまだ見ていない。全項目に日本を主張して議論し、総合的にみてマイナスなら加盟は止める。議論参加の上、不参加を表明すれば日本の信用を損ねるという論調もあるが、真剣に検討・議論した結果なら致し方ないだろう。今の日本の「ゆで蛙状態」を脱するには、野田総理の判断はやむを得なかったと思う。*アメリカは過去には国際連盟に土壇場で加盟しなかったし(その後加盟)、CO2の京都議定書も批准せず、のうのうとその拝金主義を中国と争っている。雑感その2.ゆで蛙この逸話を聞いてから15年が経つ。私も日本もまだ茹で上がってはいないようだ。雑感その3.橋元イズム圧倒的多数を敵に回し、全マスコミは反橋元キャンペーン記事でこき下ろし、それでも独裁者は当選した。これは大阪のサイレントマジョリティの意思表明だろう。独裁=悪という先入観での判断は、しばしば感情論で語られ、その先にある本来の目的をぼかしてしまう。二重行政による無駄に類するものは、国の省庁の中でも見受けられた。(農水省の【広域農道】・・・なんで農林省!・・長野でのスキーで渋滞を避けるため、抜け道によく利用させていただいたが。)中東では長期政権の独裁者がバタバタと倒れされた。中国共産党は独裁だが、政治家は替わる。私は江沢民は嫌いだが、温家宝は信頼できる政治家だと思う。大阪都構想の橋元・大阪維新の会は・・・【大阪都】というのはシンボルに過ぎず、本当は人の集まる活気ある関西圏構築への偶像のようなものである。目には見えづらいが、国政にも大きな影響力が出るだろう。地方議会を含めて議員への歳費などは税金の無駄使いが多いのでは!?これも【事業仕分け】に含めるべきだろう。雑感その4.読書今年は日中、日米戦争の当時に関する本などを多く読んだ。・「真相箱」の呪縛を解く: 櫻井よしこ・「中国はいかに国境を書き換えてきたか」: 平松茂夫・中国のマスゴミ: 福島香織・言葉でたたかう技術:加藤恭子・中国の戦争宣伝の内幕:F.ヴィンセントウィリアムズ・暗黒大陸中国の真実:ラルフタウンゼント・アメリカの鏡日本:ヘレンミアーズマスコミ不信もあり、関西のTV局員が書いた・安心報道:林英夫は、マスコミ側からの報道姿勢、その内容への熟慮が自分のことのように理解しやすかった。朝鮮関連では「親日派のための弁明」:金**著これは、日本人の韓国人に対する心情をよく伝えている。*親日派とは韓国では逆賊を意味している。南北朝鮮民族は歴史を捏造せず、金氏のこの著作を見直し、その時代の歴史を正視し掘り起こすべきだろう。食卓は書斎机の代わりとなり、パソコンの横には数十冊の積読本が・・・そして今日また、前横浜市長・中田宏氏が著した「政治家の殺し方」を購入した。図書館には200人近い予約が入っていたためである。これでは何年も待たされる。それにしても、速読術を身につけなければ!2011.10.30 久里浜 花の国にて
2011.12.02
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ジュンの手術は終わり、検査結果も【良性】で一安心。4日間の入院。抜糸は退院8日目に行ったが、すべてを取るまでには至らず、15日に完全に抜糸が終わった。うざったいカラーもようやく外すことができた。獣医からは2-3日でお風呂に入ってもいいでしょうと。 さて職場へは6時ごろ出かけている。出かける前、玄関で淋しそうな風情を見せるジュンに、「6時ごろ帰るから、散歩はそれから・・」といって鍵をかける。部屋に閉じ込めたくはないので、真冬でもバルコニーの戸は開けて出る。この半年ぐらいからか駅に向かう途中、バルコニーからジュンの鳴き声が聞こえるときがしばしばある。早朝なので、ねている方もいるだろう。近所迷惑だとクレームが入るかもしれない。が、駅に急ぐ。(クレームは今のところない。)今日も6階のバルコニーからなくジュンが見えた。後ろ髪をひかれるとはこのことである。この10日間、社長と感情的ないさかいがあり、辞めることを告げたが、1週間後撤回した。(情けない)ジュンも私も元通りに復帰した。退院時 手術後20日目 明日はお風呂に入り、明後日は父の7回忌でジュンと名古屋まで長距離ドライブ。
2011.10.20
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<ブログを書いている隣の椅子で 2011.10.4>1日入院。手術は無事終わった。乳腺腫瘍摘出。子宮摘出。犬歯の歯槽膿漏が発見され、麻酔のついでに抜歯。ジュンはよく耐えたと思う。入院4日間。大好きな散歩もままならず。私の方が耐え切れず、昨日、今日と電話して夕方仕事は早上がりして迎えに行った。その愛犬が同じ手術をしていた釣り仲間のMED氏は、「手術跡を見るとびびりまくるぞ!」と、脅されていた。確かに・・・・おなかはフランケン状態である。写真は撮らず、掲載もしない。医院は近いので抱っこしたまま帰宅した。暗くなってから、少しだけ散歩。飛び跳ねるとこちらがビビル。エリザベス・カラーが邪魔だが、来週の抜糸までの我慢。32歳の頃、母が入院手術をした。人間だし、その時は兄・父がいた。ほとんど心配をしなかった。日々慰め・癒され、散歩で(私の)健康管理を強いられ、そのわがままで腹を立てさせられ、忍耐を強いられ犬寿を見届けるまで豊かな生活を楽しませてくれる。ジュンがいなかったら、ボランティアでの知的障害児の介添えなぞ私には無理だっただろう。犬は神様からの贈り物だと思う。
2011.10.04
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1日午後、獣医さんから手術は終わり動き回っているからと電話をいただいた。後肢近くの乳腺腫瘍は大きく、切除にご苦労をおかけしたようである。また、犬歯部が歯槽膿漏で,麻酔ついでに、抜歯しましたとも連絡いただいた。7年位前には、その反対側がぐらついているのを見つけて愕き、急遽診ていただき抜歯手術をしていただいた。その後は、犬用デンタルおやつ【グリニーズ】を欠かすことなく毎夜就寝前に与え、歯垢チェックもしていたのだが・・深夜、「もう寝ようか」とジュンにいうと、飛び回って喜び、「グリニーズは?」と保管場所の前で要求する。ジュンとめぐり会わなかったら・・・今頃、久里浜のアル中病院に居を構えていたかもしれない。(実は焼酎を飲んで、これを書いている。)釣り仲間のMED氏に電話したとき、「出不精の飼い主の健康のために、散歩させてやっているんじゃない!」と、ジュンがいっているんだろうと言われた。・・・・ 正解である。昨日30日は、【里親募集】のHPをみていた。関東エリアでは【パピヨン】が5頭ほど掲載されていた。パピヨンは歯が弱いようで、その犬は全歯抜け、あるいは保護後抜歯手術を施し、舌が口から出ている写真も掲載されていた。この夏に荒浜へジュンと出かけたとき、民間駐車場のオバサンに挨拶したら、無遠慮にジュンの歯を点検する。「10歳のわりに、歯垢がないね」と、いわれ彼女も愛犬を大事にしていることが分かった。小型犬と生活されている方は、愛犬の歯の健康にもご留意を。(ここまでは1日に書いた。)今日3日の追加仕事。・・・ 厚木のビル。ジュンがそばにいる幻想に襲われた3日目。(トイレに立っても、冷蔵庫に向かっても後を追ってくる。)午前に獣医さんに電話。「血管が集中している乳腺を手術したので、やはり退院は明日まで様子を見てみましょうとのこと。}小学生の頃、飼ったコロを思い出す。夏休み。コロを置いて、両親の田舎-伊良湖近くの中山に毎年10日くらい遊びに出かけていた。夜、コロを思って翌日急に名古屋に帰った。ビックリ&大歓迎のコロはいつもと違い、いつまでも私にしがみついた。さて、ジュンは・・・明日、退院予定だが抜糸まで散歩は無理だろう。引っ掻かないよう、エリザベスカーラーでお姫様から女王様になっていることと思う。膝上に載せて車で近所をドライブかな。
2011.10.03
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<2011.9.25 撮影>私は別れの場面では、女々しい性格になるようである。古巣の会社でもっとも仲の良かった同僚、後輩が退職した時。仙台時代、なんとかいっちょ前にしたかった後輩を、本社の別部門に送るとボスにいわれたとき。最近では釣りの大先輩との永久の別れ。永久の別れではないが、今日ジュンを近所の動物病院に預けた。乳腺腫瘍の切除と、併せて避妊手術のためである。退院まで3-4日かかるだろう。昨夜は疲れていたし、宋文州氏のメルマガで「朝まで生テレビ」にケビン・メア氏も出演するというので、早めに就寝した。番組が終わり、ジュンと朝風呂に入る。明るくなってから、中距離の朝比奈コースへ散歩。10時ごろ、動物病院に出かけた。診察室でしばらく打ち合わせをして、ジュンを預けたら医師に抱かれたジュンは、「エー」という不安そうな顔で私を凝視する。チャプリンの「キッド」を連想した。気分は【ポカーン】気晴らしに八景ダイエー内の大型電気店にタブレットPCを見に出かけたが、気分は虚ろ。勤務先のネット回線がこのところ不調で原因がよくわからない。スマートフォンに換えようか、画面が小さいのでWiFi接続のタブレットの方がいいか?WiFiのサービス状況がいまいち不明なので、しばらくは調査。帰宅したら、北側のバルコニーに鳩や雀が。いつもならうるさくて追い払うのだが、今日はやめ。録りだめした番組を観る。ジュンが、「散歩に行こ!!」と手をかけてくる幻想に襲われた。病院は数分の場所だが、ジュンのメンタル上、退院できる当日まで様子見訪問もしないことにしてある。私の方がメンタル的に持ちこたえられるかしら。
2011.10.01
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<幸浦から 2011.9.25>9.21は厚木のビルの巡回日。台風15号がもろに直撃。 ビルは一部雨漏りが・・・電車はストップ。帰宅困難。3.11と同じ憂き目か?21:50頃、復旧しなんとか0時前に帰宅できた。不通になった夕方の本厚木駅の周りは大混雑で、運よく本屋は開いていたので覗く。 「犬を長生きさせる方法」なる本を立ち読み。【乳腺腫瘍】の項に目がいく。この1年位か、ジュンの乳首の回りにしこりがある。診てもらおう。明けて、22日出勤。早々にかかりつけの獣医さんに電話。23日のアポを取り付けた。10月1日、手術のはこびに。受診後、ジュンと野島-海の公園コースへ長距離散歩。毎日の散歩コース-侍従川沿いの柳が幹から折れ、歩道を塞いでいた。 歩道は折れた小枝でいっぱい。室の木歩道橋にはポプラ?プラタナスの実が沢山落ちていた。 夕照橋たもとの新修丸はカサゴ釣り客で満席。野島公園の裏手入り口には土嚢が積まれていた。 その翌日24日は、福浦岸壁へ散歩。ここでは、松の太い幹が折れていた。 ヘリ基地への散歩を続ける。 シーパラダイス側へ。一番奥へと引っ張られた。 今週は(も?)ジュンのわがままを受け入れよう。 3日目、25日。今日はリネツプールでのボランティア日。早めに到着して、ボラの前に幸浦岸壁を散歩。シーズーを連れたご夫婦が投げ釣りに来ていた。ジュンを見つけたシーズーはワンワン鳴いて誘う。離れた位置から「何歳ですか?」と訊ねたら、ご亭主は寝たまま、指を5本広げて教えてくれた。ジュンを挨拶に近づける。同じメスで、1年目で避妊手術を終えたと婦人が言う。 ボラを終えて、また昨日の福浦を散歩。帰宅して、一休み。夕方、またジュンは私の回りを伺う。散歩??仕方ない。 いこうか。今度は横須賀・追浜方面へ。途上、16号線沿いの焼き鳥屋さんで買って帰ろうと思い立つ。が、今日はお休み。追浜を歩けば1-2件はあるだろう。持ち帰りOKの店を見つけたら開店は19時。また、とぼとぼ商店街を探しながら歩く。「営業中」の看板で、持ち帰り可の店発見。 客はまだゼロ。お店の方は快く焼いてくれた。焼き鳥を待つジュン。<手術・・・不安、心配、・・・鬱になりそう。>ジュンが0歳児の頃からお世話になっている獣医さんだが。念のため不妊手術も行うことにした。ビーグルを飼っていたMEDさんに電話した。彼からは、乳腺を全切除したことを伺っていたからである。数年前に亡くなったが、状況を知りたかった。結論は「飼い主の判断」。分かっているつもりだが、数日でも離れるのがなんとも・・。歳をとると気が弱くなるというのは、本当である。
2011.09.25
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あっという間に2回目の3連休だが、以下は1回目の3連休最終日。今日も暑かった。6時ごろ、最寄り駅の周りを散歩に出たが、ジュンはそれくらいでは許してくれない。で、三浦半島めぐりのドライブへ。まず、金田漁港。 このくらいのフジツボだったら食べられるのでは。 ジュンは車から降りた当初は元気なものの、すぐ日陰を探す。 岸壁釣りを見に行く。 岸壁には石鯛の稚魚がコマセに寄っていた。組合の作業場にはおこぼれの魚が落ちていないかと、多くの鳥が集まっていた。 さらに走り、松輪漁港に入る前に、間口隣りの南下浦海水浴場に行く。こんなに民宿が多いとは気がつかなかったが、砂浜には人出はなかった。 暑さがきつく、ジュンはまたまた日陰に避難。 松輪漁港はワラサ釣りだろう。駐車場は満車。降りずに、毘沙門湾方面へ。さらに走り、長井を抜け立石公園へ向かう。 県営駐車場は満車で、くぐり抜けて帰途につく。 駐車場は中々空かないね。・・・で、大アクビ。 失礼しました。
2011.09.23
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<剣崎沖>連休中日は例会、カワハギ釣り。船宿は久比里・みのすけ丸。乗り合い船は竿立てひとつに一人の満員御礼状態だった。 参加者は14名。駐車場が狭いので、ハイエースで一人で来るINEさんを同乗して、HSEKINさんと3名で7時前に到着。 昔、カワハギに凝りだした頃、お世話になった山下丸も満杯。 低い橋をくぐり抜けるので、船長室は上下して海に出る構造。釣り人も竿を立てていると折られる恐れがあるので要注意。 東電・久里浜火力横を抜けて、千葉・竹岡沖かとおもいきやポイントは剣崎沖。 皆さん、今日は写真撮影に協力的。 私は不調。(クソー) 2代目会長のHEGさんにこんなものまで・・・ 蝶々魚。 暑い日だった。すっかり日焼けした。竿頭12匹。私6匹。さばく手間が省けていいか?(負け惜しみ、トホホ)肝和え。ジュンは留守番の日だった。
2011.09.20
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<観音崎にて アジ?ワラサ? 遊漁船の群団が沖合いに 2011.9.17>暑さが続き、日中でのジュンの散歩コースは頭が痛い。起床していつもと雰囲気の違う私を見て、ジュンは散歩のタイミングを窺う。私の頭の中は「どこに行こうか?」「しょうがない、また観音崎で茶を濁すか。」 有料駐車場は海水浴シーズンが終わり、若干安くなっていた。 観音崎から望む雲はまだ夏雲。 手っ取り早い日陰の多い散歩コースは観音崎。勝手知ったるジュンは私を先導する。 何度も来ている場所だが、フェンスの鎖の太さを初めて認めた。太さ3cm位かしら。50年はメンテ不要!?旧軍事施設時代のこのトンネルは通行禁止。右側のコースを行く。 日陰を歩いても、私は汗まみれ。第二駐車場に抜け、帰途に入る。 帰ったら、また夜の散歩。・・・で、ジュンにしごかれる。
2011.09.19
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<野島と名月 右の灯りは夕照橋 2011.9.13 19:00頃> (写真は真っ暗でフォトレレタッチで単純に明度だけ上げた。10年前のコンパクトデジカメ RICHO CaprioG4)カレーやチャーハンはめんどくさい時、食欲のないときには便利な食事になる。チャーハンがこんなにうまいものか!と感動したのは22年前。会社の仲間たち男女7人で香港へ2回目の旅行。私はグルメでは断じてない。仕事上むしゃくしゃしていて、気分転換に出かけたのが1回目。半年後の夏休みに、また同じメンバーが意気投合して出かけた。コーディネータはグルメでしかもワインに凝っていたOUC。(OCUはいつも香港でワインをカートン買いしていた。)毎日、朝食は【陸羽】というレストランで飲茶。朝食後は三々五々、分かれて香港散策。夕食はOCUのアレンジでグルメ。その中に【福臨門】という高級酒家があった。チャーハンが出てきたときに、私は別のものを食べていた。初参加のMKIが、「Wさん、これが本当のチャーハンだ!」と叫んだ。どれどれ。うまい!!!!!【福臨門】という店は銀座にもあるが、とてもとても高くて旅行で気分昂揚したときでなければ入れない。それ以来、あのパラパラチャーハンを自分で作ることが頭から離れなかった。ご飯を固めに炊いたり、米不足で長粒米を輸入、抱き合わせ販売されたときはこれでチャレンジした。(長粒米はまずかった。焚き方がタイとは違うようだ。)油でパラパラにするのは、どうもいただけない。ご飯を水で洗ってパラパラにしても、炒めると・・ダメ。固めに炊くのが唯一の方法だった。以来、22年目にしてようやくWEB情報から【パラパラチャーハン】の作り方を知った。(Yahooでパラパラチャーハンを検索したら80万件ヒットした。中にはやはり事前に油で分離したり、マヨネーズでという記事もあった。)事前に溶き卵でご飯を和えておく。これだけ。3日前にチャレンジ。・・・・・ 正解。味つけはインスタント・チャーハンの素。当然、福臨門の味には及ばない。さらにチャーハンへのチャレンジは続く。ジュンとの散歩で出かける前。自宅マンションから。まだまだ夜も暑いね。
2011.09.14
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横浜市金沢区福浦にて 2011.9.11午前は発達障害児のプールでの介添えボランティアだった。今日は最近復帰したNM君を初めて担当。「障害児」とはいえ、20歳前後で皆うらやましいほど体格がいい。プールでなければとても支えきれない。さて昨夜、鉢呂経産相が辞任した。当然である。いい年こいて、デリカシィーにすこぶる欠け、政治家なんぞを続けられたら、迷惑千万の輩である。この情けない人物のホームページ アサヒの記事。【鉢呂経産相に早期辞任論 本人釈明「記憶定かでない」】鉢呂氏は8日午後11時20分ごろ、福島視察後に東京都内の衆院赤坂議員宿舎に防災服のまま帰宅。取り囲んだ5、6人の記者の一人に「放射能をつけちゃうぞ」と語り、服の袖をなすりつけるようなしぐさをした。その他、鉢呂氏は視察の感想などを語った。 http://www.asahi.com/politics/update/0910/TKY201109100148.html「死の町」発言に懲りずに、この体たらく。ひょっとしたら「認知症」に陥っているのかもしれない。早々に検査を受け、議員職は辞任すべきである。この直前、もう一人のアホ大臣発言があった。これのホームページ。 毎日の記事【一川防衛相:「素人だから文民統制」 石破氏は批判】防衛相に就任した民主党の一川保夫参院議員は2日、国会内で記者団に「安全保障に関しては素人だが、これが本当のシビリアンコントロール(文民統制)だ」と述べたhttp://mainichi.jp/select/seiji/news/20110903k0000m010099000c.html大震災以来、中ソの軍機がハゲタカのように日本近辺を飛び回っているというのに、この能天気な発言。責任感・指導力の欠如した政治家どもの口癖。【国民目線】・・・これでは【愚民目線】である。一川はシビリアンコントロールの「シ」ほども分かっていない!!国民はこれらの政治家ほどアホではない。日本をガタガタにして自らのみでなく、世界に日本を恥さらしにしたルーピー元首相、そのルーピーは後任のイラ菅をペテン師と吠えた。人間干物のような日教組ドンが幹事長。ミンシュ・蓮舫お得意の【事業仕分け】より、【政治家仕分け】が望ましい。さっさと解散総選挙をして、賢明な国民目線で政治家を仕分けすべきである。さて、発達障害児へのボランティアを始めてから、ちょくちょく【障碍】という言葉に目が行くようになり、今はこんな本を見つけて読み始めている。発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190) [新書] 少し難解で読み通すのに、時間がかかっている。
2011.09.11
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さあ休日、どこに行こうか? ジュン。浦賀を回ってみようか。浦賀から久里浜には数回抜けたことがあるが、西叶神社から東叶神社へは行ったことがない。今日は京急に乗って出かける。浦賀駅から西叶神社へ向かう歩道は日陰がある。(ラッキー!) 右に浦賀警察を見て、旧道に入る。狭い道の両側は、祭礼で出店の準備で埋め尽くされていた。 西叶神社の前では地元の人が幟を建てていた。 ジュンは手水場でお水をいただく。 神社からすぐの場所に浦賀の渡船場がある。 そのすぐ隣りには、関東大震災の慰霊塔が建っている。 浦賀でも愛宕山などが崩れ、200余名の方が亡くなられたとのこと。さて、ジュンは船に乗せてもらえるのだろうか?渡し代の看板を見たらOK。 船の姿は見えない。「ボタンを押してください」と、ある。しばらくしたら、こちらに向かってくる船の姿が見える。 一人+一匹で他に乗客はなく申し訳ないが、船長は気のいいかただった。ちなみに、この航路は「浦賀海道」という名で、横須賀市道2037号だそうな。船を降りたら、漁師町らしく道が狭く、東叶神社が見えない。赤い鳥居が見えたので向かったら、「東耀稲荷大明神」。屋根の恵比寿様、大黒天様。正面の彫刻は文化財になっている。 こちら側でも祭礼の準備中。 東叶神社。 携帯が鳴った。社長からだった。厚木のビルのテナントからエアコンが不調とのクレーム。土日のためメンテを依頼すべきM社は転送電話になっており対応が取れない。何とかならないか!M社の営業所の所長の携帯番号は、生憎登録してなかった。帰宅してファイルから電話相談するしかない。それでも、コールセンターへは電話してお助けを求めた。ごちゃごちゃしたが、テナントの薬局は1時で店仕舞い。エアコンも復旧したと、社長に電話があったそうな。メンテ対応は月曜日。 ちょうど巡回日である。浦賀の渡船上にて。 まだまだ暑いね。
2011.09.10
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中国語は知らない。唯一覚えたのは、「マイタン」=お会計という言葉。20年ほど前、会社の後輩どもと香港にグルメに行ったときに教わった。正直なところ、その頃まで、あるいは最近までシナ人をバカにしていた。「面子」を大事にするシナ人のメンツとは?理解できなかった。WEBを遊んでいて、「中国てなもんや商社」という本を見つけた。 中味は 内容(「BOOK」データベースより)ほんの腰掛けのつもりで入社した大阪の貿易商社で中国を担当したところ、首の入らないTシャツや開かない傘を送ってくるから大変。クレームをつけても相手は馬耳東風。華僑の上司にしごかれ、一人、中国に出張し格闘しつつ見えてきた日中ビジネスの深い闇と希望の日々を赤裸々に描く爆笑ノンフィクション。 自分の利益に関係なければ、「没問題」と言い放ち、「他人」や「社会」には責任感ゼロのシナ人。下手なマスコミ記事より、シナ人理解には役に立った。中国に仕事で赴き、シナ人に辟易していたもう一人の女性が著した本。 昨日届いた。そのタイトルがうまい! → 「人を食う中国人、割りを食う日本人」明日から読む。日本女性はつおい。なでしこジャパンの先輩方は大勢いる。その著作は全部読破した米原万里さん。(惜しくも亡くなられてしまった。私と同年齢。)彼女が抱いていた好奇心を、研究書のように著した本。 「パンツの面目、ふんどしの沽券」タイトルで惹きつけられる。メス海水で芋を洗うことを最初に覚えた宮崎のメス猿。長野の温泉に浸かることを行ったのは小猿らしい。私は雄であるが、注意してメス族を観察すると、その偉大さ、「面子」が見えてくる。 暑中お見舞い申し上げます。 城ヶ島にて。
2011.09.09
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今年11月は父の7回忌。ゆっっくり帰省したいので、盆休みはとらなかった。しかし、休日を避け今日、月曜休みを取り、地元の弁天屋からライトタックル・アジに出かけた。台風11号、12号の進路が不明のころに決めていた釣行だが、正解、運が良かった。3月の東日本大震災、今回の12号台風による和歌山・西日本の皆様には心底、お見舞い申し上げます。こちらも夜中に雨が降り、船は出ないかなと思っていたが、だめなら道具を預けて午後船もあるさと、6時の電車に乗る。右舷ミヨシ寄りに釣り座を確保したが、6時半ごろ弁天屋のベテラン船長から、客は2人だけのようだから左舷に集まって一緒にコマセを撒いて集めたほうがいいだろうと、アドバイスを受けた。船宿にしてみれば2人ではガソリン代もまかなえないだろう。 出船直前まで待ちましょうと、釣り座を変えなかった。3人ほどやってきた。都合5人で7時15分出船。右舷は不利で、左舷に5人が集まりアジを狙う。 ライトタックルとはいえ、ビシアジのような良形があがる。棚は20-30m。35cmくらいのオオアジが2本。同じくらいのサバが2本。25cmサイズが18本。11時ごろ沖上がり。若船長は、宿のほうは土砂降りになっているようだと言う。 今日はついている。船宿に上がったら、雨は止んだ。八景駅前の果物屋さんにおすそ分け。アジは生姜と梨・桃に化けた。 改札手前で、ボランティアで一番仲の良いMKMに遭遇。彼は奥様も魚を捌けない。が、アジだからと帰宅後届ける約束をする。帰宅・・・ジュンが飛び跳ねて出迎える。早々に着替えジュンを同乗して、MKMさん宅に向かう。また、強い雨が降り出した。幸運な日だった。 釣果アジ20本(35cm2本)、ゴマサバ2本。 ジュンが猫のように、刺身を食べてくれたらと思う日。
2011.09.05
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<陸っぱり・・・釣れてない・・ 奥に見えるのが城ヶ島大橋>少し足を延ばして城ヶ島へ散歩に。途中、立石公園でジュンのトイレタイムをとろうとしたが、無料駐車場の入口は閉鎖されていた。京急三崎口横を抜け、城ヶ島大橋を渡り、磯に向かう。台風12号の影響で波が荒いが、内側では高校生ぐらいの集団が泳いでいた。9月になっても蒸し暑い。8月の方が湿度は低かったと思う。 時折吹く風も蒸し暑く、快適とはいえない。 磯には名前知らずの、ユリのようなニッコウキスゲのような花が咲き乱れている。 私は散歩する気も失せ始めていたが、ジュンはあちこち行きたがり、チラチラ私の顔を伺いながら勝手知ったる水仙ロードにむかう。 風はなく、ただただ蒸し暑いので、途中で引き返した。台風の影響で、いつゲリラ雨にやられるかもわからない。帰りは三浦半島南の海岸線寄りに、毘沙門・松輪漁港を巡り、久里浜周りでドライブ散歩。涼しくなったらまた来よう。
2011.09.04
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<シーサイドライン野島橋付近から>天気予報は雨マークがついているが、降ってくる気配がない。ジュンは臨戦体勢で、朝ごはんも食べない。7時半に出る。コースは野島公園-海の公園-称名寺。 野島公園は人気がなかった。8時40分、野島橋のあさなぎ丸も出船していなかった。 海の公園も人出はチラホラ。時間が早すぎるのかしら。 称名寺も人は少ない。 博物館:金沢文庫脇の公園ではゲートボールを興じている方たちが10人ほど。金沢文庫駅まででて帰途に入る。途中、自販機で水を買いジュンと一緒に飲む。自宅まではあと15分くらいの公園で休憩。 公園を出ようとしたら、急にザーッと雨が降り出す。この先、自宅までは雨宿りできそうな場所はない。藤棚の下でしばらく雨宿り。不幸中の幸いだった。明日は、城ヶ島にでもドライブに行こうか。
2011.09.03
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<野島海岸>数えてみたら、今年はまだ3回目のアサリ獲り。昨日、WEBでアサリ料理の記事を偶然見て、潮見表を調べたら絶好日和。少し早いが、6時半に出かける。 潮はまだ引いていない。野島公園を1周、散歩してから漁場に戻る。岸寄りは少し引きはじめているので、降りて砂抜き用の海水を汲む。 ジュンは、「頑張って獲ってね。」という表情。岸寄りにはまあまあいたが、期待したほど大きなのはいない。1時間ぐらいして潮が大分引いた後、気がつけば良形のアサリの死骸が大量に。パックリ口を空けて集団で表面に出ている。どうして?? 酸欠なのか、赤潮なのか? 産卵にしては遅すぎる。死んでから1-2日くらいだろう。もったいない。 そのうち4人組の方たちがやってきて四方山話をしながら掘り始める。 ジュンはボチボチ上がったら!という顔をする。 今日は今までにない大漁。 おすそ分けは不在の御宅はパスして、NGMさん、SZKさん、IZUさん、MRさん宅に。MRさん宅では、山鳩が庭の木に巣を作ったものの強風で落ち、あらためて基礎を作ってやったらその上に巣を作って2羽が孵ったと、2階に上がりその様子を見せていただいた。(捨て猫を拾ってきて飼ったり、動物好きなご夫婦である。) さて昼前に帰宅後、16時半には車の6検の予約を入れてあるので酒蒸しで昼食と考えていたが、1杯だけ飲んでしまった。 5月のアサリは粒が大きくても、実が貧弱なものが多かったが、今日のアサリは正解だった。3パック分冷凍した。残りは佃煮にしよう。 ← 酒のつまみ。
2011.08.27
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ペット可のマンションが出来るのですが、購入しませんかと22時ごろ電話が入ったのは1999年。仙台のマンションのローンも残っているし、投資で購入した大森のマンションも借金だらけ。断ればよかったのだが、【ペット可】の言葉に魅かれ、ついつい源泉徴収票やらマンションの書類をFAXしたらその場で、「買えますよ」との回答。で、このマンションに移った。犬を飼う気で、知人たちに話をしたが、全員「犬がかわいそうだ」と反対する。 私が独り者ゆえ、日中は孤独にさせるからである。そんな中ある知人から、ペット可なら犬をしばらく預かってくれないかとトイプードルを預かった。日中は独り(一匹)である。なんら問題は起きなかった。知人たちの反対を押し切って飼う事に決めた。当初は近在のペットショップで、ご対面して決めるつもりだった。2頭飼っているN氏のアドバイスは大正解だった。「犬は10-15年は生きるから、見合い結婚するつもりでブリーダに出向いて、親を見て飼ったほうがいいよ」兄は雄のシーズーを飼っていたが、留守番をさせられるとストレスで家具を齧ったり、壁はマーキングのし放題。動物は雌のほうがストレスには強いという私の独善で、メスを探した。ネットでブリーダを探し、一方的な写真見合い。雌がネットに出ることは少なく、ようやく見つけても先約やら、「自分のところで飼う事に決めました」と、断られたり。ジュンに出会うまで半年かかった。ジュンを申し込んだら、これも寸での差で先約がありこれは大阪の人だった。ブリーダは埼玉県在。先約者はブリーダに航空便で送ってほしいと、依頼したそうである。生き物を貨物扱いで送るのを躊躇しているとの話を引き出し、「私が断ってやるから大阪の御仁を紹介して」と食い下がったら、「1日待ってください」・・・で、私とジュンは結ばれた。2001年3月のことである。(ジュンは2001年2月生まれ)犬の本を読んでいたので、2-3ヶ月は親元に預けておきたかった。ブリーダには内金とは別に費用を払うので、引き取りは5月の連休に伺うと、了解を得た。N氏に同行を依頼し、埼玉県比企郡までジュンを引き取りに出かけた。ジュンは雄雌の二人兄弟で、親も並外れて人懐っこかった。雄の方が毛並みは良く、両方とも引き取ろうかとも思ったが、親がかわいそうで思いとどまった。N氏に同行していただいて助かった。帰途、ジュンは乗り物酔いで食べたものをすべて吐いた。(ボックスティッシュ1箱を使い切った)今では、ドライブ大好きである。ジュンとのその後は別の機会に・・・おいおい書くつもり。さて、今日WEBで時間つぶししていたら、こんなブログに出会った。蓮華堂便り「犬猫を好きな方へ」:http://rengedo77.exblog.jp/14393160/ブログからブログに繋がり、糸井重里氏のものやらほぼ日刊イトイ新聞犬と猫と人間の話:http://www.1101.com/george/index.htmlまたまた下記のブログにつながっていく。「ジュルのしっぽ」-猫日記-:http://blog.goo.ne.jp/jule2856/m/201108One Action for Animalshttps://sites.google.com/site/1action4animals/public_comment現在、動物愛護管理法(動物愛護法)の見直しが行われている中、2011年7月28日(木)~8月27日(土)までの1ケ月間、「動物取扱業の適正化」について、環境省がパブリックコメント(国民の意見)を募集しています。 人間のための法律は沢山ありますが、動物を守ってくれるのはこの動物愛護管理法(動物愛護法)しかありません。わかっているだけで年間23万匹の犬猫の殺処分が行われているという今の日本の現実を知り、少しでも状況が改善されていくように、このルール改正に一人でも多くの方の声を届けて頂けませんか?動物愛護法が5年ごとに見直されているということは知らなかった。私はペットは8週齢(3ヶ月は親元で過ごさせる)であるべきだと思うし、動物を器物扱いしていることに異論がある。「パブリックコメント」はうまくまとまらない。
2011.08.23
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<観音崎公園 ボードウォークから望む>観音崎公園の木陰を散歩し、走水神社に降りた。 境内は盆踊りの櫓の組み立て中。氏子さんたちの作業の間を抜け、さらに急な階段を拝殿まで昇る。 漁労用の浮きかとおもいきや、ロシアの機雷がオブジェのように飾られていた。 涼しくて心地よいのか、ジュンは拝殿脇で一休み。神社を後にして、走水の海岸寄りで公園の駐車場を目指す。京急観音崎ホテルの横から砂浜に出る。 砂浜沿いに施設されたボードウォーク。手を当てると、熱い。 先方に木陰を見つけたので、抱っこしているジュンを降ろすと、スタコラ木陰に急ぎ、私を待っている。 砂浜でパラソルの下で休んでいるお犬様発見。カメラを向けたら起きてしまった。駐車場はもうすぐ。 ジュンの胸の被毛は、汗代わりの唾液が垂れ、びしょびしょに。来週はもうすこし涼しくなるか。 今度はどこに行こう?
2011.08.15
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<観音崎公園 2011.8.13 8時>真夏のジュンの散歩コース選びは頭が痛い。へたに連れて歩いていると、「かわいそー!」とか、中には「動物虐待だ!」とか、お節介な言葉を浴びせかけられる。日陰が多く、長時間散歩できる場所。地場の釜利谷コースは自宅からの日照りになる距離が長すぎる。手っ取り早くは、観音崎しかない。 <馬堀海岸:横須賀海岸通 1度だけ散歩したが、近くに駐車場はない>7時頃発。40分には到着したが、第1駐車場は満車。第二は空いていた。日陰になる奥に停める。テントが敷き詰められた中を歩き、人が少なくなったところでジュンのリードを外す。朝のサラダ。草を食む。 その先は工事ではなく、スズメバチが発生! 観音崎は江戸時代末期から防衛の要衝。いつの時代かは知らないが、トンネルが掘られ中は涼しい。今でも一部は自衛隊の管理地で、そこは整備が行き届いている。 公園は西武が管理委託を受けているようだが、ビジターセンターの向井側にはボランティアが伐採木で作った人形が・・ 辺りの主らしき猫様が、ジュンに動じることなく見据える。 公園の石畳を、走水神社目指して歩き始める。この先は樹木で覆われ、日陰が多い。 展望台に出る。ここからは、【スカイツリー】が望めると案内板に記されていたが、ガスって、千葉方面も見えない。 行き交う人も少ない。 ジュンは元気。 名前を知らない花に引かれる。 下りに入る。 もうすぐ、走水神社。*1日の容量制限で写真がアップできないので、続きは明日。
2011.08.14
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「焚書坑儒「」という言葉は、中学の社会歴史で学んだ。時の権力者、秦の始皇帝が書を焼き、儒者を生き埋めにしたという。文化・歴史はその国に脈々と流れ、行き続けるのだろうか。4000年の歴史を持つ中国は、また同じようなことを繰り返した。先の高速鉄道(あえて【中国版新幹線】とは云わない)の追突事故。原因調査も碌にせず、あっという間に事故車両を埋めてしまった。都合の悪いことは隠すのが人の常だが、あまりにもあからさま過ぎて、不幸な事故ではあるが、その対応には笑ってしまう。非難され、兵馬俑よろしく掘り起こした。ばか丸出し。今はマスコミ・ネットの報道・情報を焚書にかかっている。事故前は厚顔無恥にも、自主開発したと特許申請を米国のみならず、他の先進国や日本にも出すとの報道を読んでいた。蓋を開けなければわからないが、今の特許技術は単一のアイデアだけではなく、複数にわたる特許を絡め、高速鉄道なら車両のみでなく、安全運行制御システム、乗車にかかわるサービスなどシステム特許が多くなってきている。そして、ブランド。MADE IN JAPANは、ブランド中のブランドだろう。韓国サムソンは過去には日本製であることをイメージするCMを撒き散らし、売上で日本のメーカーを抜いた。中国人は矢継ぎ早に日本語の商品・地名などを国内で商標登録しているニュースも過去にあった。「新幹線-SINKANSEN」という日本語はまさか中国で商標登録が出願されていないだろうとは思うが・・いかさまな【面子】で、自主開発したなどど自惚れたため、日本の新幹線システムの安全ノウハウを盗むことは困難になるだろう。今回の事故とその対応で、【墓穴を掘る】という言葉が浮かんだ。もしも私が中国人で、日本人を前にしたら「穴があったら入りたい」と、中国人であることを恥じるだろう。追:旧ソ連、ウクライナから買った空母ワリヤーグ(中国名は「施琅」だそうな)が、10日に試験航行に出たとのニュースがあった。空母もそれ一隻では非力で、護衛艦群などに守られたシステム艦隊でなければ、カモになるだけと云われる。が、平和時での威圧力はあるだろう。自衛隊OB氏のブログで、もし日本が空母艦隊を持つとすれば、それだけで防衛予算が吹き飛んでしまうと記していたが・・・いまのところ、空母・施琅は張り子のトラ。事故を起こし、願わくば沈没を。そうなれば、横浜中華街でお祝いの爆竹を鳴らしてやる。再掲
2011.08.12
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いめーじ です。 WEBから無断借用。ご容赦をミンシュトー政権になってから、政治には関心が薄くなった。口先ばかりで実行力は伴わず、朝令暮改で騙され続けている。マスコミ論調は菅退陣一色で、烏合の衆の政党にまだ期待を抱いているのかいな?遅々とした復興対策をしている現状なら、いっそのこと解散総選挙をして、ペテン党を一掃すべきだと思うのだが・・さて、いままでは下世話なネタにはあまり関心がなかったのだが、サンケイWEBのトップにこんな記事が・・・女性酔客、駅員にかみつく 飲酒“悪乗り”急増中 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110809/dst11080908340005-n1.htm犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が噛むとニュースになるという典型。泥酔して線路に転落したり、終電で起こされ駅員を蹴ったり・・・情けない奴が多くなってきている!?私が駅員ならバケツを用意しておき、暴力を振るわれたらぶっかけてやるのだが。噛みつき女のニュースを見て、高校2年生の時の夏休みのキャンプを思い出した。級友6名くらいで岐阜のキャンプ場にバンガローを借り、避暑に出かけたのだが2日目に隣のバンガローに女高生一団がやってきた。話をしたいのだが、ナンパテクニックを持った奴はいない。が、Iが勇気を持って声をかけに行った。女高生集団は3年生で、同じ名古屋の女学校だった。こちらのバンガローに全員入りいろんなことを話した。「痴漢」の話に及び、これは彼女らも伝聞ではあるが、痴漢にあったさる女性は、気丈に痴漢に噛みつき、その指を食いちぎったというのである。カンナオトは、辞めたらノブコ夫人に噛みつかれるので辞めないのではと想像する。ジュンは・・・・決して噛みつかない。再掲
2011.08.09
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<釜利谷小川アメニティにて>夏はノミが活発で皮膚をやられやすい。(数は少ないのだが・・)フロントラインはあまり効果がなく、昨夜はジュンを風呂に入れた。今朝は6時に起床。休日でゆっくりしている私の気配を察知するジュンは、散歩を要求。朝比奈-釜利谷コースへ。 ちょっと休憩したところに、名前は知らない面白い花が。その蔦は雑草に絡み、競って咲いているような感じ。関谷の森では、どなたかが植えたらしいユリ。 かわいいけれど、すっかり嫌われ者になった台湾リス。 この花の名前も知らない。 これはフヨウ? 韓国の国花?BOT 4時間ほどの散歩から帰り、洗車しにディーラーへ再び外出。マンション住まいだと水道に困るが、ディーラーが無料洗車サービスをしていることは半年くらい前に知った。ありがたい。ディーラー近くの図書館に返本、新たに予約本を2冊借り、ついでに【売っちゃいな買っちゃいな】へ出物探しにドライブ。安物のショートロッドと、カサゴ挟みを購入。帰宅後、先週の残りのタコでたこ焼き。 たこ焼きを肴に焼酎を3杯飲み、寝入ってしまった。ジュンとの夕暮れの散歩はできなかった。明日もある。
2011.07.23
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<福浦から横浜港方面を望む 7.22夕方>私はどうも良い子ぶって、安請け合いをしてしまう性格である。今月も釣りクラブの総会時に、クラブのホームページの再開を提案され酒が入っていたせいもあるが、8月までに復活する約束をしてしまった。以前は無料サイトの容量はせいぜい20MBくらいで、写真をアップするのにも随分気を使い、縮小・加工に時間がかかり、いくつかのサイトをリンクし、タグミスチェックをするために膨大なページチェック。苦労の割には、会員の訪問は少なかった。で、やめた。もっとも、個人情報保護の風潮が強まり、めんどくさくなったことが本音だが。昨年は、学生時代の山岳部のOB会で当日の写真やら、古えの山行の写真をWEBアルバムにする約束をして、OB会の写真しかアップしていない。オマケに今年のOB会を幹事まで引き受けてしまった。こういう性格を「貧乏性」とも言うらしい。高校時代にもクラスも異なり、付き合いもなかったAから生徒会会長選挙での応援演説を依頼され、安請け合いしたことが思いおこされる。Aは目立たない奴だったし、それまで生徒会活動とは無縁の人物だった。私はその気概に同感したのだと思う。また、当選するとは思ってもいなかった。付き合いのあった副会長を務めていたCは、遅れて会長選挙に立候補してきた。選挙後、Cは「本当は私に応援演説を依頼したかった」と、淋しそうにつぶやいた。3年生になり、工業高校だったが私は進学を決め、生徒会活動からは身を引いた。Cは生徒会議会の議長を務めることになり、Aとはうまく運営していった。私は少し孤独感を味わった。それなのに、安請け合いしてしまう性癖はいまだに治らない。さて、遅ればせながらなでしこジャパンの優勝、おめでとうございます。また、有難うございました。延長戦後半での沢の同点ゴールでは、涙が出て止まりませんでした。 戦後、水泳の「前畑がんばれ、前畑がんばれ」という、当時の日本に自信を取り戻させたスポーツ選手の逸話を思い起こしました。古事記の話の中でも、強い女性が幾人も出てきます。今は曽野綾子という、強い女性の本を読み続けています。
2011.07.22
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シケで2年連続、中止になったトクエム丸でのマダコ釣り。今年は定宿の権兵衛丸(久留和漁港)で挑戦。6時半集合。 暑い ISYMさんに来た! NGSさんにも。 1匹目をばらしたNGMさんにも待望のタコ。 ISYMさん、3杯目。 優勝!!あきらめて、カサゴ釣りに変更。SZKさん、良形のカサゴ。 私、熱中症になりそうだった。で、・・・・・タコ・・・・・・・・・はボーズ。夕方、ジュンとレギュラーコース散歩。 暑いね。
2011.07.17
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暑い!けれど、今日はどこに散歩に行こうか?逗子海岸に行ってみよう。6時半ごろ電車に乗る。 最寄り駅も到着した新逗子駅も、運動着姿の生徒が多かった。 ジュンは待ちきれず、バッグから飛び出す。 「お犬様OK」の喫茶店があったが、開店前。とことこと、海岸目指して日陰側を歩く。 石原慎太郎の「太陽の季節」の記念碑。これは以前来た時には気がつかなかったか、関心がなかった。前は海水浴客が多くいる時間帯で、ジュンをノーリードで散歩していたら、ビキニのかわいいお嬢ちゃんに後ろから、「リード、つないでください」と注意された記憶がある。今日は時間が早いせいか、犬連れの方が多い。 ジュンも海に入れてやりたいが、本人(犬)はどうも苦手のよう。 地元の「海の公園」は、このシーズンは犬連れは砂浜には入れないのだが、逗子海岸は開放的でいい。*確か茅ヶ崎の海も犬の遊泳は禁止されていると知人に聞いていたが、今はどうなのかしら? 腹ばいで本当の「腹筋運動」をされている方もいた。「亀ヶ岡八幡宮」の境内で一休みして帰ろうかと思ったら、祭りの最中で腰掛けるところがない。 濡れて締まった砂浜は歩き易いし、ジュンにとっても熱くない。また来よう。 明日は釣りクラブの例会で蛸釣り。ジュンは留守番。夕方「海の公園」へ行こう。
2011.07.16
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<昨年暮れに購入した、叩き売りの胡蝶蘭、開花>数年前、日中にジュンと散歩していたら、「こんな暑い中、散歩させるなぞ、動物虐待だ!」と、見知らぬ人に非難されたことがある。今日はボランティア日だが、車を小型車にしたのでジュンを車中で待たせてはホットドッグになりかねない。で、留守番。昼前に帰宅。 ジュンは待ってました!さて、どこに行こうか。・・・・・荒崎にドライブ。 ボラでのプールも、荒崎も人出が多い。ジュンは降りてすぐは元気に飛び跳ねていたが、そのうち日陰を目指す。30分ほど散歩して、帰宅することに。・・・・ 渋滞。気がつけば、こんなところにも地蔵様が。 明日からはまた5日間のお留守番。夕方また平潟湾にレギュラー散歩へ。追5日はM社の接待釣りで走水の関義丸でアジ釣り。私のみ中々釣れず、午後からようやく入れ食い状態になった。
2011.07.10
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2年目のくちなしの花私は50歳で28年勤めた会社を辞めても、【老い】は意識しなかった。その後、57歳まで4つの会社を渡り歩き、契約更新ならず、また職安通いかと、仕事帰りに本屋で出会った新書が、「老いが怖い」:香山リカ著だった。視力・体力の衰えとともに「老い」を意識するようになり、職探しはあきらめた。今では、前期高齢者である。年金受給直前に職にありつけたことはこのブログに書いた。さて、曽野綾子氏の芳名は日本財団の理事長を勤める前から知っていたが、なかなか彼女の著作を読む関心・時間を裂くことができず、ようやく「老いの才覚」で初めての出会いができた。以下、図書館の検索データベースから 書名 :老いの才覚 シリーズ :ベスト新書 295 著者名 :曽野綾子/著 出版者 :ベストセラーズ 出版年 :2010.9 ページ数等:172p 要旨(BOOK):年の取り方を知らない老人が急増してきた!超高齢化の時代を迎える今、わがままな年寄こそ大問題。自立した老人になり人生を面白く生きるための7つの才覚の持ち方。 著者紹介(NS):1931年東京生まれ。54年聖心女子大学英文科卒。79年ヴァチカン有功十字勲章受章。93年恩賜賞・日本芸術院賞受賞。97年海外邦人宣教者活動授助後援会代表として吉川英治文化賞等受賞。95~2005年日本財団会長。日本文芸家協会理事。日本郵政(株)社外取締役。 書誌番号 :210065427 予約数 666 横浜図書館で予約しても待ち人数が666名。35冊の同蔵書があるが、計算してみると私のところに回るのは1-2年後。で、AMAZONで古本を購入。私は個人的には【老いの才覚】は、男なら頑固爺、女なら意地悪婆さんと思っていた。 両者とも見方によっては、「孤独に耐えて自己の存在感を意識」しているジジババである。「老いの才覚」の腰帯には「年の取り方を知らない老人が増してきた」とある。受け身で教えられるばっかりで、自らアグレッシブに学ぶ機会に恵まれなかったのだろう。前半は「くれない老人」の話。・・・**してくれない、という甘ったれジジババのこと。その目次第1章 なぜ老人は才覚を失ってしまったのか第2章 老いの基本は「自立」と「自律」第3章 人間は死ぬまで働かなくてはいけない第4章 晩年になったら夫婦や親子との付き合い方も変える第5章 一文無しになってもお金に困らない生き方第6章 孤独と付き合い、人生をおもしろがるコツ第7章 老い、病気、死と馴れ親しむ第8章 神様の視点を持てば、人生と世界が理解できる早く逝けばいいのにというジジババは長生きし、「いいひと」は早世する。いい人ぶるのは疲れる。私はいい人ぶって、読み終えた本で予約の多いものはすべて図書館に寄付してきた。この「老いの才覚」は、も一度読み直しそうなのでいい人ぶるのは辞めた。アホ菅をはじめとして、決断力なし、責任力無し、他人任せの団塊世代が糾弾されつつある。いい人ぶってカッコつけるのはやめて、素直に自を出して生きるのが老いの才覚と言うものだろう。 人間は死ぬまで働かなくてはいけないTVでお見受けする漁村・農村の老人たちは70代80代で仕事をしている。都会のサラリーマンは体力がない。仕事する気もない。遊びほうけているとは言わないが、税金でまかなわれている公共単純作業くらいはボランティア活動でその落ち込みをカバーし、若者たちの負担を軽減すべきだろう。*所属するボランティア団体の総会で以上のことをぶちあけたら、仕事を奪うことになるのでそれはやめたほうがと拒絶されたが、税金の効果的使途を考えれば、民間が下請けの公共事業は天下りが多く、年寄りを集結して狡猾な天下り役人(税金からの予算を確保し、使うことばかりを考えている。もちろん自己の収入も)は駆逐すべきだろう。私の回りにはボランティアネタを探し回っている老いの人たちが、大勢いる。私も死ぬまで働かなくてはいけないようだ。6月26日 金田港にて
2011.06.29
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<好きな空色の花-ベランダで越冬したアメリカンブルー >帰宅後のジュンとの散歩。中堅スーパーの軒先でトウモロコシ発見。3本ほど購い、焼きトウモロコシに。。 ジュンは飛び跳ねて要求する。半分ほど食べ、ジュンに渡す。 明日の分もあるよね、・・・てか。 * アクセス77777を記録したが、来訪者はブロガではなく不明。
2011.06.28
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今年3回目のアサリ獲り。先週土曜の干潮はいい時間帯だったが、起きてがっかり・・・強雨。今日は中潮、干潮時間は12時半。10時半ごろ出かけるつもりが、散歩を煽るジュンのため9時半に出発。潮は引き始めていた。ジュンはつないで陸で留守番。 この寂しそうながっかりした顔。沢山いるがアサリは小ぶり。 人出は少ない。ジュンは相変わらず、ふてくされている。 乱獲する中国人はきていない。(仲間内で来ている人たちも、やはり悪口を言っていた。)獲れるときにとって、冷凍保存しておこうと、いつもの倍近くを収穫。さあ散歩。いっぺんにいい顔をするジュン。 帰途、Sさん宅におすそ分け。おすそわけのアサリは、Sさん宅の家庭菜園でできた大きなジャガイモに化けた。もう1軒、Mさん宅にもおすそ分け。奥様は仕事で不在。「おひる、食べてないだろ?」で、カレーライスを相伴させていただいた。1時間ほどお邪魔して話しをしている間、ジュンはMさん宅の猫の餌の残りを食べてしまった。(猫様は2階に避難)さらに、奥様の実家から送られてきたというマスクメロンをいただき帰宅。雨が降り出してきた。 夕方の散歩は中止。昨日録画していた「ブタがいた教室」を観る。 春に飼育を始め、成長したブタを「食べる、食べない」で、卒業間近の小学6年生が【白熱教室】さながらに議論する。(ほんまに演技なのかいな?)制作年は2008年。NHKの【ハーバード白熱教室】が高視聴率を上げたのは昨年。この映画はもっと評価されてもいいのではないのかな。反捕鯨を叫ぶ輩にも見せるべきでは・・・と思った1日。
2011.06.18
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年金生活に入る前から失業し、職探しもあきらめ、そして、ビデオレンタルを利用することもなくなった。幸い、職を得ている間にBSデジタルテレビやDVDレコーダは購入していた。BSチャンネルはコンテンツ不足なのか、映画放送が多い。デジタル化されてから番組表で録画が簡単で、しかもテープいらず。容量が満杯になったら、見なかった映画は、積読本を処分するように消去して新たな番組の録画に譲る。簡単な番組解説で興味をひき、録画して一気に観たイヌの映画がこれ。ボンボン:アルゼンチン映画 あらすじ・感想は書かないことにしている。この映画のおかげで、「いぬの映画」を検索した。 まだまだあるだろう。年金生活に入る直前に職を得た。通勤時にまた本を読むようになった。(自宅ではジュンが読書の邪魔をする。)あきらめていたが、預貯金・収入を計算し、車を買い換えた。今年から節約のため、本は購入しないで図書館で借りるようにした。NET予約しても、あまりにも長く待たされるため購入してしまうことが多い。AMAZONで中古本を探しているうち、また犬の映画の広告が目に付いた。買い上げるのはバカバカしいし、レンタルショップに出向いて探すのもうっとおしい。NETレンタル。DMMを会員登録し、最初に「ハリーとトント」(老人と猫の映画)を借りてみた。今日、「HACHI」をレンタル発注した。寝る時間がどんどん削られていく毎日である。散歩の時間は削れない。
2011.06.15
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ニュース、メルマが、ブログで被災地のペットたち、家畜のことが報道されると心が痛む。人が人を助けるのは当たり前のことと思い、人がいなければ生きていくことが困難で見捨てられがちな動物ゆえ、被災地の方々の苦労を思っても、気持ちはペットたちに向かう。多くのボランティアが、様々な思いで自己にできることの実現を目指して努力し、また二次的な助けを求めている。こんな記事で悲惨な共食いの現場を伝えた方もいる。福島原発の警戒区域に残された無残なペット日本でも「ペットの避難・輸送基準法」の制定を!2011.06.07(Tue) 塩村 文夏 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/10514→ 肉球支援隊http://nikukyuu946.seesaa.net/article/196500155.html* 閲覧注意 悲惨な写真ありペットの状況ニュースに出会うたび思い出すのは、昭和30年代、南極観測隊が緊急に避難する時犬達を残さざるを得ないほど急を要し、鎖につないだまま砕氷船で帰国したこと。その後映画にもなったが「タロー・ジロー物語」である。仔犬だったタロー&ジローだけが首輪からはずれ、ペンギンやら海洋哺乳類の糞を食べて(他はすぐに凍り食べられない。)生き延びたと言うこと。すぐに家に戻れると、避難所に逃げた方々の後悔と愛犬・愛猫たちへの思い、家畜たちへの後ろめたさと原発への恨み。私にしてみても今回の事は、死ぬまで忘れられないだろう。自分を慰めるために、思いおこした動物映画の解説を追った。そのひとつ「ハリーとトント」・・・動物と人との関わりの映画は多い。WEBを追いかけていくうち、新作「星守る犬」にたどり着いた。11日公開。(冒頭写真は勝手ダウンロードして掲載。ごめんなさい。)ジュンには申し訳ないが10年ぶり以上で、ロードショーを見に行くつもり。
2011.06.09
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うねりの激しい日だった 南房・布良沖天候不順で1週間遅らせたイサキ釣り。古巣のIZWさんは栃木から、南房・安田丸まで来てくれた。民宿・安田丸に前泊。10時ごろ就寝。3時半起床。船への集合時間は4時半。車中泊の方々を入れて定員16名で満席。港に着いたら、風が強いので出船するか否か船長が情報収集中。先客はまだ乗船していなかった。そんなー。でも、出船・・・・ホッ。うねりと風が強い。 目標は50匹にしていたが、仕掛けをいくつ一人マツリしたことか。欲張りすぎたみたいで、30匹に目標を減らした。最後のひと流しでようやく自己に課したノルマ達成。 12時、港に帰着。 ま、私の釣りはこんなもん。おすそわけに4件回り、名古屋の兄宅にはクール便。 ジュンが心配で一旦帰宅後おすそわけに回ったが、その後、毎日のコースの散歩。・・・・ 疲れた。 ・・・・・ おまけ。いさきのカルパッチョで水割り3杯。
2011.06.05
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先週の悪天候でイサキ釣りを延期した。今日の午後、南房・相浜に出かける。栃木在住のIZWさんと船宿に前泊。11年ぶりの再会だが、深酒に注意しよう。ジュンは独り寝の留守番になる。後ろめたさがぬぐえない。8時ごろ、福浦を周回する散歩。すでに初夏の気温。釣り人も多く、沖合いには遊漁船が数多く停船している。14時ごろ出発予定。まだ時間はある。また、駅周辺を散歩するか。* 過日に見た「放射能汚染地図」の最後で、愛犬を残して避難された方が餌を与えに戻り、再び避難所に帰るシーンでその愛犬が車を追いかけてくる。・・・・ 切ない。 ドキュメンタリーだがドラマのようで・・・5日には続報が放送される。
2011.06.04
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内閣不信任決議案が提出された。知恵無く、指導力なく、ペットに頭だけを食い込ませるダニのように政権には食らいついていたい根性だけは持ち合わせている。そこいら辺のおっさんでも、もっとましな対応をするだろう。歴代総理でこんな人物がと、私が呆れた方々を思い起こすと宇野氏、鳩山氏、菅氏の3人。頭の中はどうなっているんだろうと思わざるを得ない。今日のサンケイには偶然、古代中国の史書から菅総理を批判した記事(正論)、ブログが掲載されている。東洋学園大学教授・櫻田淳 暗君と呼ぶほかない宰相の風景http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110602/plc11060203060004-n1.htm1.「明君」とは、「様々(さまざま)な人々の意見を適切に聴くことのできる君主」であり、「暗君」とは、「一方に偏った議論だけを信じ、他を受け付けない君主」である。それは、一般に語られるように、君主の知識や見識ではなく、物事に対して向き合う姿勢を問い質(ただ)している。2.要するに、「愚暗の人物は、自らの能力と善行に根拠のない自負を抱く」という意味である3.「詐」とは、「誠」の対義の言葉である。権力の「獲得」の折ならばともかくとして、その「維持」に際し必要とされるのは、「詐」ではなく「仁義」、あるいは「誠」である。4.そもそも、政治指導者がどのような姿勢で自らの執政に臨むかは、民衆に伝わるものである。政治指導者が浮薄な「演出」や、「パフォーマンス」に走ること自体には、「このように振る舞っておけば、民衆は手なずけられるものだ…」という趣旨の、民衆に対する「不信」や「軽侮」の感情が潜んでいる。『貞観政要』は、古来、「帝王学の書」と位置付けられてきた。それは、「統治の作法」を伝える書であった。目下、日本の人々が目にしているのは、この「統治の作法」に照らし合わせれば、「暗君」と呼ぶしかない宰相の姿である。(さくらだ じゅん)【詐】という漢字は民主党にふさわしい。左翼ではなく【詐翼】という感じがふさわしい。政権奪取のためにできもしないマニフェストを謳い、いまや【誠】の影すら見えない。阿比留記者はブログで短信・韓非子が描く亡国の指導者は菅首相そっくり http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/2306078/と、書いて批判している。過而不聴於忠臣、而独行其意、則滅高名為人笑之始也(過失をおかしながら忠臣のことばを聴きいれず、ひとりで自分の思ったとおりにしていると、名声を失って人の笑いものになっていく始まりである) 很剛而不和、愎諫而好勝、不顧社稷、而軽為自信者、可亡也(君主がねじけてかたくなで人と和合せず、諫言に逆らって人に勝つことを好み、国家のことを考えないで、軽率な行動で自信たっぷりという場合は、その国は滅びるであろう) 先には阿比留記者のこんな本を読んだ。図書館の蔵書にはなく、仕方なく購入したのだが読み終えて蔵書検索したら2冊ほどあり、予約数が2ケタだったので寄贈した。(政治色が強く、公共図書館ではおかないものと思っていた。)他人を「批判」することはできるだけ避ける生活を心がけているが菅直人はあまりにもひどすぎる。(ハトぽっぽも同じだが)中高時代の生徒会議会でも、批判ばかりして悦に入っている奴が必ずいたが、そのまま歳だけこいたのがミンシュ、シャミンだろう。実務は、からっきし能力なしで無責任!さて、「他人のふり見てわが身を直せ」という。私も幼稚なところがあると思う。で、こんな本を見つけ図書館に予約したが、半年経っても回ってこない。「発達障害に気づかない大人たち」しかたなく、またAMAZONで中古本を買った。今日は職場で書いている。 月はじめは暇である。社長は釣り仲間4人で南房・布良でイサキ釣り。8時前に電話があった。もう、50匹釣った。クーラーに入りきらない!・・・・ クソー!
2011.06.02
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連日の雨。つまらん。ジュンはもっとつまらん。車での外出も、ずーっと車の中では芸がない。うーん。久里浜のドイト・CAINZ Homeは店内を散歩できないまでもお犬様用のカートがあり、連れて巡ることができる。少し遠いが、ドライブだけではマンネリなので出かける。到着したが、「ペット用カート」が見当たらない。係員に尋ねたら、屋上にたまっていると思うので降ろしてきますとのこと。そうこうしているうちに、カートに乗ったお犬様が飼い主とともに店内から出てきた。・・・・ 交代。カートに乗ったジュンは最初のうちは落ち着かなかった。が、 犬連れのお客は結構多い。店内でのおおっぴらな写真撮影は憚られるので、そそくさと済ませる。ジュンはお客に愛想を振りまく。年配のご婦人からは、「15年生きていたけど、つらいのでもう飼えない。」「いまは主人も亡くなり、メダカを飼っています。」と、声をかけられた。店内をくまなく巡り、低反発クッションやら便利グッズを購入して退出。私と同じようにペット用カートを探していた婦人と交代。まっすぐ帰るのもつまらないので、野比-佐島方面を回り、立石公園でトイレタイム。本日の外出終了。
2011.05.29
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北側のベランダの隅に今年も鳩さんが子作り、子育てのために居候。(*近所迷惑なので追い出すのだが、韓国の竹島占拠のようにしつこく・・・)雨にずぶ濡れになって、逃げもしない姿をみると追い出せない。雨。実は今日はジュンは留守番で、南房・相浜でイサキ釣りの予定だった。今は栃木県に住む古巣のIZWさんからメールをいただき、船宿に前泊して臨むつもりだった。11年ぶりの再会を楽しみにしていたのだが、大雨の予報で1週間先送りすることにした。雨の日は愛犬家によっては合羽を着せて散歩する方も多いが、ジュンの場合、ドロだらけになって帰ることになるので私は説得する。それで・・・車で近距離ドライブ。ジュンだけではなく、お犬様はどうして窓から顔を出したがるのだろう。膝上に座っているジュンは、信号待ちで「窓を開けろ」と私を見つめる。図書館へ返本し、福浦-幸浦方面にドライブ。雨は止まない。昼食を食べていない。腹がすいた。帰途、マクドナルドに立ち寄る。TV-CMでLLセットでコークグラスがもらえるとやっていたのでこれがほしかった。コーヒーを頼むとMサイズになりグラスはつかないという。じゃー、コーラと言うとこれもつかないと言う。注文するのがうっとおしい。エーイ! 「グラスがほしいので、どれならグラスがもらえるの?」やっといただいたグラスも紙ケースに入っていて、色が不明。瑠璃色のグラスがほしかったのだが。(花瓶にいい。)当たり! 「みのさん」のブログでは、女性がほしがりマックに(彼ならマグドというのかな?)出かけたことが書いてあったが。さて、来週の日曜日はどうか晴れてくださいませ。 5月21日の福浦にて。
2011.05.28
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残念ながらピンボケジュンのおやつは、私の酒のつまみより高い。で、いつもネットオークションでさがす。すぐに飽きてしまうため、色々バラエティーに富んだものをさがす。大抵は見つかるが、期限切れやら期限間近のものが多い。今回はこれ。宅配ボックスを開けてビックリ。こんなに大量だったのか。 お店を廃業した方の叩き売り。送料込みで¥2500。さっそく、適当なものを選び与えてみる。・・・・ ジャンボーン。ジュンにはでかすぎる!?が、 エイッ! おもちゃなのか、おやつなのかわからん。当分おやつを買う必要なし。ねっ。
2011.05.27
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ヴェルニー公園から臨む 横須賀 海上自衛隊基地 21日に横須賀・どぶ板通りに遠征散歩に出かけた。何度もジュンを連れて歩いてはいるが、NHKの「あさいち」で横須賀が紹介されていたので、久しぶりの散歩。 以前は16号線を徒歩で出かけたが、今日は京急で汐入下車。まず、ヴェルニー公園へ。 駅前には横須賀芸術劇場ののっぽビル。新宿・初台のオペラビルと競争したのかしらんと思っている。建つ前は、軍関係の将校ハウスだったような気がする。(20年位前) ジュンに引かれて板張りの公園を歩く。 今まで気がつかなかったが、「軍港クルーズ」の観光船が待機している。NHKの番組のせいか、乗船待ちの人が多く中には40人で予約していたグループもあった。それにしても、【軍港】などという表現は自衛隊にしてみれば迷惑?!左翼が騒ぐ?? JR横須賀駅方面から楽器の音が聞こえる。 公園内のバラ園を楽しみながら、音のするほうへ向かう。 「横須賀シーサイドブリーズ」という皆さんが演奏していた。ジュンを膝に抱き、聞かせていただいた。やはり、生演奏の迫力にはステレオなんぞは及ばない。 次は横須賀総合高校の演奏。おもいもかけなかった生演奏を満喫してから、どぶ板通りに向かう。 いつも午前中に歩くせいか、人通りは少なくシャッターが閉まっている店が多い。 スカジャンはきれいだとは思うが、好みではない。横須賀バーガーや海軍カレーはジュンと一緒なのであきらめた。あっという間に横須賀中央通に出てしまい、ヴェルニー公園でのイベントは儲けものだったと、帰途についた。 バラの販売もあり、ついつい3鉢を購入してしまった。 22日のニュースで長門裕之さんが亡くなられたことを知る。申し訳ないが、主演映画をほとんど知らないが、テレビで観た「豚と軍艦」は覚えている。【どぶ板通り】の名前はこの映画で知った。享年77歳。昨年亡くした、カワハギ師匠のIZさんと同年齢だった。 帰宅後、散歩が足りないと不満をかますジュンと、また福浦へ散歩。ご機嫌な顔に元気づけられる。
2011.05.23
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久里浜 東京湾フェリーと釣り船 遠方は久里浜火力発電所5月の例会はのっこみ真鯛。 参加者12名。船宿は柴漁港、三喜丸。 ショボンとした帰船時で撮るより、出船前の明るい顔を記念撮影。 釣りポイントは久里浜沖。 KSさん、餌になりそうなヒメジの稚魚をゲット。 のっこみシーズンはすでに終わったのか、釣り船は例年より少ない感じ。 左舷が騒ぐ。来た!?サバだった。 右舷もサバ。 また、サバ。 またまたサバ。ポイントを変えて本線航路を抜け、剣崎沖に。 釣果・・・トホホ。船中、形を見ず。 私の釣果もサバ8本。 帰宅後、散歩がてら八景の果物屋さんにおすそ分け。サバがオレンジに化けた。
2011.05.15
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