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あこがれのコマドリに出会うため、5日夜から6日に長野県上高地へ出かけてきます。この記事は予約配信でしています。7日に観察リポートを配信する予定です。亜高山帯に生息するコマドリは、蒲谷(1995)が「雄同士のディスプレーは胸をそらし喉や胸を見せルルルルと強く鳴きくのに対して雌に対しての求愛ディスプレーは尾羽を扇子のように開いて下げ、翼を半開きにして羽ばたきルルルと鳴く」と報告されています。前者については、長野県上高地や長野県白駒池、福島県と山形県境で目撃したことがあります。今回の上高地行でも期待しています。駒鳥の名の由来について、蒲谷(1995)は、和漢三才図会にコマドリの囀りを必加羅加羅と聞き、この声を馬が走るときに鳴る口輪の金具の鳴る音に聞こえること、または頭を左右に振って鳴き姿が馬の走るときに似ているので駒鳥となったと記していることを紹介しています。(引用)蒲谷鶴彦.1995.日本野鳥大鑑下巻.p38-39.小学館.(写真)2021年6月29日長野県松本市上高地で撮影
2024.06.06
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鳥友からセイタカシギ雌は、大半が雄とヒナを残して立ち去ると聞いたと質問をもらいました。先月茨城源稲敷市で観察した際にもセイタカシギ成鳥雄と若鳥の姿を観察しましたが、そういえば雌の姿が見当たりませんでした。文献を紐解いてみると、北川(1991)が「育雛の途中でつがいの雌の半分ほどが雄と雛を繁殖地に残して立ち去ってしまう」と報告しているのを目にしました。また、「雛を育てる環境が排泄物で汚染されるのを減らしたり、雛をめぐる家族内の争いを少なくする利点がある」とも記しています。さらに、「早い時期に家出した雌は、行先で別の雄とつがい関係をむすび2回目の繁殖を行っている可能性もある」と述べています。セイタカシギは一夫一婦制が基本の婚姻形態と述べているものが多いのですが、実際はそれほど強固なものではないということになります。(引用)北川珠樹.1991.家族を基本とした群れ生活 セイタカシギ 雌の家出.動物たちの地球.通巻825号.6-198、6-199.朝日新聞社.(写真)2024年5月17日茨城県稲敷市浮島で撮影
2024.06.05
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昨日、印旛沼でヨシゴイを観察しました。雄個体が時間あたり29回の出現するのを目撃。その後、ウーッウーッと鳴き声が聞こえました。しばらくすると、その光景は見られなくなり、何もなかったように静けさに戻りました。鳴き声はどんな意味あいを持つのかと鳥友から質問をもらいました。(オス同士の追い払い行動と鳴き声)上田(1996)が、埼玉県での調査結果を報告しています。その中で「渡来当初、アシやヒメガマの群落に定着したヨシゴイは、特に夕方から早朝、「ウ-ッ,ウ-ッ」という低い声で鳴き続けている。この声は配偶者を引き寄せる意味に加えて、オス同士の,巣を中心としたなわばり宣言にももちいられているものと思われる。事実,はじめにアシ原やヒメガマの特定の場所に定着したオスが、近づくほかのオスを追払う行動がよく観察された」と記しています。印旛沼での頻繁に葦原の上を飛翔する姿は、オス同士の追い払う行動ではないかと思います。一枚目の写真は、昨日葦原の上に移動した後、喉を膨らませて鳴いていた時の様子です。(擬態)ヨシゴイは擬態を行うことが知られています。蒲谷(1996)が、敵が近づくと首を上に伸ばし枯れた葦が風にそよぐように体を振ると述べているもの、佐原(2013)が警戒時にヨシゴイがとる体をまっすぐ立ててクチバシを上に向けヨシに擬態すると記している報告があります。二枚目、三枚目の写真は、印旛沼で観察したヨシゴイの擬態です。いずれも嘴は上には向けていませんが、ヨシと同化しているように見えました。(引用)上田恵介.1996.ヨシゴイはなぜ集団で繁殖するのか:巣場所選びと繁殖成功.Strix.第14巻.pp. 55-63.(財)日本野鳥の会.蒲谷鶴彦.1996.日本野鳥大鑑.上巻.p34.小学館.佐原雄二.2013.ヨシゴイ 警戒態勢.Bird Research News Vol.10 No.1.p4-5.(写真)2024年5月30日、2021年6月26日、2022年7月7日いずれも印旛沼で撮影
2024.05.31
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今シーズン、手賀沼・印旛沼沿岸の水田地帯や茨城県南部の水田地帯でサギ科アマサギの姿をほとんど見かけません。なにかの要因で飛来が遅れているのか、それとも採餌環境が悪化して他地域に滞在地を移したのか、気をもんでいます。かつて、2001年春までは手賀沼沿岸の水田地帯で100羽前後の群れ、2008年8月に63羽の群れが見られていましたが、以降2011年から2019年の間は姿が見られず、2020年以降最も多かった2022年6月でも20羽前後の群れが観察されるのみと減少しています。バードリサーチ(2021)が、全国鳥類繁殖分布調査の結果から、アマサギ、コサギ、ゴイサギは、1970年代から1990年代にかけて確認メッシュ数が増加したがその後減少したと報告しています。減少の原因について、バードリサーチ(2019)は、湿地など開けた環境の悪化、食物の減少(畑の昆虫が減少)、大型のサギ類が増加し,小型のサギが減っている傾向があことからコロニーでの巣場所を巡る競争で小型のサギ類が大型のサギ類に負けてしまっていたなどが要因として考えられると指摘しています。(写真)1枚目:2014年4月20日印西市(夏羽:頭から胸にかけて橙黄色で背にも橙黄色の飾り羽があります)2枚目:2018年6月16日手賀沼沿岸(右側の個体が夏羽、左側の個体は頭が白色なので若鳥と思われますが、嘴が朱赤色になっていて婚姻色となっています)3枚目:2020年6月21日茨城県土浦市(頭にオレンジ色がまだらにあり、胸が橙黄色を帯びており、成鳥冬羽が夏羽に換羽中の個体と思われます)4枚目2018年6月16日手賀沼沿岸(嘴の色は成鳥に比べて淡く額にオレンジ色がないことから若鳥と思われます)5枚目:2019年9月14日印西市(頭から胸にかけての橙黄色と背の橙黄色が色あせてきており、夏羽から冬羽に換羽中の個体)
2024.05.28
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鳥友からカイツブリは双眼鏡を向けるとすぐに潜水してしまう。環境によって観察しやすいフィールドがあるのかと質問をもらいました。都内の公園でも釣人が多く見られるところとそうでないところでは潜水に違いがあります。釣人が多いところでは釣り糸に接近する動きが見られたり、水面をゆったり移動しているように感じます。この件で、文献を調べてみました。前田(2017)が滋賀県で行ったカイツブリの個体数や子育て、行動に関する調査結果を報告しています。その中で、「調査の結果からカイツブリには「人見知りが強いタイプ」と「わりあい人に慣れたタイプ」の 2 タイプがあることが見えてきました。人の近くで生息するカイツブリは、人の各種の行為が自分に利害を及ぼすものかどうかを学習するのではないでしょうか。「 釣り人の竿先から 10 mほどのところに近づき、そこで潜って採餌をした。釣り針付近に魚がいることを承知して、意図的に近づいているように見えた」という報告からカイツブリが人を利用している様子が伝わってきました」と記しています。報告の終わりに「調査地で地元の人に話しかけるとほぼすべての人がカイツブリという鳥を知って いて 、どこにいるか までご存知の方が 結構 いらっしゃいました。春から夏にかけては鳴き声が聞こえてくるからでしょうが、 漁業者や農家 の人 釣り人水辺に住む人 など 、普段自然に接する機会が多い方たちの目には留まっているということです」とむすんでいる点が印象的でした。(引用)前田雅子.2017.琵琶湖博物館フィールドレポーター2017年第1回調査「カイツブリに会いに行こう 」調査報告.pp22.滋賀県琵琶湖博物館.(写真)2021年8月5日柏の葉キャンパス駅近郊、2020年9月19日同左、2023年6月13日都内で撮影
2024.05.27
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朝から雨でしたので、夏鳥の画像や鳴き声などを予習。そのうち、長野県戸隠、飯縄高原、白馬、福島県五色沼などで堪能したノジコについて観察したフィールドは、いずれも豪雪地帯として知られる場所であることに気づきました。どうしてと思い文献を調べてみました。出口(2017)が、ノジコの分布や生息環境などについて知見を整理し報告しているのを見つけました。日本では冬にはいないが、繁殖地は豪雪地帯の新潟県と重なっていることを紹介しています。そして、ノジコが多雪地特有の低木を中心とする雪崩植生が存在し、豊富な雪解け水により湿潤な環境が形成されやすいという点が可能性として考えられると記しています。あわせて、残雪のある頃に繁殖地に渡来し、限られた利用可能な環境でつがい形成を行った後に雪解けによる利用可能環境の拡大に伴ってなわばり分散を行うのではないかと報告しています。雪解け水による湿潤な環境があるかどうか、フィールドに出かけた折、注目してみようと思います。(引用)出口翔大.2017.ノジコ 雪国育ち.Bird Research News Vol.14 No.6.p1-2.(写真)2020年7月2日長野県戸隠で撮影
2024.05.20
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11日に渡良瀬近郊で観察したアオバズクについて鳥友から質問をもらいました。あるwebページにアオバズクの雄には喉袋があるので鳴くが、雌には喉袋がないので鳴かないと記されていた。鳥類の発声の仕組みから考えると妥当なのかとの内容でした。(鳥類の発声機構)小西(1994)が小鳥の発声器は肺から出た二本の気管支炎が気管につながる鳴管という部分にあります。鳴管は気管支炎の上端と気管の下端の骨環を含んだ部分からなっており、音の発生源は鼓形膜という一対の膜です。(アオバズクの鳴き声)11日に観察したアオバズクは、嘴から喉の下あたりの部分を膨らませて鳴き声を出していました。鳥類の喉袋は、下嘴の付け根から首にかけて皮膚が露出している部位のことなので、喉袋があるから鳴くのではないと思います。小西(1994)が米国の研究者の気管や気管支炎の中の空気の流れを実験した内容を紹介しています。それによると、鳥の肺の中にある気嚢の中に蓄えた空気を気管支炎に流して鳴いていることが判明したと記されています。この点から、気管支炎に空気が流れている時にアオバズクの喉周辺が膨らんだと考えるのが妥当と思っています。(雌雄の鳴き声)ホッホッとの鳴き声は雄のみなのか、夜行性がゆえに検証できておらず、今後の宿題です。(アオバズク雌が喉を膨らます)青木(1991)が雄が雌に求愛給餌で雌が餌を受け取る際に喉を膨らませ餌をとることを紹介しています。(引用)青木 進.1991.青葉の頃、日本を訪ねる アオバズク.朝日百科 動物たちの地球.25号..p14小西正一.1994.小鳥はなぜ歌うのか.p117-126.(写真)2024年5月11日渡良瀬近郊で撮影鳴き声を出した時、アオバズクが少し上方向を向き、鳴き始め2枚目の写真の時が一番大きな声が出ていました。
2024.05.13
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サギ科の鳥たちがコロニーを形成する頃、夕方、ゴイサギがクワックワッと鳴きながら餌場に向かう光景を見かけます。ところが、6月になると、その光景を昼間に目撃するようになります。ゴイサギは、日中はコロニーでねぐらをとり、日没後餌場に出かけて夜通し採餌すると言われています。ところが、繁殖期は日中も採食するようになり、特に育雛期は何度もコロニーと餌場を往復する光景を見かけます。遠藤(2005)は、青森県で行った調査結果を整理し報告しています。その中で「青森県津軽平野では、繁殖地から10km以上離れた場所でも採食していることが観察され、数日から数ヶ月にわたって同じエサ場を使い続けることがわかった。採食場所を替える際には,繁殖地からの飛去方向は概ね変わらず、それまでのエサ場と同方向で新たな採食場所を探す」と報告しています。また、複数のエサ場で短時間(10~30分間)の採食を行い,最終的にその中の1箇所で夜を通して採食するという行動が観察されたこともあったと報告し、より良いエサ場を選択するためのエサ場間の質の違いを比較するサンプリング行動であると考えられると記しています。(引用)遠藤菜緒子.2005.ゴイサギ 採食場所は慎重に選ぶ.Bird Research News Vol.2 No.8.p4-5.(写真)1枚目:2020年6月21日土浦市、2枚目:同左、3枚目:2018年6月30日土浦市、4枚目:2018年6月30日土浦市、5枚目:2020年6月21日土浦市、6枚目と7枚目:2018年7月22日都内で撮影
2024.05.01
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東京在住の鳥友から5月に入ると手賀沼沿岸でホトトギスの声は聞くのにカッコウの声が聞こえない。いつ頃から記録がないのかと質問をもらいました。手賀沼とその周辺地域で観察記録を振り返ってみました。あわせて、千葉県と隣接する都県での分布も文献を調べてみました。(まとめ)・手賀沼沿岸では、2017年6月12日の記録を最後に鳴き声が記録されていません。・手賀沼流域の街では、柏市南部で2003年繁殖期まで、利根川流域では2010年までは鳴き声の報告が寄せられていましたがそれ以降は寄せられていません。・千葉県と隣接する都県の埼玉県で2011年以降は鳴き声の報告がない、茨城県では分布が急減していると報告がある一方で東京都では2010年以降分布が拡大傾向にある、神奈川県では限られた地区で新たに定着するところもあると報告されています。(手賀沼沿岸での観察記録)1978年6月9日、1978年6月19日、1980年8月10日、2017年6月12日にいずれも手賀沼沿岸で記録があります。(手賀沼沿岸以外での観察記録)2000年5月29日、同年6月6日から9日いずれも柏市南部地区、2002年6月3日、20日柏市南部地区、2003年5月31日から6月15日柏市南部地区で鳴き声の記録があります。2005年5月18日から7月20日、2006年5月14日から7月23日、2008年5月16日から6月25日、2009年5月28日から7月5日、2010年5月13日から7月14日いずれも我孫子市利根川沿いで鳴き声の記録があります。ところが、2011年以降は報告が寄せられず現在に至っています。(近隣の都道府県の記録)朝日新聞デジタル(2019/5/17)が掲載した日本野鳥の会埼玉の記録によると、1996年に開催した計80回の探鳥会でカッコウの出現回数は12回、出現率は15%だったものが、2011年は0回だったと記されています。東京都(2020)では、1970年代から1990年にかけて急減したものが2010年以降分布を拡大していると報告されています。神奈川県(2022)では、箱根仙石原などに限られているが、相模原市、大和市にも定着する傾向があると報告されています。茨城県(2021)では、分布が2005年38から2016-2021年で14メッシュと63%減となったと報告されています。(引用)東京都.2020.レッドデータブック.p447-506.神奈川県.2022.神奈川県鳥獣生息分布調査報告書.茨城県.2021.茨城県鳥類繁殖分布調査報告 2016-2021.p7.(写真)2017年7月19日栃木県戦場ヶ原で撮影
2024.04.21
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これから夏にかけて森林、林などでキビタキと出会う時期となりました。繁殖期に空中を移動する昆虫類を空中で捕獲する姿を捉える姿を見かけます。実はこの採餌高が雌雄で差異があること、植生によって採餌する高さが違うことが研究者の調査で判明しています。参考としてその一部を紹介します。岡久ほか(2012)は、山梨県富士山麓の落葉広葉樹林と常緑針葉樹林でキビタキを対象として雌雄で採餌行動に違いがあるか、植生に応じた採餌行動で雌雄の差があるかを調査した結果を報告しています。その結果、キビタキの雄は植生に関わらず樹冠下部で囀り、なわばりの防衛のためにソングポストに留まっており、採餌高はソングポストの高さのみによって決まっていたことが判明しました。一方、キビタキの雌の採餌高には巣の高さが影響していたことが判明し、巣の傍で採餌する傾向があり、巣が高い位置にあるほど高い位置で採餌を行っていたと記しています。さらに、雌は植生によって採餌する高さが異なっており、常緑針葉樹林では落葉広葉樹林より高い場所で採餌を行ったと述べています。調査結果から、キビタキ雌雄で採餌高に性差が見られ、それは雌雄の繁殖分担と環境に応じて採餌戦略を変化させていたことがわかったとむすんでいます。(引用)岡久雄二・森本 元・高木憲太郎.2012.キビタキの採餌行動の性差.日本鳥学会誌.第61巻.p91-99.(写真)2024年4月18日水元公園、2016年4月24日松戸市で撮影
2024.04.19
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これから初夏にかけて水田などでタマシギの姿を見かけます。多くの図鑑類では一妻多夫の鳥類として紹介されていますが、実は番いになっている期間が短く、抱卵・育雛は雄だけが担当しているので一妻多夫とは言えないのではないか米田(2015)が指摘しています。米田(2015)は、タマシギのオスとメスがどれくらいの時間一緒にいるかを調べてみたら、合計200時間の観察の中で、産卵の日齢が進むにつれて一緒にいる時間を調査した結果、産卵を始める3~4日前から産卵期の前半まではいつもオスとメスが一緒に行動し、巣から離れる時も必ず連れ立って飛んでいき、後半になるとオスは巣に留まって抱卵をします。ところが、メスはどこかに飛んでいくことが多くなり、4個の卵を産み終えるとメスはその巣から離れてしまい、その後巣に戻ってくることはなく、オスは1羽だけでヒナが孵化するまでずっと抱卵を続けたと記しています。つまり、オスとメスが一緒にいる期間は約1週間だけで、その後はバラバラになって暮すことが分かったと報告しています。さらに、タマシギについて言えば番いの期間が非常に短いこと、抱卵や育雛をオスだけが行うことがほかの一夫一妻制の鳥と大きく違うとして指摘しています。(引用)米田重玄.2015.タマシギの繁殖生態「一妻多夫?」.山階鳥研ニュース2015年7月号.(写真)2017年5月27日さいたま市、2023年2月18日、22日都内水元公園で撮影
2024.04.17
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ガンカモ科シマアジは、和名を「縞味」とつけられています。石田(2015)が食用にされた歴史があり、和名「アジ」は味がよかったことに由来すると述べています。味についてはカモ肉の中ではどんな位置だったかについて文献を紐解いてみました。皆さんのミニ知識として参考となったら幸いです。(当流節用料理大全が記載している鳥類)真鶴、こん鳥、黒鶴、真雁、雁金、白雁、海雁、真鴨、真鴨、僧鴨、真崎鴨、吉崎鴨、足鴨、口鴨、小鴨、あぢ鴨、嶋あぢ鴨、赤頭鴨、川喰鴨、ひでかげつ鴨、羽白霜振鴨、鈴鴨、大赤頭、神子鴨、ほひらき鴨、黒鴨など約82種類の調理法が掲載されています。嶋あぢ鴨がシマアジのことを指しているものと思います。(あぢ鴨はトモエガモのことを指しているようです)(シマアジは肉のランクとしてはどんなポジションか)石田(2015)が味がよかったと紹介している点を文献でたどってみましたが、食用ランクのようなものは見つけらませんでした。しかし、マガモ雌雄1ペアを基準とした販売価格が存在していたことを菅(1995)が紹介していました。それによると、カモ肉の場合、マガモ雌雄番いの価格を決めそれを基準にして相場価格が決定されたとあります。マガモ1に対してガン1.5、オナガガモ0.3、ヒドリガモ0.25、キンクロハジロ0.2、シマアジ0.14、ハシビロガモ0.14などの売買比率が記されていました。(江戸時代の建前と実際)江間(2013)が報告しているように、文献を振り返ると、仏教の伝来とともに天武天皇(675)が肉食禁止令を発して以来、牛、馬、犬、猿、鶏などの肉を口にしなくなった、また1687年徳川綱吉が生類憐みの令を出し、1709年に廃止されまで料理本の出版物も控えられていたと記されています。その後も徳川吉宗が1718年に鶴、白鳥、雁、鴨が少なくなり食用にすることを禁止しました。しかし、菅(1995)が述べているように、1744年に水鳥荷物の検査所を設け水鳥問屋が売買するという幕府公認の仕組みが存在し、1842年問屋組合が停止されるまで続き、その後も第二次大戦以前まで農閑期の冬場に水鳥猟が続けられていました。それは、農家の閑散期の生活を支える意味と貴重な蛋白源として重用され東京などの大消費地へ供給されていました。(引用)当流節用料理大全.1978.江戸時代料理本集成3巻.pp12-260.臨川書店.菅 豊.1995.朝日百科日本の歴史別冊.通巻18号.p35-51.江間三恵子.2013.日本食生活学会誌.第23巻.第4号.p247-258.石田光史.2015.野鳥図鑑.p46.ナツメ社.(写真)2024年4月13日さいたま市、2017年4月16日習志野市秋津、2019年10月7日水元公園で撮影
2024.04.14
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昨日、手賀沼沿岸の谷津田でアオゲラを観察した旨のリポートしました。鳥友から今までアオゲラの観察記録が少ないのはどうしてかと質問をもらいました。(関東はアオゲラの分布の空白地帯)バードリサーチ(2023)は、アオゲラの分布についての知見を整理し報告しています。それによると、本州以南に広く分布して拡大していますが、分布の空白域になっているのが関東地方の平野部から房総半島にかけてと記しています。関東地方のアオゲラの記録率は28%と低く、次いで低い中部太平洋側(57%)の半分以下の順となっていると述べています。その理由として、関東の平野部は,農地や住宅地が中心で,そこに樹林が点在しています。こうした環境は樹林性のアオゲラにとっては生息地として適していなかったこと、南方系のアオゲラは厳冬期に移動しない留鳥性の高さ(*)があることをあげています。(*)北方系のアカゲラは厳冬期に移動する習性をもちます。手賀沼とその沿岸では1997年以降、10月から翌年2月まで少数が観察されています。(ナラ枯れとアオゲラの分布)バードリサーチ(2023)は、関東地方にカシノナガキクイムシが媒介するナラ菌によるナラ枯れが2010年代後半から拡大していることをあげ、かつて佐渡でナラ枯れが増えた時期にそれまでいなかったアカゲラが定着・増加し、現在は普通種となっています。関東でもナラ枯れの増加でアオゲラの分布拡大が加速するのかと注目される旨を記しています。(引用)バードリサーチ. 2023.日本の森の鳥の変化:アオゲラ.2023年05月12日.(写真)アオゲラ:2024年4月6日手賀沼沿岸、アカゲラ:2020年1月13日柏市内で撮影
2024.04.07
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埼玉県草加市の鳥友から自治体発行のそうか生き物だより(2023/11 no26)に「最近では気候変動の影響で冬が暖かくなってきているため、ツグミの日本での滞在期間が短くなってきているようです。23 年間で 40 日以上も短くなったと言われています」と記されているが、隣接する千葉県ではどうかと問い合わせをもらいました。そこでホームグランドの手賀沼沿岸地区のツグミの初認と終認の記録を見返してみました。記録を確認できる2000年以降2023年までの初認と終認を整理すると次のようになります。変動を繰り返しながら、滞在日数は減少傾向にあることがわかります。2000/11/13-2001/4/5(143日)、2001/10/29-2002/4/7(160日)、2002/11/7-2003/5/4 (178日)、2003/11/3-2004/4/11(160日)、2004/11/10-2005/5/9(180日)、2005/11/1-2006/4/23(173日)、2006/11/13-2007/4/29(167日)、2007/11/7-2008/4/29(174日)、2009/11/5-2010/5/13(189日)、2010/11/3-2011/5/3(181日)、2011/11/16-2012/4/23(159日)、2012/10/25-2013/4/28(185日)、2013/11/14-2014/4/26(163日)、2014/11/4-2015/4/26(173日)、2015/11/16-2016/4/25(161日)、2016/11/13-2017/4/15(153日)、2017/11/13-2018/4/14(152日)、2018/12/3-2019/4/24(142日)、2019/11/16-2020/04/25(161日)、2020/11/16-2021/4/25(160日)、2021/11/21-2022/4/13(143日)、2022/12/15-2023/4/27(133日)(滞在日数の変化)・最も長い滞在2009年から2010年189日、最も短い滞在2022年から2023年133日その差は56日であり、草加市の40日以上を大きく上回っています。(初認の変動)・最も早く渡来したのが2012年10月25日、最も遅かったのが2018年12月3日でした。(終認の変動)・最も早い終認が2001年4月5日、最も遅い終認が2010年5月13日でした。(写真)2024年4月4日柏市内の公園にて撮影
2024.04.04
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冬の間は、谷津の水路沿いでチャッチャとウグイスに似た地鳴きをしていたミソサザイが山地の湿った場所、渓流沿い、崖地に移動し驚くべき声量で囀る姿を観察できる時期です。以前、沢の近くなどの騒音がある場所に生息する個体と森に生息する個体を比較すると、前者のミソサザイは大きな声で囀ることを紹介しました。今回、紹介するのは、ミソサザイは誰から囀りを学ぶのか、バリエーションはどの程度持っているのかについて、惣田(2022)が京都府芦生研究林で行った調査報告てす。それによると、雄の囀りのバリエーションは平均6.4で、300m程度の縄張りを持っていたことが判明したと記しています。さらに、雄の間で共有されているさえずりタイプもあることが判明し、さえずりの要素の共有も観察されたことから雄は近隣の個体からさえずりを学んだと考えられると述べています。雌が囀りのバリエーションの多い雄を好むのかといった点は未解明ですが、今後の調査を注目したいと思います。(引用)惣田彩可.2022.年間を通じたミソサザイの生態に関する調査.2022年第37回タカラ・ハーモニストファンド研究助成報告.pp15.(写真)2022年5月26日長野県戸隠、2021年6月29日長野県上高地、2015年5月23日栃木県日光で撮影
2024.04.03
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27日に手賀沼沿岸でサシバを観察してきました。繁殖期は一日の大半を谷津田で過ごします。しかも活動している時間の大半を採食に費やします。その理由はなぜかと思い、文献に目を通してみました。東ほか(1998)は、千葉県印旛沼でサシバの生息調査の結果を整理し報告しています。それによると、1日の活動時間は平均14時間21分で、8箇所の止まり木に66回滞在したと記しています。捕獲した獲物を巣にいる雌や雛に運ぶとき以外は1回の飛行距離は短い傾向があったと述べています。また、採食場所が繁殖初期に谷津田でよく見られた理由は、効率よく採食することが必要であり、田植えが行われている田んぼにはニホンアマガエルやトウキョウダルマガエルが産卵のため集まり谷津田の草丈が低いので発見しやすいことにあると指摘しています。季節が進行するに伴い、採食場所が谷津田から林縁部、林冠部に移行するが、それは谷津田の草丈が高くなることと斜面林では餌動物が出現し始めるからと考えられると記しています。サシバの生息を支えている環境は、水田耕作が行われていること、谷津田に沿った斜面林が連続していることが必須という点を東ほか(1998)から教えてもらいました。(引用)東淳樹・武内和彦・恒川篤史.1998.谷津環境におけるサシバの行動と生息条件.第12回環境情報科学論文集別刷.p239-244.社団法人環境科学センター.(写真)2024年3月27日手賀沼沿岸で撮影
2024.03.30
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鳥友から千葉県のコシアカツバメの分布について質問をもらいました。文献を復習し動向を整理してみました。仲真(1984)が報告しているように、関東地方では1938年から1940年にかけて千葉県、1941年に茨城県での繁殖記録があるもの限られた営巣地にすぎませんでした。その後、1940年代から1950年代に営巣地が増加し、1971年以降分布を拡大したことが知られています。(千葉県での営巣記録)千葉県内に注目してみると、天津小湊町で1940年代~、茂原駅周辺と館山市内、大原町、一宮町で1960年代~、富津市1968年頃に営巣した旨の伝聞記録があり、1976年に一宮町、、1977年に鋸南町、館山市、白浜町、千倉町、鴨川市で営巣が観察され海岸沿いに分布を広げたことが判明しています。手賀沼沿岸では、我孫子市湖北台で1986年、1987年に営巣・繁殖しましたが、その後は観察記録が途絶えて現在に至っています。(海岸沿いに分布を広げた背景)千葉県での営巣場所に注目すると、木造、漆喰、モルタルの建造物に営巣し、ツバメよりも高い位置である2階以上の高さを選択しています。くれらに加えて、巣材である泥や餌である昆虫類が確保できる環境が海岸造沿いだったと思われます。手賀沼沿岸で1986年、1987年に営巣・繁殖しながらその後継続しなかったのは、巣材の泥の確保や餌資源に恵まれなかったことやスズメの競合関係が存在した可能性が考えられます。(引用)仲真晶子.1984.関東地方およびその周辺部におけるコシアカツバメの繁殖分布と営巣場所の選択.Strix.第3巻.p55-65.日本野鳥の会.手賀沼の鳥.1994.手賀沼とその周辺地域の鳥類目録.p41.我孫子野鳥を守る会.(写真)2023年5月24日茨城県筑波山山麓(営巣地保護の関係で非公開)
2024.03.23
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首都圏のミソゴイを観察したリポートを配信した後、どんなものを餌としているのか、どんな環境が必要なのかと質問をもらいました。(餌について)川上(2009)は、ミゾゴイの生態などについての知見を整理し報告しています。主要な食物は、ミミズを中心とした土壌動物で、サワガニや昆虫,陸産貝類などを採食していると報告しています。さらに、ミゾゴイのくちばしを他のサギ類と比べると、太く短く、魚を捕獲するには適しておらず形態的に土壌動物食となっていると述べています。ただし、今回の生息地では、ミミズを捕食していたのは目撃しましたが、その他の餌については不明です。(生息環境について)川上(2013)が述べているように、食物網の上位に位置する生き物であり、土の中に生息している昆虫類を食べ物としており、それを支える広葉樹林が必要です。従来は、中国南部、フィリピンなどで越冬するとされていましたが、愛知県で2015年、2016年広葉樹の林で越冬した記録があります。(鳴き声にちなんだ呼び名)今回のフィールドではその鳴き声を観察できていませんが、図鑑類にはィボー、ィボーと聞こえる鳴き声と報告かあります。川上(2013)が鳴き声にちなんだ呼び名を紹介し、平安時代におずめどり、うすべどりと呼ばれ、江戸時代にはすでミゾゴイと呼ばれていたたようで、鳴き声からヤマイボ、イブと呼ぶ地方もあり、ウメキドリ、牛のような鳴き声からウシドリといった地方名があることも記されています。(引用)川上 和人.2009.ミゾゴイ.Bird Research News Vol.6 No.12.p4-5.川上和人監修.2013.ひっすりと暮らす里山の忍者 ミゾゴイ.pp26.トヨタ自動車(株).
2024.03.18
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昨日、手賀沼沿岸でアリスイを目撃しました。バードリサーチ(2023)の全国鳥類越冬分布調査報告によると、1984年から1986年の間では関東以南から九州にかけて分布していたが、2016年から2022年の間では南関東でも観察されるなど分布が北上しています。手賀沼とその沿岸ではどうかと過去の観察記録を振り返ってみました。なお、観察地については、近年の撮影者が集中する危惧があるので原則非公開とします。(手賀沼沿岸でのアリスイ)1990年までは、稀に観察された記録があるだけだったものが、2019年秋以降観察記録が増加しています。全国的な傾向と同様の結果となっています。観察記録によると、近年は秋から翌年春にかけて滞在し越冬しているものと思われます。(1990年までの観察記録)我孫子野鳥を守る会の観察記録によると、1989年8月20日柏市布施での観察報告が認められるのみでした。(2000年以降の観察記録)2005年10月12日に柏市大津ケ丘で観察されて以来、2006年3月19日までの間と2006年11月5日から2007年4月1日の間、2008年3月29日、2009年9月18日に15件の観察報告が寄せられています。(2019年以降の観察記録)2019年11月1日から20204月7日、2020年10月から2021年3月7日の間、2021年10月24日から2022年3月24日の間、観察地は異なっているものの継続した観察記録が43件寄せられています。(写真)一枚目:2024年3月11日、二枚目:2018年2月17日、三枚目2014年1月27日、四枚目:2014年3月22日、五枚目:2014年3月22日いずれも手賀沼沿岸で撮影(引用)バードリサーチ.2023.全国鳥類越冬分布調査.2016-2022年.p我孫子野鳥を守る会.会報ほーほーどり.NO1-297.1975-2024年3-4月号
2024.03.12
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29日にミゾゴイを観察してきましたが、夜行性なのか昼行性なのかを判断する報告が十分にあるとは言えない状況です。両論について文献の記述を紹介します。(夜行性を示唆する記述)たとえば、高野(1985)が夜間には林から飛び出て採餌に行くこともあると述べています。この報告は、山階(1941)が「日没前後に棲息所を飛び出して渓流の付近にて食を求め、日中は棲息所たる林の中に休息して居る」としていることを受けて記述した可能性があります。川上(2009)は、育雛期に昼間は親が交替で巣にいるが、夜間は両親とも巣から離れるのを観察したことがあり、山階(1941)はこの行動を見た可能性が考えられると指摘しています。(昼行性を示唆する記述)バードライフ(2010)は、ミゾゴイは夜間に活動する夜行性の鳥とされてきたが、昼間に活動する昼行性の鳥であることが分かったとしています。ところが川上(2009)が図鑑によって「雨や曇りなど薄暗い日は、昼間も採食する」と例外的に日中採餌しているように受けとられるものもあると指摘しています。しかし、活発に活動し観察しやすい繁殖期が梅雨と重なっているため雨天時に採食する姿がよく見られる可能性もあると述べています。(引用)山階芳麿. 1941. 日本の鳥類と其の生態第二巻. 岩波書店高野伸二.1985.カラー名鑑.日本の野鳥.p45.山と溪谷社.川上和人.2009.ミゾゴイ ナイトヘロンは夜行性?.Bird Research News Vol.6 No.12.p4-5.バードライフ.2010.ミゾゴイ会議の報告および保全活動に関する提言.p3.(写真)2024年2月29日首都圏で撮影
2024.03.02
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2月終わりから春先にかけて千葉県銚子市周辺でクロサギを見かけるようになります。クロサギは、黒色型と白色型が存在していて、南西諸島以南で白色型(永井2014)または南へ行くほど白色型が多くなる(叶内2020)と図鑑類に説明が記載されています。くわえて、石田(2015)が北方では黒っぽい岩礁に、南方では白い砂浜にそれぞれの環境に適応しているからという説があると記しています。クロサギの黒色型と白色型の両方が生息している沖縄では割合がどうなっているのか、北方では黒っぽい岩礁に、南方では白い砂浜に適応しているからとの点について、文献を参照してみました。すると、沖縄県立辺土名高等学校の皆さんが沖縄県での調査報告をしているのを見つけました。内容の一部を紹介します。(黒色型と白色型の割合)沖縄島は繁殖期前の第1期(2016年3月19日~4月4日)と繁殖期後の第2期(2016年8月21日~ 31日)の2回、宮古島(2016年8月28日~30日)、石垣島(2016年11月2日~4日)、西表島(2016年11月5日)について各1回の調査結果をつぎのように報告しています。沖縄島第1期調査:確認された全個体数139羽のうち黒色型が89羽、白色型が50羽で、割合は黒体色64%、白色型36%沖縄島第2期調査:確認された全個体数258羽のうち黒色型が158羽、白色型が100羽、黒色:白色=61%:39%の割合。宮古島調査:確認された全個体数30羽のうち黒色型が17羽、白色型が13羽で、割合が黒色型57%、白色型43%。西表島:確認個体数14羽のうち黒色型が9羽、白色型が5羽で黒色型64%、白色型36%。(沖縄島、石垣島、西表島では黒色型が多く、宮古島では白色型が多い要因)黒色型の方が明らかに発見しにくく、白色型は岩場や護岸、木の上などでは遠い距離からでも見つけやすい。白色型は目立つことから外敵に捕食される確率が高いのではないか、沖縄島周辺では近年増えているといわれるカラスによる捕食の影響が黒色型の割合が高くなった要因の1つではないかと報告しています。これに対して、カラスが少ない宮古島においては白色型の割合が高くなっている点を指摘しています。(南へ行くと白色型が増えるのは環境によるものか、遺伝的要因か)緯度や環境の違う島々においても黒色型と白色型の割合が、6:4や5:5に保たれているのであれば、体色を決定する要因は、環境による影響より遺伝的要素が強いと記しています。(引用)沖縄県立辺土名高等学校.2017.白黒はっきりさせようじゃないか~クロサギの体色(黒色型と白色型)の割合についての研究Ⅱ~.第39回沖縄青少年科学作品展 作品集.p297-313.沖縄電力株式会社.(写真)2018年3月3日千葉県銚子第一漁港、2020年1月25日銚子第三漁港(羽に褐色味があり幼羽)
2024.02.22
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昨日、松戸市の江戸川河川敷でエナガが嘴に鳥の羽をくわえて移動していくのを観察しました。エナガのイメージは落葉樹と広葉樹の林縁に生息しているイメージがありますが、河川敷のように木が点在している環境でも姿を見かけます。赤塚(2012)が報告しているように、外部に動物性の糸材で主としてコケを絡めて編み上げた楕円形の袋を造り、表面には地衣類、人工物を付けることがあり、内部には他の鳥類の羽毛を大量に運び込むことが知られています。また、赤塚(2012)の調査結果では利用される羽毛の多くは,おそらく猛禽類の食痕から調達され,調査地のキジ類、ハト類、カラス類、サギ類はオオタカの捕食痕である可能性が高いと記されています。江戸川の河川敷には、オオタカが生息しハト類、カラス類を捕食することがありますのでその食痕を見かけることがあります。昨日、エナガが嘴にくわえていた羽も食痕を利用しているものと思われます。さて、赤塚(2001)が興味深い報告をしていますので、紹介します。岐阜県と愛知県にまたがる木曽川中流域の河川敷には、スギなどの針葉樹や照葉樹の枝の分岐点など通常エナガが好んで使う営巣環境が多くありながら、高い割合で笹薮に営巣していたことを報告しています。また、笹薮への営巣は、飛翻力のほとんどない巣立ちビナが,間隔の狭い笹竹を利用しながら密生する葉によって上から探りにくい中を移動していくのに都合良いと考えられると結んでいます。エナガの生息場所に応じて巣の場所や巣材を変化させる能力をもっていることを伝えています。(引用)赤塚隆幸.2001.河川敷で笹薮を利用して繁殖するエナガ群.Strix第9巻.p21-30.日本野鳥の会.赤塚隆幸.2012.エナガ.Bird Research News Vol.9 No.7.p2-3.バードリサーチ.(写真)2024年2月21日松戸市江戸川、2018年1月2日柏市で撮影
2024.02.21
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(ヒバリの減少について)ヒバリというと、「チーチビ チーチビ」空に上昇し、「チュクチュクチー チュクチュクチー ツゥイ ツゥイ ピチ ピチ ピーツツチー ピーツツチー ツォイ ツォイ」と空で鳴き、その後下降するという姿を想像します。ところが、佐々木(2008)が空中でのさえずりが多いのは営巣初期だけで、その他の時期は地上での方が多いと報告し、あわせて、ヒバリの減少が指摘されている点にふれています。東京では1970年代から1990年代で繁殖期に確認された3次メッシュの数が70年代の218からほぼ半数の105に減少しており、要因は定かではないが農地などの平坦な環境に建築物が建つことによって生息適地の分断化が進んだことが影響しているのではないかと記しています。手賀沼と沿岸地域では、2010年以前は継続して観察されていましたが、2011年以降では手賀沼と印西市の境界地域と我孫子市北部の水田地帯、利根川沿岸という生息適地が残っているエリアで姿が細々と観察されているのが現状です。(雌雄の違いについて)佐々木(2008)は、ヒバリの雌雄を外見で識別するのは困難としながらも、文献に繁殖地にペアが同時に飛来する場合とオスが先に飛来してメスが後から入る場合があり、後者が多いと記されているものがあり、別の文献には造巣はメスが行い、2~7日で造りあげ、抱卵はメスのみが行い、給餌は雌雄両方で行うが,オス36%,メス64%とメスの方が多いと報告があると記しています。なお、叶内(1998)が、雌雄はほとんど同じだが、雌は冠羽を立てる行動はほとんどないと報告しています。手賀沼沿岸で、冠羽を立てることがなかった個体を観察・撮影したことがあります。写真の五枚目、六枚目を参照ください。(引用)叶内拓哉.1998,日本の野鳥.p443.山と溪谷社.佐々木茂樹.2008.ヒバリ.Bird Research News Vol.5 No.3.p3-5.(写真)一枚目、二枚目:2015年6月6日、三枚目、四枚目:2014年6月15日、五枚目、六枚目:2017年7月18日いずれも手賀沼沿岸で観察
2024.02.19
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先日、渡良瀬遊水池周辺の冬鳥をリポートしましたが、鳥友からトラフズクはどんなもの餌にしているのかと質問をもらいました。渡良瀬遊水地のトラフズクについては、平野(2012)がペレット採集した結果を整理し報告しています。調査は2004年から2011年の間で、10月下旬から2月下旬にかけて行ったと述べています。渡良瀬遊水地の塒を利用しているトラフズクは、年による変動はあるものの7年間の合計の餌動物数によると、哺乳類が69.9%、鳥類が28.8%との結果と記しています。日本のトラフズクの冬期食性に占める鳥類の割合は最大9.6%から最小0%で、28.8%を占める渡良瀬の場合は著しく多い結果となっていると指摘しています。また、年によってその割合は著しい変動があったと報告しています。要因は、トラフズクは餌動物の生息数の変動などによって捕食が困難になると、主要な餌動物を別種に変更することが知られており、ネズミ類特にハタネズミの個体数の変動による可能性が高いと記しています。(引用)平野伸明.2012.渡良瀬遊水地におけるトラフズクの食性.日本鳥学会誌.第61巻.p130-136.(写真)2024年1月29日、2020年5月11日、2020年5月31日いずれも渡良瀬で撮影
2024.02.04
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先日、都内水元公園で濃色化したヤマガラを観察していた折、近くにいらっしゃた方と冬の小鳥の話しになり、アオジを見かける頻度が低くなった気がするということを聞きました。全国鳥類繁殖分布調査の結果、アオジの分布が年代を追うごとに北にあがっていることが判明していることをお話ししました。植田(2023)は、全国鳥類繁殖分布調査の結果を整理し報告しています。その中でアオジについて、1970年代、1990年代、2010年代の分布をみてみると、西日本の記録が減少しているのがわかり、分布が年代を追うごとに北へと切りあがっているのがわかると述べています。主要な分布域の北海道の個体数をみても南で減っている傾向が見え、1990年代と2010年代の現地調査の結果を比較し個体数の増減を緯度別に見てみると、減少している調査地が多く、北では増加傾向にあることがわかったと記しています。みなさんの身近なフィールドのアオジはいかがでしょうか。(引用)植田睦之.2023.日本の森の鳥の変化 アオジ.バードリサーチニュース 2023年12月.(写真)2023年1月8日柏市柏の葉公園、2023年12月28日柏市内で撮影
2024.01.30
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一昨日、市川市大町自然公園でキセキレイを見かけました。図鑑によっては都市部で見ることは稀と記しているものがありますが、植田(2023)が記しているように、(全国鳥類繁殖分布調査で報告されている標高帯別の記録率では、キセキレイは0-100mの低標高地こそ記録率が低いものの、それ以上の標高帯では高い頻度で記録され、低標高の場所を除くと高確率で見られるのがキセキレイが一番よく見られるセキレイです。また、キセキレイは、季節移動をし北東北よりも北の地域では冬にキセキレイはいなくなり、そして日本海側ではより南の地域でもいなくなってしまうと前出の植田(2023)が報告しています。くわえて、冬の平均気温(12-2月)、最深積雪深を集計してみた結果、冬の平均気温が0℃を下まわるような場所、積雪深20cmを上回るような場所では、キセキレイは冬期にはあまり分布しないことが判明したと述べています。大町で見かけたキセキレイは厳しい冬に移動してきたものではないかと思われます。(キセキレイの冬羽の雌雄について)永井(2014)は、キセキレイの冬羽では雌雄の識別は困難と記しています。ところが、叶内(2011)が成鳥冬羽は雌雄とも似ているが雌より雄のほうが多少黄色味が強いと報告しています。いくつかのフィールドで記録した画像を見返してみましたがそれらしい個体は見当たりませんでした。これから春までの間、注視してみようと思いました。(写真)一枚目、二枚目:2024年1月26日市川市大町、三枚目、四枚目野田市座生、五枚目:2015年5月23日栃木県奥日光、六枚目:2011年5月15日栃木県奥日光で撮影(引用)永井真人.2014.野鳥図鑑670.p166.文一総合出版.植田睦之.2023.日本の森の鳥の変化:キセキレイ.バードリサーチニュース.2023年11月.
2024.01.28
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コミミズクは、ユーラシアと北アメリカの高緯度地域で広く繁殖し、今シーズンも江戸川に飛来し多くのファンが訪ねています。ところが、繁殖地や渡りのルート、日本で越冬するものとアメリカで越冬するものが同じ繁殖集団かなど、解明されていないことが山積みです。研究者がGPSによる追跡とDNA解析によって、これらの謎を解き明かそうとしています。つぎのURLより調査内容を知ることができます。https://db3.bird-research.jp/news/202312-no2/私共でも越冬期の行動圏はどの程度なのか、雌雄の比率はどうか(雄は雌より淡色と言われていますが識別のポイントについてはまだ未確定です)などについて注目することが可能ですから、出かけた先で気にかけていただけたら幸いです。(写真)1枚目2024年1月18日江戸川、2枚目2023年1月19日江戸川、3枚目2020年1月4日手賀沼(なお、撮影地については非公開)
2024.01.22
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手賀沼は、2000年から北千葉導水路による導水が開始され、毎分6.5立方メートル前後の利根川の水が流れるようになり、現在に至っています。先日、リポートしたよゆうに、水中植物に依存してきた潜水して餌をとるカモ科の鳥類と水面で餌をつまみとるカモ科の鳥類の個体数は大崩壊した2000年以降は、限られたカモの姿が観察されるだけとなっています。ところが、環境省カテゴリーで準絶滅危惧種と区分されているミサゴが秋から冬に滞在し、972年から2000年までの間は、通過又は杭に止まるだけのものが観察されたに過ぎなかったものが、2000年以降では、手賀沼で魚を採餌して食べている光景が記録されるようになりました森岡 他(1995)によると、ミサゴは圧倒的に魚を餌とすることが多く、メジナ・ボラ・コイ・フナなどをポピュラーな餌としています。手賀沼では、NIRA(1988)が報告しているようにコイやぎんぶな等が連年にわたり放流されていることが判明しており、これらの魚が導水路の運用開始で増加したことも予想され、ミサゴの餌場としての条件が揃った可能性が高いのではないかと思われます。(引用)NIRA.1988.手賀沼1990年代の課題.p23.(財)山階鳥類研究所調査・報告 総合研究開発機構助成研究.森岡照明・叶内拓哉・川田隆・山形則男.1995.日本のワシタカ類.p20. 文一総合出版.(写真)2023年12月29日浦安市で撮影
2024.01.16
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鳥友から冬鳥の代表、コハクチョウとオオハクチョウの越冬生態について質問をもらいました。文献には、つぎのように報告があります。渡辺(2010)は、コハクチョウと分布や食性と採食行動、越冬生態などについて知見などを整理し報告しています。その中で、イメージとしては同じような越冬生態と思われているコハクチョウとオオハクチョウについての違いをつぎのように、報告しています。「多くの越冬地でのコハクチョウは、夜間は池沼や河川などの内水面にねぐらをとり、朝、ねぐらから飛び立って、稲刈り後の水田に降り立つ。昼の間は水田で過ごし、夕方、ねぐらである内水面に帰還して夜を過ごす。(中略)関東地方などコハクチョウがあまり見られない地域のバードウォッチャーは、オオハクチョウと同じように昼の間も水面にいたり、あるいは給餌に依存していたりすると思っている人が多いようだ。夜,池沼で就塒し,昼は稲刈り後の水田で餌をとるというと、バードウォッチャーから人気があるマガンとよく似ている」菅生沼では、日中でも水面にコハクチョウの姿がありますが、かつては夕方近く群れで帰還する姿が目撃されましたが観光客が餌を与える影響もあり日中も沼に留まるように変化しています。(引用)渡辺朝一.2010.オオハクチョウと異なる越冬生態.Bird Research News Vol.7 No.3.p4-5.(写真)2024年1月7日、2023年2月8日いずれも菅生沼で撮影
2024.01.11
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昨日、都内葛飾区水元公園でリュウキュウサンショウクイと出会うことができました。鳥友から分布の変化について質問をもらいました。文献などにに報告されている一部を紹介します。三上・植田(2011)の文献調査では、次の結果を得たと報告があります。・1970年前後には既に九州南部に生息し繁殖していた。・1980年代後半から90年代後半にかけて九州南部から北部へと確認地点が増加した・2000年代には高知、広島、奈良などで記録されるようになった。和田(2016)は、兵庫県姫路市でリュウキュウサンショウクイが2015年11月3日、12月6日、16日、24日、2016年1月28日、同年3月1日、神戸市中央区2016年1月7日、滋賀県高島市で2016年2月28日と兵庫県から琵琶湖西岸とほぼ線上に観察記録があることを紹介しています。(関東地方での冬期での観察記録)関東地方での観察記録を整理してみると、2017年冬期に東京都での観察記録があり、2019年11月に栃木県宇都宮市、2020年1月千葉県手賀沼沿岸、2021年11月に埼玉県で観察記録があることから、以前は西日本に分布していたものが拡大をみせていると表現してよさそうです。平野・戸室(2019)によると、2019年11月4、6日に栃木県宇都宮市の都市公園で観察したと記しています。北本自然観察公園によると、2021年11月23日に空中で昆虫を捕獲していた個体を観察したと述べています。川内(2021)は、都内での観察記録として、2017年1月11日に都立野川公園初めて記録され同年2月12日に八王子市犬目で2羽を観察されたと記しています。あわせて、2018年11月13日、2020年11月10日都内港区自然教育園で観察されたと報告しています。我孫子野鳥を守る会の観察記録によると、2020年1月6日手賀沼沿岸の公園で初めて観察され以降4月末まで観察記録があり、同年12月4日に再び目撃されています。(引用)三上かつら・植田睦之.2011.西日本におけるリュウキュウサンショウクイの分布拡大.Bird Research Vol. 7.A33-44.和田岳.2016.身近な鳥からの鳥類学.リュウキュウサンショウクイの東征.日本野鳥の会大阪会報むくどり通信.245号.p12.川内 博.2021.自然教育園におけるフクロウ・リュウキュウサンショウクイの初記録について.自然教育園報告第53 号.p65 - 66.平野敏明・戸室由美.2019.栃木県における亜種リュウキュウサンショウクイの記録.Accipiter Volume 24.(参考)我孫子野鳥を守る会.会報.no1-294.1975年-2023年9月.北本自然観察公園.2021.北本自然観察公園日記.(写真)2023年1月3日水元公園で撮影:1枚目、二枚目は雄個体と思われます。三枚目の個体は、頭上から上面に灰色味があることから雌と思われます。
2024.01.04
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昨日、コオリガモについてリポートしましたが、日本国内での個体数の推移についてわかったら教えてほしい、アップした画像の個体について質問をもらいました。かつて日本野鳥の会が行っていた全国一斉調査の結果と環境省ガンカモ類の生息調査の結果の一部と個体の性別について報告します。日本野鳥の会(1982)は、1982年1月15日実施の第一回ガンカモ類一斉調査の結果を報告しており、その中でコオリガモについては根室4698羽、小樽37羽、函館10羽、北上1羽の計4746羽と報告しています。また、同会(1989)は、1989年1月15日実施の第八回ガンカモ類一斉調査の結果を報告しており、その中でコオリガモについては計970羽、最多記録数は北海道ノシャップ岬周辺の883羽で記録地は青森県の大湊湾を除き北海道に限られていたと報告しています。その後、環境省(2022)は、令和4年度ガンカモ類の個体数を報告し、コオリガモは稚内市声間2羽、網走市涛沸湖1羽、根室市花咲港2羽、別海町走古丹23羽、木古内町札苅海岸2羽、江戸川河口1羽の計31羽と報告しています。前記の結果からコオリガモの個体数は、1982年と1989年を比較すると4746羽から970羽、1982年と2022年では4746羽から31羽と激減している結果です。要因は、繁殖地のバルト海での油汚染や餌の貝の激減、狩猟圧などの要因が挙げられていますが、確かなことは不明です。(引用)日本野鳥の会.1982.第1回ガン・カモ・ハクチョウ類全国一斉調査の結果について.Strix.第1巻.p43-55.日本野鳥の会.1989.第8回日本野鳥の会ガン・カモ・ハクチョウ類全国一斉調査結果報告.Strix.第8巻.p302、p309.環境省.2022.令和4年度ガンカモ類の生息調査.環境省自然局 生物多様性センター.https://www.biodic.go.jp/gankamo/gankamo_top.html(写真)2014年1月12日千葉県旭市て撮影(撮影個体は、嘴にピンク色がなく(不明瞭な可能性あり)、中央尾羽は短く、肩羽が灰色っぽく先端が細長く尖っているなどの特徴から雄第一回冬羽と思われます)
2023.12.31
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昨日、三番瀬で観察したコオリガモ、バードライフが述べているように世界的に絶滅危惧種に分類されているカモ科の鳥類です。環境省(2021)のガンカモ科の調査報告では、野付湾8羽、風蓮湖・温根沼6羽、琵琶瀬湾2羽、シブノツナイ湖(紋別市と湧別町の境にあるオホーツク海と砂州で区切られた海跡湖)1羽と報告があるのみですが、日本では絶滅危惧種としては未指定です。ブログなどの観察記録に着目してみると、案外千葉県沿岸での観察記録があります。その内容は、2007年2月10日銚子市雌冬羽1羽、2017年3月12日九十九里町片貝雄1羽、2018年3月4日銚子市、2020/2/24銚子市名洗港雄1羽、2020年12月28日三番瀬雄1羽、2023年2月23日三番瀬雌1羽です。これ以外にも観察記録があるものと思います。(コオリガモの心配事)日本では、限られた観察記録なのに、洋上風力発電が計画されています。浦(2023)が報告しているように、デンマークでは洋上風力発電建築前と後では明らかに生息地放棄が発生しています。銚子市外川先の洋上発電施設が建設されますが、2014年1月に飯岡漁港でコオリガモを観察しており近郊に発電施設が建設されれば影響は必至と思われます。(引用)環境省.2021.モニタリングサイト1000 ガンカモ類調査 2019/20年 調査報告書環境省自然環境局 生物多様性センター.p14.バードライフ・フィンランド 絶滅危惧種についての法廷闘争で勝訴https://tokyo.birdlife.org/archives/world/2513浦達也.2023.環境省専門家ヒアリング.2023年5月.洋上風力発電が鳥類に与える影響とその評価www.env.go.jp/council/content/i_01/000171853.pdf(写真)2023年12月29日三番瀬、2014年1月12日旭市飯岡漁港で撮影
2023.12.30
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冬に山地や平地でも日本固有種のカヤクグリを見かけることがあります。ホームグランド手賀沼近郊の我孫子市内の林縁のやぶで1978年1月14日、同年2月4日、19日に1羽が観察されています。以降の観察記録の報告はありませんが、同様の環境に越冬している可能性も考えられます。さて、翼があるのになぜ日本固有種なのかと質問をもらったことがあります。カヤクグリは「遺存固有」の種類で、かつて広く分布してが、競争相手となる鳥の出現によって追いやられ高山などに移住し、生き残ったパターンの鳥類です。(もうひとつは隔離固有と呼ばれるもので、1つは大陸から離島などに移動し、食物、天候などの環境に適応したために移動の必要がなくなり長い年月が経過して元の種とは異なる進化をした種類です)ただし、カヤクグリは、冬になると関東地方の山地や平地に飛来したり、渡りの時期に離島で見られることから移動力が高いことが知られています。あわせて、日本周辺国でも観察記録があり固有種としない見解も存在しています。カヤクグリの食性は、昆虫類(甲虫、ハエ、蛾の幼虫)、タデ科の種子を採食することが知られています。(写真)2019年2月2日茨城県で撮影
2023.12.28
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ほおじろ(2023)がスズガモの減少が著しいとし、かつて東京湾全域で10万羽見られたススガモがここ数年減少していると報告し、要因として餌になる二枚貝が少ないのだと述べ、ススガモを見るならいまのうちとして、夏羽、冬羽、第一回冬羽から夏羽個体の写真を掲載してします。川内(2021)が、同様の内容を紹介し、原因は、昨年(2020年)9月の台風19号による、江戸川放水路からの泥水放流で貝類が死滅したことが挙げられていますが、さらなる調査・研究が必要と思われますと述べていることと比べると、舌足らずで必要以上に個体数激減をアピールしている印象があります。ススガモの個体数を全国規模で着目してみると、環境省(2021および2022)が報告しているように全体的には100000~270000羽程度の間で増減を繰り返し、増加傾向にあるというのが研究者の中での共通認識です。全国的にはススガモの個体数がどうなっているか、激減している要因はどこにあるかその上で三番瀬のススガモの現況を報告すべきものと思います。(全国のススガモの個体数)環境省(2021)および(2022)は、観察地点数は増減しつつも、全体的には増加傾向にある。観察個体数は昭和51年度に200,000羽を越えて以降、100,000羽~270,000羽程度の間で大きく増減を繰り返していると報告しています。(引用)環境省自然環境局生物多様性センター.2021.第51回ガンカモ類の生息調査報告書.p50.環境省自然環境局生物多様性センター.2022.第52回ガンカモ類の生息調査報告書.p47.川内博.2021.異変! 東京湾のスズガモが激減.日本野鳥の会東京.研究部レポート.ユリカモメNo.784.2021年2月号.p11.ほおじろ.2023.東京湾のスズガモ2023の異変.日本野鳥の会千葉県.会報.通巻512号.p11.(写真)2021年2月3日浦安市、2019年2月23日浦安市、2021年2月17日谷津で撮影
2023.12.26
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オフィス近くの公園を散歩していたら、エナガ10羽前後と複数のシジュウカラ、メジロ、コゲラが混群となってコブシ、アラカシ、エノキの枝にを移動していく姿を目撃しました。これから寒さが本格的になる中、その塒はどうしているのだろうと疑問が頭をよぎり文献に目を通してみました。すると、気温低下への対処と塒に入って枝に並列で並ぶ行動について報告を見つけました。(エナガの気温低下への対処)赤塚(2012)は、群れと塒の関係について報告しています。それによると、エナガは進化の途中で、他個体の体温を当てにして夜間の気温の低下に対処する習性を身に付けた。イギリスで行なわれた研究によると、夜間のエネルギー消失の計測から塒内の位置取りに個体の優位があることが判明し、巣造り中のつがいは巣が完成するまで集団塒を利用し、ヒナがある程度育つと繁殖が集まって集団塒を構成して巣内のヒナとは別の場所で眠る。ヒナが巣立った初日の夜にでさえ、巣立ちビナのみを安全な場所に塒入りさせて親は群れの集団塒へ戻った事例があると記し、集団で塒をとることは生存率を高めるために重要であると推測され生活史に影響を与えていると述べています。群れでいると自身のエネルギーをあまり使わずに体温維持、単独でいると体温維持にエネルギーが必要で体温維持の難しい小型の鳥ほど寒い地方の鳥ほど重要であるとも言えそうです。(エナガが枝に並列となる様子)エナガの塒については詳しい観察がかなわないためか研究が極めて少ないのですが、中村(1962)が長野県下高井郡と下伊那郡で調査結果を報告しています。中でもどのように塒に入り、枝に並列しているかについての報告があります。それによると、藪の中の特定の枝の上へ一列に並列する行動について記しています。並列は1羽ずつ集ることによって進行するが、最初の1羽は枝の上で羽づくろいをし次の1羽が来ると横すべりの押し合いになり、おちつく頃に次のものは上へまわって2羽の間へとびおりて割り込む体をのばしてから急に縮めて割り込むと記しています。(引用)中村登流.エナガの塒と就塒行動.日本鳥学会.1962 年 17 巻 79-80 号 p.109-122赤塚隆幸.2012.エナガ 群れと塒の関係.Bird Research News Vol.9 No.7.p3.(写真)2023年12月23日柏市で撮影
2023.12.24
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厳冬期の1月以降、千葉県内にコクガンが飛来することがあります。2012年1月2日旭市下永井、2016年1月2日旭市、2016年3月12日谷津干潟といったフィールドで観察したことがあり、今冬はどうかと心待ちにしています。藤井(2017)が報告しているように、世界のコクガンの総個体数は50 万羽、日本およびアジア太平洋地域の個体群は10000 羽と希少な個体群と指摘されている鳥類です。また、アジア太平洋地区のコクガンの推定個体数は,日本で2500-3000 羽、中国で2500-5700羽、あわせて5,000-8,700 羽とされています。世界のコクガンでも多くの中継地や越冬地がアマモの大きな藻場が発達する地域に集中する傾向が強く、12月以降、北海道東部の各湾内の凍結が始まり,アマモを採食することができなくなると一部の越冬群を除き徐々に北海道南部や本州北部などの越冬地への南下・移動が本格化すると言われています。藤井(2015)が記しているよう、日本鳥類目録改訂第7版(2012)では日本に渡来するのは亜種コクガンB.b.orientalis)とされているが,亜種コクガンはIOC(国際鳥類学会議) World Bird List Ver.5.1( http://www.worldbirdnames.org/ioc-lists/master-list-2/ )には記載されておらず、日本に渡来するのは亜種クロネズミガン(B.b.nigricans)とされています。(引用)藤井 薫.2015.コクガン 分布と生息環境.Bird Research News Vol.12 No.3.p4-5.藤井 薫.2017.日本におけるコクガンの個体数と分布(2014-2017年).Bird Research Vol. 13, pp. A69-A77.(写真)2012年11月21日千葉県旭市、2016年3月12日千葉県習志野市
2023.12.22
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12月6日から7日に伊豆沼・蕪栗沼にでかけた際の観察記を発信したところ、鳥友から浅瀬でアオアシシギが移動していた画像を見たが、何をしているところかと質問をもらいました。アップした写真は、伊豆沼西端の獅子ヶ鼻で観察したアオアシシギ動きの一部です。浅瀬に登場し水中で足を動かし魚を追っていました。追い込んだ後、嘴を水中に入れ小魚を捕獲し、その後も足を動かして魚を追い込んでいました。アオアシシギの小魚漁行動については、氏原(2006)や岸(2014)が浅瀬で小魚を追う行動を紹介していますが、水中を移動しながらの漁行動は珍しいものと思います。(引用)氏原巨雄・氏原道昭.2006.シギ・チドリ類ハンドブック.p66.文一総合出版.岸 久司.2014.アオアシシギ2羽による小魚漁行動.龍ケ崎バードウォッチングクラブホームページhttps://rbwc.jp/aoashishigiryoukoudou20140824.html(写真)2023年12月7日宮城県栗原市伊豆沼で撮影
2023.12.17
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一昨日、印旛沼沿岸の鉄塔にハヤブサが1時間以上とまっているのを観察しました。ここでは高いところに止まり待機して直線的に小鳥などを捕獲する光景を見かけます。ただし、黒澤(2008)が、帆翔にも優れ気流をホバリングも行ない上空高く(400~500 m)舞い上がり旋回やホバリングをくり返しながら、獲物が眼下を通過するのを待つこともあると報告していますが、印旛沼沿岸での行動面積の関係で高いポイントに止まり待機する方法を選んでいる可能性が高いと思っています。(引用)黒澤 隆.2008.ハヤブサ 食性と採食行動.Bird Research News Vol.5 No.12.p5(写真)2023年12月13日、2018年10月20日、2019年1月28日、2019年11月2日いずれも印旛沼
2023.12.15
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昨日、野田市座生川でハクセキレイ、セグロセキレイ、キセキレイを観察しました。今から40年ほど前、定期的に探鳥会を開催していた頃からハクセキレイを見かけており、関東近郊に出かけても多く姿をみかけるのでどこにでもおり、キセキレイはそれようも出会う機会が少ないという印象を持っていました。(標高帯別の記録率ではキセキレイがNO1)ところが、植田(2023)が全国繁殖地図調査の結果を整理して報告している内容を見ると、低標高の場所を除けばどこでも高確率で見られるキセキレイが、日本で一番どこにでもいるセキレイと言えると記しています。標高帯別の記録率では、キセキレイは0-100mの低標高地こそ記録率が低いもののそれ以上の標高帯では高い頻度で記録され、それに対してセグロセキレイは500m以上で記録率が低く,ハクセキレイは100m以上で記録率が低いなど分布の広さに大きく差があると報告しています。あわせて、冬の平均気温が0℃を下まわるような場所、積雪深20cmを上回るような場所では,キセキレイは冬期にはあまり分布しないことが結果が得られたことも報告しています。(8月に多くのキセキレイが渡る)あわせて、植田(2023)が述べている内容で注目されるのは、レーダーを使った調査で8月に多くのキセキレイが渡っており、東京でも8月に高空からキセキレイの声が降ってくるのを聞くことができたと述べている点です。キセキレイの声が降ってくるのを体験してみたいものです。(引用)植田睦之.2023.日本の森の鳥の変化:キセキレイ.バードリサーチニュース 2023年11月.(写真)2022年3月2日松戸市千駄堀、2023年12月11日野田市座生で撮影
2023.12.12
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今冬も千葉県野田市、我孫子市にミヤマガラスが飛来したと情報をもらいました。あわせて、いつごろから飛来したのかと質問をもらいました。高木(2010)は、ミヤマガラスの情報収集した結果と文献に寄せられている記録を整理し報告しています。それによると、ミヤマガラスの分布は1970年代末には九州地方と山口県,島根県であったが、1980年代半ばから分布が広がりはじめ日本海側を西から東へと拡大し、1990年代には東日本で北から南へと分布が拡大し2006年12月までに東京都を除く全道府県で観察されたと報告しています。そのうち、千葉県については、2000年代前半に観察が報告されていると記しています。また、日本における分布は、西日本では九州地方から東に向けて分布が広がったのに対して、東日本では北から南に向けて分布が広がったと述べています。興味深いのは、西からの分布拡大とは全く別に北から北海道や東北に直接渡ってきたものがいる可能性も否定できないとしています。千葉県北西部の印西市、我孫子市、柏市、流山市、野田市でのミヤマガラスの観察記録を振り返ると、2010年3月5日に柏市東部水田地帯で姿が目撃されて以来、2012年11月25日流山市深井新田169羽、同年12月16日我孫子市東部水田地帯114羽が観察されました。以降、我孫子市では2013年11月17日我孫子市東部150羽、2013年12月8日240羽、2014年11月3日246羽、柏市では2014年12月15日柏市東部300羽、2017年12月17日柏市東部112羽2018年11月25日柏市東部水田115羽、2020年3月7日柏市東部水田15羽、流山市では2015年11月30日流山市西深井43羽、2015年12月12日65羽、2018年11月24日流山市西深井1羽、野田市では2018年1月28日野田市南部水田92羽を観察しています。以降、物流団地造成で塒が消失した流山市を除いては、ほぼ毎年、姿を見かけます。千葉県北西部では2010年以降、姿を見かけるようになっています。なお、観察地区名を記載せず、東部水田と記したのは近年カメラマンが大勢押しかける傾向があるため、自然環境、住環境に影響を与えるためですのでご容赦下さい。(引用)高木憲太郎.2010.日本におけるミヤマガラスの越冬分布の拡大.Bird Research Vol. 6, pp. A13-A28.(写真)掲載順で2016年1月手賀沼沿岸、2015年11月30日流山市西深井嘴のつけ根が白いので成鳥とわかります。(幼鳥はつけ根に毛があります)
2023.12.10
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トラツグミが、ホームグランド手賀沼沿岸や千葉県内で地面でお尻をふりながらステップを踏みダンスをしているような動きを目撃したことがあります。地中にいるミミズなどの小動物を刺激して出てきたところを捕らえるための行動と聞いたことがあります。そろそろ、その姿と出会える時期となりました。(土の中の音を聞いているトラツグミ)京都府みやけ動物病院の三宅慶一さんが、トラツグミの観察結果を整理して報告しています。「ツグミやシロハラのような採餌行動もしますが、立ち止まって顔を傾けて静かにじっとしていることが多い。そして突然、土の中よりミミズを引き抜いています」と述べ、さらに「トラツグミが立ち止まり顔を傾けてじっとしているところはしばしば見られ、落ち葉の下、腐葉土の中、土の中のミミズや虫の歩く音を聞いて、位置を定めてミミズを捕獲しに飛び掛っていったのではないか」と記しています。三宅さんは、落ち葉の下か土中 に 逃げて行った ミミズの発するかすかな 音 を聴いて、ミミズの位置を定め、ジャンプし、体重を掛け勢いをつけてミミズに襲い掛かる光景を写真と共に紹介しています。私共も勢いをつけるために止まっていたお立ち台を目撃しています。(引用)三宅慶一.2021.トラツグミはミミズの足音を聞いている.pp12.京都野鳥の会会誌「三光鳥」 49 号に掲載されたものをご自身で整理したもの(写真)2023年1月28日茨城県つくば市、2022年2月19日、2月28日柏市内で撮影五枚目、六枚目は、トラツグミがとまり餌めがけてジャンプしたお立ち台
2023.12.09
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今シーズンは、ホームグランド手賀沼の水鳥に変化が起こっています。というのもトモエガモが11月16日3羽、21日7羽、27日90羽が目撃されていることです。亭主のデータベースで確認してみると、1980年2月11日に1羽、1985年1月1日2羽、1991年1月5日2羽、1994年3月21日1羽、1998年2月1日3羽といった観察記録が散見されているにとどまっていました。それが、2001年1月28日12羽、2002年3月16日11羽が観察されるようになりました。2019年以降はぼ秋から春の間、1羽から最大17羽(2022年12月2日)が観察されるようになっています。ただし、いずれも沼の水面で羽をやすめているのみで採食行動は観察できていません。環境省(2002)は、国内に飛来していたトモエガモの個体数が1000から2000羽飛来していたものが1990年代前半には300から400羽に落ち込んだと述べています。しかし、神山(2021)が2020年・2021年冬に各地から大きな群れが見られたと報告しているように個体数の回復が見られています。印旛沼北部で神山(2022)が2022年1月3日に32670羽が飛来したことを紹介していることや今季の手賀沼のトモエガモの動向とあわせてトモエガモがどこで採食しているかなどの把握をする必要があるものと思います。(引用)環境省.2002.改訂日本の絶滅のおそれのある野生生物.p150-151.神山和夫.2021.トモエガモ個体数が回復の兆しバードリサーチニュース 2021年11月.神山和夫.2022.北印旛沼に数万羽のトモエガモが飛来.バードリサーチ水鳥通信.p1.(写真)2019年12月15日、2023年12月1日いずれも手賀沼で撮影
2023.12.02
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この時期、あちこちで渋柿の実が柔らかくなり、ヒヨドリやメジロ、ヤマガラが次から次に飛来してついばんでいます。柿は、熟すまでは渋みのあるタンニンで鳥たちから食べられるのを防いでいますが、タンニンが不溶性に変わると渋さが抜け鳥たちが大好きな甘い柿に変化します。調査のきっかけは、サルが熟した柿を食べ、野鳥が赤色の木の実を食べていた光景を目撃したことにあったと記されています。さて、調査は2018年に6種類の木の実を対象とし、その色と糖度を調査しサルや野鳥が食べたかどうかを報告しています。調査結果では、野鳥もサルも柿は赤に近い色のもの、糖度の高いものを食べたとしています。(引用)早川小学校.2018.鳥は木の実を色で選ぶのか味で選ぶのか.BEANSレポート.pp11.(BEANSレポートは、早川北小学校で取り組んでいるBEcome A Nature Scientists「自然科学者になろう」の野外自然観察活動で学んだ内容を報告しているものです)(写真)2023年11月30日、2022年11月9日、2021年12月5日いずれも柏市内の谷津田で撮影
2023.11.30
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柏市内の谷津田を散策していたら、地元NPOのメンバーからフクロウ若鳥が死亡し落鳥しており、はく製にしたいと思うがどこかはく製加工ができるところを知らないかと質問を受けました。しかし、フクロウをはじめとする猛禽類は、鳥インフルエンザに感染しやすい種の代表であることから市に連絡して指示を受けた方がよいとお話しをさせてもらいました。(死亡しているフクロウなどを見つけた際の連絡先)https://www.pref.chiba.lg.jp/shizen/choujuu/toriinfluenza.html(写真)2017年5月栃木県で撮影
2023.11.30
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一昨日、柏市内柏の葉公園を訪ねた折、モミジバフウの実をついばむエナガ、メジロ、カワラヒワといった鳥たちをリポートしました。モミジバフウについて関心をもっていただけた方から質問をもらいました。丸いボンボンのようなものは雌雄どちらか、種はどんな状態になったら鳥たちが食べられる状態になるのかといったところでした。まるいポンポンのようなものは小さな雄花の集まりです。写真には記録できていませんが、雌花は小さく丸く集まっています。果実は硬いトゲトゲボールのようなかたちで、 完熟するとすき間から翼のついた小さなタネがこぼれ、 風に乗ってあちこち運ばれていくと聞いています。アップした写真は、柏の葉公園(2021年12月10日)と野田市清水公園(2021年12月1日)でアトリと出会った時のものです。モミジバフウの実は、熟すとすき間から種がこぼれる状態になるのでこれをアトリがついばんでいました。カエデの仲間の種子を食べる鳥には、アトリ、シメ、イカル、シジュウカラ、ヤマガラ、キクイタダキ、ヒガラなどが知られていますので今後も注目したいと思います。(参考:モミジバフウについて)清水公園が所在する野田市がホームページで概要を紹介しています。それによると、葉は手のひら状に切れ込みモミジ (カエデの仲間) そっくりな形をしています。 晩秋に紅葉する点もよく似ており、モミジバフウの葉が互い違いにつくのに対し、 カエデの仲間は向かい合わせにつきます。楓 (木へんに風) という漢字は、 フウと読み、 もともとはフウという名前の木を表した漢字でした。 https://www.city.noda.chiba.jp/shisei/1016739/1016740/kusakoho/
2023.11.26
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鳥友から昨日の水元公園のリポートを見て、なぜ水元公園小合溜には、ホシハジロ、キンクロハジロが多いのに、手賀沼では少ないのはどうしてと質問をもらいました。ホシハジロは主に沈水植物の越冬芽や実、水生昆虫を食べます。また、キンクロハジロは主に貝類と沈水植物の越冬芽を餌としています。水元公園小合溜では、葛飾区(2021)が報告しているように沈水植物のマツモ、エビモが生息しておりホシハジロ、キンクロハジロは、これを餌としているものと思われます。これに対して、手賀沼では、山階(1988)が報告しているように昭和48年(1973年)に沈水植物が絶滅したことでホシハジロ、キンクロハジロを収容する力がなくなったことによるものです。(引用)山階鳥類研究所.1988.手賀沼1990年代の課題.鳥と人との共存.p81.総合研究開発機構助成研究.NRS-86-6.葛飾区.2021.水元小合溜 動植物等環境調査結果について.葛飾区都市整備部公園課.p3.(写真)ホシハジロ:2023年2月18日、キンクロハジロ2022年11月16日水元公園にて撮影
2023.11.22
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鳥友から手賀沼沿岸のガンの飛来について質問をもらいました。1973年から2023年の間での観察記録と文献に報告されている記録を整理したものを提供しました。参考までに紹介します。(1973年から2023年11月の間のガン類の観察記録)マガン:1983年12月18日柏市弁天下2羽、2019年11月10日2羽、2019年12月1日4羽、2019年12月15日4羽いずれも柏市手賀沼沿岸、2022年1月16日手賀沼1羽、2022年2月9日いずれも柏市手賀沼沿岸にて拙宅の亭主と共に観察。シジュウカラガン:2021年12月11日柏市手賀沼沿岸1羽、2022年1月2日柏市布瀬1羽、(1973年以前の観察記録)文献に報告されている観察記録を紹介します。我孫子市(1995)は、手賀沼のガン類について文献に報告されている観察記録を整理しつぎのように紹介しています。シジュウカラガン:1914年1月、1915年12月に各1羽の採集記録がある。コクガン:1884年2月4日に雌1羽の採集記録がある。ハイイロガン:1921年1月に採集記録がある。カリガネ:1903年12月23日、1935年12月3日に1羽の採集記録がある。ハクガン:1984年1月16日に1羽、1896年4月10日、1925年、1926年に記録がある。サカツラガン:1883年12月11日雄1羽、1937年1月17日の記録がある。ヒシクイ:1977年1月7日14羽の記録がある。また、手賀沼のガン類については、手賀沼には現在の柏市布施にあった和田沼、市川市新浜で休んでいたガンが採餌を行うために手賀沼とその周辺に飛来していたとし、第二次世界大戦後、手賀沼周辺で行われていた銃による乱獲と生息環境の悪化で迷行記録が認められるのみと記しています。(引用)我孫子市.1995.我孫子市自然環境調査.p73-74.(写真)シジュウカンガン:2021年12月21日柏市手賀沼、マガン:2019年12月15日柏市手賀沼ハクガン:2021年11月26日宮城県伊豆沼、2015年11月8日都内足立区、コクガン2020年11月21日旭市で撮影
2023.11.20
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昨日、東庄町八丁堰の近くの水田でコハクチョウの群れとマガンを見つけました。東庄町では群れで移動する光景を目撃する機会はありませんが、マガンが大規模な群れが揺らぐように移動していく光景を思い出します。群れ同士が融合し、大規模な群れとなり、また分裂、交差を繰り返したり、突然隊形が崩壊し整列し直します。早川(2014)は、マガンの飛行する隊形について、飛行の際に生じる渦場を利用して、飛行コストを節約しているという解釈が一般的だが、群れとして行動すること自体は、マガンが被食者であって、自衛のための戦略と見ることもできると見解を述べています。また、編隊飛行を行う際に、盛んに鳴き合い、頭の方向を変えながら周囲の様子を伺っている彼らの様子は、個体同士は活発にコミュニケーションを交わし、複雑に相互作用しながら行動していると指摘しています。伊豆沼、蕪栗沼上空を夕方になるとマガンの隊列が飛行していく光景を見かけますが、編隊を組んで飛行するもの、編隊に属さず飛行するものといろいろです。空を見上げそれらを観察するのもガンの仲間を観察する醍醐味です。(引用)早川美徳.2014.マガンの群れのサイズ調整.京都大学 数理解析研究所 講究録第1917巻2014年p164-171.(写真)2022年11月3日伊豆沼、2004年12月12日栗原市、2021年12月5日伊豆沼、2018年12月15日蕪栗沼、2014年1月21日伊豆沼、2020年12月5日伊豆沼で撮影。
2023.11.19
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手賀沼では、秋から翌年春までの間、ミサゴ科ミサゴが滞在しているが、いつごろから滞在するようになったかと質問をもらいました。文献などを調べてみましたので紹介します。我孫子市(1995)は、明治以降の手賀沼の鳥類生息状況について情報を収集し整理し報告しています。明治前期(1880年代)に手賀沼で記録されたワシタカ目の鳥類はオジロワシのみで、昭和中期(1959年-1969年)の間ではトビ・クマタカ・チュウヒ・ハヤブサ、1970年から1980年代になりミサゴ、トビ、オオワシ、ツミ、オオタカ、ノスリ、サシバ、チュウヒ、ハヤブサ、チョウゲンボウの10種が記録されるようになったと報告しています。1970年以降の流域市民による手賀沼とその周辺での観察記録に着目してみると、1972年から1980年の間ではミサゴの観察記録は見当たらないが、1981年1月、1990年10月、2002年12月、2003年10月に観察報告が寄せられ、2004年以降では10月頃飛来し翌年春まで観察記録が寄せられています。また、2020年になると8月にも観察記録が寄せられています。榊原ほか(2021)が、生態系の最上位捕食者であるミサゴが内陸部で全国規模で増加していること指摘しています。ただし、それはダム建設による生息適地が創出されたこと、止水域でのミサゴの餌となる魚が多く生息するようになったことによるものであり、手賀沼のような内陸湖沼で観察されるようになった要因については言及されていません。2000年より運用が開始された北千葉導水路による利根川の水の沼への注水による水質の変化による要因も考えられますが、魚類の生息の変化などの把握ができていないので2004年以降の冬期に滞在するようになったことを説明できるだけの材料とはなっていません。(引用)我孫子市.1995.我孫子市自然環境調査.p81-82.榊原貴之・森 航大・佐藤和人.2021.ミサゴ 内陸部ダム湖への分布拡大.Bird Research News.2021年5月号.p2.(参考)我孫子野鳥を守る会.会報.no1-294.1975年-2023年9月.(写真)2019年11月10日、2021年12月12日いずれも手賀沼で撮影
2023.11.17
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今月9日に柏市内の谷津田でウソを目撃しました。過去、千葉県北西部および手賀沼とその周辺地域で観察された記録を整理しました。ウソの飛来は年により変動が大きく予想できませんが、これまでになかった秋早くに姿を見かけたことから所謂当たり年となる可能性も考えられるので情報提供します。(関東南部での越冬)唐沢(2007)は、関東南部でのウソの越冬記録を整理し報告しています。2000年から2003年市川市大町で1羽の観察記録があり、2006年11月には7羽から12羽の群れが頻繁に観察できたと述べています。(手賀沼とその周辺地域での観察記録)手賀沼とその周辺地域では、1978年2月19日に我孫子市中峠で10羽の群れが観察された後は観察されていなかったが、2000年4月8日柏市豊四季1羽、2006年11月26日から12月10日柏市酒井根1羽、2006年12月25日柏市布施6羽、同日柏市片山1羽、2007年1月1日から2月25日最大7羽、2007年3月17日から18日柏市布施3羽、2019年12月16日柏市光ヶ丘1羽、2020年1月20日柏市光ヶ丘1羽、同日柏市片山1羽、2020年1月25日から2月2日柏市光ヶ丘1羽、2020年2月9日から2月24日柏市片山1羽が観察されている。前記のうち、2000年以降の観察記録は桜の花芽をついばんでいたもの。(ウソの食物)唐沢(2007)は、ウソの食物について報告しています。それによると、種子はアキエレ・スイカズラ・カエデ科sp.・ウツギ・イロハモミジ・アジサイ・マサキ・アキグミ・ナナカマド・広葉樹spの10種と記し、花芽は桜・ソメイヨシノ・ウメ・レンギョウ・カエデ・ハナモモ・カツラ・エノキ・グミ・桜桃・八重桜・ヤマザクラ・ヤシャブシ・コナラ(葉芽)・マダケ(葉才)の15種類と述べています。また、11月から12月は草本類や本木類の種子、3月から4月は花芽を食べると報告しています。(参考)我孫子野鳥を守る会.会報.no1-294.1975年-2023年9月.唐沢孝一.2007.関東南部を中心としたウソの越冬記録.千葉生物誌.第57巻.第1-2号.p3-14.(写真)2020年1月20日、25日柏市光ヶ丘で観察・撮影
2023.11.12
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