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とある…私のお気に入りの話を一つ…(ベンベン)この題名でまず引き込まれてしまいました…(なんやねん???コロッケって!!!)。あるコンサルタントと呼ばれる職種のAさんがいまして最近、ちまたでも話題の事業家Yさんと食事をする機会をAさんは持てる事が出来ました。そのお店は中華料理屋でありましてお皿には人数分の料理が盛り付けられて運ばれて来ます。食事会に参加していたのは6人(仕事の大切な話も交えて)。Aさんの知人3人と、Yさんとその秘書の方。お話も盛り上がり、楽しい時間を過ごしていました処…。カニコロッケがテーブルに運ばれて来ました。最初に手をつけたのはYさん。なんと…Yさんは…カニコロッケを『3つ』も自分のお皿に入れたのでありました!!!その場の空気が凍りついたのは言うまでもありません…。秘書の方もどうしたらいいのか困惑していました…。そして…なによりも…残りのコロッケの行く末が興味の対象になります。(残りは5人…しかし…コロッケは…3個…)もちろん…緊迫した空気の中…お箸の動きは止まりますね…。Aさんは思いました…。いくら…いくら…カニコロッケが大好きだからと言っても大人であれば『一人一個だと分かるだろう!!!』AさんはYさんの人間性を疑わざるにはおられませんでした…。そして、この人は本当に仕事が出来る奴なのかとも考えてしまいました…。実は…Yさんにはこんな噂もありました。非常識で若いのに傲慢な人間。力ずくで動き、自分勝手で周囲との調和の取れない人間…。しかし…何日か過ぎてAさんは思いました。『やはり、Yさんは大物な人物だ』と…。あの場では誰もが当たり前の様に、コッロケを一つ取るだろうとしかし、Yさんは自分の好き嫌いが明確でありその事に対して、正直で、そしてその自分の心を貫く『勇気と行動力がある人間』だと知れたと感じました。今の時代…不況、不況と誰もが口を揃えて言います。皆と同じ事をしていても何の解決にもなりません。こんな時代だからこそ、Yさんの様な斬新的で行動を起こせる強さが必要なのだとAさんは感じたと言いました。私はとてもこの話が好きなんです…。なぜかと言うと…。確かに、Yさんもすごいと思いますが…。なによりも、自分の視点を180度変えれたAさんがすごいと思いました。あんなに怒り、困惑し、その気持ちに奮闘していたAさんがYさんに対して自分の常識や感情、また周囲からの評価も『無』にして正しくYさんを見れたという事が本当に素晴らしいと思いました。人は自分の常識や知れた情報意外は遮断してしまう傾向がありますが『物事の本質』というものはそれを超えた所にあるのだと私も似た経験があるので感じました。私は常に思うのは…。自分の心の中で、他者の人格の評価がなされた時点で私にはその人が『その様にしか映らない様になる』と思っています。たとえ、その人がどんな好い行いをしても何をしても私の心の中、そしてその心が映し出す映像しかみる事が出来ないのだと思います。人は人の心の中で形態化する…。私が他者に対して『息が詰まる様な感覚・箱に入れられるような感覚』を感じる時はその他者からの歪んだ評価を感じる時ではないかと気づきました。『私は私』『私は常に平和である』その為にも、常に心を『0時点に戻す作業を毎日行い』どんな時にも、正しい場所から素直にモノを感じれる視点が大切だとそう日々思っています。結局は、どんな場合でも『他者は悪くなく』その部分しか見えてない自分の心が感情が自分を苦しめその事を忘れる事が出来ない事が苦しいのだと思います。そんなお気に入りのお話でした!
2009年01月30日
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この二年。沢山のモノが見えるようになりました。近すぎて見えないものも沢山あったのだと思います。近すぎて聴こえないものも沢山あったのだと思います。近すぎてその本質の香りが認識できなかったことも沢山あったのだと…。ただ…。今からが私のスタートであり。その許可がようやく下りたのだと感じます。今は『音』の学習をさせられています。この「させられて」という表現は可笑しいかもしれませんが私は「自分の意識」からの感覚に対してそう認識しています。「興味が湧く・何度も何度もその事が目の前に表れる」そう、意識が私に命令してきます。ギターをさせられているのもそうですが。。。英会話も・・・そう・・・。実はどちらも…正直…苦手でしたから。心の中では(え~~~~)なんてね・・・・。一年間、させられて。逃げる事も出来ず・・・。とにかくやり続けて二年目に、その意味が解りかけてきました。そしてどうも…。今年中に「英語が日常的に近い感覚」で話せるようにならないといけないらしい。言語は最高の「音」ですから。表面の難しいものは払いのけて(いろんな意識ですね)英語の「音」を知る必要があるみたいです…。その答えは「習得した後」にわかるとか。やるしかあ~~~りませんね!!!!
2009年01月26日
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なかなか…毎日はブログが書けない私…。本日は素敵なご縁がありました。知人より「占い師を探している人がいる」と連絡を受けました。なにやら「ホワイトデーのイベント」をするらしいのです。その時に占いをしてくれる方を探しているとの事で私に声がかかりました。そこで本日、その方と初対面でありました。経営者方は50代後半から60代くらいだと思います。慎重でありながらも「目のキラキラした少年のような方」でしたね。その方は他にもいろいろと事業をされていましてその一つが「カフェ&ダイニング」のお店です。このお店が面白いのは素材が全て「日本茶」なのです。実は私、昨年、友人に連れられてこの店にランチに行っていました。和の小物も内装もお料理も素敵なお店でした。茶蕎麦粉を使用したオムライスなんかヘルシーで品があってとても美味しかったですね~(ソースもお茶なんですよね~)また行きたいね~なんて思っていた所ですからこんな形でお話が来るなんて縁を感じ嬉しく思いました。私は仕事をする時、いつも心がけている事があります。全ては演出ですから自分はその舞台の中の一人であるわけで「調和・溶け込む」という事がまず一番大切です。そして何よりも私がしたい事は「依頼者を喜ばす事」です。これはモノを総体的にみることに繋がり、目的意識が明確になります。依頼者(経営者)が喜べば、従業員も喜ぶ。従業員が喜べば、お客様も喜ぶ。お客様が喜べば、依頼者も喜ぶ。依頼者が喜べば私は大変に嬉しい・・・・・。総体的とは相対的であり全ては繋がることになる。だって自分一人で出来ることなんて限られていて一人で大きな成果を出したいと思うなら「ただのきっかけ」になればいい事でみんなの笑顔が見れることが最終目的であり自分はその中で自分のするべき仕事をまっとうするだけなのですね~。この積み重ねが「出会いを良いモノ」に出来るか否かであると思います。
2008年01月25日
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先日「日本刀」を造っている方にお会いしました。日本刀に魅了されて「人生は日本刀の中にあり」と言われる生活をされておられます。こういうモノに関わっている方は何が果たして魅力なのでしょう・・・・。エジプトの考古学者の方からも同じ様なものを感じますね・・・。果たして・・・新しいものの発見でしょうか?もしくは、人々を魅了する様な神秘的な刀の作成なのでしょうか・・・?いいえ・・・。ロマンを求めるかたは皆、共通されています。「その時代のモノの復元」なのだろうと感じます・・。ところで、新しい発見とは何でしょう・・・。本来、刀にしても、エジプトにしても「新しいもの」ではありません。「古きもの」であります。人は「古きもの」より「新しきもの」を学ぶのです・・・・。未知との遭遇ではなく「記憶の復古・再現」「時代の復古・再現」であり。その時代に人類が確かに「息づいていた息吹」を感じる事やその時代の人が「見ていたそのもの」をそのままの形で再現する事が人類が生きていた証しとして知るのです・・・。日本刀の方は「本物に近づきたい」とただその一心で向き合っておられました。きっと「復古」でしか「本物」は知れない…。「本物を知る」とはその作業の過程からしか学ぶことは出来ないのだと感じます・・・。
2008年01月20日
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私は常に「己の信じるもの」が正しいと感じている己が実体験して・見て・触れて・感じて・味わって・・・。学習して己のものとなったものを信じている。だから「何度も何度も繰り返して己に戻り繰り返して」の作業をしている人に何かを伝えようとしたり大切な人を守ろうとするには「己の迷い」が一番の壁となるからだただ気をつけないといけない点は「己の信じるモノ」=「他人の信じるモノ」は違うということを知っておくという点己の信じるものは己の全ての感覚で体験して確かめるのであるから「自分がされて不快に思うものは相手にしない」という原理も働く「己」=「自分勝手」「自由」=「好き放題」「平等」=「責任放棄・人任せ」ではないという事・・・・。憲法が上手く出来ているのは人を守る為に掲げている「人権」・「自由」・「平等」とは皆に与えられたものであるからこそ「一人一人がその事を自覚し守り・保っていく決まり」なのだと思う。この三つの言葉はとても「重い」言葉なので覚悟のない人は口にするのは考えた方がいいのかもしれない・・・・。
2008年01月16日
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本日は美術館に足を運ばして頂きまして「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」に行って参りました。子供の頃に返った様に「ワクワク・どきどき♪」しながら楽しむ事が出来ましたね~~~~。「日本にいて異国を楽しみめる感覚」更に「今の時代に存在しながら過去の時間と触れられる感覚」・・・。その時代に存在した「物から感じる何か」とは肉体の存在を忘れ「空間と時間」との流通をさせやすくしてくれる「何かの存在」を認めざる得なくなりますね・・・・。エジプトの神秘・・・・。暗号と科学と神と芸術と素晴らしい建築技術・・・・。まるで「未来の私達の存在を知っているかの様な神秘の眼差し」を感じるものがありました・・・・。
2008年01月14日
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私は言葉を特に気をつけて扱う仕事をしているので「言葉の人に伝わる解釈の差」に特に注意を払っています。人の相談というものは本当に99.9%と言えるくらい「言葉の意味の深みの差」によって乗じています。「好みの差」は問題ではありません。人それぞれ「多様な癖や好み」はあって当然ですから…。これによって争うのは問題外です。「言葉の解釈の差」とは「ちゃんと相手を理解」していないからですね。そして「理解」はもっとも大切なものですね…。「理解」は「和解」を生み新たな「見解」をも生み出す。言葉の解釈の差は「相手を知れるチャンス」だという理解をして欲しいなと願います。相手の面白い一面を知れたりその人の人間性の奥深い何かを知れたりと沢山のギフトが盛りだくさんですからね~~~~!
2008年01月13日
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人体の中で二つあるもの…。「目・耳・手・足」…注(鼻の穴はとりあえず置いておきますが…)鼻の穴から吸った呼吸と考えると(この二つも意味が大きいか…)「肺・腎臓」ここでは「目と耳」に注目。脳が司令塔であるので特に大切であります…。手と足は目と耳からの情報で動くことの方が大きいから(反射という動きは置いておいて)この「目と耳」鍛えると非常に面白いと思います…。私は「今の環境がまさしくこの二つの訓練」をしている状況であります。ギターの練習(♪を読んでいるので目と音の訓練)本を読む(視覚の訓練としては最適)英会話(聴覚の訓練としては最適)実は、昨年から「脳のトレーニングジム」に通っておりここでは「動体視力・メンタル・イメージ(速聴などもあり)」の三つがあり年明けから英会話・ギターも真剣に開始・本を一日一冊近く読むなどしていた事が今日が始めてのジムの日でこの何週間訓練の成果が知らずに立証されておりました!意外と人間とは二つあるものを同時に使う事をしていない事の方が多く「二つあるという意味」をきちんと考え同じ様に使う事をやれるようになれば「ちょっと~面白いかもよ~!」の世界に突入出来るんだとたった数週間での事でも感じる事が出来るので継続で長年している超人の方はすごいのでしょうね~。そんなことを知れた今日でありました!
2008年01月12日
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「繰り返す」この作業は「縦の動き」である「広げる・チャレンジする」これは「横の動き」であるどちらが「先」か・・・・。実はどちらも同時である。それはなぜかと言うと「縦も横も一つの点からの始まり」であるからだ。一つの点とは「太極」の事。そこから出る「縦と横」=「陰と陽」を伸ばしていかないといけない。もう少しだけ詳しく言えば「縦の中の陰と陽・横の中の陰と陽」であるが。「繰り返す」という動きは本来は「縦」だけの動きではない。「点に戻る」動きであるから「縦にも横にも」必要なことである。「点」というのは縦横が長くなればなるほど強くならないと駄目である「点」とは「己」であるのだが「点」が移動していては「己」の帰れる場所「繰り返し地点」がわからない。「繰り返す」作業は自己を確認する作業。また「自己を深める作業」とも言える。試しに一年前にしたことを今年になって全く同じやり方でやってみるとよいやり方は一緒でも「一年間、繰り返し作業をきちんとしていた人」であったなら「必ず違う結果・成果」が出るだろうから。大切なのは「やり方や方法論」ではなくそこを超えた深いところに答えがあるのだということである…。
2008年01月11日
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相手の望み通りに動くのも、確かに相手を思う動きではあるが…。相手の良さを出してあげれたり、予期せぬ縁を繋いであげたりする方が高度である。この場合はある決まりごとがある…。「相手にその事がばれてはいけない」なぜかというと…自分でも気づかない良さ出してもらえるという事は予期せぬ縁が繋がるという事は共通点として「自然の原理で成り立っている」という必要があるからだ。あくまでも「自然の中で起こった演出」でなければ感動は生まれないからだ。そして「人の心に自然の灯火(感動)つくる」と言う事が「相手を思う(想う)本当の動き」ではないかと感じる…。
2008年01月10日
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昨年は何かと表に出て活躍する場が多かった様に思う…。しかし…。振り返ってみると残っているものはさほどなかった。出来る力はあったのだと思うがやり方の応用は少なかったのだろう…。いろんな出来事が起こるのは当然だと感じる。出来事が起きないと新しいものは生まれないから…。だから人生は楽しい…。という事は…。一つのことをするのでも沢山のバリエーションを持っていればそんな出来事も何倍も楽しめる事が出来るということになる。今年はなんとなくだが自分の中での「確かな変革」を感じる…。表面的には昨年よりかなり地味な動きになると思われるが内面的な動きは非常に大きいだろう…。勉強が楽しい・・・。苦手なものが苦手でなくなることが嬉しい・・・。地味な仕事が意味のある事だと感覚で感じられる自分が存在する。今年は大きな「パズル」を作れるピースの数を増やしていこう。どんな絵柄の大きさのパズルが出来るのかその日がとても楽しみだから・・・。
2008年01月09日
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「対極」ではなく「太極」である・・・。これはまったく別のものだと感じる。対極は相反するものを分ける表現・思想・・・。太極は相反するものを同士と見なす表現・思想・・・。対極の中でこの世は成り立っていると思う。プラスとマイナスの作用・・・陰と陽・・・。男と女・静と動・黒と赤・強と弱・大と小・北と南・・・。対極は必ず相反する存在がこの世に形あるものや形あるものに近い形態で存在する。しかし「太極」は違う・・・。そのものがすでに「陰と陽」の作用を同時に伴っている存在だと感じる。陰が存在している時はすでに陽も流動しているのである。人間の身体で言えば視力が全く同じとして「両目」でそのまま見ている状態かもしれない・・・。「太極」の文字で思い浮かぶものは「太極拳」これは「静の中に動を表現し・動の中に静を表現する」動きではないかと思う。きっとただの「対極」でモノを見ているのでは本当の正しい認識は出来ない…。好き・嫌い・・・悪・善・・・・・。あらゆるモノの作用で変容してしまう可能性が高いだろう・・・。「太極」でモノを見る・・・。在りのままの形をただ見てみる。そうすれば「そのものの存在の意味」をきっと知る事が出来るのではないかと思う・・・・。 ネズミがでかくなったなぁ・・・・。
2008年01月08日
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今日から…今日から…。私は今まで…苦手としてた事にチャレンジします…。それは…。「英会話」皆さん・・・。わが国…日本を本当に知る為には「当たり前の見直し作業」をする必要があるのではないかと思います。日本語を話すのは当たり前…。外国語を学ぶ事で「日本語の素晴らしさ」を改めて感じる事が出来る気がします…。(何か学ぶためにカッコいい事を理由づけていますが・・・・)身近なものを再確認する為の今年であり・・・。その為に、視野を広げるのもいいのかもしれませんね~~~。 ニャンともまたまた…頑張るにゃん!
2008年01月07日
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大切な友人が(妹の様な女の子ですが)昨年「結婚するんです!」と嬉しい報告をくれました。私は相手の男性を紹介してもらい、チラッとですがお会いしていたので本当に「お似合いの二人」だと確信していました。心から祝福する気持ちで一杯でありました…。が・・・・・・。年末に彼女からメールが届きました。「両親に反対されたので、相手の方にお別れのメールを今から送るのです…」「・・・・・・・・・・。」なに???彼女は本当に心が純粋で真っ直ぐにしか考えられないタイプの子で私は直感的にこのまま別れさせては彼女は100%後悔するであろうと思いました。家庭の事情はいろいろありますので修正可能であればする必要があると思いました。私が直感的にメールから感じたものは「彼女の迷い」でした。迷いの中で決断するものは自分の本当の意思ではないことですからここには必ず後悔は生まれます。そんな人生を彼女には歩いてほしくないと思いました。世の中には「していい苦労としなくてよい苦労がある」を思います。人の縁とは深ければ深いほど何かを試される「通過儀式」があると感じます。私はこれから二人で歩いていこうというこの二人に対しての試されていることではないかと感じました。少しでしたが相手の方に会っていて本当に良かったと思いました。私の中で「この人なら安心だ」との自信があったからです。両親は彼女の事を思っていろんなことを言ってくれているのは考慮しました。しかし、本当に娘の幸せを考えるならこの結婚を駄目にすればご両親の方が後悔するのではないかと思いました。私と話していて彼女は自分の気持ちを取り戻したらしいです。彼女から清清しい声で電話がありました。「元の鞘に納まりました。両親も私の気持ちが固まったので落ちつきました」と…。この事が二人の関係をより深いものにしたのは言うまでもありません。人の縁とは不思議なもので大切なものはお金では買えないのですから…。自分にとって大切だと思うものはしっかりと掴んでいて欲しいと思います。さてさて…。これから二人が咲かす花はどんなものなのか楽しみがまた増えました…。
2008年01月05日
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皆様!新年のご挨拶が遅くなりました!ブログも暫く休暇中でありましたが、今年は『勉学の年』と決意を決めまして毎日、書いてみようかと思います!私は毎年、稲荷神社へ参拝致します。恵比寿様もお出でになりますこの神社は「商売繁盛の神様」でございます。「商売繁盛」とは何かと考えましたところ・・・・。はてはて???売り上げが上がること!(ごもっとも!)私の中の「商売繁盛」とは「私が常に元気で、来られるお客様が笑顔満載で居られる事」でございます!お金は「笑顔」が運んで下さるので「笑顔売買」を大切に自然に行える商いをし続けて行きたいと思いますね~!さてさて・・・。毎年、お楽しみの「おみくじ」の結果はいかに・・・・。「お~~~~! 大吉!!!!」(うんっ・・・・??? 内容は…凶…???)(諦めろとか…邪魔されるとか…駄目だとか…)しかし…。勉学だけは「安心してしなさい!」と神様・・・。やはり、今年は「勉学の年」なのですな…。(レベルアップですね!)さあさあ…。新たに視野が広がる為にも気づきの感受性センサーを磨き上げる為に、知識を蓄えなきゃ!登れないと思える山にも道はありけり!コツコツ行きます!
2008年01月04日
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先日『オヤジバンド復活ライブ』に行って参りました。今で言う『団塊の世代』の方達であります。ベンチャーズ・・・しびれさせてもらいました。だって…だって…。いい音なんですよ~。聴いてる側は心地よく、自然に身体がリズムをとってしまうんですよね・・・。私は聴覚は良い方だと自信はありますのであっという間の一時間でした・・・・。時空間を越えて、団塊の世代方の青春時代にタイムトリップさせて頂きましたね~。力強く・温かく・厳しく・素直で大らかで・・・・。じゃないと・・・あんな音は出ないと思います。何に対しても直向きで、真剣に取り組んでいたんでしょうね~。だから・・・・。『根底が違う』のだと音楽から垣間見る事が出来ました。曲が進むにつれて素敵なオヤジ達の『息が吹き返っていく』のを感じていました。生命力の強さですね~。めちゃくちゃ頭のいい人達(今の天才とは違う)の集まりだったのですが…。独特の価値観と世界観と人間味に溢れたオヤジ様達・・・・。本当に素敵でした!有難うございます!
2007年11月14日
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「出る」とは自然の流れに沿ったものの表現の様に感じる・・・。例えば「排泄行為」は「出る」が近い。「出す」になると、薬か何か服用しないと出ないから出すのだろう。「出る」とは「自然」であり、「一定のリズム」があるのではないだろうか・・・。だから習慣化しやすいものは「出る」方で「出す」方は「時と場合によって使いわけるもの」の様に思う。そう考えると「出す」は高度な手段であり使い方を熟知しないと良くない方向にも向いてしまう。「出る」の進行形が「出す」無意識の出ると意識化の出す・・・。「出る」の進行形の「出す」は「出る」という土台が出来て初めて「出す」事が出来るのだろう・・・。オーラなんかはそうだと思う。オーラは消すことも出すことも自由である場所によっては消して静かに周りを眺めている日本で代表的なものは「水戸黄門」じゃないかな・・・・。なんか只者じゃない感じは少しは受けるが、皆の中に溶け込んでいるからぱっと見は解らないもの。そしてここぞという場面でオーラ全開(紋所を出す)にする・・・・。(余談だが、出す場所やタイミングを間違うとただの自慢オヤジになるね…)だから「出る」より「出す」は高度な感覚が必要なんだろうね・・・。なんて考えていた今日この頃でした!
2007年11月02日
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来年にお友達の方が還暦祝いのパーティーをされるとの事・・・で。唄を歌ってくれと言われました。私にはそう言えば・・・・。還暦に近いお友達の方が多いです・・・・。還暦の意味を調べて見ましたところ・・・(下を参照) 還暦の意味還暦とは数え歳の61才のことです。古代中国、漢の時代、旧暦の年月日は十干( 甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸)と十二支(えと/年賀状でお馴染みの、子、丑、虎、牛、辰、巳......)を組み合わせて表示していました。10個と12個の呼び名を組み合わせていくため、毎年2個ずつ組み合わせがずれていくことになり、最初の組み合わせに戻るのには60年かかります。これを還暦、本掛還(ほんけがえり)と呼び、転じて60才を還暦と呼ぶようになりました。なるほど・・・。自分の本来の誕生日とは「60年に一回」しか来ないという事なんですね。還暦に赤いちゃんちゃんこを贈る風習がありますが赤は「魔よけ」の意味合いがあるとか・・・(だから赤ちゃんなんだろうね~)しかし。。。この方達は団塊世代の人達・・・。ジーンズやコーラー、ハンバーガーなどはこの世代の方たちから始まり・・・。高度成長社会、真っ只中を走り抜けたこの方たちに「60歳」などと言ってもピンとこられないないのではないかと感じますね~。(私のお友達は皆さん、お若くて60歳???)私もこんな素敵に年を重ねることが出来るのなら還暦が楽しみになりますね~。なんて感じた今日このごろでした。お祝いの唄は何を歌おう・・・・・考え中・・・・。
2007年10月30日
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「たった一杯のコーヒーを楽しめる人は本物の贅沢を知っている人」モノの活用方法を知っている人だと私は感じます。モノは使い方次第で多様に変化します。私はこのコーヒーを飲む時間を大切にしています。そしてこのコーヒーを共に楽しめる人との時間は最高の贅沢だと感じます。コーヒーが生み出す空間とは・・・・。ゆとり・・・豊かさ・・・ホッとする時間・・・。素材・モノの本質を感じられるその時間は貴重です。「お茶を飲む」という行為は「共にゆとりを感じましょう」という行為に間接的に繋がりそんな時間をもっと意味のある時間に活用してはどうでしょう・・・。それは「最高の贅沢」かもしれませんね。。。
2007年10月09日
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言葉の届くスピード。そんな言葉が頭にフッと浮かびました。言葉は音と文字に分かれます。音の方は光のスピードを同じ感覚であります。閃き・インスピレーション・直感を導く要素は「音」なのだと感じます。文字の言葉も実は「音」に変換されるのです。文字を人は理解する時「頭の中で読む」という行動に出ます。ですから「音」として体に入って来た時言葉は「光」となり瞬時に入るのだと思います。言葉が光となればそのスピードは未来へも届く・・・。未来へ届く言葉のスピード手に入れたいですね・・・。
2007年10月03日
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誰でも気持ちの浮き沈みはあるものです・・・。自分の想いが上手く表現できない時・自分自身が掴みきれない時・・・。思いと現実とのギャップを垣間見た時・・・。ふわ~っと浮き上がっていた自分の足元をふっと見た時に足元がなくて見えない・・・・。(こりゃ・・・ショックだね・・・・・)そして・・・まっさかさまに落ちて行くのです。で・・・ここで終わったら意味ないですが・・・。この場面で「不安」が生まれるのだと感じるのですが(不安を生産しようと思えば簡単!)でも、足元って「ない人間はいない」と私は思うのです・・・。でないと今現在この世に存在すらしていないと思うからです。足元を固めるという表現があるように固まっていないだけの問題であってこれは「頭の中だけの整理整頓」が出来れば解決されるのではと思います。落ち込んだ時にしか「自分と自分の問題」を直面して向き合う機会はないですから私的には「素晴らしい機会」ではないかと・・・・。そして、更なる成長・自信に繋げたい人また早く整理のしたい人は棚を購入すると良いですね~。(ちなみに、この棚はホームセンターには売っておりません。。。)棚の購入先はどこかと申しますと・・・・。あなたの話を親身に聴いてくれる人客観的にものを見れる人自分の考えを押し付けない人を見つけ、自分の話を聴いてもらうと良いのです。あくまでも「問題を抱えている今の自分と同じレベルの人」を選ばないように・・・。そうしてしまうと「相談」が「愚痴」になってしまいます。人間「話す」とその時は一瞬、楽になりますので問題から逃げれる事はできますが「解決」にはなりません。(中には自分一人でこの整理作業を出来る人もいますが限界があります・・・やはり人は必要なのではと・・・)人を上手く活用できる人は落ち込んだ時こそ「大きな飛躍」を手に入れる自分へと変貌できるチャンス。私はそう感じています・・・。
2007年10月01日
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「祭りだ!」というほど・・・・。私は余り「祭り」に縁のない人間でした・・・。しかし!!!今回は祭りに参加する事になりました。私は「本来ひきこもり傾向」にありますので「人が沢山いる所」は苦手です…。でもでも・・・。この祭りだけは「心が揺らいで」しまいました。今年70周年という記念イベントの祭り!『新居浜太鼓祭り』であります。知り合いの方が誘ってくださいまして実は私、その日は変更の効かない仕事が入っていました。。。。。そして一度残念ながらお断りをしたのです。(あ~あ~・・・縁がないのかな~~~・・・・)なんて心でつぶやきながら…。しかし!!!違う所から違う形でこのお祭りに行かないと行けなくなってしまいました!『救助担当部署の救援隊』であります。祭り大好きの地元の女性の方から「kaiさん!!! 看護婦さんとして来れないかな…」 ← 私は一応免許持ち…。そして祭りの熱い心を熱弁され・・・(数分経過)・・・・・。仕事の変更の電話のお願いを思わず調整してしまったのは・・・。言うまでもありませんでした・・・・・・・・・・・・。(行くようになってたのね~~~行かなきゃ駄目なのね~~)行かないときっと後悔するんでしょうね・・・。チャンスやきっかけを活用出来るか出来ないかは自分の感性でしょうね~。少々、無理が利くなら一生に一回しかないものを選ばないとね~~。で・・・私は参加となりました。そして、ドラマの幕がこれから切って落とされるのでしょうね・・・。(楽しみだ!)皆さんも大切な瞬間の判断研ぎ澄ましておきましょう!!!
2007年09月29日
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夢診断を潜在意識のメッセージとして活用している私・・・。先日、夢の中に「緑色の可愛いカエル」が一匹水溜りの中で浮いていました。鮮やかな緑色で周囲はモノクロですから絵の中で浮いて見える感じです。はてはて・・・。あのカエル様が意味しているものとは・・・。カエルとは「水と陸の神様・田んぼの神様」らしいです。姿を変えて成長していくことから「繁殖・繁栄・成長」という意味があるとの事。カエルを見た私は・・・。「今が好機の時期・成長できる時・ステップアップ・心機一転したい時」との事・・・。そして鮮やかな緑もまた「繁殖・成長・進歩」を意味します。夢は・・・・。あなどれません!!!私はまさしく、今・・・その時期かと確信しています。カエル様・・・・。(ウルウル・・・・・ありがとう・・・)皆さんもカエルの夢はいかが???
2007年09月25日
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最近、面白い体験ばかりしています。組織とは「強くもありモロクもあり…」紙一重だからこそ「管理・統一・調整」が必要なのでしょうね~。じゃないと「継続」は難しいものだと感じました。ここで気をつけないといけないのは何なのか・・・。出来事を目の当たりにした私が感じたもの。。。「行動をする事で起こる・ハイリスク・ハイリターン」大きな出来事を起こすとそれなりの「波」が返ってきます。「行動」のみに目を奪われている人は後で起きる大きな「波」が見えない。私は物事を決める基準で「行動」に重要視を置いていません。何に基準を置いているか・・・。「核の部分である行動を生み出す臆にある想い」です。なんでも基本は大切。基本のないもの・基本を無視したもの・基本を忘れたものは「行動が大きければ大きいほどモロク壊れやすい」のだと知れました。何も考えずにやるのは初期段階であり、自分が責任が持てる範囲での行動までしかし、沢山の人を巻き込む行動でこれをすると大変。本当に骨組みは大切です。骨組みを作るのは「人」でありますので・・・。だからこそ「核」のある人が大きな行動を起こすと素晴らしい成果がでます。私は「どちらの事例」も見ることが出来ましたので大変勉強になりました。どちらの事例も「起こした行動の大きさは変わらない」のに結果は「正反対」であります。そんな小話でした・・・。
2007年09月21日
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「きっかけ」・・・。何かが始まるには、この「きっかけ」が必ずあると思う。意外とこの「きっかけ」とは見えない場合が多いかも。世の中の「偶然」と言われる出来事・当たり前に存在しているモノ達は最初からそこに存在するものだったのかと考えたとき「どこで」・「どのように」・「だれが」この「きっかけ」を作ったのか私は知りたくなってしまう。よく「縁」という言葉を使うけれど「縁」とは「繋ぐもの」と表現するから「きっかけ」とは「繋ぐもの」「架け橋」なんだと思う。そうやって、誰かが必ず「そこに存在」しておりそうやって「偶然という必然」が連鎖反応で起こってくるんだと感じる・・・。私もいろんな場所で、いろんな場面で「架け橋になる生き方」をしていきたい・・・・できれば「さりげなく自然」でありながら縁を繋いでいく生き方をしたいと思う・・・。なぜなら・・・何かと何かが、手を繋ぐことでそこから生まれる新しいものを見てみたいと思うから生きてみたいと感じるのだろうね・・・。
2007年09月20日
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素直になる・・・。私は最近・・・時に素直が何か気づき始めているなと感じる・・・。周囲の事や大切な人の事や・・・。今の置かれている状況などが・・・。素直な気持ちにベールを掛けてしまう・・・。素直を実行すれば「我がまま」になるのか「自分勝手」な行為になるのか紙一重だから、素直はいつもベールをかぶってしまうのだろう・・・。でも・・・。自分の人生を振り返った時・・・。やっぱり、私は素直を捨て切れなくて生きてきたと思った・・・。自分の心の唯一の声を聞き逃す事が出来なかったから素直に生きるしかなかったのだと思う・・・。不器用な生き方かもしれないが心の中の声はいつもこの事だけは伝えてくれていたから。「やりたくないこと」が何なのか・・・。自分に結局、嘘がつけないから「やりたくない事」だけがいつも明確だった・・・。世の中に「やりたい事」なんか沢山あって反対にあり過ぎてわからなくなるのが人間なんだと思う・・・。そして迷ってしまうのだろう・・・。私は「やりたくない事センサー」のみがいつも働いていて最後の最後には「やりたくないもの」から離れる事が出来ていたと思う・・・。沢山の誘惑もあっただろうな・・・。でも「やりたくないセンサー」はその誘惑にも乗らなかったから・・・。今の自分があるのはそのおかげだと感謝している。今では・・・「やりたくない事」は以前より明確でありやりたくない事が明確になればなるほど「やれる事が見えてくる」やりたいことの迷路の中から「やれる事」をきちんとみれるようになってきた・・・。そのことでより「自立」できたように思える・・・。
2007年09月17日
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いよいよ・・・フラダンスの発表会です・・・。320名のお客様が来られます。司会担当の私…。なんとかやりましょう!(しかも司会者が踊りもする????)頑張ります!
2007年09月07日
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「心が躍る」この感覚があれば起こる出来事全てに対して楽しみを感じれる様になりますね。人は「イメージが固まらない」とこの感覚を心に宿すのは無理なのだと思いました。だって「何にワクワク出来るのかそのポイントが解らない」からです。人が未知なものにいだく感覚として「先を知りたいと思う探究心」と「先が見えない不安」の二通りだと思います。だったら前者の方がいいですよね~。どちらもそうなんですが「結局は答えはやらないと解らない」という共通点がありその前後分かれる要素は「イメージ化できるかどうか」だけなんだと感じます。私は現在、沢山の事を同時進行で行わないといけません。(というかやるようになってしまいまして・・・)イメージ化が出来ていなかったら不安でただのプレッシャーになりますね・・・・。まず、9月にある320名のフラダンス発表会の司会そして学生の学校の単発講師200名ほどの従業員のいる病院でのリスクコンサルタントの補佐役アクセサリーデザイナーのブランド化の仕組みつくり来年、市主催で行われる女性支援教室のプログラムの作成などなど・・・。(書くと・・・いろいろあったんですね・・・\(゜ロ\)(/ロ゜)/・・・ひえ~~~)今日はまず・・・。一番の大きな大役の9月のフラダンスの司会・・・。これは盛り上げないといけませんから綿密な打ち合わせをしてきました。おかげ様で「イメージ化」出来た事で「ワクワク感」が生まれてきました。そうすると・・・。不思議と全てのことにスイッチ入っていくのを感じました。「躍動感」そんな事を感じた一日でした!
2007年08月26日
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最近…ギターの練習が楽しい引きこもり趣味を持つ私ですが…(^^♪先日、この引きこもりを満喫できる時間がありました。おお~~~。久しぶりの「インターネット・漫画カフェ!!!」(この一人の空間で漫画を読める幸せ・・・・)4時間の心地よい「読書」の時間を楽しんできました。本を読むのは漫画が一番。視覚の情報と絵と言語を組み合わせて想像力を増していくあの感覚…。たまらなく好きなんですね~~~・(ただの漫画オタクだろうって…)私は恋愛ものより何かを極めて物語や歴史モノ・・・音楽・演劇・スポーツ・精神もの…。男性漫画は結構好きかも!少女漫画で大好きなものが一つあります・・・。それは「ガラスの仮面」・・・・。これは穴が開くくらい何度も読んでいます。演劇の世界は元々好きなのでその時、その時の「気づき」が勉強になるのです。うきうきしながらまた読んでいまして・・・。ある衝撃的な言葉に目がとまりました・・・。「魂のかたわれに出会ってしまったら、自分が今まで孤独であった事に気づく・・・」おお・・・。 ← なんとも深い表現・・・。(解説は皆様で考えてください! 笑 )これは本当に深い言葉だと想いますね・・・・。魂のかたわれは・・・子供ではありませんよ・・・。きっと・・・究極の「陰と陽」ですね~。また時間がある時「読書」にふけってみたいと想います~~~~。
2007年08月19日
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今日は大切な息子の誕生日です。3歳の時に離れてから4年ですね~。7歳の誕生日です。私はこの日は「自分のもう一つの誕生日」だと想っています。自分の誕生日は一生忘れないですよね。自分の中から生命が誕生した大切な日ですから自分の誕生日と同じです。誕生日は「親に感謝する日」だと言います。親も子供に感謝する日なんだなと親になれてしれましたね・・・・。私は子供を産まなかったら「今の自分はない」という自信があります。大きな自分の分岐点だったからです。自分自身の中で大きな変化と気づきの連続でした。愛情とは何なのかも知れました・・・。周囲の人に本当の意味で優しく・厳しくなれたのもこの体験があったからだと自分の中で感じています。だから「もう一つの大切な誕生日」であるこの日は一生涯忘れる事のない日で自分の事の様に祝福する日だと想っています・・・。
2007年08月13日
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「勉強の力は科学の力を鍛えれば良い」とある高校の大学合格率が10倍にも上がったその訳は・・・・。授業に「科学の力」を取り入れた為だというニュースがありました。自分でテーマを考え・自分で検証していくモノを創ったり・実験をしたりなぜそれがそうなるのか・・・・理論を自分で組み立てていくその授業は生徒の何かを学びたいという力を総合的に上げていったと言えます。「興味を持つ」これが一番の力となります。なんでも良いんです。「興味を持ち、これが何なのか知っていく」この過程は自然と「考える力」・「感じる力」・「学ぶ力」を養っているのです。「人にやらされている」感覚のものは「自分の身」には決してなりません。自らの意思で取り組んだものは必ず自分の力となっています。どんな小さなことでもその力が作用しているかいないかで大きな違いになりますから・・・・。「解らない」事が沢山ある人は「得な人」だと言えます。沢山の事を知れる人であるからです。「解ったふりをしている人」は「損な人」自分の器の中だけでは考える力・感じる力・学ぶ力の成長はいずれ止まってしまいますから・・・。本来なら年齢を重ねる度に人生が面白くなっていくものが段々と妥協・諦め・停滞への人生となって行きます。「若いときは良かった…あいつだからできるんだ…」なんて後悔を思わす言動ばかりの人生に気がついたらなってたなんて嫌ですよね~~~。だからこそ人間には「探究心」という素晴らしい「考える力」があるのです。一生学びだと言いますが解らなければその時その時に解決し人に聞くことは楽をすることでもずるをすることでもなく探究心をくすぐりあえて、その人との関わりを深め合えることなんだと知れれば人生の学びは尽きることなどないのです。本からだけで学ぶのではなく「生きた本」の人から私は学んでいきたいといつも感じています。
2007年08月09日
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今日は毎朝参加している講演会で私の大好きな尊敬する先輩の講話がありました。その方は科学者で芸術家で芸人で・・・・(さあ、どれが本業でしょうか・・・笑)柔らかく優しく面白く、体験談を通じ私達に大切なものを伝えてくれていました。子供の頃に自分でラジオを創ったり(主な部品は3つでいいらしい....)電波受信では物足りず送信も考えてしてみたり(これは反対の原理で出来るとの事)「あっ・・・この手があったか・・・」そう思うものを創ってこられました。この科学者という方達は本当に視ている所が違いますね・・・・。何かキラキラと光って見えてるんでしょうかね世界が・・・・。「大きく捉え・小さくまとめる」だから合理的でそれでいて楽しめる・・・聴いているだけで子供の心に戻ってしまいますね~。しかし・・・仕事となると甘くはないんですね・・・。そこで・・・「窮する」という言葉を教えて頂きました。穴の中で身を弓のように折り曲げる・・・・。極限まで自分をもっていき力(アイデアもそう)に変える・・・。自分の考えたもの発見したものを世の中に出していく事が難しくこれにはこの力が必要なのだと柔らかい話の中で厳しい力強さを教えて下さいました。「なぜ・・・人間は自ら自分の体に鞭をうったり・困難に立ち向かったりするのか」例えば・・・難しいパズルや数学の問題をわざわざ解いたり険しい山を登ってみたりなど例題を出してくれて「人はその先にあるなんともいえない達成感を感じたい」からだとそこには「努力も忍耐という悲壮感」もなく挑戦・達成・充実この感覚のみでこれを生きている短い人生の中でどれでけ生み出し体験できるかなんとも「生きることのみに貪欲」であるのだと感じました。極限まで自分を追い込むという事は・・・。常に心に「なぜ?」との問い掛けがあり「なぜ?」の糸(意図)をたどっていったその先に「ハッピー」がありそれを知っている科学者達はある一定の法則性を見つけ出す事で皆に普遍的に「ハッピー」を体験させてくれているのだと在り難いと感謝をせずにはいられません。「ハッピーの後ろには常に危険が伴う」だって・・・それは「未知のもの」だから・・・。そんな人生を語ってくれた大先輩の背中をみれて生きる事の先にある「光」を感じワクワクしていた朝でした。そんな事を感じさせて頂いた素晴らしいお話に感謝です・・・。
2007年08月08日
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日本語は難しいとつくづく感じますね~。日本語は本当に繊細で芸術的要素が強いものだと感じます・・・。「表現力・知識力・解読力」によって浅くもなれば深くもなる本当に面白いものだと思います。だからよく「話がかみ合わない」なんて事も多いのかもしれませんね~。想いが違っていても共通の言葉を使っている事が多く・・・そこから「解釈の違い」が出てくるから誤解なんてことも起こりえるんですね・・・・。例を考えてみると・・・「諦めない」という言葉を感じた時・・・・。二つの意味合いが見えてきます。「諦めない=執着」「諦めない=探求」これでは全く変わってきてしまいます・・・。この言葉は素晴らしい言葉ではありますが怖い意味も含まれているんだといろんな人の「諦めない」という言葉を聴きながら感じていました。物事には全て「表と裏」があるように実は「言葉一つ一つにも表・裏の意味」があるのでしょうね・・・。表裏一体の世の中・・・。言葉もまた「命あるもの」だと日々感じて使っています・・・。
2007年07月31日
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私は「未来創造堂」という番組が好きです。ゲストの「こだわり」について話を聞くというものでその中の「○○を創った人」の話なんか大変興味を惹かれます・・・。そんな「こだわり」について友人達と語っていました。しかし・・・。人の「こだわり」を聞くのは本当に「面白い!」 (笑)最初はみんなクールな感じでいるのですが・・・。自分の「こだわり」の話になると「出るわで出るわ!」で止まりません!素晴らしい自論の数々ですね~。えっ・・・そんな事???なんてその人の意外な一面なんか見たりすると親近感がわいてきたり・・・。人の「こだわり」の話は「宝の宝庫」かもしれませんね。だって・・・どれもしっかりとした理念がありますもの!「ものづくりをされている方にはたまらない」かもしれませんね~。アイデア満載で! 笑また「本音のトーク」をしたいと考えている人は・・・。「人のこだわり」の話を聞いてあげると「一番本音」が出るかも知れませんよ!話している当人のあの「気持ちよさそうな顔」がそれを語っているのは言うまでもありませんからね!
2007年07月29日
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今日、経営者の方から相談を受けました。時間に遅れる社員がいると嘆いていました。仕事は出来る人らしいのですが勝手に休むは遅刻するわで頭を悩ましていました。仕事は出来るが会社のルール・規律は守らない・・・。社会性は確かに必要ですね・・・。これは私も集団生活をする上での最低の決まりごとだとは思っています。ただ・・・。規律ルールもどこまでが規律なのか・・・。というのもありますよね。余り・・・規律に忠実になり過ぎると枠の外に出れない思考の持ち主になってしまいますし・・・。会社の規律と世間の規律・・・そして個人の規律・・・。偏らない規律が社員一人一人の個性を磨くことになるのではとも感じます。最近、日本人も外国の風潮をもった方が増えたのではないでしょうか・・・。こういう方は非常に「能力」は高いのですが・・・。日本のルールには「合わない」のですね・・・。(私もどちらかと言うとこちらなので自営になりましたが・・・・) ←能力が高いかは不明。はぐれモノや変わり者・・・などなど。理解してもらうには一苦労です。こういう方が皆、自営をすれば問題はないのかもしれませんが・・・。会社という組織の中に入らないといけない方が多いのです。経営者から言ったら「使いにくい人材」であるかもしれません。しかし・・・。この人たちの望むものは「自分の能力を評価してくれる」事であり(本来、能力は自分で認識しすぎるものではないかとも思うのですが…ここでは敢えて能力とします…)それが手に入れば「決められた事を忠実に守る社員より高いレベルで会社に貢献する社員」になると感じますね~。その相談者の方は非常に規律・ルールに厳しい方ですから・・・。もしかしたら、その社員さんに「自分を評価してもらえていない」という感覚をもたしてしまっている可能性もあります。だからこそ・・・同じ土俵の上での話しをスタートさせる為にも「相手の能力を認めた」上で人として最低限の規律・ルールがあることを学んでもらう事を伝える方が頭ごなしに言われるより、心を開くのではないかと感じます。お互い反発しあっていては何の解決にもなりませんしもしかしたら・・・。会社の規律・ルールを見直す時期が来たのかもしれませんし・・・。ここで大切なことは「変えてはならないもの」の存在を知ること。そして他のものは時代の流れにあったものに変容する。これが「個性を見つけ・育て・守る」会社への一歩かもしれませんね・・・。
2007年07月27日
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二歳の時に離れた息子も八月で7歳になります。誕生日が近くなると特に思い出すものですね・・・。ある時・・・。こんな宝物が私に訪れました・・・。息子の叔母より私に電話が入ったのです。(これも5年ぶりですね・・・・)最初は何かあったのかとも思ったのですが変な胸騒ぎはしないので話をしました。私は毎年、誕生日とクリスマスにプレゼントを贈っています。正直、相手が受け取っているかは解りませんでした。でも・・・。私のプレゼントはきちんと届けてくれていたらしく息子は大切に使っていたみたいで・・・。これを聞いた時・・・本当に嬉しかったですね。そして「母親」に逢いたいと言っているとの言葉も聞き・・・。正直・・・胸が熱くなる想いでした・・・。ただ、今回の電話は内緒でかけてきてくれているので実は電話のすぐ側に息子がいたらしいのですが・・・。息子が動揺をしてもいけないので・・・。電話では話すことはやめました・・・・。元気でいるのならそれだけで十分だと想いましたから・・・。ただ・・・。一つ気になることを聞きました・・・。息子はちょうど私の手を離れた2歳の時・・・・。「多動症」を誘発してしまったらしく・・・。今も小児病棟に通っているとの事でした・・・。内服でほぼ回復に向かってるらしいのですが。2歳の子供にとって母親との別れは大きな衝撃になってしまったのかと想うと・・・涙が溢れてきました・・・。心の負担を背負わせてしまったのですから・・・。しかし・・・逢えなくても・・・。目に浮かぶ想いで聞いていました。本当に大きくなって、出来ることも増えて子供の成長にはびっくりするばかりです・・・。私の中では5年前の息子しかいないから。でも・・・。この電話は本当に感謝の気持ちでいっぱいになるものでしたね・・・。ありがとう・・・。
2007年07月26日
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感動は新鮮なうちに・・・・。と申しますが。。。「感動の解凍」は心に染みる物語となるのです。しかし・・・この解凍は「必ずしもされる」とは限らないのです。相手を想っての行為ですから出来るだけ気づかれず・・・公に出ないような構造になっています。その間、その行為を受けている本人はその事をしりません。当人が自分の知らないところで出来事が起こっているわけですから 知るわけもないのです。そこには感謝の気持ちを相手に求める行為はなくただ相手が変わりなく・穏やかに・幸せでいることのみ願っているのです。ですから・・・。たまたま・・・その「感動が解凍」される日が来たときそれまで起きた様々な出来事が偶然ではなく「思いやり」という必然の行為で成されて、守られていたと知った時・・・。人は「最高の感動」を体感するのです。よく、亡くなった後にその人がどれだけ自分を想っていたか知った時など・・・・感動が歴史と共に思い出されてきますよね・・・。そうやって積み重なった「思いやり」は行為を受けた本人の歴史の一ページに刻まれるのです。「真の感動」とはそんなところから生まれるものだと私は感じています・・・・。
2007年07月24日
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昨日は無事に「中村文昭氏」の講演会を終える事が出来ました。中村氏の講演内容も素晴らしく、ご来場して頂いた方から溢れんばかりの拍手を頂きました。しかし・・・。私達の心の中には別の想いがあったのです。私は今回「司会」をさせて頂きましたが、裏方としてもお手伝いをさせてもらっていました。その裏方でずっと見てきた事がありました。今回の講演会の主催者の青年の動きです。中村さんが講演会の中で話していました。「何の為にやるんだ・・・。想いで人が動くんだ・・・・」彼はたった一人でその想いを一人・一人の人に伝えていきました。一人が二人・・・三人・四人と・・・・・。その想いの連鎖反応は約700名にも広がり・・・。700名の想いを受け取って下さった中村さんがそれに応えて魂が揺さぶられる講演会となったのだと感じました。講演者の中村さん・来場して下さった皆様・・・・。双方が「来て良かった・出会えて良かった」とその「縁」を肌で感じていたと思います。700名の「縁」を繋いだ主催者の彼は本当に立派でした。協力して下さった方が「よく頑張った」と涙を流してくれていたのが印象的でした。私は思います。人間一人の可能性は限りなく「無限」であるのだと・・・。彼を見ていてそう感じました。若くても・地位も名声もなくても・・・・。できるということを・・・。「その強い想いが魂を揺さぶる原動力」なんだと・・・。多くの人の感動が小さな街に広がったそんな場面に関わることが出来た事に心より感謝致します。本当に素晴らしい機会を与えて下さった中村様と主催者の彼と参加して下さった皆様にお礼を申し上げます・・・・。
2007年07月19日
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いよいよ・・・。やって来ました。今までで一番の数ですね。知人が主催する講演会の「司会」を明日(7月18日)致します。中村文昭氏の講演会です。一人の青年から始まった今回の動きですが・・・。600人~700人を動員するというのはすごい事です。私も3ヶ月前に司会を頼まれ、講演会の裏方として動かさせて頂いてました。会場に入る数は1000人・・・。知人の目標はその1000人・・・。通常500人でもすごい数なのにそれが少なく感じるから不思議ですよね。人の心を本当に動かせるものはただ一つ・・・。「想い」でしょうね・・・。その「想い」に動かされ今回は沢山の人が関わりを持つ運びとなりました。知人にとっても「夢の実現」として素晴らしい経験・自信になると共に・・・。本当に今回で得られる宝物は「人脈」という財産です。講演会を通じ沢山の方と交流・関わりを持てた事を一番に大切にして欲しいと思います。そしてこの宝を大切に育んでもらいたいと感じます。大きなチャンスは「動いた人間」にしか訪れないのですから若干「30歳」という若さでそれを成し得れたという実績は大したものです。私はその裏方のサポート「司会」という立場で当日参加させてもらえますから・・・。沢山の人の想いを心で感じながら最高の講演会にしていきたいと思っています。明日・・・。人々の熱気・感動をイメージし、楽しんでいきたいです。そして今回・主催した知人にエールを贈りたいと思います。「あなたは一人ではない」と・・・・。
2007年07月17日
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人は「勝負の世界」の中で生きているんだと思う・・・。原点は「生きるか死ぬか」の世界だもの・・・。時折、人を見て思う事がある・・・。いつも「勝ったか負けたかで判断している人」を見ていると・・・一体この人は誰と勝負しているんだろう・・・・・????何に満足と優越感を得ているのだろう・・・・。誰かという対象がある場合は必ず、自分が優越感を得たと同時に相手に敗北感や自信喪失を与えてる・・・・。その時に起きる現象として周りにいる第三者に自分が優位であるという事を「認めさせる・承認させる」という行為に移る・・・。そしてそれを聞いた対象となっている相手は「自信をなくす」だろう…。でも・・・。これで何を得るのだろうかと私はいつも不思議に思う・・・。失うものは多くても「得るものなんて一つもない」と感じる・・・。なぜなら・・・。勝ったと思っている当人をみていても「幸せそう」でないからである。しかもその人から感じるものは・・・。「いつも誰かに勝たないといけない」という不安に縛られて怯えている感覚・・・。そしてその人の周囲を見てみると「本当の友人」がいないからである・・・・。私は「勝負の世界」は必要だとは感じている。闘志や、やる気などは・・・生きる上で大きな力となり大切だから。ただ問題は「誰と勝負をするか」だけだと思う。「生きるか死ぬかの世界」で生きている私達は常に「自分」と戦うだけである。生きる為に「自分に圧し掛かる不安因子」と戦うだけである。困難を乗り越える時に戦う誰かという対象はいない。そこにいる相手は「困難から逃げようとする自分」しかいないはずである。しかし・・・・。この弱い自分と出会えた時こそ自分自身を見つめる最大のチャンスであり、飛躍のチャンスなのだと感じる。この弱い自分はそう簡単には出会えないのである。なぜかと言うと・・・。戦う対象がいつも誰かという人の前には「弱い自分」は見えないから・・・。「自分自身と向き合っている人」のみこの自分を見つける事が出来るのである。
2007年07月15日
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人に譲る・・・。人に任せる・・・。人に託す・・・。これは自分が築き上げてきたもの限定です。そうでないものは「逃げ」であり「責任放棄」になると感じます。大切に築き上げ、自分が動かなくても稼動すると思えたものまた多くの人に分かち合ってもらいたいと思うもの自分がすれば完璧であり簡単であっても相手を信用しているがゆえ手放すことが出来ると思えるものこれらを自分の中から創り・生み出していくことが大切なのだと感じています。譲れるもの・託せるもの・任せるものを多くもてる・・・。そんな人間に私はこれからもなっていきたいと思っています。多くの仲間が共に自立した人間として永く深く付き合える関係を築く為にもお互いがそういう関係でいられる気持ちでいたい・・・。そして「手放す」ことではじめて・・・・。「本当に欲しいもの」が手に入っていくのだと思えるからです・・・。
2007年07月13日
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自分の中の時間(自流)と自分の外の時間(時流)を上手く使うと・・・。何が起こるのか…。「タイムマシーンに乗れる」んですね・・・・。ドラえもんの世界を体験できるなんてなんとも幸せ!自流が縦の動きなら・時流は横の動き。横の動き(平ら)は人類皆平等で(平らは平和であり平等であり)平地には身分関係なくいろんな人も住めますし。(大きさや広さは別として)時流は「時間」なので、いろんな人間が共存する為の一つの決め事(ルール・規律)みたいなものだと感じますね。24時間・365日の規律正しい流れ。そして縦の動きの「自流」は決められた時間ないですね~。これは皆平等ではないから、どうにでも変化できるものですね。神様が人間に与えてくれた「自由」であります。「自流」の時間は早める事も遅らす事も自由自在・・・・。神様が与えてくれた最低限のもの・・・。光(時間)・水・空気さえあれば生命は存在するのだから。「自流」をいかに伸ばすかで大きな差が出来るのだと思いますね。「自流時間」 ←(成長と表現されているが)これを上手くつかうことが出来た人が「タイムマシーンに乗れて未来への旅」が出来るんですね。ただし「時流」の存在をしっかりと感じながらでないと(秩序やバランス)「自流」は不安定で縦の動きは真っ直ぐではなくなってしまうでしょう・・・。(クネクネ曲がった縦ではどうにもなりません)そんな事を日々感じながら生きている私でありました(^^♪
2007年07月12日
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本日より…。私に「弟子」なるものが出来ました・・・。私が独自にしている自己分析のセミナーを受けた方が大変興味を持たれて「教えて欲しい」との要望がありまして・・・・。私は「教える」のは出来ませんが。「伝える」事は出来ますとお話しました。基本的に「教える」というのは「自分本位」ではないかという感覚がございます。反対に「伝えたい」という想いは「相手本位」になる感覚がございます。本当にこの感覚は「紙一重」です。私は先生になるつもりも・まして「弟子」をつくるつもりも全くありません。勉強とは決まった事をやるのではなくそのものに興味を抱かせ、知りたいという探究心に火をつけると自然と人は学ぶものです。まずその方の特性を知り、その方に合った勉強方式で本日は初授業でした。これからお伝えすることは未知の分野でございますから・・・。最初に「難しいという感覚」を植え込んでしまっては大変。「共に楽しめる道具」として相手の言葉を一つ一つ活用していくのです。(私が話したので、ただの授業になってしまいますので)私はいつも人と話す時、相手の一番想像しやすものを考えながら伝えていきます。「教える」をしてしまうと・・・。その「自由な想像」に制限をかけてしまうからです。学びとは探究心・・・。好奇心・・・。これが共に手を繋げば「気づき」は流れるように本人の言葉で入ってきます。その気づきを共に喜び・楽しみ本日の授業は終了・・・。私も十分楽しませて頂き感謝でした!やっと伝える人が出来た事・自分の道具を手渡す事が出来る事に喜びを感じた今日でありました。
2007年07月10日
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私が日々・・・唯一こだわっているものは・・・。「質」・「クオリティー」です。特に、二度と返らないものは「質」を最優先します。それは「時間」。また厄介な事にこの「時間」というやつは・・・自分の人生に「刻まれていく」んですよね~。「顔つき」・「能力」・「人体」・「人脈」・・・・・。そんなもっとも大切で取り返しのつかないもの・また残ってしまうもの・・・。この「質」に拘らないでそうするんだ!ってな感じです。「質」はすぐには現れない(目に見えない)かもしれませんが・・・。後で「残る」ものだから「自分の生きた証」として「宝物」になるんですよね~。「時間」って素晴らしいもので平等なものだけに「使う人」によって「多様化」するものなんですね~。
2007年07月06日
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6月の上旬に「シャンソンミニコンサート」を二回行うことが出来ました。練習とは違い緊張はしましたが本当に沢山の事を考えることが出来た素晴らしい体験でした。今・・・。「したい事がどんどん出来る事へと変わっている」感覚があります。想いが現実になるのは素晴らしいことです。仕事などでは体験することも多いと思います。ただ今回特にそのことを強く感じたのは「芸事でしたい事が出来る事へと変わる」のは自分自身の中でとても大きな変化となることでした。自分という肉体を全て使い表現している人達はこの感覚を感じているのでしょうね・・・。歌がいろんな形で実現の世界で出来つつあるこの瞬間は本当に幸せなのです。そして素晴らしい向上の欲も生まれてきます。二週間前より「フォークギター」を独学でやり始めました。今まで楽器は出来ないと思い込んでいましたから音楽をいろんな方面から楽しみたい表現したいという欲求が出てきました。このアドレナリンは生きる活力へとなりますね。いつかは・・・。「弾き語り」で表現できるようになりたいな・・・。その為にもギターと仲良しになりますね!
2007年06月24日
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継続は力なり・・・。 毎日、続ける事で身につく力をいうものはありますが・・・。この言葉のもっと深いところの意味を感じてみました。続ける事で周囲の人にまずは認知してもらえるそしてそこから信用が生まれる継続とは社会性が身につくという利点がありますね。そして自己に置き換えて言えば・・・。習性・習慣化される自分なりの規律が生まれる自立への道へと繋がります・・・。さてさて・・・内面(自己)と外面(環境・社会)との成長が同じになれば「出来ることが増える」という嬉しいギフトが訪れます。だって自分だけが心の中で出来る出来ると思っていてもそれが社会や環境の中で現実化しないと確認・検証は出来ないのですから結局・・・夢物語で終わったなんてことになりますね。だから内面と外面のバランスはとても大切と言えます。継続は力とは・・・もっと深い意味で捉えると実は私達・今この現在存在している人達全てが自然と出来ていることだと感じます。それは「生きるという継続」・・・。生きる為に人は学び・考え・悩み・・・。幸福への階段を上りつめて行くのだと思うのです。そして生きる為には「力」は必要不可欠です。この力は「継続」・・・「継ぎ続けること」。永く続ける為に、ただ「同じことの繰り返しでは本当の力にならない」という事。一代目・二代目・三代目と継続していく為にも工夫を凝らし・自分なりのやり方を見つけ・周囲との調和を保つこと。そして継続して一度身に付いたものは「いつでも、どんな時でも使える武器になったという自信を持つ事」がたとえそれを止めたとしてでも永く続けるという事を実現するのに必要だと思うのです。見え方・やり方が変わったとしてでも「自分という本質」は確かなものとして存在している自信さえあれば継続は力なり・・・。本当の力へとなっていくのでしょうね・・・。
2007年06月22日
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人は常に選択の中で生きていると思います。どんな時も・・・右なのか左なのか・・・。進む道を選ぶ中で生きています。ただこの左右の選択を迫られる人はきちんと前だけみている人のみです。よく迷路の中に迷うという表現をしますが・・・。迷路の中には左右という選択はないのです。道が無数にあるように思えるのは前を見ていないからです。左右に前後・上下が加わると空間自体が大きくなり自分がどこの位置に立っているのかさえ解らなくなってしまうのです。自分の立ち位置を認識している人は迷路に迷うことはありません。常に人生の選択のみで生きていけます。そして経験というナビゲーターがその力を発揮します。自分を知るということは大切なこと。自分の立っている位置を知るということだから・・・。これは人を知るということから始まることかもしれません。常にスタンスが人の為に自分の力をどうやって活かすことが出来るか考えることから始まるのだと思うのです・・・。
2007年06月13日
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やっぱり気持ち良いもんです・・・。素直な人と接するのも。素直な自分でいるのも。だって「余計な壁」がないから「楽楽楽」。人に対しても・自分に対しても「余計な壁」が存在しないから。なんでこんなに「楽」で「自分の思い通りに出来る」のに・・・。素直になれないのかな・・・・。って人を見ていて思うことが多いです。そんな人は口では平気だって言ってるけどちゃんと「顔」に書いてあるんです。「顔」と「声」でその人が「素直」かどうか解りますし・・・。子供の目で見ればすぐに解ります。子供の目は「素直な自分」でないと手には入れることは出来ませんが・・・。
2007年06月06日
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「癒し」とはなんだろうって感じてみました・・・。癒しブームの今・・・(この表現もおもしろいのですが)皆が「癒し」を求めてやまない様な気がします・・・。まるで砂漠の中の「オアシス」を求めるように・・・。「癒し・・・治癒・・・」「自然治癒力・・・」自然 → 癒し → 在りのまま → 存在 → 素 → 自己癒しって与えたり・与えられたり・・・。私も今までそう思っていたのだと気づきました。でもどちらも違うのだと知れました・・・。癒しには「流動性」はなくただそこに当たり前の様に「存在」しているだけだという事を知れました。誰かに何かをしてあげようとか・・・。誰かに何かをしてもらいたいとか・・・。そんな何かを生み出すものではなく自然にあるもの「自然との調和」そのものが「癒し」という存在であることを気づけました。草木は私達を喜ばしたり、助けようとしたりする為に存在しているのではなくただ生まれ・生きて・死ぬ・・・。自然の摂理の中で流れに逆らうことなく「在りのままの出来事を受け入れる」ただこれの繰り返しであるただそれだけなのだと・・・。癒しがブームと表現させる今日・・・。人が「自然との調和」を意識し始めた証なのかもしれませんね・・・。
2007年06月05日
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「相手をちゃんと想って出た言葉」なんじゃないのかなって思うな・・・。日本語っていろんな表現があるから誤解も受けやすいけど・・・。でも言葉の広がりもその分あるだろうね・・・。だから言葉数が少なくてもそんな想いで発した言葉が大事なんだろうね・・・・。
2007年05月30日
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