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僕たちはおばあちゃんに教えてもらった。山水亭という料理屋に行ってみることにした。ここから車で15分ぐらいだろうか?車で向かっている途中、妻に「山水亭って言うても居酒屋みたいなもんやんな。1人3000円か4000円ぐらいはかかるよね」「それはそれぐらいはかかるやろね」「2人で6000円から8000円をかかるんでね、なんかもったいないね」「まあそう言うたらそうやね」ということで、僕らの」もったいない病」がまた発動した。旅館の近くにあった大きなホテルのところに道の駅があったので、ひょっとしたら何か食べさせてくれるかもと思い行ってみることにした。時刻は夕方5時を回っており、地方の道の駅だったらもう閉まっているかもしれなかった。でも背に腹は代えられないので、行ってみることにした。道の駅の駐車場には数台の車が止まっていた。お店の方も明かりはついているのでやっているかもしれない。妻が1人で車を降りて営業しているかどうか聞きに行ってくれた。「大丈夫やって、6時までやってるって」「そうか、よかった。ちょっと行ってみようか」ということで2人して道の駅の店内に入って行った。しかし、想像していた道の駅とは違って飲食店はなかったし、売っているものも本当に野菜とか。そういうものばかりで、惣菜的なものはもう売っていなかった。「時間遅いからお惣菜とかないね」「ちょっと残念やね」ということで、道の駅で食料を調達するのは諦めた。「どうしようかな、さっき旅館の近くにラーメン屋さんがあったから見に行ってみる?」「そうやね一応行ってみようか」ということでまた、車で移動した。ラーメン屋の前まで来たが、駐車場は車でいっぱいでカウンター席には人がずらっと並んでいて、空席はなさそうだった「なんかいっぱいやね」「そうやな」「ラーメンっていうのもちょっとなんか違うよね」「うん、私もそう思ってん」「山水亭に行く途中にファミリーマートあったよね?あっこで何か買おうか?」「うん、そうしようか」結局僕らいつもこうなっちゃうんだよね。まあそれもいいんじゃない、ということで、最寄りのファミリーマートに行くことにした。ファミリーマートはこの辺りに2店舗あった。近いほうのファミリーマートはめっちゃ小さくて山崎デイリーストアぐらいの小ささだった。「ここはなんか品揃えが少なそうやね」「なんかやばそうやね」「もう一個の方にファミリーマートにしようか」「その方がいいと思う」ということで少し遠かったが、もう一軒のファミリーマートに行くことにした。ファミリーマートでビールとお惣菜を買って旅館に戻った。焼きそばとカツ丼がメインメニューだ。これで何とか落ち着いた。ビールで乾杯だ。「かんぱーい!」「美味しいね!」「焼きそばも美味しいわ」僕らはこの程度のアテで充分だった。食後にお風呂に入ったが、熱いの何の。源泉かけ流しはいいのだが温度管理はしていないようだ。入れないことはないが46度ぐらい有りそうだった。客は僕らしかいなかったのでサヨコさんに「そっちのお湯どう?入れる?」「絶対無料やわ、どうしよ〜」「水で薄めてみよか?」「うん、やってみる〜」浴室には水道はあるがホースが無いので風呂桶を並べて次々とと注いで浴槽に入れた。浴槽は大きな岩風呂だったので階段状になっている浅い所に集中して10杯ほど水を注いだ。「何とか入れるようになったわ〜」と壁の向こうからも声が聞こえてきた。僕の方もかなり熱かったが何とか入れたが油断すると熱々のお湯が回游してきて熱くて飛び上がりそうになる。でも温泉なのでそれなりに満足した。
Nov 26, 2024
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大湯温泉には夕方の4時過ぎに到着した。静かな山間にポツポツと旅館がある感じだ。町の真ん中に川が流れていて、川の向こうに一軒大きなホテルが見える。そこには道の駅もあるようだった。僕らご宿泊する予定の旅館は花海館といい何ヶ月も前から予約していた。結構な量の豪勢な夕食が出るというのが売りのようで、僕たちは到底食べきれないと思い、間食などせず我慢してここまでやってきた。あらかじめナビゲーションに旅館を目的地として入れていたので、場所はすぐにわかった。それでもわかりにくい入り口から駐車場へ入って行った。その時嫌な予感がした。旅館の建物に活気がないのだ。建物の中の電気は全て消えている。そして誰もいない。「電気消えてるね」「誰もいないね」「週末や言うのに泊まりの客がいないみたいね」「潰れたんじゃない?」「嘘やろ!」僕たちは車から降りて真っ暗なロビーへ入って行った。ドアに鍵はかかっていなかった。しかし、やはり誰もいない。電気は全て消えている「すみませ〜ん」大きな声で従業員の方を呼んでみる。しかし返事がない。もう一度、「すみませ〜ん」と声を出してカウンターにあった呼び鈴を押した。そうしたらカウンターとは反対側の通路からおばあちゃんがよたよたと近づいてきた。昼寝をしていたようで、眠たそうに「あらあら、今日はお休みですよ、料理人と従業員も3時半に帰ってもらいましたよ」という。「いえいえ、予約を入れてたはずなんですけれども」「あら、そうでしたかね。ごめんなさいね」と言って、おばあちゃんはカウンターの奥の事務所に入って行った?何やらノートをめくって予約を確認しているようだった。しばらくしてカウンターに戻って来て「おかしいわね。ごめんなさいね」と言っている。怪しい。認知症になってしまったオカンの動きに似ている。そういえば顔も何となく似ている。このおばあちゃんとは予約の時に電話で話した。その時から少し嫌な予感がしていたのだ。予約の電話をかけたのは約4ヶ月以上前出会った。その時おばあちゃんに「10月19日ですが、予約できますか?」と尋ねたら、「大丈夫ですよ。何名様ですか?」「2名です、京都から行きます」「分かりました。一泊2食付きでよろしいですか?」「はい、お願いします」一泊2食付きでお一人様13000円です」「分かりました。よろしくお願いします」「もし来なかったら罰金ですよ」「はい、分かりました」来なかったら罰金と言っていた。あの、ばあちゃんは、僕たちの予約を入れ忘れて、板前さんも従業員も今日は返してしまったようだった。「罰金はあんたや!」と心の声が叫んでいる。僕たちは思わず、「今日ここに泊まることはできますか?か」と尋ねた「あーはいはい。泊まれますよ。ごめんなさいね」と、何度も謝っている。「板前さん帰ったんだったらご飯は無理ですかね?」と聞くと、「イエイエ、なんとかしますよ」と、おばあちゃんは言っている。板前さんを家に返しているんだから、まさかこのおばあちゃんが晩御飯を作ってくれるんだろうかと心配になり、「いや、もう無理でしたら結構ですよ。どこか外に食べに行きますんで」「でも近くに料理屋ないもんで」「居酒屋とかもないですか」「ここから5キロぐらいのところに山水亭と、いうお店がありますけど」「じゃあそこに行ってみます」ということだが、とりあえず泊まれることになったので部屋に案内してもらった。館内の電気はまだついていない。「この部屋でよろしいですか」「ええ大丈夫ですよ」「他の部屋にしますか」「いえ、ここでいいですよ」他と、言われてもどんな部屋か分からないのであった。「お風呂は24時間いつでもはいれますので、お湯だけはいくらでも出てくるもんで」といいつつおばあちゃんは去っていった。「いや〜参ったな、ばあちゃんにやられたわ、罰金ですよじゃねぇっちゅうねん」「ホンマやね、びっくりしたね」部屋の窓を開けると大湯川がとうとうと流れていた。大雨が降ったらひとたまりもないような川沿いにこの旅館は建っていた。
Nov 25, 2024
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お腹もふくれて僕たちは禅林街というところへ行くことにした。田沢食堂からすぐのとこに禅林街はあった。禅林街は数百メートルの直線道路に30件以上のお寺が、道路を挟んで連続して立っているという。全国でも変わったところだった。どんつきには長勝寺という大きなお寺がドンと立っているようだった。長勝寺に向かって直線に伸びた道路の両脇には見事にお寺が並んでいた。禅林街通りを歩いて行くと左手に栄螺(サザエ)堂という建物が建っていた。それは福島県の本場のサザエ堂よりも一回り小さかった。このサザエ堂も会津のサザエ堂と一緒で登っていく人と降りてくる人がすれ違うことなく登ったり降りたりできるということだ。こちらのサザエ堂は入ることができるのですが、事前に予約しとかなければならないようだった。僕らは予約していなかったので、外から中見るだけだったここまでレンタカーを止めてきた駐車場から歩いて来たが結構遠くて、風も冷たくここを見学した後、レンタカーまで歩いて帰るのは辛いなと内心を持っていた。「あ、タクシーが来るよ」「ほんまやね」「こんなとこにタクシー来るんや」「誰か乗ってきやったんちゃう?」「そうやけど、見てみ。お客さん乗ってへんタクシーが今向こうに行ったで」「ホンマ?」「暇なタクシーがここまで流してんのちゃう。帰りタクシーがあったら乗ってもいい?」「いいよ。あればね」僕たちは圧倒されるお寺の連続するこの道路どんつきの長勝寺までゆっくり歩いて行った。緩やかな時間が流れている。これは個人旅行ならではの贅沢さだ。長勝寺は実に古いお寺で1611年に建てられたようだ。門も素晴らしく凝った作りだ。どことなく日光東照宮を思い出させる作りになっている。お寺に入るのは無料だった。こんなところまで誰も来ないと思っていたが、タクシーを使って見学に来ている観光客がいた。タクシーの運転手が3人連れのお客さんに、このお寺の説明をしていた。ゆっくりお寺を見物してからレンタカーを停めてある駐車場へ戻ることにする。「タクシーないね」「さっきまで、1台そこに停まってたんやけどな」「どうする?」「10分待ってタクシー来なかったら歩こか」「そうしよか」と待つ事にした。すると5分もしないうちに1台のタクシーがスルスルと近づいて来た。「空車みたいで!聞いてくるわ」と僕は運転手に尋ねに行った。ラッキーなことに空車だった。「乗れるって!ラッキーやね~」急いでタクシーに乗り込んだ。タクシーは今どき珍しいミッション車だった。運転手に話しかける「いや〜助かりました。風が冷たいし。それにしてもここはお寺が、集まって珍しいとこですね」「そうなんです。ちょっと前にブラタモリも来てましたから」運転手の声はとても小さく聞き取りにくい。「えっそうなんですね」「私も、ブラタモリの機材を運ばせてもらいました」「機材ですか・・」「タモリじゃないんだ(心の声)」運転手は聞き取りにくい小声で続ける「ここは全部同じ曹洞宗(聞こえなかったので後で調べた)のお寺で藩内のお寺を藩主が全部ここに集めてしまったんです」「へぇそうなんですね」「弘前城を守るための出城のような戦いに備えて集めたようです」「なるほど、昔はお坊さんは武闘派集団でしたからね」「でも、一カ所に集めてしまったもんだから法事をするとき県内からわざわざここまで来ないといけないので大変だと、檀家の者は言ってますね」なるほどそうなのだ。タクシーで戻るとあっという間に市役所前の駐車場まで着いた。運転手さんは歩道にぐいっと乗り上げて停めてくれた。サービスしてくれているようだったが「歩道に車停めたらあかんやん」と心の声が言っている。この後は今日の宿泊先の大湯温泉へ向かうことになる。
Nov 22, 2024
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田沢食堂つづき先ほどまで僕らのテーブルの横でご飯を食べていた老夫婦だがおばあちゃんがラーメンを食べ残して2人とも店を出て行った。結構店は繁盛していて、僕たち中華そばの醤油と味噌を注文したが、出てくるまで結構時間がかかっていた。お水とかお茶はセルフサービスになっていて、畳の部屋の両端にちゃぶ台が置いてあり、ポットが置いてあった。結構寒かったので、湯のみに熱いお茶を入れようと思ったが、ブッシュという音が出て少し残っていたお茶が吹き出して手にかかり激アツだった。僕らより後に入ってきたじいちゃんが同じようにお茶を入れようとしたが、ポットは虚しく、ブッシュという音を立てて飛沫を撒き散らすだけだった。おじいちゃんは常連さんなのか、お店の人を捕まえて「お茶がありません」と大きな声で訴えていた。お店の人も「あら、ごめんなさいね」と言ってすぐに熱々のお茶を持ってきてくれた。そう、こうしているうちに先ほど僕たちのテーブルの横で、ラーメンを食べていた老夫婦のおばあちゃんだけがまた店に入ってきてそこら辺をうろうろしだした。そのおばあちゃんは、先ほど自分たちが座っていた座敷のテーブルの下を覗き込んで何かを探しているようだった。おばあちゃんが「この辺にカバンはありませんでしたか?」と話しかけてきたので「いや〜なかったですよ」と答えると「スミマセンね」と言って座敷から出て行きお店の人に、「カバンは忘れてませんでしたか?」と地元の言葉で尋ねていた。しかし、お店の人も、「なかったですよ」と地元の言葉で言っていた。おばあちゃんは、しばらく納得が行かないようだったがトボトボと外へ出ていった。しばらくして僕らの中華そばが運ばれて来た。僕はしょうゆ味で妻はみそ味だ。どちらもボリューム満点で500円のラーメンとは思えない。スープも美味いし麺も美味しい。文句無しに合格だ。妻のみそ味を少し食べさせてもらったが、独特のみそ味でこれまた、美味しい。隠し味に生姜が入っていたかもしれない。とにかくこのお店は満点だ。美味しい中華そばをすすっているとさっきのおばあちゃんがまた店に入って来た。紫のジャージですぐに分かった。そしてまた座敷に上がって来て「カバン忘れてませんでしたか?」と聞いてきた。「いや〜なかったですよ」と僕が答えると向かいの席に座ったてた若いお母さんが「私も見たけどなかったよ」と地元の言葉でおばあちゃんに言ってくれた。おばあちゃんは「カバンに免許証や保険証が入っるからないと困る」と言ってあちこちの机の下をのぞくが見当たらない。諦めて座敷を出ていくとまたお店の人に「カバンが落ちていませんでしたか?」と尋ねている。お客さんか多い時間帯で忙しいにもかかわらずお店の人は粘り強く「あったら連絡するから」と答えている。恐らく常連さんなのだろう。おばあちゃんは一応納得してまた店から出ていった。中華そばは結構な量でお腹一杯になった。満足した。と思っていたらまた紫ジャージのおばあちゃんが店に入って来て座敷に上がって来た。今度はおばあちゃんは「皆さんスミマセンね、ちょっと机の下を見させてもらえませんでしょうか」と宣言して全ての机の下をのぞいて行く。他のお客さんも「仕方がないなぁ」という感じでおばあちゃんが一つずつ机の下をのぞくを見守っている。おばあちゃんは机ごとのお客さんに「スミマセンお食事中に」と毎回あやまりながら全部の机を見たがカバンは見つからなかった。おばあちゃんは諦めきれない顔で座敷から出ていった。そしてまたお店の人に同じことを言っていた。僕は妻に尋ねた、「あの人認知症と違うか?」「間違いないと思うわ」妻は認知症のスペシャリストのベテラン看護師だ。「やっぱりそうか、最初からカバンなんて無かったようやしなあ」「そうやね、お店の人も認知症て分かってはるみたいやし、慣れたはるわ」「そうか・・」「おじいさんはどこへ行ったんやろな」「さあね、おじいさんも認知症て分かっているはずなんやけどなぁ」「ほんまやな」僕たちは食事を済ませて席を立ち、お会計をしようと座敷から出ようとしてたら、また先ほどの紫ジャージのおばあちゃんが店に入ってきた。そして僕らの横を通り抜け、また座敷に上がっていった「あー こりゃ、アカンわ」僕ほなぜかため息が出た。妻がお会計を済ませてくれた。500円の中華そばというだけでも安いのに消費税すら取られなかった。お店の人が「お会計1000円になります」と言った時には思わず「え、消費税はいらないんですか?」と言ってしまった。「はい」とお店の人はさらりと言った。弘前に来た時にはこのお店は外せないと心に誓ったのである。お店を出て禅林街に向かおうとしたら、先ほどのおばあちゃんの連れのおじいちゃんが、白い軽トラを歩道を塞ぐような格好で駐車していた。もうカバンが最初からなかったのは明らかで。おじいちゃんもおばあちゃんが認知症なのは承知の上のはずで、お店の人に迷惑がかかるからなどとは考えないのだろうか?僕なら「カバンは家に忘れてきたかもしれないから、一旦帰ってみようか」と、声をかけておばあちゃんを車に乗せるけどね。このじいちゃんも半分認知症なのかも知れない。なんだか切ない風景だった。でも中華そばはうまかった。田沢食堂、弘前に来たら必ず寄りたい。中華そばみそ味
Nov 21, 2024
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旧弘前図書館を見学した後禅林街という1本の通りにお寺が30件以上、連続で立ち並んでいるというところがあるというので、行ってみることにした。図書館から1km ぐらいだというので、歩いて行くことにした。雨上がりで風も強く。少し寒かったが、スマホのナビを頼りにトボトボと歩いて行った。弘前城から前輪街までは緩やかな。登りになっているようで、歩いていると結構しんどかった。思った以上に遠く感じて、何度もスマホを見直したが、道はあっているようだった。特に何もない。街を抜けて前輪が通りの交差点までやってきた。ちょうど交差点のところに田沢食堂という看板が目に入り、そのお店に入ってみることにした。暖簾をくぐるとほぼ満席のような感じだったので、お姉さんに「2人ですけど行けますか?」と尋ねると「今すぐに席は空きますから、待っていてください」ということだった。待合席のようなとこに座っていると本当に23分で席が空いたようだった。手前にはテーブル席がいくつかあって、その後に結構広い座敷の部屋が広がっていて、そこにも多くのお客さんが来ていた。僕らは一番奥の門のテーブルに座ることができた。結構お店の回転は早いようだ。僕たちの席の隣のテーブルではじいさんとばあさんが2人で並んで座っていた。じいさんの方はもうラーメンを食べ終えたようでぼーっとしていた。ばあさんの方はまだラーメンがたくさん残っているようで、急いで食べているようだったが途中で諦めて少し残して帰って行った。何があるのかな?と僕はメニューを見て驚いた。「安いわ!ここ中華そばが500円やって味噌ラーメンも500円って書いたんで」「えー、ほんまどんなラーメンやのね」「カツカレーとかも安いで何でも安いわ。びっくりするぐらい」「そうやね。みんな何食べたんやろね?」周りのお客さんが食べている料理をチラ見する大体のお客さんはラーメンを中心にチャーハンやソバ。カレーなども良く売れているようだ肉炒め定食も人気メニューみたいだ。中華そばが定番メニューみたいで、しょうゆ、みそ、塩がある。いずれも500円という格安値段設定だ。「サヨコさんは何にする?」「中華そばにしようかと思うけど、しょうゆか、みそで悩むなぁ」「ホナ、しょうゆとみそ一つずつ頼もか」「そうやね」ということで両方注文した。
Nov 20, 2024
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津軽藩ねぷた村を出て弘前城へ行くことにする。弘前城はねぷた村の目の前にある。それにしても先ほどからものすごい土砂降りの雨が続いている。弘前城の追手門近くにある市役所前の駐車場へ移動した。あまりにも雨が強いのでしばらく車内で待つことにした。「雨雲レーダーによるとあと10分ほどで雨止むみたいで」「そうみたいね」「それまで待とうか」「今一番雨キツイみたいしそうしよ」僕は時間つぶしにゲームでもしようかと思い後部座席に移動した。雨の中、車内で過ごすのは意外とリラックスできるものだ。雨に濡れない安心感と時間的に余裕があるのでノンビリするのだ。雨はきっかり10分で急に弱くなりその後ピッタリやんで雲の切れ間さえ見えてきた。「雨雲レーダーって凄いなぁ、ちゃんと当たるもんな」「まるでバック・トゥ・ザ・フューチャーのワンシーンみたいやもんやね」「未来では郵便配達だけは進化してないってドクが言ってたけど、ホンマにそのとおりや」車から降りて弘前城へ向かう。駐車場の隣りにレトロなスターバックスがあった。説明書きによると明治時代に陸軍師団長の官舎として建てられたもので和洋折衷のデザインで登録有形文化財となっているようだ。でもスタバにはほとんど行かないので当然スルーだ。駐車場から弘前城までは道路一本隔てているだけだ。道路を渡るともう弘前城の追手門だ。「立派な門やね」「ホンマに、キレイに保ってるね」門をくぐるとその門の修復作業風景のパネルが置いてあった。それによると金属部分の黒いところは漆塗りになっているという。大した物だ。城内はとても広くまるで京都の御所のようだ。桜の木が至る所に植えてある。お掘りの桜も半端じゃないほど沢山植えてある。桜の季節はさぞかし賑わうのだろう。今日は雨上がりなので人影もまばらだ。本丸まで何度も角を曲がりやっとのことでたどり着いた。弘前城の敷地に入るのは無料だが、天守閣に登るには入場券が必要だ。切符売り場の前から天守閣が元あった場所の石垣工事の様子がよく見える。弘前城の天守閣はこの石垣工事のために「曳家」という技術で城を、解体する事なく70メートルも移動したのだ。石垣の工事が終わればまたもとに位置に天守閣を戻すようだ。日本の城はかつては4万ほどあったそうだが、現在見学できるのは200ほどだそうだ。その中でも現存するオリジナルの天守閣がある城は12城だけである。弘前城はその現存12城の貴重な城なのだ。今回初めて弘前城へ訪れたわけだがこじんまりとしてはいるがなかなかいい城だ。中に入ると強靭な黒い鉄骨で内側から補強されているのがよく分かる。曳家の早回しのビデオはずっと見ていても飽きない。曳家の体験もあったようで市民が大勢で実際に城をロープで引っ張っているビデオもあった。弘前城は桜の名所なので今度訪れるなら桜の季節に来たいものだ。桜祭りがゴールデンウィークにあるらしいが到底宿は取れないだろうな。弘前城を後にして近くにある旧弘前図書館に行ってみる。ここは入場無料で見学できる。周りにはレトロな建物が他にもある。カフェに改造されているところもありいい匂いが、漂ってくる。「カフェでランチでも食べて行こうか」「カレーライスセットが1400円・・・」「僕らには高いな」「やめとこか」いつまでも僕らは貧乏なのである。元はここに天守閣があったそしてここに移動した
Nov 19, 2024
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翌朝はやはりあいにくの雨だった。昨日のうちにもらっておいた朝食券を持って1階の朝食会場に降りていった。「やっぱり中国の人が多いみたいやな」「でも、中国人にしたら割と静かな人達やね、顔もほとんど日本と変わらへんし」会場の半数近くが中国人の旅行客のようだった。僕が座った席の隣りには昨日お風呂で話しをした爺ちゃんが一人で朝食を食べていた。僕の事は全く意に介さない感じで黙々と皿を平らげていた。奥さんの姿は無かったようだ。「野宿旅をしてるんです」と言っていたからではないが、細い体と年齢の割にすごい量を食べている。何回も料理を取りに行ったのであろう皿が積み上げられていた。野宿旅だから食い溜めしているのだろうか。僕は普段朝食を食べないので食べ過ぎないように控え目にした。食べ慣れない朝食を食べるとすぐにお腹が痛くなるのだ。ホテルをチェックアウトし立体駐車場から車を出してもらう。「朝は混雑しますので時間に余裕を持って駐車場に来てください」と昨日フロントに言われていたが僕らだけだった。朝からねぷた祭りの資料館へ行くことになっていた。「津軽藩ねぷた村」というところだった。弘前城のすぐ近くでホテルから5分とからなかった。雨が降っていたが傘をささずに車から急いで受付へ移動した。入場券を購入していると建物の中から賑やかなお囃子と太鼓の音が聞こえてきた。資料館の中に入るといきなりど~んと大きなねぷたが展示されていた。先ほど聞こえた太鼓らしきものが3つ並んでいた。すぐに係りの人がその大きな太鼓前に立ち、笛と太鼓と大きな掛け声の賑やかな演奏が始まった。短めの演奏が終わると「弘前ねぷた」の説明をしてくれた。ここの「ねぷた」は「ねぶた」ではないらしい。青森とか五所川原は「ねぶた」の方みたいだ。弘前のねぷたは人の形をしておらず大きな扇形で大迫力の絵が描かれている。ねぷたの説明が終わると「それでは、太鼓をたたいてみたい方はどうぞ」と言い出した。「私やってみよかな、はい!」「えっ、やるの?」「あなたもやったら?」「僕はええわ」「何でやの、やり〜な」「ええわ」「ほな、やってくる」と妻は太鼓の方へ行ってしまった。他の2名のお客さんも決まり、係りの人の指導と笛と掛け声で体験が始まった。「ドンドンドン、ピーヒャラピーヒャララ!」「はいありがとうございました!」周りのお客さんも拍手してくれていた。「面白かったわ〜」僕はこういうのは苦手なのだ。なんか恥ずかしくて無理なのだ。資料館の展示は僕らの知らない事ばかりでとても感心した。津軽三味線の実演があるというので展示を見た後先ほどの太鼓の所へ戻ると中国人の観光客で会場は満員御礼だった。大勢の中国人の端っこの最前列の席が空いていたので座らせてもらった。今日の津軽三味線の演奏者は長峰健一さんと言う人だ。長峰さんは津軽三味線の全国大会でA級チャンピオンに輝いた実績のある本物の人だった。長峰さんが大勢の中国人の方に津軽三味線の説明をしようと話しかけたが先ほどまで会場にいた通訳の人がどこかに行ってしまっていて話しが全く通じなかった。優しい長峰さんは「じゃ、演奏の方を、聴いてもらいましょうかね」と笑顔で呟き津軽三味線の局を弾き出した。繊細なイントロからすっと局に入ると中国人たちも長峰さんの演奏に釘付けになった。局の途中テクニックの見せどころになると中国人の観客から自然と拍手が起こる。ねぷた資料館の入場券だけでこんな素晴らしい演奏を聴かせてもらえるとは思ってもみなかった。僕自身、津軽三味線の生演奏を聴くのは初めてだったので鳥肌が立つほど感動した。演奏が終わりふと外を見ると土砂降りの雨になっていた。庭園になっている中庭を傘をさして歩いて行くと木工細工の土産物屋になっていた。土産物屋は木工細工の作業場にもなっていておじいちゃんが働いていた。どうやら駒を作っているようだ。作っている駒は逆さ向けにキノコが生えたように軸を下にして回すと、知らない間に普通の駒みたいに廻っているという変な物だった。すぐに気に入って土産として買った。漆塗りの物もたくさん売っていて漆塗りの箸を誕生日プレゼントととして妻に買ってあげた。実は僕も自分の漆塗りの箸が欲しかったのでいい口実だった。まあまあいい値段したよ。ねぷた資料館を出ると甘い香ばしい匂いがしていたので何かなと探して見たらピーナッツ煎餅を焼いているお店があった。目の前で煎餅を焼いているところが見られるのだ。フラフラとそのお店に入り2枚購入した。ずっしり重いその煎餅を車に持ち込み食べた。「めちゃくちゃ食べ応えあるな」「お腹ふくれそう」「半分だけ食べて残りは非常食にするわ」「そうやね」この後昼ごはんにありつけない場合もあるかもしれない。いつも昼ごはんを食べ損ねている二人だったのでこれで安心だ。
Nov 18, 2024
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以前長崎に行ってきた事を書いた事があったが、尻切れトンボになっていたことに気付いた。誠に申し訳ございません。今さらながらですが続きの最終回をアップします。〜島原へ行ってきた最終回〜長崎は四度目の訪問なので、目ぼしい観光名所は殆ど行き尽くしている。特に行きたかったわけでもないが、長崎市内の諏方神社というところは行ったことがなかったので、時間もあることだし行ってみることにした。諏方神社は、長崎では”お諏訪さん”と呼ばれ親しまれている総氏神様らしい。 国の重要無形民俗文化財となっている秋季大祭「長崎くんち」の大舞台としても広く知られているようだが、当然僕たちは知らない。ホテルをチェックアウトして早朝の長崎の街を歩く。路面電車に乗るためにホテルから川沿いの道を歩いて行く。途中見覚えのある長崎の中華街が右手に見える。「前食あそこでべた中華まん美味しかったよな」「でも神戸の中華街に比べたらショボいわ」「そりゃそうやな」長崎の人には悪いが、関西人はそこら辺は譲ろうとしない。中華街を過ぎて大通りに近づくと路面電車のモーター音が心地よく聞こえてくる。僕らも路面電車に乗り諏方神社へ向かった。電車に乗ったとたんに、急にお腹が痛くなり大きい方を催してきた。普段食べない朝食でパンやら色々食べたのがまずかった。僕は時々小麦粉を食べたあと急にお腹を下す事が多々あるのだ。諏方神社駅に到着する頃には我慢の限界に近づいていた。「やばい、どこかトイレないかな?下痢や」「あそこに、コンビニがあるわ」「ホンマや、行くわ」と言っているが僕はもう臨界点に到着寸前でお尻をすぼめて小股でしか歩けないほどだった。コンビニに顔面蒼白になりつつ突入し、何とか間に合い事なきを得た。つまらない事だが、下痢からの解放感というのは相当の快楽だと再認識した。諏方神社へは大きな鳥居をくぐり階段を登って参拝することになる。早朝から神社には地元の方と思われる人がポツポツ参拝している。鳥居を横切る道路を行く人も、神社には入らないのに鳥居の前で神社に向かってお辞儀をして通過している。信心深い人達がおおいのだ。階段を登りつつ、いよいよ本殿のある。最後の階段を登ろうとしていたら保育園のバスが駐車場にやってきて、小さな園児たちがワラワラと降りてきた。この神社が日常の散歩コースになっているのか?子供達にとっては大きすぎる階段を2列になって一生懸命登っていく。何とも微笑ましい。光景を目にして心が和んだ。諏方神社は本格的で立派な神社だった。本殿の右側には大きなクスノキの木が立っている。信じられないぐらいの巨木だ。樹齢800年だというから本当に巨木だ。一通り諏訪神社を参拝した後。諏方神社にある小さな動物園を見た後「さて、この後どこに行こうか」ということになった。「シーボルト記念館というのがあるみたいなんで行ってみようか」「そうやね。そこは行ったことないね」ということで、シーボルト記念館というところへ行くことになった。シーボルト記念館は諏方神社から歩いて行けるようだ。再び諏訪神社の階段を降りて行き歩いていく。しばらく歩くとどうやらシーボルト記念館に行くにはシーボルト通りという名前のついた道を通っていくといいらしい。途中橋の上でおばあさんがビニールシートを広げて露天を出していた。「おばあちゃん、これに何ですか?」とおばあちゃんに尋ねると「これは柚子胡椒です。うちのおじいちゃんが作ってるの」「あ、そう、一つもらえますか」「ありがとうございます、これ本当に美味しいよ」ということで1つ購入した。その柚子胡椒は何かの空き瓶を利用した容器に入っていた。旅を終えてから家でその味を確かめたが、今まで味わった柚子胡椒の中では一番美味しかった。柚子の香りがすごいのだった。シーボルト通りと書かれた看板をくぐりたくさんの商店が出ている通りを歩いて行く。面白そうなお店がたくさん建っている。ふとそこでシーボルト記念館への道案内を入れていたスマホのナビに目が行った。「あれあれ?シーボルト記念館。今日は休館日となってるわ!」「えー!嘘!そういえば今日、月曜日やよ。月曜日に旅行を入れたらあかんな〜私らいつもこうやんな」とサヨコさんが言う。今歩いてきたシンボルト通りを引き返しつつ路面電車の停留所近くまで歩いてきた。「これからどうしよう?どこ行こうかな」「ちょっと待ってや、行けるところ探してみるから」こういう時のスマホの検索能力はサヨコさんの方が僕よりはるかに上回る。次の行き先探しはサヨコさんに任せて僕は停留所近くの歩道の花壇に腰掛けてサヨコさんの答えを待つ事にした。しばらくしてサヨコの答えはこうであった。「もう、行くところないわ〜」仕方がないのでどこに行こうか考えた末、長崎に来た時、飛行場からのバスから見えた大村という町に行ってみようかということになった。大村は長崎空港のある方向なので空港に向かいがてら最後に立ち寄る感じだ。長崎からJRで1時間くらいかかる。結構遠いのだ。これで長崎の街とはさようならということになる。旅情溢れるいい街だった。JR に乗り大村までやってきた僕らはバスから見えていた、大村城跡らしきものがあったところへ行ってみようかということになった。大村駅は少しレトロな可愛い感じの駅舎だった。調べてみると駅舎は大正7年に2代目駅舎として建てられたようだった。いい駅だ。パンフレットを見つけて見てみると大村城だと思っていた城は玖島城という名前だった。玖島城は現在、大村公園として整備されているようだった。「大村公園までどうやって行こうか」「タクシーに乗って行く?」「ナビで見たら1.9キロって書いてあるけど」「1.9キロやったら歩いてみようかそうやな。街並みを置いてみたいしな」「ほな、歩いて行こうか」ということで、スマホのナビを頼りに歩き始めた。歩き始めて気づいたが、大村の街は何にもなく歩いてて全く面白くない街だった。ただ黙々と二人は歩いて行く。「結構遠いな」「そうやね」「この街面白くないね」「そうやね」どうも、退屈な風景で延々と歩いた。しばらくすると大きな幹線道路に出てきて更に面白くなくなった。「競艇があるみたいな」「うん、そうやね・・・」「エガチャンの看板の中古車屋があるな」「うん、そうやね・・・」「お腹すいてきたね」「うん、でもお店ないね・・・」トボトボ歩き続けやっとの思いで大村公園玖島城跡に到着した。公園の入り口に飲食店が2件並んでおり空腹だった僕らはそこでお昼ごはんを食べることにした。飲食店は向かって右側がちゃんぽんのお店で左側が中華のお店だった。「ちゃんぽんと中華どっちの店にする?」「そうやな〜、どっちでもいいけど」「ほな、今回ちゃんぽん食べられへんかったし、ちゃんぽんにしよか」「うん、そうしよ」ということでちゃんぽんの店に行くことにした。店に近づいていくと何か活気が無い。「閉まってるんかな」と店の前まで行くと、営業は昼と夜しかやっていないようだ。14時で一旦店が閉まるようだ。「なんちゅうやる気ない店やねん」「ホンマやね、でも、しかたがないなあ」ということで、中華のお店に行くことにした。店のドアを恐る恐る開けて「すみません、いいですか?」というと「はい、どうぞ」と元気な声が帰って来たのでホッとした。ラーメンとビールを注文した。今回は電車の旅なのでビールが飲めるのは最高だ。大村駅から歩いて来たので喉も渇いている。小さめのジョッキグラスもキンキンに冷えている。このお店は分かっているのだ。偉い!「かんぱーい」ビールは、あっという間になくなってしまった。ラーメンは白湯スープで胡麻がたくさんトッピングしてあり美味しかった。腹を満たし玖島城跡を見に行く。玖島城は、大村湾に突き出している半島に建っていた。現在は城郭のみ残っているが、なかなか立派な石垣だ。公園内には桜の木が多数植えられていて、春には相当美しいだろう。堀には菖蒲の花が多数植えられていてなんと10部株の菖蒲が植えられているという。菖蒲の季節に来たらこれまた美しいだろう。城内をゆっくり散策して帰ることになった。、「玖島城、意外と良かったね」「本当、桜が咲いたらきれいやろね」「ところで帰りはタクシーにしよな、もう歩くのいややで」「そやけど、タクシーなんかあらへんかったで」「そうやったな・・・あっそうや!公園やしバス停あるんと違うか」「そらそうやな、探してみよか」ということでバス停を探すとすぐに見つかった。「やっぱりバス停あったな」「そうやね、どこまで行けるかな」「ウ~ン、あっ!長崎空港行きがあるで!」「うそ、ラッキーやん!」バスの時間まで少しあったが空港行きのバスが、あり助かった。僕らはバス停のベンチに座り休憩がてら待つことにした。ベンチに座って待っていると道路を挟んだ向かい側に饅頭屋があるのに気がついた。金子饅頭と書いてあり「キンマン最高だよ、かき氷とイチゴ大福も最高だよ」と自信満々に書いてある。時間もあったんでサヨコさんに「サヨコさん、道路の向こう側見てみ、キンマンってどんなんやろな?」「私もさっきから気が付いてたねん、イチゴ大福も最高て書いてあるやろ」「ちょっと食べてみたくないか?」「そやろ、私買ってくるわ!」ということになり一目散にサヨコさんはベンチを立ち上がり信号のある交差点までもどりキンマンを買いに行ってくれた。しばらくして戻って来たサヨコさんは嬉しそうにキンマンを見せてくれた。2個入りのキンマンは塩豆大福だった。どうやらイチゴ大福は季節的に無かったようだ。でも、店の前ののぼりにも塩豆大福という文字も見えていた。さっそくキンマンを、いただく。とんでもなく美味しい。僕は普段甘いものはほとんど食べないのだが、このキンマンは絶品だと思う。旅でのこうした美味いものとの出会いというのは嬉しいものだ。そうこうしているうちにバスがやって来た。「バスがあるってありがたいね〜」「ほんまやね」二人して空港行きのバスに乗り込んだ。旅はそろそろ終わりを告げようとしていた。長崎は旅情あるいい街だ。次回は美味しいちゃんぽんを食べてみようと思う。
Nov 16, 2024
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居酒屋「和民」にやっとこさ落ち着いた僕らはさっそくビールで乾杯した。せっかく青森に来たのだから名物を食べたいということなので「貝焼き」「イガメンチ」「青森シャモロックのとり天」をメインに注文した。チェーン店だからと期待はしていなかったが出て来た料理はどれもちゃんと作ってありすごく美味しかった。ダメ押しにモツ鍋も注文したが結構なボリュームで大満足だった。お店の中には地元の人達でひしめいており、大きな声で方言が飛び交い、それはそれで僕らにとっては楽しい時間であった。妻は思いがけず美味しい食事にありつき美味しいお酒を飲めたので上機嫌で店を出たあと二人並んでホテルに帰った。ホテルに帰りビジネスホテルには珍しい大浴場があるというので入りに行った。ラジウム人工温泉ということでお湯は温泉風に感じて良い感じだった。大浴場には僕の他にツルッパゲの爺さん一人しか入っていなかった。大浴場に浸かっているとその爺さんが「観光で来られましたか?」と声をかけてきてくれた。「そうなんです」「どちらから来られましたか?」「京都です、ご主人はどちらかですか?」「私は東京なんです、家内と二人でクルマで野宿旅行をしてるんです」「そうなんですね」「北海道をぐるっと回ってここまで来ました」「キャンピングカーか何かに乗っておられるんですか?」「いやぁ、トヨタのボクシーですよ、アレぐらいのサイズが丁度いいんです。明日はどちらへ行かれますか」「大湯温泉というところです」「私は昨日、酸ヶ湯温泉に行って来ましたが、そりゃ紅葉が見事でした」「そうですか、僕らも明後日、酸ヶ湯温泉に泊まる予定なんです」「それは良かったホントに見事ですよ」などと爺さんと話しが弾んでしまった。爺さんはずっとお風呂にいるようで、風呂の縁に腰掛けてじっとしていた。部屋に帰るとまたビールを飲んて明日に備える。明日は天気が悪そうだったが弘前城へ行く予定である。
Nov 15, 2024
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今日の宿は弘前駅前にあるビジネスホテルを予約していたので一路弘前へ向かった。青森県の道路はすいていて走りやすい。秋田県ほど飛ばす人も少ないようだ。すでに夕暮れの気配になっていた。しばらく走ると岩木山の美しいシルエットが見えてきた。津軽の人は「お岩木様」と畏敬と親しみを込めて呼んでいると聞く。正にお岩木様に相応しい神々しさを感じられる山の風貌だ。美しい夕焼けの中クルマを走らせるのは気持ち良かった。弘前駅前のホテルの駐車場は立体駐車場だった。僕は立体駐車場に停めたことが無くて初体験だ。オジサンに誘導され丸い回転板の上に乗ったのはいいが、使いにくいニッサンノートeパワーだからサイドブレーキの外し方がよくわからずモタモタしてしまう。「すみませんね、レンタカーで使い方よくわからないもので」「本当ですね今どきのクルマはややこしいですね」と優しく対応してくれている。アタフタしながらなんとか立体駐車場に突っ込むことができた。立体駐車場って狭くてキチキチなんですね。運転下手やったら乗せられないね。チェックインを済ませて晩ごはんを食べに行く事にした。ルートインのホテルはちゃんとビールの自動販売機もあるので安心だ。出かける前にビールを買って冷やしておいた。初めての街だったのでネットで良さそうな居酒屋を調べておいたので行って見る。「安い!美味い!みんなの津軽衆」という赤いどデカい看板が目印だった。名物の「貝焼き」はなんと100円だという。さっそく暖簾をくぐってドアを開けるとお姉さんが迎えてくれた。「二人ですけどいけますか?」「あのー、ご予約はされてますか?」「いや、してません」「すみません、満席なんです」「そうですか・・・」とすごすご撃退された。「席なんぼか空いていたんやけどなぁ予約しなあかんのか」と次の店を探す。早くも嫌な雰囲気だ。「居酒屋難民になりそうやな」「ホンマやねどこか探すわ」と妻が得意のスマホサーチで探し始めている。その横で待っている間にもオッサン4人組がさっきの居酒屋に入ろうとしたが、やはり撃沈してフラフラと店から離れて行った。妻はしばらくスマホで居酒屋を探していたが「しのや、っていうところがあるんやけど良さそうよ、電話で空いてるかどうか聞いてみるわ」とすぐに電話をかけだした。しかし、「アカン、しのやも予約で一杯やて」とダメなようだった。「もう一軒、アバっていうところがあるし、そこはここから近いし一回行ってみよか」と妻が言うので行ってみることにした。妻のスマホのナビを、頼りに居酒屋アバをめざす。ホテルの前を通り越して弘前駅を、右手に、見ながら歩いて行く。途中でチェーン店の居酒屋の前で呼び込みのお兄ちゃんが暇そうにしているのが目に入った。「ああいう居酒屋には行ったらアカンで」と妻には内緒で伝える。居酒屋アバはすぐそこだと言う妻の情報とは裏腹に10分近く歩いても到着しなかった。だんだん周りが暗くさみしくなってきた線路際にお店らしきものが見えてきた。民家を改造したようなお店に赤提灯が出ている。「やっと着いたわ、あそこやな」「そうやね」店に近づいて行くと、「あれ、アバちゃうで、しのやって書いてあるで」「え〜、なんで」「なんでってナビで来たんやろ」「何でか知らんけど、電話かけたしのやにナビなってしもてるわ」「そんなアホな、アバはしかも反対報告やん」「ごめ~ん」ということで、また居酒屋難民と化したのである。結局再度ホテルの前まで戻って来てしまった。「もう仕方がないしチェーン店でもいいし入ろ」と言うことになり、ここなら空いてるであろうホテル近くの和民に入った。「すみません、二人ですけどいけますか?」「次の予約が入ってる9時半までで良かったらいけます。」「ああ、充分ですよ」「それではコチラへどうぞ」ということでやっと晩ごはんにありつけることになった。〜本日の教訓〜「地方都市の居酒屋は予約しとかないといけないです」
Nov 14, 2024
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青森空港に降り立つとやはり京都と比べるとだいぶん寒かった。正確な気温は分からなかったが5度ぐらい低いという感覚だ。青森空港に来るのは初めてだった。到着口を出るとねぶた祭りの小さいねぶたが迎えてくれる。ねぶた祭りは一度は見てみたいものだ。今回はレンタカーを予約していたのでレンタカー屋を探す。紅葉の季節ということもあり5ヶ月前にレンタカーを、予約したがそれでも最後の数台しか残っていなかった。青森県などはレンタカーが無いと観光するにはめちゃくちゃ不便なのだ。レンタカー屋は空港を出て右側に行くとすぐに見つかった。「レンタカーターミナル」と大きく書かれている建物に入るとそこには色々なメーカーのレンタカー屋が勢ぞろいしていた。僕らは今回ニッサンレンタカーで借りることになっていた。受付カウンターを見ると他のレンタカー屋は行列になって順番待ちができていたが、ニッサンレンタカーだけは誰も並んでいなかった。たまたまかもしれないが。受付の背が低くてぽっちゃりしたお姉さんの淡々とした説明を受けて車のところに一緒に行く。ボディーの傷の確認をしたらアッサリ何の操作説明もなく鍵を渡された。今回の車はノートeパワーだった。「ノートeパワーか、eパワーは初めて乗るなぁ」おそるおそる車内に入る。「ウ~ン、エンジンスタートのボタンがどこか分からん」あたふたしながらボタンを探すがなかなか見つからなかった。ハンドルの右側ばかり探していたら、左のギアセレクターの前にあった。「なんちゅう所にスタートボタン付けとんねん、普通エンジンキーがあった場所に付けるんちゃうんか!」憤怒しながら次はETCカードの差し込み口を探す。「え〜、どこやねん、あらへんわ」必死で探すが見つからない。「お店のお姉さんに聞いこようか」と思った時、右手の暗やみで何かが手に触った。「もしかしてここ?」運転席の暗いところに何の表示もないスリットが空いていた。「こんなん分かるわけないやん!」次はギアを入れないといけない。変なシフトが付いているがこれまた使いにくい。「ニッサンの人間工学はどうなってるねん、アカンわ!」そらニッサンが低迷するのもうなづける。何とかスタートしたが今度は車内のバックミラーに問題が生じた。ノートeパワーのミラーはバックミラーが鏡ではなく映像が映るタイプだった。老眼の僕は顔から30センチぐらいの位置にあるモニターは見えないのだ。遠近両用のメガネをかけていたがそれは手元の下側を見る構造になっている。普通はそうなっている。だからミラーをメガネ越しに見ようと思うとアゴをぐいっと上げて天井を見ないとミラーは見えない。普通の鏡に切り替えようとしたがどうやらそんな仕掛けはないようだ。「ニッサン!アカンでミラー見えない!ちょっと考えて!」普通の鏡のミラーの方が視界も広く距離感覚もつかみやすいしいいのにね、値段も安くできるし。仕方がないのでそのまま走ることにした。青森空港は有料道路の中にあり空港から出ようと思うと有料道路を必ず通らねばならない。「なんか腑に落ちなんな、何で有料道路の中に空港があるねん」意味がわからないまま料金所でお金を支払った。220円という中途半端な料金設定も微妙だ。
Nov 13, 2024
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何とか伊丹空港の無事に発着ロビーに入る事ができた。青森行きの搭乗口は一番端っこの6番ゲートだった。端っこまでトコトコと歩いていくと6番ゲートの前の待合席は小さくてどの椅子も人が座っていた。「うーん、いっぱいやね」「なんか狭いし」「あっちの通路のとこにもベンチあったし、あっち行こか」「そうやね」ということで動く歩道のあるあたりまで戻ることにした。動く歩道は子供たちにとっては最高のアトラクションのようでどこかのガキが「きゃっきゃ」言って何度も乗っている。「まあ、人が少ないからええか」とベンチに座りながらボンヤリとその光景を眺めていた。しばらくして気がついた。「あれ、メールが来てるわ」メールを見てみると、ANAからの通知だった。「青森行きの搭乗口変更やて、8番ゲートに変わったみたいで」「えっホンマ」「ヤバいな、僕らの事やから、ぼーっとしてたら乗り遅れるわ」僕らは夜行バスに乗り遅れた実績があった。すぐに移動するとまだ人はまばらだった。ベンチに座って出発時間を待っていると今度は「機材の都合により出発が20分遅れます」とアナウンスがあった。サヨコさんが「えーっ、縄文の山内丸山遺跡行こうと思ってたのに閉まってしまうやん」「しゃーないな、別の日に行こ」「そうやね、その方がゆっくり見られるし」「うん」20分遅れで搭乗するとすぐに出発となった。今回の飛行機ハビラントはプロペラ機とはいえ双発のターボプロップエンジンを搭載し700キロという驚異的なスピードで巡航できるという。騒音も特殊な装置により抑えられていてジェット機より静かだ。ジェット機より低い7000メートルあたりまでしか上昇しないので地上の様子がよく見える。僕は窓際に座りたかったがレディファーストでサヨコさんに窓際席を譲ってあげた。サヨコさんはスマホでしきりに動画や写真を撮っていた。旅行の先々でラインによるリアルタイムで家族へ報告をするのがサヨコさんの旅のスタイルなのだ。天候も良くてほとんど揺れることもなく快適な1時間40分で青森空港へ到着した。結局25分遅れての到着となった。
Nov 12, 2024
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展望テラスで昼食をすませ、搭乗手続きをしに下に降りることにした。 手荷物はもうすでに手荷物カウンターで預けていたので小さなリュックサック一つしか荷物はない。伊丹空港の手荷物カウンターは自動引受のマシーンがずらっと並んでいるのをご存じたろうか。今までカウンターで人間に預けていたのが、マシーンで自動に引き受けてくれるのだ。今回マシーンで荷物を預けようと列に並んで待っていたのだが、混雑していた。そして、マシーンの横の人間がいるカウンターから「こちらへどうぞ」と僕に声がかかり「何だろう」と思って近づいていくと「こちらでお引き受けします」という。「なんじゃい、人間でできるのかい」と突っこみは心の中に押さえて、荷物を預けるとあっという間に手続きは終わった。荷物を預け、列から離れると相棒のサヨコさんは、まだ、マシーンと格闘していた。サヨコさんもマシーン受付が終わりこちらに近づいてくると「どうしたん、荷物、預けたん?」と言う、「そうやねん、待ってたらお姉さんがカウンターでやってくれはってん」「なんや、そっちの方が早いやん、最初からゆうてほしいな」と、何か腑に落ちない様子だった。 飛行機に乗るときに一番緊張するのが、危険物の持ち込みチェックだ。べつに悪いことをしているわけでもないのに何故か犯罪者の心理のようになってしまう。最近では、タブレットやパソコンを別のトレーに出すよう指示されている。「タブレット出しておくの忘れたらどうしよう」とか思いながら、慌てていないふりをして作業する。以前はベルトまで外してトレーに載せていたが、一度ベルトを外すのを忘れてそのまま金属探知機をくぐったが、なんともなかったので、以後、国内線では身に着けたままゲートを通っている。センサーにひっかかったことは一度もない。「思いっきり、金属なんだがなぁ」と、これまた腑に落ちない僕であった。 僕の荷物はすんなり出てきたが、サヨコさんの荷物がなかなか出てこないようだった。「どうしたん?なんか変なもの入れてたんと違う?」「そんなことないと思うんやけど」と言っていると、サヨコさんの荷物は、ベルトコンベアの分かれ道で、向こう側に行ってしまっていた。「なんで、向こうに行くんやろ」と二人して疑問に思ったが、係の人から何の話もなく、これまた腑に落ちないの連続であった。
Nov 8, 2024
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今回は青森県に行ってきました。旅のお供は妻のサヨコさんです。 前回秋田に行った時と同様ANAの格安便で行くことにしました。早割を使っていくので片道1万1千円ほどで大阪の伊丹から青森空港まで行けます。フライト時間は予定では1時間40分ということでした。伊丹を14時10分に飛び立ち青森空港到着時刻は15時50分の予定です。 伊丹空港のレストラン街は昼前ということで何処も混雑していた。 「どうするお昼ごはん?ここのピザ屋さんもおいしそうやで」「どこでもいいよ」「ハンバーガーもあるな、おいしそうやな、いくらやろかな」値段を見ると「1980円!高っ!」「いつもの、ローソンでええよ」「そうしよか」 ということで、僕は、ローソンのてりやきバーガー(税込み192円)、サヨコさんはおにぎり3個を購入した。おにぎり3個買ったらお茶500ccが無料でもらえた。どんだけ安いねん。ちゅうか、僕らは貧乏人が染みついてるのです。 いつものように屋上の展望テラスで食べることにした。 青森に着いたらレンタカーを借りる予定だったので、アルコールは飲めないのが残念だったが、てりやきバーガーは、ジャンクなうまさだった。飛行機が離着陸するのを眺めながら食べる昼食は、充分気持ちがよくまんぞくのいくものだった。 今回青森まで乗る飛行機は、この前秋田県に行った時と同じ型のプロペラ機だ。ハビランド・カナダ製の飛行機で74人乗りだ。ボンバルディア系の飛行機で、プロペラ機とはいえ、巡航速度は650キロだ。えらく速いのである。ターボプロップエンジンは、ジェット機とプロペラ機のあいの子みたいなエンジンだ。また、機体から音波を出し、機内に入るプロペラによる騒音や振動を小さくする装置がついており、ジェット機よりも騒音値が低いという。前回もエンジンの真横の席だったが、エンジン音は全くうるさくなく、ジェット機より静かだった。飛行する高度もジェット機より3000メートルほど低い7000メートルぐたらいのところを飛行するので、晴れた日には、地上の様子が手に取るように見えるのも良い。
Nov 7, 2024
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いよいよ僕たちの鹿児島旅行の旅も終盤に近づいてきた。山形屋で焼きそばをたらふく食べた後は鹿児島の名勝「仙厳園」に行こうということになった。仙厳園は鹿児島の島津光久が1658年に作ったと言われる美しい庭園があるという。僕たちはまた天文館通りに戻り鹿児島市営バスの「鹿児島シティビュー」という市内を回覧するバスに乗ることにした。シティビューは観光名所を順番に回ってくれている巡回バスで、我々が持っているキュートという乗り放題きっぷで乗れるということだった。シティビューを持っていたが、まあまあ夕方になってきて「いよいよ旅も終わりだな」という気配が漂ってきた。天文館通りにやってきた鹿児島シティビューというバスは結構混雑していた。鹿児島市内から少し離れた桜島を見渡せる場所に仙厳園はありました。しかし、入場料が1000円という高額だったので少し躊躇したが、ここまで来たので隊長と相談し入ることにした。閉園時間が近づいていたが、せっかくここまで来たんで入ることにした。庭園以外に、屋敷に入るには別料金がかかるということでしたが、時間がないのでそちらの方はやめました。隊長がすかさず窓口のお姉さんに質問していた。「このフリーきっぷの特典で何かあると聞いていたんですが、何ですか?割引とかしてもらえるんでしょうか?」窓口のお姉さんは淡々と答えました「こちらの、絵葉書が、特典となります」「ああ、そうですか。ありがとうございます」ということで受け取って中に入りました。仙厳園は本当に立派な庭園で太陽炉の跡までありました。少し小高い庭園からは桜島が見事に見えていました。歴代の藩主と、また西郷さんたちが訪れていたと思うと感慨深いものがありました。あまりにも暑いので少し辟易しましたが、庭園内にはミストの噴射とかもあり、なんとか過ごせました。土産物屋のコーナーに行くと数々の芋焼酎が売られていました。売り場のお姉さんは「どうぞ試飲をしていってください」と言って焼酎を勧めてくれましたが、僕は「いや〜僕買わないと思うんですけどいいですか荷物が重たくなるんで」と言いましたが「いいですよ。どうぞお試しください」と快く試飲をさせてくました。鹿児島の芋焼酎は上品で芳醇でとっても美味しかった。あと 15 分時時間があれば郵送で買ったと思います。ごめんなさいね。お姉さんそう、こうしてるまに閉園時間が近づいてきたので慌てて仙厳園の、出口へ向かった。もう少し時間が欲しかったな。仙厳園を出た出たところのバス停ではシティビューを待つ、お客さんが列をなして待ってました。そのうちの半分以上は外国人でした。バスの到着時刻にギリギリだったので、すぐにバスは来ました。僕と隊長は一番後ろの席に座ることができました。途中からヨーロッパ系の外国人が乗ってきて、僕らの目の前に立っていました。色白の可愛い兄弟とごつい感じのお父さんとお母さんでした。兄弟の弟は少し疲れているようでぐずっていましたが、この一家はビーチで下車していきました。外国で家族で旅行するのはは大変ですよね。これで今回の鹿児島旅行は終わりです。鹿児島空港へ向かい飛行機を待つことになります。空港では西郷さんが僕たちを迎えてくれます。僕たちは無事にこれで関西へ帰ることができたのですがなんと!翌日大きな地震が宮崎と鹿児島に発生し、飛行場は大混乱になったと言います。タッチの差で無事に帰れたことは本当にラッキーだたと思います。今回の旅行も隊長の協力があり、本当に助かりました。ありがとうございます。これからも老年坂をともに登りながら、いろんなところへ旅行しましょう。よろしくお願いします。終わり
Nov 4, 2024
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「山形屋デパートの最上階にあるレストランに鹿児島県民が絶賛するソウルフードがあるみたいなんだけど行ってみる?」と隊長が言ってきた。僕らはそのソウルフードを求めて、また路面電車に乗り込んだ。僕たちは「いづろ通」という駅で下車し山形屋デパートを目指した。鹿児島市内には天文館通りを中心とした。アーケード街が縦横無尽に広がっており、山形屋デパートの近くにもアーケードが広がっていた。アーケード街というのはなぜかワクワクするよね。何でだろうね。山形屋デパートの建物は少しレトロな感じの建築で見るからに老舗という感じだ。中に入ると結構な人で、僕らはエスカレーターで最上階を目指した。山形屋デパートは増築増築でやってきたのか1号館、2号館、3号館と準々奥に立っており、なかなか複雑な構造だ。そこら辺のベンチにはマダムのようなおばさま方が楽しそうに話をしている姿があちこち見られた。最上階のレストランは結構な広さがあり、多くの人で賑わっていた。けれども待ち時間なくすぐ席に案内された。隊長の言う、鹿児島県民のソウルフードというのは、どうやら皿うどんのような焼きそば(880円)だった。焼きそばといってもどう見ても油で揚げたパリパリ麺の皿うどんだった。周りのテーブルを見ると、やはりマダム風の奥様方が多数見られ、そのソウルフードと言われる焼きそばを召し上がっていられる方が多かった。その焼きそばはレギュラーサイズでもめちゃめちゃ大きくて、あんなおばさんたちが食べきれるのかというぐらいの量であった。オバサン(マダムか)が食べている焼きそばの量を見てビビった僕は焼きそば(小)というのがあるのを発見し、それを注文することにした。隊長はレギュラーサイズだ。ビールも注文して焼きそばが出てくるのを待った。昼間からビールを飲めるのも鉄道旅ならではだ。隣のテーブルでは家族連れが楽しそうに昼食を食べていた。4人家族で中学生ぐらいの男の子と、小学生の高学年ぐらいの女の子がいる。お母さんはラーメンを食べていたが、足らなかったようで焼きそばを追加で食べ始めている。鹿児島のオナゴはすごい食欲だ。更にデザートのパフェまで後で追加していたから恐るべし。僕らはビールで乾杯し、運んてこられた焼きそばを食べ始めていた。隊長のレギュラーサイズの皿うどんは結構なボリュームだ。僕は小にして正解だった。ビールものんでいたので充分満足できる量だった。ちなみに、山形屋は「やまかたや」と読むようですね。これで(小)です
Nov 2, 2024
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