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よく会合で、「信心根本で頑張ろう」という話しをよく聞きます。しかし、「信心根本とは何か」という話しはあまり聞くことはありません。一応「拝んで」「動いている」ことが信心根本だと思っている人が多い。その割りに「結果」がでていないことがあります。
池田先生はこういわれました。
「信心というものは分かったと思ったら増上慢なんだ」
よく戸田先生が言われたのは「御書が分かったといったら増上慢だ。分からないといったら謗法だ」と言われました。どちらも駄目なんです。
分かろうとしていく中に信心があると言われたのです。分かったと思ってはいけない。分かろう、分かろうとしていく中に信心があるということなのです。
会合にしても、分かったかどうかではない。どう感じたかです。「話しはよく分からないが、とにかく信心しなければ駄目だ。題目を上げなければ駄目だ」と感じたかです。
そういう面で、「会合」はあくまでも「発心」の場でなければならない。下手すると「発心」の場ではなくて「重荷」の場になってしまったりするのです。
-河合師範御書講義から-
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