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信心は、社会と人生の荒波を乗り越えるための羅針盤です。
濁世を生きるのであればなおさらのこと、悪縁に紛動されるのではなく、信心を自身の生命と生活の中心軸に据えていくことが肝要となります。
大聖人は、「いよいよ強盛に御志あるべし」と仰せです。信心があれば、いかなる逆風もはね返すことができる。だからこそ、一層、強盛な信心に立つことが勝利への究極の源泉となるのです。
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「いよいよ強盛」の信心があれば、「色まさり利生もある」とあるように、心身にますます力と輝きが増し、功徳もますます明瞭に現れてくるのです。
いよいよ強盛の信心を重ねることによって、私たちの生命に、金剛不壊の仏界の生命が顕現するからです。
信心の志を重ねることによって、無常のわが生命が何ものにも崩れざる常楽我浄の永遠の宝によって荘厳されるのです。その大境涯を確立するために、志を重ねることが重要となるのです。「志をかさぬれば」とは、信心の持続です。すなわち、何があってもたゆむことなく、むしろことあるごとに、いよいよ強盛の信心を奮い起こして、わが生命を錬磨していくことです。
同じ法華経への信心、同じ御本尊への信心でも、いよいよ強盛の信心を奮い起こすことによって、功徳はいやまして大きくなり、境涯がいやまして広く、豊かになる。
このことは、現実に皆さんが実感し、実証しているとおりです。
ゆえに御書では「いやましての信心」を強く奨励されている。
例えば、四条金吾に対して「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書 1143 頁)、「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(同 1192 頁)と仰せです。また、窪尼御前にも、「いよいよ御信用のまさらせ給う事」(同 1478 頁)、上野尼御前にも「いよいよ信心をいたさせ給へ」(同 1505 頁)と励まされています。
このように信心強盛な模範の門下にも、大聖人は「いよいよ」と仰せです。言い換えれば、「いよいよ」の姿勢こそ、信心の極意であり、根幹の要諦となるということです。
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