浅きを去って深きに就く

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May 5, 2018
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カテゴリ: 御書講義
大聖人の仏法は、“自分の中に偉大なる仏の生命がある”と、自覚するところから出発します。

ゆえに、私たちの祈りとは、何かに助けてもらうというような、“おすがり信仰”ではありません。どこまでも自分自身の可能性を信じ抜く戦いです。自らの生命に具わる仏界の生命を涌現していくのです。その「月月・日日」(1190頁)の勝負なのです。

大聖人は、「己心の外」に法を求めるならば、どんなに題目を唱えていても成仏は叶わず、むしろ無量の苦行になってしまうとまで仰せです。「己心の外」に法を求めるとは、自分の外に、幸・不幸の原因と結果を求めることです。“あの人が悪い”“条件が悪かった”といった、責任転嫁もそうでしょう。

“まさか”という試練に遭った時、信心への確信が揺らぎ、億したり、境遇を嘆いたり、人を恨んだりする不信もそうです。

たとえ、人生の途上で、自分の思い願った通りにならなくても、「負けじ魂」の人に決して悲観はありません。

戸田先生は、女子部の友に語られました。
「もったいなくも、御本仏と同じ生命を持っている自分自身に誇りを持ちなさい。気高い心で、人生を勝ちぬくことです。自分自身を卑しめていくことは、絶対にあってはならない」

“自分なんてだめだ”“自分には無理だ”など、さまざまな人生の落胆や感傷に流されず、悠々と乗り越えてゆけるのが日蓮仏法です。本来、尊極な自身の生命を矮小化させようとする「元品の無明」を決然と打ち破るのが、妙法の功力なのです。

いわば、唱題とは自分自身が仏であることを覆い隠す無明との闘争です。ゆえに真剣勝負です。唱題で不信をねじ伏せ、小さな自分の殻を打ち破ることです。題目こそ、悲哀さえも創造の源泉に変えゆく根源の力なのです。


【池田大作先生の講義「世界を照らす太陽の仏法」】大白蓮華2018年2月号





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Last updated  May 5, 2018 04:17:27 AM
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