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今こそ問われる「生死観」
米ハーバード大学名誉教授 ヌール・ヤーマン博士
池田先生と対談集『今日の世界 明日の文明』を編んだヤーマン博士は、長年、中東やアジアでフィールドワーク(現地調査)を行い、宗教と社会の関係性を研究してきた。「人生 100 時代」が到来した今、宗教が果たすべき役割は大きくなっていると、博士は指摘する。
私自身、すでに 100 年近く生きてきた身ですので、近年の「長寿化」には、強い関心を抱いています。人生をどう生きていくのか。これについては、さまざまな文化・宗教が独自の考え方をもっています。
仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、道教、儒教、ユダヤ教などの伝統宗教や、多様な古代文明を比較してみても、多くの教訓を得ることができます。
例えば、古代エジプトの生死観は、とても興味深いものです。エジプトからスーダンにかけての一帯には、数多くのピラミッドがあります。
古代エジプト人にとって、「生きる」とは、太陽や天に存在する神々に近づいていく、ということでした。そのためにピラミッドを建てたという説もあります。
ピラミッドの側面は三角形をしていますが、これは大地に降り注ぐ太陽の光線を表現しているものといわれます。人々は光線を歩いて渡り、太陽に至ることができると信じたのでしょう。
このように、人類は古来、「生きるとは何か」を探究した、数々の豊かな文化が存在します。
一方で、資本主義が主流となった現代社会では、多くの人々が、「生死」という人間の根本問題から目をそむけています。そこから、弱者に対して傲慢な心が生まれ、自己中心的な価値観、生き方が蔓延しているといっても過言ではありません。
「人生 100 年時代」の生き方を見つめるためには、こうした人生観に関わる思想・哲学の次元から考察を深めていくことが大事であると思います。
日本では「人生 100 時代」に対し、漠然とした不安を抱く人も多い。生活スタイルが多様化する中で、家族や地域コミュニティーのつながりが弱まり、孤独感を覚える人もいる。親日家でもある博士は、こうした日本の現状をどう分析しているのだろうか。
私の知る限り、日本ほど「組織化」された社会はありません。日本のように、組織的に徹底して生産性を求める社会にあっては、必然的に生産性の低い人々、特に高齢者の存在が〝社会問題〟になってしまいます。
どのように一人一人をケアしていくのか。人道的な支援環境をととのえていくかが、大きな課題となります。高齢者だけの話ではありません。病気の人、また安定した仕事を持たない人など、自立した生活が難しく、助けを必要としている人はたくさんいます。
生産性を強く求める社会では、こうした〝弱者〟の存在が、あらゆる不安を生み出す原因になってしまうのです。
ギリシャのことわざに、〝若き日は、父母の足にくっついて成長し、老いた日には、わが子の足にくっついて生きている〟とあります。
現代社会では、このような伝統的な家庭内の共助のサイクルも、すでに成り立っていません。現代社会は、人々を分断する性質を持っているのです。
「生産性の重視」が、社会不安や人間関係のひずみを生む原因なのだろうか。
現代生活の本質は、「生産性追求」よりも深い次元にあります。それは家族をベースとした生活とはまったく異なる、「資本主義」の生き方、価値観です。程度に差こそありますが、現代の人々は皆、資本主義が浸透した社会で生きています。
資本主義的生産が全ての中心になり、人々は、し烈な競争に追われている。家族と離ればなれになり、仕事のために、どこへでも行きます。カップルが一緒に暮らすことも、難しくなりました。日本も、その傾向が強い国の一つです。
また科学技術の発展が人々を分断する方向に向いていることも否めないでしょう。本来、人の手を借りて受けるような支援も、確信的な技術で補えるようになりました。いわば生きる上で他人に頼る必要性が、失われつつあるのです。
資本主義の社会は安全とはいえません。世界には今、多くの「恐れ」がまん延し、人々は不安を抱えて生きているように感じます。不安定な社会、自分自身の将来、経済の行く末を、絶えず恐れて生きているのです。
仕事がないまま放置されかねない。老いた時に、世話をしてくれる人がいないかもしれない。資本主義の社会は、本質的に孤独で困難な社会といえるでしょう。
現代とは、いかなる文明か。池田先生は、 1993 年にハーバード大学で講演し、現代は「死を忘れた文明」であると指摘した。当時、ヤーマン博士は、同講演の招へい元である文化人類学部の学部長を務めていた。
池田先生の鋭い考察は、当を得ています。現代社会は、誰もが最後は死を迎える、という事実を隠そうとしています。
アメリカのハリウッドに見られるような若者文化は、その顕著な例です。誰もが、まるで死が存在しないかのように振る舞っており、「人生に終わりがあることを忘れてしまえる」と思っているようです。
人々は若さを保つヘルスケアに夢中で、死は〝汚れたもの〟として捉えています。自分さえ幸せになればよしとし、自らの権利や利益ばかりを主張しています。
そこから、高齢者や病人、死者に対する「傲慢さ」が生まれます。結果、自分自身の生命だけを守ることに熱心で、他者の生命はどうなってもよい、といった人生観が常識になってしまうのです。
先ほど申し上げた通り、世界のさまざまな宗教では、常に「生死」が大きなテーマになってきました。
ブッダの覚りへの第一歩も「死」の探究です。現代社会の人生観は、ブッダが「生老病死」を直視し、経験したことを正反対の方向に向いていると言わざるを得ません。
個人としても、また社会としても、私たちは新しい未来を創造していくには、こうした思想の次元に光を当て、生死観を見つめ直していくことが急務です。
博士は、池田先生との対談集で、異なる背景を持つ人々が互いを理解し、共存するために大切なのが、「共感」である、と強調している。それは、生き方が多様化する「人生 100 年時代」にあって、ますます必要とされるものであろう。
長寿社会にあって一番大事なのは、未来を楽観視すること、そして他者に胸襟を開いて、思いやりの心をもって接すること、まさに「共感」の力です。
現代は生産性を高めようとするあまり、人間関係が機械化しています。一方で、情報交流が活発な時代であるからこそ、他者への共感や、差異を理解する知性が決定的に重要となります。
とりわけ「共感」は、人間性の最高の特質だと思います。それは、人と人の心通う交流の中でのみ、育むことができる。宗教の使命とは、さまざまな文化的・社会的背景を持った人々の〝交流の質〟を高め、人々を強く結んでいく点にあります。
私たちが、「生老病死」の問題を解決していく唯一の道は、苦悩する人々に対する「共感」と「思いやり」、そして「支援」以外にないのです。
同時代に生まれ合わせた、私たちの人生の尊さを自覚しつつ、まずは自分自身が、親切で、善良な人間に成長していくことが大切です。親切心や良心さは、身近な人々にも同じ精神を呼び起こしていきます。それは、池田先生が推進される平和運動そのものです。
創価学会は世界各地で対話運動を展開し、世代や文化を超え、さまざまな人が自身の悩みを語り、励まし合っている。「人生 100 年時代」における創価学会の社会的使命を、博士はどう考えているのだろうか。
創価学会の活動は重大な意義をもっています。現代社会の進むべき道票を示しているといってよい。世界には「宗教」という言葉に対し、紙屋目が見、悪魔、儀礼などを思い浮かべる人も数多くいます。ですが創価学会が成し遂げてきたのは、そうした既成の概念を破り、仏教哲学から人間主義のメッセ―ジを抽出し、全世界に発信したことです。
創価学会の思想は今、世界のどの地でも受け入れられています。地域社会に根差し、お互いを励まして進む学会の運動は、まさに「個人」と「社会」が最も必要とする支援です。
宗教には二つの役割があります。一つは「アイデンティティー(自己同一性)の強化」。これは人々を分断する働きとなる場合もあります。もう一つの役割は、「善良な人間をつくる」こと。この点、特に仏教には素晴らしい伝統があります。
池田先生は、この宗教の持つ役割、そして仏教の最善の側面をさらに高めて、普遍的な人間主義の思想を広められています。仏教史上、初めての偉業です。
創価学会の皆さんは、自分自身がより良き人間に成長していくことで、縁する人々、そして社会をも改善できるということを証明されています。これは人類に対する最大の貢献の一つでしょう。
「人生 100 年時代」においても、そうかがっかいのみなさんが「きょうかん」のちからをおおきくは開花させ、多様な人間同士の信頼関係を築いていってほしいと念願しています。
【ライフウォッチ LIFE WATCH 「人生 100 年時代の幸福論」】聖教新聞 2020.2.1
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