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魔界入り難し
日本近代文学研究者 上田 正行
川端文学を説く難問の一つにドッベルゲンガー(分身)がある。駒子と葉子(「雪国」)、千重子と苗子(「古都」)のように。これと連動するような難問が「仏界入り易く魔界入り難し」である。
川端康成の愛読者ならば、すぐに気づくであろうが一般にはノーベル文学賞受賞記念の講演、「美しい日本の私」で披露された言葉である。(昭和 43 年 12 月)。川端は一休禅師の言葉として引用しているが、一休の研究家・柳田聖山氏の言によれば、一休没後の言葉のようである。
川端は講演で一休の書を二幅所持しており、その一つが「佛界 易入 魔界 難入 」であると言う。真筆ならば一休その人の言葉となり、没後の言葉ならば、偽筆ということになる。真贋は一先ず置くとしても、この言葉のリアリティは矢張り、凄いと言わざるを得ない。
一般には魔界は入り易く仏界は入り難しのはずであるが、その逆である所が如何にも禅家の言らしい。渤海が入り易ければだれも苦労はしないし、魔界など見たくもないというのが一般の人の気持ちであろう。
しかし、川端は敢えてこの一休の提唱にすがろうとする。余程、気に入ったのか、書でもその独特な書体でこの八文字を書いている。その痩躯に似合わない骨太な字である。
この提唱を作品化したものの一つに「みずうみ」(昭和 29 年)がある。桃井銀平という名前も凄いが女子生徒久子や町枝に執着する妄念も尋常ではない。川端の読者が離れていったというのも頷ける。母の里の湖、父が変死した湖に深い謎があるのであろうが、銀平には癒されることのない深い心の傷、悲しみがあることも理解できる。
魔界即仏界と「往生要集」は言うが、究極の禅の悟りでは「佛界易入魔界難入」も同じことかもしれない。後者の公案が解ければ、一視同仁、仏界、魔界の差別はないはずである。
【言葉の遠近法】公明新聞 2020.11.11
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