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ファシズムに抗い、生き抜く
作家 村上 政彦
ナタリア・ギンズブルグ「ある家族の会話」
本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。青相手きょうは、ナタリア・ギンズブルグの「ある家族の会話」です。
ナタリア・ギングズブルグ(1916~91年)は、イタリアのパレルモに生まれた作家です。父のジュゼッペ・レーヴィはトリノ大学の医学部教授で、彼女は裕福な家庭に育ちました。
家には住み込みのお手伝いさんがいて「学校に行くといろいろな黴菌をうつされる」という父の考えで、小学校の勉強は母から教わったそうです。ナタリアのうえには3人の兄がいたのですが、彼らも同じ理由で家庭教師をつけられました。
本作は、この家族を中心として、時代の変遷を描いた自伝的な小説です。
父が高い評価を与えたのは「社会主義と英国、ゾラの小説とロックフェラー財団と山とアオスタ渓谷のガイドたち」。母が好きなものは「社会主義とヴェレーヌの詩と音楽」。
家族には、他人には通じない言葉がいくつもあって、それを分かることがレーヴィ家の一因である証です。
例えば父は、ばかな人物を「愚かなもの」、不作法で礼儀を知らない人物は「ロバ」、妻の友達を「ぺちゃくちゃ」、妻や子どもたちが熱中するものを皮肉まじりに「新星」などと呼ぶ。母は、憂鬱や孤独が一緒になって胃が変調をきたすのを「コールタールの気分」と言う。
物語は、レーヴィ家の日常を巡って語られるのですが、途中からイタリアの現代史が介入してくる。父はファシズムを忌み嫌っていて、ムッソリーニは「愚かもの」の範疇にすら入らない。
ナタリアの兄マリオ(次男)は、反ファシスト運動をやっていて官憲に見つかり、スイスへ亡命する。ジーノ(長男)の親友レオーネ・ギングズブルグとアルベルト(三男)は政治犯として捕らわれた。
父のジュゼッペは、そんな息子たちを誇りに思います。やがて、自身も刑務所に収監されるのですが、ぼろぼろの姿で帰宅したときには、大いに満足していました。
ナタリアはレオーネと結婚。イタリアにも人種差別運動が起こり、父は大学教授の職を追われ、招聘されたベルギーの研究所へ夫婦で移った。ジュゼッペはユダヤ系イタリア人だったのです。そして、とうとうナチスが侵攻してくる――。
本作は、イタリアの一家族の肖像と現代史を自然に融合させるとともに、暗い時代に抗いながら、精いっぱい生きてみせる人々の姿を描いています。
翻訳は須賀敦子。ナタリアは「日本語みたいに、まったく違うことばに訳せるのかしら」と案じたらしいのですが、彼女が日本語を読めたら、大いに喜んだことでしょう。訳文は、読んでいて気持ちのいい、極めて流露感のある日本語の文章になっています。
[参考文献]
『ある家族の会話』 須賀敦子訳 白水 U ブックス
【ぶら~り文学の旅⓬】聖教新聞 2022.10.26
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