2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
全9件 (9件中 1-9件目)
1
こんにちは、皆さん。就活の痛手から立ち直りつありますkatufire119です。そう…。いつまでも下ばかり向いているわけにはいきません!今日は、市民防災アドバイザーとしての仕事をしてきました。沖縄に八重瀬町という町があります。そこの港川という地区で災害時要援護者の避難訓練を通して、地域の支え合いに向けて取り組むことになり、八重瀬町の社協さんから依頼を受けて、防災講演会をしてきました。演題は「津波とその避難」海沿いにあるこの地域、津波被害が気になる地域です。なぜ社協さんが?って思う方もいらっしゃると思いますが…。今の防災の問題は『福祉の問題』でもあるんです。災害の時に一番被害を受けやすい人たちのことを「災害時要援護者」と言います。災害時要援護者としては、高齢者・障がい者・病人・子供・妊産婦・外国人・観光客などの人たちが当たります。災害時においてこれらの人たちもみんなと一緒に助けていくのが、今の防災の課題にもなっています。そして、この地域もご多分に漏れず高齢化率が高くなっていて、災害時要援護者が多くなっています。そこで地域の人たちでお年寄りなどを支えていこうということになるのです。取り組みは始まったばかりです。これからも関わっていきたいと思っています。それでは。
2008年01月30日
コメント(2)
こんにちは、皆さん。この前の日記の続きなんですけれど。どうやら面接落ちたようです。レスなどで応援して下さった皆さん。ご期待に添えなくて申し訳ないです。もう当分は就職祝いはないと思います。面接の方に「一週間預からせて下さいね」と言われた時に気付いていれば、こんなに落胆しないで済んだのになぁと、38歳にもなっても思慮のない自分の考えの浅はかさにほとほと困ったものです。やっぱり結果的には単なる夢見心地に終わりました。何だか宝くじの抽選を見て、改めて「はずれだったんだよなぁ」と確認するように、今日の午後5時まで、時計と電話と携帯電話を交互に見つめていました。やっぱりダメなんでしょうね。まともな仕事って。まともな給料ももらえないような自分、年齢も年齢だし身の振り方をそろそろ真剣に考えないといけないみたいです。何とも憂鬱な夕暮れ時です。それでは。
2008年01月29日
コメント(2)
こんにちは、皆さん。久しぶりに糸満市のホームページに立ち寄りました。そうしたら、うれしいことに防災のページがとても充実していました。それと、市民生活課のページの「新着情報」のページにFMたまんのことが載っていた。ここに書いたことがあっただろうか…。以前、FMたまんでパーソナリティーをやっていた事がありまして。沖縄初(多分、開始当時は全国にも枠を取ってしなかったと思う)の防災情報番組をやっていました。防災・消防・応急手当、いろいろな情報を発信していた。どこかで災害が起こったら、その内容を新聞記事から拾って解説を加えたり、心肺蘇生法のラジオ講習とか、糸満市地域防災計画の解説のコーナーとか、2000年(Y2K)問題への備えなんてのもやった…楽しかったなぁ。あの頃はあんまり日の目を見ない内容だったけど、今の時代がやっと追いついてきた感じがします。糸満市は海に面している地域が多いから、津波の襲来が結構課題だった。津波避難ビルという考え方は、自分の番組でも少し紹介したけど、他府県で始まったばかりの制度でなかなか難しいだろうなと思ってたけど、曲がりなりにも西崎地域を中心に指定が始まっている。まだまだ指定が必要だと思います。なにせ地域が広い、西崎は…。だから、3階建て以上の建物があるビルについては一棟でも多く指定に加わって下さい。以前から糸満市の防災対策について見つめて、声を上げていた身からすると、糸満市の防災対策が前に進んでいるのを、ホームページで拝見して感慨深いものを感じるんです。自分がしてきたことがそのことの礎になっているなら光栄だし、違っていても自分の中ではやってよかったと思えるものが心に残っているから。それでは。
2008年01月25日
コメント(0)
こんにちは、皆さん。今日は新しい勤めを始めるための面接に行ってきました。結果はと言えば…。いわゆる『好感触』でした♪まだ採用にもなっていない段階なので、細かいこと(=大きなこと)は言えないのですがもし採用になったら、自分自身ステップアップできるいいチャンスになりそうです。いやいや…まだ採用された訳ではない。自分では落ち着け落ち着くんだと思っても、久しぶりに感じる「面接の手応え」に心が躍るのを止めることはできなかった。あまりに嬉しいので、早く話したかった。うちの人に。うちの人に話すときっと喜んでくれるそう思ったら…違った。予想(いや、期待)を裏切って、素っ気ない返事。あげくには「そんなのあんたに勤まるの?」と言い放つ始末。情けない人である…少し心が折れてしまった。これを私の息子やその友達のセリフ調に言えば「でーじ しける」と言うのである…。曲がりなりにも自分で選んで一緒になった人なのに、何でこうも言われないといかんのだ…。そう思わざるを得ない。情けない…。まぁ…もともとの「ヒジュルー(心の冷たい人の意)」なので、一種の性格なんだろうけど。はぁ…。取りあえず、採用か否かは一週間後にお知らせいただけるとのこと。気にしないでいよう…そうだ、その方がいい。そう言い聞かせて、一週間後の吉報を待つことにします。受かるといいけどなぁ…。早く仕事がしたい。それでは。
2008年01月21日
コメント(8)
こんにちは、皆さん。今日は朝から「国場地区小規模避難訓練」が行われました。近くの河川が氾濫して水害が起こったため、その国場地区に避難指示が出て一斉に住民が公民館に避難をするという想定のもとで行われました。避難にはもちろん徒歩で避難できる方もいれば、避難に介助の必要な方もいます。歩ける人は歩いて避難して、そうでない方は近所の方や民生委員さんなどの支援してくれる方と一緒に避難をするという形が取られました。もちろん自治会に全ての住民が加入しているわけではないので、参加者はそれなりの数になりましたが、こういったことを地域において、机上ではなく実際に動いて行うことの意義はかなりあったと思っています。一番よかったのは、きちんと打ち合わせ通り、事故無く実施できたこと。他によかったこととして…災害時の避難行動と言うのが、地域の人の頭の片隅にでもイメージさせることができたこと。自治会の人がきちんといざという時の体制を確認できたこと。逆にここは考えないとというところは…避難をするにあたって、持ってきたものにかなりのばらつきが見られたこと。(財布とハンカチしか持っていない方から、お手製の非常持ち出し袋を作った方もいた)若い人の参加がやっぱりすくなかったことなどなどかな…。いずれにしろ、これが足がかりとなって、地域ごとにこれからは防災訓練をすることが広がっていけばなぁと心から思う次第です。市町村や都道府県が行う防災訓練って、どうしても関係機関総動員でやる大がかりなのばかりだった。こんなんじゃ住民一人一人の中でイメージ出来ないのではないかと前から思ってた。だからこその意味がある訓練だと思います。やっぱり防災訓練っていうのは「小規模」だからこそいいのです。地域防災がこれからもどんどん進んでいくことを願ってやみません。それから、防災と福祉はつながっているってこと。地域における「助け合い・支え合い」を「災害時」はもちろん「普段の時」も続けて欲しい。これをきっかけにして、さらに大きく地域の中で大切に育てていって欲しい。いざという時にみんなが支え合って助けていく地域防災の充実。その夢をまだまだ追い続けていたいです。それでは。
2008年01月20日
コメント(0)
こんにちは、皆さん。日付は変わってしまったけれど、1月17日がまたやってきました。阪神淡路大震災から13年の月日が流れました。この13年の間に変わったことと言えば防災への行政の取り組みがよい方向にやっと変わったこと。防災という言葉が特別な感じで無くなってきたこと。変わらないこともある。というより、人間の心理(真理?)なのかも知れない。それは「自分は大丈夫だろうという安易な気持ち」 です。残念ながら…。13年前にあれだけみんなの心を揺るがした「阪神淡路大震災」なのに。何でみんなはこのことを『明日は我が身』と考えないのだろうか?沖縄ってところは地震が起きたら、一番救援しにくいところなのに…。沖縄本島の陸でなくても、沖縄近海で海底地震が起こったら津波だって起きるはずだし。琉球海溝という陸の裂け目があって、ちょっとはプレートっていう地盤が裂け目に向かって食い込んでいってる。将来、地震だって起こりうる。今から官学合同で調べてみようって話もある。沖縄県内で起こっている地震は、体に感じないものも含めて昨年約7000回の地震(体に感じる地震が40回)その地震のほとんどは海の底で起こってるんです。とにかく沖縄でも地震は起きるんだということ。13年前に神戸などで起こった大きな震災のことを絶対に忘れないこと。そのようなことが自分の身のまわりに起こった時にどうするのか?どうするべきか考えること。犠牲になった6434人の尊い命を無駄にしないために、自分たちの災害への備えに生かすこと。そんなことが必要ではないかと、やっぱり思う。もしかして…沖縄戦がそうであるように、このことも記憶の片隅に追いやられていくのだろうか?今日も、今年も『阪神淡路大震災・あの日を忘れない』そう心に誓う私でした。それでは。
2008年01月17日
コメント(0)
こんにちは、皆さん。今朝のニュースで一番ビックリしたのは、浜崎あゆみさんの報道でした。浜崎あゆみさん左耳が悪化 内耳障害で聞こえにくい (共同通信)何でも、左耳が聞こえなくなっているとか…。それで思い出したことがあります。私が大学に通っている時のころ。私の大学時代、所属したサークルに、片耳だけ聞こえる女の子(後輩)がいました。今にして思えば、たぶん本人はかなり大変な思いをしていたんじゃないかと思うけど日常生活は何でも片耳で聞いていたし、彼女の障がいが目に見えるもので無かったので私達は少し気を付ける程度で、接し方について特別なことはしてなかったように思う。少し気を付けること。それは彼女の聞こえる耳の側に立って話をすること。それだけ。世の中には、たぶん片耳だけ聞こえる人がたくさんいるんだろうなと思う。浜崎あゆみさんには、これからも歌い続けて欲しい。そして、片耳だけ聞こえる人たちの励みになって欲しいなと思う。本当は障がいは特別なことなんかじゃなくて世の中のそのへんにゴロゴロあるもんだから私達が少し気を付けて、いろいろなことを自分が出来る範囲でしていくことが今、一番求められているんじゃないかと思う。ただでも、今の人って自分だけ大好きで、他の人なんか「そんなの関係ねぇ」になってしまいがちで「他人事」の世の中になってしまってる人が多すぎる。なぜ、相手のことを考えようとしない?なぜ、歩みの遅い人にあわせようとしない?障がいをもつことはマイナスなんかじゃない。本当にマイナスなのは、障がいをもつことがマイナスになる社会の有り様じゃないの?そういうことが分からずに、お金がないからと切り捨てようとする人たちこそ、本当のマイナス人間なんだと思う。すみません、熱くなりすぎた。今に始まったことじゃないけどね。それでは。
2008年01月07日
コメント(2)
こんにちは、皆さん。今朝のニュースで一番ビックリしたのは、浜崎あゆみさんの報道でした。浜崎あゆみさん左耳が悪化 内耳障害で聞こえにくい (共同通信)何でも、左耳が聞こえなくなっているとか…。それで思い出したことがあります。私が大学に通っている時のころ。私の大学時代、所属したサークルに、片耳だけ聞こえる女の子(後輩)がいました。今にして思えば、たぶん本人はかなり大変な思いをしていたんじゃないかと思うけど日常生活は何でも片耳で聞いていたし、彼女の障がいが目に見えるもので無かったので私達は少し気を付ける程度で、接し方について特別なことはしてなかったように思う。少し気を付けること。それは彼女の聞こえる耳の側に立って話をすること。それだけ。世の中には、たぶん片耳だけ聞こえる人がたくさんいるんだろうなと思う。浜崎あゆみさんには、これからも歌い続けて欲しい。そして、片耳だけ聞こえる人たちの励みになって欲しいなと思う。本当は障がいは特別なことなんかじゃなくて世の中のそのへんにゴロゴロあるもんだから私達が少し気を付けて、いろいろなことを自分が出来る範囲でしていくことが今、一番求められているんじゃないかと思う。ただでも、今の人って自分だけ大好きで、他の人なんか「そんなの関係ねぇ」になってしまいがちで「他人事」の世の中になってしまってる人が多すぎる。なぜ、相手のことを考えようとしない?なぜ、歩みの遅い人にあわせようとしない?障がいをもつことはマイナスなんかじゃない。本当にマイナスなのは、障がいをもつことがマイナスになる社会の有り様じゃないの?そういうことが分からずに、お金がないからと切り捨てようとする人たちこそ、本当のマイナス人間なんだと思う。すみません、熱くなりすぎた。今に始まったことじゃないけどね。それでは。
2008年01月07日
コメント(0)
お久しぶりです、皆さん。明けましておめでとうございます。何がどうしたのか変わらないまま、長い間日記の更新画面に行けませんでした。今日、アクセスしたら入ることができました。今までのことは、何だったのだろうか?今まで書きたいことが山ほどあったのに…。こんな時に限って何も書けなかった。思い出してみて、心に引っかかっているものから埋めていきますね。それでは。まずはご報告までに。
2008年01月06日
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1