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先日、街に出て本屋巡りをして二冊の本を買ってきた。『真実の終わり』(岡崎玲子訳、集英社、2019年)は、ピュリッツアー賞を受賞したアメリカの文芸評論家ミチコ・カクタニの著書で、もっぱらトランプを批判した内容の評論の書である。もう一冊は、社会学のビッグ・ネームであるジグムント・バウマンの『自分とは違った人たちどう向き合うか』(伊藤茂訳、青土社、2017年)で、移民や難民問題を扱っている。バウマンの晩年の本は、やや啓蒙的になっていくぶん読み応えが少なくなっているように思うが、バウマンはバウマンなので読んでみるしかないのである。 ミチコ・カクタニの本から読み始めた(まだ半分ほどしか読んでいない)のだが、読み進めているとどんどん不愉快になるのである。本が悪いのではない。取り上げられているトランプの言動が不愉快になるのである。たとえば、こんな記述がある。 トランプの虚言癖はあまりに極端であるため、報道各社が事実関係を調べる校閲をチーム単位で雇うだけでなく、彼が発した噓や侮辱、違反した規範の長いリストを作成するという手段に訴えるほどである。さらに彼の恥知らずさは、周りの政治家をも大胆にし、かつてない厚かましさで嘘がつかれるようになっている。 (中略) トランプの言語に対する襲撃は嘘の奔流にとどまらない。彼は法の支配にとって本質的な言葉や原則を奪い取り、個人的な動機や政治的な党派心で汚した。彼は民主主義とその理想を表す言語を独裁主義のそれにすり替えてしまったのだ。米国憲法ではなくトランプ自身に対する忠誠を要求し、米国の人々の利益にとって何が最善かについて彼らがどう考えるかにかかわらず、議員や裁判官が自分の政策や願望を支持するものだと思っている。 (pp.77-78)「トランプ」を「安倍晋三」と読み替えてもそのまま文意が貫徹する。国会開催中の安倍の言動が「嘘の奔流」そのままであり、官僚ばかりではなく検事や裁判官が「自分の政策や願望を支持するものだと思っている」どころか彼らを支配するための人事を強行している。 トランプのことを読みながらどんどん憂鬱になるのだが、憤りを通り越して脱力感のような、絶望感のような感情が入り混じってくるのが耐え難い。ファシズムやナチズムとの類似性を安倍政権の挙動に見る論評が多くみられるが、トランプについてもまったく同じような評価がなされている。 トランプとムッソリーニの台頭との問に類似点を見出している二ューヨーク大学の歴史とイタリア研究の学者であるルース・ベン=ギャット教授は、独裁主義者は決まって「民衆、メディア、政治階級の許容範囲」を試すものであり、トランプの扇動的なツイートや発言は「彼がどれほどやり逃れ得るのか、米国人と共和党が『もうたくさんだ』と言う時点が果たしてあるのかを確かめる」取り組みになると主張している。 イタリアの学者ウンベルト・エーコによる、ムッソリーニと「原ファシズム」をめぐる一九九五年のエッセィもまた、回顧的に読んだ場合、トランプの言葉遣いや権威主義的な表現を説明するのに役立つ。ファシズムに内在するとエーコが記述した特徴の多くが、読者にトランプの扇動主義を不穏に思い起こさせるのだ。ナショナリズムと人々の「違いに対する恐怖」に訴える、科学と理性的会話を拒絶する、伝統と過去を持ち出す、異論を反逆として扱う、といった傾向だ。 より具体的に、エーコは「ムッソリーニには哲学などなく、美辞麗句だけだった」と記した。 (pp.83-84) 官僚に書いてもらう安倍晋三の政治演説もまたみごとに「美辞麗句だけ」だし、何よりも彼の言動は「彼がどれほどやり逃れうるのか」、日本人が「『もうたくさんだ』と言う時点が果たしてあるのかを確かめる」ためにエスカレートしているようにしか見えない。 不愉快でなかなか読み進めないが、ポスト・トゥルースとか「わたし」主義とか形容される現代の言説がポストモダニズムの思想(というよりその悪しきエピゴーネン)によって誘引されたというような論考もあって、なかなかやめられずにグダグダと読み続けているのである。勾当台公園から一番町へ。(2020/2/14 18:18~18:40) 2月に入って最低温度が氷点下の日が続いてやっと冬らしくなってきたと思っていたら急に暖かくなった。まだ暗い早朝6時に散歩に出たときには6℃くらいもあった。日中も12、3℃までに上がって、とても過ごしやすい。いつもより少し薄着にしたつもりだったが、勾当台公園までの道では少し汗ばむほどだった。 野音前の集会では、「全港湾」と大書された赤字の幟端の周りに6、7人の人が座っていて、その内の一人がスピーチに立った。デモから帰って、急いで整理した写真を投稿したフエィスブックにデモのスタッフが次のようなコメントを寄せてくれた。2/14のデモには、「全日本港湾労働組合東北地方塩釜支部」の皆さん10名ほどがご参加くださいました。若い組合員さんたちが「原発再稼働に抗して何か自分たちもやりたい」と参加を提案されたそうです。女川の再稼働を前に、新しい局面に入った感じです。後に続く新しい参加者の皆さんをお待ちいたしております。 また、宮城県議会で「女川原発2号機再稼働の是非を問う、県民投票条例案」を再び上程する動きについてのスピーチがあった。それについて、デモで読み上げられた市民への呼びかけ文から一部を抜き書きしておく。 2月12日に開会した宮城県議会に、野党5会派が、「女川原発2号機再稼働の是非を問う、県民投票条例案」を議員提案する準備を進めています。昨年2019年3月、県議会での採決で否決されてから1年、ふたたび、「原発のことは民意で決める」ことが、議会に問い掛けられます。今回の条例案では、再稼働の是非を問う選択肢について「賛成」「反対」に加え、いくつかの選択肢を用意しています。これによって、自民党・公明党などが、条例案を潰しにかかった言い訳として、「2者択一では多様な民意を反映できない」という条例案反対の、その根拠がなくなります。 全港湾塩釜支部の人たちを含め35人のデモは、温かさのせいかどこかのびのびとしたコールを繰り返しながら勾当台公園を出発した。一番町。(2020/2/14 18:45~18:57)「浪江の小中7校来春廃校 全町避難後休校、児童生徒が減少」という見出しのニュースがあった(2月11日付け河北新報ONLINE NEWS) 。こんな悲しい記事である。 福島県浪江町議会は10日の臨時会で、町立小・中学校条例の一部改正案を賛成多数で可決した。東京電力福島第1原発事故に伴う全町避難後、小中9校が避難先での再開や休校などの措置になっていたが、児童生徒減少により7校が来年4月1日付で閉校となることが決まった。事実上の廃校を余儀なくされる格好だ。 町教委によると、閉校となるのは今春児童がゼロになる浪江小と、既に休校となっていた幾世橋、請戸、大堀、苅野の5小学校と浪江、浪江東の2中学校。 帰還困難区域にあるため津島中は休校を続け、避難先の二本松市で再開した津島小は来春に児童がゼロとなった時点で休校扱いとする。ただこの2校も将来的なめどは立っていない。 町では原発事故前、9校に1700人以上が通っていたが、避難指示により全て区域外に移った。2017年春に避難指示が一部で解除され、浪江東中を改修して翌春「なみえ創成小・中学校」が新たに開学。現在19人の児童生徒が学んでいる。 原発事故によって放射能の汚染した土地に人は住めないのである。政府がいくら帰還を勧奨しようとも、故郷がどんなに恋しかろうとも、自らの健康と命を差し出してまで帰郷しようとする人が多くないことは当然のことである。1,700人もいた児童・生徒が今は19人なのである。 多言を要しない。原発事故が起きたときの現実の故郷の姿を、自らの故郷に重ね合わせて想像できない人はいないだろう。女川原発は再稼働してはならない。どんな原発も事故が起きる前に廃棄すべきだ。 女川原発の事故時の避難案はまったく実効性がないと裁判で争われている。その裁判で、県や自治体は再稼働前に避難計画を策定する法的義務はないと主張している。住民の安全よりも法的義務の有無が大事らしい。はなから事故時に住民をきちんと守ろうということを最重要と考える気はないのだ。 「原発事故の避難訓練は、故郷を捨てる練習である。」青葉通り。(2020/2/14 18:58~19:07) デモが終わり、次にやるべきことは、仙台から遠く離れた地で暮らす義姉(妻の姉)を訪ねる旅行の具体化である。老いて故郷の仙台を訪ねるどころか、実母の葬儀にも参加できなかった姉のために二人の妹が企画した旅行だが、宿や切符の手配は私の仕事である。 しかし、新型コロナウィルスによる肺炎の流行が気にかかる。どうも、政府の対策が後手に回って(というより無策そのものと評する識者が多い)、国内でもかなり感染が広まっていて潜在的な患者が多くいるような気配である。そんな時に、高齢の私たちが列車を乗り換えしながら高齢者が多く暮らす施設に高齢の義姉を訪ねるということに逡巡してしまう。かといって、その日を楽しみにしている3人姉妹にそれをどう伝えたらいいのだろう。 今日のデモの帰路はそれなりに悩ましいのだった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2020.02.14
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【ホームページを閉じるにあたり、2011年11月18日に掲載したものを転載した】 標高は1000m前後、行程はは5~6時間、というあたりが、今の私にはベストフィットの山歩きのように思う。 谷かげに苔むせりける仆れ木を息づき踰ゆる我老いにけり 島木赤彦 [1]ということである。 三方倉山(971m)は、仙台の奥座敷と呼ばれる秋保温泉のさらに奥、二口地区にある。印象としていえば、大東岳(1366m)の南東の麓の山という感じである。実際には山形神室岳、(仙台)神室岳に連なる東端の山で、大東岳とは名取川本流、大行沢で隔てられている。登山口が大東岳登山口のすぐ近くにあるというだけである。 若いときには大東岳に登るものの、三方倉山の名前も知らなかった。すぐそばの大行沢にイワナ釣りにも通いつめた。仕事が忙しくなって、休日に体力を消耗することを恐れて山登りを控えていた時代にも、大行沢沿いの大東岳登山道周辺の山菜採りや茸取りには通ったが、やはり三方倉山には目が向かなかった。連続して山に登ってみて、体力の程度をしっかり確認しないと大東岳には気楽に登れない年齢になって、やっと三方倉山が視界に入ってきたのである。 2009年6月8日の山歩きである。晴天ではないが、雨は降らないという天気予報を信じて家を出た。 二口街道を、大東岳登山口である本小屋を過ぎて少し行くと、道は名取川の支流、大行沢を渡り、二口キャンプ場前の駐車場に着く(5:51)。駐車場は名取川本流(といっても源流域で、沢である)の傍にあって、登山道はコンクリート橋を渡った対岸から始まる。 名取川の左岸には車道が、右岸には遊歩道(「二口遊歩道」)が整備されている。三方倉山の周回コースは、この遊歩道の一部が組み込まれる。Photo A 登山道に入ると、ギンリョウソウが次々に現れる。(2009/6/8 6:23) 遊歩道からすぐに分かれ、標識にしたがって「三方倉山 ブナ平コース」に入る。倒木に群生するニガクリタケを踏み越えて進む。この茸は春にも秋にも発生するようだ。 次第に太く高い林になってくる。ガスがかかり、暗い林の地面に真っ白なギンリョウソウが浮かびあがる。しかもあちこちに生えている。歩を進めると、次々にギンリョウソウが現れてくるのである。ギンリョウソウはめずらしい花ではない。5、6本が簇生することはあるが群生するのを見たことはない。ぽつぽつと、しかしこんなにたくさん生えているのは初めて見た。 葉緑素を持たない植物とその花というのは、やはり少し異和がある。木の栄養を茸の菌が取り込み、その菌にギンリョウソウが寄生して木の栄養をもらう。木の栄養を、茸の菌を媒介にしてギンリョウソウが利用するという高度なシステム、葉緑素を必要としないシステムが成立しているのである。Photo B 上:リードをはずして霧の林でイオの記念写真。下:撮影後、張り切って登ろうと して、「リードなしではだめ」と呼び止められたところ。 (2009/6/8 6:30) 万緑や霧の峠の山毛欅雫 秋本不死男 [2] 道はガスのなかである。ガスが濃くなって体が濡れるようなことにならなければ、「霧に包まれた林」というのはそれなりの風情をかもし出す。霧の林の中で思慮深げに遠くを見る犬は、それなりに賢そうにさえ見えるのである(基本的にはわがままで、家では「アホイオ」となにかのかけ声のように呼ばれている犬なのだが)。 登山道の脇には、サラサドウダンやヤマツツジが適当の頻度で出現する。よく案配された山だ、などという感想が湧き出たりする。ガスで視界が狭められているときには、道端の花々はほんとうに救いである。Photo C サラサドウダン。Photo D 上:ヤマツツジ、下:シロヤシオの落花。 途中、手袋をしていないことに気づいた。最近の山歩きでは、真っ赤な園芸用手袋を愛用している。手にぴったりとフィットし、何をつかんでも滑らない。それにアイコ(ミヤマイラクサ)を摘んでも、手に棘が刺さらないのである。 ザックから手袋を取り出してはめようとすると、手に黒いものが二つ付いている。ヤマヒル(ヤマビル、山蛭)である。慌てて1匹をすぐに引き剥がして投げ捨てたが、これが初めてのヤマヒル体験であることに気づいて、記念写真を撮ることにしたのが Photo E である。最初に捨てた1匹はとても細かったが、これはだいぶ血を吸ったらしくおなかが膨らんでいる。しばらくのあいだ、私の手にゆられて山道を登ってきたにちがいない。Photo E 左手に食いついたヤマヒル。吸い口から体が半回転ひねられている。(2009/6/8 7:37) ヤマヒルが分布を広げているという話を聞いたことはあったが、経験的には宮城県にはいないものとずっと思っていた。この初めての経験は、ちょっと驚き、ちょっと嬉しいような変な感じである。 ヤマヒルは初めてだが、ヌマビルと言うのだろうか、子供のころ水中に住むヒルにはよく食いつかれた。夏、私と仲間たちは、水があれば飛び込み、「アゼサグリ(畦探り)」といって手づかみで魚を捕まえるのがふつうの遊びであった。そしてだれかの足や尻にヒルが食いつくこともふつうであった。誰も怖がったりはしない。年寄りは、病気によっては蛭に血を吸わせると直るのだ、ということを言ってもいた。 ヒルは何でもないとはいうものの、引き剥がした後は血がなかなか止まらないのである。このヤマヒルも同じだった。だいぶ長い間、右手の指で左手の吸い口をぎゅっと押さえつけながら歩く破目となった。寄生虫といえば、山にはヤマダニがいる。人間には寄生しないが、犬にはよく付くので、イオのための対策は慎重に行っている。ところが、人間には付かないヤマダニに、一度、取りつかれたことがある。近くの大行沢でイワナ釣りをした4日後に、血で肥え肥えと太ったダニが目の下に付いているのを発見したのだ。ずっと気がつかなかったのは、ちょうど眼鏡の下の縁に重なっていたためである。鏡を見る私も、私の顔を直接見ていたであろう家族も気がつかなかったのだ。 人に付かないはずのダニが寄生したたった一度の経験である。犬なみだったのである。ほんのわずかな出血なのだが、血が止まらないというのは気になるもので、抑え方を変えてみたりしながら歩いていくと、下山に利用する予定の「シロヤシオコース」の分岐標の前に出た。そこからもう2,3分で頂上である。 頂上から西へ少し進むと、蔵王がよく見える場所があるということだが、まったくの曇り空なので、頂上で朝食をとってそのまま下ることにした。Photo F 三方倉山頂上。 (2009/6/8 7:57) 定年退職後は、毎日にように遊び回ろうと思っていた。そのためには、弁当を自分で作って出かけるのが、妻とのフリクションを軽減する方法だと考えて、ずっとそうしている。 その手製の「私の」弁当を連れと分け合いながら食べる。もちろんイオの弁当も用意してきたのだが、ドッグフード製の弁当はどちらかと言えば遠慮したいらしいのである。 20分ほどで朝食を終え、下りはじめた。「シロヤシロコース」に入ると、 登山道に白い花が点々と落ちている。文字どおり、シロヤシオの花だ(Photo D 下)。てっきり頭上にはシロヤシオが満開になっているのだと思って見上げると、何にもなくてがっかりする。花が少ない木の、その花が落ちてしまったのだろう。その後はシロヤシオを探しながら歩いたのだが、それっきりであった。頂上から20分ほどのところに、すばらしいオブジェがあった(Photo G)。枯れ木と石が絶妙に組み合わされている。どうすれば、こういう形状が完成するのか、しばし、考えさせられた。人工的な感じがしないでもないが、この石と木の組み込み方を人手でおこなうのは無理だろう。Photo G 枯れ木が石を抱え上げている。(2009/6/8 8:40) おそらく、こういうことではないか。 石の多い地面に芽を出した(おそらく針葉樹の)木は、その根にいくつかの大石を抱え込んで生長した。そのような木はよく見かける。その木が立ち枯れとなる。幹は朽ちつつ、折れたのではないかと思う。さらに根の先端も朽ち、石を抱えた根元部分が残った。しかし、これだけではこのオブジェは完成しない。根の支えを失っていたため、大雨か地震か分からないが、なんらかの形で斜面を転がったにちがいない。こうして、下に抱えていた石が、上方に抱え上げられているような形が完成したのだ、と思う。 制作期間30~50年(もっとか?)のオブジェというわけである。Photo H 緑の海に沈みこんでいくような下り道。 (2009/6/8 8:54) ガスと万緑が溶け合い、まるで湖かなにかの底へ潜って行くようにジグザグの道を下るのである。(Photo H)。下草の丈が高く、犬の視線を遮っているので、イオは緊張しつつ立ち止まり、じっと底の方の様子を窺っている。 Photo H の場所からすぐ下で、生きた大木の幹にあいている穴で、蜂が出入りしているのを見つけた。日本蜜蜂(西洋蜜蜂との区別を私はできないが、状況的にたぶん)である。この大木の中心に洞があるのであろう。自然木で作った養蜂箱で日本蜜蜂を育てている養蜂家のことはなにかのテレビ番組で見たことはあるが、自然そのもののなかで自然木に蜜蜂が巣を営んでいるのを見るのは初めてである。 出入りする蜂の数はそんなに多くはない。天候のせいかもしれない。草や花はまだ湿っぽくて蜜の採取に適していないのではないかと、想像したりしながらしばらく眺めていた。Photo I 自然木の洞の蜜蜂の巣の出入り口。(2009/6/8 8:56) こんなふうに蜂の巣をじっと見ている自分、ということに気づいたとき、8才か9才のとき、雑木林の縁の地面に作られた巣に出入りするスズメバチを小1時間ほど眺めていて、遊び仲間にからかわれたことを思い出した。ここでは、イオが鼻を鳴らして促すので、その場を離れたのである。 蜜蜂の巣から15分ほどで杉の植林地に出る。。そこから二口遊歩道まではあっという間である。道端のトリアシショウマの花や、地味なフタリシズカの花を眺めながら、手すりなどの整備された谷沿いの遊歩道を歩いて、山歩きは終わりである。Photo J 〔左〕トリアシショウマ、〔右〕フタリシズカ。 駐車場を5時50分に出て、9時40分に帰り着いた。 この山の印象は、「ギンリョウソウ」と「ヤマヒル」と「ニホンミツバチ」につきる。初めての大量のギンリョウソウ、初めてのヤマヒルの実体験、初めてのニホンミツバチの営巣。こんな年になっても、まだまだ「初めてのこと」がたくさんあるということなのである。 [1] 島木赤彦「赤彦歌集」斎藤茂吉・久保田不二子撰(岩波文庫 2003年、ebookjapan電子書籍版) p. 233。 [2] 「季語別 秋本不死男全句集」鷹羽狩行編(角川書店 平成13年) p. 102読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2020.02.07
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