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先週の脱原発デモについてこのブログに書くのをさぼった。参加して写真を撮って、スチル写真と動画をSNSに投稿して終わった。雑用がそれなりにあって、そのほとんどがパソコン相手でブログに時間をさけなかった。こんなふうに書くとかなり多忙に聞こえてしまうが、じっさいは処理能力が落ちているというに過ぎない。 なんとなくもたもた過ごしている気分だが、昨日(10月22日)、宮城県議会は女川原発2号機の再稼働の請願を採択してしまった。知事はそれを根拠に近いうちに(予定通り)再稼働を容認するだろう。じっさいの再稼働は2年後くらいになるだろうが、事態は格段に悪化した。 もう一つ嫌なニュースが続いた。今日(10月23日)、仙台高裁は石巻市民が宮城県と石巻市に女川原発再稼働の地元同意の差し止めを求めた抗告審で市民側の訴えを退けたというのである。高裁の判断は、「県知事の地元同意や立地自治体の事前了解が、再稼働を目指す東北電力行為と同一視できない」というのである。しかし、地元同意がなければ東北電力は再稼働できないという事実は、自治体と東北電力の行為を無理やり分離することには無理があることを意味しているだろう。結論が先にあった判断だとしか思えない。元鍛冶丁公園から一番町へ。(2020/10/23 18:14~18:30) この季節、陽が落ちて暗くなってしばらくしてからデモのために家を出るので、夜になって外出するということになる。長い職業人であったときにはこの時間帯に家に帰っていたので、日中を家で過ごして夜に玄関を出ることに違和を感じるだろうと思うのだが、じつはほとんど感じない。そんな自分にちょっとばかり「違和」を感じながら元鍛冶丁公園に向かった。 やはり、今日の元鍛冶丁公園にはいつもの倍近い人が集まっている。デモ中の集計では45人の参加者だった。 フリースピーチでは石巻市や宮城県への請願や要請行動を行ってきた人たちが次々に憤りに満ちたスピーチをした。 県議会に出された再稼働に関する請願は環境福祉委員会で審議されたが、9月13日の委員会はたった10分の審議で女川商工会が出した再稼働を求める請願を賛成多数で採択してしまった。再稼働の是非に関する県民投票の請願には「議会で十分に論議するから県民投票は不要」として拒否したにもかかわらず、その議論はたった10分なのである。 なぜそうなるのかは、はっきりしている。自民、公明の議員たちは議論ができないのだ。自分たちに「理」がないことを十分に自覚しているので議論から逃げるしかできないのだ。「議」員たるおのれの義務の否定、ないしはサボタージュである。「恥を知れ」というしかないが、恥を知るならとうの昔に議員を辞めているに違いない。一番町。(2020/10/23 18:36~18:45) 女川町議会、石巻市議会、宮城県議会の自公議員の言い分に、「原発再稼働は国の政策だから地元がとやかく言うことではない」というのがあって驚く。地元の同意がなければ東北電力は再稼働しないということは、地元に相当の決定権があるのである。それを放棄するのは、自治体議会や首長そのものの存在意義の否定、自己否定に他ならない。 河北新報に「女川原発再稼働・迫る地元同意」という連載記事の「(2)先導する議会、民意とは乖離」(9月29日付け河北新報ONLINE NEWS )に次のような一文があって地方自治体の存在理由、その意味について考えさせられる。 北海道函館市。電源開発(Jパワー)が青森県大間町に建設中の大間原発は、津軽海峡を挟んで最短23キロ。稼働すれば重大事故時の避難対象となる30キロ圏を抱える。人口約25万の観光都市は、対岸のリスクを除去できないでいる。 市は14年4月、建設差し止めを求めて国と同社を提訴。6年半近くたった今も係争中だ。工藤寿樹市長は「市民の承諾もなく、近隣に原発が建設されている。市の存続と住民を守らなければならない」と訴える。 地元の民意をどう吸い上げ、国策とどう向き合うか。市は訴訟の前から「大間原発建設の無期限凍結」を掲げ、市民との意識共有を図る。工藤市長は「市が原発政策で特定の立場に立たないことで、理解を得られた。建設凍結は市民の総意だ」と強調する。 何たる彼我の差だろうか。一方は国策だからと県民の命も安全も考慮することなく上(政府)の意向に従うばかりの首長や地方議員がいて、一方には「市の存続と市民を守らなければならない」と行動する首長がいる。原発再稼働に関しては、東電福島第1原発事故の原因究明を行わない限り東電には柏崎刈羽原発を再稼働する資格はないと再稼働を容認しなかった新潟県の例もある。 私たち・宮城県民はいったいどんな首長や議員を選んでしまったのだろうか。「選良」という言葉があるが、私たちは「選愚」を選んでしまったのである。「選愚」たちが唯々諾々と女川原発再稼働を容認しているのである。青葉通り。(2020/10/23 18:52~18:54) 最近の金デモは30人前後ということが多く、デモの写真を撮ろうと言う身には45人はたしかに多いなと身に沁みて感じた。45人という数とソーシャルディスタンスということでデモの列が長くなるのある。 かつて数百人のデモの全体を撮ろうと走り回ってへとへとになったことがあったが、それほどではないにしてもやや似た状況に陥った。体力の衰えをそういうふうに感じることが身に沁みた秋に夜デモであった。 それにしても、今日ほど「まだまだ脱原発デモは続くのだなあ」と実感した日はない。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2020.10.23
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三週続けて脱原発デモを休み、ブログも更新しなかった。疲労が出たとばかり思っていたが、鼻水と頭痛がひどかった。熱は微熱だったし、血中酸素量も正常だったので、新型コロナウィルス感染症ではないという確信はあったが、外出はためらわれた。 5日ほどで回復したのだが、2、3日元気が出て、その後、2、3日疲れが出るという繰り返しだった。退職数年前にやはり疲労で微熱が2ヶ月ほど続いたことがあったが、それに比べればかなりましなのだが、年老いた分だけ慎重に暮らしていた。 左手橈骨骨折の妻は週2回のリハビリに通ってはいるが、ようやく食後の洗い物をやれるようになった。やれやれと思っていたら、また部屋の中で転んで今度は右手が痛むという。あわてて整形外科に診てもらった(かなり強引に頼み込んでいた)のだが、こちらはただの打撲だという診断だった。とにかく、かなり刺激的で胃が痛みだしそうな日が続いている。元鍛冶丁公園から一番町へ。(2020/10/9 18:14~18:35) 休んだ三週間の中には、9月26日の「女川原発の再稼働を止めよう! 県民大集会」があって、それだけは出ようと前日まで考えていたのだが、微熱と鼻水と頭痛の人間が人混みの中に出ていくというのはあまりにも不穏当だと家人に止められた。個人的には残念だったが、800人もの人が集まったというから大成功の集会とデモだったということで何よりである。 集会でのフリースピーチの話題に中心は、やはり女川原発再稼働容認へ向けた県や自治体の動きである。この動きについては、河北新報が「女川原発再稼働・迫る地元合意」という5回連載の記事を掲載した。 「(1)恩恵とリスク、立地町の葛藤」、「(2)先導する議会、民意とは乖離」、「(3)30キロ圏市町に権限の差」、「(4)審査追認、安全性の議論なく」、「(5)「県民の総意」問われる覚悟」とそれぞれの回のサブタイトルを並べただけで、女川町議会、石巻市議会、宮城県議会の自民党(系)議員が県民の意思や生命・健康に背を向けた政治行動をとっていることが明らかである。 しかし、そうした流れの中である自民党県議の言動が注目されている。10月9日付けの河北新法ONLINEに「女川再稼働賛成の請願 自民ベテラン宮城県議が棄権を示唆「安全神話崩れた」」という次のような記事が掲載された。一部を抜き書きしておく。 藤倉知格氏(富谷・黒川、8期)が県議会9月定例会の一般質問で表明した。昨年の2月定例会の一般質問では、将来的な脱原発に言及。再稼働の是非を問う住民投票条例案の採決時、自民会派で唯一棄権した。 東京電力福島第1原発事故、高レベル放射性廃棄物(核のごみ)など未解決の問題を挙げた藤倉氏。「『原発推進、再稼働容認、原発の恩恵には浴す。だが汚染水の放出には反対、最終処分場はごめん被る』では整合性が取れない」と指摘した。 原発を「ハイリターンの一方でハイリスクが伴うもろ刃の剣」と表現。「最後は責任を持つ」との国の姿勢を「殺し文句ないしは決めぜりふ」とし、「国が取れる責任は極めて限定的だと、福島の深刻な現実が物語っている」と訴えた。 藤倉氏はかつて女川原発3号機のプルサーマル計画を推進する立場だったが、「福島の事故で自分の中の安全神話が崩れた」と述懐。「苦悩を背負い、再稼働に賛成とはいかないと申し上げる」と締めくくった。 福島原発事故後、世界の多くの国の政治家が原発の危険性をあらためて認識し、少なからぬ国が原発からの撤退、削減を決めた。そのため、原発輸出で儲けようとした旧安倍政権の政策がことごとく失敗に終わっている。 そのような世界の情勢から考えて、藤倉さんの考えはごくごく普通、ごくごくまともなのだが、田舎の保守政界のしがらみの中で、このような意志を表明し棄権するのはたいへんだったろうと同情する。願わくば、もっと多くの自民党(系)や公明党の議員が、藤倉さんのようにごくごく普通の考え方をしてほしいのである。一番町。(2020/10/9 18:37~18:47) 「もう原発はやめた方がいい」という至極常識的な考えを証明するようなニュースが相次いでいる。旧安倍政権の目玉政策だった原発輸出が完璧に失敗したことを証明するように「日立、英原発計画から撤退 投資環境悪化で続行不可能と判断」(9月16日付け『REUTERS』)という記事があった。だいぶ前から撤退するというニュースは流れていたが、これで「とどめ」である。 また、「世界で再生エネ発電、原発超える――コストも優位、欧米は廃炉進む」(9月26日付け『KYODO』)。原発にしがみついているのは極東の三流国家だけになりそうな世界の流れである。 もっと強烈な記事がある。「「原子力離れ」学生の減少続く 原子力委員会が人材枯渇に懸念」(10月7日付け『西日本新聞』電子版)である。 「大学・大学院の原子力専攻入学者は、70年代半ばから90年ごろまで500~600人で推移。92年の約670人をピークに減少傾向となり、2018年には約260人まで落ち込んだ。/ この状況が続けば、技術者不足やノウハウの散逸を招きかねない-。原子力業界には強い危機感がある。」という内容だ。 就職先は原発のお守りしかないような原子力工学に魅力はないだろう。ましてやその原発の未来に東京電力福島第1原子力発電所の惨憺たるイメージが重なるのだから、学生が背を向けるのは当然である。 原子力業界に原子力の知識を持つ人材が枯渇する。近い将来そういうことになる。人材が集まらないということは、優秀な人材はなおさら集まらないということである。急いで原発を廃炉にしないと、電力会社は原発を維持するだけで地獄に陥ることになる。 もう原発はきっぱりとやめた方がいいのである。青葉通り。(2020/10/9 18:48~18:57) 今日のデモは少しばかり疲れた。まだ歩き馴れていないのである。疲れてはいるが、急いで帰って家族の夕食を作らなければならない。夕食が遅くなっても、猫以外は文句も言わず待っていてくれるのだが、こちらはこちらで「おさんどん」はさっさと終わらせたいのでいくぶん気が急くのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2020.10.09
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