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例年ならドンピシャの見頃を迎える10月第2週の週末、日光・中禅寺湖周辺の紅葉観賞に行ってきました。誘ってくれたのは、いつものご夫婦。「紅葉狩りしない?」と連絡をもらったのは9月早々。東北へでも行くのかな、と思って尋ねると「日光だよ」と言います。「日光へ行くのに今から計画か?」東京から2時間もあれば着いてしまう日光へ行くのに、なんとも気の早い話です。「違うんだよ。どこかで一泊して温泉にも入りたいでしょ」「まあエエけど、どんな計画?」計画によると日光いろは坂を経て中禅寺湖畔へ。八丁出島をはじめとする湖畔の紅葉や華厳の滝・龍頭の滝・湯滝の紅葉を観賞。金精峠を越えて群馬県に入り、吹割の滝を散策して古湯・老神温泉に泊まり、翌日は(関越自動車道の大渋滞を回避するため)チェックアウト後すぐに東京へ戻るというもの。残念なことに今年も紅葉は遅れ気味。前日の情報では、龍頭の滝周辺がやっと見頃を迎えたとのこと。延期することもないので「決行」しました。日光いろは坂は、大渋滞を引き起こすので早朝5時30分に東京出発。東北自動車道・日光道路・いろは坂、すべて順調で7時30分には華厳の滝に到着してしまいました。売店は開店準備中。滝展望台に向かうエレベーターは営業前。気温10℃、東京人には堪える温度です。落差97メートル。紅葉にはまだ早い華厳の滝「寒いなあ~」「うどんでも啜るか…って、まだやってないし…」4人で駐車場をウロウロして、下に降りなくても滝の全容を見られる場所があることを発見。「ここでいいよ。早く龍頭の滝へ行こうよ」寒さには全く耐性のないダンナ(一番下の写真左)が提案します。私たちもすっかり戦意喪失しているので、一も二もなく「賛成」。まだ紅葉していない華厳の滝をササッとカメラに収め、撤収です。中禅寺湖畔の道路から見る八丁出島や男体山は、まだ「色づきはじめ」。全体が青々としています。あと1~2週間で一気に見頃を迎えるのでしょうか。最近の傾向として、猛暑と雨不足、いつまでも長い残暑、あっという間に駆け去る秋…色づきはじめたと思ったら、そのまま枯葉になる木々が少なくありません。今年の日光はどうなんだろう、とか考えながら湖岸を走り抜けます。龍頭の滝の駐車場は朝8時だというのに満車状態。滝の前の茶店も混雑しています。流れを二つに分ける中央の巨岩が、立て髪をまとわりつかせた龍の頭を想起させる龍頭の滝。滝を彩る紅葉は「見頃の少し前」というところ。ドンピシャ見頃には少し早い龍頭の滝の紅葉滝見台の最前列は「遠慮会釈のない」カメコたちが三脚をセットしカメラの放列を敷いています。観光客はその隙間から滝を覗きます。私は、かなり強引に三脚の列に首を突っ込んで速写。「長居は無用」と諦めて滝脇の遊歩道を上流へ辿ることに。滝の上流部が見頃を迎えているのです。「あっ、車」全員が登ってしまうと車はどうなる? 往復しても40分ほどですから、体はどうってことないのですが、戻ってきたときの駐車場を想像すると、ちょっとウンザリ。紅葉の時期は、狭い駐車スペースに駐車待ちの車が長蛇の列を作り、人と車が交錯して混乱に拍車をかけ、にっちもさっちも行かなくなるのです。「そうや、俺が車で上に行って待ってるよ」と立候補しました。この頃、私は手をギブスで固められていました。そこで、寒がりで坂道嫌いのダンナには歩いてもらおうと判断したのです。滝の上部から中禅寺湖を望む景色は見ごたえ十分。ここにも本格的なカメラを構えるカメコがたくさんいます。滝上の紅葉。遠くに見えるのは中禅寺湖徒歩組が合流しました。母ちゃんが、「嫌なもの見ちゃった」と。大きなカメラを持った男性が、撮影の邪魔になるのか、木の枝を折っていたとのこと。「頭に来たから、枝折った男を携帯で撮っちゃった」「注意はしたんかいな?」「少し離れていたし、行って注意するのも怖いし…」写真右=枝を折ってまで撮影する男。左は寒さに震える同行のダンナカメラに凝るのも、いい写真を撮りたいと思うのも、気持ちは分からなくはないけれど、モラルのない人間に芸術性を求める資格はありません。次回は湯滝、湯の湖からです。
2012年11月12日
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新聞は「5W1H」で記事を書きますが、ときたま「このほど」などと日時を曖昧にして掲載される小さな記事があります。これは、記事が不足気味で、穴を埋めるために、だいぶ前に取材された「ひまネタ」といわれる記事(たとえば民俗芸能や統計資料など)を使用する場合の手法です。しかも、このネタが共同通信や時事通信から配信されていたものだと、編集者の中では「新聞じゃなく“古また聞き”じゃないか」と陰口をたたかれることもあります。私の日記は、いつも遅れ遅れで、「また聞き」ではないけれど、間違いなく「古聞」と言われそう。9月末からの「在庫処分」になります。民宿「うるしや」。左の凝った屋根が2つの露天風呂このほど(9月最終週です)、「呑んだくれ伊豆旅行」に行ってきました。事の起こりは、ポロっと漏らしてしまったひと言。母ちゃんの親類のオッサンたちと会った時、「どこか温泉に行きたいなぁ」と話題を振られ、ついうっかり「南伊豆に、貸切露天風呂と料理が自慢の民宿がある」と。昨年秋に息子たちと泊まり、大満足だった「うるしや」。川端康成の「伊豆の踊子」にも登場する、河津七滝(ななだる、と読む)の川沿いにあり、全6室で貸切露天風呂を2つも持つ民宿です。宿の脇から始まる河津七滝の、大滝、出合滝、かに滝、初景滝は絶好の散策スポット。ついつい「さよならも言えず泣いている 私の踊り子よ ああ船が出る…」と口ずさむほど魅力的な景観が楽しめます。文学的な話はともかくとして、この不用意なひと言が現実になり、この呑んだくれ旅となってしまったのです。河津川沿いの道に咲いていた彼岸花夜勤明けのオッサンの帰宅を待って、ちょっと遅めの10時30分、6人で出発。ハナっから車中宴会が計画されていて、ビールと焼酎などが大量に持ち込まれています。首都高速に乗るやいなや、後部座席では「かんぱ~い!!」が始まり、テンションは、いきなりマックスです。途中には観光ポイントが多い中伊豆路。高速道路からの富士山、鮎釣りの狩野川、浄蓮の滝、天城峠、ループ橋…。ですが、どこにも寄る予定はありません。オッサンたちは、競馬中継を聞きながら、ビールと焼酎のウーロン茶割りをひたすら飲み続けます。おまけに、出発時間が遅かったため東名高速は渋滞が発生し、ノロノロ運転。呑んだくれたちは、これ幸いとガンガン飲んでいます。「おい、停めてくれや。漏れちまうよ」「SAまで待ってくれ~」トイレ休憩での立ち寄りが増え、伊豆まで5時間以上ほどかけて、「うるしや」に直行しました。宿で部屋に案内されるや、「お疲れさ~ん! 乾杯しようぜ」と酒盛り開始。母ちゃんと私は呆れてしまって、「散歩行くけど、どうする?」と。「行ってらっしゃ~い。かんぱ~い!」「早めに温泉に入った方がいいよ」「お~、大丈夫。かんぱ~い!」どうしようもないので放っておいて、七滝散策へ。まったく紅葉は見られませんが、緑に包まれた名瀑をゆっくりと見て回ります。「さよならも言えず泣いている 私の踊り子よ ああ船が出る…」初景滝遠景。画面右に踊り子と学生の銅像がある気分爽快で宿に戻ると、露天風呂方向から聞きなれた大音声が聞こえてきます。「あの声はオイチャンたちだ」「なんで、あんなにテンション高いんや」ロビーのソファーでは順番待ちのお客さん。6室のお客(うち3室は我々)が夕食前の入浴を狙って集中するのです。「オッサンら遅いなぁ。ちょっと言うてくる」外に出て、露天風呂に向かって叫びます。「いつまで入ってんねん! 順番待ちで行列やで!!」「お~」でもなかなか出てきません。そのうちやっと一人出てきました。「なにしてんねん。(ロビーを見回して)これ見てみいな」「いや、●●が湯船で寝てしまって…」「早よ出るように言うてくる」風呂場に行くとまだ体を洗っています。「急がんとみんな待ってるで」「ああ。すぐ出るけど…あれっ眼鏡どこだ?」眼鏡を一緒に探して、とにかく追い出しました。ホント、大騒ぎです。夕食。各人の料理以外に地魚の舟盛り2台、大きな金目鯛の姿煮が2皿。完全にデキアガッテいるオッサンたちは、ほとんど食べずひたすら飲むので、これを完食するのはかなりキツイですが、夫婦2人で頑張りました。ああ、母ちゃんのダイエット! おお、私の減量・減塩生活! どこへいくのだ~!!夜中にも露天風呂に入って、中天高く輝く満月を観賞。いい湯だなぁ。翌朝、私は再び滝巡り。朝のさわやかな空気を胸に満たして宿に戻りました。夜明けのループ橋。右下に河津川の谷底が見える朝ごはんです。またしてもビール。「どんだけ飲むんじゃ!」朝ご飯はしっかり食べて、気ぜわしく出発。途中、わさび漬けの店、イチゴ大福の店に寄って、それぞれが土産を調達しました。「もうどこも寄らなくていいから、急いでくれよ」「なんで?」「駅まで送ってくれたら、4人で麻雀やるんだよ」「ホンマにギャンブル好きやなぁ~。昨日の競馬は儲かったんかいな」「少しだけね」「今夜は台風が来るから、早よ帰らんと、麻雀屋で泊まりになるで」「明日仕事だから、大丈夫だよ」そんな話をしながら、東京向かってひた走り。午前中ですから渋滞もなく駅に到着しました。一同を降ろし、ホッと一息。バカバカしくも可笑しい呑んだくれ旅(私はビールをグラス3分の一)は無事終了したのでした。母ちゃんに「なんで伊豆やねん? 近所の日帰り温泉でよかったやないか?」と素朴な疑問を発した私でありました。
2012年11月05日
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長い長いトンネルを脱するために続けている苦労。この先どれくらいの年月、この労苦に耐えなくてはならないんだろう。そんな道程のなか、ささやかな明かりが灯りました。まだまだ気を抜くことはできません、いや、これまで以上に力を結集して課題に挑まなければならないでしょう。それだけに、この小さな光を大切に記憶しておきたいのです。アメリカのサブプライム問題、リーマンショックに端を発した不況に振り回され、ここ数年は青息吐息の印刷業界。大日本や凸版などの大手でさえ危機感を募らせ、中小企業の市場を食い荒らしてきました。投資マネーの市場操作で石油は高騰、用紙はじめ印刷関連資材が大幅な値上げをするなか「原料値上げを売値に転嫁できない業種」に指定され、経営状態がジリジリと悪化。そうした状況下、昨年の3・11東日本大震災は経営に大打撃を与えてしまいました。私の勤める会社の最も大きな顧客はテレビ局。国営放送は受信料で、民放はCM収入で番組を作り、局を運営しています。長引く不況と震災によって、スポンサー企業の広告宣伝費は大幅にカットされ、受信料収入も激減しました。当然、番組制作予算の削減が勧められ、当社のようなちっぽけな業者にも深刻な影響をもたらしたのです。原材料費値上げと受注単価切り下げ、それに加えてテレビ局との取引額減少という多重苦にさらされてきました。私たち役員の報酬を(段階的にではあるけれど)5割もカットするだけでなく、昇給・賞与の停止、一時休業の実施など社員にも大きな犠牲を強いてきました。自宅ベランダから見た夜明け以前にも書いたことがありますが、社員の多くは「エンタテインメントを支えるスタッフの一員」という自覚があり、この仕事を愛しています。だから、この厳しさに耐えてくれているのでしょう。社員たちの頑張りに応えるべく、いくつもの施策を講じてきました。成果が突出したテーマはありませんが、ジワリと前進が開始され、業績回復の兆しが見えてきたのです。まだまだ警戒を緩めるわけにはいきませんが、決算賞与を支給することにしました。社員の労苦に報いるには小さすぎるのでしょうが、全員一律支給なのか格差支給なのか議論の分かれるところ。検討の結果、貢献度の差は間違いなくあるので僅かであっても格差を付けることに。それに伴って、これまでの評価制度を改善し、より公正で公平な評価ができるようにしました。新たに評価項目を設定し、評価方法を改め、社内に告知し、評価者である各部署リーダーたちへの説明を繰り返し、やっと成績評価にこぎつけたのです。今回は、結果と努力(プロセス)を複数の評価者が採点する、さらに仲間への思いやり、お客様への心配り、安全・衛生への意識も評価する――ようにしました。全社調整が終わり、人間が人間を評価することのむずかしさを改めて痛感しています。この後はリーダーやマネージャーにハッパをかけて個人面談を実施。社員たちに課題と目標を与え、動機づける作業を進めます。社員たちを「人財」として尊重する、若い社員には結婚して子育てができる給与を支給する、長く働いている社員には少しでも老後が楽に暮らせる退職金・功労金を支給する――その責任を改めて実感した3週間でありました。何はともあれ、支給予定日までに完了できました。
2012年10月31日
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羅臼から標津までは約1時間。途中で昼食、何でも食べたがりの私は「トド肉定食」を注文しました。テレビドラマ「北の国から」で唐十郎が叫んでいた「今夜はトド鍋だ~!」を真似ながらモリモリ食したのでした。若干味付けが濃すぎてトド肉の臭みや味がイマイチ分かりませんでした。トド肉の炒め物忠類川、標津川を越えると、まもなく屋上に3粒のイクラを載せたタワーを持つ「サーモン科学館」。周辺は「サーモンパーク」と呼ばれる緑地公園になっています。標津サーモン科学館はサケ科の魚を集めた水族館。国内で一番多種類のサケたちを展示しています。特に、標津川から分岐水路を作り、遡上するサケを誘導する魚道水槽は一見の価値があります。ここでは11月に産卵行動を観察することができるのです。また、サケたちの生態から食文化までパネル展示も豊富。ご丁寧なことにサケを使った料理の紹介も。この時期は、標津川のウライ(捕獲施設)にかかる観覧橋が開放され、橋の上から遡上するシロザケなどを観察できます。観覧橋から科学館を望む。屋上の赤いオブジェはイクラ観覧橋から駐車場に戻りながら妙に真面目な会話。「太平洋を1万キロも旅して、4年後に元の川に帰ってくるなんて、すごいよね。帰ってきて産卵したら死ぬって分かってるのにね」「人間だけやで、不老不死やとか言うてるのは。どんな動物でも個体としては死んで種として生きることを粛々と繰り返してるのに」「あのボロボロの体を見たら、言葉が出ないよ」「そやなぁ」科学館を後にして女満別空港に向かう国道は、サケの遡上で有名な忠類川沿い。「忠類川って、サケの調査釣りする川だよね。私でも釣れるかなぁ」「まあ、釣れんことはないやろけど、渓流釣りとは全然違うで」「どうすればいいのか調べてよ」魚道水槽を経て左斜上の段差に挑むシロザケたち傷ついても本能に導かれて遡上するサケたちを見ながら、矛盾した会話をしている私たちでありました。根北峠でキタキツネに出合うことも、行き交う車もほとんどいない夕暮れ。2泊3日の1年ぶり北海道旅行も終わりです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・≪サケにまつわる感動物語≫1年ぶり北海道旅行には、もう一つの目的がありました。「羅臼・朝倉商店の鮭節を買う」今年の3月、TBSテレビ「夢の扉+」という番組で、鰹節ならぬ「鮭節」の商品開発に取り組んだ羅臼の漁師さんを紹介していました。京都の料亭を訪れた朝倉さん(TBS「夢の扉+」より)産卵のため遡上したサケは脂が抜け落ち「クマも食べない」と言われるほど…。採卵用に捕獲されたサケは、見向きもされず、肥料として処理されるか産業廃棄物として捨てられます。このサケが『ホッチャレ』。その数は毎年十数万匹にのぼります。 「そのサケを捨てないで利用できないか」と考え、4年以上の歳月をかけて「鮭節」を商品化したのが羅臼の朝倉奉文さんです。果てしない失敗を乗り越えて作り上げた鮭節が、実際に商品として通用するのか、朝倉さんは、京都の有名料亭にまで出掛けて試してもらいます。また、北海道を代表する料理人の厳しい吟味をクリアしました。地域特産品から北海道の定番商品へ! 朝倉さんの取り組みを支援する輪がどんどん広がり、地元羅臼漁協、道立食品加工研究センター、中央省庁、そして鰹節の大手企業…が参加する開発プロジェクトが結成され、鮭節が大ブレークしようとしているのです。鮭節の開発プロジェクト(パンフレット)わが社の新規事業開発で若い連中と悪戦苦闘してきた私には、朝倉さん御夫妻の開発への苦労が痛いほど伝わってきます。テレビを見ていて目頭が熱くなりました。なお、北海道新聞では開発秘話が連載され、直近ではNHK「キッチンが走る」でも紹介されました。ちなみに標津でも「鮭節」を開発した方がおられるようで、こちらの方は楽天市場などで販路が広がっていますが、詳しくは存じ上げません。さて日記に戻ります。第2日の午後、らうす道の駅で朝倉さんの「鮭節」を購入しようとしたのですが、並んでいるのは標津産の「鮭節」ばかり。羅臼産はいつ入荷するかも不明とのこと。味に大きな違いはないのでしょうが、羅臼産へのこだわりが…。写真上:旨味の結晶が白く浮いた鮭節。下左:飴色に輝く鮭節断面。下右:1ヶ月間サクラのチップで燻す売店の片隅に朝倉商店のポスターを発見、住所と電話番号が書いてあります。母ちゃんに「平日だから工場やってるはずやから、電話してみいな」嫌がる母ちゃんに無理やり電話をかけさせて…。「誰も出ないよ~…あ、はい失礼しました。お忙しいのに…」朝倉さんの奥様が電話に出てくださったようです。母ちゃんが事情説明して、入手できるお店を教えてほしいと頼んでいます。電話のやり取りから、工場まで来るようにとおっしゃっているようです。「すぐにお伺いします」移動の車中で会話の中身を聞きました。「誰も出ないよ~って言ったとき、電話の向こうで奥さんが“出たよ~”って。おかしいよね、優しさが伝わってきた。それで、事情を話したら、いくつくらい要るの?と訊かれて20袋(小袋80個)て言ったら、5袋だったら譲ってあげられるからすぐ来なさいって」削り節作りに精を出す朝倉家の息子さん案内されたとおり行ってみると、青年が路上をウロウロ。こちらを見ています。降りて行って「朝倉さんですか」と尋ねました。息子さんが迎えに出てくれたのでした。工場に案内されて、朝倉さん御夫妻と対面。深みのある人柄に感動しました。東京に戻ってから気がつきました。朝倉商店の正式社名が「株式会社のりとも朝倉商店」というのは、奥様の名前・則子(のりこ)と御主人の名前・奉文(ともゆき)を冠しているのだということに。先が見えなくなって落ち込んでいる朝倉さんを、奥様が叱咤し激励し続けたことも「夢の扉+」で明かされていました。皆さん作業中のようだったので、「記念撮影を」とは言えず、場内の写真だけ撮らせていただき、紹介された店舗へ向かいました。店舗に着いて事情を話すと、店のオーナーが「ここだったらあまり客が来ないから余っていると思ったんだな。ガハハッ」。棚をほとんど空っぽにするほど譲ってくれました。かさばる鮭節を持って東京まで帰れませんので、近くのコンビニへ。「適当な段ボール探して、発送してくれるって。ただ、今日の集荷が終わっているから明日発送になるから…月曜日会社で配れない…」と母ちゃん。そうこうしているうちに店からスタッフのお姉さんが出てきました。「今だったら、郵便局は荷受けしてくれるから、日曜日に着きますよ」「あ、そうかこの近くにありますか」場所を教えてもらって郵便局へ。郵便局では日曜着OK。思い切りかさばるので、ゆうパックの段ボールには入りません。局員の女性が「この箱だったら大丈夫かな」とか言いながら、大きな段ボール箱にせっせと鮭節を箱に詰めてくれます。羅臼の人ってどこまで親切なんだ!という思いを深くした私たちでした。その思いは翌日乗船前にちょこっと顔を出した道の駅でも。売店の娘さんが羅臼産鮭節を数袋確保しておいてくれたのです。昨日中に必要量は手に入ったのですが、その気持ちがうれしくて購入しました。心温まる羅臼での出来事でした。動物たちに会い、人々の温かさに触れた1年ぶり北海道。美しい夕暮れ
2012年10月14日
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最終日。霧が羅臼の町を包んでいます。望郷の森「展望台」まで行ってみました。海上も丘も街中も…先程まで見えていた羅臼港さえ霧の中。しかし、霧は低く、空は青さを取り戻し始めています。霧のかなたに国後島の山並みが望めます。自分では「この霧は日が高くなれば晴れる」と勝手に思っていますが…この日のメインイベントは「ホエールウォッチング」。霧に阻まれては困るのです。霧に包まれる羅臼。国後の山々だけが見える何はともあれ観光船「はまなす」の事務所へ。朝8時10分の便は出港できたとのこと。受付を済ませ、少し早目ですが羅臼港に行きました。出船予定時間は11時10分です。霧がジワジワ晴れてきました。10時45分、予定時間を30分ほどオーバーして第1便が戻ってきました。降りてくる乗客の中に「鷲の宿」で一緒になった男性を発見。「クジラに会えましたか?」「いやぁ、ロシア側に行かれてしまって、ゴマ粒。船長さんたち頑張ってくれたんですけどね」「ああ、それで帰港が遅れたんですね。お疲れさまでした」そんな会話をしながらも、「僕らもアカンのかなぁ」と弱気が頭を持ち上げます。観光船「はまなす」。私たちと小林クンは上部甲板最前列マッコウクジラは強い歯を持ったハクジラの仲間で、歯を持つ生物としては世界最大です。標準的なオスの体長は16~18メートル、体重50トン。メスは12~14メートル、体重25トン。潜水のために特化された巨大な頭を持ち、2000メートルの深海まで一気に潜れます。一度潜ると1時間以上息継ぎしないで捕食行動を行います。深海に住むダイオウイカと格闘している絵を見たことがありませんか? 絵を見てもその壮絶な戦いぶりが伝わってきます。ちなみに、ザトウクジラ、ナガスクジラなどヒゲクジラ類は小魚やオキアミを主食として、ガバ~ッと吸い込み、「ヒゲ」で濾し取って食べます。海を割って突き出された、潜水艦のような(潜水艦がまねをした)巨大な頭部11時10分、出港。私たちは上部甲板の前列席に陣取ります。私たちの隣には船のスタッフ「小林クン」。彼はクジラやイルカを探し出す役目です。スタッフも乗客も目を凝らして探しますが現れません。1時間が経過しました。知床半島の先端部が左手に見える位置まで来てしまいました。「いったん潜ったら1時間くらい出ないのは普通だから」小林クンが、親切というか率直というか、ガッカリするようなことを平然と言ってくれます。「マイク入れてみよう」と船長。スタッフが集音マイクを海に入れ、クジラの鳴き声を探します。「近くに居ま~す」とスタッフ。「しばらく、この辺で待っていよう」と船長から指示が出ました。海中にマイクを沈めクジラを声を探す小林クンがひと声あげます。「1時の方向、ロシア側に浮いている!」「どこ、どこ?」「ずっと先に見えるっしょ。ブロー(潮を噴く)した!」母ちゃんが「見えた!」鈍くさい私は「どこやねん?」やっと見えました。国後島近く、潮を噴き上げるクジラらしい動物がいます。「朝の便はアイツを見たんかなぁ」続けて小林クン「10時方向に居る」。「この男、どんだけ目がエエんやろ?」と感心しながらカメラを向けると、たしかに居ました。巨体が水面を滑るように移動し、ときおり盛大なブローを見せてくれます。雄大なブロー。噴気孔が最前方左側にあるのはマッコウの特徴そのクジラを目指して「はまなす」は猛スピードで移動。小林クンによると「この時の判断難しい。追い付く前に潜られたり、元の場所近くで出て、どちらもダメということもある」そうです。追い付きました。目の前に信じがたいほどの巨体。生まれて初めて、生きているマッコウクジラを見ました。何度も何度もブローを繰り返し、反転しています。堂々とした遊泳。圧倒的な存在。感動、畏敬、安らぎ…言い表せない感情が心を満たします。コンデジの鈍いピント合わせに辟易しながらシャッターを押し続け…。そのうち、人間のお相手に飽きたのでしょうか、クジラは尾びれを高々と上げ潜ってしまいました。もう12時40分、帰港の時間をオーバーしていると思われます。船が港に向け走りはじめました。いきなり船側にクジラが出現。船はただちに反転してクジラを追尾します。至近距離で巨体をくねらせるクジラ。小林クンは「潜れ!」と何度も言っています。尾びれを上げる雄大なシャッターチャンスは潜るとき1回だけ。いつまでも浮いていられると、帰港しなくてはならない我々のシャッターチャンスが無くなるのです。長く雄姿を眺めていたい気持ちと、潜水行動を早く見たい気持ちが拮抗しています。10分以上も船の周囲を泳いでいたでしょうか、「潜る!」と小林クンが叫びます。慌ててカメラをクジラに向けます。どうにか潜水ポーズの撮影をすることができました。母ちゃんのデジイチも軽快なシャッター音を響かせています。いよいよ帰港。この頃になって、イルカたちが船の前方を次々と横切っていきます。早過ぎてカメラを構えることもできず、ほとんど見るだけ。それでも「あっちだ、こっちだ」と船内は大喜びです。ジャンプを繰り返し海峡をかけるイルカたちイシイルカだと説明されましたが、遠くてその姿を撮ることはできませんでした。帰港は30分遅れの13時40分。船長はじめスタッフの頑張り、目のいい小林クンに感謝です。羅臼の霧はすっかり晴れています。一息入れてすぐに出発。この旅行ラストの目的地は標津町の「サーモン科学館」。前回は真冬の駆け足訪問でした。遡上期にもう1回見学したいという母ちゃんの要望に応え組み込みました。次回は「サケにまつわるエピソード」です。
2012年10月09日
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先日、長野県佐久の砂利道でつまずいて、左手中指のじん帯を損傷したことは、チラリと日記で触れましたが、けっこう大ごとになってしまいました。当初、整形外科の診察では「ロキソニンテープを貼って我慢。だんだんと慣れてくるから、それまではあまり動かさないように」とのこと。自分ではできるだけ動かさないよう気をつけていたのですが、私の左手はずいぶん働き者のようで、腫れが引くどころか、腫れも痛みもひどくなっていきました。手の甲を走る中指の腱。通常なら左右からじん帯に支えられ写真の赤いラインで固定されているが、じん帯損傷のため指を曲げると外側にずれて(写真の青いライン)痛みが走る医者の「何やってるんですか」という叱責を受けて、ギブスで固められることになり、早や2週間を経過。昨日、やっとギブスから解放され、指のリハビリが始まりました。これからしばらくはロキソニンテープで消炎しつつ、拘縮の始まった指をほぐしていきます。重い物を持ったり力を入れられるのは1カ月後。それまでは週2回くらい通院し、低周波治療器とマッサージで指のリハビリを進めます。患部に消炎剤を貼付して、傷めた中指に薬指と小指を添えてギブスで固定。人差し指と親指で物をつまめるようになっている併せて、中断していた脳梗塞関連のリハビリ、筋トレも再開できます。左手に力を入れるプログラムは変更(手首に巻き付けるなど)・中止しての再開。回数がやたら増えるのでビックリです。週に1回は介護保険を使っての脳梗塞リハビリ、週2回は区のスポーツセンターで筋トレ、そして新たに週2回の指リハビリ、月に1回の脳梗塞診察に加え、月に1回は指の診察…。通院疲れが起こりそう。こんなんだから「年寄りは病院に行き過ぎだ」とか言われてしまうのでしょうね。以前の私であれば、石につまずいても、転びそうになっても、たたらを踏んで堪えられたことでしょう。あるいは受け身を取って事なきを得たでしょう。体全体のバランスが崩れ、左脚の筋力が衰えてしまっていることを実感しました。自分で思っているほど左膝が上がっていない、つま先が上がっていないのです。ギブスが外された左手。中指を中心にリハビリが行われる利き手ではない左手を固められたくらいでも、ずいぶん不自由です。風呂に入るのも炊事するのも、顔を洗うのでさえ、左手をビニール袋で覆い、包帯を濡らさないようにします。ビニール袋で顔をこするのは気持ち悪いし、右手だけでは苛立ちが残ります。またビニール袋の手で食器を持ち洗剤をつけてこすると、食器が滑り落ちてしまいます。野菜を刻む時は袋まで刻んでしまいます。また、ギブス状態ではゴルフのクラブが握れず、素振りさえできません。左手のマヒは本当に軽かったのに、不注意のため負傷して、自分から不自由を拡大してしまいました。自分のアホさにツクヅク腹が立ちます。
2012年10月05日
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知床五湖を出て羅臼へ一目散、といっても予定より早いので、岩尾別に寄ったり、知床峠で国後を遠望したり、のんびり移動。知床峠から見る羅臼岳「らうす道の駅」。目当ては羅臼で生まれた「鮭節」です。ところが道の駅にあったのは標津産「鮭節」。羅臼産は売り切れていました。どちらも似たような商品なんでしょうが、羅臼産へのこだわりが…。このあとの「鮭節追跡」については他日とします。望郷の森にある「羅臼国後展望塔」。道の駅の裏山といった感じの高台にある展望塔は海抜160メートル。展望塔屋上は朝日の名所といわれ、眼下には羅臼の町や港、ロシアが占領している国後島が遠望できます。「知床らうす八景」のひとつとされていますが、平日のためか観光客は私たちだけでした。「あんなに近いのに、日本じゃないんだ!?」「そうやなぁ、日本政府の外交方針が間違うてるから、ロシアに舐められてるんや」と、北方領土の歴史をレクチャーしてしまいました。悪い癖です。左手前に羅臼港。国後島が沖合に横たわっているいよいよ「鷲の宿」へ。この宿は、シマフクロウが観察できることで有名で、カメラマンたちが集まる宿。昨年も予約していたのですが、台風のため涙のキャンセルをしたのです。分かりにくい看板に従って川沿いの道へ。前方に相当くたびれた感じの建物が見えます。「あれか?」「写真は相当前のものだったんだね、ちょっと引くね」宿の玄関をはいって、ギョッとしながら案内を乞います。「2階の広い部屋にお客さん入れてしまったから、こちらで…」案内されたのは6畳の狭くて傷みが目立つ部屋。虫もいます。極端に虫に弱い母ちゃんは絶句したまま立ち尽くして…。女将さんが「2階の人が帰ってきたら、替ってもらうからね~」と。ちょっと安心して、荷ほどきストップ。とりあえず、シマフクロウの飛来ポイントを案内してもらいました。「車の中から撮影してもらうんだけど、ここが正面だから早く車を移動させて。早い者順だから」と、女将さんの親切なアドバイス。車を移動させ、カメラをセットします。三脚は母ちゃんに貸して、私は車の窓を全開にし、車の非常停止板の箱をテーピングテープで固定しました。カメラをこの上に置いて撮影するのです。羽ばたき。音を立てずに飛び上がるシマフクロウ(デジイチ)夕食までに汗を流したいのだけれど、風呂があるかどうかわからない…。女将さんは食事の準備に忙しそうだし…他のお客さんに訊きに行くのも憚られるし…。川の傍でウロウロしていると鳴き声がして、エゾジカの親子がやってきました。もうじき夕暮れになります。夕食は18時、18時45分に水銀灯が点き、シマフクロウの飛来を待つのだそうです。夕食前、早くも飛来したシマフクロウの鳴き声が響きます。ビール瓶に唇をあてて吹いた時の音に似た、低く力強い声。「ボー、ボー」「さっき、2羽が山から飛んできたよ」常連らしい人が教えてくれました。「どこに居てるんですかね?」「裏の林の中で待ってるんだよ」18時。常連さんや私たちのような初参加者が一堂に会して夕食。とにかく狭いので膝つき合わせての食事。自然に生まれる「和気あいあい」の雰囲気が初対面同士の距離を縮めます。見た目はともかく、そのボリュームは半端ではありません。刺身、焼き魚、鉄板焼き…てんこ盛りのズワイガニ。女将さんの心意気なんでしょうね。これだけの量を45分間で食べ切るのは無理(昔の私なら平気だったでしょうが)。女将さんに「ごめんなさい、ズワイ食べ切れなかった」と謝って車へ。何台もの車が川に沿って停車しています。宿泊客以外にも撮影に来た人たちの車もあります。撮影に当たってのルール。車から出て撮影はしない、フラッシュ撮影はしない、大きな音(声)を立てない…。オリンパスのデジイチで挑む母ちゃんに、夜間撮影の注意をアドバイスして、私はいつものコンデジをセッティング。狭い車の中、窮屈な姿勢でスタンバイ完了です。鋭く周囲を警戒するシマフクロウ(デジイチ)シマフクロウがこの宿の前にやってくるには理由があります。女将さんが川の中にある窪地に生きた魚を投入。裏の林からジッと観察しているシマフクロウがタイミングをはかって舞い降り、窪地で泳ぐ魚を足で掴むのです。魚が投入されました。なかなか降りてきません。川のほとりの木の枝にとまりました。しばらく身を潜め、周囲の状況を観察しています。突然、窪地の縁に舞い降ります。シャッターが追い付きません。翼を広げ窪地に飛び込んだ瞬間(コンデジ)周囲を警戒するシマフクロウ。ジリジリとする長い時間…窪地に飛び込むフクロウ、一撃で魚を足に掴んでいます。周りを警戒しながら嘴で咥えました。一瞬の出来事です。子どもに与えるため、咥えたまま林に戻っていく親フクロウ、勇気を出して川まで降りてくる子供のシマフクロウ。3羽の親子が山から下りてきているようです。足で掴んでいる魚を嘴で咥えなおす(コンデジ)魚を咥えたシマフクロウの子供(デジイチ)あっという間に2時間以上が経過。シマフクロウの飛来が間遠くなってきました。そろそろ撤収か? 車の真傍にキタキツネがやってきました。母ちゃんが声を潜めて「キ・ツ・ネ!」と。気づくのが遅れた私はカメラをうまく操作できません。結局後ろ姿とブレブレの顔だけが写りました。ひょっとしたら、窪地の魚を狙ってやってきたのでしょうか?岸辺から魚のいる窪地をうかがうキタキツネ(コンデジ)常連さんの話では23時ごろまでライトアップしていて、シマフクロウが観察できると。窮屈な姿勢で撮影しているので21時すぎには撤収。女将さんの申し出に快く応じてくれたお客さんに感謝しつつ、2階の部屋に移動しました。母ちゃんが、食堂に居た常連さんに「あの~、お風呂は?」。教わったお風呂は、湯が張ってありません。シャワーで入浴を済ませます。風呂から出た母ちゃんが、洗面所で大きなクモを発見。「ぎゃ~っ! ク、クモが…、何とかしてくださ~い」その声に驚いた食堂の常連さんたちが駆けつけ、クモを外につまみ出し、おののく母ちゃんを救出してくれたのでした。人騒がせなオバサンです。シマフクロウとシカの声を聞きながら、少し早目の就寝をした2日目でした。最終日に続きます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・シマフクロウは世界で最も大型のフクロウで魚が主食。分布は北海道・南千島、 サハリン・ウスリー地方に限られています。 北海道での生息数は140羽程度で絶滅の危機に瀕しています。開発による生息地の破壊および針葉樹の植林、水質汚染、漁業との競合、交通事故、生息地への人間による繁殖の妨害などにより生息数は激減。日本では1971年に国の天然記念物、1993年に国内希少野生動植物種に指定されました。また1980年代から保護対策が進められ、繁殖成功数は増加していますが、生息地が消失しているため数は増えていません。
2012年09月28日
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今日は割込み日記です。先頃、本流の名手・細山長司さんが千曲川本流釣りに挑戦した番組(スカパーの「釣りビジョン」チャンネル)を見ました。細山さんは、ヤマメやサクラマス、サーモンなどを、本流域で釣る「本流釣り」という分野を開拓した人。「本流釣り」という言葉の名付け親としても知られています。ふつう川幅が広く魚のサイズも大きくなる本流域では、渓流用延べ竿ではなく、リールを使って釣り上げます。細山さんはその常識を破り、8メートル以上の延べ竿を駆使して、どんな大物も釣り上げるのです。本流ヤマメを引き出す細山さんの技を堪能しましたが、注目したのは「ポイント」。友人宅からさほど遠くない佐久市内の流域だったのです。「いて座通り」と呼ばれる県道の千曲川に架かる橋が「住吉橋」、その上流(南側)には佐久総合病院や臼田コスモタワー(ロケット型展望台)などが見えます。そばに架かる橋は「臼田橋」。「いま映ってる場所は、アソコやないか?」「あ~っ、そうだよ!」「あんなとこでもヤマメ釣れるんかなぁ?」ポイント案内の本でも、千曲川本流というと川上村あたりが紹介されます。私の認識では、佐久市内で釣れるのはコイかハヤ。いくら名手・細山さんでも無理ではないか…。番組後半、佐久総合病院近くのポイントで本流アマゴを釣り上げる細山さん。ポイントが絞り込みにくい本流を制しました。一緒に見ていた母ちゃんが「ここで釣る!」「え~っ!! 本流釣りは難しいで~。竿も長いし…」「短い竿で大丈夫。いつもの仕掛けでやる」「そら、無茶やで~」9月の連休は、マツタケ狩りで佐久に友人家族が集結する予定ですが、私はマツタケ山の急斜面を登ることができません。母ちゃんの策略はこのハンディを逆手にとって釣りをしようというのです。「策士やね~」「あそこは佐久市だよね(臼田町とは違う)」かみ合わない会話の結果、決行することに。ヤマメを釣り上げたテトラ付近。リュックには替え竿やオヤツ当日は晴れ。水は少なめ。朝8時過ぎに住吉橋から河原に降りて本流釣りを開始します。私は8.5メートルの本流中継竿。エサはブドウ虫・ミミズ・クロカワ虫を交代で使います。オモリはB~3B。母ちゃんは5.3メートルの愛用竿。エサはここでもイクラ。オモリはナツメ型1号。釣り始めてすぐ私にハヤ。流れが緩すぎるポイントだったようです。しばらくして母ちゃんがやってきました。「見た目より流れが速くて…魚信(アタリ)が全然ない」「本流は、渇水気味でも水量が多いし、勢いがあるから、オモリを重くして底を這わすんや。足取られたら一気に流されるから、気ぃつけなアカンよ」「立ち込まないから大丈夫」再開。私にチビヤマメがきました。小さいながら本流育ちのヒレピン。その後、母ちゃんにもハヤ。その後アタリが途絶えました。「佐久病院の方へ移動するか。ちょっと深いから、君には難しいかなぁ」いったん堤防上に上がり移動。投網を準備している(私よりだいぶ若い)オジサンがいました。彼はニゴイを狙っているそうです。やっぱり佐久の人はコイが好きなのか? 細山さんの番組収録のとき見ていたそうです。大物を釣っていたのは病院下の下流域。「どこから降りればいいですか」「あそこは、いったん対岸に回って、そこから川を渡らないと行けないんだよ」足の不自由な私が母ちゃんをリードして渡るのは無理です。本流ヤマメの面構えとりあえず、近くのテトラ上に降りて竿を出します。オモリはBを3個付けて沈めました。テトラ近くの流芯脇を流していると、ガツン! きた~!母ちゃんがタモを持って構えます。「ニジマスだ。いや違う、ヤマメだよ」タモに上げたヤマメは体高のある重量級。残念ながら寸法は28センチ程度です。「居るんだね」「尺上釣りたいなぁ」そのあとは、アタリがなく…。母ちゃんがオジサンから教えてもらった対岸の道へ向かいます。ザックリとした教わり方で、かなりの距離歩いても川にぶつかりません。川にぶつかっても河原に降りて行けません。とうとう病院駐車場まで来てしまいました。けっこう「くたびれモード」になっていましたが、もうひと頑張り。病院とコスモタワーの中間にある臼田橋下で釣りを再開しました。臼田橋から下流方向を望む母ちゃんは得意の浅瀬。私は水深のある流芯脇を流します。開始1時間くらいで、きた~!! これはかなりデカイ。取り込みやすそうな岸側へ移動します。「(男は声を出さずに)あっ!」石に付いた水ゴケに足を滑らせて転倒。幸い岸に近い場所だったので流されずに済みましたが、転倒した勢いでラインが切れてしまいました。クソ~ッ! 逃げられた悔しさ、石にぶつけた腿の痛さ、水に濡れた服の気持ち悪さ。一気に戦意がそがれ納竿。母ちゃんは私よりひと足先に釣りを終えていました。立ち込めない私たちには、本流釣りは難しい!この日は厄日。転倒のほか、ウェダースーツに穴があいて足は水浸し、友人宅前でつまずいて左手中指の副じん帯断裂、おまけに雨不足でマツタケ山は毒キノコさえ出ないほど地面が乾燥…。桜満開の龍岡城五稜郭(11年5月)ちなみに、臼田橋から東に2キロ移動すると「龍岡城五稜郭」があります。築城開始は明治維新の4年前、完成を見ずに維新を迎えました。五稜郭といえば函館の方がメジャーですが、日本で2つだけの五芒星形西洋式城郭として、国の史跡に指定されています。桜の季節は堀に浮かぶ花筏がひときわ美しい城郭です。次回は北海道の続き。
2012年09月25日
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知床2日目。昼の部は「カムイワッカ湯の滝」と「知床五湖」。17時までに羅臼側の宿に着けばいいので、朝の出発はゆっくりです。このところ定宿のように利用している「ホテル知床」を10時にチェックアウト、「カムイワッカ湯の滝」へ向かいます。知床半島のほぼ中央、活動を続ける硫黄山に源を発するカムイワッカ川は3キロもない短く急こう配の川。いくつもの滝を形成しながら岩盤を駆け下り、オホーツク海に直接流れ落ちています。これが昨日クルーザーから観察した名勝「カムイワッカの滝」。大量に流れ込む硫黄分によって海が変色しています。海に流れ落ちるカムイワッカの滝。後ろに硫黄山「カムイワッカ湯の滝」は、硫黄山から湧出した硫黄分の多い強酸性高温泉水が滝となって落ち、4か所の滝つぼで天然の露天風呂になっています。その存在は世界遺産登録以前から知られていましたが、ヒグマなど野生動物の生息域であるため、訪れる人が滅多に居ない正真正銘の「秘境」でした。世界遺産登録とともに「秘湯中の秘湯」として観光客が急増。高温泉水による火傷、滝を登る途中での滑落・落石など事故も急増してしまいました。現在は厳しく規制され、監視員が常駐、「一の滝(一番下の滝)」から先は立ち入り禁止です。ウトロから五湖方面に向かい、途中で右に分岐して未舗装の道路を約11キロ進みます。前後に車はいません。砂埃を巻き上げながら樹林の間を走りますが、野生動物には出合いません。もう日差しは強くなっており、クマもキツネも日影に身を隠しているのでしょう。以前は、草原、樹林、住宅地にもたむろしていたエゾジカさえ姿を見せません。そういえば、昨日から、エゾジカはほとんど見かけません。「どうしたんだろう?」「有害駆除で食べられたんと違うか?」「ウトロの手前に、エゾジカ・ファームがあったけど、みんな捕まってあそこに入れられてるんじゃないの?」「あそこで処置されて、商品にされとるんかなぁ」ダートの11キロは意外に時間がかかり「思えば遠くへ来たもんだ~」状態。駐車スペースが見えてきました。7、8台くらい停まっています。この先の道路は閉鎖され知床大橋へは行けません(海からは見えているのですが)。駐車場から坂道を歩いて川に入りますが、その前にやることがあります。裸足になって滑り止め付きの靴下を履くのです。滑り止め付き軍手を五本指靴下にしたような感じ。登りが困難なほどのこう配ではありませんが、安全のためには必需品。道の駅、自然センターなどで販売しています(1000円)。昔の沢登りではワラジを履いて滝を溯上して行きました。時代変わればシナ変わる、こんな製品ができていたのですね。湯の滝は滑床の岩盤なので厚ぼったい滑り止めは要りません。写真で見るとずいぶん間の抜けた格好ですが、薄くて脱げにくいスグレ物。これを履いて、水の流れているところを歩きます。水のない所の方が安心なようですが、これは間違い。水の中は強酸性のため苔が生えず滑りにくいのです。入口の注意にもかかわらず、裸足で登る人たちもいます。危険! 危険!すべらんソックス。ロゴ入りのタオル・ビニール袋の3点セット滑らない靴下にも弱点はあります。裸足の人も同じですが、強酸性の温泉水に足を浸したままなので、皮膚がピリピリとしてくるそうです(伝聞表現なのは私にはわからなかったため)。私らの近くにいた夫婦のダンナが悲鳴を上げていました。そんなにすごいのか?滝つぼに浸かっている人はいませんでした。流れ出しでは高温だった温泉も「一の滝」まで来ると温度が低下し、温水プールくらいのぬるま湯に。これでは温泉を楽しむという訳にはいきません。規制前は上部の滝つぼで露天風呂を楽しめたといいます。知床五湖。何度来ても飽きない不思議な魅力。このところヒグマ目撃が相次ぎ、遊歩道は連日閉鎖されています。今日はどうだ? やっぱり全面閉鎖だ~!五湖のマップ。この日は左の高架木道部分以外全面閉鎖といっても、電気柵を設置してある高架木道はOK。まあ行ってみるか!母ちゃんは、面白い理屈で燃えています。「遊歩道付近に出没しているということは、高架木道周辺にも出没する可能性が高いのではないか。ということは、クマザサの中や湿地を注意深く観察していれば出合えるはず」自分専用のオリンパス・ペンを構えたまま草むらを探っています。高架木道。後ろの山並みは知床連山「だめだ~、 居ないよ」「こんなカンカン照りのなか歩き回る動物は居てへんよ。3時過ぎから日没くらいまで頑張ってたら会えるんと違うか?」「羅臼に着くのが遅くなるからダメ!」「ほな、仕方ないやんか」高架木道は1湖の傍まで伸びています。あわよくば、木道の終点で粘っていたら、1湖あたりを散歩するクマを見られるかもしれません。望みは絶たれました。エゾジカが悠然と草を食べています。ヒグマがいればもっと緊張感が漂うはず。木道終点から見る1湖「諦めて、早めに羅臼へ行こう」昼の部では、懸命のアニマル・ウォッチングも実らず、エゾジカ数頭だけ目撃。母ちゃんが、五湖の「知床フィールドハウス」のスタッフに、ヒグマの出没とエゾジカの減少について、尋ねました。木道の下、木陰で草を食むエゾジカの親子ヒグマの出没は、猛暑による木の実など山中でのエサの減少が大きいのではないか、さらにサケ・マスの遡上の遅れと関係があるのではないかとのこと。また、エゾジカが少なくなったのは有害駆除のため。居なくなるほど駆除しているわけではないが、姿を隠しているのだと思われると語っていました。レストハウスで「シカ肉コロッケ」など食べながら、つくづく人間のエゴを感じた私ではありました。2日目、午後~夜の部に続きます。
2012年09月21日
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知床半島に入り、最初のウォッチングは「カラフトマス」。遡上するマスやサケを観察できる遠音別橋。遠音別川は水深が浅く、ひしめき合いながら上る魚たちの様子が目の前で観られます。が、1匹のマスもいません。どうしたんだろう? 海水温が高いせいでしょうか、遡上が遅れているようです。「気の早い奴が1匹くらい居てるんと違うか」河口あたりまで降りて探してみましたが、やはり居ません。海岸で竿を出している釣り人も手持無沙汰な様子です。諦めて1.5キロ先の「オシンコシンの滝」でひと息。滝からのマイナスイオンを全身に浴びて体力回復します。マスも観光客もいない遠音別川いよいよ、本日のメインイベント。知床観光船に乗って知床半島の先端まで行きます。週間予報では雨の可能性が高く、ハラハラさせられました。風雨が強かったり霧が出たり、あるいは波が高かったりすると運休となります。幸い前線通過が半日遅れてくれたため、知床は朝から晴天。いくぶん風が強く波も高いようですが、出船が決定しました!!「てるてる坊主のおかげだね」と母ちゃん。私たちのバックパックにも1つずつぶら下がっていますが、会社でも毎日作って晴天を祈っていたそうです。「知床観光船FOX号」は、小回りのきく小型クルーザー。最初に予約した客は、360度見渡せる上部甲板に座れる特典付き。見晴らしが良いだけでなく、運転席の船長さんからいろいろ話を聞けます。予約の早い私たちは毎度この席をゲットできています。が、風を除けることはできず、体温を奪われ続けます。真夏のこの時期にも防寒具が必要です。観光船は3コース。「カムイワッカの滝」コースは往復70分、ヒグマ目撃率は40%くらい。往復2時間の「ルシャ」コースと往復3時間の「知床岬」コースは目撃率ほぼ100%です。14時出港。カムイワッカの滝まではヒグマ出現なし。フレペの滝、五湖断崖、奇岩群、硫黄分が濃いカムイワッカの水がつくり出す海水面の変色など観察しました。フレペの滝は別名「乙女の滝」。隣の断崖に隠れるように落ちる「男の涙」現役の番屋があるルシャ湾が近づいてきました。ここはヒグマの生息数が多く、番屋漁師と共存していると言われています。まだヒグマは現れません。このコースでは、目撃できなければ「残念賞」がもらえます。そんなグッズは要らないから顔を見せてくれ~!!全ての乗船者が陸地を見つめています。船のスタッフは大きな双眼鏡、うちの母ちゃんも愛用の双眼鏡を使ってクマを探します。悠然と羽ばたき、半島の奥地に飛び去るオジロワシ視界の隅を黒い影がかすめました。大きな鳥がゆったりと羽ばたいて青空を翔けていきます。「オジロワシだ!」と船長。冬になるとシベリアから飛来する鳥ですが、北海道に留まる個体も僅かにいるとのこと。ラッキー! この調子でヒグマもよろしくね。願いが通じたのか、ルシャ湾手前の浜に2頭のヒグマ。ひとり立ち前の大きな子熊と母親です。草むらに顔を突っ込んで何か食べているように見えます。番屋の周りをうろつくヒグマはいません。大きくても子供。何くれと気遣う母親ルシャ湾を通過してまもなく、草むらを出て浜を歩いていく少しスリムなクマを発見。スリムが立ち止り前方をみつめています。その目線を追って浜辺を見ると、母子グマが海から上がってきました。スリムは様子を窺うようなしぐさ。どうなるんだろう…海から上がった母親。6~7m後ろ、鳴きながら追う子供母子を気にして回れ右するスリム熊スリムに気づいた母グマは、追い払いの行動に出ました。牙をむき出して走る母親の顔つきが想像できます。母親の勢いに驚いたのかスリムはスタコラと草むらに逃げ込み、母クマもそれ追いかけて草むらへ。置いていかれた子グマも慌てて草むらにかけ込んでいきました。船長の話では「なかなか見られない光景だ」そうです。威嚇する母親、草むらに駆け込むスリム、子熊も頑張って走る今年は猛暑のためサケ・マスの岸寄りが遅く、木の実も少なくて、エサ不足に苦しむヒグマが多いと言います。3頭も飢えていたのでしょうか。さらに、カシニュの滝から知床岬に向かう浜にも3頭のヒグマ。若い1頭と、海から上がってきた母子グマ。お互い気づかないのでしょうか、先程のような追い払い行動は見られませんでした。定置網のため船が近づけない。大ピンボケの3頭いよいよ知床岬です。先端へ通じる道路はなく、ルシャ湾からは船で行くしかありません。私の勝手なイメージでは、岬の灯台下は平原になっているのでヒグマが何十頭も群れをなしているのではないか…。実際には1頭のクマもいませんでした。静寂に包まれた知床半島の先端、知床岬クルーザーは反転してウトロに向かいます。スピードを上げ沖合を進みます。うまくいくと沖にイルカを見られるかもしれません。そう思って海面を見つめますが、西日が反射して捜しきれません。17時15分、無事ウトロ港に到着。世界遺産・知床半島の断崖景観とヒグマ・ウォッチング、堪能させてもらいました。2日目に続きます。
2012年09月15日
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昨年、西日本に大きな被害を出した連続台風のため、2度も北海道旅行をキャンセル。日程をずらして、大雪山系ハイキングは実行できましたが、アニマル・ウォッチングは宿題として今年に持ち越したのでした。新年早々の発症で今年の旅行計画は白紙。退院直後に伊豆高原、GW恒例の長野、半年を経過して宮古島、渓流釣り再開・ゴルフ初挑戦…と行動を拡大してきました。そして、今回はアニマル・ウォッチングのリベンジで北海道へ行きます。ただ、北海道旅行で問題になるのは運転。「でっかいど~、北海道!」の謳い文句どおり、とにかく広いのです。今回は2泊3日、知床がメインの旅程。それでも走行距離は約400kmあります。右に斜里岳、左に知床の山々が広がる出発に先立ち、主治医のアドバイス。宮古島のときと同じく1時間に1度は席を立って機内を歩くこと。座席でも左つま先は動かすように(通常より広いクラスJでも必要)。そして、運転はくれぐれも慎重に。軽度の脳梗塞とはいえ、左半身がダメージを受けており、左側からの刺激に反応が遅れる危険性があるので、くれぐれも注意するように。特に北海道は全体がスピードを出しているから…、というものです。一定時間走ったらキッチリ休憩を取る、早めにチェックイン・遅めにチェックアウト。血圧はじめ体調を管理し、変調を見逃さない。辛いときは運転を交代してもらう、状況に応じ日程変更も…。濤沸湖から見る斜里岳。放牧馬が北海道らしい9月3日からの週は、前週までの夏型気圧配置が崩れ、全国的に天気が不安定。特に6日は、気象協会自体が予報信頼度「C」とするほど。いつものとおり2種類の旅程表を作りました。1日目。6時55分発JAL便で女満別空港へ。少し風が強いようですがいい天気です。まずサンゴ草見学。最近、ツアーの広告はサロマ湖キムアネップ岬のサンゴ草見学ばかり。私たちも行きたかったのですが、空港から60キロ以上もあり行程的に無理。「日本一のサンゴ草」で有名な能取湖へ。驚愕!! 見るも無残なサンゴ草。復活するのだろうか行って愕然。数年前は真っ赤なサンゴ草に覆われていたのに…まばらに色づいているだけです。「平成22年度に行った色づき改善事業で図らずも群生地が縮小してしまった」「専門家の指導を仰いで原因調査と対策を行っている」との看板が立っています。「なんで最初から専門家に指導してもらわなかったんやろか?」「うまく復活するのかしら?」首をひねりながら撤収です。07年の能取湖サンゴ草群生網走漁港にある道の駅に隣接する「流氷硝子館」へ。ここは、廃棄蛍光灯のリサイクルガラスを使用した手作りガラスの工房。リサイクルガラスを原料にした製品は「エコピリカ」と呼ばれ、環境や温暖化への負荷を減らすトレードマークになっています。私は、リサイクルガラスにホタテの貝殻粉を焼き込んで磨いた作品「幻氷」グラスをゲット。グラス表面の模様はオホーツク海の流氷そのものです。流氷を想起する見事な作品「幻氷」「花より団子」の母ちゃんは、館内のカフェ「帽子岩」が目当て。オホーツク海を一望出来る席に座って、「流氷たまご」を食べるのだそうです。サケ・昆布・ゆかりなどのおにぎりを魚のすり身で包み、揚げた(かまぼこ)料理。もともと網走は冷凍すり身発祥の地。食欲をそそるネーミングですが、揚げ立ての「たまご」は本当に美味しかったです。流氷たまご。サラダ、スープ、ヨーグルトが付いて680円網走からは知床半島「オシンコシンの滝」まで70キロの道のりです。網走港を出ると左手はオホーツク海。浜には何本もの釣竿を立てた釣り人たちが、岸に寄ってくるカラフトマスやサケを狙って頑張っています。「山デジさん、いるかもね」と母ちゃん。「札幌寄りの海岸に居てはるんやないかなぁ」と私。山デジさんというのは、札幌在住の詩的センスにあふれる「ブロ友」です。そんな会話をかわしながら、平日の知床国道・334号線を駆け抜けました。知床・ヒグマウォッチングへ続きます。
2012年09月11日
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いま羅臼にいます。昨年秋、台風のためキャンセルした企画のリベンジに、6日からチャレンジしています。今回は天候にも恵まれ、暑さと日焼け対策が必要なほど。高い青空に秋を感じつつ、マスの遡上が遅れていることに落胆したり…。 早くも本日最終日。このあと、クジラ探しの船に乗ります。ウトロでのヒグマウォッチングに続く2回目の船旅です。おいおいと旅日記Upsしていきますので、お待ちください。写真は知床の名瀑オシンコシンの滝です。
2012年09月08日
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昼食や打ち合わせで利用させてもらっている会社近くの「M洋菓子店」。入口はケーキ屋さん。奥はランチもやっている喫茶室。広いわけでも小洒落ているわけでもありませんが、なぜか落ち着くのです。出版関係のお客さんが多いせいか、全席喫煙OK、きゃあきゃあ騒ぐ学生やママ友はいません。そして、永年、私のワガママに辛抱強く付き合ってくれている貴重なお店です。男鹿川のイワナ。自然のエサで育つと腹は黄色くなるたとえば、ロールキャベツ。食べるにはフォークとナイフを操ることになります。でも、片手に本を持っているのだから、両手は使えない。「一口くらいに切ってくれる? フォーク1本で食べられるように」オムライス。「オムライスといえば、卵の上はハートマークやろ。お兄ちゃん(オーナーの長男、マスター)のハートマークでは怖いから、毎回違う絵を描いて」絵心のあるお兄ちゃんは、季節感のある題材をケチャップで描いてくれます。ヤマメ、ヒマワリ、アサガオ、花火、紅葉などなど。挙句には、「毎日注文するのは面倒なんで、お兄ちゃんが“今日は何を食べさせようか”考えて」。人の良いお兄ちゃんは、カレンダーに私に供した料理を記入して管理してくれています。発症してからは特に大変。「塩分控えめ」「油抑えめ。揚げ物禁止」「量は普通の3分の2」…甘え放題の私の注文に、キッチリ応えてくれるありがたいお店。店のママさん、お兄ちゃんはじめスタッフに迷惑をかけながら、相も変わらず通っているのです。三依を見守る芝草山。雷雨を呼ぶ雲が峰にかかろうとしているさて、この店のお兄ちゃんも渓流釣りをやります。但し、エサ釣り専門の私とは違って、スマートなフライフィッシング。ときおり釣行しているようですが、車の運転ができないため、行動範囲が極めて小さいのです。それでも河川清掃のボランティアに参加したり、男鹿川をこよなく愛してくれています。昨シーズンは同行できなかったので「今年こそ」と思っていたのに、私の発症で無期延期。しかし、先日の男鹿川釣行で、無理しなければ大丈夫との確信を得たので、「お兄ちゃん、一緒に行くか」と声をかけ、先週、同行したのです。午前2時すぎ足立の自宅を出発。市ヶ谷の店まで行き、男鹿川三依地区へ。彼も久しぶりなので、入渓しやすくロッドを振りやすい「三依銀座」からスタート。先日よりも渇水状態がひどくなっていますが、ポイントは生きています。お兄ちゃんは、「まるみの湯」から「古代村」までの開けた流れに、フライを延々と打ち込んでいます。まじめな青年なのです。私は、彼から100メートルくらい遅れて釣り上がっていきました。男鹿川本流と支流の合流点を攻めるお兄ちゃん照りつける日差しの中、6時頃から11時半頃まで5時間以上もロッドを振り続けている彼に「昼休み」と電話して、蕎麦店・古代村さんへ。水分を補給しても補給しても足りないような感じです。「午後からどこで釣りたい?」「さいかち橋からその上流付近に行きたいです」お兄ちゃんの希望するポイントは、野岩鉄道・中三依温泉駅と上三依塩原温泉口駅の中間にあり、ウェダースーツで歩いていくにはキツイ距離。彼にとっては初挑戦の場所です。さいかち橋へ移動。このポイントも渇水状態です。まあ何とかなるでしょう。彼は、生真面目にロッドを振り続けています。私の方は、左脚がだんだん上がらなくなり、石に躓くことが多くなってきました。全身がだるく、根気が続きません。釣り再開から2時間近く経っています。「熱中症か?」日影に入り装備をはずして首筋を冷やしますが、大量の汗が止まりません。車に戻り、エアコンを効かせ、アクエリアスをたっぷり飲んで横になっていました。30分ほどで症状が落ち着き、体も動かせるようになったのです。さいかち橋から下流を見る。渇水状態が痛々しい15時過ぎ、黒雲が広がってきました。予報どおり雷雨がくるかもしれません。お兄ちゃんも戻ってきました。塩原にある会社の保養所に寄り、温泉で汗を流し、体温調整も行って帰宅の途に。あまり眠らずに出掛け、炎天下長時間釣りをしたのが敗因だったのでしょう、けっこうキツイ1日となりました。釣果は、お兄ちゃんが1匹、バラシ1匹。私はキープサイズのイワナ・ヤマメ3匹、15センチ以下のヤマメ3匹、ハヤ2匹でした。でも、お兄ちゃんが満足してくれて何よりでした。来シーズンは猛暑の時期は外して、同行しようと思います。
2012年09月03日
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カラオケ・ゴルフ・麻雀など「大人の遊び」では抜群のうまさを発揮する「ハイテンション夫婦」と母ちゃんの企画で、夏休みは本コース18ホールに挑戦することに。「え~! 18ホール歩くんか~!!」「ゆっくりでいいから。9ホール終われば昼休み取れるから…」「まあエエゎ。行くよ」アイランドリゾート那須のゴルフコースところが、ゴルフ計画がエスカレート。本コース前日にはショートコース(ホールまでの距離が短い)で練習ゴルフ。「まぁ、これはこれで、練習やからエエゎ」ところが、さらにショートゴルフに行く計画が持ち上がりました。いったん栃木から戻り、2日後にやるというのです。移動日と私のリハビリ日を除き、4日間のうちゴルフが3日!もう「エエわなぁ」と言っておれません。「なんで3日間もゴルフせんとアカンねん!!」今の私には山登りも海遊びも渓流釣りもキツイだろうと、彼らなりに気を使って、「ゴルフなら大丈夫だろう。自分たちも楽しいし…」と計画したらしいのですが、私からすると、あまり歓迎できる企画ではありません。天然温泉・花湯の森。煮ぼうとうの「麺屋さくら」も併設「君らが何と言おうと、俺はゴルフ大好きとは違うから、こんな計画は承服でけへん」と抗議したものの、「貸切露天風呂とゴルフがセットになってるから」「名物の煮ほうとうが食べられるから」などと説得され(温泉と美味い物に釣られて?)、行くことに…。「No と言えない日本人」のサンプルのような私ですが、結局、夏休み全体の日程は次のようなことになりました。1日目=釣り(前回日記)2日目=那須のショートコースでゴルフ3日目=那須の本コースでゴルフ4日目=帰宅の移動日5日目=私の通所リハビリ6日目=埼玉県深谷のショートコースでゴルフ&天然温泉&名物まあ、いつでもどこでも楽しんでしまうのは私の特技だし、ハイテンション夫婦も一緒です。ワイワイガヤガヤとゴルフ三昧の休日をエンジョイしたのでありました。那須・戸田ゴルフ練習場のショートコース1日目のショートコースは、ホールの順番表示がよく分からずウロウロ。しかも、同じコースを利用して「パークゴルフ」というゴルフ風のゲームができるので、子どもたちがコース上をチョロチョロ走り回ります。いくらショートコースといってもゴルフボールは危険。ヒヤヒヤしながらコースを回りました。2日目は本コース。幸い前の組がおそろしく遅くて、愚図な私らには大助かり。私たちの後の組が問題。2人の子ども(中学生・小学上級生)と父親の3人組が、ルールもマナーも関係なくプレイするのです。私たちがまだゲームをしても後ろから打ち込んでくるし、この日は禁止されていたカートのコース乗り入れをやったり…。事前情報とは違ってコースの起伏が激しく、脚に相当な負担がかかります。18ホール回り終わったころにはフラフラになっていました。脚はガクガク、それでも頑張ってバックスイング3日目のゴルフは酷暑の中のゲーム。3日とも熱中症を防ぐためにお茶やアクエリアスなど大量に用意しましたが、それでも汗まみれ。この日、深谷では37℃を記録。大汗をかくだけでなく、畑から立ち上る堆肥臭にも辟易しながらのゲームとなりました。それでも根性を出して熱々の「煮ぼうとう」を食べ、さらに汗を流したのでした。深谷のショートゴルフ場。ハイテンション妻の華麗なティーショットそのせいか3日間とも全員が乱調でスコアはボロボロ(単に下手なだけか!?)。感想は「真夏のゴルフはキツ過ぎるなぁ」。
2012年08月27日
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人生初の不思議な夏休み。会社には飛び石出勤して、週の半分が「日曜日」の身で夏休みも何もあったものではありませんが、やっぱり「夏」には「夏休み」です。母ちゃんは11日から19日までの「大型連休」。半分は家でゴロダラ、半分は栃木県塩原にある会社の保養所で過ごしました。脳梗塞を発症した保養所なので「再発」への不安感が頭を持ち上げます。解消してくれたのは同行の友人ご夫婦。テンションの高さでは日本一かもしれません。男鹿川の中三依地区。入渓しやすく釣りやすい三依銀座11日は朝から渓流釣り。塩原温泉郷から山を越え、向かう先は男鹿高原に沿って流れる男鹿川。栃木と会津の県境に端を発する鬼怒川の支流で、私のホームグランドと言える渓流です。左脚の障害で5月は渓流沿いの道路からの釣りでしたから、事実上今季初の入渓となります。ただし、入渓ポイントは男鹿川三依地区の「三依銀座」。ほぼ全部が浅瀬か深瀬の開けた本流筋で、膝下まで水に浸かれば十分に釣りができる、初級者向きの穏やかな渓相。それでいて、野生化したイワナやヤマメが溯上の疲れを癒す底石に恵まれた好ポイントが連続しています。続けて飛び出したイワナ。放流魚らしいが野生化していたこの日の川はいささか渇水気味。こんな時には流芯脇や駆け上がりで釣果が出るようです。ご夫婦は主に母ちゃんに任せ、私は、流れの強さとオモリの関係や投入・流し方などをときたまアドバイスする程度。3人の後をゆっくりと釣り上っていきます。トンボたちが竿先までズラリと留まり、厳しい残暑の中に秋の到来を感じます。銀毛化した大型のヤマメ。しびれるような釣り味最初は25センチくらいのイワナ。野生化して腹は黄色くなっています。そばのポイントで、ほぼ同サイズのイワナ。その上流、流芯脇の強い流れから飛び出してきたのは約32センチ(指で計測)の銀毛化したヤマメ。久しぶりの男鹿川、絶好調です。8時前から釣り始め11時納竿まで、ヤマメ4、イワナ4の釣果でした。母ちゃんの釣りあげたヤマメ。これも27~28センチあったちなみに、瀬釣りの名人・母ちゃんはイワナ・ヤマメ各1匹。ご夫妻はそれぞれ1匹の釣果でした。納竿後は、地元の蕎麦店「古代村」さんへ。オーナーのmasaさんと1年ぶりの挨拶を交わし、名物の十割そばを注文。やっぱり美味い! 長野育ちの友人の奥さんは「ソバが生きている。いい香りだね」と絶賛していました。
2012年08月20日
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宮古島の名所や名産をいくつか紹介します。■東平安名崎(ひがしへんなざき)宮古島の東南端にある名勝地。隆起サンゴ礁の石灰岩でできた半島は、東シナ海に2キロも突き出ています。この日は閉鎖されていましたが、先端にある灯台に登ると地球の丸さを実感できると言います。■来間島(くりまじま)・来間大橋宮古島の南西、1.5キロ沖にある島。宮古島とは約1700メートルの来間大橋で結ばれています。島の竜宮展望台から見る前浜、来間大橋の景観は息をのむほど美しかったです。■福里地下ダム年間2200ミリ(3.6億トン)もの降水があるのに、宮古島は「水の乏しい島」と位置づけられ、干ばつに泣かされてきました。島全体がサンゴ礁の変成した琉球石灰岩からできていて、地表面に水を蓄えることができず、地下に浸透した水は一気に海へ流出してしまうのです。「水はあるのに水不足」を解決するための調査がはじめられ、特徴的な地層を持つことが明らかになりました。表土の下は琉球石灰岩層、その下に水を通しにくい粘土層があります。この地層を利用して地下ダム建設の技術開発が始まったのが1974年、いまから38年前のことです。79年3月に実験地下ダムとして総貯水量70万トンの皆福地下ダムが完成し、琉球石灰岩地帯の地下ダム建設技術がほぼ確立されました。この皆福ダムの成功を受け、世界で例をみない大規模地下ダムを水源施設とする国営宮古土地改良事業計画が樹立されました。地下水の流れている帯水層を締め切り、水を溜め、その水を汲み上げて利用しようとする世界初のダム施設です。現在では福里地下ダムのほか砂川地下ダムと実験用皆福地下ダムが宮古島の地下水源として活躍、サトウキビ畑、マンゴー栽培などに豊富な農業用水を提供しています。3つの地下ダムは2070万トンもの水を蓄えています。写真の左寄りにダム壁が見える。右が地下貯水の水面私たちが見学したのは福里の地下ダム資料館。地下にコンクリート壁を建造する技術的説明、掘削機などの展示があります。さらに、隣接している水位観測施設は地表に露出している地下ダムの一部。ダムは地下に埋まっていますから見られませんが、その壮大さを想像すると感動を覚えます。■宮古まもる君宮古島の道路などに設置されている警察官型人形。身長180cm、体重5kg(土台を入れると55キロ)。手作業で塗装を行っているため、似てはいるけれど顔が全員違います。いまは妹「まる子」も増えて19人兄弟(妹)。私でさえ知っているほどヒットした『宮古まもる君のうた』、Tシャツ、鉛筆やボールペン等の文房具、携帯ストラップ、クッキーなどキャラクター商品が大きな人気を得ています。そういえば、まもる君の泡盛もありました。大きな交差点やキビ畑の交差点などに立って、安全運転を訴えています。 居酒屋で見かけた「まもる君泡盛」と手作りシーサー■マンゴーマンゴーは世界三大美果の1つに数えられている果物。国内での生産量増加、輸入量の増加で、よく見かけるようになりました。マンゴーにはいろんな種類がありますが、沖縄や鹿児島、宮崎など国内で栽培されているのは、ほとんどがアップルマンゴーだそうです。果実は400〜500g前後の卵形で、果皮がリンゴのように真っ赤になります。説明によると「オレンジ色の果肉は多汁で、ほどよい酸味と濃厚な甘さ、とろけるような食感。自然落下させた完熟マンゴーは高級品とされる」とあります。赤く熟してきたマンゴー(右)に袋をかぶせて落下を待つ(左)=農園パンフパパイヤ、アボガドなど南国フルーツが苦手な私にとって「宮古島の完熟マンゴーは特別美味しいと言われても」と、島を訪れるまでは食わず嫌い。「騙されたと思って食べてごらん」と言われ、無理やり食べてみて…「うまい! おかわり!!」と変節した私でした。見事な完熟マンゴー豪華なマンゴーとは別に「ミニマンゴー」という商品があります。農園直売か農協直売所で手に入れることができる規格外マンゴー。受粉できないまま熟した小さい実は100g前後。小さくて見栄えはしませんが味も甘みも濃厚でした。小さくても味は濃厚。これは美味しい!!■シーサーシーサーは、建物の門や屋根、村落の高台などに据え付けられ、家や人、村に災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けの獅子。シーサーは沖縄での発音です。 元々は一体で据えられていましたが、本土の狛犬の影響を受けて、一対で置かれるようになったと言われています。 最近は観光客相手の楽しい作品が多くなっていて、土産物店には色とりどりのシーサーが並んでいます。また、ユニークなシーサーを創っている工房もありました。我が家にやってきた2種類のシーサー初めての南の島。わずか3泊4日の滞在でしたが、全部を報告できないほどの体験をしました。次に訪れるのはいつになりますか…宮古島は魅力あふれる南の島でした。
2012年08月08日
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人事多難。若い管理職たちも頑張っているのですが経験が足りないのでしょうか、人事で混乱が発生してしまいました。病を得て長期間休み、いまも週2~3日の出勤で、注意を怠っていた自分に腹が立ちます。集中的に事態収拾を図っていますが、もう少し時間がかかりそう。更新も訪問もせず申し訳ありません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宮古島、再開します。前日の天気図。台風の右上(黒四角)あたりが宮古島台風6号がフィリピンから台湾方面に移動をつづけ、晴天ながら風の強い日が続いています。3日目は朝から15時まで、私たち夫婦と息子たちは別行動。息子たちはダイビングに挑戦、私たちはゴルフです。ゴルフ場は、東平安名崎に近いオーシャンリンクスゴルフ場。普段でも海風が強く、打球は流されるとのこと。私にとっては初めてのコースチャレンジとなります。といっても、クラブはレンタル。プレーはハーフ。朝8時52分という中途半端な時間からスタートです。母ちゃんによると、8分間隔でスタートして行くのだそうで、ゴルフに慣れていない私にとっては、これだけでも大きなプレッシャー。1つのコースを何組もが使用するのだから仕方ないのですが、追い付かれ後ろで待たれるのを想像するだけで、気ぜわしく憂うつ。オーシャンリンクス宮古島。海に面し風の影響を受けやすいハーフというのは、全18ホールのうち半分の9ホールだけを回るプレー。私たちは10ホールからのスタートです。ティーショットであれ何であれ、手順を確認しながらしか打てない初心者の私。次の組が追い付いてくることを心配する母ちゃんに「早く打て!」と怒鳴られ、「うるさい! ギャアギャア喚くな」と言い返して、フォームも何も関係なく打ちます。母ちゃんが心配していたとおり、半分くらい過ぎたあたりで後のグループが迫ってきました。あの辺りがグリーンか? ドライバーで方向を指す生意気な私あるホールでの出来事。ティーショットでボールを見失い、ロスト球扱いでグリーンにたどり着きプレーしていると、フェアウェイにオレンジのボールが転がっています。「あれっ! あんな所にボールが…」戻ろうとしたところ母ちゃんからストップ。「違うよ! あれは次の人が打ったボールだよ」私のボールと同じオレンジ色ですが、考えてみればフェアウェイ上のボールを見失う訳はなく…。「もう、打っとんのか! まだこっちでゲームしてるのに!!」「150ヤード以上離れていると、打ってもいいことになってるんだよ」「なんでそんなルールがあるんや、危ないがな」どうにか追い付かれずに最終ホールまで終えました。スコアは62。18ホール換算で124ですが、この程度で済んだのは、母ちゃんが大オマケしてくれたおかげ。実際は惨憺たる結果でした。置いてあるボールを打つだけなのに難しい~!!激うま! 味噌味の宮古そば。800円昼食はクラブハウスで「宮古味噌そば」。うどんのような平麺に肉・カマボコ・ネギなどを載せたクラブハウスの名物。ゴルフでの大汗に続いてまたしても大汗をかきながら賞味しました。美味い!!午後3時、息子たちとホテルで合流。2人は宮古島の海をじゅうぶんに楽しんだ様子です。残念ながらダイビング中の写真はありません。この日の午後と最終日の名所見学は改めて…。
2012年08月01日
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宮古島は東経125.3度。夜は8時まで薄暮状態、朝は5時を過ぎても夜が明けません。函館や東京とは、ほぼ1時間のズレがあります。宮古島の夜明け。右肩には金星と木星が見える2日目。午前中、私以外はマリーンスポーツ、私は博物館見学。午後は皆で宮古島の北部、池間島方面への観光という日程です。前日はホテル前の浜辺でしたから、規制を気にしないで遊べましたが、今日はダメ。循環器・脳血管系の病気を持っている人間は、シュノーケリングもダイビングも参加が認められていません。せっかく南の島に来たのに…残念!!朝9時30分、ホテルから20キロほど離れた真謝(まじゃ)港で「シースクーター宮古島」のスタッフと待ち合わせ。時間ギリギリで間に合いました。が…港は閑散として乗用車が2台。堤防で竿を出している人がいます。ラッシュガード姿の、ご夫婦とおぼしき男女が車から降りてきました。「あの人ら、きっと参加者やなあ。スタッフはまだかいな」出港する母ちゃんたちの船。右肩はシースクーター待つことしばし。軽トラックに乗った地元の漁師風オヤジがきました。もう1台、ダンプカーがやってきました。なんと! 軽トラのオヤジがスタッフ、ダンプカーの運転手が船長だったのです。母ちゃんと息子たちは乗船。ウミガメのお昼寝ポイントへ向かいます。私は船を見送って宮古島総合博物館へ。まばらな案内板とナビを頼りに走りますが、サトウキビ畑を抜け林の道に入っても、それらしい建物は無し。「間違えたか?」と思うころ、由緒ありげな石門に守られた博物館が現れました。見学者らしいクルマはなく、人影もありません。「休館か? イヤそんなわけないし…」と思案しながら館内に入りましたが誰もいません。「呼び鈴を押せば係員が来ます」といった案内板がカウンターに。怖々ベルを押すと、係の女性が「は~い」と事務所から走ってきました。入館料300円、無事入館です。この博物館は、宮古島の自然と歴史風土に関する資料、動植物に関する資料を展示しています。また、祭りや伝統芸能など宮古島独特の風習・文化をビデオや人形、ジオラマなどで紹介しています。無人の博物館というのは何となく不気味。葬式の展示では棺桶まであります。年表のほか、説明文の多いまじめな展示が盛り沢山です。びっしりと説明パネル。恐ろしく時間がかかる半分も見終わらないうちに、母ちゃんから電話。「波が高くて船に酔ってしまった。港に戻る」と。「戻るのは君だけか?」「私を港に戻してもう一度出かけるって」「なんでやねん! まあエエわ、すぐ行く」見学を中断して、大急ぎで真謝港に戻りました。母ちゃんが船着き場でしゃがんでいます。事情を聴くと、ウミガメ観察に参加できなくて、船で待機している間に酔ってしまったとのこと。シュノーケリングを楽しむ息子たち予約段階では「泳げなくても、シースクーターを使うので大丈夫」と説明を受け、申し込みました。実際に現場へ行くと「ウミガメは敏感なので、シースクーターでは近づけない。シュノーケリングで近くまで行くように」と言われたそうです。息子が撮った板サンゴ。ブルーの熱帯魚が美しい「え~! 泳げないって言いましたよね、大丈夫って言ったじゃないですか」「シュノーケリングができないと思ってなかった」と主催者。「泳げないのにシュノーケリングができるわけがないでしょ」と母ちゃんは抗議しましたが、後の祭りです。言葉の行き違いで、母ちゃんの楽しみが潰れてしまったのでした。しばらくして船が戻ってきました。言った言わないで揉めても仕方ないし、けっこう気遣いをしてくれた船長、スタッフのオヤジさんに敬意を表して、潔く3人分の参加費24000円を支払いました。息子たちはウミガメや板サンゴ、色とりどりの魚たちを観察できて満足したようで、何よりでした。サトウキビ畑の向こうに池間大橋。左側が池間島このあとは、一面のキビ畑を見ながら、宮古島北部の池間島に繋がる池間大橋方面へ。母ちゃんは船酔い後遺症。行程を変更して、宮古島の「雪塩」製塩所を見学、カタクリ粉のようなパウダー状の塩がどう作られるのか説明を受けました。製造プロセスはHPをご覧ください。この小さな工場で「雪塩」が生まれる。入口にはソフトクリームなどの売店この後、母ちゃんも元気を取り戻してきたので、宮古島最大の島尻マングローブ林を散策しました。日差しは強く、吹く風はまるで熱風。汗をだらだら流しながら木道を歩きます。周りを海で囲まれた宮古島は亜熱帯の豊かな水辺環境をもっています。マングローブは海水と淡水が入り混ざる汽水域に生える植物群落のことで、その干潟には、シオマネキというカニ、魚のくせに泥の上をピョンピョン飛び回るトビハゼがいて、目を楽しませてくれました。左はトビハゼ。右は片側の爪が大きいシオマネキ3日目に続きます。
2012年07月23日
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宮古島は沖縄本島から南西300キロの島。主にサンゴ礁が変成した琉球石灰岩でできています。太平洋と東シナ海の間にあって、島内の標高差は150メートルもありません。朝日も夕陽も同じポイントで観察できるのです。前回にも触れましたが、今回の宮古島旅行は母ちゃんが一昨年前から企画していたもの。私たち夫婦に加え、息子とその恋人も参加します。6月27日、夜明け前に起き出して羽田へ。マリーングッズ、ゴルフグッズなど荷物量は多め。大きなスーツケースを持っていないため、小さいスーツケースやボストンバッグなど8個もの荷物を車に積み込んで出発です。6時55分発JTA(ジャパントランスオーシャン)の宮古島直行便、ボーイング734に搭乗。150人乗りの小さなジェット機で、宮古空港まで3時間かかります。事前に医師から注意されていたので、座席では足の指を動かし、1時間に1回座席を立ちます。通路を歩いて、座席のそばでストレッチするオヤジを乗務員も乗客も「?」という顔で眺めています。もちろん目線の合ったCAは営業用の笑顔を返してくれますが、変な客に見えたと思います。可愛いサイズのJTAボーイング734私の隣に座った、ミニスカートのド派手な中年婦人は、唐揚げやスナック菓子をつまみに500mlの缶ビールをグビグビ、終わればワインをぐい飲み。空港待合席からビール飲み続けのオッサンたち共々何度もトイレに立ちます。面倒くさいなぁ。めったやたらCAを呼んで眼下に見える景色を訪ねる老夫婦、いびきをかいて寝ているオバチャン、ときおり光るカメラのフラッシュ、記念撮影です…北海道行きとは機内の雰囲気が違うような気がします。沖縄は「Oh! リゾート!」なんでしょうね。9時50分、宮古空港着。「暑いなぁ、もう真夏やで~」このときの宮古島の気温29℃、湿度83%です。ちなみに同時刻の東京は21.4℃、55%。琉球伝統の屋根をイメージした宮古空港ターミナルレンタカー屋さんでハプニングです。手続きが終わって乗車。息子が「ギャ~」と奇声を発し車から飛び降りました。続いて母ちゃんも恋人も「キャ~」と車外へ。運転席に居た私だけが「?」。「ゴキブリがいる~」スタッフが手で払って踏み潰し、再度の乗車です。「ギャ~、まだいる~!!」と再び息子が絶叫、車から逃亡しました。母ちゃんも恋人も「キャ~」と逃亡。スタッフが払いのけましたが、店の責任者が「クルマを取り替えますからお待ちください」と。荷物を降ろして待機することしばし。登場したのはランクアップのセダン。責任者「こちらの車をお使いください。ご迷惑をおかけしましたので、お戻りの際のガソリン満タンは不要にさせていただきます」私「ホンマですか? 満タン返ししなくていいと…。けっこう走ると思いますよ」責任者「ハイ、結構でございます」私「じゃぁ、お言葉に甘えて」ビビリーたちのおかげで、着いた早々「ラッキー!!」です。ホテルはオーシャンビュー。リゾート気分満点宿泊地の東急リゾートへ直行。ホテルのある前浜はプライベートビーチ的な白砂の浜辺。チェックインを済ませ、まずは昼食。今回のプランはレンタカーだけでなく、ホテル宿泊・朝食付きに加え、ウェルカム・ランチサービス、マリンレジャーの各種チケットが付いている優れモノ。やっぱり母ちゃんのプロデュースはすごい。昼食後は海底観光船。宮古島のサンゴと魚たちを観察します。ホテル前から乗船して、沖合に進んでいると、「ウミガメだ~!」母ちゃんの絶叫に船長を含む全員が「Oh~!!」。波間に見え隠れするウミガメ、カメラをセッティングするのも忘れて見ていました。船長によると、前浜でこの時期ウミガメに遭遇するのは奇跡的だと。気が付いて、カメラを向けたときには、見えなくなっていました。船底から見えるサンゴ、南の海の鮮やかなサカナたち、太陽の光を受けて刻々と変わる色彩、見飽きることはありませんね。惜しむらくは、アクリル板越しの撮影では、その見事さは伝えきれません。いよいよ海遊び。宮古島の強烈な紫外線に焼かれないために、紫外線カット素材のラッシュガードという上着、脚もガードするために同じ素材のスパッツを身につけます。足はマリーンシューズを履きます。もともと皮膚の弱い私は、手の甲まで覆うタイプの長袖、ラージフード付きのラッシュガードにサングラスという重装備。商品カタログの写真は、おどろおどろしい雰囲気ですが、私が着ると何故か喜劇っぽい。ワイルドだろ~! と言えるはずだったのに。右はカタログの写真。左は浮き袋で寛ぐ私。ワイルドだろ~首は水面に出したまま平泳ぎをやってみましたが、左右の腕・脚の動きがちぐはぐで進めません。両足をそろえ、ドルフィンキックにしたところ、スピードは全然出ませんが前進できるようになりました。泳ぎは難しいです。とはいえ、カヤックを漕いだり、デカ浮き輪でプカプカ浮いたり、ほんの少しだけシュノーケリングもやって、宮古島の海を「満喫(とは言えないなぁ)」したのでした。朝早かったので、この日はあまり無理せず、夕食まで部屋で休憩。夕食もホテルのレストランで宮古牛に舌鼓を打ちました。宮古残照。撮影時間は19時55分夜明け前、目を覚まして空を見上げました。満天の星。怖いくらいに星がひしめき、天の川が海面から立ちあがっています。コンデジでは天の川は写せないのでひたすら目に焼き付けたのでした。星空まで北海道とは違うように感じます。第2日に続きます。
2012年07月14日
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突然ですが、6月末に宮古島へ。3泊4日のゆったり日程で行ってきました。わが家の旅行コーディネーターである母ちゃんが、一昨年から温めてきた旅行企画です。 ●海のきれいな沖縄の中でも、特に素晴らしいと評されている海岸で遊びたい。 ●一番おいしいマンゴーをゲットしたい。 ●島の安全を守る警察官型人形「宮古島まもる君」に会いたい。東洋一と言われる「与那覇前浜ビーチ」昨年は東日本大震災のためタイミングを失してしまい、今年は私の発症のため、実施が直前まで危ぶまれてきました。6月に入って医師と面談、(1)海では潜らないこと(2)服薬と血圧管理は必ず行う(3)機内では1時間に1回くらい立ち上がり、散歩する(4)水分を十分摂る…など指示を受けました。これから数回に分けて報告しますが、太陽に照らしだされた島の風景、サンゴの広がる色彩豊かな海、日本と中国に支配されつつ独自発展を遂げた文化…ドキドキワクワクの連続でした。
2012年07月09日
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私の減塩と減量に同調して、母ちゃんも減量中。ただし、私の野菜・たんぱく質を基本にした食事と異なって、納豆ご飯偏重の食事です。元々の白米ご飯好きに加えて、会津の農家から送られてくるコシヒカリが美味すぎるようで、朝・夕は納豆ご飯、昼は握り飯というシンプルメニューが基調。おかずとのバランスが崩れているように感じます。それでも、今年1月(私の発症)以降9kgも減量しています。そんな母ちゃんが、「房総バスツアーに行こう」と言い出しました。「なんじゃ?」「海鮮浜焼食べ放題、びわ食べ放題、アジサイ見放題なんだよ」「びわって、あの果物のことか?」と聞きながら思い出しました。千葉は有数のびわ収穫県。資料では長崎県が36%で1位、千葉県は2位で9%だそうです。採りたてのビワが山積み…見た目は良くないが甘くジューシー発症してしばらくの間は、修行僧も嫌がるような食事を続けてきましたが、最近は少しおおらかになっています。何らかの事情で高カロリー、高塩分の食事を摂ることがあったとしても、体重や血圧にいきなり反映するわけではありません。「生活習慣」として、高カロリー・塩分・脂肪を摂取し続けなければいいのだろうと、中華料理や焼肉など食べに出掛けることも。「びわと海鮮料理か(ゴックン!)、行ってもええなぁ」「申し込むネ、思いきり食べるんだ!」母ちゃんは、自分が行きたくて仕方がないようにふるまっています。でも、実際は気分的に冴えない私を元気づけようと提案しているのです(と思います)。ツアーの集合地は自宅から近い「竹ノ塚駅」。朝7時竹ノ塚を出発して、西新井・北千住・東京スカイツリー・錦糸町・東陽町で順に参加者をピックアップ、アクアライン経由で南房総へ。魚市場で買ったアジ一夜干しを素揚げ、三杯酢に浸けこむバスツアーに付き物のお店巡りは2か所。最初は魚市場「きよっぱち」、開店早々で私たちが一番乗り。ショッピングの後はスタッフ全員の見送りを受けました。続いて、地元の酒蔵「和蔵酒造」見学。原酒、吟醸酒、焼酎など試飲し放題です。私はパスさせてもらいました。義父への土産、上総8蔵元の清酒詰め合わせテンポよく行程が進み、メインイベントのひとつ「びわ食べ放題」は、他のツアー客と競合することなく味わうことができました。房州びわの代表格「たなか」、見栄えは良くないが、果肉の柔らかさとジューシーさに勝る「みずほ」がドーンと供されました。「5個くらいで止めとく」と言っていた私ですが、あまりのみずみずしさに理性は吹っ飛び、食べ放題を堪能させてもらいました。日運寺仁王門を彩るアジサイ昼食前に腹ごなし。日蓮宗の古刹・日運寺のアジサイ観賞です。日運寺は昔、真言宗の小さいお堂でした。1264年(文永元年)日蓮が鎌倉から小湊に帰る途中、この堂に止宿。日蓮の人徳と高説に敬服した堂主は日蓮宗に改宗したのです。寺の入り口から境内一面に約20,000本のアジサイが植えられ、多くの観光客が訪れていました。いろいろのアジサイを堪能し、いよいよ海鮮浜焼きの昼食です。館山市にある浜焼市場「きよっぱち」は、朝に立ち寄った魚市場の姉妹店で、70分間食べ放題、ソフトドリンク飲み放題。サザエ、ホタテ、ハマグリはじめ食材は50種類以上。魚介や豚肉の網焼き、刺身、好きなネタを載せて作る「勝手どんぶり」、デザートとテンコ盛り。過去に来店したことのあるツアー参加者は、焼くときの軍手を用意しています。気の良い人らしく、焼き上げ時間のかかる食材からゲットし、まず網に載せ、他の食材に向かうと効率的…などワザを伝授してくれました。人間の胃袋はスゴイ! 大汗かきながら魚介と格闘食材のゲットは母ちゃんの仕事。私は焼き係。サザエやホタテなどけっこう食べたと思いますが、やる気満々の皆さんには及ぶべくもなく…。30分ほども時間を残して「ごちそうさまでした」。「以前やったら、2度と来ンといて、と言われるくらい食べたんやで~」と、店横の田んぼにいるカエルたちにボソボソと話しかけた私でありました。バスの中でのおやつを含め、かなり食べた私たちでしたが、翌日の体重測定、血圧などに変化は見られず、ホット胸をなでおろしたのでした。
2012年07月04日
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精神面で揺らぎ続け、階段では体が揺らいで足首と手首を捻挫。気分が滅入ってブログ更新もせず2週間。「これではイカン」とキーボードに向かっています。足首と手首、シップの上からサポーター。腰も右肘もシップだらけ発症してからまもなく180日の節目を迎えます。この日を以って医療保険が適用されるリハビリは終了。あとは介護保険によるリハビリを長期間・細々と継続していくことになります。発症直後は「急性期」といわれ発症から1カ月以内が目安。この時期のリハビリは機能回復の効果が大きいとされ、私の場合は発症4日目からスタートしました。そこから6カ月までは「回復期」と呼ばれ、機能回復を図るとともに、仕事や生活の可能性・目標を見極めながらリハビリを進める時期とされています。ある医師は「患者とその家族は、回復期リハビリで元通りの機能が回復すると誤解している。回復期リハビリの目的は、患者が自宅に帰り、在宅で生活ができるようにすること。失われた機能の回復に努めるが、機能が十分に回復しない場合でも他の方法や手段で身の回りのことができるようノウハウを身につけることが目的」といいます。6か月以降は「維持期」といわれ、今以上の機能回復は望めないとされています。急性期・回復期に獲得した機能をできるだけ長期に維持することで、安定した日常生活を送れるように支援するのです。この時期までに回復しなかった機能は後遺症として残ります。保険適用のリハビリに足切りが設定されたのは2006年。病気によって上限日数は異なりますが、「これ以上面倒見ても機能回復はない」と厚生労働省に断定されたのです。なんだかひどい話です。2月8日以降、週3回の通院リハビリを続け、リハビリというより筋トレといっていいほどの訓練を行い、自宅でも自主トレを行ってきました。結局、左手と左脚の機能は元通りにはなりません。先日、循環器の医師から「これ以上は機能回復しませんから」とあっさり宣告されてしまいました。ca不足だから苛つくのか? 食塩・防腐剤無添加の煮干(左)、手作りの温野菜用おろしポン酢。半年間ガンバってきたんだけどなぁ、後遺症は仕方ないのか…周囲の人は「歩き方など分からないくらい戻った」と言ってくれます。私自身は「全然元通りにはなっていない。大きい段差は越えられず、片足立ちも不安定。歩くのも1歩1歩気合いを入れて歩いているから、ちょっと見ただけでは分からないだけ。走ることは全然できない…腕だって1回も懸垂できないし、微妙なコントロールが効かず、物を落とす…」と、不満だらけ。これまで使ってこなかった介護保険を使って週1回リハビリに通えないか、リハビリ担当医の配慮で特例的に「通院リハビリ」を延長できないか(そのような特例があるそうです)、介護保険対応しているスポーツジムはないかなど、ケアセンターの担当者、病院のリハビリ担当者と相談しているところです。走れるようになることにどれだけの意味があるのか自分でも分かりませんが、明けても暮れても「ああ、走りたい」と思っている私です。機能回復に関わる精神的な揺れはそのうち収まるのでしょうが…、収まりのつかないのは野田政権の狂ったような消費税増税と原発稼働再開。私をさらに痛めつけます。何が野田総理を凶暴化させているのでしょうか? 次回です。
2012年06月22日
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世紀の天体ショー、第2弾、第3弾は不発。6月4日、部分月食の日。月の出から欠け始め、20時頃には3分の1くらいが欠けるはずでしたが、雲が厚く、観察・撮影できませんでした。試し撮りの月に円を書き込んで部分月食を再現6月6日、金星の太陽面通過。朝7時ごろから太陽面に進入し、6時間くらいかけて通過していくのです。この日も雨と厚い雲にさえぎられ完敗。東京で太陽が顔を出したのは夕方でした。試し撮りの太陽に点を書き込み。朝8時頃の金星をイメージ2回とも、前日までにカメラ(得意のコンデジTZ5)をセッティングし、試し撮りまで済ませていたのに残念! シャクなので写真にいたずらをして遊びました。 大袈裟ですが、額田王の「三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情あらなも 隠さふべしや」という万葉歌を思い出した私でありました。「次回に期待する」と言っても大変です。月食は年に1回か2回起こりますが、次に金星が太陽面を通過するのは、105.5年後の2117年12月11日。だいぶ頑張っても見られる可能性はありません。まあ、仕方ないですね。
2012年06月07日
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「いまさら」ですが、GW in Naganoのエピソードをいくつか紹介します。母ちゃんの趣味のうち、私が全く関わらなかったゴルフ。私が見向きもしないものだから、持っていたゴルフの装備は古びてしまい一昨年転居時に廃棄。でも、昨年秋から打ちっ放し練習を再開し、コースに出る準備をしていました。ところが、年明け早々の私の発症で、再び練習は中断を余儀なくされたのでした。八ヶ岳山麓を染める桜いままでのように旅行や釣行、ハイキングなど自在に出かけることもできなくなり、気難しい顔でリハビリ三昧の闘病生活を送っているオヤジの面倒も見なくてはいけません。溜まるストレスを少しでも解消できればと、友人たちとゴルフに行くよう勧めても、それはそれで気を遣うようです。であるなら、私もリハビリを兼ねて(効果はよく分かりませんが…)、ゴルフに付き合うことに。といっても、ゴルフに抵抗感のあった私は、クラブの握り方、スイングの仕方、打ち方、ルール…何も知りません。母ちゃんに一つひとつ手ほどきを受けて、練習に行き始めています。長野でのゴルフエピソード1 「Coachのバッグを買う!?」3日、雨。特に予定もないので軽井沢アウトレットへ。目的もなく「見てるだけ」ショッピング。「あれっ、こんな所にコーチ(Coach=アメリカの有名ブランド)がある、ちょっと寄るか」と、入ったのが運の尽き。ゴルフボールを入れるポーチが入口に飾ってあります。母ちゃんが店のスタッフと話しています。「25000円以上買い物をした人は定価12000円のポーチを3000円で買えるんだって。いいなぁ」この中に、COACHのゴルフボールが3個入っている店内のアウトレット商品は全品半額、元値50000円以上の買い物をする必要がありますが、私はブランド品のロゴだらけというデザインは嫌いです。店内を回っていると、Coachのロゴが目立たないショルダーを発見。普通のビジネスバッグでも2万、3万はするし、母ちゃんにはキツイ思いをさせているし、「まあ、いいか」とお買い上げ。喜んだのは母ちゃん、私は無駄遣いしたのでしょうか…。長野でのゴルフエピソード2 「井戸端会議か!」どこに飛んでいくのかわからない不安定さ。それでも快音が響くと「OH!」となります。4日はちょこっと打ちっ放しへ。受付も設備も古い練習場です。地元の老人たちが、練習なのか井戸端会議なのかわからない雰囲気で群れています。くわえタバコでクラブを振る老人、椅子に陣取り、全然打たないで大声でアドバイスし続ける老人…「なんだこりゃ…」と思ってしまいます。もうちょっとマナー守ろうよ。長野でのゴルフエピソード3 「どんだけ打つの?」5日、小海にあるパターゴルフ場で全員参加の勝負。八ヶ岳を望む良いロケーションで、ワイワイと競い合いました。昨年夏にやったのが最後なので、またも大叩き(何回も打ち続ける)するのかなと思っていましたが、今回はバッチリ。左腕に力の入りにくいのがよかったのか、そこそこの数字でまとめることができました。パターを打つ佐久の息子。意外に上手気の毒だったのは沼津のダンナ。チョンと転がせばINするのに、力を入り過ぎてオーバーラン。これを繰り返したのです。以前の私を見るようで、笑えません。芝生の上に止まっているボールを打つだけなのに、思うようにはいかないものです。八ヶ岳おろしの風が心地よく、ああ長野にいるんだなぁと実感しました。長野でのエピソード 「あ~っ、気球が…」佐久市では毎年GWにバルーンフェスティバルが開かれます。浅間山や八ヶ岳を背景に色とりどりのバルーンがゆっくりと空に浮かびます。ところが、今年はハプニング。友人宅で寛いでいたところ、「ブオー! ブオー!」という音が空から落ちてきました。音がドンドン大きくなるので、「何ごとじゃ!」と外へ出てみました。墜落!? 近所の人も集まってきた気球が流れされて、こちらへやってきます。高度も低くなっています。続けてもう1基気球が高度を下げています。「こっちは住宅地やろ、どないするのんかな?」気球を追いかけて行きました。田おこしが終わったばかりの田に相次ぎ着陸(墜落?)。田にはまだ水も入れてないし、イネも植えていなかったので被害はありませんでしたが、落ちる気球を見たのは初めてです。
2012年05月31日
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家族そろって朝早くから金環日食を観察しました。刻々と欠けていく太陽を、専用のグラス越しに見ることができました。7時30分過ぎから、リングの欠けている部分が繋がり始め、同32分リング完成。そして同34分完全な金環に! 約5分間、貴重な天体ショーを堪能しました。金環日食の写真。上からリング開始直前、リング最大、リング終了同時に、写真にも残そうと、愛用のコンパクトデジカメに太陽観測下敷きを貼り付けました(使用上の注意書ではダメとなっていますが…)。撮影モードは「空撮」、オートフォーカス・中央測光の設定で、露出はマイナス2、倍率は30~40倍。手ブレを防ぐため、三脚に固定して2秒タイマーをセット、連写していきました。雲がかかると写りこんで光が拡散するので、雲の切れ間を見てシャッターを切ります。コンデジ「パナソニックTZ5」と太陽グラス人生最初にして最後(おそらく)の金環日食、感動しました。
2012年05月21日
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久しぶりの国技館。母ちゃんの勤務先の社長さんに招待されて大相撲夏場所に行ってきました。今場所初の「満員御礼」が出た7日目の土俵は大荒れ。全勝の大関・琴奨菊が東前頭2枚目の妙義龍に寄り切られ、大関・把瑠都は西の関脇・豪栄道に外掛けで敗れました。懸賞が7本ついた琴奨菊(左)と妙義龍の対戦。全勝力士が消えた一番巨漢・把瑠都を土俵に転がした豪栄道そして結びの一番、横綱・白鵬は東前頭3枚目・豊響の捨て身の小手投げに苦杯。行司は白鵬に軍配を上げましたが、5人の勝負審判は行司軍配差し違えと判定、豊響の勝ちとしました。西土俵際の投げで横綱を破った豊響(手前)その瞬間、座布団が乱れ飛び、館内は大歓声に包まれたのです。舞い飛ぶ座布団の中、勝ち名乗りを受ける豊響大荒れの立役者たち、妙義龍・豪栄道・豊響はいずれも境川部屋の力士。しかも、この大波乱は、中入り後半の勝負審判として土俵下にいた境川親方(元小結・両国)の前で演じられたのでした。発症以来、人だらけの所には立ち寄らなかった私ですが、これで満員電車、満員御礼を体験したことになります。説明する朝日山審判長。相撲中継に映っていた私たち(写真右上の緑枠)桝席でいただく国技館名物の焼き鳥、幕の内弁当。減塩食を続けている私にはずいぶん塩辛い味付け。でも、おいしかったです。
2012年05月17日
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久しぶりの更新です。何かと慌ただしいうえ疲労感があって、ブログ更新だけでなく勉強などもあまり進んでいません。入眠剤のお世話になっているのに、眠りの浅い日が続いているせいなんだろうと思います。毎年恒例になっているGWの長野行き。今年も行くことができました。1日、会社から戻ってまもなく出発。私は関越道に合流するまでの運転にとどめました。2日、午後から雨予報の出ているなか、長野のダンナの実家前を流れる千曲川支流・南相木川の釣りに出発。春遅い長野はサクラとミヤマツツジ、ウメの花などが一緒に咲いています。実家は標高1200メートルを超える高地の山里にあり、ソメイヨシノもまだ満開状態です。南相木川。実家にほど近い場所に咲くサクラたち遅い出発のため現地着は12時前。雨が降るまでの短時間勝負です。ウェダースーツを着て川に下ります。川の中を移動するには左脚がネック。左脚でバランスをとるのはまだ時期尚早のようです。道路から水面までは2メートルほど。道路から竿を出しても十分届きます。ハリスを0.4号にすれば一気に抜き上げても大丈夫でしょう。捌いている途中ハッと気づいて2匹だけ撮影不十分な渓流釣りですが、イワナ・アマゴ合わせて4匹をキープ。リリースしたチビアマゴはどれも地元育ちのヒレピンでした。佐久に戻って、魚は3枚におろし、野菜とともに蒸し上げて、おいしく頂きました。自宅から持っていったタジン鍋に、魚と野菜を入れて…
2012年05月10日
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仕事で新しいテーマに取り組み始め、バタバタと日が過ぎて、いきなりGWに突入しました。気温も高くなり、半袖Tシャツ・素足が快適。リハビリでも大汗をかくほど。先日乗ったタクシーの運転手さんが、「ここ数年、春が短くなったように感じるんですが、そんなことありませんか?」と。私以外にもそのように感じている人がいる、と知って嬉しくなりました。「私もそのように感じてますよ。春と秋が短くなって、夏と冬が長くなっているようですね」翌日、通院途上の街路を見回してみて、改めて実感しました。足元にタンポポが咲き、サクラ、ナノハナもまだ咲いています。一方では、ハナミズキ、ツツジなど初夏の先がけが花開き、気の早いアヤメまで。花いっぱいの季節です。手毬のような八重系のサクラ菜の花畑民家の庭先にオオデマリ近くの団地にハナミズキの街路樹民家の庭先に鮮やかな紫のアヤメ白いシャクヤクの大輪街路を彩るツツジの植え込み ドウダンツツジの可憐な花
2012年04月30日
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仕事、リハビリ…やらなくてはいけない項目・日々のスケジュールが詰まってきました。気を許すと発症以前の生活習慣に戻ってしまうので、自分に「言い聞かせ」が必要です。早朝出勤の日以外は、朝7~8時起床。血圧を測り、母ちゃんが出勤するのを待って、野菜と鶏肉・魚肉・豆腐の朝食を準備。朝食後は一時的に血圧が下がるので、30分から1時間の食休み。運動は控え、テレビを見たり、新聞を読みます。4月半ばになってもベランダで頑張っているガーデンシクラメン落ち着いたところで、軽く自主トレ。肩甲骨周辺のインナーマッスル、太もも・股関節周辺のインナー、アウターマッスル、腹筋など、思うようには筋力アップしていませんが、これをさぼると筋力は衰えるばかりです。風呂に入り出勤準備。ここで思いのほか時間がかかっています。通院リハビリの日は、昼過ぎまで読書や部屋の片付け、家事(先日は本棚ガラス扉に防災フィルムを貼付しました)を行います。リハビリの日は、午後1時過ぎに病院。3時までの長丁場リハビリ(筋トレ?)を受けます。帰宅後は血圧を測り、夕方まで仕事、読書、テレビなど。出勤の日は、打ち合わせ、会議、面談などが立て込み、帰宅が8時半から9時半になります。会社では緊張しているのでしょうか、目まいを感じたり、夕方以降は血圧が高くなっている感じがします。くどくどしくなりますので、就寝までのスケジュールは割愛しますが、実感的には1日は瞬く間、1週間は短いと思います。やるべきこととやってはいけないことを区分しながら、行動をコントロールし、管理することが大切なんだと自分に言い聞かせる毎日です。エクセルを使った血圧管理表と3月度グラフ。青が最高血圧、赤が最低血圧。グリーンは脈拍数。退院当時より血圧は低く抑えられているテレビや新聞でニュースを追いかけていると、野田政権は国民犠牲の本性をむき出しにしています。国民の安全と生活を守るために行うべき緊急の課題がドンドン後回しにされ、逆に、やってはいけない施策がしゃにむに進められようとしています。安全性の確認もないままの原発再稼働、議員定数・天下りなど税金無駄遣いを放置したままの消費税論議…朝令暮改的言い訳と開き直りで政権居座りを続ける民主党政権。政策を対置せず、なにごとも政局にしようとする自公。問題の本質を掘り下げず、断片情報を垂れ流すだけのマスコミ。忘れられた国民生活…。やるべきことを迅速に行い、やってはいけないことは断じて行わない、そんな政治を切望する毎日です。
2012年04月20日
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春らんまん。桜が一気に満開となり、花見にドッと人が繰り出しています。自宅近くには、大きな公園から小さなものまでたくさんあって、それぞれに桜が植えられ、樹下に人を集めています。生物園、釣り池もある公園。自転車乗入れできるので混雑が倍加そんななか特異なのが自宅前の広くもない公園。他は火を使うことが禁止されているのに、この公園はフリー状態。芝生にシートを敷き、日中からバーべキューや鍋料理に舌鼓を打つグループがあちこちに。夕方以降は暖を取りながら宴会をする人たちもいます。バーベキューもOKの自宅前公園。上水道・トイレも完備退院以来の定番スタイル、裏起毛の冬用トレーニングウェアを脱ぎ、クロコダイルやトミーなどの春物シャツにジーンズというスタイルで街歩き。桜、若葉、チューリップなどなど、街のさまざまな色彩に春を感じます。心が暢やかになると、いろいろやりたくなるもので、ちょっと調子づいています。錆だらけになり、チェーンも外れやすくなっていた自転車を買い換えました。ママチャリには違いありませんが、6段変速ギア付きの軽快タイプの27インチ。色はシルバー、オートライト機能も付いています。普段は温野菜をベースに、ちょこっと変化させるだけの、「料理」とも言いにくい食事を作っているのですが、先日は「ブリ大根」、昨日は「肉じゃが」に挑戦。もともと包丁を握るのは嫌いじゃないので、それなりにこだわって作りました。しかし、塩分を抑え、甘さも控えたため、家族にはかなり薄味だったようです。残念ながら写真はありません。草加市にあるゴルフ練習場。最近は庶民的スポーツになったらしい日曜日、ゴルフはやらない私ですが、母ちゃんたちの打ちっ放し練習に同行。私も100球くらい打ちました。それでなくてもまともに打てないのに、左腕と左膝が緩いので打球の方向はでたらめ。でも、ときおり真芯に当たり快音が響きます。ボールは大きな弧を描いて距離をのばします。ああ、気持ちいい! 腰の筋肉にはだいぶ負担をかけましたが…。
2012年04月09日
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3月26日、天体ショー第2弾。夕方の空に金星・月・木星が縦1列に。実際の月齢は3.5でしたが、微妙にブレたようです。ご容赦ください。次は5月21日、東京では173年ぶりの金環日食。人生最初で最後の体験です。晴れますように。前回の続きです。「軽くてよかった」とお医者さんも友人たち、会社の仲間も言ってくれます。本人だけが思いのほか重症と思っているようです。実際、リハビリ室で会う患者さんたちは、重大な後遺症と闘っている人が少なくありません。たら・ればの話になりますが、もし栃木県の救急隊が出動してくれたら、赤十字病院がすぐに受け入れてくれたら、血栓溶解の特効薬「t-PA」の静脈投与によって、全く後遺症が残らず、退院できたかもしれません。「t-PA」は発症から3時間以内でないと効果が期待できない薬なのです。もし後遺症なしで退院していたら…問題は私自身。後遺症がなく元気になったとすれば、きっと極めて速やかに元の生活に戻っていたことでしょう。喫煙・過度の睡眠不足・食事を始め不規則極まる生活習慣・薬の間引き服用…。そして再発して深刻な後遺障害に見舞われる……そう考えれば、今回の発症から治療に至る経過は「救い」だったのではないか。(神がかり的な超ポジティブ表現すれば)なにごとに付け懲りない私が、永年に亘る生活と仕事の悪しき習慣を、真剣に見直さざるをえないような状況に置かれたこと、仕事を継続できるうえ趣味もいずれ再開できる程度の試練を与えられたこと…に感謝すべきなんだろうなぁ、と考えています。そのように思えるようになってきましたが、病を得るというのは実に多くの体調変化をもたらすようです。自律神経のバランスが崩れ、便秘や立ちくらみを引き起こす、痰が切れにくくて声がおかしい、眼鏡の焦点が微妙にずれている、聴覚が妙に過敏になっていて周囲の音がうるさく感じる…などです。週に3回の(筋トレなみの)厳しい通院リハビリと自宅での自主トレを続けています。マヒ部分の反復的な訓練によって、壊死した脳細胞の働きを代替してくれる神経の発達を促す、というのが定説。脳の中にバイパスを建設するため、手足の方から脳を刺激しているといえばいいのでしょう。リハビリの目的は、神経回路の修復だけでなく、筋力の維持・増強です。リハビリをかなり熱心にやっても、マヒ側の筋力は簡単には戻りません。少し怠るとすぐに伸びきったゴム状態になり、脚が挙がらなくなったり、荷物が持ち上がらなくなったりします。健康な右側さえ元の筋力の60~90%程度に落ちると言われています。やっぱりバカだ! やり過ぎて治療に通うだから、気合を入れてリハビリを続けるのですが…バカは何をやってもバカです。(左は相変わらず力が入らないので)無駄に腰・膝・首肩などに力を入れ過ぎて、鍼やマッサージ、湿布の世話になるはめに。それでも週3日のリハビリと自主トレはやめるわけにはいかず、今日も励んでいるわけで…。もともと年齢不相応な筋力を持っているので、正しく筋トレ的リハビリを続けていれば、結果が出るはず。今日、久しぶりに主治医の先生と話しました。発症から「まだ3カ月にもなっていない」のに、ここまで回復しているのはすごいことだ(先生はほめ上手です)と。同時に「やり過ぎはダメですよ」と釘を刺されました。以前に報告したような食事毎日続け、発症時から8キロ近く減量しています。しかも筋トレをやっているので、妙に筋肉が目立ってきました。主治医からのアドバイスは「脂肪分や塩分は減らし、タンパク質とカロリーを今より増やすように」。仕事や通勤に使うエネルギーをまかなえる糖質の摂取が大事とのことでした。
2012年03月28日
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本題に入る前に速報です。自宅マンションの駐輪場が放火され、停めてあった自転車の荷台カバーが燃えました。警察は「いたずらではすまない、犯罪として捜査する」と防犯カメラの映像を分析しています。消防隊の現場検証 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・脳梗塞発症から入院の経過です。起床~温泉~床清掃1月8日朝5時に目覚め、再び温泉。15分ほどで部屋に戻りました。その後、唐突に床清掃を開始。正月に利用した者の清掃が不十分で、キッチンの床・トイレが汚れていたのです。母ちゃんが起きるまでには時間があります。トイレとキッチンのついでにリビング全体のフローリングを拭き上げました。30分くらい屈んだ姿勢での作業。けっこう息が切れ、汗がにじんでいます。ソファーで休憩。立てない! 6時過ぎ、「さあタバコでも吸うか」と立とうとしたところ、左脚が脱力して立てません。何度試しても脚に力が入りません。「なんじゃ、これは?」 隣の寝室で寝ている母ちゃんに声をかけました。「ちょっと起きてくれ、左脚がおかしい」「えっ、どうしたの?」まだ左腕は自由に動くし指の運動も支障なし。意識と言葉に問題はありません。とっさに左膝の前科を思い出し「靱帯のせいで痺れてるだけか?」「ちょっと、横になってたら治るかもなぁ」と勝手判断で横になりました。「緊急性なし」 救急車出動せず発症から1時間半ほど経過。左脚の脱力は改善せず。足を引きずりながら再びソファへ。左腕が誰かに操られるように前後左右に動き始めます。自分の意志でコントロールできないのです。「母ちゃん、腕が変や」嫌な予感がします。119番に電話して救急出動してもらうよう、母ちゃんに依頼しました。母ちゃんが救急隊に出動要請の電話。状況を説明しましたが、救急隊の返事は「緊急性はないと思われるので、休日当番医に電話して下さい」。救急指令室のこの判断で、さらに対応が遅れます。そうしている間に、左腕の激しい不随意運動は収まり、左脚も何とか立てるようになりました。これまでの症状が脳梗塞の前ぶれ発作で、あと数時間で脳梗塞が本格的に発症するとは、想像もしていませんでした。赤十字病院にも拒否されて…母ちゃんが当番医に電話。「来てもらってもいいですが、検査器具もないので何もできませんよ」という無責任な返事が返ってきました。その次に、当番医で教わった大田原の赤十字病院に連絡。栃木県北部最大の総合病院で24時間救急対応していますから頼りになります。しかし、電話のやり取りは変な雰囲気です。「そちらは救急病院じゃないんですか…(相手が話している)…わかりました」と母ちゃん。「どないしたん?」と私。「来てもらっても、診られるかどうかわかりません、って。とにかく行ちゃおう」バタバタと部屋を片付け、無理やり病院へ行くことに。左腕は肩から脱力していますが、荷物は持てます。左脚は自由を失って引きずりますが、廊下は歩けます。母ちゃんが、駐車場から赤十字病院に「今から行く」と再電話。事務系の職員が「受け入れできない」と言っているようです。粘る母ちゃん。看護師長さんとおぼしき人に電話が回されて「担当医もいないし、来られては困る」と拒否されました。「東京からの旅行者って言ったのがダメだったのかしら。急いで東京へ帰ろう」迅速対応! 東京都の救急隊と病院母ちゃんが運転して東北道をひた走り。帰宅できたのは前ぶれ発症から6時間30分後の13時。後の祭りですが、栃木で「脳梗塞の前ぶれ症状」として病院で血栓を溶かす薬を注入していれば、後遺症もなく終わっていたとのこと。この特効薬は発症から3時間以内に投与しないと効かないのです。帰宅後すぐに救急隊に電話しました。駆けつけてくれた救急隊によって「脳梗塞A」と判定され、救急搬送されたのが地元の救急病院。30分後には、レントゲンとCT検査が開始されたのでした。左脚と左腕の痺れ・脱力が少し強くなったようです。しかし、CTには何も写っていません。医師は「とりあえず様子見るしかないね。点滴終わったら帰っていいですよ」と。2時間以上かけて点滴が終わりました。看護師さんが針を抜きます。立ち上がろうとして膝が崩れました。左腕のしびれ感もひどく、力が入りません。点滴の間も脳細胞の壊死は続いていたのでしょう。梗塞が見つかり緊急入院救急治療室に医師はおらず、キリッとした看護師さんが「帰宅って指示でてるの? 帰せるわけないでしょ! すぐにMRI検査!」と手配してくれて、私はMRI室に運ばれました。検査終了。医師が駆けつけてきました。そしてMRI検査の画像データを見ながら「右脳に梗塞があるので、このまま入院してください」と。「さっき、帰っていいと言ったのアンタだよ」私は内心で毒づいていました。さらに点滴を受けながら、病室が準備されるのを長い時間待ち、夕方6時前やっと病室へ搬送されたのでした。激しい地域格差、忙しすぎる東京の救急病院最後に、発症から入院までの経過を振り返り、感じていることを。1つは、医療の地域格差が激しい、ということ。東京都には「救急医療の東京ルール」が機能しており、患者の迅速な受け入れを地域連携で実行しています。栃木県の救急隊、休日当番医、赤十字病院の対応は「観光客だから構うな」というものではないと思います(そんなことがあるなら許し難いですが)。救急態勢自体が弱く、助かる命も助けられない状態にあるということではないでしょうか? 生命の重さに地域格差があってはなりません。全国どこでも東京並みの態勢が必要と痛感します。その東京でさえ、年間約60万件の救急搬送のうち、約4万件の搬送遅れが発生しているのです。2つには、救急病院が忙しすぎるのか、脳梗塞の可能性が見落とされたこと。搬送された病院は、評判のいい有力な救急病院で、休日でも救急車が引きも切らず患者を搬送してきます。加えて外来患者もどっさり。廊下にまでストレッチャーに横たわる患者がいます。医師も看護師もてんてこ舞いです。しかもこの日は、病室も満床状態らしく(医師が看護師に確認していた)入院受け入れが困難なようでした。私以外にも似たような症状の患者が数人搬送されてきますが、軒並み私と同じく「様子を見る、点滴後帰宅」の指示が出ていました。(私のように)点滴中に症状が重くなれば入院できたかもしれませんが、自宅から迎えに来てもらったり、タクシーを呼んで帰宅していきました。帰宅者の中に脳梗塞の人が混ざっていなかったことを祈るのみです。書物によると、脳卒中を疑わせる症状が出ている場合、CTで病巣が捉えられない段階でも「安静にして様子を見る」という措置は、治療のチャンスを逃すことになると、されています。脳細胞は他の細胞のように再生できず、壊死の範囲が広いほど重大な障害が起こるので、疑わしければ早めに対応が必要なのです。あのとき、あの看護師さんがいなければ、私はいったん帰宅して、深夜~翌朝もっと深刻な状態に陥っていたかもしれません。自分の心身の状態については次回報告します。
2012年03月22日
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火曜日、会社から戻る途中、素敵な天体ショーを見ました。西の空に金星と木星が並んでいたのです。この時、東の空には火星が赤く輝いていました。26日には金星・三日月・木星が縦一列に並びます。楽しみ。右が金星、左は木星(3月15日19時ごろ)毎日、リハビリなのか筋トレなのか、かなり負荷の大きなトレーニングを続けています。病院でのリハビリに加え、家でも自主トレを重ねているせいか、両膝と両肩に痛みがあり、マッサージ治療も並行する始末です。そんなにしていても、1~2日リハビリをやらないと、左の腿が上がらず、つま先が地面に引っ掛かったり、左腕に脱力感が生じます。まだまだ脳との連携が不十分なんでしょうね。3月から週2日会社へ行き、いろいろな相談や問題解決に取り組んでいます。夕方にはエンプティー状態で、頭がぼんやりしてきます。医者からは、休憩を2時間くらい取るようにアドバイスを受けていますが、なかなか思うようにはいきません。通勤もバスと電車利用に戻しつつあります。都内の駅は高架と地下が多く、階段だらけ。エスカレーターは上り優先で、膝や脚の悪い人間には下りも厳しいことが無視されています。また、エレベーターは不便な場所であったり、なかったり。脚に不具合を抱えて、気付くことが多いです。脳梗塞関係の本を取り寄せ、医師や療法士に質問したりして、発症に至るメカニズムや再発のリスク、リハビリによる機能回復あるいは再発防止への生活改善など学習しています。「プロの患者」になるつもりかと笑われていますが、自分自身の愚かさ、医療現場の心細さが良く理解できます。永年の不摂生、医師の注意には耳を貸さず、ニコチン・タールの量が多いタバコを吸い続け、ピリピリと神経を張り詰めている毎日、過激な短時間睡眠、夜遅くの大メシ……。若いころから続けてきた生活習慣を改めず、「俺は鉄人」とうそぶいて今日まで生きてきました。ここ数年は、処方されている高血圧の薬も飲んだり飲まなかったり…。脳梗塞が起こる下地は十分整っていました。今にして思えば、前兆も確かにあったのです。年末の超繁忙期に突入し、深夜勤の応援へ。本来の職務がありますから徹夜明けでもすぐに帰宅することはできず、疲労が蓄積して行きます。そして、きちんと休息もせず年末年始の旅行に出発。被災地慰霊の後、山形・銀山温泉、福島・芦ノ牧温泉、大内宿へ。極上の温泉でゆったりできたのですが、雪国の長距離運転はかなりハードでした。大正ロマンあふれる銀山温泉1月4日は自宅。重石を載せられたような肩こり。その日の夕方、ペットボトルの箱を持ち上げようとして、手を滑らせてしまいました。台車にもたれて歩かないと体のバランスがとれません。背中から腰に痛み。あまりの痛さに翌朝の全体朝礼を欠席させてもらうと連絡し、自宅で養生しました。1月6日、背中と腰の痛みは和らいだものの、めまいと耳鳴りがあります。たいして気にもせず出社、かかりつけの整体師さんから鍼灸を受けました。1月7日からの3連休を使って、塩原の保養所で静養することにして、昼過ぎ東京を出発。那須のアウトレットなどに寄って、夜保養所に到着しました。体調の不具合など感じることなく、のんびりと温泉につかり、早めに就寝したのでした。そして、運命の1月8日を迎えたのです。発症から入院までの経緯は、次回です。
2012年03月15日
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母ちゃんの思いやりで、2か月ぶりの旅行。本復には程遠い状態ですが、リハビリ漬けの毎日から、ちょっと気分を変えるため出かけました。車の運転はまだ不安なので、今回は「スーパービュー踊り子号」利用です。日曜午後出発、伊豆高原の「ほまれの光 水月(みずき)」へ。部屋付きの露天温泉にゆったり浸かり、おいしい海鮮料理をいただきます。カロリーと塩分制限の「禁」を冒すことになりますが、この日だけは「可」とします。夜明けの伊豆大島を望む露天風呂。手前は入浴中の私「脳梗塞でリハビリ中」であることを、仲居さんとの会話でポロッと漏らしたところ、快気祝いの鯛がプレゼントされました。ありがたい心遣いです。これまでと全くイメージの異なる、行って帰るだけの旅行でしたが、出かけられる喜びを味わいました。伊豆高原駅の河津桜。まだつぼみが多い
2012年03月03日
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コメントを参考にさせていただいて作ってみました。前回写真の野菜たちに生サケ(50グラム)を入れ「チャンチャン焼き風」。味付けは薄いオニオンスープに味噌小さじ1杯をとかしてかけます。アクセントに七味をふりかけていただきました。鶏肉は入れず、油は使いませんでした。盛りだくさん野菜のチャンチャン焼き風。カロリーは180kcalもうひとつは「野菜そば」。もらった蕎麦(干麺)がたくさんあるのでチャレンジしました。干し蕎麦60グラムを茹で、レンジで蒸した野菜を載せ、極薄味の汁をかけただけ。味の薄さは鰹節の香りでカバー、ゆず七味をふりかけていただきました。特製低カロリーそば。315kcal低カロリー、減塩、野菜中心の食生活に変化をつけて楽しみたいと思います。これからもヒント下さいね。
2012年02月25日
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退院してからの食事管理は自己責任。退院を前に栄養士さんから食事指導を受けて、減塩・低カロリー、野菜中心の食事を摂るようにしています。写真のように、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、しいたけ、キャベツ、もやし、ピーマンなど野菜に、豆腐や鶏肉を加えて、電子レンジで加熱。サツマイモ、ゴボウ、ネギ、ブロッコリー、水菜などを使うことも。豪雪と寒波で野菜全体が高くなっていますが、これまでタバコや外食にかかっていた費用を考えると安いものです。シリコン製の加熱容器からはみ出すほどの野菜も、蒸されてカサが減るので、あっという間に食べられます。味付けはポン酢を少し垂らします。江戸っ子の母ちゃんや息子が「何の味もない」と。関西人で元々薄味好みの私でも薄いと感じるほどなので、しょうが・ゆず・七味などでアクセントをつけます。この単調なメニューも気にならないのが私の特技(?)です。なお、会社に行く日の昼食は、蕎麦、デニーズの低カロリー野菜料理など。写真は1食分の野菜・豆腐・鶏肉。ご飯は150グラム(小さい茶碗1杯分)。カロリー表で計算したところ、野菜などは220kcal、ご飯は250kcal、合計470kcalになります。これだけでは1日1500kcalにも達しませんが、夕飯はタンパク質(肉、魚など)が加わりますし、あとはリンゴ酢、果物、菓子なども摂りますから、1600~1800kcalになります。寿司やラーメン・餃子などもたまには食べていますから、77キロ(発症時は82キロ)を維持しています。もう少し体重を抑えたほうがいいのでしょうね。
2012年02月20日
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発症から35日目。リハビリ病院を退院して10日余り過ぎました。期限の迫った面倒な仕事を処理するため、退院してから週1回ペースで(午後から)出社していますが、それ以外は通院リハビリと自宅療養の日々を過ごしています。自主トレに利用しているウォーキングロードところが、リハビリを進めるなかで左肩甲骨周辺のダメージも小さくないことが明らかに。また、再発防止対策を調べているうちに、脳梗塞の再発率が高いことを知りました。統計データによると、1年以内に再発する人は10%。5年後、10年後の累積再発率は30%、50%に達しています。回復の進みの遅さ、再発率の高さを考えると憂鬱です。再発すれば現状より重篤な症状になるのは明白。今周囲の人たちに今以上に迷惑をかける事を想像すると、本当に憂鬱です。気分はいささか滅入り気味ですが、ここで立ち止まるわけにはいかないので、血圧管理、食事管理(減塩・血液サラサラ・減量)など生活改善・自主トレ計画を組み立て、実行していますが……。1人でいると(ガラにもなく)、いまにも再発しそうな不安感に襲われてしまいます。世の中の同病の人たちは、どのように毎日の生活・リハビリを進めているのでしょう?
2012年02月13日
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ブログ仲間の皆さん、友人、仕事関連の方々…温かい励ましをいただき有難うございます。昨夕やっと退院して自宅に戻りました。1月8日の発症から入院生活25日間。リハビリ病院でも「最短の退院だよ」と驚いていましたが、自分自身としては長すぎるほどの入院期間でした。しかし、この入院期間中に、重症の患者さんたちの話を聞いたり、「リハビリ頑張ろうね」の声がけをしたり…。患者さんたちに「退院する」とあいさつに回った時、何人もの患者さんから「私らもリハビリ頑張るから」と言ってもらえました。また、リハビリの先生方や看護師さんたちともコミュニケーションを深めることができ、たくさんのアドバイスや励ましをもらいました。ありがたいですね。2月1日、退院の日の朝日(病窓から)本日から自宅でのリハビリを開始、近くの公園で1時間ほど歩行訓練など行いました。通院リハビリは来週からスタートする予定です。「これからどう暮らせばいいんだろう」「再発の可能性は?」「左足はどこまで機能回復するんだろう」など不安の種はたくさん。気持ちの上でも「なんで俺が脳梗塞?」と考えてしまい、落ち込んだり苛立ったり…。でも、リハビリを投げ出したり、立ち止まっているわけにはいきません。コツコツとリハビリを重ねたいと思います。引き続き、応援のほどお願いします。自宅にいる時間が長いので、溜まっているブログ更新、皆様のブログ訪問を再開できます。
2012年02月02日
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午前と午後のリハビリに加え、自主トレに励む毎日。手すりや杖に頼らず階段を登り降りしたり、病棟廊下を杖なしで歩行訓練したり。でも、左足は自分の意気込みにもかかわらず、なかなかうまく動いてくれず、ギクシャク歩きになっています。急いでいるつもりはないのですが、すすっと歩けない状態にはイラッとすることも。また、リハビリのなかで、永年続いてきた良くない歩行の癖が明かになり、そちらの矯正も必要に。かといって、長く入院していても急激に回復する訳でもないので、2月1日に退院、通院リハビリに切り替えます。自宅でのリハビリと組み合わせて頑張ろうと思います。週に1回くらい会社に顔を出そうか、とも。この土日は、退院前の自宅訓練で外泊です。前回の一時帰宅では、とくに問題はありませんでしたが、今回は「風呂に入る」「マンション階段を昇降する」「外を歩く」などの課題があります。外来リハビリの病院まで500メートル。うまく歩かないと……
2012年01月27日
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昨日午後から歩行の補助具が、杖に変わりました。それまでは、歩行サークルを使用しての移動。半円形のサークルをつかんでの歩行ですから、転倒の危険はほとんどありません。しかし、行動は大きく制限されます。杖に変わって、トイレに行ったり、1階のドトールコーヒー販売機へ行くのも気軽です。階段の昇降練習も始まりました。今日は、一時帰宅して、退院後の生活上の問題点を調査するという課題に取り組みました。自宅マンション入口から自室の間取り、段差を調べ写真を撮って、院内でのリハビリ資料として提出するのです。自宅のあるマンションは、公道とフラットな傾斜つき歩道につながったスロープが設けてあり、マンション内は車イス仕様。玄関と浴室入口だけは10センチほどの段差がありますが、室内はバリアフリー。退院後、とくに困難な箇所はないようです。PCで調査表を作成し、17時、無事病院にもどりました。意外と杖は難しく、肩が凝りました。
2012年01月22日
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発症から13日。初めて風呂に入りました。療法士による日常動作テストで、自立認定されたのです。これによって、歩行以外の動作は、介助なしでできるようになりました。入院患者は、機械を使っての入浴、介助を受けての入浴、自力入浴の3種に区分され、スケジュールに従って、入浴日が決まります。私は、火曜と金曜が入浴日。シャワーは毎日でもOKということに。風呂は気持ちいいですね。思わず鼻唄がでました。
2012年01月20日
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8日に緊急入院して11日目。リハビリを強化するために、専門病院に転院しました。なんだか規則ずくめで、煩わしさを感じますが、仕方ないですね。転院前は「1、2週間入院」と説明を受けていたのに、今日は「1カ月くらい」と。今月末に改めて相談するということになりましたが、少しばかりイラッとしています。まあ、明日からどのようなリハビリになるのか、楽しみです。
2012年01月18日
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皆様の暖かい励ましの言葉、ありがとうございます。全く想像もしていなかった病に不安の塊のようになっていましたが、お陰さまで治療効果も上がり、症状は安定しました。左手の麻痺は軽度ですみそう。左足はまったく動かず、自分の意思では動かせない状態。リハビリで動くようになるとのことで、11日からリハビリが始まっています。来週半ばには、リハビリ専門病院へ転院し、リハビリ三昧の生活になります。では、また。
2012年01月14日
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軽い脳梗塞のため、緊急入院しました。左足、左腕が不自由ですが言語障害はありません。 ブログはしばらく中断させて頂きます。
2012年01月09日
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去年のことを話すと鬼に叱られる(?)かもしれませんが、敢えて。12月30日に掲載するつもりが、PCの不具合かアップできなかった、小樽紀行です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・師走。テレビ業界を主要顧客にしているわが社の繁忙期に「超」が付く直前の12月17日・18日、小樽まで出かけました。「なんで、この時期に小樽やねん?」と首をひねる私。「年が明けたら私が繁忙期で休みを取りづらくなるし、いま小樽はロングクリスマスで運河なんかをライトアップしてるし…」と母ちゃん。ホントは2月に行われる「小樽雪あかりの路(雪に包まれた町と運河を灯ろうで彩る祭典)」に行きたかったそうですが、繁忙期で休みが取れないため、ロングクリスマスにしたそうです。土曜日5時、ろくに寝ていないけれど「まあ飛行機の中で寝ればいい」と相変らずの無茶ぶりで羽田へ出発。高速はガラガラ、足立から30分で浮島の民間駐車場に到着しました。ここから空港まではマイクロバスで送ってくれます。表示板を見ると、千歳空港行きの便は定時出発の予定、天候は晴れ、現地の気温は-19℃と。「おいおい、ウソやろ。マイナス7℃くらいと違うんか」間違えて露点温度を表示しているのか、異常数値です。まあ、わざわざ確かめる必要もないので、放っておきましたが…。千歳について温度計を見たら-4.5℃でした。今回は現地でのスケジュールもゆったりしています。千歳空港からはレンタカーで小樽まで。千歳も札幌も晴れ。「これで、小樽は雪なんかしら」「日本海側やから、札幌なんかとは全然違うと思うで」運河から見た、夜の小樽駅高速の小樽ICに近づくと高速は路面凍結のため50km規制。予報どおり雪が降っています。小樽は一面の雪景色。道路はアイスバーンの上に、タイヤで押しつぶされた雪が乗っていて、非常に滑りやすい状態。今季初の雪道なので慎重運転に心がけ、「おたる水族館」へ。わが家はなぜか水族館好き。特に冬の水族館は空いているし、暖かいし、行く先々の水族館に顔を出します。地元中学生が10万本の楊枝で作った、ラッセンの模写絵=水族館展示「おたる水族館」は今年から冬期営業を行うようになりました。オタリア(アシカの一種)とイルカのショー、ペンギン散歩、ペリカンの館内散歩、そしてバックヤード見学が楽しみです。オタリアとイルカのショーは、動物たちのコミカルな演技もさることながら、飼育員さんらのトークが楽しくて、会場が大爆笑でした。珍しいペリカンの散歩。間近で見るペリカンは想像以上に大きく、羽を広げ口を開けられると、思わず腰が引けます。ペンギンの散歩は旭川でも登別でも見ましたが、こちらのペンギンはやんちゃな奴がいて、ロープから飛び出したり、追いかけ合いをしたり、ゆっくり歩かず暴走したり、大騒ぎ。実におかしかったです。残念ながら、バックヤード見学は先着10名限定で、参加することができませんでした。この間も雪は降ったり止んだり。ときとして横殴りの吹雪になっていました。閉館中の小樽鰊御殿。左は日和山灯台小樽鰊御殿は冬期休館中。近くにあるニシン長者の小樽貴賓館(旧青山別邸)を訪ねます。明治・大正を通じてニシン漁で巨万の富を築いた青山氏三代目の娘・政恵(当時17歳)が大正6年から6年半余りの歳月をかけ建てた別荘です。建物は国指定の文化財。収蔵文物には文化財クラスの物がいっぱい。「成り金」趣味はイヤですが、ニシン長者の金銭感覚に触れるにはもってこいの場所です。中村不折、比田井天来、黒木欽堂などの作品群。建物の随所に見られる、カネに糸目をつけないこだわりの造作。階段一つに何カ月もかけたとか、母ちゃん曰く「もっと世の中の役に立つことに、お金を使えなかったのかしら?」小樽貴賓館(旧青山別邸)母ちゃんから「ニシン漁でなぜ大金持ちになれるのか」と質問。ニシン漁のやり方、極端なハイリスク・ハイリターンなど説明しながら、館内を見て歩きました。ついでに併設のレストランで昼食。本場のニシンそばを味わいました。口に入れるとホロホロと崩れるニシン、コシのある道内産ソバ。美味しかったのですが、お値段は「長者」設定のようで…。17時頃から運河や天狗山からの夜景を楽しみに行くので、小樽駅、船見坂を経由して早目のチェックイン。急坂の先、小樽港が見渡せる船見坂たまたま同じ日に小樽に来ていた母ちゃんの同僚に連絡すると「もう運河にいる」と。こりゃあ急がなくては! 雪は降ったり止んだり、突然吹雪のようになったり。路面はツルツルに凍結しています。橋のたもとで待ち合わせた母ちゃんの同僚は雪だるま状態。気の毒なことをしました。小樽運河では、うまい具合に雪も止んでくれました。観光客のほとんどが中国語(大陸か台湾かは分かりませんが、はしゃぎ方から察するに雪と縁がない台湾からの団体さん?)。圧倒されます。函館・函館山、札幌・藻岩山と並ぶ北海道三大夜景のひとつ、天狗山から見る小樽の夜景は雪に阻まれて視界不良。それでも1時間くらい展望レストランで粘り、雪が少し弱まったところで展望台へ。あまりの寒さに撮影もいい加減。ロープウェイに飛び乗りました。晴れていれば素晴らしかったであろう天狗山からの夜景市街に戻って、ライトアップされた文化財建造物を見学。小樽には数多くの歴史的建造物が現存しています。漁家、倉庫、店舗、料亭、寺院、教会、銀行など、当時の最先端の技術や洗練されたデザイン文化遺産として評価されています。ライトアップされた旧三井銀行小樽支店 といっても、凍結した坂道を歩き回る勢いはなく、ホテル周辺をチョロッと。せっかく行ったのにもったいない、とも考えられないほど冷え切った私たちでした。2日目に続きます。
2012年01月07日
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2012年 幕開けです。明けましておめでとうございます、と言いにくい気分で新年を迎えました。東日本大震災、放射能汚染拡大。未曾有の被害に対して、あまりにも無責任な政府・東電。復興に名を借りた増税。消費税大幅アップへの準備。TPPへのうやむや参加促進。投機マネーによる異常なドル・ユーロ安と円高。…挙げればきりのない国民の生活と安全無視の政治が、強引に推進されようとする中、私たちは如何に行動すべき何だろうと、考えながら迎えた2012年です。次々と参拝者が訪れる日和山富士主姫神社跡2011年最後の日、山形へ行く途中、津波被害の大きかった宮城県名取市を訪問しました。募金以外ボランティアにも参加していない私たちですが、同市閖上(ゆりあげ)地区の日和山富士主姫神社を訪れ、供花とともに犠牲者への哀悼と早期復興への祈りを捧げました。海に向かって哀悼の塔が建つ日和山多くの人たちの努力で震災当初の瓦礫は取り除かれていました。しかし土台だけになった家屋跡、土砂に覆われた田畑が痛々しく、全身に震えが走りました。道路まで運ばれてしまった漁船、津波に突き破られた家屋、老人ホーム、工場、寺院…がいまだに残り、地震・津波の人智を超える破壊力に声も出ません。この地で暮らし、働き、学んでいた人々を思い起し、撮影を躊躇しましたが、訪れた以上報告する責任があると意を決しシャッターを切りました。辛くも立つ東禅寺本堂。墓地は壊滅。右隣には観音寺があった跡形もない田畑。その中に横たわる船。右奥の老人ホームも1階は壊滅道路には幾艘もの漁船が打ち上げられたまま被害の甚大さを物語る瓦礫の山。防塵・防火のためでしょうか、「山」に向かって間断なく放水が続いていました。どのような道すじで復興されるべきなのか、私たちはどのような支援をなすべきか、改めて考えさせられた被災地訪問でした。
2012年01月04日
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日光徒歩行軍の翌々週、唐突な旅行がまたしても。久しぶりに息子と彼女も同行して、伊豆の河津温泉までミニ旅行。この時期の伊豆は、紅葉も終わり、河津桜には数カ月早い中途半端なシーズン。温泉と料理が目的という分かりやすい企画です。中伊豆からの富士山。宝永火口が雪でくっきりと見える息せき切って行くほどのこともないし、渋滞予測もないのでゆっくりとしたスタート。まずは、「中距離恋愛」の彼女をピックアップするために東名厚木へ。厚木から沼津経由で伊豆に向かいます。いきなりのアクシデント。東名経由か小田原厚木道路経由か、ナビは「小田原経由」を指示していますが、無視して沼津経由で行くことに。東名入口で「秦野中井で事故」と表示を見ましたが、渋滞も1キロだし大丈夫だろうと、何の根拠もなく判断し失敗しました。本線に合流してすぐに渋滞。「3キロ先で単独横転事故、運転手は負傷、全面通行止」の道路情報が入りました。1キロ渋滞は古い情報です。結局、1時間半くらいのロスタイム。写真を撮った段階で渋滞は11キロこの日の予定は、中伊豆の「サイクルスポーツセンター」でパターゴルフをするだけ。「もしダメだったら翌日にするから」と最近ゴルフに熱心な母ちゃん。「そこまでして、ゴルフなんかせんでもエエ」。ゴルフとは無縁の私が発する声なき声は、母ちゃんには届きません。ようやく渋滞を脱し、昼食はコンビニおにぎりで済ませて、中伊豆へ。少々遅いスタートですが、18ホール、パー72のパターゴルフですから1時間か1時間半くらいで終わります(はずです)。要は私がどれだけ少ない打数でクリアするかなのです。結果は、母ちゃん1位、2位は彼女、3位は息子、4位は予想通り私。ピンそばに寄せても力加減が分からないので、いつまでたっても入らない訳で…。中伊豆のパターゴルフ場おかげで、変わり自転車に乗ったり、遊具で遊んだりの時間はほとんどなく、お子ちゃま用のジェットコースターに乗っただけで閉園の時間になってしまいました。みんなスマン!天城街道を一気に南下し、18時前に河津七滝(ななだる)ループ橋近くの温泉民宿「うるしや」に到着しました。「民宿うるしや」は「じゃらん」口コミで5点満点中4.6点という高評価を得ている宿。全6室で貸切り露天風呂2、貸切り内風呂1を持ち、伊豆の新鮮な魚介料理を堪能させてくれる、というので母ちゃんが目を付けていた民宿です。民宿とは思えないような大きな露天岩風呂、内風呂も檜の香る大浴槽。すっかり堪能し、寛がせてもらいました。初景滝。右手に「伊豆の踊子」の銅像が見える翌朝も快晴。朝から河津七滝を回ります。ただし9月21日に浜松付近に上陸した台風15号の影響で滝周辺の遊歩道が通行止になっていて、見られるのは出合滝、かに滝と、伊豆の踊子の銅像が立つ初景滝(ここは100メートルほど手前で立ち入り禁止)。大滝、蛇滝、えび滝、釜滝の4つは見ることができません。まあ、母ちゃんの膝のことを考えると3つで十分です。猿田淵。紅葉もほぼ終わりおまけとして、今年春完成した猿田淵吊り橋へ。釜滝に向かう途中の木道に造られた吊橋で、全国でも珍しい床板形階段吊り橋とのこと。なんでも見たがりの私の希望で、急な階段を下っていきましたが、結局、私だけが吊り橋まで行って、母ちゃん以下3名には写真で見てもらうことに。今どきの若いモンは軟弱でイカン!階段状の猿田淵吊り橋この旅行のもう一つの楽しみは富士山。快晴に恵まれ両日とも富士山の威容をたっぷり鑑賞することができました。その神々しい立ち姿を見ていると、日本人にとって、やっぱり富士山は心の拠り所なんだと、改めて感じました。東名駒門PAからの富士山
2011年12月28日
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年の瀬をひかえ、わが社も超繁忙期に突入。深夜勤応援の出動依頼を受けて出社しています。原稿の動きが悪く、待ち時間がやたら多い状態です。泣いても笑っても2011年もあと6日。まさに「100%勇気、頑張るしかないさ」です。101キロ挑戦の日記も、やっと最終回を迎えました。どうすれば踏破できるか? 実行計画・準備編(2)目的も目標も実行計画も明らかになり、あとは計画に従って準備するだけです。が、毎晩帰宅が遅く、なかなかパパッとはできません。もたもたしている間に前日思いついたことを次の日には忘れ…という状態に。<どんな準備が…>(道路・周辺の情報)計画に沿って行動できるよう、まずインターネットと地元の役所への問い合わせで、通過する道路・周辺の状況をできるだけ詳しく調べます。また、グーグル、マピオンの地図サイト(1500分の1まで拡大できる)を使い、実際の距離を計測。途中にあるコンビニ、施設など調べました。(休憩ポイント)ネット上で距離とコンビニ位置を勘案し、休憩ポイントを決定。さらに、大休止と小休止の区分をします。夜間のコンビニ以外での休憩ポイントは、消防署など終夜照明されている場所を選びます。それに基づいて、20区間、19カ所の休憩ポイントを決定し、行程表と地図を作成しました。行程表(手書きタイムは実際の時間)と作成した地図の一部(携行品の準備)まず、持って行った方がいいと思われる物を列挙します。その中から必需品を絞り込み、ポケットがたくさん付いている大きめの3ウェイ(ウェスト・ショルダー・手提げ)バッグに収納。重さを計り、さらに減らすようにしました。バッグを含め3.2キログラム。これにペットボトル500グラムと途中で購入する反射板ベストが加算され、最大3.9キログラムです。ギリギリ許容範囲でしょう。もし、重さが肩腰に負担となってきた場合、衣類は着用するか、体に縛り付ける。小物は服・ズボンのポケットに移動して荷重を分散するしかありません。携行品の一覧(写真参照) 太字は使用した物(衣類・防寒対策)着替え(ソックス2セット、予備の速乾Tシャツ、万が一の時のパンツ、細紐)、タオル、日本手ぬぐい(裂けば包帯になる)、軍手、膝サポーター、山用ヤッケ、JESオレンジジャンパー、使い捨てカイロ、緊急用アルミ保温シート(クスリ関係など)常備薬・血圧の薬、ロキソニン錠(炎症、痛み、発熱)、芍薬甘草湯(筋肉痛、こむら返り)、正露丸赤玉(下痢)、パンシロン(消化)、ニトログリセリン舌下錠・貼付用(狭心症)、ロキソニンテープ(炎症、痛み)、消炎クリーム、カットバン(超特大・特大・大・普通)、エアサロンパス、目薬、綿棒、ポケットティッシュ、チョコレート、のど飴(その他)LEDヘッドライト、デジタルカメラ、ミニ工具セット(ナイフなど)、ハサミなど裁縫セット、歯ブラシ、MP3プレイヤー、メモ用紙・ボールペン、予備ライター、行程表、地図、財布(現金・保険証・免許証など)、ビニール袋(服ポケットもしくは手持ち品)携帯電話、笛、ハンカチ、日本手ぬぐい、タバコ・ライター・携帯灰皿、吊下げピルケース(ニトログリセリン舌下錠)、帽子、杖いろいろな可能性を考えて準備をしましたが、結果として使わずに済んだ物もありました。持つ必要がなかったのか、万が一を想定して持っているべきだったのか、判定はできません。<アクシデントの発生、行程計算ミス>自分なりに注意深く準備しましたが、「やる」と決めたのが遅く、直前のスケジュールがきつかったため、トレーニングはもちろんのこと、想定に甘さがあり、いろいろトラブルが発生しました。負傷=実踏編でも書きましたが、テーピングテープの誤用で両脛の皮膚がめくれ出血が続きました。靴=保有していたウォーキングシューズに不具合があるのを前夜に発見。くるぶしを覆わないショート・トレッキングシューズで代用しました。そのため柔軟性に欠け、両脚の小指に靴ずれ、両親指が内出血してしまいました。防寒対策=天気予報では、夜明け前の壬生町・鹿沼市周辺の気温は1℃。長時間きつい冷え込みに身をさらすのに、防寒対策が不十分でした。フリースの中着を用意すべきでした。腹痛=冷え込みのためか、追分あたりから腹具合が悪くなりました。行程の計画ミス、調整ミス=当初計画では、過去の1day縦走経験をベースに、休憩時間を短く設定し、食事は歩きながらかコンビニ前で簡単に済ませようと食事時間を取っていませんでした。また、沿道での会話時間はその後のスピードアップで吸収できる程度にしか考えていませんでした。実際には、会話による遅れは取り戻せず、食事も店で摂り遅れを拡大しました。夜間の歩行について、疲労や眠けによる速度低下、休憩時間超過をイメージせず、昼間と同じタイム設定しかしておらず、夜間の区間における遅延を招いてしまいました。最初の30キロまでに30分くらい時間短縮できて気が緩んだのか、6.3キロに2時間もかけた区間がありました。このタイムロスがなければ、速度低下や超過休憩があっても予定通りゴールできたと思います。新鹿沼から平成橋ローソンの区間で4.4キロを35分で歩くと記入ミス。そのために1時間以上遅れていると勘違いして、最後の30キロは余裕のない歩行になってしまいました。 全体の行程を見ると、計画上は平均時速4キロと想定してあったため、最終的には25分の遅延で済みましたが、これは怪我の功名とでもいうのでしょうか。御成橋から見た男体山。左奥の冠雪した山は日光白根山<最後に>●徒歩行軍参加者の皆さん、行軍を自己犠牲的にサポートして下さった人事・労務、日本ES開発協会のスタッフの皆さん、会社のみんな、あなた方との「心のつながり」がなければ挫折していたかもしれません。沿道の皆さん、あなた方の「後押し」のおかげで歩きとおすことができました。本当にありがとうございました。●不摂生な暮らしをして、特別に練習しなくても、計画・準備、そして何よりも「私はやる!」と心に決めれば、100キロ踏破も可能であると、実感できました。●実現不可能と思える目的(理想)も、実践上は小刻みな目標のクリアを重ねることで達成できる。歩行が極めて困難になっても「せめて次の信号まで」「なんとか次の電柱まで」を重ね、無心に歩けば、いつのまにか休憩ポイントに到達している。そして、その繰り返しが最終地点に自分を立たせる、そう思います。これは、人生にも事業にも共通すると信じます。<参考データ>歩行距離=101km合計歩行時間=予定24時間35分、実際24時間20分合計休憩時間=予定4時間5分、実際4時間45分総行動時間=予定28時間40分、実際29時間5分摂取カロリー=約3600kcal、消費カロリー=約6500kcal、差=-2900 kcal 水分補給=約4リットル体重=出発前81kg、終了後78kg 体脂肪率=出発前22.5%、終了後20%残念なことに、体重・体脂肪率は「ほぼ復活」しています。連載終わりです。長文にお付き合いいただきありがとうございました。
2011年12月25日
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23日、東京スカイツリーがライトアップされました。今回は高さ125メートル以上の白色LEDだけを点灯。ひと足早いホワイトクリスマスとなりました。明日24日は22時まで。大みそかの31日は25時までの予定です。下の写真は足立区を走る国道4号線の歩道橋上から撮影。スカイツリーから直線距離9.5キロあるため、倍率は20倍、15秒の露出です。周りが明るすぎてうまく撮影できませんでした。右は自宅ベランダからの撮影。
2011年12月23日
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単独行の冬山で死に直面したことがあります。若いころから単独行中心の登山をしていた私は、若さと「ゴリラみたい」と評された体力にモノを言わせて、かなり無謀なスケジュールで山に挑んでいました。滋賀県の比良山系。低山ですが日本海を渡る寒波が大量の雪を降らせます。何度も行っているし、雪の時期も経験済み。「難易度は高くない」とタカをくくり、装備も行程検討も不十分なまま、強行入山してしまったのです。計画書も提出せず、誰にも告げず…携帯電話のない時代ですから、何かあってもどうにもならない状況で猛吹雪に巻き込まれ、方角を見失いました。林の中で吹雪を避け浅い雪洞でツウェルトに包まり「アカンかも判れへんなぁ」と諦める自分と「こんなとこで死ぬ気か」と叱咤する自分の葛藤。その時は悪運強く助かりましたが、なぜ無事に窮地を脱しえたのかは不明です。そのほかにも数多くの「あわや」体験があり、その都度、自己嫌悪を含む深刻な反省をして…それでも間違いを繰り返してきました。もっと吹雪が激しくなると何も見えず…山登りの場合、地図と行程表、必要十分かつ最軽量のコースを外れた場合、地図とコンパスがなくれば勘に頼るだけの危険なことになるし、行程表は実際とのズレを計測しスケジュール調整する上で重要なものです。快調に前進できて行程に余裕があるとき、次の目標をめざすのか、早目に休息するのか、行程表に基づいて判断すると精度が高まります。経験のあるコースでも、その日の体調、天気、登山道の様子と行程を勘案しなければ、失敗することがあります。さらに、準備する装備にも注意を払わなくてはなりません。忘れても大して支障のないものもありますが、可能な限り軽くするので最低必要なものしか持っていきません。1つの忘れ物が深刻な事態を招くこともあります。旅行でも同様で、観光目的のお気楽な旅ほど行程は変更だらけ。天候の崩れや交通事情なども起ります。そんなときに行程表を作成しておくと、スケジュール変更、時間調整が簡単にできます。どうすれば踏破できるか? 実行計画・準備編(1)101キロを1日と6時間で歩き切り、本隊と合流するためには、きちんとした実行計画と準備が必要。「踏破できるかできないか分からないけど、やってみよう」では成功はおぼつかないでしょう。実踏中にアクシデントや予定のずれ込みが起こるかもしれません。いや、起こる可能性の方が高いのです。そんなとき、計画と行程表、携行品に遺漏がなければ、簡単に計画変更や行程修正、緊急措置ができます。それほど注意し、準備をしても「想定外」のアクシデントは必ず発生するのですから、人間の(私だけか?)知恵なんて大したことありません。これまでの最長は50キロだし、山での連続行動時間は17時間程度。日光街道も例幣使街道も、車でなら何度も通っていますが、歩くなんてことは想定もしていないので、主要ポイントの記憶もあいまいで、沿道にある商店・施設などは全く知りません。101キロ歩くぞ!と決意しても、実際は何をどうすればいいのか?<実行計画を立てる>(1)150キロ踏破に挑む!?当初は、日本橋から日光街道・例幣使街道経由で日光まで150キロを歩きたいと思っていました。大雑把に計算したところ、平均4キロで歩いて約37.5時間、5キロに1回10分休憩をするとして合計4.5時間、それだけで42時間。26日0時にスタートして、順調に行ったとして27日18時に東照宮に着くことに。道路の中央に埋められている日本道路元標私が鍼灸治療をお願いしている先生に相談しました。先生は、スポーツトレーナーでご自身も山岳耐久レース(トレイルランニング)に出場している方。長距離長時間のチャレンジには詳しいのです。結果、150キロはダメ、草加からの131キロも無謀だ、とのアドバイス。なにより、普段からの睡眠不足に加え、仕事が終わった直後にスタートするというのは「自殺行為」で、踏破できるとは思えないとのこと。そこで目標を100キロ程度とし、東武動物公園駅から神橋まで101キロを歩くと決定したのです。(2)「勝利の方程式」を組み立てる101キロ踏破をコミットし、挑戦するからには「必勝」を期したいもの。「どうなるか分からんがやってみる」「どうにかなるさ」というのは、どうも私の気質に合わないのです。考えつく対策を全部やって、断固として実行する。その結果「敗退」しても、自分自身納得できます。そのためには「勝利の方程式」を組み立て、それを基本として遵守する。アクシデントが発生したとき、修正の必要が生じたときも「想定内」として対処できるように準備しておく。これが大きな課題に向かうときの私流のやり方です(といっても、そうはうまくいくものではありませんが…)。<実行計画の骨子>(行程について)・100キロ歩くのは50キロを2回歩くのとは全く異なる。・50キロ歩いた筋肉は乳酸が溜まり固まる。 50キロまでの消耗を少しでも抑える。・50キロから先は、体力よりも気力が重要。・5キロ程度で小休止10分、15キロ程度で大休止20分する。 できるだけ長時間座り込まない。・時速4キロで歩けば目的地には30時間以内に到着する。 時速4~5キロをキープし無理な歩行はしない。(安全確保について)・夜間の歩行は、疲れと眠けと冷え込みとが大敵。 確かな装備と負けない精神力が必要。・夜間歩道のない道路、街灯のない道路を歩くので、安全対策が重要。・右脚が、骨折した左膝を無意識にかばうので、左右バランスを意識する。・休憩ごとに必ずストレッチして筋肉をほぐす。・ソックスはシルクの5本指に厚手の靴下を重ね履き。 30~40キロごとにソックスを取り換える。・心臓の異変はじめ発病・負傷などで行動継続が無理な場合は、直ちに中止。 救急病院をリストアップしておく。・念のため、エスケープルート、鉄道の始発・終電、宿泊先など調べておく。(食事などについて)・カロリー補給、水分補給には注意を払う。・食事は行動に支障がない程度に摂る。・行動食としては、おにぎり、チョコレート、飴、ゼリー飲料など。(携行品について)・休憩はできるだけコンビニを利用。飲料・行動食はコンビニで補給する。 持ち歩く荷物は極力軽くする。・単独行動なので必要と思われる物は全て持つが、荷物は3キログラム以内。・ウェストとショルダーに重さを分散するよう調整する。・ショルダーベルトには手ぬぐいを巻き付けクッションにする。 一定時間ごとに左右の肩を入れ替える。―――など。文字数オーバーなので次回に続きます。最終回は「準備行動と発生したアクシデント」です。
2011年12月22日
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