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昨日は梅雨の晴れ間、久しぶりに下着類を洗濯、コロナウイルス第2派が来襲していますので、人気のいない処に行って散策することにしました。町田市の一角に位置する万松寺谷戸を散策しましたが、東京都が指定した風致地区の整備も行われず、まるで落人部落の様に森閑としていました。谷戸名の由来となりましたのは、住宅街の外れにある万松寺があることに依ります。臨済宗建長寺派寺院の萬松寺は小野山と号し、鎌倉時代末期元徳2年(1330)に創建、江戸時代慶安元年(1648)には徳川家光より寺領7石の御朱印状を拝領したとする鄙には珍しい由緒ある仏閣です。寺を過ぎますと棚田が広がり、一部には草刈りが行われていましたが、歩くにも厄介な程雑草が伸び放題、水辺の蛙を狙って、青大将やシマヘビがいるので要注意です。その奥には栗林があって、樹林帯に入って行き、その木陰で昼食となります。途中の樹林帯から山道を辿りますと、小野路城址に行くことが出来ますが、草刈りもされておらず、マムシ等の毒蛇も隠れていますので、樹林帯でおにぎりの昼食をして戻ることにしました。万松寺の神木はカヤノキ、谷戸随一の大木です。カヤの実は脂分が多く、先の太平洋戦争では、油を搾って、軍部に供出したとの説明板がありました。
2020.07.20
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棚田風に設営された見事な菖蒲の季節が終わりますと、公園を訪れる訪問客は格段に減り、何時もの閑さを取り戻します。池の向こうには梅林、その奥にも林が広がっていて、池の閑さを保ってくれています。一際、大きく突き出ているのは、公孫樹の大木、樹高は30m近くありそうですが、樹齢が不詳の大木、昔の崖崩れで3m程埋まっていると説明板に記載されています。多分400~500年は経っていると思われ、町田市名木百選に指定されています。新東京百景、日本の歴史公園100選、東京都指定名勝に指定されている「薬師池公園」の丘に「野津田薬師堂」はある。重厚感溢れる入母屋造りの「薬師堂」(明治16年=1883再建)が建っている。天平年間(729~749)に行基が開基、元亀4年(1576)に僧興満が再興し「福王寺薬師堂」と称した。本尊は薬師如来で、脇仏には右に日光菩薩様、左に月光菩薩様、さらに右側と左側に6人ずつの神様、全部で15体の仏像が祀られている。当薬師堂は「武相寅薬師」の札所であり12年に一度開扉が行われ、狩野信矩筆の天井絵を見ることが出来る。
2020.07.03
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今日は梅雨の晴れ間と言うことで、洗濯をしてベランダに干して、その後は何処か出掛けてランチを食べることにしました。其処で、ラジカセで音楽テープを聴こうと、ACコンバータ接続を外して、バッテリー駆動のポータブルにするべく、スーパーに行って単2バッテリー6個を買い、野津田公園の展望広場まで行きました。躑躅の季節には家内とはよくルンチを食べに来た処ですが、15年振りでしょうか、木々が伸びて、町田セルビアのホームグラウンドも見えにくくなっていて、展望広場と言うより林の中の様に変貌していました。ラジカセは米国仕様のJVC S5JWで、未だにVintageものとして人気がある機種、小さいながら2Wayスピーカー搭載、残念ながらDolby機能はありませんが、小型の割には音質が良いのです。梅雨の晴れ間の暑い日中、ベートーヴェンのピアノ3重奏曲4番「街の歌(Gassenhauer)」、7番「大公(Archduke)」を聴きつつ、おにぎりとお茶、American Cherry付きで、昼のコンサートを楽しみました!「街の歌」はMannheimer TrioのLPからテープにダビングしたもの、レコードのスクラッチノイズやテープのヒスノイズもありましたが、許容の範囲と思われました。家内と来た時を偲んで、ベンチ周囲で4つ葉のクローバーを探してみましたが、直ぐに2つ程見つかりました。何時も探すのは私の役目だったのです!
2020.06.16
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府中郷土の森博物館に行ってみましたが、未だ園内の売店は閉鎖中とのことでしたので、入園せず、物産館横の駐車場に車を留め、多摩川河岸と散策路まで行ってみました。此処は舗装されていますので、ベルを鳴らさずに疾走するサイクリングを楽しむ人達もいますので、無用な事故を起こさない様に注意して散策しなければなりません。東京アラートが解除されたとは言え、3密を避けるべく、河川敷はフェンスで閉鎖されています。フェンス越に鬼クルミの林を、コンデジでズーム撮影してみますと、クルミの実が多数見つけることが出来ます。道なりに大丸堰を通り過ぎたベンチで珈琲と物産館で買った「御焼き」でランチを取りながら、東方を眺めていますと、貨物列車が多摩川を渡って行きました。武蔵野線は千葉県の「西船橋」から神奈川県の「鶴見」までの大きな環状路線で、客車・貨物の共同路線なのですが、客車運航は東京都の「府中本町」で終了、其処から「鶴見」までは、貨物専用路線となっているのです。駐車場に戻る途中、郷土の森公園の蓮池を覗いてみますと、2千年ハスとされる大賀蓮の花芽が立ち上がっていました。春は過ぎて、もう夏なのです。
2020.06.13
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昨日は快晴の夏日、久しぶりに横浜の寺家村で会食する「ことにしました。と言いますのは、何処の食堂も持ち帰りが主流で、店の中でゆっくり食事することが出来ませんが、寺家村の四季の家ではオープンしていて可能とのことが分かったからです。田植えを終えた田圃の横に、四季の家があります。中に入る際には、アルコール消毒と体温チェックを受ける必要があります。各テーブル中央には、透明アクリル製の衝立が設置されていて、飛沫感染を防ぐ対策がされていました。コロナ蔓延中でもありますので、其処で散会の予定でしたが、先輩の奥様がチーズケーキを焼いているので、「寄ってくれ!」とのお誘いがあって、ずうずうしくも立ち寄ることにしました。何か立ち寄ると言うよりも、病原ウイルスが侵入する懸念もあったのですが、やさしく歓待して頂き、帰りには自家製の枇杷を頂戴することになりました。
2020.06.11
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アラートとかステイホームとか、小池知事はカタカナ英語が得意らしい。教養の高さは分かりますが、啓蒙を押し付けるのでは無く、出来るならば「警告」とか「自宅待機」等、日本語を使って頂きたいものです。昨日は、府中郷土の森博物館が久しぶりに開くと言うので行ってみましたが、物産館横の駐車場は殆ど来客も無く、ガラガラでした。門前の物産館では、三密を避けるべくレストラン等は閉鎖のまま、園内でも本館閉鎖、全ての売店も閉鎖と言うことで、何時も食する「焼き団子」は食べられそうに無く、入園を諦めることにしました。河川敷に行くべく、野球場4面が可能な広い運動場も閉鎖中、閉鎖は6月末迄と掲示されていましたが、応援する人々が運動場周りに屯して三密が発生する懸念から閉鎖継続となったらしいのです。河川敷で散策しながら、珈琲とスナックでゆっくりしようと、河岸の散歩道を越えて行きましたら、時限的なフェンスで仕切られて下りて行けません。此処の河川敷はバーベキュー広場となっていますので、多くの家族連れのテントが設営されますので、三密を避ける為の閉鎖継続となった様です。クルミ林もそろそろ開花する時期なのですが、遠目で判別出来ません!
2020.06.03
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町田市にある都立の小山田緑地は本園と梅木窪分園に分かれています。非常事態宣言で閉鎖されていました「小山田緑地」の駐車場が、解除宣言が出て使える様になりましたので、森林浴をすることにしました。分園入口は2ケ所あって、従来は住宅地際から登って行く入口だけだったのですが、昨年に管理事務所下の道路に階段状の入口が設置されましたので、其処を利用しました。吊り橋コースを辿りますと、深山幽谷を思わせる景色となります。本道に戻りますと、休憩所と言うか四阿が林間に設置されています。道なりに尾根道を行きますと、例年蛍の出没する「アサザ池」に着きます。池は泥が堆積していて、矮性の水蓮であるアサザが随分退化してしまっている様でした。此処で、ゆっくりと昼食を摂り、来た道を戻って行きます。吊り橋付近では、複数の朴の木に花が満開を過ぎた状態で咲いていました。散策とは良い物ですが、上り下りで途中息苦しくなってマスクを外してしまいました!
2020.05.27
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何時もは小山田緑地の駐車場に車を留め、奈良ばい谷戸を行き、樹林帯を抜けて小野路城址まで散策するのですが、現在は駐車禁止となっていますので、行くことが出来ません。今朝は、500m上からのドローン写真を付けて、奈良ばい谷戸の紹介記事がありました。谷戸には湧水が水田に流れ込み、周辺には樹林が育ち、小動物が生息する谷間、40~50年放置された場所を、NPO法人が里山再生する活動が2005年から始まり、65人の会員がいて増加中、炭焼き小屋も含めて1年中、作業している。散策路は、奈良ばい谷戸の谷戸道だけでなく、尾根道もあって、その時の気分によって変えることがあります。尾根道には小動物が潜んでいて、毒蛇のまむしもいますので、長ズボンで足首を固めておく必要がありますが、絶滅危惧種のキンランやギンラン、エビネ等も咲いてくれますので、楽しむも増えます。この一帯は、隣接する谷戸群を含めて、小野路風致地区としているのですが、東京都と管轄する町田市の疎通が悪く、上手く行かず放置状態となっているのは残念です。
2020.05.17
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小野路は平安貴族の小野篁の所領であって、谷戸道と尾根道に分かれます。谷戸道は片側1車線の車道となっていて、起点地区には小野神社やその休憩所、新選組の資料を集めた小島資料館等があり、歴史的な街道の様です。一方、尾根道は昔のままに放置されて山道のまま、人の往来も稀で、処々にある農地に通う軽トラックが通うだけの放置された小径となっています。外出自粛の中、人も通わぬ小径を散策するのは迷惑が掛からない、マスクをつけ徒歩で往還することにしました。一昨日は気温が28℃を越えて夏日でしたので、熱中症にならない様に、ペットボトルのお茶とプロセスチーズ、スナックを携えて行くことにしました。暫く行きますと、神社境内に着きます。小野路浅間神社の境内で、参道は谷戸道からとなっていて、「富士山本宮小野路浅間神社」となっていて、富士山信仰に建立された神社の様でした。道に沿って散策を続けますと、左下に炭焼き小屋が見えるのです。何時もは小山田緑地の駐車場に車を停め、小野路城址まで散策するならばい谷戸に来てしまった様でした。幼い頃から方向音痴ですが、思わぬ散策となりました。切株に腰かけて、お茶を飲み、チーズやスナックを食して休憩、良く見ますと、絶滅危惧種のキンランが咲いていました。辿った小径を戻って行きますが、途中に出会ったのは、家族4人連れの一組のみ、往還2時間の長い散策で、右膝に違和感が出て来ましたので、ゆっくり歩行に変更、10年来の持病ですから仕方がありません。何とか労わりつつ、帰宅することとなりました。
2020.05.04
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昨日は、東京でコロナ感染者が140人を越え、日本国中にウイルスが蔓延している状勢、小池都知事のリーダーシップで、安倍政権も「緊急事態宣言」を発令しましたが、休業要請や休業支援については、安倍政権は逡巡、リーダーシップの欠如を露呈している様です。処で、訪問客の激減した小山田緑地展望台の木柵傍のベンチに腰掛けて、珈琲を飲み、ゆっくりと丹沢山塊を眺めます。世の中が騒然とした中では、一際陶淵明の世界が馴染んで来てしまいます。菊を采(と)る東籬(とうり)の下(もと)悠然として南山を見る密集・密閉・密接でないオープンエアな場所なら、感染され、又感染させる危惧も無いと思い、小山田緑地に行って、展望台までマスクをしてゆっくりと散策して、展望台で昼食兼珈琲タイムとすることにしました。展望広場下の小山田地区住宅地やその上の尾根緑道はよく見えるのですが、残念ながら春霞で丹沢山塊が殆ど望めません。それでも、柔らかな春の空気感とは、気が休まって良いものです。帰路に、樹林帯の中にある、キンラン・ギンラン保存地域を覗いてみましたら、20~30本のキンランが花芽を立てていました。蕾も見えますので開花はもう直ぐ、此処では注意看板も設置されていて、他所では頻繁に起こる盗掘による被害が無い様で、何よりです!
2020.04.09
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コロナウィルスが日本中に蔓延し出しましたので、人混みを避けて散策することにして、揚水発電の湖として、津久井湖からの水を貯める目的で作られた城山湖に行ってみることにしました。何時もの通り、城山カタクリの里を通過して、谷道を通ろうとしたのですが、昨年の台風19号の影響で通行止めとなったまま復旧していません。仕方なく尾根道の迂回路を使いますが、何時もの3倍以上の道のりを経て漸く揚水発電所の横に設置されている駐車場に着きました。発電所脇から5㎞の周回散策路に入り、ひたすら登って行き、峰の薬師奥の院とふれあい休憩所の分かれ道に到着、今回は周回路最高点のふれあい休憩所で、展望を楽しみつつ、昼食を摂ることにしました。休憩所のテーブルで、インスタントラーメンを作ります。例によって、野菜やハムと一緒に煮込んで、熱々の札幌塩ラーメンを食します。城山湖は眼下となり、左に八王子、正面には相模原市橋本から新宿高層街と素晴らしい展望となります。しかし、春霞で、新宿高層街も薄らとなって、東京タワーもスカイツリーも霞に埋没して見ることが出来ませんでした!
2020.03.08
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多摩川は昨年台風19号の際、奥多摩湖の小河内ダムから非常放水を行ったことで、下流の大田区や川崎市で氾濫を起こしましたが、中流域でも異常増水で河川敷は全て洗われ、流木類が堆積して、ピクニック出来る状態から程遠いものとなりました。あれから半年、流木類も取り払われて、バーベキューを楽しむ家族連れのテントが多く設営される様になりました。しかし、大丸堰上流の中州は半分削り取られてしまい、川の流れが変わってしまいました。下流では、左岸の流れは堰き止められて、上流から押し流されて来た岩や礫の滞留場所に変貌してしまって、元の流れに戻る様子はありません。其処の滞留場所を歩いてみますと、所々に多摩川上流には存在しないと思われる変成岩である薄い層の重なった緑泥片岩や紅簾片岩、石英片岩が見えますし、それに加えて、薄緑で白い輝きのある絹雲母片岩も見つかります。荒川中流域の長瀞での石畳が代表的な産地で、多摩川には無い筈なのですが・・
2020.03.04
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新型コロナウィルス肺炎が全国的に蔓延していますので、意識的に人混みの多い駅前等は敬遠していて、買い物するスーパーには出掛け、其処で感染すれば仕方が無いと言う感じで過ごしています。五里霧中の状態で、何時終焉するのか見当が付きませんが、2週間~1ヶ月だろうと勝手に思うことにしました。カミュの不条理小説「ペスト」でも、ある日突然ペスト被害が終息すると記述してありましたし、終わりのない災害はないのですから・・其処で、先日、冨士霊園にある家内の墓所に行ってみることにしました。混雑する電車・バスで訪れる方々が少なく、園内は閑散としていて、コロナウィルスの気配も皆無の様でした!管理事務所で、供花とお線香を買い、墓所のある区画に向かいます。周囲の林は、未だ裸木ばかりですが、陽に照らされて春の気配濃厚でした。持参したデコポンを供えて、久しぶりにLPGバーナーとコッヘルで「札幌塩ラーメン」を作ることにしました。夫婦で、低山トレッキングをしていた頃、山頂でインスタントラーメンを作って食する習慣は家内の発想で始まったものでしたから・・
2020.03.03
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梅の季節も終盤、早咲きの桜が開花しています。小山田緑地管理事務所近くの駐車場に車を留め、道路反対側の正面階段を登りますと尾根道に入ります。階段途中、法面にピンク色の桜が見頃となっていました。早咲きで知られる河津桜と思いましたが、花芯部分のピンク色が薄く、どうも寒桜とされる種類と見えました。森林浴を満喫しながら、尾根道を下りて行きますと、アサザ池に到着します。アサザはスイレンに似た小型の丸葉で、夏になりますと黄色い花をつける植物ですが、泥が溜まって池の体裁を為していません。今年の夏、開花してくれるか否か懸念される処です。駐車場に帰る道は、民家の立ち並ぶ舗装道を歩いて行きますと、民家の庭先にミモザが咲いていました。アカシアとも呼ばれる、小型の可憐な花で、小さなポンポンが集まったように咲く姿が可愛らしい花で、3月8日の国際女性デー(ミモザの日)で女性に贈られる、シンボリックな花とされています。
2020.03.02
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津久井湖は相模川を城山ダムで堰き止めた人造湖で、神奈川県民の水源地の一つになっています。湖畔の右側は「花の苑地」、左側は「水の苑地」として散策出来る様に整備され、隣り合う津久井城山は、トレッキング出来る様に「津久井城山公園」として森林浴も容易になる様な木道も整備されて」います。今日の雪は ゆりつもれども 明るくて とほく小鳥の さへつる きこゆ若山貴志子(若山牧水の妻)若山貴志子は歌人で、若山牧水と結婚し,2男2女の母となる。牧水は生来の酒好きが祟ったのか42才で夭折するも、牧水の死後「創作」をついで主宰、1968年8月1に80才で逝去となりましたが、よく城山湖を訪れた経緯もあって歌碑が建てられた様です。
2020.02.26
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横浜のダイアモンドプリンセス号では、感染者が増え続けて、もはや人質と化した乗客を留め置いて、ウィルスが死滅する迄、船内の様子を見ると言うのが妥当な対策では無くなって来ている様に思われます。武漢の医療崩壊を目にして、自分が感染している可能性があったにも関わらず「検査拒否」して帰った帰国避難第1便の2人は、今頃発症していて、病院にも行けずコロナウィルスの感染源になっているかも知れませんし、蔓延していると考えるのが妥当と思われます。感染は症状の無い潜伏者からの接触感染だけでなく、飛沫感染からエアゾル感染と拡大していますので、アルコール消毒や手洗い厳守も欠かせない様子、此処2週間~1ヶ月程度は人混みを避けることが推奨されそうです。其処で、昨日は閑散としている尾根緑道を散策することにしました。未だ散策するには気温が低いのか、ウォーキング、ジョギング、サイクリングする人達も疎らで少なく、マスクする人も殆どいませんでした。南多摩都市霊園から1.5㎞程を往復して来ましたので、約5000歩の散策でした。休憩場所には、紅梅・白梅が複数あるのですが、尾根道で寒風吹きすさぶのか、蕾状態の木が殆どでした!
2020.02.12
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昨日は、寒さが緩む唯一の日と言うことで、義長兄の墓参りをすることにしました。町田から国道16号線、国道246号線を経て、県道467号線(通常 藤沢街道)を通って行きますが、どれも混雑するルートですので、距離は遠くないのですが、結局2時間を要しました。此処には、夭折した息子を見舞う義母を連れて行ったこともあり、義姉が少し歩ける時は車椅子を車に乗せて家内と私、義姉と姪と4人で墓参りしたものですが、家内が亡くなり、義姉が歩けなくなってからは、代理人として墓参りする様になりました。墓所へは、何時も砂利道を通って行くのですが、ピンク色のコンクリート舗装になっていました。舗装工事は、つい最近らしく、注意看板が多数設置されていましたが、墓参りに支障は無い様でした。供花を立て、線香を焚いて、墓前に手を合わせて、私の昼食を供えました。フランスパンのバゲットにウィンナーソーセージ、プロセスチーズを入れたサンドウィッチです。それに、バナナと珈琲で、暫し墓前でピクニックと洒落込みました。近頃の雨不足で、植栽されているイヌツゲの勢いが無くなっていましたので、水を掛けておきましたが、勢いを取り戻すか否かは、今後の雨水に期待するしか無さそうでした!
2020.02.09
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今朝は0℃、昼間の最高気温も5℃程で、今冬一番の寒さとされています。昨日は春を思わせる暖かい日で、山道の凍結も懸念せずに、冨士霊園まで行けると思い圏央道から東名高速を使うことにしました。東名高速では、秦野中井ICから松田ICでの坂道から、眺望出来る富士山は霊峰に相応しく素晴らしく、右に矢倉岳、左に金時山が見えて、家内と登りましたし、その後独りで供養登山もしたものだと思い起こしてしまいました。昨日は冨士霊園は休園日、何時もは供花もお線香も霊園内の売店で購入するのですが、お線香は自宅から持参、供花は道の駅「ふじおやま」で調達することにしました。近頃はコロナウィルスが流行っていますので、休園日で訪問客が少なくて、感染の懸念をすることも無かろうと思ったことも訪問の一因でした。国道246号線から、霊園へのアクセス道路から観る富士山、何時も観ても素晴らしいがあります。畑や屋敷林越しの富士山は、優しい姿をしてくれます。墓所入口の坂道越しにも富士山が姿を見せてくれます。法面を利用した墓所ですので全容は見えないのですが、富士山が好きだった家内には良き永久の休眠所だと、納得しています。
2020.02.06
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昨日は、三鷹市下連雀にある介護施設に入居している、中学時代の同級女生徒と会食するべく、お昼頃集合と言う約束でした。途中の道路混雑が無かったので、午前11時に着いてしまい、周りを散策してみることにしました。目立つのは、黒い鉄棒を編み上げたフェンスに囲まれた学園キャンパス、そのフェンスに沿って歩いて正面ゲートに到着、門衛から「今日は散策OK」と言われましたので、キャンパス内に入ってみました。オフィスビルが立ち並んでいる様で、学生が憩える緑の木陰も見られず、機能優先のキャンパスの様でした!2016年に開設した井の頭キャンパスでは、保健学部、総合政策学部、外国語学部のほか、保健学研究科、国際協力研究科の大学院研究科の授業を行っています。500人の学生達が勉学に勤しむ様ですが、未だ3~4年しか経過していないキャンパスで、学園内の施設整備はその途上にあることで、仕方が無いのかも知れません。
2020.01.31
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今朝は雨、気温も低く冷雨ですが、乾燥する関東では慈雨とも思えます。しかし、寒中にも拘らず、雪が降らないのは、やはり地球温暖化が進行している現象なのでしょうか?一昨日は快晴、春を探して、町田市の奈良ばい谷戸を、小野路城址までの登り道を散歩することにしました。冬枯れで、菜の花も咲いていませんが、途中の炭焼き小屋では、竹炭を作る準備をしている一団が活動していました。振り返ると、丹沢山塊の上に富士山の高嶺が見えます。先日の津久井城山では、丹沢が近くて富士は隠れていましたが、此処では冬枯れの裸木越に見えて嬉しいものです。頂上の小野路城址では、幼稚園生の一団が歓声を上げて、思い思いに草叢を走り回っていましたが、この時期、マムシ等の毒蛇もいなくて、先生達も心配なく遊ばせている様でした。若い世代の歓声は生活の楽しさを感じさせてくれます。
2020.01.23
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昨日は大寒、朝は快晴での放射冷却で、零℃まで下がりましたが、どんどんと気温が上がりました。冬至から1ヶ月経ちますと、大分陽光が強くなり、日が長くなって来ましたので、午前10時頃から、日向を求めて出掛けることにしました。津久井湖の城山ダムを通り、津久井城山の裾野を廻って、峠を抜けますと、津久井城山の南麓に到着、津久井湖城山公園のパークセンターになります。陽当たりが良く暖かいので、石垣の上に植栽されているパンジーも満開、春の雰囲気です。坂道を迂回しながら登って行きますが、樹林帯では木道が整備されていて、樹間高く森林浴をしている気分になります。15分も登って行きますと、展望広場に着き、南麓全体が展望出来ますし、その奥に丹沢山塊を観ることが出来ました。到着が午前11時を過ぎていました所為か、太陽が南に高くなって、冠雪している最高峰の蛭ヶ岳が少し霞んでいるのは残念でした。少し早く行けば、冠雪が朝日に照らされて、輝いていた筈です!
2020.01.21
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昨日は、寒さも和らぎ天気も良かったので、多摩川沿いにある「府中郷土の森博物館」に行ってみました。「梅祭り」を11日後に控え、早咲きの梅も昨日の雪で開花が進んでいませんでしたが、混雑が無いので、この時期を訪れるのが我が家の習慣でした。梅林外れの何の変哲も無い場所ですが、15年以上前から定点撮影の様にしている処があります。梅林からの坂道で、右に八重寒紅、左に鹿児島紅と言う紅梅が見える処です。上が2005年1月、下が2020年1月、亡くなった家内を偲ぶ場所の一つとなりました。今年は梅の開花が少し遅れている様子、15年前は、家内も美容院で白髪染めをしていて、若さを失わない努力をしていたことが分かります。よく二人で食べた「ハケ上団子」を頬張り、暖かい珈琲を飲んで一休みとしました。
2020.01.20
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先の15日、小田急デパート13階の和食レストランで、95才の元上司を主賓とした貨車OBの新年会が行われました。元上司は昨年2月に、90才の奥様を亡くされて、そのショックからか認知症を発症、2階に同居する息子さん家族も心配していましたので、自宅までの迎えに行き、帰りも送り届けることにしました。何とか和食レストランに到着、設計部OB10人に依る新年会が始まりましたが、談話を主導していた姿は無くなって、静かに皆の話に耳を傾けるだけとなり、寂しい限りでした。レストラン窓の外は、屋上庭園となっていて、散策も出来る様ですが、生憎の雨で酔狂な人は殆ど見えませんが、庭園越しに西口に立ち並ぶビル街が良く見えます。一番目に留まるのは、デザイン研究所の繭型にビルで、文字通りコクーン(繭)タワーと呼ばれていて、ビル街を象徴する建物となりました。その奥には、淀橋浄水場を撤去して都市開発が進められた都庁ビルを含む新宿高層ビル街があるのですが、もう開発の余地は無くなりました。西口では、従来繁盛していた低層商店街を撤去しての高層ビルに依る再開発が行われつつある様でした!
2020.01.17
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昨日は快晴、朝から溜まった汚れ物の洗濯をしましたが、冬の日差しは弱いもので、乾くか否か甚だ疑問と思えました。快晴ですので、富士山が良く見えるのですが、自宅近くの公園からは、丹沢山塊の上から山頂付近しか望めません。丹沢を避けるには、北に向かい聖蹟桜ヶ丘に行けば良いのですが、ビルが林立していますので、甚だ不満に思えましたので、久しぶりに多摩川支流の浅川まで行けば、全容が拝める筈と行ってみることにしました。高幡不動を通って、高幡橋を渡って、北側の河岸道路を行きますと、ドッグラン広場があり、其処の駐車場に停めて、土手の散歩道から河川敷に下りました。台風19号での奥多摩湖緊急放水に依る洪水被害は支流の浅川にも及んだ様で、河川敷には泥が溜まったままで、河川敷の自然な姿はありません。それでも、うっすらと雪化粧した丹沢山塊が半分程左に隠れてくれていて、富士山の裾野が望めました。朝10時でしたので、すっかり雪綿帽子を被った富士山は冬の朝日に照らされていて、見応えがありました。
2019.12.25
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今年最後の墓参りをしようと、冨士霊園にいくことにしました。昨日は、日の光を拝めない本格的な曇天と言うより、暗いドン曇りの日で、途中に見える矢倉岳や金時山も暗く霞んでいました。況して富士山は雲の中で、形すら認識出来ない情けない天候でした。冨士霊園入口も芝生が枯れていて、冬の装いとなっていました。慰霊所のある頂上付近から桜並木を観てみますと、裸木で寂しい限りです。箱根連山も薄く、霞んでよく見えません。墓所も暗く、周囲の雑木林も全て落葉していて、墓所も冷えついていました。この暗い景色の中ですと、亡くなった家内も冷え切ってしまっている様でした。冨士霊園は高原にありますので、お昼でも気温が5℃にしかなりませんで、私には今冬初めて経験する寒さとなりました。
2019.12.20
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昨日はお昼の会食をしようとのお誘いがありましたので、小田急線からJR南武線に乗り換えて、平間駅でピックアップして頂き、対岸の大田区下丸子のお宅にお邪魔して、四方山話にも花も咲き、美味しいランチをご馳走になりました。お暇しましたのは、午後2時半、ガス橋を渡って散策して平間駅に向かう予定でした。ガス橋中央から、川崎市中心街を望んだ画像です。冬の日は短く、午後3時前ですのに、早や夕暮れの気配です。橋を渡って、平間駅の直前に広い通りに出ましたら、小杉まで2㎞との道路表示がありましたので、晴れて気持ちの良い午後でもありますし、徒歩で武蔵小杉を目指しました。この画像は昨日のものでなく、今年5月にお邪魔した時の画像です。武蔵小杉は川崎市のほぼ中央に位置し、超高層住宅の集積度は全国有数で、人気の住宅地となっている。人気の主な要因としては鉄道の利便性の高さにある。横須賀線、湘南新宿ライン、相鉄・JR直通線、東横線、目黒線と東京都心に向かう路線が5系統あり、いずれも優等列車停車駅となっている。商業施設も充実しており中原区外からも買い物客を集めている。多摩川、等々力緑地、二ヶ領用水、中原平和公園、などの緑地にも恵まれており、生活環境は良好である。このため人口が急増しており、朝のラッシュ時間帯にダイヤ乱れ等が発生すると、武蔵小杉駅改札に入場待ち列が見られることもあり、各種メディアに報じられた。なお、現在は改札機増設による改善が図られ、さらに、横須賀線ホーム新設など混雑への対応がJR東日本と川崎市により進められている。新宿や丸の内等のオフィス街は、住居地区から1時間半~2時間の通勤時間が必要で、時間ロスが多いのですが、武蔵小杉は活気に満ち溢れていますし、職住接近の新しい街が造成されているのを目の当たりにしますと、既存の街からの脱却成功例なのかも知れません。
2019.12.19
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12月も中旬だと言いますのに、極寒の日は少なく、小春日和の日が多くなっていて、地球温暖化は確実に進んでいることが、実感出来ます。それでも、小春日和に誘われて、小山田緑地に行ってみますと、モミジは少なく、赤く美しい紅葉は観賞出来ませんが、クヌギ林は落葉して、青空が見えて散歩道は明るくなりました。西方に尾根緑道が見え、遠くに丹沢山塊や富士山の山頂が望める展望広場に行ってみますと、桜木もすっかり裸木となっていましたが、コナラの葉が茶色となり、太陽に照らされて紅葉していると言い程に、美しく見えました。北側の散歩道を通って、隣の丘陵を観てみますと、茶色と緑のグラデーションが見事に晩秋の景色を醸し出していました。普段は気にもしませんが、コナラの雑木林がこれ程多いとは思いませんでした。多摩丘陵の雑木林には、コナラの木が勢いよく群生していると改めて認識することになりました。
2019.12.15
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北海道や東北では、強い低気圧の影響で猛烈な吹雪となっていますが、関東平野は周囲の山々に防護されて小春日和になっています。しかし、週末には関東地方にも降雪予報が出ていますので、この快晴を逃すまいと野津田公園に、弁当とお茶を持って、散策することにしました。野津田公園東口付近には、「ススキの丘」と呼ばれる散策路があって、時には子供達の歓声が響き渡る場所となります。快晴の青空に、枯れススキが映えていて、晩秋の景色となりました。登り切ってみますと、身の丈程のススキが生え揃ったススキ原となっています。此処は、春にはフデリンドウが群生しますので、毎年観賞に来る処でもあります。北側を望みますと、隣の丘の秋景色が迎えて呉れます。しかし、赤く紅葉するモミジ類は無いので、段々と茶色に変色するだけなのは、少し残念です。
2019.12.04
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今年2月末の少し暖かい日に、股下の筋痛が少し治ったと思い、周回コース踏破にチャレンジしましたが、痛みが酷くなって途中1㎞程でギブアップとなりました。今回は、膝痛も股下痛も殆ど治りましたので、再チャレンジすることにしました。痛みを緩和するべく、ストックを利用して、坂道や階段では、足に負担が掛らない様に注意してのトレッキングとなりました。揚水発電所の構内を右下に津久井湖を眺めて、その途中坂道から周回コースに入ります。この-コースには4ヶ所の休憩所が設置されていて、お茶したり、御飯したり、四阿にベンチのある場所になっています。先ずは、野鳥観測所、津久井湖から揚水する塔が見えています。暫く坂道を行き、尾根道まで登りますと、三沢峠や峰の薬師への別れ道となり、周回コースを辿って行きますと、「ふれあい休憩所」となります。此処がコースの最高点で標高は400m程度となっていて、城山湖が一望出来ます。急なコース階段を上り下りして、中間点の「松見休憩所」となります。展望台を設置されていますが、木々が成長して眺望もなくなって、何も見えません。此処は相模原市と町田市の境界にもなっていて、町田市最高峰「草戸山364m」の表示も設置されています。此処から、林間コースで下り階段が続き、漸く「はなさき休憩所」となります。木漏れ日の草むらに、名残のリンドウが咲いていました。ロックフィルダム本沢ダムの提頂に下りて、対岸を眺めますと、最高点だった「ふれあい休憩所」はあの辺りだったかと、望むことが出来ました。此処でコースの4/5は踏破、後は舗装道路を歩いて駐車場に戻るだけとなります。
2019.11.24
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台風19号での奥多摩湖緊急放水で、下流域の川崎で浸水被害がありましたが、多摩川中流域も上流からの土砂が溜まってしまい流れが変わってしまっています。府中側には、流れを緩やかにする突起状のコンクリートブロックが設置され、緩やかな流れの支流が出来ていて、アオサギ等が小魚を捕る姿がありました。しかし、その支流は土砂で埋められて、無くなってしまいました。濁流となった水流の力は、やはり恐ろしいものがありました。魚道付近から、支流が消えて、流れは湾曲する流れとなりました。湾曲する流れで浸食されて、何時か又支流が復活するのかも知れません。散歩道に戻って来ますと、鷹匠の方に出会いました。オオタカなのでそうですが、名前とは違って、中型と言うか小ぶりの鷹ですが、武士の殿様方が鷹狩をするのには、このオオタカだったのだそうです!
2019.11.22
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先週末は快晴で、外出する人達が多く、東名高速道路は渋滞が発生していました。何時もは、大井松田ICで下りて国道246号線を行き、小山町に入ってからは山道を行くのですが、東名が混雑する時には246号線はそれ以上に渋滞しますので、御殿場IC迄東名を使い、其処から北上して246号線を逆方向に戻って来るのですが、246号線を通り過ぎて見知らぬ山道に迷い混んでしまい、往生しました。何とか冨士霊園に到着、墓所に行きますと、やはり標高600mの高原ですから、秋の気配が濃厚でした。冨士霊園は、桜の季節と紅葉の季節は、花見と紅葉狩りの名所となりますが、墓所から折角の富士山を隠してしまうモミジも見事に紅葉していました。小山町も台風19号で、浸水被害が出た様ですが、墓園は被害を免れた様でした!
2019.11.19
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昨日は、小春日和の快晴で、野外で散策したり、遊んだりするのに最適な天候でした。都立の小山田緑地を散策しようと、出掛けることにしました。落ち葉が積もる、クヌギ林の散策路にも、子供達が歓声を上げて、何か楽しんでいました。此処は家内の最後の散策地、10年前の9月中旬に、酸素ボンベを取り付けた車椅子を押して、秋の気配を楽しんだ場所でもあり、感慨深い散策路でもあります。運動広場の一角に設置されているアスレチック広場には、子供達がリュックを置いて、遊び回っています。昆虫を追いかけ回している子供達に話しかけてみますと、屈託なく捕まえた虫たちを見せながら、何の警戒心もなく話をしてくれるのです。やはり、問題が起こらない様に、庇護しなければならない年齢層なのだと思われました。坂を上って、展望台広場から、西方の丹沢山塊を望みます。少し、天気が下り坂であるのか、霞んでよく見えません。夕方から冷気が南下して、寒くなるとの天気予報通りの前兆なのかも知れません。
2019.11.15
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神代植物公園の駐車場には、複数台のバスやマイクロバスが停まっていました。秋晴れの快晴、暖かい気温に誘われて、幼稚園がピクニックしてお昼を食べようと、企画した様なのです。幼稚園達が、先生達に引率されて、楽しそうに歓声をあげています。近頃、幼稚園は3年保育となっていますので、未だほんの幼児とも思われる者達も交じって、仲良く遊んでいる様子は微笑ましいものがあり、やはり次世代を担う社会の活力とも見えます。此処は、私と家内が、それぞれ一人ずつ、自転車に乗せて遊びに来た場所、芝生の中のパンパスが随分大きくなりましたが、それ以外は45年前とそれ程変わっておらず、公園側の管理がしっかりと保たれている様子です。10月にバラフェスタとして行われていた、バラ園に行ってみました。未だ沢山咲いていましたが、花の盛りは過ぎている様で、訪問客はめっきりと減っていましたし、子供達が屯していないのは寂しいものでした。足を延ばして、モミジ・楓に行ってみましたが、都内は暖かく、残念ながら紅葉は始まってはいませんでした。それでも、公園内の散策は、いろんな変化があって楽しいものです!
2019.11.11
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先日、喪中はがきを頂戴、「かねて、病気療養中の処、8月に82才にて永眠致しました」と書かれていました。米国駐在中にお世話になった先輩で、原動機輸出部門にいた課長さんで、磊落ながらも思いやりのある人でした。世界の冠たるエンジニアリング会社Bechtelが、石油メジャーであるMobilがYanpet LNG Projectを管轄していましたので、ボイルオフガス圧縮機2台を応札、その担当課長だったのです。Bechtel Petroleumが所在するヒューストンに来て貰い、第1回折衝に出席して貰ったのですが、その後の細かい技術折衝は任せると言い、帰国されました。運良く、受注にこぎ着けましたら、「ご苦労様!」と通常のCommissionの倍の口銭を計上してくれたのです。駐在員は本社からのCommissionで、運営されていますので、その思いやりに感謝するばかりでした。私も、会社を辞めて19年経ちましたし、その先輩も二宮町でスポーツに勤しんでいるとのことで、遠方でもあり、賀状の交換だけの間柄となっていました。「後悔先に立たず」と思いつつ、遺族宅に電話してみますと、「血液がんで闘病9ヶ月、改善の様子が見られない悲しい状況でした」とのことでした。昨日は、秋晴れの快晴、ドライブを兼ねて、小田原厚木道路を利用して、二宮町富士見ヶ丘に行ってみました。地名の通り、美しい姿の富士山が玄関先から見えました。永年の主人公を無くした、2階建ての住宅は寂しそうに見えました。
2019.11.08
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昨日は快晴で、気温も程々で散策日和でしたので、神代植物公園に行ってみましたが、振替休日後の火曜日は休園と言うことで、三鷹台団地に行き、スーパーの駐車場に車を停めて、昔懐かしい玉川上水緑道を井の頭自然公園まで散策することにしました。行きは北側の緑道を散策、子供達の通った明星台幼稚園も45年前の姿がそのまま残っている感じでした。体力が衰えているので、結構な距離だと思いつつ、漸く井の頭公園の西園陸上競技場に着きました。此処では、子供達と紙飛行機や凧揚げに興じた場所でもありました。その隣にはジブリ美術館が設営されていましたが、昨日はやはり休館だった様で、訪問客はありません。屋根は、「天空の城ラピュタ」でのロボットが、見下ろしていました。帰りは、南側の緑道を散策して見ました。45年前は陽当たりの良い道でしたが、今では木々が成長して木漏れ日のある散策路に変貌していました。東京女子大短期部の入り口では、桜並木でお花見をしたものですが、短期大学の需要が無くなったのか、今では法政大学の中学校、高校キャンパスに変貌していました。やはり、住環境の良い処で子育て時代を過ごせたと改めて実感することになりました。
2019.11.06
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岩波文庫を購入して、中島敦について書き込みをしたのは、昨年8月のことでした。中島敦の名人伝を楽しむ神奈川近代文学館で、9月末から11月末まで、3ヶ月間「中島敦展」が開催されているので、行ってみることにしました。小田急、南武線、東横線と乗り継いで1時間強で最寄り駅の「元町・中華街」駅に着きましたが、近頃は乗り入れがあって便利となりました。其処から急坂を登って、港の見える丘公園に着き、展望台から港を見下ろしますと、ベイブリッジが正面に見え、素晴らしい眺望でした。公園内の舗装道路を経て、公園の端と言うか隅にある神奈川近代文学館が見えました。シニア料金の350円を支払い、企画展場に入ります。幼年時代から、逝去される33才に至るまで、沢山の資料や写真等、が時系列的に展示されています。親戚を含めて漢学者に囲まれての家庭環境で、学校の成績は抜群でしたが、病弱で成績表のコメントでは、「勉強はほどほどに、健康留意せよ!」との教師の書き込みもありました。33才での夭折ですので、著作数は多くないのですが、芥川龍之介に匹敵する短編の旗手と評され、当時流行した欧米文脈に対抗して、旧来たる東洋スタイルを保持した表現を駆使することで、独自の世界を展開させた魅力を発揮させた様です。幼児からの喘息が悪化し、心臓が衰弱して、短い生涯となったのは、日本文学文化での大きな損失だった様です。
2019.11.03
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家内が亡くなって10年となりましたので、冨士霊園に墓参りすることになりました。折角ですから、何時もより少し早く午前9時に出て、東名を使って御殿場ICを経て、午前10時半頃に着き、ゆっくりと時間を過ごす予定でしたが、東名高速は大渋滞となっていました。久しぶりの週末の晴れですので、家族連れがどっと郊外に大挙して出掛けることになった様でした。秦野・中井ICから御殿場IC迄90分との表示が見え、通常の倍以上掛ると言うことですので、大井松田ICで下りて国道246号線に乗り換えましたが、高速よりも混雑して加えて信号待ちもありますので、正午になっても冨士霊園のずっと手前でした。漸く、小山町の山道に入り、小山ハイテクパーク造成地を通り、ふと見上げますと、富士山に雲が掛って来ました。朝方は雲も少なく、数日前に初冠雪した富士山全容が良く見えていたのですが・・秋の空は長続きしないのが、昔からの定説ですが・・冨士霊園に到着しましたのは、何と12時40分、予定よりも2時間遅れとなりました。供花を立て、お線香を焚いて、好きだった珈琲と柿を供えて、漸く墓参りとなりました。此処は玄武岩の砂利を敷き詰めてありますので、殆ど雑草は増えませんが、苔が生えてきますので、箒と塵取りを持参したのですが、無用の様でした。30分程墓の前で、珈琲とクロアッサンでぶらぶらと時間を過ごし、名残惜しく帰宅することとなりました。
2019.10.27
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都立小山田緑地の駐車場に車を停め、ならばい谷戸から小野路城址まで散策しつつ、登って行くことにしました。ならばい谷戸には、NPO団体が活動していて、稲田、野菜畑、栗林、炭焼き小屋、等が散在しています。谷戸入口付近では、もう稲刈りが終わっていました。少し、登って行きますと緑一色の深山の気配になります。西方遠くの丹沢山塊の上には雲が多くあり、晴れがそれ程続かないことを示しています。だらだらと50~100mの高さを登り切りますと、小野路城址に着きます。小山田城の出城だったのですが、小さな祠が祀られているだけなのです。下りは、尾根道を下ることにしましたが、このルートには春に咲く貴重な花、春蘭、エビネラン、キンラン・ギンランがあるのですが、殆ど盗掘されてしまったのは残念な限りです。途中の林中にあったベンチで、おにぎりとペットボトルお茶で昼食となりました。片方のベンチは、壊れたままで修理されることもなく、放置されていました。東京都が管理を町田市に依頼している風致地区ですが、両者の意思疎通が悪く、放置されている状態が続いています。
2019.10.24
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雨が上がって、少し薄日も見えましたので、多摩丘陵を下りて、多摩川関戸橋付近に行ってみました。下流の川崎市や東京都大田区では、堤防決壊は無かったものの、堤防を越える洪水被害が、中流域ではどうだったのかと心配したのです。関戸橋から大丸堰までは、河川敷が広く、其処に広い遊技場や散歩道が整備されて、家族の憩いの場となっていたのですから・・草地の多かった河川敷は、濁流の砂・泥で茶色に変色していて驚きました。中流域とは言え、水源地奥多摩湖の小河内ダムの緊急放水の所為で、水位が上がって関戸橋でも、橋桁ぎりぎり迄濁流が暴れていたらしいのです。其処から少し下流の大丸堰は、草地でピクニックをして、水遊びする家族連れが多くテントを張って楽しんでいる場所でしたが、茶色に変色していました。流木やごみも、クルミ林の根元に高く堆積していて、家族連れも見えませんでした。それでも、79名の死者を出し、河川決壊で多くの被害を出した被災地に比べれば、被害程度は軽微なものだと思われました。
2019.10.20
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昨日は、朝方結構な雨が降りましたが、天気が回復して快晴となり、空気が綺麗で気持ちが良いので、野津田公園にあるバラ園を覗いて観ることにしました。野津田陸上競技場は「町田ゼルビア」と言うJ2サッカーチームのホームグラウンドとなりましたので、券売所やアクセス案内設備や無賃観客を減ずる周囲覆い等が整備され、本来の自然が壊されているのは残念なことです。工事覆いの側沿いに歩いて登り、バラ園に到着しましたが、朝方の雨で少し泥濘があるのを嫌がったのか、訪問客は皆無でした。コンビニで買って来た、おにぎりとお茶、お饅頭でゆっくりと昼食となりました。朝方の雨で、花弁が落ちてしまったバラも散見されました。それでも未だ開花していないバラも多く、見頃の季節では無い様でした。バラ園の一角に、バラ園整備のボランティア募集の案内板が設置されていました。此処のバラ園は、有料の都立神代植物公園とは違って、無料の町田市立バラ園で、市職員が整備をしているのですが、やはり人数が足りないのでしょう!此処のバラ園は、15~17年程前に、民間の養鶏場横の空き地に設けられたので、当初は鶏糞の匂いがきつい場所でしたが、鳥インフルエンザの影響もあり、近接する鶏舎が閉鎖となって、その匂いも消えて爽快な場所となったのです。ボランティア募集ではなく、一層のこと有料にして、バラ園整備員を雇う方が良いのかも知れません!
2019.10.05
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昨日は散歩をしようと、一本杉公園駐車場に車を停めて、道すがら小野路まで下りて行くことにしました。すると、全閉式テントを設営して、シイタケを栽培して、即売会をしていました。昨年もありましたので、シイタケ栽培には最適の季節なのかも知れません。一番大振りなシイタケが一袋400円で売られていましたので、夕食には焼き椎茸のおかずにしようと購入して、丘を下って行きます。梅林は伐採されて更地になり、野菜畑は耕作放棄地となって荒れています。付近の農家では後継者もなく、主が働けなくなりますと、世話をする人も無いので、農地から宅地変換とすると言うのは、仕方が無いのでしょうか?小野路まで下りてバス通りを歩き、一本杉公園への登り口まで来ました。此処は小野路バス通りで最狭部、宅地が邪魔して、車の交差が出来ずに片側通行の為、通行待ちする場所でしたが、宅地との折衝が上手く行ったのか、車の交差が出来る様に広げられていました。夕食は、焼き椎茸を作り、昆布出汁の醤油を垂らし、ローストビーフ、漬物と味噌汁で食することにしました。焼き椎茸は、学生時代にお世話になった西伊豆の寺の和尚に造って貰ったのが印象的に記憶されていますが、その時の簡単なレシピが今でも一番の美味しさと思っています。
2019.09.29
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昨日は、3ヶ月ぶりで、立川に住んでおられる先輩宅を訪問することにしました。「下肢静脈瘤で療養中なので、涼しくなったらお出でください」とのことでしたが、メキシコ事務所長だった方の「ヒマラヤ登攀紀」を3ヶ月借りたままですし、五島うどんを届ける用事もあったのです。何時もは、玄関横に駐車してあった車がありません。「80才代後半にもなるので、子供・孫の薦めもあって車運転を止めました」とのことで、齢を取ると言うことの必然なのかも知れません。小生は70才代後半、未だ運転しますので、「何処かにお連れします」と言いますと、「美味しい信州蕎麦を食べて、メダカを買いに行きたい」と言うのです。南武線矢川駅から数分のエリアにある「志奈乃」、人気店の様で駐車場が4台分ありました。「此処は急ぐ方には推奨しません、注文してから蕎麦を石臼で挽いて、伸ばして切り揃えて茹でるので、時間が掛ります・・」と言うことで、30分待たされることになりました。【新そば情報】9月中旬〜10月中旬・・・北海道=沼田・滝川・北空知 産(この時期だけ『長野』より早い『北海道』産をお出ししています。)10月中旬以降は 長野県諏訪市の八ヶ岳山麓・葛窪/小六/原村/中新田/穴山で栽培された『長野』産になります。供されましたお蕎麦は更科風の真白な蕎麦切り、殻を取り除き芯のみを使った高級品で、付け合わせの野菜と海老の天婦羅でしたので、久しぶりに美味しい蕎麦を堪能出来ました。それから、立川通りに入って、金魚屋に向かったのですが、昼時で物凄い混雑となり、立川南通りだったでしょうか、「遠くないから歩いて行きます!」とのことで、約束と違い残念でしたが、お蕎麦ご馳走をお礼を言い、先輩ご夫妻を下して帰途に着くことになりました。
2019.09.14
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茅ケ崎の親戚に、頼まれて買って来た焼きあごを届け、序でしたので、藤沢市にある墓園に墓参りすることにしました。焼きあごは、親戚の好きな飛び魚を焼いて、煮干しみたいな出汁の元、上品な出汁が出来るのです。本当は塩あごと言って、飛び魚を干物にしたものを、焼いてハンマーで叩いて解して食べるのが欲しかったのですが、見つからず、止む無く「焼きあご」となったのです。焼きあごで出汁を取った後、十分に乾燥させて、粉砕ミルで砕いてふりかけにしてみるとのことでした。親戚は、永らくリュウマチを患い、歩くことも出来なくなり、外出には車いすとそれを乗せられる介護車が必要なのです。秋の彼岸には、ケアマネに依る介護車に乗せられて、出掛けることになるのでしょうが、20日経つと彼岸ですので、事前に私が墓掃除をしておくことにしました。ドラグ店で仏花を買い、新湘南バイパスを使って、墓園に向かい、およそ15~20分程で墓所に着きました。春の彼岸でも、墓掃除をした筈ですが、砂利の間からは雑草が蔓延っていたので、花を供え、香を焚いて合掌させて頂きました。何時もはイヌツゲが勢いよく繁茂して、丸く刈り込むのが大変なのですが、何とも勢いがありません。今夏の酷暑と水不足で枯れる寸前の様子でしたので、水をたっぷりと掛けて何とか生き続けてくれる様に処置したつもりですが、これからの秋雨に期待するしかありません。
2019.09.04
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昨日は、横浜市の寺家村で3ヶ月ぶりに、会食をすることにしました。田植えから3ヶ月も経ちますと、稲が稔り、稲穂が垂れて、収穫の時期到来を思わせて呉れますが、害虫と思われるイナゴもいなければ、トンボも飛んでいないのです。3ヶ月前も、田植えは田植え機に依る機械植えで、学習田も多いのに人手が不要なのです。労力軽減の為の措置ですから、それはそれで良いのでしょうが、子供達には昔ながらの田植えをさせても良いのではとも思われました。田植え時期には、田の中に小魚やタニシがいて、稲刈りの時期には、イナゴも群れて、赤とんぼが飛び交って欲しいと思うのですが、今は敵わぬ夢なのでしょうか?横浜市の休暇村であり、子供達の学習田も多いのに、稲のみを大事にすべく、農薬を使って効率よく、稲を育て収穫させようとしているのかも知れませんが、もっと昔の里山で先人が苦労して行って来た田植え、草取り、イナゴを払いながらの効率悪い稲刈り、等を体験させるのが良かろうと思うのは老人の愚痴なのでしょう!
2019.08.30
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暑さも少し治まりましたので、冨士霊園に行ってみることにしました。月遅れのお盆を過ぎていましたので、東名は空いていて、100㎞/hの速さで運転を出来るのは快適、何時もは大井松田ICで下りて246号線に乗り換えるのですが、御殿場ICまで空いた高速道路を満喫することに致しましたので、何時もより少し早く冨士霊園に着いた気がしました。冨士霊園の墓には、玄武岩の砂利が敷き詰めてありますので、雑草は殆ど生えて来ませんので、掃除は非常に楽なのです。しかし、雑草植物類の生命力は旺盛で、砂利の表面には苔がびっしりと生え広がりますので、あまり見てくれが良くありません。其処で、箒と塵取りを持参して、苔を吐き出してしまおうとおもったのですが、今夏の酷暑で、苔はすっかり退化してしまっていて、綺麗なものでした。序でのことに、白いアクリル絵具と細筆も持っていきました。と言いますのは、墓石に刻んである文字には白ペンキが塗り込めてありますが、それに褐色の黴が蔓延っていますので、綺麗に上塗りの化粧をすることにしたのです。白ペンキに比べて、アクリル絵具は長持ちしないとは思うのですが、当面の外観は綺麗になりました。供花を花立てに入れ、香を焚き、今回の墓参りを終えることにしました。
2019.08.29
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九州方面に向かう航空機は、富士山の少し北側を通過しますので、何時も座席は左窓側(Portside Window)に取ります。今回は、羽田は晴れていましたが、富士山付近では雲が広がっていて、雲を突き抜けて見える富士山を何とか見ることが出来ました。其処を過ぎますと、一面の雲の上を飛ぶことになり、すっかり地上は見えなくなりました。到着した長崎空港は雨で、梅雨入り宣言されましたので、何と僅か一日違いの僥倖を楽しむことが出来たことになります。冬場ですと、関東は快晴が続きますので、富士山から相模湾に浮かぶ江の島、駿河湾と伊豆半島が見える絶景となります。2006年2月、家内の叔父の49日法要に出席する為のことで、それ以降冬場に九州に飛行機を使って出掛けたことはありません!
2019.08.02
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お中元を贈った富士市の知己からお礼の電話がありましたが、元気が無さそうでしたので、顔を見て歓談しようと、朝9時40分に出発、厚木で東名高速に入り、富士ICで下りて現地に着きましたのは丁度正午で、およそ130㎞の走行でした。此処には、栃木県から再疎開して、1948年4月から1950年7月まで、2年余を過ごした場所ですが、小学校低学年では学友も出来ず、知り合いは親戚以外にありませんでした。親戚が吉原本町で薬局を経営していましたので、よくお邪魔したものですが、もう更地になっていました。それどころか、個人商店の多い本町通りも、残念ながらシャッター街となって閑散としています。この先には岳南鉄道の「吉原本町」駅もあったのですが、どうなっていることでしょうか?その近くにあった小学校も移転したのか有りませんし、住んでいた荒田島地区に戻り、よく遊んだ神社に行ってみました。周辺が樹木で囲まれていた、神社も住宅地の中に悄然と残っていて、人影もありません。ふと、富士山を仰ぎますと、曇り空から、家々の上に高く姿を現してくれました。小学校時代、富士山の右山麓には宝永火口を描き、右下には愛鷹山連山を描いていた覚えが蘇って来ました。70年間変わっていないのは、富士の姿だけで、寂しい散策となってしまいました。
2019.06.15
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今日は、梅雨の晴れ間となりましたので、森林浴をしようと、町田市最高峰の草戸山を目指して、町田街道を行き、相原の青少年センター第2駐車場から、尾根伝いに小さなトレッキングをするつもりでしたが、二股交差点で間違えて、城山湖の駐車場に着いてしまいました。草叢には、近頃個体数を減らしている、名残のホタルブクロ、季節の終わりでしょうか、紫色の花が一輪咲いていました。折角ですから、小松城址迄のウォーキングをしてみることにしましたが、森林浴とは言え、暗くなり過ぎたのか、杉やらコナラ等が根こそぎ伐採されていて無残に見えました。小松城址迄は、ひたすら下っておよそ2~2.5㎞の距離だったのでしょうか、小松城址には小さな祠だけが祀られていました。帰りは、途中の評議原で、珈琲とおにぎり・チーズで、ゆっくりと昼食となりました。此処は、秋には紅葉の名所となりますが、今は美しい緑に映えていました。此処は、城山カタクリの里を訪れた後、家内と何度となく散策したルートでもあり、ふと記憶が蘇って、懐かしさを覚えることとなりました。
2019.06.11
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昨日は、会社時代の知人と、横浜の寺家ふるさと村の四季の家で会食でした。四季の家前の田圃では、丁度田植えの作業が行われていました。此処では、NPOが中心となって、体験田や小学生達の学習田が設けられていて、休耕田があまりありません。少し谷戸の奥まで進みますと、田植えを終えた田圃に水が張られていて初夏の景色です。両側の森には、蛍が飛び交うことで知られているので、散歩している人達に聞いてみますと、もう飛び交っているとのことでした。普通、源氏蛍は6月初旬、平家蛍は7月上旬とされているのですが、今年は暑い日が続きましたので、もう源氏蛍の最盛期は過ぎ去ろうとしている様でした。森の中に設営された「ひらさわ」と言うレストランの前にある、畑では美味しそうな枇杷の実が食べ頃を迎えていました。5月末と言うのに暑い日々が続き、今年の夏の暑さが、厳しそうで思い遣られます!
2019.05.31
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町田市立博物館最終展は4月下旬から6月中旬まで開催中、暑いのでクーラーの効いた博物館が良かろうと出掛けました。アクセスは悪く、本町田の雑木林に沿った狭い山道を上り詰めた処にあり、バス便はありませんので、車以外は行きにくいのが難点です。博物館内は飲食禁止ですので、隣の本町田遺跡公園の大きなコナラの木陰で、おにぎりと珈琲、デザートにイチゴ数個での昼食をし、博物館に向かいました。通常は、入館料300円なのですが、最終展とのことで無料、加えてお土産付きです。前回はワッペンと絵葉書を無料配布されました。田河水泡コレクションの安政大地震に際して刊行された風刺版画の様でした。今回も展示中の版画の絵葉書を頂戴となりました。今回も、田河水泡コレクションの人体を集めて顔を描いた版画でした。アクセスの悪かった市立博物館は、6月で閉館となりますが、建物は取り壊されることなく、所蔵品は町田駅近くでアクセスの良い芹が谷公園に移設され、「町田工芸美術館」となって再開されるとのことですが、未だ建設プランも確定しない様で、再開後の開館は5年後の2004年予定になるとのことでした。
2019.05.26
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