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大学の同期生が親切に富士美術館の招待券を郵送してくれましたので、開催初日の今日、早速行ってみることに致しました。台風一過の快晴、南方の空気を引き連れて来ましたので、最高温度は30℃の夏日となりました。ドイツベルリンのエジプト博物館所蔵の名品を、展示室を2室開放しての、展示点でした。典型的なスフィンクス像、女王なのですが、男性の正装とも見分けがつきません。ネフェルチチは美女の誉れ高く、ギリシャ神話でもビーナスとして美女の典型となります。緻密に彫り上げた顔は、将に美女の骨格とはこの様な顔かと眺めつつ、頭部は多分装飾を極めた美髪が乗せられていたのだろうと想像してしまいます。エジプトは4大文明の一つですが、黄河文明と比べても、1000~2000年古く、世界最古の文明であることは確かですし、神話の世界でも自然を崇拝する宗教が流布する、日本人にも近い宗教観でもあった様です。帝国が衰退し、ローマ帝国の属国化すると共に、排他的な荒ぶる絶対神を頂くキリスト教やイスラム教に、席巻されてしまったのは残念な思いがします。
2021.09.19
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昨日の天気予報では、午前中雨とのことでしたが、曇りで時には太陽も顔を出してくれる天候となりましたので、小山内裏公園に行って散策することにしました。漸く秋も進んで、季節を彩るキバナコスモスや曼珠沙華(彼岸花)が咲いていました。お昼時となりましたので、池の畔の階段に腰掛けて、スーパーで購入したマグロの握り3貫、お箸を貰うのを忘れましたので、手で食べることにしました。元来、握り寿司は手で摘まんで食べる筈でしたので、何の違和感もありません。池には、沢山の緋鯉や真鯉が気持ち良さそうに泳ぎ回っていましたが、皆驚く程大きくなっていましたが、柵に凭れ掛かっていますとエサを強請る様に集まって来ます。我が家に帰って庭を覗きますと、金木犀が咲いていました。元来、香りの強烈な花ですが、連日の雨で香りが落とされてしまった様でした。
2021.09.15
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京王デパート聖蹟桜ヶ丘店2階にはリンツチョコレートのアンテナショップがあります。有名な世界的ブランドのお店ですが、割合閑散としていますが、1階の商店街にはベルギーの世界的ブランドGodivaもありますので、負けてしまっているのかも知れません。Lindtチョコレートは1983年秋、米国滞在を終えヨーロッパを家族旅行中に食したチョコレートで、日本製と比べて舌触りのまろやかな食感に驚いたものでした。そんな昔を思い出して、Excellenceを小さく包装したナイトチョコレートを買ってみました。懐かしい気もしましたが、モロゾフ等の日本製も品質が向上していますし、Godivaに加えて、オタンダのDrosteも参戦して来ていますので、それ程拘泥することもありません。19世紀初め、スイスは小さな貧しい国でしたが、1819年以降、スイスチョコレートの品質を象徴し続ける名が現れ始めました。世界初のチョコレート工場を建設し、ミルクチョコレートを発案したフランソワ・ルイ・カイエ。菓子職人で、1826年からチョコレート製造に着手したフィリップ・スシャール。1845年にスイス初のチョコレート工場を建設したルドルフ・シュプリングリー・アマン。1852年にルツェルンに製造工場を開設したアキリーノ・マエストラーニ。ロドルフ・リンツは、1879年に生み出したショコラフォンダンで、その20年後にルドルフ・シュプリングリーと設立したリンツ・シュプリングリーAGの成功の基礎を築きました。スイスチョコレートは今や世界的に有名になりました。これは誰も上回ることができない品質、そしてスイスへの旅行者が増えたおかげです。イギリスやドイツ、ロシア、アメリカなどから大勢の旅行者がスイスに訪れました。突然スイスアルプスや湖、ホスピタリティの人気が急増しました。そしてお土産として選ばれたのは?もちろんショコラフォンダンです!スイスチョコレート、特にリンツのチョコレートは最高品質の証となり、今もなおスイスクオリティを象徴し続けています。
2021.09.14
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昨日は久しぶりの青空、神代植物園に行ってみようかとネット散策しましたら、緊急事態宣言中は、最多2000人の入場者を抑えるべく予約制となっていることが分かりましたので、ネットで、当日予約券を入手、QRコードをスマホで読み込んで、出発です。太陽が出ていますと、未だ彼岸前ですから。気温は上昇30℃を超え夏日となりましたが、一時の酷暑ではなく、快適な暑さだった気がしました。高齢者入場料250円券を購入して入場しますが、園内は閑散としています。来月に予定されているバラフェスタを控えて、未だバラは殆どさいていません。日陰を辿って、最東端の梅広場に行き、新しくなった休憩小屋で、スーパーで入手したお弁当で昼食としました。入口向かって歩く途中に出会った、45年も前から家族連れで遊んだ芝生広場では、パンパスが白い穂を出していました。45年前にはパンパスは1箇所だった気がしますが・・大温室も行くことなく、1時間ほどの散策を満喫、帰宅の途に着きました。
2021.09.11
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昨日は曇天、湿度の高い一日でしたが、不要不急の外出自粛令が出されていましたので、人気のない奈良ばい谷戸を散策することにしました。小山田緑地の駐車場に車を留め、奈良ばい谷戸の尾根道で登って行くことにしましたが、直ぐにへばってしまい、林中に設置してある竹製のベンチで一休みとなりました。谷径とは違って上り下りが激しく、急登坂では休み休みを繰り返さざるを得ませんが、コロナ禍での散策を控えたこともありますが、高齢に依る体力低下が著しかったのです。何とか頂上の小野路城址に着きましたが、汗だくで下着もびっしょり、マスクもびっしょりで不快となり、外してしまいました。近郊にある山栗林では、早くも落果していましたので、採って帰ることにしました。山栗は丹波栗とは違いスーパーに並べられることも無く、世話人はいるのでしょうが、世話が悪く樹木下は雑草原となっていましたので、落ちた栗には直ぐに虫が侵入してしまうので、勿体ないと思ったのです。帰り道は谷径を下って行くことにしましたが、汗をかき過ぎた所為か、体力が続かず、休み休みの散策となりました。下る途中のベンチ休憩所から、西方をみますと曇り空で残念ながら、丹沢山塊を望むことは出来ませんでした。兎に角、久し振りの谷戸路散策で、汗だくの疲労困憊となりました。
2021.08.25
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関東地方は、数日続いた雨が上がって快晴となり、気温も30℃を越えましたので、今日は又エアコンをONとしてしまいました。気持ちが良いので、夕飯の買い物は、ドライブで南大沢まで行き、イトーヨーカ堂とすることにしました。駐車場3階から西方を望みますと、夏が戻ると言うよりは秋の青空が広がっている感じとなりました。其処で、小山内裏公園に行って森林浴をすることにしました。草原も林も大田切池も何と無く、秋の気配を感じられる様でした。
2021.08.19
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JALカレンダー7月の添付画像は大分県臼杵市の磨崖仏、国宝の古園石仏の大日如来です。是非観てみたいものだと、訪問しましたのは2005年3月末のことで、臼杵市郊外の里山の麓にありました。其処をゆっくりと観賞させて頂き、臼杵市の港近くに戻りましたら、野上弥生子文学記念館がありましたので、その近くの喫茶店で偉大な小説家を生んだと思われる雰囲気を楽しませて頂き、文明・文化雰囲気に浸ることが出来ましたのは、懐かしい思い出です。古園石仏大日如来像に代表される国宝臼杵石仏は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたと言われています。誰がどのような目的で造営したのか、はっきりとしたことは分かっておらず、今もなお多くの謎に包まれています。その規模と数量において、また彫刻の質の高さにおいてわが国を代表する石仏群であり、1995年6月15日には磨崖仏としては全国初、59体が国宝に指定されました。石仏群は4群に分かれ、地名によって、ホキ石仏第1群(堂ヶ迫石仏)、ホキ石仏第2群、山王山石仏、古園石仏と名づけられています。それぞれに傑作秀作ぞろいであり、表情豊かな御仏の姿は、みる者の心にやすらぎをあたえてくれます。その後、2007年9月に古園石仏群の入口にある2体の金剛力士立像が国宝に追加指定され、現在は61体すべての磨崖仏が国宝に指定されています。
2021.07.12
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多摩丘陵には万葉時代の防人が西国に派遣される為に通った「よこやまの道」が残る程の辺境な地であった様ですが、源平の世から鎌倉時代に掛けては軍事拠点としても整備されつつあった様で、新田義貞の鎌倉進軍では多摩川に掛る関戸橋付近での大勝利から鎌倉街道を使って多摩丘陵を南下し、遂には北条幕府滅亡に至りました。そして、多摩丘陵の南部には小山田の地名が広く残っているのですが、豪族小山田氏が居を構えて支配した地とされています。小山田城は武蔵七党の小山田氏の居城、平安末期の1171年小山田有重により築城されたのが始まりで、有重は桓武平氏の流れにありました。1333年小山田城は防衛上鎌倉幕府の管理下にありましたが、新田義貞の侍大将である小山田高家は鎌倉に入り北条氏を滅亡に至らしめたとされています。16世紀には小田原北条氏の支配する所となります、1569年武田信玄は武蔵国内に侵入、そのことに危機を感じた北条氏は小山田城、小野路城を改修強化しました、その後の小山田城は如何なる末路を辿ったのかは定かではありませんが1590年の豊臣秀吉による小田原攻めの後に廃城と成ったとされています。小山田城の跡地は無極(1430年寂)が曹洞宗寺院の大泉寺として開山、江戸時代には寺領8石の御朱印状を拝領していたとされています。桜並木の長い参道を進みますと、道路脇に山門が見えて来ますので、其処を抜けますと更に大きな山門が現れます。そのまま進み、階段を登ると本堂が見え、鐘付き堂もある境内に至ります。小山田氏の墓も祀られてはいますが、城址と言う雰囲気は残っていません。
2021.06.29
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アサザ池は都立小山田緑地公園の梅木窪分園の外れにある小さな池で、水蓮の小型種であるアサザが群生する処でして、湧水に巻貝のカワニナも生息しているのか、初夏には源氏蛍が飛び交うのを観察出来る処でもありました。アサザ池には、東京国際カントリークラブが隣接していますので、その芝生への散水の為の井戸給水が過大になった影響なのかは定かではありませんが、昨年からは湧水量が減ってアブラハヤ等の小魚が減り、アサザも見るからに衰退して来ました。今年は、遂に池が雑草の生い茂る草原に変化してしまいました。板敷の手摺の向こうに、アサザ池がある筈なのですが、もう蛍が住める環境では無くなってしまった様です。自然環境は脆弱なものだと、改めて実感することとなりました。
2021.06.28
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6月21日は夏至、緊急事態宣言も解除されましたので、久し振りに東京都から神奈川県の城山湖に行ってみることにしました。町田街道を西に行き、相原交差点で左折して神奈川県に入り、相模原市城山町川尻にある「カタクリの里」を横目に沢道を登り、城山湖発電所内を上がって城山湖畔の駐車場に着きました。津久井湖からの水を夜間電力でポンプアップする揚水塔が眼の前に見えます。湖畔周回散策路の最高点にあるコミュニティー広場には、車止めが設置されていますので、徒歩で登って行きます。其処には枝垂れ桜が植栽されていて、その先には展望台が設置されているのですが、今は訪れる人も皆無の様です。其処からは、岩石を敷き詰めてなだらかに造成されたロックフィルダムの全容を観ることが出来ます。20年前の桜の季節に訪れた時は、防護柵も随分低く設置されていることが分かりますが、安全対策を強化する意図で、乗り越えられない様に高い鉄柵に作り替えられた様です。
2021.06.23
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コロナ禍で1年半の間、閉園していた神代植物公園でしたが、6月4日から予約制で開園となりました。ネットの当日券のQRコードを読み取って予約し、早速行ってみることにしました。暖かい珈琲をステンレスボトルに入れ、スーパーで昼食弁当とアメリカンチェリーを買って、行く途中車での外気温が33℃迄上昇していて、暑い夏日となっていました。所定の駐車場に車を留めて、高齢割引の入園料250円を払って入りますと、予約制の為か閑散としていました。それでも、日差しが熱いので、バラ園横の藤棚は日陰が出来ますので、ベンチには多くの人達が座っていましたが、何とか空席を見つけて昼食としますが、暖かい珈琲が何とも場違いの感じでした。バラ園のバラフェスタは5月、6月ではほぼ終わっていましたが・・大広場には、通常沢山の人達がいるのですが、暑い日差しもあってか、殆ど無人です。木陰を伝って、何とか梅林に到着、おびただしい梅の実が完熟していて、地上に沢山落ちていました。梅の実を拾って、袋詰めしている女性がおりましたので、聞いてみますと完熟した梅の実で梅酒を作るのだそうで、青梅と比べて梅酒が出来た後、梅の実を美味しく食べられるのだとのことでした。昨日は最高気温が33℃と夏日で、神代植物公園は大きな公園なので、散策していましたら体力が続かず、日陰を頼りにベンチの伝い歩き、半ば熱中症となってしまいました。
2021.06.09
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同級女生徒とは言っても、私と同じ79~80才ですが、先日宅急便で「御すそ分け」との添え書きと共に、佃煮らしき物の詰め合わせが届けられました。彼女は、6年程前から自宅を売却し、高級な介護施設に夫婦で入居しました。子供がいなかったこともあって十分な貯えもあったのでしょう、近くの井の頭公園を散歩しつつ、余裕のある生活をしていました。しかし、5年前に体の変調に気付き、精密検査をした処「パーキンソン病の初期症状」と診断されたのでした。其処で、未だ身体が動く内に存命して入間市扇屋町にある公務員介護施設におられる、小学校の恩師を尋ねてみようと言うことで、私の車で出掛けたのでした。恩師のお気に入りでした彼女だったのですが、恩師は90才を越えて認知症が昂じてしまい、彼女を認識出来ないのは、悲しいことでした。老いて行く人生とは、こう言うことなのだと分かりながらも、残念なことでした。届け物の中に、大阪の昆布の銘店「小倉屋山本」の塩昆布「えびすめ」が入っていたのは嬉しいことで、家内の叔母が大阪に存命して時は、折にふれて「小倉屋山本の昆布詰め合わせ」を贈って頂いたので、懐かしい逸品でした。折角ですから、炊立てのご飯、大根の千切り味噌汁、ホウレン草のお浸し、頂いた「えびすめ」や豆の煮物佃煮に加え、冷蔵から出した小女子の佃煮、小エビ佃煮を合わせて、細やかな夕食を楽しむこととなりました。
2021.06.07
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私は食材の買い溜めをせず、昼食弁当や夕食の食材を買い出しに、毎日出掛けることにしています。何時もは、近くの住宅街のスーパーを利用するのですが、美味しいバゲットを買うべく、多摩市と八王子市の境界にある「グリーンウォーク多摩」と言うショッピングモールに出掛けることにしました。駐車場が満杯で、2~3周ほどして探しましたが見つからず、モールの端にある電気店の駐車場に車を停めて、尾根幹線の歩道を歩いてスーパーに戻りました。緊急事態宣言下ですのに、昼時のスーパーは宣言疲れもあるのか大混雑なのです。昼食用に鯵の握り寿司を、夕食用の食材としてハンバーグを作るべく、牛の挽肉、玉葱、卵パックを仕入れ、最後はパン工房でフランスパンの焼き立てバゲットを買って買い物終了としました。此処のバゲットは近隣では一番、外はカリッとして、中はもちもちとして、まるでフランスの田舎でパンを買う様な出来上がりです!
2021.05.27
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昨日は、雨が上がって快晴、初夏の陽気となりましたので、薬師池公園に行ってみました。大賀ハスの蓮田には水が張られて、未だ少数ですが、葉が出て来ていて、翡翠も飛来していました。行く先々の木陰には、日陰でも花を咲かせる生命力旺盛なドクダミが密生しています。菖蒲田も水が張られていて、チラホラとですが、花が咲き出していました。万葉草花苑に入ってみますと、大山蓮華が盛りを過ぎてはいましたが、Magnoliaの特質を備えた小さな花に出会うことが出来ました。
2021.05.25
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昨日から緊急事態宣言が5月末まで延長、第4派コロナ蔓延が収まらず、1000人の感染者があって、しかも最も活動的である20才代が最多となった様です。感染状況のデータを分析してか、劇場や百貨店の休業要請は大幅に緩和されました。それでも同じ閉鎖空間である映画館には緩和が行き渡りません!徒に、国民への倫理(Ethos)に訴え掛けるには、感情(Pathos)や情熱で無く、理性(Logos)で対策対応して頂きたいものです。それだからでしょうか、遠い郊外の都立公園が次々と開園となっていますが、3密とは程遠い環境ですから当然の処置なのでしょう。早速、海苔弁当をスーパーで買って、池の畔で昼食致しました。殆ど、訪問客もおらず、寂しい感じもしましたが、池中央の立ち枯れ木、湖畔の杜若、植栽された箱根ウツギ、大きな朴木の花が、春を満喫させてくれました。
2021.05.13
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都立、市立を問わず5月末まで閉鎖されている処が多いので、散策場所を見つけるのが難しい状況です。其処で、町田ゼルビアと言うサッカーチームの本拠地スタジアムのある野津田公園に行ってみることにしました。散策が目的ですので、スタジアムから遠い東駐車場に行ってみましたら、案の定開いていて、しかもがら空き、大きな桐の木があって花が咲いていましたが、見頃は過ぎていた様でした。サッカー練習場横上の杜の径を散策しましたが、木漏れ日に照らされた新緑は初々しい。其処から、ススキの丘を登って行きますと、随分成長していて、初春に見られたフデリンドウ等は負けてしまって見えません。其処から、公園を出て綾部原住宅街を抜けて駐車場に下って行きますが、道端には赤い蛇イチゴ、住宅地の垣根には美味しそうなキイチゴが沢山生っていました。
2021.05.11
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小野路は南多摩尾根幹線から小野神社までの交通路、平安時代から続く小野路の主要道路は谷戸道で車道ともなっていて、尾根道は山道となり寂れています。谷戸道を下る途中から尾根道に入りますと、まるで人気が途絶え、浅間神社も訪れる人も疎らです。キンランの季節は終わって、人知れずにギンランも数本咲いていました。<尾根道を道なりに下って行きますと、奈良ばい谷戸に合流、折角ですから小野路城址に行って、おにぎりとお茶で昼食となりました。奈良ばい谷戸を少し下り、丹沢山塊を望み、丸太を半分に切ったベンチで、珈琲休憩となりました。良く見ますと、朴の花や、桐の花が咲いていて、往く春を惜しんでいる様に見えます。我が家からの徒歩往復2時間の散策、ストックを持参しませんでしたので、坂の上りは閉口、休み休みとなりました。
2021.05.06
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小山田緑地は閉園されていますが、閉園前の4月20日には森林浴を満喫しました。木漏れ日のある尾根道は、気持ちの良いもので、道端や林の中には沢山キンランが自生していました。終点のアサザ池で昼食を摂り、今来た道を帰って行きますが、吊り橋のある渓谷付近では、両側が切れ落ちていて、尾根道は非常に狭いので、ストックを利用して注意深く、歩いて行きます。そんな狭い道端に放射状の花が咲いているのを見つけました。自宅に帰って、家内「山の花」図鑑で調べてみますと、どうやら「チゴユリ」と言うことが分かりました。
2021.04.26
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今日から、又都立公園が閉鎖、町田市郊外の谷戸や尾根に広がる「小山田緑地」もその例外ではありません。2日前にも、園内を散策して、新緑を楽しむことが出来たのでした。運動広場にあるアスレチックで歓声を挙げて遊ぶ幼稚園児達が見えました。屈託の無い子供達の行動を観るのは嬉しいことでした。コナラ林に入ってみますと、多くのキンラン達は咲き誇り、遅咲きのギンランも咲き出してくれていました。見晴らし広場に登って行ってみますと、春霞の中、丹沢山塊も薄らとしていました。その向こうに、富士山も頂上付近だけですが、顔を出してくれていました。
2021.04.25
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町田市の野津田公園を東に抜けますと、綾部原に入ります。綾部原台地には、昔から住居群があり、すれ違いが出来にくい道路ばかりで住み難そうですが、古代から住み着かれた場所で、土器発掘等の調査も継続中の様です。鎌倉街道を多摩市から町田市に抜ける際には、綾部原台地が壁となって立ちはだかり、迂回せざるを得ない通路でしたが、台地を貫く「綾部原トンネル」が完成したことで、とても便利になりました。しかし、台地上の開発が行われず、バスの運行も無く、至って住みにくい処となっている様に思われます。町田市街地と多摩センターとを結ぶ鎌倉街道の町田市小野路から町田市野津田間の「綾部原の台地」を貫いて平成17年(2005)3月26日に開通した「綾部原トンネル」はある。綾部原エリアは多摩丘陵では珍しい台地であり、弥生土器の流れを汲む土師器が出土し、古戦場になった等、歴史が古い地域である。このトンネルは全長410m、トンネル部分以外も含めると全長730m、片側2車線、歩道も幅3.5mとゆったりと造られている。事業費約110億円、このトンネルの完成したことで野津田町内に約300 mの新道が開通し、距離の短縮と周辺道路の混雑緩和が図られたようである。樹林帯は下草を刈り取られることも無く、原始林にも見えてしまいます。その畔には、フラン料理の店「俊宣茶房」が、昼食と夕食を予約のみで提供していて、原始林を眺めつつ美味しい料理を楽しめますので、行ってみる価値はあります。周辺の木漏れ日の当たる場所には、絶滅危惧種のキンラン、ギンランも人知れず、ひっそりと咲いているのです。
2021.04.23
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4月10日は快晴、緊急事態宣言は解けたのですが、まんえん防止措置に移行するだけと言うことでしたので、人気の少ないと思われる稲城中央公園の林間に行ってみることにしました。この公園は丘陵の中腹を生かした広い公園ですので、その管理をする作業小屋も設置されていて、それが監視の役にたっている様で、盗掘も少ない様です。林間の山道を辿って行きますと、キンランは林間の広い場所処々に咲いてくれていました。キンランも花弁を開いているのも見掛ける様になりました。花期の遅いギンランも、花芽を出していましたが、小さすぎて見逃しそうになりました。
2021.04.13
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東京都「まん延防止等重点措置」は23区と6市、6市は八王子市、町田市、府中市、調布市、立川市、武蔵野市で、私の住む多摩市は入っていませんが、立川、武蔵野以外は隣り合っていますので、「まん延防止等重点措置」地区と言っても差し支えありません。何故、三鷹市や小金井市、多摩市、稲城市等を含めず、斑色に識別したかは不明です。昨日は、午前中は天気が良く、夕刻から寒くなるとの予報でしたので、町田市外れの小山田地区に行き、都指定の風致地区となっている尾根道を、小野路城址まで散歩することにしました。登る途中は会った人は2人だけ、城址にも誰も見えません。森林浴は出来ますが、林の中は薄暗く、漸く春の花が咲き出しずつある頃でした。小野路城址の飲料水源は、城址下にあって、小町井戸と呼ばれています。言い伝えに依りますと、小野小町が眼病を治したとされますが、それ程清らかな水源ではありません。下りは、奈良ばい谷戸を下って行き、未だ天気も崩れずに、良い散策となりました。コロナウイルス禍の影響は自然の野谷では、あり得ないのです!
2021.04.10
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天気も良いので、薬師池公園に行って春を満喫し、その頂上から林道を通って七国山、町田牡丹園まで散策することにしました。大賀蓮を植栽してある蓮田は、根を掘り起こして水の入れ替え等の養生中でしたが、周囲にある早咲きの熱海寒桜が満開状態となっていました。参道を登り、頂上に鎮座する福王寺薬師堂を経て、林道伝いに七国山農場まで散策です。スタジオジブリの「となりのトトロ」では、七国山病院は「しちこくやま」となっていますが、此処では「ななくにやま」と呼ばれています。町田牡丹園では、沢山の牡丹の花芽が発芽して、職員の方々が、棚のメンテナンス等の世話を忙しそうにしていました。
2021.03.18
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昨日は快晴、気温も上がって20℃にも達しましたので、何処かへ散歩しようと思いましたが、緊急事態宣言延長で、都立の公園は閉鎖されたままなのです。仕方なく、八王子南多摩霊園の駐車場に車を留めて、尾根緑道を散策することにしました。元来は日本陸軍相模原工廠で製作された戦車の走行道路として建設されたのですが、今は尾根緑道として整備されている散策道であり、自転車道でもあります。歩き出して、向こうを見ますと、白く群落になっている低木が見えますが、雪柳が満開となっています。上を見上げますと、辛夷の花が見頃となっていました。梅もお終いで、早咲きの桜はありましたが、桜並木のソメイヨシノは蕾も大きくなっていません。ソメイヨシノの樹齢は50年と言われますので、戦後76年ともなりますと、元来植栽された桜は限界に達している様で、幹にキノコに覆われた樹勢劣化した可哀想な桜もありましたが、枯れますと新たな植栽がされる様で、勢いの良い壮年の木、数年前に植えられた若木も散見されます。
2021.03.11
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梅祭りも3月7日までと言われていますので、府中郷土の森博物館に行ってみました処、遅咲きの種類も、全て開花して、紅白とりどりでしたが、早咲きの八重寒紅等は散ってしまっていました。花の盛りを過ぎた感じがして、残念ながら訪問客も疎らに見えました。其処で、本館に入り、岩石の標本を観ていましたら、ストラップ用の勾玉加工された種々の石の勾玉が販売されて「いましたので、ヒスイ勾玉を買うことにしました。天皇家に伝わる3種の神器の中に、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)があり、八尺の緒に繋いだ大きな勾玉ともされますが、何の岩石なのかは判然としませんが、各所で採取される瑪瑙やアメジストでは無く、産地の限られた貴重なヒスイであろうとされています。先日購入した、糸魚川のヒスイ原石と今回の勾玉ストラップです。翡翠(ジェード)は大きく分けて2つの種類があり、鉱物的には違う種類、1つは硬玉と呼ばれるジャダイド翡翠でミャンマーや日本糸魚川などで採取されるもので、他の1つは軟玉と呼ばれるネフライト翡翠で、比較的入手しやすい石です。双方合わせてジェード(翡翠)といいます。こちらのカナディアンジェードはネフライト翡翠になります。我が家には、家内が遺したカナダ産ヒスイのペンダントがありますが、ネフライト翡翠であるとは初めて知りました!
2021.03.06
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またこの数日寒い日が続きますが、疾うに「三寒四温」の季節は過ぎていると思うので変な気分になります。2月22日は気温20℃を越えて、4月の陽気となりましたので、せせらぎの水音を聞きたくなりましたが、多摩川の広い河川敷は三密を避けて1年以上立ち入り禁止ですので近付き様がありません。其処で、高幡不動を通り過ぎて、浅川を渡って、その北岸を行きますと、河川敷に行くことが出来ます。浅川は多摩川の支流で、河川敷が狭く、運動場等の広場と利用されていないのです。石ころだらけの河川敷に座って、せせらぎの音を聞きながら、軽食と珈琲でゆっくりしながら、周りを見てみますと春霞で富士山は見えませんが、散策したりバーベキューをしたりする人達も散見されました。何か記念になるかと、白い石を探して、小さな変成岩を絹雲母片岩と思い。持ち帰りましたが、雲母特有の煌めきが無く、単なる珪質片岩であった様です。
2021.02.26
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久しぶりに夕食に、タコスを食べたくなり、持ち帰り販売するお店を検索してみますと、メキシコ料理店は都区内には多数あるのですが、郊外ともなりますと少なくなります。ネット検索してみますと、日野駅前の路地にある、Mexicaliと言うお店を見つけました。我が家からは、車で30分位は掛るのですが、その店がどうも一番近い様です。車で何回となく走り回って漸く見つけましたが、駐車場も無く、町内公園の隣にある、小さなお店でした。本場のメキシコ料理をカジュアルに楽しめるお店どうも、レストランと言うより、酒を飲ませてる一杯飲み屋が本来の商売らしいのです。牛肉と豚肉のタコスを注文、お値段はサルサソース込みで750円と言われましたので支払いつつ、店員さんから「パクチイを入れますか?」と聞かれましたので、パクチイはメキシコに無い筈と、「結構です!」と答えました。考えていたよりも小振りで、近頃食が細くなったとは言え、夕食には一寸足りない様な気がしますが、足りない場合は冷凍うどんでも食べて済ますことに致しました!
2021.02.21
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多摩川の河川敷に立入禁止フェンスが設置されて1年以上経過しましたが、コロナ禍が猛威を奮っていますので、未だそのままです。多摩川大丸堰付近には、バーベキュー広場があって、家族連れがテントを持ち込んで、バーベキューをしたり、釣りをしたり、川遊びも出来る処でしたのに残念です。天気も良いので、河岸の散歩道を歩きつつ、フェンス外から、コンデジでズームしながら撮影してみました。若者たちが、フェンスを乗り超えて侵入、釣り糸を垂れて魚を探す様子や、川遊びする姿がありました。乾燥注意報が出されてはいるのですが、堰上の水量は豊かにみえました。ふと、西方を覗きますと、富士山の山頂が樹林帯の上に見えていました。天気は良いのですが、春霞でよく見ないと姿は薄く煙っていました。
2021.02.08
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先日アップした多摩川の変成岩の内、赤い紅簾片岩と思われる石について、再度検索してみました。埼玉県長瀞町にある荒川中流の渓谷。親鼻橋から下流高砂橋まで約4kmに亘って板状節理の三波川系結晶片岩が露出し,左岸には岩石段丘,右岸には秩父赤壁と呼ばれる断層崖が発達する。石畳とも呼ばれる段丘面には広域変成作用による石墨片岩,緑泥片岩,紅簾片岩などがみられ,また河床には甌穴,白鳥島には横臥褶曲があるなど地質学上貴重であり,国の名勝・天然記念物に指定されている。荒川の石畳と呼ばれる付近から山側の法登山あたり迄は、中学1年生での遠足を含めて、3度程訪問していますが、その上流にある秩父赤壁と呼ばれる断層崖には行ったことがありません。其処で、堆積岩かも知れないと疑った岩の側面を観察してみました処、変成岩特有の板状節理があるのが分かり、やはり紅簾片岩であると再確認することになりました。多摩川の上流は、御岳渓谷から小河内ダムで堰き止められた奥多摩湖迄は、岩壁が続きますので、其処から流出して来たのでしょう!
2021.02.05
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多摩川の関戸橋から大丸堰は、野球場があったり、バーベキュー広場があったりと、散策にも遊ぶにも人の出入りが多かったのですが、コロナ禍での密集を避ける為、立入禁止となって1年が経ちました。大丸堰には一部に川魚が遡れる様に、魚道が設けられていますので、其処まで辿って行き、堰の上流が淀みになっていますので、其処に群がる小魚を見たりするも、川遊びを兼ねた良い散策でありました。堰の下流は、川石がゴロゴロと転がっていますので、其処で主に綺麗に見える変成岩で、手頃な大きさの石を拾って来て、綺麗に水洗いして、眺めるのも楽しみの一つでした。泥色や灰色の堆積岩に比べて、変成岩は白、赤、緑と変化に富んでよく目立つのです。絹雲母片岩と石英片岩、緑泥片岩と石英片岩、黄色く見える石英片岩、それらに交じっている赤色石は秩父石と知られる紅簾片岩と思って拾って来たのですが、変成岩特有の光る艶に乏しく単なる赤色の堆積岩かも知れません。
2021.02.02
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今朝、NHKBSの「グレートトラバース」は冬山で積雪厚い赤城山をカンジキで走破する登山編でしたので、懐かしく拝見しました。私の卒業実験は「旋回失速」と言う、圧縮機での非定常現象を解析する命題でした。指導教官の高田助教授(当時)は、その前年に現象を解析する微分方程式を確立しての解析論文は日本機械学会賞を受賞した新進気鋭の学者でした。実験場所は本郷では無く、東大駒場キャンパスに隣接する航空研究所内で、田中教授の管轄する実験棟で行われました。実験経験の乏しい私達に、助手の織田さんに手取り足取りのデータ取得の助けを頂き、何とか論文報告書の体裁となりましたが、高田助教授の素晴らしい論文には遠く及ばず、残念な気持ちで終了となりました。卒業実験が終了した秋には、慰労旅行と言うことで、赤城山に行くことになりましたが、その頃の赤城山は、大沼湖畔に大学ボート部の宿舎や寮、冬はスキー場となりますので、リフト設備や猪谷旅館もあるリゾート地でもありました。右から、田中教授、高田助教授、同期生、私、織田さんの順です。高田城教授は、更なる飛躍を求めてヨーロッパへの数年間研修が決まっていたのでしょうか、何か決意に満ちている雰囲気でしたし、助手の織田さんは薄給の大学の助手から転身を求めて、ブラジル移民となって去ることが決まっていてさばさばとした表情の様でした。
2021.02.01
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1昨日の雪模様から一転。昨日は快晴となりましたので、多摩丘陵にある谷戸は数多くあって、その内の一つである町田市小山田地区にある「奈良ばい谷戸」を散策、小山田城の出城であった小野路城址まで行ってみることにしました。近年、NPO団体が、春の炭焼き、夏の田植え、秋のソバ畑・栗の収穫と活躍していますので、里山の原風景が保存されている気運になりました。昨日は、晴れですが寒い北風があると言う予報でしたので、尾根に挟まれた谷戸が風もあたらず、良い散策になるだろうと思ったのです。大寒の最中にも拘らず、早咲きの菜の花がチラホラと咲いてくれ、早春を感じさせてくれます。小野路城址の直下には「小町井戸」と称される、小さな湧き水があります。平安時代は小野篁の所領地で、一族別格の美女小野小町が、眼病を患った際に、此処に滞在して眼を洗って完治させたと言う伝説から「小町井戸」と呼ばれるのだそうです。その後は、小野路城の飲料水源とされたそうですが、1昨日の雪で水量が少し豊かになった様に見えました。
2021.01.30
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不要不急とは思いながら、快晴でしたので、八王子市南大沢のイトーヨーカ堂に、足りなくなった野菜、果物、夕飯のオカズを買いに行きました。駐車場ビルの4階に停めて、富士山が見えるかと、西方を望んでみました処、丹沢が近くなった分、丹沢山塊越しに山頂しか見えません。例年、富士山頂は白く冠雪しているのですが、斑模様で、白くないのです。日本海側に発達している湿った寒気団は、中央山岳地帯で断熱膨張して、山麓に豪雪をもたらしたことで、乾燥空気となって太平洋側に吹き降ろして来ます。従って関東地方では快晴が続き、乾燥注意報が連日発令されて、雨はもう1ヶ月以上降っていません。「過ぎたるは及ばざるが如し」、豪雪も極端な乾燥も、災害要因となるのです。コロナウイルスは湿度が低いと、死滅する迄の時間が長くなると言われていて、首都圏での感染者爆増の1要因となっているのかも知れません!
2021.01.20
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多摩丘陵は、冬寒く夏は蒸し暑く、特に冬季は「寒風吹き荒ぶ地域」とされています。一昨日は、朝方氷点下-5℃迄下がり、最高温度も5℃で、午後には雪も散らついて、真冬の寒さでしたが、昨日は快晴で7~8℃まで気温が上がるとのことでしたので、小山内裏公園に行ってみました。谷戸の底部にある大田切池の畔に行き、其処のベンチに座り、稲荷寿司等が入っている昼食を摂りましたが、日差しもあって快適な日和となりました。大田切池は太田川の水源で、大栗川に合流して多摩川に注ぎ込むのですが、良く見ますと正午ですのに、全面結氷していました。池には立ち枯れの樹木も多数ありますし、此処は「釣り禁止」の立て札もあって、鯉などが生息している筈ですが、全て氷の下で、ひっそりとして何の物音も聞こえません。見上げますと梅も桜も堅い蕾のままですが。寒い季節の景観を提供してくれていて、良い散策となりました。
2021.01.14
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コロナウイルス爆発的な蔓延により、その勢いを削ぐべく近々非常事態宣言が首都圏に発令されることになりました。そんな中、兄妹3人が、東海大学前の実兄宅にマスク着用で集まり、お互い無事な姿を確認することにしました。小春日和で絶好のドライブで、新春の風景を楽しめました。伊勢原の山中を経て、東海大学前に向かいますが、新東名の伊勢原大山ICから秦野ICは完成間近の様に思えます。大山(阿夫利山)山腹にトンネルを掘削する工事が難航している様なのです!伊勢原JCT~伊勢原大山IC間は、2020年3月に開通済みで、鋭意、御殿場ICへの延伸工事が行われてはいますが、種々の制約もあって、開通は2023年にずれ込むとされています。伊勢原大山IC~秦野IC間は、用地取得の難航や埋蔵文化財調査などにより、道路本体工事に遅延が発生。この結果、開通時期が2021年度にずれ込む見通しとなった。又、秦野IC~御殿場IC間では、のり面崩落に伴い工事用進入路の見直しが必要になった他、想定以上の断層破砕帯が確認され、橋梁構造形式の変更が必要となり、開通は2023年度となる見込みとされている。
2021.01.04
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天気は良いのですが、北風が冷たいので、梅木窪の林間コースをあるくことにしました。近頃は腰椎と右膝に違和感がありますので、衝撃を緩和するのにストックは欠かせません。階段の上り下りで膝に負担の掛る吊り橋コースは敬遠して歩いて行きますと、四阿のある合流点に着きました。小径には枯れ葉が溜まって、歩くごとにカサコソと音を立てて呉れるのも良いものです。コースを下りて、アサザ池に着きましたが、湧水量が減ってしまって湿地帯に変貌していました。これでは夏の蛍は出て来そうも無く、残念な限りです。それでも、梅を見上げますと、八重寒紅の梅が数輪開花していました。小春日和が続きましたので、季節を間違えってしまった様です。下を見ますと、モグラが地中を徘徊して、盛り上げた土の塊が散在していました。下の小川には、小さなアブラハヤが群れを成して泳いでいまして、昔ながらの里山が残されています。帰りは、公園とゴルフコースの間にある谷戸の道をゆっくりと歩いて戻ることにしました。
2020.12.15
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聖蹟桜ヶ丘駅ビルに隣接する京王アートマンビル3階にある「SanCoffee」は、美味しい珈琲と美味しいランチを出すことで知られています。ビルの中の喫茶店では、3密が懸念されることへの懸念から、厨房の隔離カーテン、テーブル席を仕切る衝立等で、コロナ蔓延防護対応をするのが普通ですが、この喫茶店では一切ありません。良く見ますと、小さなテーブルの2人席が多いこと、又仕切り隔壁が細く、透明アクリル衝立は設置するのが難しい様なのです。従って、お店としてはコロナウイルス蔓延を防ぐ防衛策は、客自身で講じてくださいと言うのが営業方針の様です。この日は、ビーフドリアを注文して提供されるまで、マスクをして備え付けの雑誌を読みながらの待機となりました。良く見ますと、他のお客も食べる時以外は、店内でマスク着用しているのです。でもコロナウイルス蔓延第3波は感染増加が激しいので、その内ビルオーナーからも、対策を講じる様な指示が出されるのではないかと思われます!
2020.12.08
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多摩丘陵は、元来粘土質の土壌が多く、田や畑にする程の肥沃な土壌は僅少で、ススキが繁茂するだけでした。それでも、住宅地にするには問題が無いばかりか、粘土質で地耐力が高く、地震等での崩落は皆無の様です。町田市野津田にある野津田公園に、原風景が残され、ススキヶ丘の命名された小さな丘がありますので行ってみました。12月となりますと、全て枯れススキ状態で、散策し易い様に、ススキヶ原はエコパッチ風に丸く刈り込まれ、其処に昆虫などが隠れる場所を提供していました。桜の木が見えますが、其処が丘の頂上です!頂上付近でも、同じ様にエコパッチ風に刈り込まれていますので、気持ちの良い散策路となっていました。
2020.12.02
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コロナウイルス蔓延もあって、人気の少ない谷戸を散策することにしました。小山田緑地の駐車場に車を留め、奈良ばい谷戸を登って行きますと、NPO団体が米の収穫を終え、キノコ汁等で楽しんでいました。少し登って、来し方を振り返ってみますと、樹林の向こうに丹沢山塊が見えて来ました。樹林帯に入り、そのまま登って行きますと、小野路城址に到着しました。祠があるだけで、小山田城の出城である痕跡は伺い知ることは出来ませんが、城址下には小町井戸があって、水源が確保出来る絶好の出城だった様です。元来、この地区は貴族で、小野小町の親戚である小野篁の所領地であった様ですが、平安末期から鎌倉時代にかけて、小山田氏の所領地として接収された様です。小山田城は既に無く、大きな城跡は大泉寺となって今に至っている様です。横浜の保土ヶ谷を治めていた秩父党である秩父有重が、1171年に小山田荘の別当に任命されて、小山田城を構えたとされます。源頼朝の死後、執権・北条時政の策略で、梶原景時が静粛され、小山田氏の一族も、横浜の二俣川で殺害され、小山田の地は執権・北条家が握ったのですが、山梨の都留市に逃れていた小山田家はその後も存続し、戦国時代になると武田信玄の家臣で最強と呼ばれた小山田信茂らを輩出するのです。又、八王子周辺でも生き残った支族は、戦国時代に小田原・北条氏の家臣となり、北条氏照の傘下に加わっています。
2020.11.27
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小山内裏公園の駐車場に車を留め、其処から林間に芝生広場に上がり、「鮎道」に出て、公園を半周すると、小山内裏公園出口となります。鮎道の名の由来は、津久井で取れた鮎を江戸の街まで売りに行くのに通っていたことに由来するとのことです。出口からは下りの坂道になっていて、空き地の向こうにタワーが見えますが、鑓水小山給水所ですが、近隣に十数階のマンションが多いので揚水している様です。尾根緑道がその右につながっていて、坂道を上がりますと平坦な尾根緑道が続きます。尾根緑道に沿って車道が設けられていますが、その向こうには消防車の駐車場や運動場が広がっていて、人家も無く殺風景な景色となります。この交差点からは、多摩美術大学の八王子キャンパスとなりますが、その付近はススキヶ原が広がるだけで、開発されていません。キャンパスを過ぎますと、まもなく尾根緑道の最西端、国道16号線合流点となります。尾根緑道は、嘗ては戦車道路と言われ、陸軍相模原工廠で製作された戦車の走行試験をするための走行道路で、町田市から八王子市を東西に走る多摩丘陵の尾根道です。現在は、町田リサイクル文化センターの所在地から西に向け、 最西端の16号線との合流点までの全長約15km、散策やらサイクリングやらで楽しまれている様です。小山内裏公園出口から最西端までは4㎞だったと思われます!
2020.11.23
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コロナウイルス蔓延の第2波襲来で、東京も200人以上の感染者で、一向に終息の気配が見えません。山梨や静岡等の県外に出ることは憚れますので、山梨県境に近くはなりますが、八王子市にある高尾山に行ってみることにしました。混雑する電車・バスを避けて、車で行き、薬王院祈祷殿に駐車しようとしましたら、整理員が出て、一杯に成る駐車場を整理する程混雑していました。体力の衰えを考え、登りはケーブルカーやリフトを使い、下りを徒歩とすることにしましたが、何れも長蛇の列になっていました。ケーブルカーは定員の半数、リフトは一席を空けて運用と、密集を避ける工夫をしていますので、列が捌けないのです。何とかリフトで山頂駅に着いて、西方を望みますと、スカイツリーも見えるパノラマが広がります。そのまま1号路を登り、薬王院境内を登って行きます。お寺なのに、鳥居がある不思議な景色ですが、70年前の小学校の遠足写真と少しも変っていません。何とか、山頂広場に着きますと、其処は物凄い混雑となっていました。まるで、満員の電車内と変わりません。ほうほうの体で、稲荷山コースを下って行きますが、岩が剥き出しとなっているコースですので、転ばない様にゆっくりと歩き、何とか四阿の展望所に到着しました。此処は、昨年か一昨年の台風で、屋根が吹き飛んでしまいましたが、青空の展望所に変質させた様です。
2020.11.01
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アサザ池は小山田緑地の外れにあって、湧き水が水源となって水深10㎝程、水蓮の仲間である小さなアサザが繁茂している池です。綺麗な水のお蔭で、夏には蛍も飛び交う自然が残されているのですが、水源からの水量が減ってしまったのか、水深は殆ど無くなって、土が剥き出しとなって雑草が蔓延り、アサザの丸い葉が殆ど見えなくなっていました。小山田緑地の梅木窪分園の吊り橋コースを辿って行きますが、其処は深山幽谷の世界となっています。吊り橋とは言え、大きなI形鋼で橋の基礎を固めていますので、揺れることもありません。吊り橋からコース本道に戻りますと、林間に四阿の休憩所がありますので、其処で珈琲休憩とし、ゆっくりと林間コースを行きますとアサザ池に到着となります。
2020.10.30
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快晴で、過ごしやすい気温となりましたので、府中の郷土の森博物館に行って、気軽な散策をすることにしました。園内本館の「木漏れ日」と言うレストランは、コロナの影響が大きかったこともあり、閉店してしまって、ガランとした空きスペースになっていました。尤も、正門近くに物産館が出来て、其処の食堂に客が移ってしまい、客が少なくなってしまっていましたので、コロナ影響が過ぎ去っても、店舗再開は無いのかも知れません。真直ぐに、古民家のある広場を抜け、茶屋に行って、醤油味の焼き団子を注文して、昼食替わりとすることに決めました。初春に、何時も定点撮影している、梅の木の坂道は雑草などが茂って、様変わりの状態。梅林を散策しますが、秋には訪れる人も殆ど無く、紅葉もしない梅の木ですので、風情に欠けるのでしょう!春には、紅白から黄緑色の花と香りで訪問客を楽しませてくれましたのに、秋には魅力に欠ける散策路となっていました!快晴で過ごしやすいことで、芝生広場は家族連れで一杯、子供達の歓声が木霊していて、元気を貰うことが出来ました。
2020.10.28
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昨日は、家内の11回目の命日なので、冨士霊園への墓参りをしたい処でしたが、コロナウイルス蔓延第2波に依る自粛で、断念することにしました。特に東京では感染者が200人程度出ていて治まる気配が見えず、東京ナンバーの車で県外の静岡県御殿場市に行くのは白い目で見られるのではないかと、気が引けるのです。コロナに依る肺炎ではありませんが、恩人・知人がこの世を去り、寂しい思いがしていましたが、親友の妹さんが亡くなったとの報を受けて、意気消沈となりました。彼女は早稲田大卒業後、東大新聞研究所に勤務する程学究肌の女性でしたが、技術研究者と結婚、数年前に病を得て闘病中でしたが、70才代半ばで鬼籍に入ることになり、何かこの世に取り残された感じがしてなりません。其処で、過去を振り返ってみようと、アルバムをめくっていますと、懐かしい写真に出会うことが出来るのです。その中の1枚、先輩と一緒に秋に行われる部内旅行の幹事を仰せつかり、1969年春、塩原温泉に下見に、家内を誘ったのですが、その時に先輩が撮ってくれた写真です。先輩はカメラアングルの優れた人で、楽しんでいる雰囲気が良く映し出されています。
2020.10.27
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元上司が亡くなったのは9月9日と言うことで、遺族宅からは会社OB会への連絡は無かったのは残念でしたが、そんなことをする暇もない程の急逝だったのかも知れません。私の場合でも独り住まいで急逝となってしまいますと、息子達には会社OB会のこと等、何も言っていませんので、連絡することが出来ないのですから、似たような状況です。昨日は天気も良いので、目黒区の環状7号線傍にある元上司宅を訪れてみました。35年ぶりの訪問なので、記憶が薄らいでいますが、その当時は木造の塀で平屋だったかも知れません。35年前から正月休みに複数回、米国駐在での経験や逸話をするべく、挨拶と優しい気配りに対する感謝を目的に訪問させて頂き、奥様からも歓待頂き、息子さんにも珈琲を入れて貰ったのも、懐かしい思い出でとなりました。35年も経ちますと、コンクリートの白壁に囲まれ大きな邸宅で、1階に元上司夫妻が住み、2階に息子さん家族が住む、棲み分けの2世帯住宅に変貌していました。郵便受けも2ケ所あり、元上司夫妻は亡くなっていますので、息子さん宅には呼び鈴を押さず、黙って香典を郵便受けに入れて、お暇することにしました。49日法要も直ぐでしょうから、受け取って頂くことで、何らかの返信か連絡があるものと期待しています。
2020.10.21
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昨日は快晴、丹沢山塊に雲が掛ってその向こうの富士山は霞んでいましたが、暑い日となりました。其処で、木漏れ日の樹林帯が続く、万葉よこやまの道を散策してみることにしました。先ずは、桜の広場、黒く見えるのはヤマザクラ、その隣は景観木となっている姫辛夷、木漏れ日が涼しそうでした。半年ぶりで、外出自粛の所為か将又半年年取った所為か、体力が衰え、1.6㎞先の最高点「防人見返り峠」まで一気に歩き通すことが出来ず、途中のベンチで休憩となりました。未だ咲き残っている彼岸花を観ながら、漸く「防人見返り峠」に到着、おにぎりで昼食休憩となりました。素晴らしい眺望ですが、数日来の雨で、すっきりした秋の空でなく、春の空の様に霞んでいて多摩の山々がよく見えないのが残念でした。
2020.10.01
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松島詩子の「喫茶店の片隅で」に触発され、国分寺まで出掛けることにしました。アカシヤ並木の黄昏は淡い灯がつく喫茶店- - -モカの香りがにじんでた遠いあの日が忘られずひとり来てみた喫茶店- - -胸にしみじみ呼ぶ今宵天気は快晴で暑くはありましたが、一時の酷暑ではありませんし、マスクをして多摩モノレールで立川駅に行き、其処でJR東に乗り換えて国分寺に到着しました。目当ての喫茶店は駅から5分程の距離にあり、訪れるのは2年振りです。創業者の新井熙盛は、1957年、1924年に建てられた米蔵を増改築し店舗として創業。1980年代後半になると、大手の喫茶店チェーン店が増えたこともあり、客足は減っていった。創業者が1982年に死去した以降は妻の富美子が店を守っているが、創業60周年を迎えた2017年時点のインタビューで、既に90歳になっていた富美子は「もう、1、2年で終わりたいですね。」と語っている。店に入りますと、横木の上に大きなTannoyスピーカーが2つ横向きに置いてありますし、店の奥には中型のTannoyスピーカーが設置されていて、柔らかな音を楽しむことが出来る様に設計されています。珈琲は昔懐かしい濃い珈琲、クリームと角砂糖で甘くして飲みますが、店一押しのチーズケーキをセットにして注文、セット価格800円と適切な値段でした。店備え付けの書棚から、古典音楽の書籍を取り出して、音楽をBGMにして読書となり、何か充実と思われる時間を過ごすことが出来ました。
2020.09.29
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昨日は晴れ間が出ましたので、久しぶりに多摩川沿い迄、行ってみることにしました。河川敷のピクニック広場は、相変わらずフェンスで閉鎖されたままで、下りて散策することは出来ません。大丸堰には人の姿は見えません。ふと見上げますと、何時の間にか、空には夏の雲から秋の雲に代わっています。「女心と秋の空」とはよく言われますが、刻々と変化して行く雲の動きは興味深くて、見飽きることがありません。フランスの詩人Baudelaireも、雲は芸術と捉えていた様で、ボードレール「パリの憂鬱」「三好達治訳 新潮文庫」の一節「異邦人」で次の様に詠じています。私は雲が好きなんだ、・・あそこを、・・ああして飛んでゆく雲、・・あの素敵滅法界な雲が好きなんだよ!J’aime les nuages… les nuages qui passent… là-bas… là-bas… les merveilleux nuages !やはり「雲は芸術」と思いつつ異邦人ではなく至極平凡な民として過ごした、母、家内、義母を思い遣りことが出来ました。
2020.09.16
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日本の往来路の中枢である東名高速が混雑していること、また災害時の通行を果たす為、比較的山側に、新東名が整備されつつあります。伊勢原JCT~伊勢原大山IC間については、橋梁工事が概ね完成し、舗装や設備工事が順次進められていましたが、2020年8月14日現在、開通に至っていません。右側は厚木方面となります。左は大山トンネルを経て御殿場方面となります。一方、伊勢原大山IC~秦野IC間は、用地取得の難航や埋蔵文化財調査などにより、道路本体工事に遅延が発生。この結果、開通時期が2021年度にずれ込む見通しとなり、新東名高速道路(E1A)の全線開通時期が当初予定していた2020年度から2023年度に延期となる見通しであることを明らかにした。既に開通している厚木南IC~伊勢原JCT間については、1日あたり約1万台の利用があり、並行する東名高速道路(E1)の交通量が1日約6000台減少している。家内の眠る冨士霊園近傍でも、新東名の工事中で、御殿場付近では「小山ハイテクパーク」と称する工業団地も造成中ですが、日本が頼りとする工業は何なのかと、感じ入ってしまいました。我々の青年・壮年時代は、造船大国、重機械大国となりましたが、そうした労働集約産業は韓国や中国にとって替わられてしまいました。そうかと言って、IT産業では雇用人口はそれ程増えませんし、GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)等のサービス作業は米国に牛耳られ、後追いでは太刀打ち出来そうにもありません。結局日本の得意とする品質の良い物造り産業としては、航空宇宙関連機器やエネルギー機器、環境改善関連機器となるのでしょうか?三菱重工のMitubishi MRJが形式承認も受けられず、低芽している状態、P&WのGeared Turbo Fanに問題があるのか心配です。ホンダ自動車のHondaパーソナルジェットが販売数を増やしていて、GEのFan Engine、遊星歯車Gearedで無いので新規性はありませんが、信頼性は既に確認されています。造船重機、次は自動車、その次は航空宇宙と転じて行くのは、歴史の必然とも思われるのですが、果たしてどうなりますか?何れにしましても、単体技術ではなくシステムを備えた総合商品でなければなりません!
2020.08.15
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ここ数日、猛暑日が続き、出歩けば直ぐに熱中症になりそうですので、家に待機状態となっていますが、昨日は暑さが峠を越したと思われる午後3時から、外出することにしました。高温注意報が出ている程で、午後3時でも36℃と外出には向かない気温ですが、閉じ込められた精神を開放するべく、車のクーラー温度を26℃と低く設定し、マスクもすることなく、スピードを上げて運転することにしました。国立府中ICから中央高速に入り、八王子を抜けますと、105km/Hrのスピードで、車の流れに乗ったつもりでしたが、小仏トンネルでは追い越されることが多くなり、流れに合わせますと120 km/Hrにもなっています。これでは覆面パトカーに捕まるスピードですので、トンネルを抜けた後は105 km/Hrに戻し、暫くしますと相模湖東出口に着きましたので、高速料金770円をカード徴収され、国道20号線から相模湖湖畔まで下りて行きました。暑さの所為か、訪問客も少なく、対岸の石老山は何処かと見上げつつ、散策をすることにしました。家内とよく来た湖畔の店街まで散策してみますが、やはり閑散としていて、スワンボートは乗る人も少なく、多数係留されて客待ちの状態でした。気分も晴れましたので、ゆっくりダムから湖畔周回路を通って、三ヶ木経由、相模原中心街を通って帰宅しました。午後5時半になっても気温は下がらず、車の外気温表示は34℃となっていたのです。
2020.08.11
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