2003/01/15
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 暗い話だというのは知っていた。以前読んだ時残り100ページほどしか残っていないにもかかわらず読むのを止めたから。それが今回はすんなり読み直せた、一気に読めた。そろそろこれを読もうと思っていたから、その下準備として読みやすい童話集を選んで読んでいたということか。夢まで用意して。
 主人公ダダが鬱治療の為に服用していた薬に中毒になり、壊れてしまう。帯の言葉を写せば「『壊れかけた器』となって苦悩の淵をさまよう魂の畏れと祈り」。言ってしまえば、ネット上にうんざりするほど溢れている鬱病日記にも似ている。ただし、苦しむ現実、夢、今書いている短篇小説、昔の旅行の思い出、ダダ以外の家族達の話、カソリック信者であることのあれこれ。作家の筆致がそれらを写すと、読むのに苦しい部分はあるが、やはり有象無象の文章とは一線を画す。ただし、現在鬱と付き合っている人は読まない方がいい。この手の文章は、気分が伝染る。私はそういう気分は寝たら忘れる。
 夜中に爪を切るには迷信が邪魔になる日本では・・・・・・と、多和田葉子「容疑者の夜行列車」で主人公はその爪切りのおかげで人称を奪われて自分のことを「あなた」としか書けなくなっていた。そのことは関係なく、読み終えると夜中になっていたので、迷信は忘れた振りをして爪を切った。読んでる最中に伸びているのに気付いていたが結局夜中になるまで持ち越した。爪を切ることは意外と行動を縛られてしまうもので、目は切られる爪、切る爪切りを注意深く見ていなければいけないし、自由になる耳もあまり音楽を聴きたがってはいなかった。作中に出てくる音楽は主にクラシックだったが、それ以外のものを聴いても、陰々滅々とした気になるのではないかと思えたから。しかし物語終局部では、よくある言い方をすれば「聖性を纏い」救いの道が拓けていたので、あまり暗くなることもなかったのだが。宗教というやつはどうも・・・。度々引用される聖書の言葉も私には響かなかった。いつでも聖書の気に入った部分を暗唱出来るということは、それだけ言葉に縛られているということ。薬に浸かった頭では、言葉というやつは、いっそう自分の内に沈み込む重力を増大させるものでしかない。作家という職業について毎日言葉と向きあって、聖書に書かれた言葉に導かれて、自分の行動をひたすら記したりしたら・・・それは狂っても仕方がない。あくまで小説の中のダダの話。
 そうして爪を切っていると、切ってるそばから爪に伸び出されたら困るな、という考えが浮かんだ。ブーメランを投げたことを忘れて、自分の頭に大怪我を負った男の話のように、とっくに切り終えたはずの爪がまた伸び出したことに気付かず、何度も手の指に爪切りを走らせ続ける人を想った。爪が伸びるのをやめてようやく切り揃えられた爪にヤスリをかけている時、ふと時計が大袈裟な時間の経過を示しているのに気付く男のこと。訝りと共に己の空腹に気付くが失われた時間のことを信じようとはせず、爪を切っている最中に寝てしまったんだろうと常識的な頭で結論付けて安心する男。


 ダダは、居間にいた。そのころの家は明り採りの窓が屋根にあり、台所のあたりは明るかった。台所は居間と廊下でへだてられ、土間になっていて、素足では降りられない。外光が落ちて、明るくなっているが、曇りの日だった。何やら不安で、さみしい気持でいると、眼にもとまらぬ早さで台所を飛び去ったものがある。白猫のようだが、違う。イタチでもない。ダダは息をのんで、じっとしていた。幻を見たのかどうか、その事実を心配している。大きな驚きに打たれた。こういったとき、子供にときどき見受けられることだが、ダダはおびえながら眠ってしまった。眼を醒ますと母が戻っていた。ダダは自分が見た生き物の話を、出来るだけ落ち着いてした。話をしてみると、それはたちまち夢になってしまった。逆にダダの心のうちでは、幻覚かと怪しんでみたものが現実となった。それが恐ろしかった。多分、ダダの感覚の輪郭は今よりはっきりしていたのだろう。最近、記銘力、記憶力が甚だしくおとろえている事実を知らされるにつけ、このことを切実に思いかえす。

「c 湿地の葦」より


 爪切りが終わらない人の話は私の妄想、爪切りを売って人称を無くしたのは多和田葉子の話、記憶を落として薬に苦しんでいるのは主人公ダダ。眠い頭とはいえ区別はつく。
 ダダは夢の中で自分の書きかけの短篇小説の登場人物の後を追いかけ「変な臭いが付いてきている」と迷惑がられる。短篇小説の断片の部分は他の個所とあまりに違うので明記されていなくても分かる。ところが最後近くになると昔のイギリス旅行の思い出と夢が混じり、固有名詞の頻発に混乱してしまう。区別することなど不要かもしれない。


 私は六年間、薬を嚥んできて、まだすっかりやめられないでいる。この歳月の間の多くのことを忘れているのは、わたしという人間がそれだけ死んでいるのだ。わたしはいま、既に歳老いてしまっているのだろうか。あるいは今朝、このの、たとえようもなく悲しく美しい曲を聴いているときは、わたしにとって最も若い日であり、誕生日であり、出発点なのだろうか。わたしは歯ぎしりをしながら考えている。考えているそこのところだけが明るい。そのまわりを記憶の欠落の暗黒が取り巻いている。
 ソプラノのグンドゥラ・ヤノヴィッツが歌い出した。その声がわたしに教える。もうほかに何もない、などと考えるな。絶望することが出来るって? 素晴しいではないか。

「n 間氷期」より


 ダダの一番酷く醜い姿は、息子の報告として書かれる。部屋にウンコを垂れ流し、ベランダから「オシッコスルゾ」とダダは叫ぶ。作者とダダを重ねて見ていると心配になるが、近作「真名仮名の記」「11月の少女」は共に明るく、薬の陰はない。ちなみに福武文庫版の色川武大「狂人日記」の解説で森内俊雄は「氷河が来るまでに」は実際の経験を小説にしたものと書いている。これもたまたま見つけたもの。現実と重ねるといっそう暗くなるのであまり書き写しはしないが、「(小説にすることでしか)ほかにこの世界から己れを救い出す方法が無かったからである」とある。今は救われているのだ。

何もあてにするものがなくなった以上、何でもあてにしなくてはならない。

「r 帰郷・1」より

森内俊雄「氷河が来るまでに」(河出書房 この本は現在お取り扱いできません)





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Last updated  2003/01/16 12:10:32 AM
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