2003/01/29
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 熱に揺られてるうちに一年が経った、一年に経たれた。日記を始めたのが昨年1月23日。それから一年も経ったということに対する感慨を何か書こうと思っていたのだが、風邪にやられ、高熱が続くうちは本も読めず、日記を書くこともなかった。
 今年の風邪はインフルエンザでなくとも高い熱が長く続き、薬無しでは38度より下には下がろうとしない。厚着して寝ていれば済むような、見慣れた表情は見せず、また「微熱の国」とはほど遠いところで浮かれた頭を持て余していた。何も読めない頭を妄想が占め、治った時には全て忘れていた。
 発熱の原因に思い当たる本。薬を飲み、熱の引いた後もしばらくは読もうとも思えなんだ。かといって他の読みたい本とてどれも熱病くらい簡単に起こせそうな、迷惑な力を秘めたもののように見えた。茫漠とした頭の乗っかった中で読めたのは田村隆一の幾つかの、何度も読んだ詩だけ。見知った言葉以外、まだ知らない話に触れること──そのたいていはあまり明るく楽しい話ではない──は、病巣を肥大させる手助けにしかならない、物理的な厄介者の上にわざわざ背負う必要のない形にならない厄介事を内に溜め込ませ、苦しむことにしかならない、そんなことを、ただの風邪引きの身で後から思った。


 追憶というやつだな、これを夜中に犬にして、寝床から降ろして部屋の外へ出してやる、と別の知人は入院中のことを話した。この人は一時重体に近いところまで行ったが、乗り切って二月ほどで放免され、三年は元気に暮らした。近年、高層の十階以上に飼われる犬は地上に放されるとたちまち道に迷うそうだが、俺の犬は長年飼われていながら野良犬も同然で、勝手知った顔で廊下を伝い非常階段を駈け降り、救急口あたりから表へ滑り出る。未明の車の間を、尻尾を巻きながらはしこく擦り抜け、長い切通しをくだって橋を渡り、もう古い町をうろついている。やはり子供の頃の方へ行きたがるようで。


 熱を出したい為に読んでるようなもんだ。100ページほどのところで風邪に好かれ、古井由吉の文体でものを考える癖を残したまま寝伏していると、これはもっと重い病で、もう助からないかもしれないとロマンチックなことばかり考えてしまうが、病院と薬の力には軽い病人の感傷が入る隙間はなかった。それにしても、病人の話を読むたびに病人になってしまうような律儀なことはもうしたくない。
 冷めた頭でやっとこさ続きを読み出してみると、何が書いてあるかがよく分からない。一文一文、数行ずつの話の展開は理解出来ても、全体として何を書いていたか、誰と誰が話しているのか、よく見えない。砂を読んでるように眼と頭から零れ落ちる、融けてなくなる。感じ入るところがここにもかしこにもあるように見え、またそうでもないようにも見える。こことここはいい。しかしこことの違いは何か。差はあるか。ないならここもここもいいということになる。だがこちらのこことその前のこことではやはり感じるものが違う。予め熱病を誘い込むような読み方をしないように膜でもかけたか、繋がりが見えず、話がくみ取れない。最初に寝込んだ晩、熱を計ることすらおぼつくなかった頃、40度近くはあったろう、その後も38~9度の間を実際の時間よりは多く感じる間彷徨った。その時に何か落としたか。しかし古井由吉の近作はそもそもこのようなものだった、と、本作のラストで次作「忿翁」に続くような、続けて出現する老人達を見て安心する。
 目の前に実物さえなければ、この一冊自体が熱病に浮かされた頭の中で作り出した幻のようにも思えた。

古井由吉「聖耳」(講談社)





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Last updated  2003/07/17 09:43:10 PM
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