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昨年1年、悩み続けてきた、「気力」と「体力」が一致しないという、ワークバランスの問題。このほど、あっけなく解決した。娘婿が自営を辞めて勤め人となったのに加え、孫の急病時に近くにいることもあってフォローしてくれていた娘婿のお母さんが、骨折でそれが難しくなったのだ。末の孫はまだ5歳。あと2年くらいは、ハプニングが生じた時には、娘夫婦が働いている平日にヘルプにまわるべくスタンバイしておく人がいるわなあ、、、。4月いっぱいは現在のペースで何とか仕事をし、5月の連休明けに北海道に1人旅した後は、当面土日祝だけ仕事をしよう。それで、しばらく様子を見て、また状況が変わるとか体力面で自信がついたら、派遣会社やエージェンシーにその旨つたえて仕事を増やしてもらおう。私たちの身分は日雇い。すなわちフリーランサー。いざという際の補償は薄いぶん、こういうライフスタイルの変化に応じてフレキシブルに働ける良さがある。定年もないし。それと、地域に特定されないことも嬉しい。この仕事、仮に九州や北海道に越しても、そこに店がある限りは出来るのだからね。
2024.03.28
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先だっての記事で、バスドライバーなど運輸業界の人手不足と我がデモンストレーター業界の人手不足は高い確率で共通点があると書いた。その1つが、ズバリ、現場に携わる者の高齢化。その前に、デモンストレーターがどんなに人が足りないか、あくまで私の例ではあるが、端的に述べよう。四捨五入したら70歳の婆さん(私)。なのに、ほぼ毎日仕事依頼が来て、時には1日に5件くらい打診されることがある。これは、デモンストレーター派遣会社4社を掛け持ちしている関係もあるのかも知れないと思いきや、今日日のデモンストレーターはほとんどが数社に登録=掛け持ちしているから、他の仕事仲間も同じだわなあ。こうなった大きな原因は、コロナ禍のもと試食販売がなくなり、年齢的にまだまだ転職出来る可能性が高い40代50代のデモンストレーターが別の仕事に就いてしまい、コロナが明けて試食販売が復活した後も元のデモンストレーター界に戻って来ないからなんだよね。そういう人は言う。「何かあったら仕事がなくなり、そのことに対して何の保証もないデモンストレーターなんて、やってられへん」(雇用形態が業務委託になっているデモンストレーターはその限りではない。実質的にはフリーランサー=自営業なので、今回の疫禍では保証の対象となった。1番気の毒だったのは、同じフリーランサーでありながら雇用形態が給与所得の人たち)。確かに。ただ、私も含めた還暦以降のデモンストレーターは、諸般の理由もあって簡単には別の仕事に移ることが難しかったため、好むと好まざるをかかわらずデモンストレーター業界にとどまらずを得なかった。結果、デモンストレーターの年齢が全般に高くなったのだ。コロナ後に今度はメーカーから次々と来る業務依頼。仕事にあぶれていた私たち高齢デモンストレーターは嬉しい反面、それらにひとつひとつこたえていたら体力がついていけない年齢になった。ところで、ここでメーカーと私たちの橋渡しをするエージェンシーや派遣会社は考えないといけないのではないか。「比較的に若いデモンストレーターがまたやろうという気にならないのはなぜなのか」と。ぶっちゃけ。人手不足解消の意味合いもあり、デモンストレーターのギャラはコロナ前より上がり、付随する条件もよくなった。にもかかわらず、相変わらず求人募集に応募してくるのは、デモンストレーター経験のある、比較的に高年、せいぜい年配の人が大半。つまり、若い人を惹きつける魅力がないことにもっと危機感を抱かねばならないのに、当座の対応策として、デモンストレーターが足りなかったら単に募集したらいいと考えているエージェンシーや派遣会社が少なくない。デモンストレーター業界最大の問題、いや、他の運輸でも介護でも流通でも、いま人手不足にあえいでいる業界の最大の問題は、これだね。
2024.03.19
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一昨日の3月12日は、大阪は門真市にある、近畿一円でチェーン展開している某スーパーで長芋のデモ。太平洋側を中心に午前中は大雨をも記録した日で、当然ながらお客様数は限りがあったが、試食メニューの長芋の塩焼きは大好評で、試食数を考えるとよく売れた。ところで、この門真市。京都市内の我家から、近くはないにしろ、さりとてそんなに遠い距離でない位置にあるのに、朝6時40分に家を出た(仕事開始は9時半)。理由は、現場の最寄駅からのバスの関係。過疎地でなくてもドライバー不足などの理由で全般にバスの便は減っており、こんなところにも世相が見える。では、なぜ、ドライバー不足なのか。これ、実は、私たちデモンストレーター不足とも多分に共通している面があるのね。次回で詳しく述べよう。写真は、当日の現場近くの写真。
2024.03.19
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あと10日くらいで67回目のバースデイを迎えるのだけれど、ぶっちゃけ、66歳になった昨年頃からとみに仕事に関する「気力」と「体力」のチグハグ感が増し、両方のバランスをとるのに苦しんだ1年間だった。「キモチはもっと仕事をしたいし、出来る自信もあるし、状況的にもその方がいい。ところが、いざ仕事現場に立ってみるとカラダがいうことをきかないから、日にちも含め、労働を縮小せざるをえない」。まあ、はたの方々は、「行かなくてはならないところがあるから○ケ防止にもなるよ。そう思うたら?」とか「幅広く人と会う業務は社会勉強も兼ねているよ。勉強させてもらってお金ももらえて、愚痴たれたらアカン」とか「定年もなく、心身の健康をキープしていれば、70歳を過ぎても80歳を過ぎても働ける。ええやん。頑張り」とか、いろいろとアドバイスを下さるんだが、うーん、残念ながら、我がシニアライフとしてのワークバランスが確立出来ているとは未だ言いがたい。ただ、これだけはわかっている。「今日は大阪府のA店、明日は奈良県のB店、明後日は滋賀県のC店に行ってね」と、仕事発注元に依頼と指示をされる、こんな駒みたいな日々をいつまでも送っていてはいけない。イスラエルの大物スパイだったウォルフガング・ロッツの職業体験記を読んでから、一段とそう感じるようになった。ちなみに、ロッツが著書に掲載していた「スパイ適正診断」を試してみたところ、私は「普通並みで、ほとんどの人がそう。身を入れて勤めれば、まずまずのスパイにはなれようぞ」なるオコタエ。これは、スパイ業務の実際の内容から推察して、資格や明確な専門性を要するのでなければ他の大半の仕事にも当たっているだろう。そう! 私は、平凡でどこにでもいる、だけど働き続ける必要があるおばちゃん。おばちゃんは、まだ当分のあいだ、試行錯誤しないといけないみたいだ。
2024.03.12
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プライバシーがあるから輪郭だけ書こう。親しくなった某店のパートさんに、こう打ち明けられたことがある。「何のかんの言っても大学は行くにこしたことはないね。だって、うちの会社(そのスーパーをチェーン展開している企業)も、大卒は最初は現場にいてもやがて本社や支社の管理部門に行くのに、高卒はずっと現場やもん。最高でも現場の偉いさん。つまり、退職金も含めて収入が違ってくる。同じような業界は他にも多いと思う。やから、私、子どもにはそんな思いをさせたくなくて(パートを)頑張ってんねん。大学の学費のため、稼がにゃ」。ふうむ、、、。現場体験が乏しい、でも学歴はある人が、まさしくカネを生み出しているはずの現場を仕切る。ここがオカシイのだが、この構造は土地の所有による上下関係が始まった頃から変わらないね、、、。現場の人に教育システムがもっとあるといいね。理論を知るといつもこなしている実務も違ってくるし。そして、学歴や性別には関係なく、管理職への道を開く。理論と実務。この2つが備われば、鬼に金棒。学歴「だけ」より、経験「だけ」より、ずっと強いでしょ。
2024.03.07
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確定申告を済ませた後に感じる、あの独特の解放感と高揚感といったらない。「終わった。終わったよ! まだ陽は明るいけれど、さあ、乾杯しようや」と、毎年、愛用酒器にいいちこ(これしか飲めない)とレモン水をたっぷりと入れ、好きな音楽をバックに昼酒としゃれ込む。ああ幸せだなあと、酒を流し込む喉を震わせながら、心より思う。これは、きっと、苦手なことを終えた後だからこそ味わえる感覚なのね。代金支払い書や領収書などをめくり、計算し、所定書類(企業でいうなら借貸対照表と損益計算書にあたいするのか)に書き込み続けていると、目がチカチカしてくる。当然ながら「じゃまくさい(面倒くさい)なあ」「やりたくないなあ」となり、そのうち、数字の「2」がアヒルの首に、「3」が耳たぶに、「8」が雪だるまに見えてきたりする。結局は私、事務は、工場のライン作業ほどではないけれど(あれは出来ない。絶対に出来ない。学生時代に印刷工場でアルバイトをして身にしみた)、苦手な部類に入るのだろうな。もっとも、大得意な人もいて、経理OLのベテランである友人の子どもさんは、親戚の店の会計面を年に何度か整理してあげ、もちろん確定申告書作成もヘルプ(ちなみに副業可の会社に勤めている)。店の経営者である親戚からは「帳簿をつけたりするの、じゃまくそうてかなんワ。でも、税理士に頼むと高くつくし、そもそも税理士を頼むほどの商売でもない。〇〇ちゃん(友人の子どもさんの名)がやってくれて、ホンマありがたい」と感謝され、相応の報酬ももらっている。特技と職業キャリアをいかした副業。いいね。
2024.03.07
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デモンストレーターになって2年目、すなわち「駆け出し」と呼ばれていた頃、主に大阪中部から北部のスーパーやデパートで広く見かけた、黒眼鏡の試食魔がいた。デモを実施していると、黒眼鏡をかけ、カートにヘルメットを乗せた30代から40代の中肉中背の男がいつのまにかスウッと寄ってきて、半端ない量の試食品をただガツガツと食べていくのだ。「少しココロをやられている。刺激せん方がエエよ」と店の人。なんでも、毎朝バイクで「出勤」し、行動可能な範囲内にあるスーパーやデパートの試食をすることを「仕事」としている人物なのだと言う。それでも、某大手メーカーの専属デモンストレーターだった同業のおばちゃん(当時50代後半か、せいぜい60代前半)が、ある時、男に尋ねた。「あんた、トシ、幾つや?」「42」食べながらボソリと答えた彼を「まだ若いがな! こんなことするトシかいな!」と、おばちゃんは一喝。説教モードに転じた。「ちゃんと仕事をし! 42やったら幾らでも(仕事は)ある」。あれから20年経った現在、あらためて感じるのだ。試食魔と販売員との、こういうやり取りは大阪ならでは、だとね。ちなみに、くだんの男は、そのおばちゃんに説教された後も数年間は相変わらずの試食魔として見かけたが、やがて姿が消えてしまった。亡くなったのか? いや、おばちゃんの説教に従って「ちゃんとした」仕事に就いたのか?
2024.03.04
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