素浪人ブログ

素浪人ブログ

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

無名4649

無名4649

カレンダー

バックナンバー

2024.11
2024.10
2024.09
2024.08
2024.07
2024.06
2024.05
2024.04
2024.03
2024.02
2011.08.24
XML
カテゴリ: 風の詩
島田紳助が引退した。
突然の引退と表現しなければいけないが、
ここ数年のテレビでの活躍を考えると、
夏の夜の花火のようで、
必然性を感じる引退発表でもあった。


紳介司会の影響力は大きかった。
特に「行列のできる法律相談」からは、
何人もの政治家が生まれた。
国会議員が生まれ、
そして、大阪知事も生まれた。



日本で島田紳介の影響力は大きい。
日本の次の総理大臣を決める、
民主党の代表選挙よりもはるかに、
影響力は大と言いたい。
自らも将来は政治家への野望もあっただろう。


島田紳介引退後の混乱は大きいだろう。
高視聴率の番組を幾つも持つ、
売れっ子司会者の引退は、
テレビ局にとっては、
大地震並みの大揺れとなる。


テレビ局にとっては突然の引退は大地震並みの混乱と、
要らぬ心配をする島田紳介の引退発表は、
「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」の、
23日夜緊急記者会見だ。
原因は、暴力団関係者との親密な関係だと言う。


23日付で芸能活動から引退の発表だ。
テレビ報道から見る会見の第一声は、
「島田紳助につきまして、本日かぎりで、
芸能活動から引退することになりましたので、
ここにご報告を申し上げます」


島田紳介は、殆ど居直り的に、引退理由を語った。
「芸能界を引退するから、守るべきものも何もない。
吉本興業に正直にしゃべりましたし、
記者会見でも正直にしゃべる」と、
最後の最後まで潔さをと人間としてを強調する。


黒い付き合いの始まりは、
「一番最初、10数年前、
僕的に、解決できない悩み、
トラブルがあり、芸能界を去ろうと決意した時期でした」、
そんな時期でしたという。


「その時に昔からの友人であるAさんから電話があった。
心配しての電話だが、彼とは、
数年に1回、会うような付き合いであった」という。
そして、「僕が非常に悩んでいるという話を聞いて、
Aさんが自宅に電話してくれました」と続く。


紳介の悩みをそれほど親しくも無いAに話した。
そして、惚れ程親しくもないAが、
「やくざのBさんにその話をして、すべてクリアにした」から、
「僕は人として恩を感じました」となり、
その恩義の為に、有耶無耶な関係が続いていたという。


人間としての人としての全うな道である恩義がある限り、
その付き合いは人間としての当然のものである。
それでも、Bさんは、
「お前は芸能界の人間。私はやくざ組織の人間」と、
紳介との付き合いを拒んだ。


「会うことはいけないし、
会うと、君にはマイナスだと、だから君は今後、
テレビの世界で頑張ることが、
一番の恩返しになるんだから、会わずに頑張ってくれ」と、
義理の人情の裏表が交差する人間性にとんだ言葉である。



「組織の方、関係なく、人間として、正直、ありがたい言葉だと思いました」
と紳介は思い、
「会うとマイナスになるから、心と心でつながっていればいいんだ」とやくざのBは言った。
そして、「人とはそういうもんだ」と言われ、
紳介は、「本当に感謝した言葉でした」と人間として恩義を感じる。


しかし、そんな恩義を感じながらも、
「その方と直接メールすることもなかった」という。
「僕は人としてやっぱり、ありがたいなという気持ちを、
ずっと持ち続けていましたし、感謝の気持ちがありました」と、
紳介は人間としての恩義をアダにはしなかった。



「芸能界で頑張ってこれたのも、あん時、辞めなかったからだ」と、
思っていた。そして、毎年、
「ことしも1年無事終わりました。本当に心から感謝してます。
くれぐれもよろしくお伝えくださいと、
Aさんにメールして伝言をお願いした」と恩義を忘れない人間を強調する。


「直接付き合ってはいけないから、
電話することもなく、Aさんを通じて伝言をしていた」と続け、
「10数年間のお付き合いで、あったのは4、5回だと思います」と、
やくざBとの付き合いを説明する。
「最後に会ったのは4年半前。バーのオープン」と続く。



「会員制で入れなかったので、わたしの名前を出された」時で、
「お祝いで、いいお酒を飲まれ、多めにお金を置いていかれた」と、
やくざBの人柄を説明する。
そして、「6年前のトラブルの自宅謹慎」時には、
「Aさんと、Aさんを通してBさんからも励ましの電話をいただいた」と。


その返事に、「Aさんに、ありがとうございますと、
お2人がついてくれてるから、僕は心強いですとメール」だ。
そんな関係だから、
「僕の中では、悪いことをしてるとか、
これはいけないんだという意識はなかった」


「芸能界のルールとして問題ない、違反じゃないという認識だった。
芸能界のモラルとして、やってはいけないことと言われ、
自分の認識の甘さを知った」と言い、
「吉本興業で後輩が700人ぐらいいます。
僕がいい加減な処分を申し出たりすると、示しがつきません」と言う。




「僕は若いやつに厳しいことを言っている。
一番厳しい処分である引退をすれば、
若い人たちもそういう過ちを犯さないんじゃないかと思い引退する。
「島田紳助の最後、切腹のかいしゃくをしていただきまして、
本当ありがとうございました。悔いありません」と締めくくる。










お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2011.08.24 09:49:41
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: