幸せが届きますように。
人は曖昧さの日々を送り妥協と後悔に心を奪われ。
糧の手段が自分の領域を狭めます。
心の意味を解く。
日々の暮らしに意味を溶かします。
人間が一度は経験する死の足掻(あが)きは、二度目はない。
生き物は二度死ぬこともない。
すべては一度限りの時が流れます。
生きる、と云う意味を理解すれば、その時合いをもっと有意義に過ごせる筈。
けれど時間を無意味な事に費やす場合が多いのは何故だろうか。
憂いかな。
人は弱きもの。
その瞬間その時を逃げることは容易いでもあり、行動を起こし現実を直視し今を生きることは未来につながります。
しかし、人はその瞬間その時を軽視して過ぎ去りし時を惜しむ。
後悔すれど時は戻らず。死して屍を横たえるのみ。
生きものすべて老いてゆく、そこから逃げる事は出来ない。
太陽が西から昇ることは決してない。
時間との駆け引きは無意味と判るはず。
けれど、それを繰り返し試みるのも生きるものの定めかも。
時間は、止まりはしない。
遅くもなく、早くもならない。
そして、いつもの時間が過ぎてゆく。
愛がそこにある。
可憐に咲いた花がいつまでも咲き続けてほしいと願って、その姿を記憶に残します。
旅の途中下車より愛を込めて。
願いを託し言葉の便りをしたためます。
時は緩やかに。
始まりは、いつも静かに事が進み。
結果が生まれ、また新しいはじまりが花開く。
時間はいつも同じ時を刻みつつ過ぎて行く。
いつもと変わらぬ時間の流れでも思考の内部(なか)では、今という過ぎた時の流れとは別の思考が生み出され、その派生は過ぎ去った時の流れとは異なる空間を誕生させる。
その派生の時差は自然の思考へと導かれ。
過去、現在、未来の、そのすべての時間の融合する偽りの無い思考へと。
有限なる添加物は一切必要ない。
祖から新たなる思考の芽が誕生し、穏やかな流れとなって時代の変化を創り出す糧になれば、種の誕生は無意味ではなくなる。
たとえ限りなく小さな思考の芽でも、生きた証し栄えず途絶えようとも、その空間に存在した証は残され旅人の心に宿り記憶が受け継がれるものなり。
過去と未来を生きることは、即ち、今を生きること。
素敵な人へ。
今を生きてください。
その瞬間が生きている証なのですから。
心、穏やかに。
身体を素直にいたわって、今を生きてください。
好きな、素敵な鼻歌を口ずさみながら今日を生きてください。
どんな辛い時でも、今の時間が現実の瞬間だから逃げないで強く生きてください。
どんな時でも、あなたは素敵です。
そう自分自身に語り、気持ちの移り変わりを心の花として、心の季節として折々の変化を楽しんでいけたらいい。
すべての物語は、あなたの生きる道筋(過程)なのだから、出逢う出来事の瞬間を大事にしてください。
時を育て、自分を愛して生きてください。
そして、素敵な日々を過ごされることを祈ります。
愛をこめて。