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血液型でその気質を見る「血液型占い」が最初に流行したのはいつだったか?考案者の能見正比古先生に、私が初めて取材させていただいたのは、講談社の「月刊ミミ」誌で、まだ20代だったように記憶する。氏は開口一番「貴女は何型?」と聞き、私が「ABです」と答えると、嬉しそうに「おっ、よかった。色々聞かせてほしい」とおっしゃった。日本人は大まかにいってA型40%、O型30%、B型20%、AB型10%、で、つまりAB型は少ないため、データが他の型より取りにくいのだそうだ。能見先生の経歴は、1925年生まれで東大工学部卒。その後に法学部へも通うが中退。以降は放送作家などを経て、血液型と気質の研究を始めたとのこと。データをたくさん集め、統計学として確立させたのだ。血液型占いはたった4つの分類でしかないので、信じない人も多いと聞く。でも私は、けっこう当たっていると思う。なぜなら、私が高校生時代以降に付きあった10人ほどの彼は、ほぼほぼB型。Oが少しだけいて、AやABは皆無。そして同性の友人やプライベートでも付き合う先輩はといえば、これもまた、ほぼほぼB型。こちらにはO型やA型もいるにはいるが、それぞれ2~3人でしかない。B型は大雑把(ガサツとも…)で好きではないという人もいるが、これは違う。B型ほど裏表の少ない人物は珍しい(少なくとも私の周りでは)。本音で付き合えるため、気を遣わなくてもすむ。どこかへ一緒に出掛けても「私は右に行きたいなあ」と言えば、相手も「私は左に興味があるから、じゃあ一旦ここで別れて1時間後に落ちあおう」と速攻で決まる。もちろん細やかな神経の持ち主であるA型にはその良さがあり、親分肌のOにももちろんある。ABに関しては、自分がそうなので、観察しずらい。日によってA寄りだったりB寄りだったりもするし、不安定なのは能見先生も指摘している。能見先生が56歳で講演中に倒れて逝去された後は、息子の俊賢さんを取材させていただいたが、wikiで検索したところ、息子さんも2006年に、57歳で脳出血のために急逝されたとあった。それでも、今も血液型占いや、西洋占星術と血液型を組み合わせた48通りの占いがあったりする。当るとか、当たらないとかは個人の経験値による判断で決めるしかないが、「血液型占い」という、この統計学は私にはうなづけることも多く、私には興味深い。
2023年04月20日
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20代の終わりから30代にかけて、頻繁に会っていた大友裕子ちゃん。1978年のヤマハのポプコン(ポピュラーソングコンテスト)に、自作の曲「傷心」で出場。優秀曲賞を受賞し、同年の「世界歌謡祭」で最優秀歌唱賞を獲得。レコードデビューとなった。 初めてこの「傷心」を聴いた時、強い衝撃があった。好みの歌い手が出てきた、と感じた。♪・・・何もしてやれなかった だけど あなたとなら 死んでもいいと思った♪…小さい体から絞り出すようにシャウトする。魂が震えるような歌い方だった。「貴女を応援している」と伝えたくて、取材で会ったりコンサートに行った際、私は毎回、彼女に小さな生花のブーケを贈った。 後から聞いた話だが、数多く貰う華やかな花々の中、私が持参した彼女をイメージした紫色や緑色、白を基調とした寒色系の花束は、常に一番のお気に入りだったそうだ。いつからだろう。きっかけはこの花束だったのだろうか。彼女は私の渋谷のマンションによく遊びに来てくれるようになった。料理を作ることにあまり関心がないという彼女は、私が作る食事を喜んで食べてくれた。彼女の住むマンションにも訪ねて、遅くまで話し込んだ。一緒に青山の、当時シンガーソングライター行きつけのおしゃれなバー&レストランに通ったり、前出した渋谷の「いぬまんま・ねこまんま」を出す店にも行ったりした。私のマンションでは、色々なレコードを聴き、話を弾ませた。彼女は私の猫たちをかわいがったし、懐かれてもいた。互いに恋人ができたら紹介しあったし、彼女の結婚や出産時にも、お祝いに駆け付けた。会えなくなったのは、何歳の時だったか…。事情は書けないが、彼女は故郷の宮城県へ移った。私も当時は喘息で緊急搬送されることも多く、そのまま疎遠になってしまった。wikiにある範囲で書くと、彼女は1959年6月25日生まれ。宮城県岩沼市出身。東北学院大1年の時に、ポプコンに出場。ちなみに血液型はB。気を遣うことなく、何時間でも同じ空間に一緒にいられる人だった。会いたいな。今、そう思う。ネットで検索しても、彼女の「今」は見つからない。・・・会いたいな。何かの縁で繋がらないかな。会いたい。
2023年04月24日
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画面を見るのがしんどいのですが、少しずつ書いて保存し、アップしていきます。あと半年も続くのだもの。 この状態に慣れないとね(;^ω^)先日、朝の6時過ぎにゴミ出しに出た時のこと。(ちなみに、うちのマンションは24時間いつでもゴミを出せるようになっている)マンションのスロープをゴミ置き場まで下っていたら、傍の側溝で一羽のカラスが何かをつついていた。「カラスさん、おはよ。離れて歩くから通らせてね」と声に出して言い、歩いていったら…突然、後頭部にバサッ!っと衝撃が走ったΣ(・ω・ノ)ノ!「えっ?」と顔を上げると、頭を越してカラスが大きく羽ばたき、通りの向こうに飛んでいく‥。蹴られたんだ。 初めてのことに唖然( ゚Д゚)巣作りの時季だと知っているから刺激しないようにしたつもりなのに、話しかけたのがダメだったの?それとも言葉が解らないカラスさんだった?渋谷のマンションに住んでいた20代の時、屋上でカラスに餌をあげていた。4階建てマンションで、1階はローソン、2階から4階までが住居、各5世帯。3階だけ大家さんが2部屋分を使って住んでいたので計14世帯。ある時、屋上で出会ったのは、羽根がタレていて、あまり上手に飛べないカラスさん。「ダレハネちゃん」と名づけ、大家さんにも断って、時々、牛脂などの余り物を与えていたのだが、カラスは頭がいいというのは本当で、言葉をちゃんと理解するようだった。「明日は夕方じゃなくてお昼頃にあげるからね」と言えば、正午前に待っていた。前のお宅に救急車が停まった日は、ダレハネちゃんにこう伝えた。「おじいちゃんが運ばれたの。カラスさんが家の上を飛ぶと縁起が悪いって言うから、今日は違うルートで帰ってね」。ダレハネちゃんは、前の家の上は飛ばず、後ろの方向に去って行ったっけ。ダレハネちゃんのことがあったから、うちのマンションで出会ったカラスさんにも話しかけたのにな。却って怖がらせたのかな?蹴られた後頭部は、怪我はなく、痛みもほぼほぼなかった。加減してくれたのかなぁ? まさかね。脚が悪くて、その上、眼帯までしている私に少しは手加減してくれたのだろうか?ま、いい方に考えよう💦💦
2026年04月24日
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