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いよいよセンター試験です。みんな落ち着いてしっかり実力を出し切ってください。最後まであきらめず、集中力を保って受けてください。適度な緊張は、いい結果をもたらします。緊張している自分が感じられたら、それは、幸先がいいのです。ベストの成果が出ることを、祈ります。
2007年01月19日
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最近テレビとある雑誌で目にしたのがゴア氏と彼の映画についてでした 。ネットで検索したら次の記事がありましたので、ご紹介します。クリントン政権下で副大統領を務め、2000年の大統領選挙で現在の米大統領であるブッシュ氏に破れたアル・ゴア氏。彼は全米規模のコンピュータネットワークを構築するという情報スーパーハイウェイ構想を提唱した人物として知られる。現在でもAppleの取締役やGoogleのシニアアドバイザーを務めるなど、テクノロジー業界に縁の深い人物だ。 そのゴア氏が今、心血を注ぐのが地球温暖化問題だ。彼の講演をまとめた映画「不都合な真実」が米国で公開され、大きな話題を呼んでいる。ロサンゼルス映画批評家協会賞の最優秀ドキュメンタリー/ノン・フィクション映画賞をはじめとして多くの賞を受賞しており、1月20日からは日本でも公開される。 この映画の公開に先立ち、1月15日、東京都内の映画館でプレミアム試写会が開かれ、ゴア氏がこの映画や地球温暖化問題に寄せる熱い思いを語った。 ゴア氏は「日本語の危機という字は、機会という意味も含まれている。この映画が温暖化問題を考える機会になってほしい」と呼びかけた ゴア氏は地球温暖化問題を「人類史上最大の危機」と指摘する。気温の上昇によって海面が上昇して陸地が減少するほか、気温の変化によって生態系が変わり、植物や動物が絶滅する恐れがある。温暖化は着実に進行しており、止まる気配はない。 地球の平均気温は20世紀の間に約0.6度上がったと言われており、このまま行けば2100年にはさらに1.4~5.8度上昇するという予測もある。「たいしたことないと思うかもしれないが、これが自分の子どもだったらどうだろう。体温が36度の平熱から5度上昇して41度になったとしたらかなり重大な問題だ」(ゴア氏)。もし自分の子どもが熱を出せば、ただちに病院に行って医者のアドバイスに従うだろう。同じように、温暖化の問題には、警鐘を鳴らす科学者たちの声に耳を傾けるべきだとゴア氏は訴える。 ゴア氏は1960年代後半から温暖化問題に取り組んでおり、1997年に採択された京都議定書の交渉にも尽力した。米国では連邦議会が議定書の批准を渋り、ブッシュ政権になってからは議定書からの離脱を正式に表明している。この点についてゴア氏は「本来なら米国がリーダーシップを発揮すべき分野だ」として現政権を批判。同時に、この会議で議長国を務めた日本には、引き続き温暖化問題でリーダーシップを発揮して欲しいと期待を寄せた。 地球の温暖化は進んでいるが、ゴア氏は「いろいろな解決策が出てきており、時間もまだ残されている」と語る。二酸化炭素の排出量を減らすような技術も登場しており、足りないのは「行動する意志」(ゴア氏)というわけだ。不都合な真実のウェブサイトには、誰でもできる取り組みとして「白熱電球を電球型蛍光灯に交換する」などの方法が挙げられている。 映画を通じて温暖化の問題を世界中に訴え、1人1人がこの問題を解決するための一員になって欲しいと語るゴア氏だが、再び政治の世界に戻るつもりはないのだろうか。ゴア氏に聞くと、このような答えが返ってきた。「再び立候補するつもりはありません。この温暖化問題がいかに切迫したものであるかを世の中に伝え、解決に結びつけるための活動で手一杯ですから」温暖化のもたらす影響についてはさまざ論じられて来ていますが、間違いなく「人類史上最大の危機」になりそうです。一人一人が今一度この問題に関心をもち行動を起こすときが来ていると思います。
2007年01月17日
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きのうの夜、NHKアーカイブスという番組で、1965年放送の歌番組を見ました。初代ジャニーズの4人が出ていました(あおい輝彦・真家ひろみ ・飯野おさみ ・中谷良)。あおい輝彦氏はその後、ソロでヒット曲を出したり、水戸黄門で助さん役をしたりで活躍しました。当然4人とも若いし、ベンチャーズの曲やダイエット前の広田三枝子さんの歌もやっていました。私の小学生の頃ですから、40年ほど前ですね。その後80年代に放送された作曲家中山晋平氏の業績についての番組がありました。今の子供たちはその名前を知らないと思います。でも、次のような曲をつくった人といえば、だれでもああそうかと思うはずです。しゃぼん玉(大正9年) てるてる坊主(大正10年) 黄金虫(大正12年) 砂山(大正12年) 兎のダンス(大正13年) 証城寺の狸囃子(大正13年) 雨降りお月さん(大正14年) あの町この町(大正14年) あめふり(大正14年)幼い頃、貧しく、島村抱月氏の書生となって東京芸大ピアノ科を卒業。島村氏の依頼によってつくったカチューシャの歌でデビュー。ゴンドラの歌も有名です。東京音頭や東京行進曲も中山氏の作曲。上記のように童謡もたくさん作っています。 戦後は作曲することもなく、たまたま入った映画館で、黒沢明監督の「生きる」を見て、その中で名優志村喬氏演じる定年公務員が歌うゴンドラの歌を耳にしたそうです。その翌日病床に付し、1、2ヶ月後に亡くなったとのこと。島村抱月と松井須磨子、そして黒沢明、日本の歴史に残る人々のえにしについても考えさせられました。
2007年01月15日
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