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思考を落とそうと試みている場面では、生き方は問題にならない。なぜなら、そもそも生き方がどうの、というような思考を含めて、思考を落とそうと試みているのだから。だから、問題となるのは、思考を伴って生きている場面になるのだが、そのときには、「有限の身心における各自の自由の個別の様式(とでも言うようなもの)を尊重する生き方」とでも言うしかないような生き方に向かう。たとえばぼくの場合だと、このようなものを書いているような生き方に向かう。
2013年05月31日
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「水上考古学者って感じ、だって?」「いやまあ…」「しかしまあ、よくもまあ、こんなでたらめ…」「しかしまあ、作り話で遊んでるわけで…」「まともなだけではうまくゆかないのでしょうか?」「それではうまくゆかず…なので、たぶん、ひとは、とにかく良いものであろうと悪いものであろうと、自身の本性の固有の特定の傾向を尊重してしまうのでは…」(水上考古学者には見えません)(そうかなあ?)『とにかく良いものであろうと悪いものであろうと、自分の本性の固有の性質を知ること、境遇に流されずにできるだけ自己を保持すること、あるいは、この自分の本性の特質にとって有益な環境に身をおこうと努力すること、これは人間の義務なのです。』(ヘルダーリン全集4:p175:ヘルダーリン(著):浅井真男 (訳):河出書房新社)より引用
2013年05月30日
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「水上考古学はどうかな?」「どういうこと?」「水中考古学が海の中の考古学なら、水上考古学は海の上の考古学かな?」「海の上?」「誰、このひと?」「知らないけど、でも、なんとなく、水上考古学者って感じ、しません?」
2013年05月29日
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微生物たちがいかに微細な行為に満ちていようと、それだけのことだ。もちろん、それは奇跡だけれども、けれどもなお、それだけのことだ。同様に、私という人間、人間たちがいかに微妙な行為に満たされていようと、それだけのことだ。もちろん、それは奇跡だけれども、けれどもなお、それだけのことだ。
2013年05月29日
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「どうして食べ物の話なんかしてるのかしら?」「べつに食べ物でなくていいけど」「たとえば?」「魚の話から食べ物の話につながってきたのだったような…」「だから?」「水中考古学はどうだろう?」「いったい何それ?」「いや、じつは僕もまだ知らない。さっき気づいたばかりなんだ」水中考古学という言葉にひかれたのと、300円だったので、つい、さっき、購入しました。いまから聞いてみます。水中考古学(クリックしてね)
2013年05月26日
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なんと、このような題名なのに、菊池寛賞を受賞しています。(あとから気づいたのですが、この本に対してだけの賞ではなく、近藤誠さんの活動全般に対しての菊池寛賞みたいです…)本の最後に、死が近づいたときの、近藤誠さん自身の希望が書かれていますが、死にかけの状況で、苦痛を取りのぞく以外、まわりの人に助けてもらわない(?)状況にもってゆくのは、そうかんたんではなさそう…■(医者に殺されない47の心得:近藤誠(著):Kindle版(いまのところ1100円):位置No.1841〜No.1850あたり)より引用(のようなもの)『自力で飲んだり食べたりできないなら、無理に、口に入れないでください。 苦痛を取りのぞくための、モルヒネなどの使用のほか、点滴も栄養チューブも何もしないでください』位置No.(紙の本での「ページ」にあたります)というのが文字の大きさや行間や余白の設定によって微妙に変わるので、「位置No.1841〜No.1850あたり」です。
2013年05月26日
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「カレーやきそばじゃなく、もう少し工夫が欲しいんだ」「じゃあ、ポン酢やきそばにしよう」トウフタマゴオリーブオイルアラビキクロコショウユズポンヤキソバ「味はどう?」「個人的には好きだけど、おいしい、という表現をしていいのかどうか…野菜を入れるべきだったね」
2013年05月23日
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自分自身を含む人間(言葉)を背景と見なせば、現実においては、人間(言葉)という背景を含む現象が、この身心にひたすら起こってゆく。
2013年05月23日
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(英知へのターニングポイント:Kindle版:位置No.1074〜No.1082あたり:J.クリシュナムルティ(著):渡辺充/大野純一(訳))より引用 『私たちは自分自身から自由ではありません。 私たちは、はなはだしく利己的です。自分自身にこだわり、自分自身の問題、自分自身の苦悶、自分自身の悲しみ、自分自身の孤独にこだわっているのです。 その孤独から、私たちは何かに、信念や観念に、とりわけ他の誰かにすがりつくのです。 そしてその依存から、心理的な腐敗がはじまるのです』■ 位置No.(紙の本での「ページ」にあたります)というのが文字の大きさや行間や余白の設定によって微妙に変わるので、「位置No.1074〜No.1082あたり」です。
2013年05月22日
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(生と覚醒(めざめ)のコメンタリー2:p156:クリシュナムルティ:大野純一(訳):春秋社)より引用 『目的より手段の方が、限りなく問題なのではないだろうか? 目的は〈あるかもしれない〉が、しかし手段は〈現にある〉。』■「手段」という言い方だと、ちょっと捉えにくいのではなかろうか?現にある状況/状態、とどのように関わるか、が重要である。「現にある状況、現にある状態、といかに関わって行為していくか」という問題は、つねに現にある。
2013年05月21日
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「そうは言っても食べるんでしょう?」「豆腐ニンジンダイコンシイタケボンカレーやきそば」「え?」豆腐と人参と大根と椎茸を炒めてやきそばも入れて炒めてボンカレーを振りかける
2013年05月19日
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重苦しい気配が漂っているのが嫌、というのなら、体を動かすか、体がしんどいなら、できるだけすみやかに横たわってしまい、眠ってしまうか、眠くはないなら、身心から言葉を抜こうと試みる。そのようにして、あるていど納得のいく状態にもっていって、新しく起きあがる。
2013年05月18日
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「魚が好きですか?」「わかりません」「食べ物が好きですか?」「あ、いや、そういうことではないでしょう」食べる、ということだけでも、考えるなら、気が変になりそうです。
2013年05月17日
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(生と覚醒(めざめ)のコメンタリー(第3巻):p170:クリシュナムルティ(著):春秋社)より引用(のようなもの)『このままでいたいという衝動があり、また、このままでいたくないという衝動がある。これら2つの衝動がいかに別の衝動であるかのように見えても、それらは根本的には同様なのではなかろうか? このままでいたいという願いにせよ、このままでいたくないという願いにせよ、苦痛をもたらす。 こうした発言は矛盾にすぎないと思われるかもしれないが、どうだろう、こうした事実に気づいているいま、あなたはどちらの側にいるのでもなく、解放されていると実感するのではなかろうか?』
2013年05月17日
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(クリシュナムルティの日記:J・クリシュナムルティ(著):p141/p142:めるくまーる)より引用(のようなもの)『思考は人生に意味を与えることができる。 事実与えている。 めいめいが自分の意味を発明するが、それらは単に意見や確信にすぎないもので、どこまでいってもきりがない。 そこで、表現者であるあなたたちは、意見や確信から離れて表現することもできる、と言うかもしれないが、そもそも表現する必要があるだろうか? どんなに美しく心に響くにせよ、手や精神によって生産されたものが人間の追求するものなのか? そうではなく、こうした虚偽に身心が気づきつつ生き生きと生きている状態が、色彩であり美である。 それ以外は不必要だ』■クリシュナムルティは、「いわゆる芸術」を否定しているわけではなく、「いわゆる芸術」は無くてもかまわない、と言ってるだけで、自身も、「いわゆる芸術」を楽しんでいた。「いわゆる芸術」は無くてもかまわない。「いわゆる芸術」は必要ではない。生きることそのものを芸術にする試み…
2013年05月15日
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目を閉じて横たわり、身心から言葉・映像・音楽を抜こうと試みていると、何年もやっているうち、しだいに上手になってきて、しっかり抜けなくたってうまく機能して、数分ほどで不思議な別の場所(同じ場所だけど、にもかかわらず、あきらかに別の場所とわかる)へ移動させてくれる。
2013年05月14日
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静かな不思議な感じを感じている状態を持続させる方法としての、適度な食事・運動・睡眠、及び、身心に言葉・映像・音楽を流さないよう試みる時間をそれなりに持つこと。
2013年05月13日
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魚を見ている魚に見られている死んだ魚に見られている死んだ魚を食べる
2013年05月12日
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知らなかったから、とても驚いた。欧米と日本の婚外子割合(クリックしてね)
2013年05月11日
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(生と覚醒(めざめ)のコメンタリー(第3巻):p159:クリシュナムルティ(著):大野純一(訳):春秋社)より引用『あなたがあなた自身を他人と比較するとき、それはあなたがしていることを正当化、または非難するためであり、そしてそのときには、あなたは少しも考えてはおられない』■自分がしていることを正当化したり非難したりする方法として、「自分を他人と比較する」とも言える。自分がしていることを何かと比較せずに捉えようとする、困難な試み。
2013年05月11日
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生きておれば、ときに異界と交錯する、というのではない。ここでは、異様なことしか起こっていない。ここが異界である。
2013年05月11日
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「魚、見る?」何、見落としてるんだろう?左、見て右、見て上下背後は見て見ぬふり魚なんて見えやしないいや、見落としているのかもしれない
2013年05月08日
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食べて寝て散歩して、生命維持してあとは、どういうわけか生きているある人に、どういうわけか生きているあるとき、縁あって出現した状況において、どうしたことか、ある人の行為が起こっている。おそろしく単純で複雑なゲームとしての人生
2013年05月07日
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「山道を登るの?」「やめてもいいけど」「ひとりで行ってきたら?」「もう行ってきた。今度は道案内なんだ」「しかたないわね」「もう着いたの?」「そのようだね」「ここに来る途中の坂はどこへ行ったの?」「どうやら見落としたらしい」多くの場合、見えている物事を見落としながら暮らしている。
2013年05月05日
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(英知へのターニングポイント:Kindleにて購入できます(いまのところKindle版は1524円です):Kindleの位置No.886〜No.891あたり:J.クリシュナムルティ(著):渡辺充/大野純一(訳))より引用 『合理的思考、合理的観察はなお思考の一部なので、限界があるということを認めつつ、論理的で、合理的な思考力を使うようにしてください。 そして自分の思考が限界に来ていることに気づいたら、もはやそれ以上思考を推し進めないようにしてください。 なぜなら、それ以上どんなに遠くまで進んでも、それは依然として限られているからです。』 (位置No.というのが文字の大きさや行間や余白の設定によって微妙に変わるので、「位置No.886〜No.891あたり」です)■ううむ、これは、道元さんがおっしゃってる(たぶん)、 『思考を重ねて学び、あるいは思考を離れて学びなさい。 世間的な思考を離れた思考によって学びなさい。』とほとんど同じではなかろうか。
2013年05月04日
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「ここはどこですか?」「それは、あなたが誰に聞くかによるだろう」「ここはどこですか?」「それは、あなたが誰なのかによるだろう」「ここはどこですか?」「それは、あなたが誰だと見なされるかによるだろう」「ここはどこですか?」「いったい誰に聞いてるんだ?」
2013年05月03日
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「あれです」「え?」「あれが魚見台です」「ということは?」「そうです、登るのです」
2013年05月03日
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散歩して食べて寝て、それから、何をしたってムダと感じるときには思考を落とす試みをし、何をしたってそれでいいと感じるときには何かをする、と思うのだけれど、そもそも、どういうときに何をしてもムダと感じるかというと、ねむい、しんどい、気が重い、情報の入れ過ぎ、とかなので、解除するには、とりあえず横たわって思考を落とす試みをする。ねてしまったってかまわない、起きてするべきことなんて何もないと納得すれば、逆さまになって、、てっなにまさ逆、だうそああああそうだ、あれをしたいから、起きている…起きよう
2013年05月01日
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