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身心までの距離は遠い身心の端に到達することのないまま身心は触れられなくなってゆく驚いてふりむく位置は消えている
2013年06月30日
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起こるか起こらないかわからないことについて、起こったらいやだと考えてしまうようなら、いやなことを起こりにくくする方法があるかどうか考えてみて、可能な方法があれば対策すればいいし、なさそうなら、「考えてもしかたないという感覚」としての理解を身心に送りこんで、終わりにする。「考えてもしかたのないことは考えてもしかたない」と考えてるのは頭自身なので、頭は深いところで「考えてもしかたないことを考えない」ことができない。とりあえず理屈を並べて、あとは「考えてもしかたがない」という事実を、感覚的に身心に送りこむ。まあ、こんなふうに複雑に考えるときでも、ふだんから、「思考を落とそうと試みる」ための時間をある程度持っていると、うまくいきやすいような気がする。
2013年06月29日
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「じゃあ、建物ナンバー7番で待ってるわ」「あ、でも、来週は雨かもしれないし、野外博物館だと、雨が降ってたらなんとなく…」「じゃあ、喫茶店にしましょう」「え?」「待ち合わせって、わりと喫茶店でしそうじゃない?」「そうかなあ…」「ロバーツコーヒー」「え?」「喫茶店の名前よ」「喫茶店だなんて、そんなの、かのアアルトに模範的建築物と言わしめた建物ナンバー7番と比べて、じつにつまらない」(そもそも、旅行先をフィンランドにしたのは、アアルトの建築物を見たくて、なのです)「何言ってるの? ロバーツコーヒーカンピ店なら、喫茶店が入ってる建物そのものがアアルト設計なのよ」
2013年06月28日
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(大乗仏典1:善勇猛般若経:p157:戸崎宏正(訳):中公文庫)より引用『自分自身が声を出すとき、その声を聞く。 それと同様に、知恵の完成について説明された語句を聞くことはある。しかし、何かある存在の説示を聞きえているのではない。 ただ、説明されると、すぐそれとわかり、そして耳に達するばあいは別である』■「耳に達する」というのは、頭で理解するだけでなく、耳で理解する、身心が腑に落ちる、ということだろう。
2013年06月28日
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(自由への道:クリシュナムーテイ(著):p50:霞ヶ関書房)より引用(のようなもの)『暴力とは何かを傷つけ殺害することだけではありません。 暴力とは、自己を歪めて何かと同一化すること、 暴力とは、社会的道徳を模倣すること、 暴力とは、自己流の道徳性に従うこと、 を意味します。 統制と抑圧の形式は、それがどんなものであれ、歪みであり、暴力的なのです。
2013年06月28日
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「待ち合わせ場所は?」「どこがいい?」「ヘルシンキ大学図書館はどう?」「本はいや」「じゃあ、セウラサーリ野外博物館に展示された87個の建物のうち、建物番号7番の農家にしよう」
2013年06月25日
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(いかにして神と出会うか:p120/p121:クリシュナムルティ(著):めるくまーる)より引用(のようなもの)『自分が鈍くて愚かであると頭で知るだけでは役に立たない。 人生を豊かにするため、自分の鈍さ・愚かさの感覚を注意深く自覚する必要がある。 私の愚かさを感じるためには、大きな活力を必要とする』
2013年06月23日
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飛行機からシベリアが見えるはずのとき、寝てたり、ほかのことをしてて見すごす、といったことなど、ぜったいにない、と思いこんでいるけど、そのときになってみないとわからない。それにひきかえ、ヘルシンキの地下のスーパーマーケットにはきっと行くから、行く前に撮ったスーパーの「写真の写真」と、(どうやらキャンディー売り場らしい)いずれじっさい行って撮るスーパーの現実の写真(できれば同じような位置から同じような角度で撮りたいものだ)を、いずれ並べよう。しかしな、これでは[おはなし]ではなく、ただの現実の話をしているだけだ。「だいじょうぶよ」「え?」「現実にはいないわたしが[おはなしのヘルシンキ]で待っててあげるから、ただの現実話にはならないわ」「本当に?」「もちろん」「待ち合わせ場所は?」
2013年06月21日
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(クリシュナムルティの日記:J・クリシュナムルティ(著):p167~p169:めるくまーる)より引用(のようなもの)『すべてのうちに神秘がある。 神秘は膨張する。 寺院や教会は神秘をくもらせる。 精神の深層に隠されている神話たちは、なんら神秘ではない。それらはロマンチックなだけで、伝統的であり条件づけられている。 精神の秘められた奥底で、真実は、象徴や言葉やイメージによって脇へ押しやられてしまっている。 象徴や言葉やイメージのなかには神秘はない。象徴や言葉やイメージは、思考がこねくり回して造りだしたものにすぎないからだ。 知識や行動のなかには、驚き、味わい、楽しみ、といったものがある。つかのまの快楽がある。 しかし、神秘はまったく異なったものだ。 神秘と交感するには、象徴や言葉やイメージから離れた、目覚めが必要だ。』
2013年06月20日
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「思考を落とそうと試みる」ときには、そのときの状況に合わせた姿勢で、身心に言葉・映像・音楽を流さないよう試みる。目をあけているなら、映像をイメージせず、見えている物をきちんと(言葉抜きで)見、聞こえている音をきちんと(言葉抜きで)聞く。ここまでは、いい。問題は、何をするかが決まっている(決められている)状況なら、あとは、行為に気づいていることが大切、ということになるのだけれど、何をするか決められている状況たちに挟まれて、何をするか決められていない状況たちが、たくさんいる。もちろん、何をするか決められていないならすべからく「思考を落とそうと試みればいい」といった方法もあるのだが、「したいと(したほうがいいと)思いこんでいること」がたくさんあるので、そううまくはゆかない。「したいと(したほうがいいと)思いこんでいること」のほとんどはじつはしなくてもいいことなんだと感じれるようになれば、状況は変化するのだろうけれど…
2013年06月18日
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フィンランドのセウラサーリ島への木の長い橋を渡るには、まずは、飛行機へ乗ることになる。雲が少なければ、地面や海面が遠くにひろがって、見えるだろう。
2013年06月16日
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(生と覚醒(めざめ)のコメンタリー(第3巻):p208:クリシュナムルティ(著):春秋社)より引用(のようなもの)『思考が育てているのは、たえず判断し非難し比較している意識的または無意識的検閲者である。 自己の種々の思考たちとつねに葛藤し、つねにそれらを導こうと努力しているのは、じつに、思考が育てている、この思考の監督者なのである』■思考の監督者は思考無しでは存在できないので、思考の監督者からしばらく離れるには、思考からしばらく離れようと試みるしかないだろう。
2013年06月16日
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7月の旅行目的を、『セウラサーリ島への長い木の橋を渡る』にしよう。今回は、前もって橋の写真をしらべたりせず、行こう。
2013年06月15日
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(クリシュナムルティの日記:J・クリシュナムルティ(著):p166:めるくまーる)より引用(のようなもの)『わたしは相互に関連し合う情報網を大きく張りめぐらしているが、逆にその網に捕らわれている。 自己という骸骨の虚ろなところに、知識やイメージやくだらない活動性などを詰めこみ、あたかも骸骨が生きているかのように見せかける』
2013年06月15日
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「旅の何にときめくの?」行ってみないとわからない、ので、とりあえず、ネットで旅先の地下のスーパーマーケットの営業時間をしらべ、乗り物の路線図をしらべ、市バスに乗って(AからBへ)終点で下車し、長い木造の橋をわたると、小さな島(島がまるごと国立公園)に、私は立ち、島の北側、セウラサーリ野外博物館地区に、私は入る。「行ってみなくても、なんだか、行きたい気分だね」
2013年06月14日
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(いかにして神と出会うか:p120:クリシュナムルティ:めるくまーる)より引用(のようなもの)『世界を発見するのは自分自身でなければならず、すでに発見していてそれについて話したがる者につき従うことではない』
2013年06月14日
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生きるにあたって、「いまから数分間の未来」にまつわって対処してゆく。数日先、数か月先、数年先のことについて計画するにしたって、「いまから数分間は、5年先のことを計画しよう」だとか…いまから数分間の計画そのものは、私の固有の特質を元にして、そのときの状況を伴い、奇妙な具合にできあがってゆく。そして、もっとも重要なこととして、「いまから数分間は、こうしたこといっさいを考えないよう試みよう」という数分を、暮らしに何度も挿入してゆく。
2013年06月12日
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「あなたの本性の固有の特質にとって有益な状況は、旅ではなさそうですね」「そうかもしれません…」旅の目的として人との出会いなど苦手なわたしは人ではなく人工物や木や湖や土や石や水の現物の感触を求めて旅に出るのであれば、べつにわざわざ遠くまで出かけなくても、近所の散歩、家の中でさえ、現物の感触は得られる。それに膨大な数の世界中の人々がネットで無償ですばらしい写真たちを提供してくれているそれらの写真たちは、圧倒的な質と量で、生きているうちぜったい行けない、ぜったい見れない、ぜったい感じれない、圧倒的な架空の感触を与えてくれる。「だけど、写真の実感は、現物の実感の百分の一かも」「それはまあ、人によっては千分の一かもしれないし、二分の一かもしれないけど、ぼくがどうなのかは、何回か遠くへ出かけてみて実験してみなくちゃわからない」「なんかあまり期待できそうにありませんね」「なんの期待?」「旅へのときめき」
2013年06月07日
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人間社会から身をいくぶん遠ざけ人間社会から身をたくさん遠ざけ人間社会においてひっそり人間社会にそれなりに利用されつつ人間社会をそれなりに利用しつつ楽しく暮らす状況に身を置こうと細かなルールを機嫌良く作ってゆく
2013年06月07日
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「そうすると、あなたの本性の特質にとって有益な環境は、旅行ではなさそうですね」「そうなんですよ、旅行に出かけたなら…」旅においては、(日々、一定時間、思考を落とそうと試みよう)とは、なかなかなりにくい。そもそも移動しなくてはならない。見知らぬ土地の散歩はいいのだが、見知らぬ土地まで、移動しなくてはならない。すると、移動を楽しむ工夫をしなくてはならない。
2013年06月06日
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「あなたの本性の特質って?」「たとえば…1日をバラバラにして、( )をしたり、( )をしたり、( )をしたり、■【時間割を作るというのと、ここで「ぼく」がしゃべっていることとは、あまり関係はないとは思うのですが、これは、ふと目についた時間割なのですが、なかなかそれなりにいい感じの時間割なので、思わずどなたの時間割なのか知らぬまま写真に撮らせてもらいました】■、( )をしたりしている、というときの、いくつもの( )の組み合わせを作るのを楽しんでいる。どうせ死ぬのだから、( )にせよ、( )にせよ、してもしなくても、いいもわるいもないのだが、とにもかくにも死ぬまでは何かをしつづけているので、こうしたことをすっかり考えないでおこうと試みるための時間を日々持つ、という、もっとも重要視する( )、(日々、一定時間、思考を落とそうと試みる)という( )も含めて、( )の組み合わせを作ってゆく、というようなことをしたがる傾向というのは、かなりなところ、ぼくの本性の特質、とでもいうようなものを表わしているのではなかろうか…」
2013年06月05日
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自分の本性の特質にとって有益な環境に身をおこうとする「あなたの本性の特質って何?」「さあ…」「でも、それがわからなければ、それにとって有益な環境について考えることもできやしない」「ああ、それは、たぶん、自分自身には、自分自身の本性の特質はわからないんじゃないかな」「じゃあ、誰にならわかるの?」「いや、じつはわかってる…」(有益な環境)
2013年06月01日
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