全21件 (21件中 1-21件目)
1

3月16日~27日、日本原基地での米海兵隊の単独訓練が行われます。こうした「訓練」を許すなと岡山県平和委員会や安保破棄実行委員会、県北住民の会は2月28日の午後、ビラ配布活動を行いました。津山市と元美作地区関係者は約10名で津山市一帯、県平和委員会と安保破棄、そして地元平和委員会は8名で奈義地域を配り、奈義町内に500枚を配り切りました。
2021年02月28日
コメント(0)

この間の「新型コロナの科学」という書評を、ほかのサイトでも書いたところ、 ある方からこういうコメントを頂いた。「私は科学に惑わされない。時には勘に頼ったほうがいい」この方はほかのところで「科学とは擬似宗教だ」とも書いていた。 また、ほかの方から、外岡秀俊さんのブログを教えてくれて「科学報道の落とし穴」という論文を紹介された。それを私はみて、「長々と当たり前の事を書いている」から「信頼する人」に「私の中には入らない」と返事したら、気を悪くされたのか、ほかの科学論文を紹介してきた。それを読んで、私は以下の長い説明を書いた。ちなみに、一応誤解は解けたようです。とりあえず、私のコロナ情報に対する態度が、ここに書いているので、紹介するということです。 ◯◯さん もし、◯◯さんの紹介した言論人を「私が人格否定した」ととったと思ったのならば、誤解を与えてしまいすみません。 私は書いたように、外岡さんの主張を「間違っている」と書いたわけではありません。罵詈雑言も投げてはいないと思っています。むしろ正しいことを長々と書いていると表現し、その書き方が気に食わない、だから「私が信頼する」候補にはあげないと書いたのです。(今気がつきましたが、「一般的に信頼できない人」と言ったつもりではありません) この度紹介してくれているサイト含めて、コロナに関しては日々いろんなところから情報発信されていて、玉石混交です。政府機関も、全く当てになりません。むしろ、政府機関が当てにならないところが、物事を複雑にしています。 私のように、日々コロナ情報を追うこと叶わない人間にとって、web情報やテレビ情報、雑誌情報はあまりにも情報が雑多になり過ぎて避けるべきだと「私は」判断しています(無視しても、ある程度は入ってくる。囚われないということです)。出来るだけ一冊の書物を読むだけにしたい。その一冊を私は「新型コロナの科学」に定めたのです。「本書に全幅の信頼を置く」と書いたのはそういうわけです。決して1人しか信頼しないわけではないのですが、そう軽々に「信頼する人」を決めたくなかったのです。 科学的な根拠を持って情勢を見ること自体は、とても大切だと思います。情報過多だから勘に頼る。或いは宗教を頼りにする、という方向には行きたくないと「私は」思っています。それは宗教が間違っていると言っているのではありません。これは私の「信条」だからです。若い頃から、唯心論ではなく、唯物論の立場に立つと、私は自分の信条を決めています。「神の不在は証明できない」のだから、宗教を否定することはできない。けれども、私は科学の力を信じることに「賭けた」のです。それは「科学を宗教にしていることと同じだよね」ということではありません。時々かなり厳しい判断をしますが、私は自身の責任で未来に賭けているのです。言うなれば、須藤凛々花と同じような決心です(^ ^;)。話がずれました‥‥。 山中伸弥さんの主張は世界基準である。 黒木登志夫さんの本書の内容も世界基準である。 この1年間のコロナ情報に接していて、私はそう思いました。(例えば、台湾やニュージーランド、ドイツの指導者を高く評価して、日本やトランプ、スェーデンを評価しない態度、PCR検査を拡充することが感染防止の基本であるということ)それらを見ながら、私はこの本を「基準」にしたいと思っています。もちろん、間違っていることも書いているかもしれない。でもそれは後で検証する姿勢が本書にはある。科学的な態度とは、そういうことです。 せっかくのおすすめしてくれたサイトなので、ざっとは読みましたが、そういうわけで「信頼する」候補には入りません。 ぐだぐだと長々とすみませんでした。 このように、万が一間違っていないことだとしても、 ぐだぐだと長々と読まされると、嫌になるものです。「わかりやすく書いている」もうそれだけで、その人の基準はかなり高い方だと私は思います。
2021年02月27日
コメント(0)

「文藝春秋2021年2月号」 普段は芥川賞なんて直ぐには読まない。今回取り寄せたのは、若い受賞者と私との「距離」を測りたかったから。誤解を恐れず私の経験を書く。 私にも「私流の推し」は「たくさん」いた。いわゆるアイドルに関しては、AKBの数人。2012年、テレビが壊れて2ヶ月間YouTubeを一日3時間から12時間見る生活が続いた。YouTubeは関連動画が次から次へと現れる。やがて周りの同世代の誰よりも詳しくなり、一応「推し」を決めるのは必然だったろう(どの様な熱を持って「推し」てきたかは、「総選挙公式ガイドブック」の2015ー2018を検索してみてください)。 残念ながら、私が推しメンにすると、何故か1-2年後に4人中3人が卒業を決めた(今だに何故なんだろうと思う)。もう1人はアイドルとして不幸になったし、私は推しメンを決めることを止めることにした。うち3人は「事件」が起きて卒業するのであるが、この書と関係ありそうなのは須藤凛々花(りりぽん)の「結婚発言」事件である(説明すると長くなるので知らない方はググってください)。 当時私はマイブログにこう書いている。 (略)ファンを裏切ったと、(本当のファンが言うのはいいとしても)ファンでなかった者が言うのは、良くないと私は思う。AKBに迷惑をかけているのは、その通りだと思うので、卒業するのは一つの選択肢として仕方ない。しかし、秋元康も慰留したそうだし、本当の意味でAKBに迷惑をかけたとは、私は思っていない。私は彼女の哲学者宣言に共感してファンになったのであるから、私が彼女の哲学的行動を貫いたことを応援しこそすれ、非難するはずがない。(略) さて、本書の主人公の推しのレベルは、私よりも数十倍高い。それは読む前からわかっていた。私なんか一回も握手会に行っていないヘタレファンなので、そもそも比較するのが間違っているのかもしれない。私は当然「推すことはあたしの生きる手立てだった。業だった」とまでは言わない、言えない。私はりりぽんの卒業も引退も淡々と受け止めた。彼女も、上野真幸くんの「ファン殴打事件」を淡々と受け止めた。しかし、流石に最終盤の上野くんの決意を受け止めることはできない。そこに、私と彼女との大きな違いがある。 人は思うかもしれない。私の感情は一般的には「ファン」と言われているものだろ?主人公の「推す」とは次元の違うものだろ?でも私は普通に「推す」という言葉を使っている。確かに彼女とは大きな違いがあるけれども、「推し」を解釈し続けて、応援し続ける感情に大きな違いはない。私自身のイメージは、舞妓を支援する「集団旦那」の更に下っ端という感じ。立派な芸妓になるのを見守っているだけのハイヤーの運ちゃんというイメージです。舞妓が引退して地方に帰っても、ずっと忘れない。この主人公、最後は突発に終わるが、やがては小さな旦那或いは小さな下っ端になるだろうと確信します。彼女は主観的には「命にかかわる」と思っているかもしれないが、私はそうではないと思う。もちろん、一般論として彼女が突発的に死を選ぶ可能性は否定できない。けれども、小説的なラストは、それを否定している。 コロナ禍のもと、AKB商法は完全にオワコンになってしまった(劇場が存続する限りはAKBはそのまま続くが)。けれども「推し」の文化は決してなくならない。なぜならば、平安時代からずっと続いている文化だから。主人公の「推し」は形を変えて続いてゆくだろう。 「推し、燃ゆ」は雑誌全体の1/6にも満たない。後の記事もたいへん読み応えがあった。半藤一利追悼特集で、保阪正康が、『日本のいちばん長い日』の昭和42年の試写会に出席した生残り兵士が「結局、あのことはまだ分かっていないんだな」とつぶやいたことを暴露している。映画を2本見て、本も読んだ身としては大変興味がある。後塵の学究者の奮闘をお願いしたい。
2021年02月26日
コメント(0)

「新型コロナの科学 パンデミック、そして共生の未来へ」黒木登志夫 中公新書 日本癌学会会長など日本医療の最前線で活躍してきた専門家から、まとまった解説書が出た。冒頭には、山中伸弥さんから「推薦の言葉」があった。私としては、もうそれだけで本書に全幅の信頼を置く。 とてもわかりやすく、尚且つ鋭い分析だと思う。昨年10月末までのデータがほとんどではあるが、昨年の日本ならびに世界のコロナ対策への評価と問題点抽出は出来ているし、我が意を得たりという気もした。 以下。参考になった部分。 ⚫︎「新型コロナウィルスについて知る」 ・変異。マイク真木「バラが咲いた」を例に説明。この歌は何故か、遺伝子暗号と同じように三つづつに区切れる、のだそう。 「バラガ サイタ バラガ サイタ アカイ バラガ」 →「バカガ サイタ バカガ サイタ アカイ バカガ」 塩基配列1箇所変異で、大違い。 ⚫︎「新型コロナ感染症を知る」 ・新型コロナが「無症状者からも感染する」論文が出たのが1月30日。しかし、これは直ぐには認められなかった。2月第二週に疑いのない事例が出て、初めて知られるようになり、きちんと確認されたのは5月初め。日本を含む世界は、この恐ろしい現実を軽視した。 ・「感染は本人の責任」と思うのは、五大国の中で日本が突出して多い。アメリカ1.0%、イギリス1.5%、イタリア2.5%、中国4.5%、日本11.5%である。←私の周りの印象では、これよりも%は多いと感じる。言うまでもなく、これは間違った考え方である。 ⚫︎「すべては武漢から始まった」 ⚫︎黒木登志夫さんのウィルス起源についての考え ・武漢の海鮮市場が、感染拡大のクラスターになったのは確かだが、海鮮市場の動物から感染が始まった可能性は低い。 ・武漢ウィルス研究所の実験室からウィルスが外に出た可能性は否定できない。 ・新型コロナウィルスが、意図的に人工的に作られたウィルスである可能性はない。 ⚫︎「そしてパンデミックになった」 ・「超過死亡」によって、見逃されていたコロナ死、医療崩壊により死亡したであろう数も予測できる。米国は3-8月で26万人超過死亡者がいたが、うち8万人がそれだと予測できる。 ←日本はPCR検査を絞っていたので、これで見逃されていたコロナ死亡がかなりあるのでは?と思っていたが、黒木さんによると日本では未だ確認されていないそう。何故確認されていないのか?理解できない。 ←なお、日本の新型コロナの問題については、黒木さんは10月23日出版の臨調『新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書』を基に書いている。実は、私は昨年この書を直ぐに購入したが、そのあまりにもの分厚さに躊躇していてまだ紐解けていない。今回、見事な先導役を見つけたので、この後紐解きたい。よって、日本問題は多くは省略する。と思っていたが、黒木さんの見解として、日本の対応のベスト10とワースト10を作ってまとめてくれていた。3ページにかけて書いていて、あまりにも長文なので、末尾に載せる。今のところ、私と同意見である。 ⚫︎「世界はいかに対応したか」 ・コロナ禍は、社会の二重構造、インフラの整備状況、医療のレベル、健康保険の整備状況などを、図らずも明らかにした。指導者の資質も明らかにした。 ⚫︎「新型コロナを診断する」 ・PCR検査、抗原検査と抗体検査は大きく違う(特に診断の目的)。 ・米国CDCではPCR検査試薬に不純物が発見され、2月4日から3月15日まで使用できず、初動に大きな遅れをとった。 ・尿からウィルスは検出されていないし、便から感染性のあるウィルスは分離されないので、トイレ理由の感染はない。 ・日本の抗体保有率(6月)東京0.1%、大阪0.17%宮城0.03%。一方でスペイン3.7%(調査時の感染者0.46%) ・黒木さんはPCR検査を(1)感染者(2)医療従事者(3)感染リスク者(4)社会の安全・安心に順次広げていこうと主張しているが、現在は(2)までだという。←私は(2)も未だできていないと思う(特に首都圏以外)。一部批判にあるようにPCR検査を広げれば全て解決するとは書いていない。 ・60%の集団免疫が安心な基準だとしているが、まだ世界では確認されていない。 ⚫︎「新型コロナと戦う医療現場」 ・5月末現在、2105人の院内感染者。全感染者の12.4%。院内感染の致死率は20%。全国平均の約5倍。病院も閉めることになるので、医療崩壊の引き金にもなる。 ・欧米では死亡の40%が介護施設。日本は13%。日本ではトリアージによって高齢者を差別していない。インフルエンザ対策で、既にマニュアルがあり、1月31日には厚労省事務連絡が出ていて、初動が早かった。 ⚫︎「追記」 ・ファーザー、モデルナのワクチンの90%以上は、期待以上で、集団免疫も期待できる。明るいニュースだ。 『ベスト10』 (1)国民。国民は、要請レベルにも関わらず、行動を自粛し、マスク着用、手洗いなどを励行した。経済的に苦しい人もよく耐えた。 (2)三密とクラスター対策。初期のクラスター対策は一定の効果をあげた。その分析から生まれた「三密」キャンペーンは、わかりやすく、みんなそれにしたがった。 (3)医療従事者。未知の新型コロナに対して、検査・防護服などが不足しているなか、使命感から、献身的に貢献した。医師会も、コロナ問題に積極的に関わった。 (4)保健所職員。厚労省が保健所負担軽減対策に積極的でないなか、困難な調整と実務を行なった。公務員の責任ある行動として記憶されることであろう。 (5)介護施設。厚労省福祉関係三局は、いち早く介護施設に注意を呼びかけ、介護施設もそれに応えた。日本の死亡者が少ないのは、介護施設の努力によるところが大きい。 (6)専門家の発言。少なくとも、分科会に編成替え前までの専門家は、使命感から積極的に発言し、国民に警笛を鳴らし続けた。われわれも専門家の発言に注意していた。 (7)中央、地方自治体の担当者。医療従事者だけでなく、関係したすべての公務員は、一生懸命仕事した。 (8)ゲノム解析。国立感染研、地方衛生研は、新型コロナウィルスのゲノム解析し、感染の全貌解明と対策に貢献した。 (9)在留邦人救出。政府は感染の危機にさらされている在外邦人を、パスポートの前文の約束を守り、チャーター便により帰国の便をはかった。 (10)新型コロナ対応・民間臨時調査会。この報告書がなければ、コロナ禍のなか、政府内で何が起こっていたのか、どこに問題があったのかを知ることはできなかった。 『ワースト10』 (1)PCR検査。PCR検査の問題は言い尽くした。 コロナと生きる時代に必要なのは、PCR検査の徹底により社会の安全と安心を保証することである。 (2)厚労省。国民を守ることよりも行政的整合性を守ることに重きをおき、融通性に欠けていた。PCR検査では国民に背を向け、裏で政治工作をした。 (3)一斉休校。文科大臣、専門家の意見を聞かずに、安部首相の側近内閣府官僚によって断行された一斉休校によって、教育の現場、父兄の生活は大きな影響を受けた。 (4)アベノマスク。マスクを配布すれば国民の不安は消えますという首相の側近内閣府官僚の進言によって実行されたマスクは、160億円もの税金の無駄遣いであった。 (5)首相側近内閣府官僚。証拠に基づく政策(EBPM)の重要性が言われているなか、彼らは大臣、専門家を無視し、政策を首相に進言した。それを受け入れた首相は、さらに問題である。 (6)感染予防対策の遅れ。3月のヨーロッパ型ウィルスの流入予防対策に遅れをとった。第二波の最中にgotoトラベルを実行し、感染を広げた。 (7)分科会専門家。分科会委員に格下げされてからの専門家は、政府の政策にお墨付きを与えるだけの立場に甘んじてしまった。専門家が正論を言わなくなったら、専門家ではない。 (8)スピード感の欠如。初動態勢から今日に至るまで、すべての対応が遅すぎた。早かったのは、学校一斉休校とアベノマスクだけである。 (9)情報不足。感染情報は非常に限られていた。感染の実態(院内感染者、死亡者数、発症日別統計など)の発表がなかった。政策決定に至る過程も、不透明であった。 (10)リスクコミュニケーション。現状をわかりやすく説明し、質問に応えるリスクコミュニケーションがなかった。国民はテレビの情報番組に頼らざるを得なかった。 ←本書の増補版は必ず出るだろう。コロナが終息したと見られる一年後か、2年後か、それとも3年後か。その時、本書と見比べれば、わかりやすい「コロナの総括」になると思う。
2021年02月25日
コメント(0)

「新型コロナ 見えない恐怖が世界を変えた」発行所 (株)クレヴィス 昨年8月28日発行。新型コロナの世界各地の写真リポートである。前書き後書きなし。編著者名を明記していないので、おそらく発行社プロデュースの写真ニュース的な緊急出版だと思う。撮影日・場所・状況等の短いキャンプションのみがついている。 それでも、写真だけが見せる異様な記録になっているところが、この未曾有のパンデミックの異様さを証明している。 表紙は緊急事態宣言発令した後の4月18日。まるで早朝の如くではあるが、銀座のSEIKO時計は午後1時前を指している。その他の日本全国各地のゴーストタウン、そしてメルボルン、イラク、モスクワ、ダマスカス、デリー、アムステルダム、パリ、ブリュッセルの無人の街を紹介する。 感慨深いのは、最初の頃の写真だ。中国は確かに公表は遅れた。しかしそれでも、武漢は1月1日に卸売市場を閉鎖し、10日には白い防護服が跋扈し、1月25日にはロックダウンが始まって幹線道路に車一台のみになっていた。この時日本がもっと敏感に反応していたなら、と思わざるを得ない。 ※黒木登志夫『新型コロナの科学』によれば、1月12日に中国は新型ウイルスゲノム配列を公表した。中国の隠微体質により2週間公表が遅れたと書いている。どちらにせよ、そのニュースは全世界に伝わったが、日本はまだ水際で止めることができると信じていたようだ。1月18日屋形船でクラスター発生。2月大阪の二つのクラブハウウスでクラスター発生。日本が明確な規制を始めたのは3月24日オリンピックの開催延期が決まった直後だった。25日政府は海外渡航自粛を要請し、小池都知事は週末の外出自粛要請を出した。しかし、それは花見の三連休の終わった後だった。 2月11日、船内に足止めされたダイヤモンドプリンセス号の乗客からシーツに書いた手書きのメッセージが垂らされた。 「船内情報全くナシ TV民放見レズ ガセネタオオシ」 「情報不足しんこく TEL知りたい くすり 」 「報道ありがとう」 汚いものに蓋をする、日本人の汚いところが、この写真にある。 2月24日のリオのカーニバルの人人、人人。3月4日マイアミの浜辺の大賑わい。当然、1人たりともマスク姿はなし。この後、ブラジルとアメリカは世界最大の感染地域になる。数ページを繰ると、多数の墓地の穴、大量の棺桶。 3月16日緊急事態宣言前、品川駅のコンコースをマスクをつけて通勤する人々を写した写真もある。1割ほどはマスクはしていないが、今になって驚くのは、マスクではなくその密度である。リオのカーニバルばりの密度だった。 後半は、さまざまなソーシャルディスタンスの写真が続いている。 見えない恐怖が世界を変えた。
2021年02月23日
コメント(0)

今月の映画評です。 「家族を想うとき」 前作「私はダニエル・ブレイク」(2017年カンヌ最優秀作品賞受賞)のときの引退宣言を撤回をしてまでも描いた一作です。ケン・ローチはこの映画評にとって特別な監督です。最多登場なんです(4回目)。そうなったのには、理由があります。彼は生涯一貫して、労働者に寄り添って作品を作ってきたからです。歴史モノを除くと、厳しい現実を描きながらも、監督はいつも最後は希望を描いてきました。ところが、今回はとても厳しいラストになっています。何故なんでしょうか? イギリスの地方都市。マイホームを持ちたいと考えているリッキーは、フランチャイズの宅配ドライバーとして働き始めます。そのために、妻のアビーの車を売って、自前の運送車を準備しました。アビーは、バスで移動しながらホームヘルパーの仕事を続けます。子どもといる時間は削られ、高校生のセブと小学生のライザはさみしさを募らせていくのです。 私も流通業で働いていたことがあるので、分刻みで正確さが求められる仕事のキツさはよく知っています。昼メシ抜きは当たり前。彼は緊急トイレ用のペットボトルを常備します。リッキーは個人委託業者ですが、実際には偽装請負のように仕事の裁量に自由はありません。一回事故を起こせば彼ら家族は破綻するので、ハラハラしながら観ていました。ただ、仕事はキツいだけではありません。顧客との間に交流はあり、やり甲斐もあります。ケン・ローチらしくマンチェスターサッカーチームの話も、炭鉱労働者の話も出てきます。役者は全員ほぼ無名ですが、労働者はみんな優しい。 体力も神経もすり減らす夫婦に、今度は高校生の息子の問題が被っていきます。前科がつけば、息子の将来に希望はありません。保護した警官は言います。「これから頑張れ。君には人生最高のものがある。君を想う家族だ。今日もお父さんは仕事を放って来てくれた。親として恥をしのんでだ。中にはそんな温かい家族のいない者も大勢いる。だが君にはいる」その言葉は息子にはなかなか伝わりません。最後はホントにこれで終わりなの?という異例の終わり方でした。監督のラスト作品のラストがこれなのか? でも、これこそがケン・ローチなのです。日本とまがうような新自由主義イギリス。全てが自己責任にされる。「これでいいのか(怒)」監督の最後の叫びのようでした。 (2019年英国ケン・ローチ監督作品 レンタル可能)
2021年02月20日
コメント(0)

「シネマ・クレール物語」浜田高夫+シネマ・クレール応援団 吉備人出版 昨年夏コロナ禍のもと、岡山県の唯一のミニシアターであるシネマ・クレールも、大変なことになっていた。緊急事態宣言での営業自粛、そこから復帰したものの「3密」になりやすい映画館から客足は大きく遠ざかり、倒産の危機に陥っていた。 映画館だけでなく、クラブハウスや飲食店も、クラウドファンディング(CF)により常連客さんに支えてもらう資金調達を行うことが増えていた。「シネマ・クレール応援団」は、協議を重ね、「思い出の映画館を守りたい」「岡山に多様な映画の灯を消させない」という想いを集めて鑑賞券方法ではなくて、記念品のみをつけたCFを始め、期日までに目標の1千万円を超える1087人の資金を集めることが出来た、その記録とシネマ・クレールの歴史を綴った本である(本書自体が記念品のひとつになっている)。 第一部 館長浜田高夫のロングインタビュー 第二部 映画人・監督からのメッセージ (塚本晋也・鈴木卓爾・片嶋一貴・想田和弘・前野朋哉・荒井晴彦・行定勲) 募金者のシネマ・クレール応援メッセージ127人 第三部 上映作品一覧 私の想いは映画監督の想田和弘さんのメッセージが最も近いので、そのままコピペします。 岡山は僕の第二の故郷で、妻であり僕の映画のプロデューサーである柏木規与子は岡山出身です。そしてシネマ・クレールは、岡山県内唯一の単館系ミニシアターです。 僕らの全監督作品を含め、ドキュメンタリー映画やアート系映画など、シネコンではかからない多種多様な映画を上映してきた、極めて重要な文化施設です。 (可愛い看板ネコちゃんやワンちゃんもいます。) そのシネマ・クレールがコロナ禍で存続のピンチに立たされています。 ここがなくなってしまったら、年間数百本の映画が発表の場を失ってしまいます。 岡山県の皆さんは、そうした映画を観る機会と憩いの場が失われてしまいます。 本来ならば政府が補償や支援をすべきですが、待っている間に潰れてしまったら元も子もありません。ここはぜひとも皆さんのお力で支えてください! そうなんです。 ‥‥一度、岡山県で上映される年間映画本数を数えたことがあります。東京よりも少ない約400本です。シネマ・クレール一館が上映した本数は、そのうちの約200本だったんです(後の約半分を県内3ヶ所のシネコンが担っていたということです)。クレールが無くなったらと考えるとゾッとします。 立ち上がり時の声の募集や募金の際のコメントが、ほぼそのままこの本に収められているようです。こんな立派な本になるのだったら、私もめんどくさがらずにコメント書いておくんだった!!と後悔している所です。みんなホントにいろんな「思い出」と「想い」がある事がひしひしと伝わってきます。そして約9割の人がコメントも残さず「無私の人」となり、CFに参加した。まだ苦しいはずだが、クレールには頑張ってほしい。 嬉しかったのは、1994年12月から2020年7月までの全ての上映作品を資料として載せてくれている事。その数書いてないけど、50作品×88頁として概算すると約4400作品弱です。「トキワ荘の青春って、96年4月だったんだ」「初恋のきた道は、01年の3月?もっと前かと思ってた。あの時から1年、色々あったなぁ」などと想いに耽ってしまいました(^_^;)。
2021年02月19日
コメント(0)

「間抜けの構造」ビートたけし 新潮新書 やはり「映画の間」を論じた第六章が1番面白かった。 ・映画も間で決まる。 ・ひとつは「時間の流れ」としての間 1秒24コマのフィルムでできているが、編集で「2コマだけとる」ということをよくやる。この感覚は漫才をしているときと同じ。「あ、ここはだるいな」「オチが読まれているな」というときの0.02秒で切る感覚。 ・ひとつは「空間的」な間 カメラの位置を決める。人によって個性がある。 ・殺陣の間。斬られ役が主導権を握る。 ・脚本の間 構成を因数分解して、説明を省く XがABCDを殺す場合、 XA+XB+XC+XDとはやらない。Aを殺したならば、後はBCDの死体を置く。X(A+B +C +D)だ。そうなれば必然と説明も省けてシャープになる。 ←確かに北野武の作品は大抵こうである。 ・役者も演技で間をとる。 樹木希林なんて、「相手の芝居をつぶす演技」をする。熱演していると、それをはずす。「あんた、さっきからワーワー言っているけどさ」脚本通りでも間を変えるだけで、芝居の印象をガラッと変えることができる。デ・ニーロの二度見。アルパチーノの四度見。 ・「おいらはギャング映画でも暴力映画でも、もうちょっと観ている方は考えた方がいいと思っている。考えさせるためには、余韻や映像の美しさが必要で、そうすると自然に『間』も決まってくる。観ている人を思考停止に陥らせるような映画をつくろうとは思っていない」 ←やはり偶然では、世界に発信できる作品は作られないということだ。 ←ただし、言っていることは正しくても、監督は作品によって評価されるのである。 内容紹介(Amazonより) 見渡せば世の中、間抜けな奴ばかり。どいつもこいつも、間が悪いったらありゃしない。「間」というものは厄介で、その正体は見えにくいし、コントロールするのも難しい。けれど、それを制した奴だけが、それぞれの世界で成功することができるんだよ――。芸人、映画監督として、これまでずっと「間」について考え格闘してきたビートたけしが、貴重な芸談に破天荒な人生論を交えて語る、この世で一番大事な「間」の話。 ● すべての勝負事に必要なのは、相手の「間」を外すこと ●成功の秘訣は、時代の「間」をいかに読むか ●政治家はいつからこんな「間抜け」ばかりになったのか ●「間抜け」とは、自分を客観視できない奴のこと ●芸人にとって「間」の良し悪しは、死活的に重要である ●漫才の「間」をコントロールするのは? ●ディベートの上手い人は、呼吸の「間」を読むのが上手い人 ●「言いたいこと」は、「三つ」ではなく「二つ」に絞る ●映画は、「間」の芸術である ●説明ばかりで「間」のない映画やドラマはつまらない ●「間」とは何かを考えることは、日本人を考えることに通じる ●「「間」がわかる」「空気が読める」には弊害もある ●あえて意図的に人生の「間」をつくれ ●どうすれば「運」や「間」を味方につけることができるか ●我々の人生は、生きて死ぬまでの「間」である
2021年02月18日
コメント(0)

「考古学ガイドブック」小野昭 シリーズ「遺跡を学ぶ」別冊5 新泉社 ひとつの遺跡を深く掘り下げるシリーズ「遺跡を学ぶ」の、その別冊の5番目。とうとう「発掘作業」や「概論」を解説する本が登場した。 大学の考古学教科書をわかりやすく解説したような内容。或いは、博物館の図録でよくある小学生向け「発掘とは何か」を10倍詳しくしたような内容。高校生の考古学志望学生には必読文献になりそうだし、大学生にとっても役に立つだろう。私たちのような考古学ファンにとっては、所々に目から鱗の「技術」「考え方」があって、とっても面白かった。 例えば、 ・現代考古学では最新の探査機器や分析装置を駆使しているが、人の目と手の判断はまだ充分必要とされている。地層の中の0.2ミリほどのガラス片が太陽に反射して光るところから火山層の標準を発見したり、堆積層の微妙な違いを指で押して見当をつける技術は機械では無理だ。←発掘現場でいつも感心するのは、ホントに微妙な色の違いでどうして柱の跡が分かるのか、ということ。 ・22pの土器編年のわかりやすい写真解説はよかった。 ・復元模型の例として、群馬県西組古墳時代遺跡と長野県浅間縄文ミュージアムのジオラマを紹介していた。私は中部日本以北の博物館にはあまり行けていないので、これら復元のリアルさと解釈の仕方、文明発達の度合に驚愕した。あゝ日本全国の博物館を巡りたい! 特徴的なのは、21のイシューのうち後半7章は、現代における考古学という学問の課題について、著者の意見を積極的に展開している事だろう。 例えば、歴史記述の問題。多民族国家の外国では特に大きく問題になるが、日本でも問題にすべきだとする。改めて「邪馬台国は、日本国の問題として見るべきなのか?それとも客観的な存在としての歴史として見るのか?そんなことをすれば無責任だと非難されるのか?」 ←私たちは、改めて日本という国家ができる以前の歴史について、考えなければならないと感じた(いや、中世・近世、近代でも未だ日本列島には日本国ではない領土は広く存在していた)。 ←こう言われて初めて「もしかしたら、卑弥呼は魏国の一支国としての意識しか持っていなかったのかもしれない」という視点が生まれた。もちろん可能性に過ぎない。万が一、邪馬台国が魏国とまるきり同じ価値観を持っていた時、縄文から続く銅鐸文化という独自の価値観を発達させた弥生文化が邪馬台国と対立するのは、必然だろう。反対に、邪馬台国が魏の価値観と対立する時には、また違う歴史記述になるだろう。どちらを想定するかで、「歴史記述」は、全く違ってくる。 その他、文化財の保護、国際協力、歴史観等々、広く世界的視点からの考古学を語っていて新鮮だった。
2021年02月15日
コメント(0)

「名残の花」澤田瞳子 新潮社 「妖怪」鳥居耀蔵が明治5年の東京に舞い戻った。当年77歳。かつて天保の改革の急先鋒として剛腕を振るい、歌舞伎役者や為永春水などを取り締まり、洋学を敵視して蛮社の獄を演出した男である。今や、鳥居胖庵として30年弱にわたる座敷牢を解かれ、新都の小役人となった孫の所へ居候している。そんな彼が、かっては奢侈の象徴として取り締まった能役者の、若手見習い・豊太郎と知り合う。共に帝都を歩いて小さな人助けをしていく小説である。 胖庵はしかし、まるでタイムマシンで30年後に移動したかの如く天保時代と何も変わらない。変わり果てた江戸を嘆き、古きものを旧弊として壊してゆく社会を批判する。古きものの中には、かつては自分が攻撃した能の世界や、歌舞伎小屋がたち並ぶ浅草なども含まれている。胖庵は古きものの良さは、下手な町人よりはよく知っているのである。ただ、彼の中では「贅沢禁止」の政策は間違っていなかったと、なんら反省する所が無い。思想統制についても、元部下が出世して自分を真似て世論操作した事はチクリと批判するくせに、まるきり自分を反省する事はなかった。 確かに現代でも、元大会社会長とか政権幹部を務めた老人は、東京を歩いているだろう。新自由主義に舵を切った彼らを個人で責めても仕方ない。私は胖庵が小さな善行を積んだとしても、胖庵を良い爺さんなどというつもりは、この小説を読んでも1ミリも感じなかった。 私は大学2年とき、初めてゼミ形式で1冊の書物だけ読み込んだ。『崋山・長英論集(岩波文庫)』である(とは言え、現代語訳・ポイント抽出しか出来ず、恥ずかしい思い出しかない)。渡辺崋山・高野長英は、間違いなく当時の洋学に関してはTOPの頭脳だった。彼らの生命を絶つことで、江戸時代の西欧化は10数年は遅れた(と思う)。それよりももっと最悪の影響は、思想統制が当たり前という風潮が、明治になっても拡大再生産されて続いたことである。その元凶のひとつが鳥居耀蔵だった。 だからこの小説が面白くなかった、と言っているわけではない。鳥居耀蔵は鳥居耀蔵だった。彼が矍鑠(かくしゃく)として帝都を歩いている。それはとっても面白い。 私ならば、胖庵に出会わせたい人物が居る。勝海舟である。勝は、明治5年当時赤坂に住み海軍大輔に任じられていた。2人に面識は無いはずだが、どちらも幕府を残すことに意を尽くし、どちらも既に引退気分にいる。2人を語らせたい。そこで、鳥居耀蔵の罪と罰もハッキリするだろうし、実は勝海舟は明治政府の政策を根本的に批判していた。実は、誰も小説化していないが、フランスから帰ってきたばかりの中江兆民にクーデター案を作らせていた気配がある(明治9年「策論」)。その元の着想を、鳥居耀蔵との会話で得ていたとしたら、面白いかもしれない。鳥居耀蔵は明治6年10月に死去した。
2021年02月14日
コメント(0)

「日経ヘルス2021年2月号」 初めて買った。言うまでもなく、腸活の一貫である。私は雑誌に関しては1/3 以上目を通せば熟読したことにしている。興味深い記事は、それぐらいはあった。 今まで読んできた腸活本には載っていなかった情報がいくつかあった ◯オートミールダイエット(発酵食品朝食) ◯ダイエットを妨げないチョコ、ダイエット効果を高めるチーズ ◯フライパンひとつでつくる夕食、8分蒸し料理 ◯お酒のカロリーと糖質の関係、太らない飲み方 ◯腹凹ウォーク(凹み腹を糸でゆるく縛って歩く) ◯入浴時の足ツボマッサージの仕方(便秘解消) ◯大豆ミートとは何か 因みに、 ・テレビドラマ「天国と地獄」の番宣も兼ねて表紙を飾った綾瀬はるかさんの「美と健康の3つのルール」(1)ハードな筋トレはせずに、散歩で適度に体を動かす。←ただし、今出演している作品による。「精霊の守り人」の時は違っていただろう。(2)念入りなマッサージで、冷えとむくみを解消(3)毎日のプロテインで美肌と筋肉量をキープ。←多分、彼女にはアクション女優としての矜持があるのだと思う。←性格はおっとりだが、案外ストイックな性格なのかもしれない。 ・オートミールは試すつもり。大さじ5(30g)を耐熱容器に入れて水を入れてレンジチンでお粥ができる。後はそれを洋風・和風にアレンジ。(例えばトマト雑炊143カロリー、食物繊維3.5g、タンパク質5.4g) ・太りにくいのは、糖質の少ない蒸留酒となっていた。よって、ビール、お酒、ワインはバツで、ウィスキー、焼酎、ジン・ブランデーはマルだって。ワインはマルだと思っていた。私の飲酒量は比較的少ないのでこれからも飲むが、これからは泡盛も仲間に入れようと思う(アルコール40度の古酒で名酒を手に入れるツテがある)。 ・基本的に若い女性向き雑誌です。
2021年02月13日
コメント(0)

「うんちを見るだけで腸ハッピー!腸活メソッド」監修/ウンログ 主婦の友社 私が腸活宣言をしたのは1月だけど、実は少しずつ腸活を始めたのは昨年の夏からだった。そのキッカケは、この本ではなく(昨年10月刊行)、この本を監修しているアプリ「ウンログ」をインストールしてからである。 記録式ダイエットというのがあるけど、観便記録するだけで週2-3回の「うんち」(この本ではこの呼び方で統一している)が、3-4回に改善した。その他、毎週YouTubeで腸活メソッドを提案していたり(「やせ玉」本はここで知った)、ウンログ主催の腸活サプリメント・食材のチャレンジ企画(達成すれば実質無料や半額になる)があって、まんまと乗せられていたというわけだ。実は今回2回目になるのだけど、先週あのファイブミニ飲料の1週間チャレンジがあって、コレ私には身体が合っているのか、なんと9日連続で「出て」きてた(半年で最高記録)。サプリに頼るのも良くないし、お金もかかるので、おそらく続かないけど。 アプリを見たり、この間の本を読んだりして、あまり凄い事は書いていないけど、94pオールカラーで絵やグラフ!写真豊富で、とても読みやすい。 うんちの観察は、 (1)かたちを見る (2)色を見る (3)量を見る (4)においをかぐ が基本なのですが、ここではアプリ以上に専門的に書いていて、適当に7種類(「ころころ」「かちかち」「ぶりぶり」「ほそぼそ」「ふわふわ」「どろどろ」「びちびち」)に分けているのかと思っていたら、7種に分けるのは、「ブリストルスケール」という国際基準だったとは、初めて知った。理想的なのは、上から3-5の間。私は2時々3たまに4という状態なので、基本的に水分が不足しているようだ。わりと取っていると思っているのだけど、やはりまだまだ足りない(1日1.5-2L必要)のだろう。 色の意味はこの本で初めて知った。やはり理想的ではない。脂肪の取りすぎ、或いはぜんどう運動がうまくいっていないからだと思われる。 重要なのは、量ではなくて、排便時にスッキリ感があるかどうからしい。 私の腸活の基本書ではあるが、買うほどじゃない(ごめんなさい!)。アプリを入れて実践する方が大切。図書館で一通り見ておくのは大切かも。
2021年02月12日
コメント(0)

(記事とは全然関係ない岡山市の柳川冬のイルミネーション。コロナ禍で観光客誘致には繋がらなかった) 5日前の記事です。私が問題にするのは、Yahoo記事になった後の、これについてくるコメントです(山本カメラマンの行動の是非については、話が長くなるので此処では俎上に乗せません)。コメントは酷いものでした。よって私(tek‥‥)は、正当な反論を書いたつもりです。そうしたら、普段は1-2反応が来れば早い方なのに、1時間後に12も「悪いね」が付いたのです。 武装米兵が民間カメラマンに撮影中止を要求 施設外から米軍訓練を撮影 2/6(土) 11:44 琉球新報 【金武】金武町の米軍ブルービーチ訓練場で4日午前10時10分ごろ、施設外から訓練の様子を撮影していた民間のカメラマンらに対し、訓練場内にいた武装米兵が撮影中止を求めた。カメラマンらは中止要求には応じなかったという。 カメラマンらは米兵10人が武装警戒訓練をしている様子を撮影していた。うち3人の米兵が小銃を持ったまま撮影地点に近づき「訓練を継続できない」などと撮影中止を求めた。現場にいた写真家の山本英夫さん(69)は「島しょを戦場と想定した訓練をしており、撮影されたくなかったのではないか」と推測する。 米兵らの小銃に弾倉は装着されていなかったが、弾倉とみられるものを携帯している様子は確認された。日米両国が在沖米軍基地の使用目的・条件などを定めた「5・15メモ」では、同訓練場での実弾射撃は認められていない。 沖縄防衛局は本紙取材に「詳細は承知していない」とした上で「米軍が訓練などで公共の安全に配慮をすることは当然だ。訓練実施で地元への影響が最小限にとどまるよう、適切に対応する」と回答した。 更には、当日の16時間後には、このように推移します。これからどんなことがわかるか。 1時間のうちに「悪いね」を押した人たちは、おそらく「琉球新報」ウォッチャーという「コアな暇人or 雇われ情報操作者」だろうし、12人よりも数が少ないことが予想されるということです。米兵がもしかしたら実弾射撃をしていた可能性があることを「意図的に軽視するコメント」であっという間に埋め尽くし、それに反するコメントを出来るだけ早くコメント欄上位から駆逐することに生き甲斐か業務上の任務を感じている人たちだろうと推測するからです。エビデンスはない(笑)、ただそう考えればこの素早さはしっくりくるし、それに追随する全国数百人ぐらいはいるかも知れない「ネットウヨ」と言われるかもしれない人たちが書き込みをして、琉球新報のいわゆるスクープを「ニュースの森に埋もれさせる」効果があることにも納得いくのです。 こうやって「本土の人は知らない」が「沖縄の人はみんな知っている」構図が出来上がる。 こんなことを書けば(tek‥‥)が私だとバレちゃうじゃない?と心配してくれる貴方、ありがとうございます。私ぐらいになると、当局はみんな知っているだろう、と諦めているので大丈夫です。因みに、これが今日の状況です。当然のことながら沖縄では、共産党が沖縄県政に指示できるほどの票をとっているわけではないので、言わずもながですが、ホントに酷いデマです。その他の山本さんと共産党が結びついているかのような書き方をしていることも、その他いろいろ、これがフェイクニュースの典型だと思われます。これに対して600もの「いいね」が付いていること自体が、この記事に対する「エビデンス」になるのかもしれません(笑)。
2021年02月11日
コメント(0)

「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」庭田杏珠×渡邊英徳(「記憶の解凍プロジェクト」)光文社新書 たくさんの戦前・戦中の写真はあるが、もっぱらシロクロです。わたし達はそれは見て、無機質で静止した「凍りついた」印象を受ける。戦争を他人事にとらえることに一因にもなっている。このカラー化は、戦争を自分のこととして捉えることを助けるだろう。 AIで色をつける事はできる(幕末期写真はそれ)。しかしそれでは未だわたし達の知るカラー写真ではない。その記憶を持つ「生存者」と話し合い、色をつける。その写真を見せて、更に記憶が蘇る。更に写真が真に迫ってゆく。 そうやってよみがえった写真の数々。気がついたことを以下に羅列してゆく。 (ー1941) ・1932年大阪浜寺双葉幼稚園。12人の幼児が小山に登ってメルメットを被り、背中にカバンを背負って、おもちゃの鉄砲を構えて、戦争ごっこをしている。明るい日向の下、新緑の芝生の上のいかにも微笑ましいはずの景色ではあるが、鉄砲を構える幼児たちや旗持ちの姿が、あまりにも堂に入っていて、「これが戦前の風景なんだ」と腹落ちするのである。 ・あみ傘をさした着物姿の沖縄県糸満の女性。現代のどの映画女優とも似ていないけど、わたしならば直ぐにスカウトするね。それほどの存在感ある美人。後の白いTシャツ、紺のスカートの女の子は裸足である。 ・糸満の漁師のふか捕り名人。木綿紺絣(こんがすり)の一枚を羽織って帯で締めただけの普段着の中年の男の堂々とした筋肉と面構え。こういうのを見ると、弥生時代、貫頭衣一枚で人々が暮らしていたのも頷ける。 ・1939年。軍服・モンペ姿の結婚式の挙式での2人。2人とも中学生と見間違うほど幼い。モンペといえども、女性は桜色の着物を着ている。草履の鼻緒も色を合わせて精一杯のおしゃれをしているのを、カラー化で初めて知る。女性はずっと「一度は花嫁衣装を着たかった」とこぼしていた。 (1942) ・岐阜県の田舎の村の囲炉裏をかこんだ8人家族を映した写真。カラーだから、多くが鮮明。モンペの上のカスリが如何に粗末なものか、擦り切れた畳表、ピカピカに磨かれた板塀、使い込まれた鉄瓶、真っ白い陶器の湯呑みなどの「生活」が見える。父母と妹2人兄1人兄嫁と子供3人そして本人の9人家族である。 (1943) ・神戸市にて「働く婦人標準服展示会」という名前の街中の行進を写す。全員10-20代。紺一色か、つちいろ一色。しかし作りは意外とオシャレである。←コロナ禍のもと、こういうファッションショーもあって良いんじゃないか? (1944) ・一月。土俵入りする大横綱双葉山の写真。ほとんどの娯楽は閉まっていたと思っていたが、相撲はやっていたのか!ほぼ満員。まわしも金の化粧で派手だ。 ・マリアナ海戦の軽巡洋艦「バーミンガム」から撮影された、戦い後の飛行機雲を眺める兵員。三つ四つの飛行機が左右から違う円を描いて交差している。もはや2度と見ることは無いだろう(軽戦闘機の交戦はもうあり得ない)、青空の下の飛行機雲である。 ・特攻隊員たちの笑顔の記念写真が数枚ある。みんな若くてイケメンである。どうして?と思う。 (1945) ・硫黄島(全滅に近い)で、まる2日死んだふりをして土に埋もれ手榴弾を持っていた兵士が、説得されてタバコをもらっている図。こういうところが、アメリカの余裕だな。 ・東京大空襲の後の空撮写真。まるで緑色のタペストリーの半分が灰にになってぶすぶすと燃えているようだ。 ・3月17日神戸大空襲の跡。少し焼けて白い立て看板が立てかけられている。「楠公の霊地だ、断じて守れ 湊川警察署」。一面の焼け瓦礫。の中にこれを建てる警察署とは何なのか?霊地とは楠木正成が祀られている湊川神社のこと。 ・沖縄戦での有名な「鉄の雨(対空砲火)」の実際の色を初めて見た。空襲する日本軍機に向けて、まるで機織り布の糸のように撃ちて撃ち込んでいる「白色」は実は白い光線と橙色の光線が混じったものだった。こちらの方が確かに現実的だ。 ・無数の特攻機の写真がある。米軍の論理からすると、人間ではない奴らの仕業にしか映らなかったのかもしれない。日本人から見たら、人の死んでゆく様を写真に撮ったとしか思えない。 ・燃え盛る名古屋の街の空撮。まるで一枚の板が下から上に焼けているように見えるし、見ようによっては美しい。もう2度とあってはならない「戦争の姿」。 ・1945年6月25日、沖縄で米軍に投降する「白旗の少女」比嘉富子さんの有名な写真。カラーで初めて観る。ぼろぼろの紺のかすり、茶色のズボン、裸足、痩せこけた肋骨と腕、その辺りにあった山地の枯れ枝に白地の布をくくりつけたと思える急拵えの旗。様々な情報がカラー化する事で見えてくる。 ・呉市から見た広島市のキノコ雲。助言を得て若干真っ白から少しオレンジ色がかかっている。正に禍々しく美しい。そして、なんと間近に見えることか! ・福山大空襲跡の城址から見える福山市街地。ほとんど海が、山が見える。現代と比べて信じられない。 ・禍々しい、長崎市香焼島から見えた、長崎原爆が落ちた直ぐのキノコ雲。エヴァの世界だ。 (1945-1946) ・マーシャル諸島の捕虜兵士の写真。これで生きていけたのかというくらい痩せている。 ・11月千葉県国鉄総武本線日向駅近くの買い出し列車。屋根はもはや無く、まるで布切れの輸送列車のように人が溢れる。人はこんなにも列車に乗れるものなのか。みんな帽子をかぶっているか、手拭いを巻いている。裸頭は1人もいない。 ・一転、46年1月25日、銀座松屋呉服百貨店の前に発売のタバコ「ピース」を求めて、延々と「密に」並ぶ壮年男女と学生、数人帰還兵も。みんな比較的いい服を着ている。焼け野原の東京の何処から湧いて出たのか。 ・広島八丁堀の福屋デパートは、八丁座という名映画館があるために何度か訪れている。そこから被爆1年後の屋上から写したカップルの写真が最後に載っている。あの繁華街から海が見える。しかし、その頃デパートは既にダンスホールを営業していたという。カップルはその客かもしれない。いろんなことを考える。
2021年02月09日
コメント(0)

1月に観た映画の後半3作品です。 「この世界に残されて」 「5歳の幼児にも、老練な70歳にもなれる」16歳の少女から、こんな風に頼られたら、おじさんとしてはどうしても守らなければならないと思うだろう。たとえ赤の他人であっても。 クララは一目で聡明な女の子だとわかる。けれども、想像を絶するくらいに傷ついている。42歳のアルドも傷ついていそうだ。少女の老獪さで推察したクララは、ストレートにアルドの懐に飛び込む。ハッキリ言って私は、こういう女の子に弱い。「レオン」の世界である。あの作品のようなノワールではなく、暴力は一切なく、しかし何かを失くし、何かを得て終わる。しばらくみなかったような老練な作品である。 (解説) ナチス・ドイツによって約56万人ものユダヤ人が殺害されたと言われるハンガリー。 終戦後の1948年、ホロコーストを生き延びたものの、家族を喪い孤独の身となった16歳の少女クララは、両親の代わりに保護者となった大叔母にも心を開かず、同級生にも馴染めずにいた。そんなある日、クララは寡黙な医師アルドに出会う。言葉をかわすうちに、彼の心に自分と同じ孤独を感じ取ったクララは父を慕うように懐き、アルドはクララを保護することで人生を再び取り戻そうとする。彼もまた、ホロコーストの犠牲者だったのだ。だが、スターリン率いるソ連がハンガリーで権力を掌握すると、再び世の中は不穏な空気に包まれ、二人の関係は、スキャンダラスな誤解を孕んでゆく 。 癒えることのない心の傷を抱えた者たちが年齢差を超え、痛みを分かち合いながら寄り添う。彼らが再び人生と向き合う姿を、節度をもって叙情的に描く名作が誕生した。 少女クララを演じたのは、これが映画初主演となるアビゲール・セーケ。16歳にして家族を喪ったクララの悲しみや怒り、諦念をリアルに表現し、「アルドの心の翳りに寄り添い続ける演技が感動的」(バラエティ誌)「心に傷を負った思春期の少女を演じるセーケが素晴らしい」(ハリウッド・レポーター誌)と評される名演を披露。見事、ハンガリー映画批評家賞最優秀女優賞を受賞した。ハンガリーを代表する名優カーロイ・ハイデュクが、クララを支え無償の愛を注ぐアルドに扮し、寡黙ながらふとした仕草やまなざしに深い思いやりを感じさせる繊細な演技で、ハンガリーアカデミー賞およびハンガリー映画批評家賞で最優秀男優賞を受賞。 これまで短編映画でその演出手腕が国内外で高い評価を受けてきたバルナバ―シュ・トートが監督を務め、ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作『心と体と』のプロデューサー、モーニカ・メーチとエルヌー・メシュテルハーズィが製作を手がけ、孤独な男女の心の結びつきを丁寧に描く名作をふたたび世に送り出した。 2021年1月25日 シネマ・クレール ★★★★ https://synca.jp/konosekai/ 「KCIA 南山の部長たち」 韓国の現代史に詳しくないとわからない部分があり、それを無視すると、革命家気取り同士の部下が上司の思い上がりに幻滅したところから来る「単なるテロリズム」だった。イ・ビョンホンは、真面目な能吏を丁寧に演じ、静かに耐えて怒る演技を上手く演ったと思う。 最後まで、影のKCIAの正体は分からなかった。映像的には、隠し金庫を盗んだ奴なのだろうが、彼が表舞台に出たのかどうかはちょっとわからない。 1961年の革命は、基本的には軍部の反クーデター的な性格であり、その歴史が1979年の後、最悪な形で繰り返す。2年後、全斗煥は光州に迷いもなく、空挺部隊を送った。暴力による政権転覆では、決して政権は続かない。という見事な手本が韓国にあったということだ。市民の支持と市民の思いが叶って、政権を作らない限り、その国は続かない。1987年は、韓国の勝利だった。 見どころ 1979年10月26日に韓国で起きた朴正煕大統領暗殺を基にした金忠植の「実録KCIA-「南山と呼ばれた男たち」」を原作にしたサスペンス。韓国中央情報部の部長が、崇拝していたはずの大統領を暗殺する過程を描く。監督は『麻薬王』などのウ・ミンホ。『それだけが、僕の世界』などのイ・ビョンホン、『目撃者』などのイ・ソンミンのほか、クァク・ドウォン、イ・ヒジュンらが出演する。 あらすじ 1979年10月26日、韓国。大統領直属の諜報(ちょうほう)機関である中央情報部(KCIA)の部長を務めるキム・ギュピョン(イ・ビョンホン)が、敬服していたはずの大統領(イ・ソンミン)を射殺する。事件の40日前、アメリカに亡命したKCIAの元部長パク・ヨンガク(クァク・ドウォン)が下院議会聴聞会で韓国大統領の横暴を告発していた。キムは、かつての友人でもあるヨンガクに大統領の命で接触し、事態収拾を図るが、その再会が彼の人生を大きく狂わせていく 2021年1月28日 岡山メルパ ★★★★ 「ノッティングヒルの洋菓子店」 まるで女子マンガのようなストーリー。 ひょんなことから、出会ってしまったさまざまな事情を抱えた女3人とイケメン男1人。 仲良くなっていき、一つのことを成し遂げる。 唯一謎は、どうして男が参加したのか? でも、直ぐに氷塊する。 ひょんなことからラッキーが舞い降りて目出し目出度。 甘いお菓子と甘い愛。 面白かったのは、あんな出会いでよくデートまで繋がったなということ。 良かったのは、エンドロールが等閑(なおざり)でなくてちゃんと物語があったこと。 多分タイム誌の田中ナオさんは中国人だと思う。日本人から見たら明らかに中国系の顔で、なおかつ中国系の化粧をしてしまうのは、英国人から見たら日本人も中国人も一緒に見えていることであり、日本人にとっては不快だ。それでも、日本系お菓子は抹茶ケーキだとわかっているのがなお、嫌だ。 (ストーリー&解説) ロンドン、ノッティングヒル。 名店で修行を積んだパティシエのサラと 親友のイザベラの2人は、長年の夢だった 自分たちの店をオープンすることに。 ところが事故でサラが急死。 夢を諦めきれないイザベラと サラの娘クラリッサは、 絶縁していたサラの母ミミを巻き込んで、 パティシエ不在のまま 開店に向けて走り出す。 そんな3人の前に現れたのは、 ミシュラン二つ星のレストランで 活躍するスターシェフのマシュー。 20年前、ガールフレンドだった サラから逃げた過去を持つ彼は、 あることを償うために パティシエに応募してきたのだ。 それぞれの想いを抱えた4人は、 果たしてサラの夢を 叶えることができるのか――。 ロンドン大人気デリ「オットレンギ」全面協力!絶品スイーツ満載の美味しいひとときを召し上がれ。 スクリーンに所狭しと並ぶお菓子とパンは、 スイーツ好き垂涎のラインナップ! 手掛けたのはロンドンNO.1シェフ、 ヨタム・オットレンギ率いる 有名デリ<オットレンギ>。 洋菓子を通じて伝統と多文化が 入り混じるロンドンの今を見せてくれる。 出演は、「最も成功した英国女優のひとり」 と評される個性派女優セリア・イムリー。 シャノン・ターベット、シェリー・コン、 ルパート・ペンリー=ジョーンズら 人気英国俳優が脇を固める。 監督は舞台となった ノッティングヒルに11年暮らし、 趣味はお菓子作りという ドイツ人監督のエリザ・シュローダー。 突然、かけがえのない人を失った 3人の女性たちは、人生に残された時間は 意外と短いのかもしれないことに気づき、 本当の自分になるための 夢を追いかけ始める――。 1軒の小さな洋菓子店に起きた 感動のミラクルを、ぜひご賞味あれ! 2021年1月31日 シネマ・クレール ★★★ https://nottinghill-movie.com/
2021年02月08日
コメント(0)

1月に観た映画の第二弾。 「新感染半島 ファイナル・ステージ」 原題は「半島」。前回の「釜山行」とは題名からしても別作品。上手くはないけど、まぁよく題名を繋げた。 家族の起承転結ドラマがきちんとあり、ゾンビ映画のお約束をあり、なおかつ「泣ける」作品にしていた前作には及びもつかないけど、アクション作品として成立している。 中学生にしか見えない、長女役のイ・レがかっこいい。 「これはゾンビ映画じゃない!」ということはない。あれだけの状況になっても決して主要人物は噛まれない、というのは最近のゾンビ映画の「お約束」である。むしろ、お約束に忠実すぎて途中からおもしろくなくなった。ラストも、これで終わったら最低点出すぞ、と思っていたらちゃんとそれなりのことをした。でも出来たら主人公がやられて欲しかった。そしたら、韓国映画らしくなるのに。 カーチェイスやセットにはお金かけているけど、平凡なゾンビ映画に終わりました。 (解説) 世界の度肝を抜いた 『新感染 ファイナル・エクスプレス』から4年── 誰も予測できなかった 驚異のアフター・パンデミックを描き 前作を遥かに凌ぐ 新たなステージへと加速する! 感染爆発が半島を崩壊させてから4年後、家族を守れなかった元軍人のジョンソクは、亡命先の香港で廃人のような暮らしを送っていた。そんな彼のもとに、ロックダウンされた半島に戻り、大金を積んだトラックを見つけ、3日以内に帰還するという仕事が舞い込む。だが、潜入に成功したジョンソクのチームを待っていたのは、さらに増殖した感染者たちと、この世の地獄を楽しむ狂気の民兵集団631部隊。両者に追い詰められたジョンソクを助けてくれたのは、母ミンジョンと二人の娘の家族だった。大金を奪えばこの国を出られるという最後の希望にかけて、手を結ぶことにした彼らの決死の作戦とは──? 世捨て人同然の生き方から、共に半島へと戻った義理の兄と、姉妹たちとその母を守るために、強く頼もしく変わっていくジョンソクには、『華麗なるリベンジ』、『MASTER/マスター』のカン・ドンウォン。モデルとしてデビューして人気を獲得、すぐにその演技力も認められ、数々の賞を受賞する。本作でも、壮絶なアクションと豊かな感情表現を見事に融合させた。 「戦う母」ミンジョンには、『バトル・オーシャン/海上決戦』など本国での大ヒット作で広く知られるイ・ジョンヒョン。高いサバイバルスキルを身につけ、感染者にも631部隊にも怯むことなく立ち向かう気高い心と、娘たちへの深い愛情をドラマティックに体現した。ソウルのダウンタウンを縦横無尽に駆け抜ける、20分間にも及ぶ怒涛の高速カーチェイスシーンで、ドライブテクニックを披露する娘のジュニには、韓国の若手女優イ・レ。その他、631部隊のメンバーに、アクの強い個性派俳優たちが集められた。 本国で2020年オープニングNo.1を叩き出し、アジア各国でも様々な記録を塗り替え、今、この前例のない危機の中、「エンターテイメントは死なない」と証明して映画界の救世主となったノンストップ・サバイバル・アクションが、日本にも無限大のパワーを送り込む! 2016年、カンヌ国際映画祭でのワールドプレミアで驚愕と絶賛の嵐を巻き起こした『新感染 ファイナル・エクスプレス』。人間を凶暴化させる謎のウイルスが韓国各地で発生、感染者が紛れ込んだ高速鉄道の車内で起きた大パニックを描き、日本をはじめ世界160か国以上で大ヒットを記録したインパクトは、いまだ忘れることはできない。 あれから4年、映画ファンの間では「その後の半島はどうなったのか?」という議論が続いていた。アフター・パンデミックの世界が観たいという熱い声に応えて、遂に続編を完成させたのは、前作で一躍注目の才能となったヨン・サンホ監督。本作もカンヌ国際映画祭公式作品に選出され、映画祭総代表から「『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノに続く、韓国を代表する監督による素晴らしい続編だ」と破格の評価を浴びた。 撮影準備に1年間を費やし、2000平方メートルもの巨大セットを制作。VFXにはアジア随一のクリエイターたちが参加。サンホ監督の手による練りに練られた脚本は、逆転に逆転を重ねながら、誰も予測できない結末へと爆走──舞台・映像・ストーリーと、すべてのスケールアップを成し遂げた。 STORY 「半島」を襲ったパンデミックから4年。香港に逃れた元軍人のジョンソク(カン・ドンウォン)は、任務のために半島に戻ってくる。その任務とは、3日以内に大金を積んだトラックを回収し、半島を脱出するというもの。ジョンソクと仲間はウイルスにより凶暴化した人間たちから逃れ、トラックを回収。しかし民兵集団に襲撃され、トラックも奪われてしまう。 キャスト カン・ドンウォン、イ・ジョンヒョン、クォン・ヘヒョ、キム・ミンジェ、ク・ギョファン、キム・ドゥユン、イ・レ、イ・イェオン スタッフ 監督:ヨン・サンホ 2021年1月7日 MOVIX倉敷 ★★★★ https://gaga.ne.jp/shin-kansen-hantou/ 「おとなの事情 スマホをのぞいたら」 外国映画の翻訳というよりか、競作の雰囲気を持っているが、ホントに是非他の国の作品を観たくなる作品。 まぁ都合よく、隠し事がバレてゆくわけだが、脚本は非常によくできている。だからこそ、本来は「小さい」はずの粗が目立つ。 あそこで、あれを不問にするのはどうなのか?いい話にもってゆこうとするのを責める台詞もあったけど、やはり無理矢理良い話に持ってゆこうとしている。まぁ勿論現実的には、この後修羅場があるはずだ。だからこそ、ラストの場面は其々の「それ」を想像できるように終わらして欲しかった。また、途中何度もある「数秒の沈黙」、アレは必要だったのか?アレのおかげで、テンポが酷く渋滞した。途中まで笑っていたけど、途中から全く笑えなくなった。 もっと傑作になる素材だっただけに惜しいという気がする。だからこそ他国の作品を見てみたい。 STORY 1年ぶりに再会した3組の夫婦と独身の小山三平(東山紀之)がパーティーを楽しむ中、ある人物の提案をきっかけに、スマートフォンに届く電話やメールを公開し合うゲームが始まる。隠し事は何もないと言いつつも、実は全員が誰にも知られたくない秘密を抱えており、通知が届くたびに彼らの緊張感は増していく。やがて、あるメールによって楽しいはずのパーティーは大混乱に陥ってしまう。 キャスト 東山紀之、常盤貴子、益岡徹、田口浩正、木南晴夏、淵上泰史、鈴木保奈美、室龍太、桜田ひより スタッフ 監督:光野道夫 脚本:岡田惠和 音楽:眞鍋昭大 撮影:須藤康夫 映像:佐藤隆彦 照明:海保栄吉 録音:渡辺丈彦 美術:吉田敬 デザイン:荒川淳彦 記録:荒澤志津子 編集:涌井真史 VFXスーパーバイザー:石井教雄 選曲:谷口広紀 音響効果:西垣尚弥 助監督:佃謙介 制作担当:横澤淳 ラインプロデューサー:武石宏登 協力:XPERIA 製作総指揮:ウィリアム・アイアトン プロデューサー:上木則安、栗原美和子、山崎淳子 2021年1月11日 MOVIX倉敷 ★★★★ https://www.otonanojijo.jp/sp/ 「ブリング・ミー・ホーム 尋ね人」 イ・ヨンエ『親切なクムジャさん』以来14年、子育てをした後に選んだのは、子供を探すお母さんの役だった。冒頭の髪を振り乱した姿から、日常的に狂ってゆく物語かと思いきや、彼女の美しさは14年後とは全く思えないほどにそのままで、尚且つかなりのアクションをこなす女優として還ってきた。彼女は説得力ある中堅女優として還ってきたと思う。 韓国映画ほど、冒頭場面を大事にする国はない。当然観ている間中、この場面は冒頭の何に繋がるのか、ずっと考えている。そうか、そう来たか。ちゃんと裏切る。そうして納得させる。当然ラスト場面は「違っていた」表情だと思う。みんな、そうだよね? 「みんな見て見ぬふりをしたじゃないか!」 ホン警長の叫びは、監督の叫びである。けれども、社会問題になりうるほどの幼児の行方不明が起きるのは異常だ。中国でも起きている。日本では起きていない、はずだ。 Story ソウルの病院で看護師として働くジョンヨン(イ・ヨンエ)。6年前、当時7歳の息子ユンスが公園で失踪し、夫のミョングク(パク・ヘジュン)と共に捜し続けている。 夫婦で支え合いながら日々を送る中、捜索中に悲劇的な事故が起こる。突然の出来事に、憔悴しきるジョンヨン。そんな彼女の元に、ユンスの目撃情報が寄せられる。桃のアレルギー、耳の後ろの斑点、やけどの痕、そして足の小指の副爪(ふくそう)――。目撃された少年とユンスの特徴は一致しているようだ。その情報に一縷の望みをかけ、ジョンヨンは、ユンスに似た少年・ミンスのいる《マンソン釣り場》へと向かう。 釣り場を営むのは、老夫婦と、夫を亡くした女性と息子の親子、そして何名かの従業員たち。しかし、彼らに尋ねても「ミンスなんて少年は知らない」の一点張り、さらに、地元警察のホン警長(ユ・ジェミョン)でさえ、ミンスの存在を隠そうとしているかのようだ。 引き下がれないジョンヨンは、その夜、一家が寝静まった頃を見計らい釣り場の一角にある家に侵入するが…。 2021年1月17日 シネマ・クレール ★★★★ https://www.maxam.jp/bringmehome/
2021年02月07日
コメント(0)

1月に観た作品は9作でした。3回に分けて紹介します。 「燃ゆる女の肖像」 確かに、殆どの映像が絵画のようだった。 確かに、疑問もないほど2人は愛し合っていたし、ラストの別れも疑問もないほどに愛し合っていたと思う。 確かに、「オルフェの冥界下り」の三者三様の解釈の違いが、最後までこの作品を一本通していた。 「ギリシャ神話のオルフェとエウリュディケの話」であり、ホントは主人公はエウリュディケであるはずなのに、男の目線でずっと語られてきている。エロイーズのいう「エウリュディケの方から見て、と言ったのかもしれない」という発想はなかった。結果、最後の場面でも、マリアンヌはずっと18世紀フランス最後の貴族世界では決して許されぬ恋を生涯焼き付けようと、それを知った上であらゆる表情を見せるエロイーズを、みつ続ける。 2.3度見る事で発見もある作品ではあろう。 しかし、それでも過剰なばかりのラストシーンにしても、三度も出てくるエロイーズの残滓にしても、最初の「燃ゆる女の肖像」のエピソードがすっぽり抜けていることについても、「少し過剰な演出」に思えた。アデル・エネルが元監督の恋人だった、という衝撃の事実で、少しわかった気がした。 (解説&ストーリー) シャーリーズ・セロン、グザヴィエ・ドランら、今を煌めく映画人が大絶賛 生涯忘れ得ぬ痛みと喜びを人生に刻んだ恋を辿る 追憶のラブストーリー かつてない熱狂と陶酔の幕開けは、2019年のカンヌ国際映画祭だった。 天才監督グザヴィエ・ドランを「こんなにも繊細な作品は観たことがない」と夢中にさせた作品、それがセリーヌ・シアマ監督の最新作『燃ゆる女の肖像』だ。カンヌ国際映画祭コンペティション部門でパルム・ドールを受賞した女性の監督は、『ピアノ・レッスン』(93)のジェーン・カンピオンただ一人だったが、シアマは本作で脚本賞と、女性監督としては初となったクィア・パルム賞の2冠に輝いた。近年、エンターテイメント業界で問題視され、カンヌでも変革が叫ばれているジェンダーギャップの課題にも、鮮やかな一石を投じる結果となった。その後も、シャーリーズ・セロンが「この映画を本当に愛しています。4回観ました」とまさに愛の告白をしたり、ブリー・ラーソンが「50年後に残る映画は?」という質問に本作をあげるなど、映画人たちの心を虜にしている。さらに、ゴールデン・グローブ賞と英国アカデミー賞の外国語映画賞ノミネートをはじめ、44受賞&ノミネートを果たすなど、世界各国の賞レースも席巻。また、海外のWEB メディア「IndieWire」の世界の批評家304人による2019年ベストフィルムでは第5位に選出され、「Business Insider」の批評集計サイトに基づいた「史上最高の映画ベスト50」にも、『ゴッドファーザー』『市民ケーン』などの名作と、『パラサイト』『ムーンライト』などの現代の傑作と肩を並べてランキングされた。そしてアメリカでは過去公開された外国語映画の歴代トップ20入りを果たす大ヒットとなった。 本物を見極める目を持つ者たちが、魂を奪われた必見の一作が、ついに日本でもベールを脱ぐ。 18世紀、フランス、ブルターニュの孤島 望まぬ結婚を控える貴族の娘と、彼女の肖像を描く女性画家 結ばれるはずのない運命の下、一時の恋が永遠に燃え上がる— 画家のマリアンヌはブルターニュの貴婦人から、娘のエロイーズの見合いのための肖像画を頼まれる。だが、エロイーズ自身は結婚を拒んでいた。身分を隠して近づき、孤島の屋敷で密かに肖像画を完成させたマリアンヌは、真実を知ったエロイーズから絵の出来栄えを否定される。描き直すと決めたマリアンヌに、意外にもモデルになると申し出るエロイーズ。キャンバスをはさんで見つめ合い、美しい島を共に散策し、音楽や文学について語り合ううちに、恋におちる二人。約束の5日後、肖像画はあと一筆で完成となるが、それは別れを意味していた──。 監督のセリーヌ・シアマは、デビュー作の『水の中のつぼみ』でセザール賞新人監督作品賞にノミネートされるなど、本国フランスでは早くからその才能を評価され、独自の世界観を築いてきた。そして、長編映画4作目となる本作で、名立たるメディアや評論家から「映画史を塗り替える傑作」と最大級の称賛を浴びた。 マリアンヌには、『英雄は嘘がお好き』のノエミ・メルラン。父親の名前でないと展覧会にも出品できない男性優位社会にありながら、人生を謳歌し芸術に生きようとする女性画家をエモーショナルに演じ、セザール賞ノミネートを含む数多くの賞を獲得した。エロイーズには『スザンヌ』でセザール賞を受賞し、フランスで今最も熱い称賛をまとうアデル・エネル。シアマ監督の元パートナーで、監督は別離の後に、彼女に新境地をひらいてほしいと本作をあて書きしたというエピソードも話題だ。エロイーズの母親の伯爵夫人には、『あなたたちのために』でヴェネチア国際映画祭女優賞を受賞したヴァレリア・ゴリノ。 撮影はフランス・ブルターニュ地方の孤島に実際に残っていた城を舞台に行われた。風の吹く草原、波が砕けては散る崖、妖しく揺らめく夜の焚火、そして二人の赤と緑のドレスのコントラストなど、まさに絵画のような映像が、恋人たちの限られた時間を儚くも美しく彩る。 そのひとの眼差しを、唇を、微笑みを、そして別れの瞬間の姿を思い出すだけで、息が止まるほど愛おしく切なく、蘇る情熱が命を満たす。そんな鮮烈な恋の、決して消えることのない燃ゆる炎を描く、忘れ得ぬ愛の物語。 2021年1月2日 シネマ・クレール ★★★★ https://gaga.ne.jp/portrait/ 「博士と狂人」 辞書作りは全て本から取るんだ、今の街からも取る辞書と違うんだ、どうしてアメリカさえも入っていなかったのか?どうしてチャーチルはマレーのいうことを聞いたのか、等々疑問はたくさんあって、スッキリと入れなかった。1番の疑問は、どうしてマレーはまた返り咲くことができたのか? マイナーは、おそらく病気を発症する前からアインシュタイン型の発達障害だったんだろうな、と思う。 人間には、様々な可能性がある。だから、一様に殺人を犯したからといって罰するべきではない。そういう意味では、キリスト教の赦しの制度は人類の知恵だろうと思う。 (解説&ストーリー) 全米で大反響を呼んだベストセラーノンフィクション待望の映画化! 史上最大にして最高の辞典を作った男たちの、驚きと感動の実話。 かつてこれほどまで「小説よりも奇なり」な真実があっただろうか―――。 初版発行まで70年以上の歳月を費やし、世界最高峰と称される「オックスフォード英語大辞典」通称OED。世界に冠たる辞典の礎を築いたのは、「異端の学者」と「殺人犯」だった。本作は、この驚くべき事実をドラマチックに描いたノンフィクション本待望の映画化だ。 貧しい家に生まれ学士号を持たない学者マレーと、エリートながら精神を病んだアメリカ人の元軍医マイナー。辞典づくりという壮大なロマンを共有し、異端の天才ふたりは固い絆で結ばれていく。だが、大英帝国の威信をかけた一大事業に犯罪者が協力していることが明るみになり、プロジェクトは暗礁に乗り上げてしまう。ついには、時の内務大臣ウィンストン・チャーチルや王室をも巻き込んでいくことになるのだが――。 今まで語られてこなかったあまりにも感動的な事実、歴史をも動かした強い信念は、困難な時代を生きる私たちの心をとらえて離さない。 構想から20年――。 メル・ギブソンが全身全霊をかけた渾身作! 原作の映画化に真っ先に名乗りをあげたのが マレー博士を演じるメル・ギブソン。監督作『パッション』や私生活ですっかりお騒がせイメージが定着するも、2016年の監督作『ハクソー・リッジ』はアカデミー賞6部門にノミネートされ完全カムバック。『博士と狂人』の映画化には実に20年以上を費やし、情熱を傾けてきた。対する狂人マイナーには、アカデミー賞主演男優賞を二度受賞している名優ショーン・ペン。南北戦争で心に深い闇を抱えながらも辞典づくりで救われるマイナーに憑依型アプローチで挑んでいる。 19世紀、独学で言語学博士となったマレーは、オックスフォード大学で英語辞典編纂計画の中心にいた。シェイクスピアの時代まで遡りすべての言葉を収録するという無謀ともいえるプロジェクトが困難を極める中、博士に大量の資料を送ってくる謎の協力者が現れる。その協力者とは、殺人を犯し精神病院に収監されていたアメリカ人、マイナーだった――。 2021年1月3日 シネマ・クレール ★★★★ https://hakase-kyojin.jp/ 「詩人の恋」 詩人は悲しい人に寄り添うのが仕事なのだそうだ。 詩人が悲しい若者に寄り添ったのは、それは恋なのか、それとも愛なのか、仕事なのか、でも同情ではなかった。 詩人は韓国では、有名ならば金になる。三百万円をさらっと出した事でもわかる。 でも有名でなければ、月30,000円の臨時教師にしかなれない。 ヤンイクチェンの憑依型の演技に魅了される。最後の展開があまりにも急なために、傑作の冠は少し無理かな。それ以外は素晴らしかった。 (解説) 『息もできない』のヤン・イクチュン主演! 売れない詩人が初めて知った恋とは? 男と女と男 恋愛映画のジャンルを超える、繊細で美しい物語 『息もできない』『あゝ、荒野』で映画ファンを唸らせた韓国の名優ヤン・イクチュン。変幻自在のカメレオン俳優の彼が、本作では日がな一日のんびりと過ごす詩人ヒョン・テッキに変身した。『あゝ、荒野』の役を演じるために鍛え上げたボクサー体形から約8キロも増量。ぽっこりふくらんだお腹と、ドーナツをほおばる姿は食いしん坊のクマのように愛らしい。テッキの妻役には『名もなき野良犬の輪舞』のチョン・ヘジン、テッキの人生に大きな影響を与える青年セユンにNetflixオリジナル韓国ドラマ「恋するアプリ LOVE ALARM」の新星チョン・ガラムら、韓国を代表する俳優たちが集結した。 韓国のリゾート地、済州島を舞台にメガホンをとったのは、2007年の短編デビューから苦節10年、念願の初長編監督作となるキム・ヤンヒ。平凡な人生を歩いてきた男が突然同性に激しい感情を抱いたら? という発想から、済州島の日常風景を背景に無垢な詩人が社会の影を知る姿を映し出す。 愛とは? 夫婦の意味とは? 理想と現実に直面した3人が、もがきながら答えをたぐり寄せる―。 切なすぎる三角関係をヤン・イクチュンら実力派俳優が繊細に紡ぎ、観る者の終わらせた恋、諦めたあの人が思わずよぎる共感を呼ぶ感動作が誕生した! 2021年1月3日 シネマ・クレール ★★★★ https://shijin.espace-sarou.com/
2021年02月06日
コメント(0)

「大英博物館マンガ展図録マンガ!」ニコル・クーリッジ・ルーマニエール、松葉涼子編 松葉涼子日本語版監修 山川早霧、飯原裕美訳 三省堂 2019年大英博物館セインズベリー・ギャラリーで開催された「Citiマンガ展」の図録である。現代マンガとアニメを歴史的ツールと合わせて展示したらしい。50人の漫画家が俎上にあげられ、70作品とデジタル合わせて162点が取り上げられた、国際的に稀に見る規模の展示会だったらしい。 規模だけではない。図録を見ると、チョイスにはかなり違和感はあるが、大まかに「間違ってはいない」紹介の仕方をしている。流石に大英博物館というべきだろう。 ニコル・クーリッジ・ルーマエールの冒頭論文について述べる。 ・マンガ定義や歴史等よく勉強している。しかし、いい足りない事も多い。仕方ない事なのかもしれない。それよりも構成が独特だ。定義や歴史は半分以下で済まして、あとは「産業としてのマンガ」「国際的な影響」「アニメについて」述べる。つまり国際的視野でマンガを見るということはそういう事なのだろう。 ・例えば‥‥西洋のマンガは、イラストと「吹き出し内のテキスト」が協同してストーリーを伝える、というものらしい。日本のマンガはそうではない、という。テキストの役割はかなり従属的である。イメージを補完するのは、オノマトペや擬態語、擬声語だという。間違ってはないが、正確ではない。しかし視点は良いと思う。 何しろ、350頁超の珍しく大部な図録なので、言っておきたいことは山ほどあれど(例えば星野宣がインタビューで述べているように、未だ取り上げなければ「ならない」作家は山のようにある)、仕方ない。マンガ展に来た外国人に言いたい。この展示会で、日本のマンガが「だいたいわかった」などと思うなよ! あ、そうそう。この貴重な図録。いち早く日本語版を出してくれて、しかも流通に載せてくれてありがとうございました!
2021年02月05日
コメント(0)

「アニメーション 折にふれて」高畑勲 岩波現代文庫 「パクさんの教養は圧倒的だった」と、博識の宮崎駿に言わしめた高畑勲の最後のエッセイ集。昨年の「高畑勲岡山展」の時に購入していたが、未だに完読できない。あの圧倒的な「岡山展」の内容をふた回り三回り理論化したような内容で、まとまり切らないからである。高畑勲はアニメの周辺を語っているのだけだけれども、その範囲だけでも古代から現代まで、日本から遠く世界の芸術まで語っていて、しかもかなり専門的で濃い。私の手には負えないかもしれない。しかし、日本の文化を考える上で重要な指摘が多く含まれていて、とても大切な書物です。とりあえず私の関心あるトピックだけピックアップしたい。 「加藤周一『日本 その心とかたち』をめぐって」 加藤周一がNHK TVシリーズで展開した「日本文化の文法」は「1.彼岸性 2.集団主義 3.感覚的世界 4.部分主義 5.現在主義」であると分析し、それに全面的に賛同したうえで、それに付加する形で古代絵巻物からアニメに至る特徴と日本文化との関連を述べている。 日本のアニメの特徴 ・セルアニメ‥‥アメリカで開発された技術。最初から目標は立体的に動くことだった。しかし日本は動きよりも「きめポーズ」を大事にする。それでも面白いと感じさせるのはカット割りがうまかったから。リズム、テンポが生まれ、物語も作れた。絵で時を刻み、時間の流れを感じさせる。辿れば、紙芝居、江戸時代の幻冬芝居「写し絵」があり、12世紀の連続式絵巻に至る。 ・線の絵‥‥動きが少ないから主人公に強い個性は要らない。たいていは凡人で、追い詰められると強い力を発揮するが、線と平面のキャラクターは、それを頭の中で想像出来る。観客は我がことのよように入り込む。加藤周一の言う「文楽」に近い。西洋のように陰影があれば、かえって絵が「おれは本物だぞ」と主張し始めて、すぐに本物らしくないことがバレて見るのも嫌になってしまう。日本アニメで3Dが成功しないのはそういうわけではないか?それでも「ドラえもん」が作られ始めた。これは日本アニメの「バロック化」です。 ・闇と光‥‥日本の伝統絵画には、闇と光の表現がほとんどない。絵画だけでなく、蛍光灯が普及すれば一挙に闇を追い出した。「しかし、ここにきて実写やアニメがぎらつくCGに夢中になっている。おそらく、人々のこの世で生きている現実感がどんどん薄れていって、現実以上に生々しく強烈な現実感を映像に求めている現れではないかという気がします」(18p)←アニメ「鬼滅の刃」で使用されるCGはそういうわけで、見事な効果をあげていると思える。 ・強い主観主義‥‥「現在だけが問題」で、「その現在は、いわば予想を超えて、次々と出現する」、そして「状況は〈変える〉ものではなく、〈変わる〉もの」だから、「そこで予想することのできない変化に対し、つまり突然あらわれた現在の状況に対し、素早く反応する技術ー心理的な技術が発達する」というようなあり方が『千と千尋の神隠し』をはじめとする日本のアニメの一大特徴だ。(「」内は加藤周一の『日本文化のかくれた形』から)最近のアニメは、主人公が素早く反応し危機を乗り越えますし、観客はそれに喝采を送りますが、主人公が物事の因果関係を探ったり原因をつきとめる行動に出ることはほとんどありません。(←「鬼滅の刃」が正にそうです!!)主人公の良い心情は、必ず良い結果を生みます。因果関係の客観性・論理性は問われません。よってアニメは「建て増し主義」になる。豊富な細部のリアリティを、保証して全体を作り上げる。(←「鬼滅の刃」が正にそうです!!) ・「おたく的文化」の「集団主義」‥‥技術を、それを生み出した精神風土とは切り離して器用に受け取ったり、「遊び」として採り入れてしまったりする傾向。絵巻物(平安サロン)も浮世絵(黄表紙)も、マンガやアニメもそういうところから出発しながら、ほぼ自力で(留学もせず、外国の先生にも学ばず)独創的なところまで到達できた数少ない例。「集団主義」はそれを助ける。「そこには感覚の無限の洗練が起こるだろう」。(←大英博物館マンガ展図録を見ても、漫画家が世界を意識していた者は1人もいなかった) 「この世を力いっぱい生きたかった宮沢賢治」 宮沢賢治のことならおもしろい。と始まる高畑勲の賢治ミニ評伝。たった4頁に、賢治の言葉を換骨奪胎しながら、賢治の本質を述べる。 「タエ子の顔のいわゆる「しわ」について」 高畑勲は「日本のアニメの特徴」は「立体的に描かない」「単純な線にする」と自覚していたのにもかかわらず、近藤喜文という稀有な描き手を使って『火垂るの墓』『おもいでぽろぽろ』でリアルな立体的な主人公を描かせた。『ぽろぽろ』の27歳のタエ子にシワを描いている。高畑勲は筋肉の問題だとする。笑う時に見えるシワは、彼女の人格・意思の表れなのである。それは「成功した」と監督は感じた。一方で、この「しわ」を「醜いものとして感じて嫌う男たちがいる」と監督は述べる。アニメに自らの理想を投影して見たい人にとって、タエ子は夢想の対象となり得ない。実は私も「せっかくの美人が台無しだ」と思った男の1人である。女性はどう思ったのだろうか?(2000年記事) 「『竹取物語』とは何か」(2009年の未発表論文。映画企画書の一部) ←私はかつて何度もこのアニメ(「かぐや姫の物語」)の映画評を書いた。その本質をある程度は掴んでいたつもりだった。けれども、監督による28頁の解説を読んで、それが如何に浅かったかを思い知った。 ←高畑勲は常に革新を求めた。 ←高畑勲は常に仲間を大切にし、尚且つ活かした。 ←高畑勲は常に総合「作家」だった。 ←高畑勲は常に教養の塊だった。
2021年02月03日
コメント(0)

「鬼滅の刃17-23」吾峠呼世晴 ジャンプコミックス いやあ見事に「少年ジャンプ」の王道、「友情・努力・勝利」を体現した「少年マンガ」だった。 かつて「漫画の奥義 作り手からの漫画論」(知恵の森文庫)において「新しいSFマンガはどういう内容のものなりますか」と聞き手の石子順に答えて手塚治虫はこのように答えている。 「未来の友情ですね。ものすごく冷たい未来社会の管理機構の中にただひとつ残ったものは、親子関係でもなく、師弟関係も駄目になって、友情だと思う。」 ハリウッド映画では、いつも最後に残るのは親子関係である。けれども、おそらくそれはキリスト教世界の究極の価値観だろうと思う。日本ではいっとき、国家やムラ社会がそれを体現している時代があった。現在はもっともっと細分化していく。その時残るのは果たして家族だろうか?いや、日本のマンガは決して家族を最後には残さなかった。いつも「友情」を残したのである。そんものはもう古い?果たしてそうか?その説得力のある反論がこのあまりにも多く売れてしまったこのマンガだろう。 平成に移って、「努力はもう古いよ」とも言われてきた。どんなに努力しても、運が悪ければ精神をやられて一生を棒に振るのが今の社会じゃないか?死んで異世界転生して英雄になれば良いじゃん。政治を見ろよ。特権階級はコロナになっても無症状でも即入院できるんだぜ。と言われるのが現代である。でも竈門炭治郎は、諦めず、真っ直ぐ、弛まず、努力し続けた。そのあまりにもの純粋さ、誠実さに遂には世の中の大多数の大人さえも納得してしまったのが、このマンガである。 結末は最終巻の表紙を見れば明らかだろう。それにしても、あまりにも多くの犠牲者を出し過ぎたのではないか?鬼殺隊はほとんど無謀な戦争映画のようにバタバタと死んでいった。主要な柱も、あの場面ならば生き残っても許されたはずなのに死んでゆく。ホントに「鬼殺し」は「人間」の生命よりも価値があったのか?もちろんマンガにおいては「登場人物の死」は方便である。慎重に扱わなければならないが、何かの価値観を目立たせるために行うことである。では、その価値観とは何か。私は、永遠の生命よりも大切な、それは繋げてゆく想いであり、友情であったと思う(決して共同体、ましてやお国を守ることではない)。わざわざ付け足した最終9ページに渡る作者のメッセージは、そのことを描いたものである。ホントは「勝利」など少し工夫すればいくらでも覆らせることができた。ホントはイヤミス大好きな作家ならば、不安材料を最後に残すことができた。けれども吾峠呼世晴さんはそれをしなかった。わざわざ現代編を作って、決して転生などではなく、想いを繋げたことを証明してみせた。鬼舞辻無惨の復活は、流石に100年経てばもう有り得ない。大正年間の大量不審死も、ちょうど1918年前後のスペイン風邪として歴史の闇に沈んだ事になったのではないか?でも、現代においても、語り部は残っていることも描かれている。完全無欠の勝利である。 「鬼」とはなんだったのか? このマンガにおける「鬼」に関して鬼舞辻無惨だけは、どこからみても滅しなければいけない存在として描かれた。 しかし、ホントはそんなにわかりやすい「鬼」は、なかなか居ない。暫くすると、漫画界は様々なバリエーションの「鬼マンガ」を描くことだろう。けれども、それはこの漫画の責任ではない。
2021年02月02日
コメント(0)

「図書2021年2月号」 「図書」は不思議な宣伝誌である。誌面記事で岩波書店の本の宣伝をほとんどしない事もそうなのだが、記事の内容がかなり専門的で「読む人を選ぶ」のである。 16記事のうち、私がなんとかついていけたのは4記事だけだった(この「ついていける」数は毎月変わるが、半分以上になることは年一度ぐらいしかない)。シェイクスピア史劇やハンセン病文学、ショパン、ガリヴァー旅行記、ドストエフスキー、アイヌ文学など魅力的なイシューを扱っているのにもかかわらず、教養のない私にはついていけなくて、雑誌の運命そのものだけど、飛ばし読みをしてしまう。でも、価値がないことはないことは確かだろう。と思う。 証拠に、民俗学者畑中章宏氏の「子どもらしさ」の記事には、柳田国男、宮本常一、果てはフランス歴史学者フィリップ・アリエスまで登場するけど、柳田の「7歳までは神の子」説についてのトータル的な批判を載せていてとても興味深かった。こういうのは、その方面に興味なければちんぷんかんの話題だと思う。 橋本麻里さんの連載「かざる日本」も、日本の凡ゆる「飾る」美術品の歴史が登場する。今回は漆工芸である。歴史となれば、漆の材料は12600年前から発見されていて、9000年前の北海道垣の島B遺跡の装飾具の赤漆からその歴史があることを教えてくれる。私は漆工芸に関しては日本が起源だろうと推測しているけれども、その利用・加工の起源は日本か中国かは未だ決着が付いていないという事もちゃんと専門書を確認して見ていてくれる。等々、興味がない人にとっては難しい言葉の羅列に過ぎない。 あとしばらくは、「図書」にはお世話になりそうだ。
2021年02月01日
コメント(0)
全21件 (21件中 1-21件目)
1


![]()