再出発日記

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2011年10月24日
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「僕は、そして僕たちはどう生きるか」梨木香歩 理論社
この本の題名を知って、先ず思ったことは二つ。吉野源三郎の名作「君たちはどう生きるか」をちゃんとリスペクトしているか。もししていたならば、現代の課題に応えているか。

結果は二つともマルだった。主人公はおじさんがつけたあだなの14歳のコペルくんである。それでもう一番目の答は十分。二番目については以下に述べる。

梨木さんらしく、ガーデニングの薀蓄はたっぷり出てくるし、登場人物はちょっと14歳にしては大人びすぎているが、後半辺りからそんなことはどうでもよくなる。

僕は軍隊でも生きていけるだろう。それは「鈍い」からでも「健康的」だからでもない。自分の意識すら誤魔化すほど、ずる賢いからだ。

「いじめ」の問題から、「全体主義」の問題まで通じるような「問いかけ」が、このコペル君の痛切の呟きの中に含まれている。

この小さな本の中に、性の商品化も、命の価値も、自然保護の問題も、良心的懲役拒否の問題も、言葉の両義性の問題も、ジェンダーの問題も、忍び寄る軍靴の響きの問題も、大きく小さく「問いかけ」られている。
「……泣いたら、だめだ。考え続けられなくなるから」 コペル君は決意する。

戦時中に、徴兵拒否で洞穴に隠れて暮らしていた人がいた。その人が当時を振り返って言うのである。


「僕は、そして僕たちはどう生きるか」
「戦時中だったからね、自分の生き方を考えるということは、戦争のことを考える、ってことと切り離せなかったんだね。でも人間って弱いものだから、集団の中にいるとつい、皆と同じ行動をとったり、同じように考えがちになる。あそこで、たった一人きりになって、初めて純粋に、僕はどう考えるのか、これからどう生きるのか、って考えられるようになった。そしたら、次ぎに、じゃあ、僕たちは、って考えられたんだ」


平成の時代に相応しい中学生、高校生向け「問いかけ」本が生まれた。今年の四月に刊行されたばかり。これからじわりと読まれていくだろう。もちろん大人にも。





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最終更新日  2011年10月24日 07時44分42秒
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「民主主義」は作るものである。今のは駄目だ。それには・・・・。  
モンテ・ヤマサキ さん
「次ぎに、じゃあ、僕たちは、って考えられたんだ」

この言は、子供・大人のためにはならない。ここですでに失敗の芽がでている。「未曾有の危機の中で、加藤周一に学ぶ」と題した男の言葉のように。
加藤周一に学んだのなら、即座に「未曾有の危機」なぞというふざけた言い訳の婉曲表現に怒らなければ話にならない。そういう敵方の言葉を使うな、と加藤氏は最晩年にも言っていたのだ。そーれをこの野郎、共著まで出していたにも関わらず使っているわけでしょう。小森陽一というのは自身で気付いてないのだろうけれども、裏切っているんだ。理解が足りない。


ま、それはともかく、加藤さんは、こう言ってたんだ。


「私たちは何ができるのでしょうか」と尋ねたところ、加藤氏は敏捷にその話題を受け話しかけた。

「複数の私たちという言葉をお使いでしたね。この複数の私たちを『私』に還元すべきです。その単独の『私』を強調し続けさえすれば、さらに多くの『私』が派生されるでしょう。」(9条と日中韓)


私達が云々ではなくて!私が云々する目的のために、個人が集まる。個人が深化されないかぎり民主主義にはならない。

それは9条の会も一緒だ。みんな集まるだけでは話にならない。集まったり並んだりデズニーで楽しむときもメシ食うときも葬式でさへもそうして満足しているようだが、個人が深化されなければどうにもならない。それを知っていたが、加藤氏が横のつながりを結ぶ道具として9条の会を遺した。明日ではないが、あさっての「私」のために。

「未曾有の危機の中で」では、明日ではないのは、歴然としている。集団主義が仕掛けた罠に痛みも無く入ってのほほんとしていられるのだから。 (2011年10月26日 07時32分34秒)

Re:「民主主義」は作るものである。今のは駄目だ。それには・・・・。(10/24)  
モンテ・ヤマサキさん
これは単なる感想だと受け取っておきます。
単なる感想に対しては、そういう意見もあるのね、という感想しかありません。
もし万が一、きちんとした批判コメントならば、この本を読んでから書くというのが最低限の礼儀だと考えるからです。加藤周一は、いつもそうしていました。 (2011年10月27日 07時47分01秒)

「この本」はどうでもよろしい  
モンテ・ヤマサキ さん
「この本」はどうでもよろしくて、

「この本」を読んだ人の感想に表れる所に読み取れることの指摘である。

とうてい意識しているとは思われないので、加藤氏の名声によりかかって、一応言ってみただけである。名声によりかかろうとなかろうと、とうていこれが些事でないのは自明である。

更に言えば、「これは日本の問題だけではない。

何故ならば、今や、世界が日本化しているから。」

今、集団主義と科学と資本主義が「私」を圧迫しているのは圧倒的なわけで、未来には更に強くなる。それをどうするかが現代の中心問題ならば、「次ぎに、じゃあ、僕たちは、って考えられたんだ」の言はそれとは別次元の話であろう。順番の違いから呑気さが出ているようだから。ごく一部からの判断だが、それで充分だ。それくらいのカンを働かせて読む読まないを決めない限り、加藤氏が文学史序説を書けたわけがないのだから。

(2011年10月27日 09時26分56秒)

集団主義=みんな≠個人の集まり   
モンテ・ヤマサキ さん
そんなことはいわれんでもわかっとる、という声もあろうが、果たしてそうであろうか。

たしか記憶にあるのは、ここで「あなたは一人で別の運動やって居て下さい」という言葉を記憶している。

元々個人対個人なら違うのは当然であるからして「一人」がでてくる道理がない。つまり、「みんな」でなければ「一人」=アウトサイダーという集団主義のど真ん中にいる人が言い放った言葉で間違いはなかろう。

孤独でいても、穴倉で一人で50年暮そうとも、集団主義の片割れのままなのだ。それくらい凄まじい。
そこから脱出するには個人以外考える必要も余裕もないのだ。「私達」はこの国では飽和状態であるからして、ちょっとでも隙があればすぐ入り込んでくる位厄介なんで、それについて考えると言うのは危機感が薄いことの表れか、まだ集団主義の一員で活発であるということだ。

ここで、手塚からキムタク・ヤマト、高村薫、民主主義、個人主義まで、さあ、どんどん繋がってきましたよ。これに対抗するには有効な手段は加藤周一を金科玉条なほど読み込むことをお勧めします。それで不都合があるなら・・・不都合があるほど読めた奴は・・・そんなにいないだろう。 (2011年10月30日 21時07分43秒)

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