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「どうして私が選ばれたの?」監督・製作総指揮 : キャサリン・ハードウィック 出演 : ケイシャ・キャッスル=ヒューズ 、 オスカー・アイザック 、 ショーレ・アグダシュール 、 キアラン・ハインズ 、 ヒアム・アッバス オリーブ畑での受胎告知や、ナザレからベツレヘムに至る険しい旅、ヘロデ王の幼児殺し、馬小屋での出産、三賢人や羊飼いらが集まっての祝福。まるで教会の教科書のような映画ではあるが、楽しめた。イエスキリストの降誕は25日の深夜であった。と、いうわけで、25日の午前0時20分この記事をアップします。この映画の良い点は、夫婦の絆がだんだんと深まっていくところ。神のお告げは夫のヨセフにもあった。ヨセフの献身。自分の腹は減っても妻とロバには食事を与える。男が見ても納得性のある正しい(正しすぎる)夫婦のあり方ではある。マリアはしだいと夫を信頼する。神はマリアのみを選んだのではない。ヨセフも選んだのだということが分かる。この視点は非常に新鮮だった。もう一つ良い点は私の趣味ですが、西暦0年のエルサレムの民族描写を見ることができたこと。確かに当時中東は世界の先進地域ローマ帝国のもとにあったので、貨幣経済の発達、土木技術の発達は、日本列島北九州の漢委奴國王(西暦57年)の時代とは比べ物にならない。エルサレムの都のCGのなんと壮大なことよ。あれがまさしく都市国家である。吉野ヶ里が都市国家だという人がいるが、それは違う。中央集権国家の成立する5~6Cまで待たないと日本列島に都市は実現しないのである。(それは決して日本列島が世界と伍して質的に遅れていいたことは意味しない)けれども、一つ村での動物の皮のなめし、酒造りの共同作業など、あるいは旅をすることの危険性は、おそらく日本の古代にも共通していただろうと思う。キリストの母となったマリアは呟く。「支配者はその権力の座からふるい落とされるだろう。貧しきものは尊くされるだろう。」主の使命をそのように説明して映画は終わる。神よ、まさに今がその「とき」です。最後の映像は、冬によく見ることができる雲と光のシンフォニーだった。またの名を「天使の梯子」あるいは「ヤコブの梯子」ともいう。(写真をほかから借りてきました)
2007年12月24日
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ここんところ、あまりいい作品に恵まれなかったせいもあって、一時間四十分できっちりたった一人残ったニュウヨークの景色を存分に見せるこの映画には、退屈しなかった。監督 : フランシス・ローレンス 出演 : ウィル・スミス 、 アリーシー・ブラガ 、 ダッシュ・ミホックけれども、しかしである。三年間一人でいて、一番現実的な手段であるラジオ放送もきちんとしていて、誰とも連絡が取れなかったという設定には明らかに無理がある。犬が空気感染していなかったのも疑問。後の設定まあ、OK。家を総電化重装備に作り替えている所なんかは、あり得る話だと思ったし、そうか舗装された道路は何もしなかったら草が生えるんだと感心したり、映像は面白かった。話はあまりにもありきたり。題名からほぼ話の構造も見えるし。「私は伝説」。「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」(『ヨハネ伝』第12章24節)ってな言葉は出てこなかったけど、最後は信仰に戻ったのは、いかにもアメリカらしい映画。
2007年12月21日
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「やられたら、やり返すの!」サスペンスタッチの怖い話だということは事前に聞いていた。それだけで済まさないところが、さすがにジュゼッペ・トルナトーレ。北イタリアのトリエステにやって来た異国の女イレーナが、金細工の工房を営むアダケル家のメイドに雇われる。それは周到に策を講じて手に入れた念願の職場だった。完璧な仕事ぶりですぐに主人夫妻の信頼を得ると、最初こそ手を焼いていた彼らの4歳になる一人娘テアの心も確実に掴むのだった。しかし、テアを慈しむイレーナの本当の目的を知るものは誰もいない。さらに、忌まわしい過去の黒い影が忍び寄る。(goo映画より)監督 : ジュゼッペ・トルナトーレ 音楽 : エンニオ・モリコーネ 出演 : クセニア・ラパポルト 、 ミケーレ・プラチド 、 アンへラ・モリーナ 、 マルゲリータ・ブイ 、 クラウディア・ジェリーニ モリコーネの心臓に錐を入れたり叩きつけるような音楽。過去のフラッシュバックと次第と明らかになるイレーナの目的。目が離せない展開は、説明不足の部分はあるにせよ、満足の出来。これは女性にはきつい話だろう。と思う。私は「長い散歩」を思い出した。結局イレーナの行動はイレーナ自身にも理解できていなかったに違いないが、ひとつは自分の過去を罰していたのだろうと思う。子供に「やられたら、やりかえすの!」と言って生き抜く知恵を身に付けさそうというのは、その一つの表れだろう。緒方拳演じた元校長は賢明な男だったので、きちんと落とし所を持っていたが、ウクライナから流れてきた外国人労働者の彼女には十分な教養を身につける時間はなかった。だから物語は悲劇になっていく。けれども「長い散歩」では描かれなかった「ラスト」がここにはあり、さすがに少しやられた。うん、ああでなくちゃいけない。映画の背景に西欧の外国人労働者の出稼ぎ事情がある。この映画がサスペンスだけに落ちなかったのは、そのことに対する批判的な目があるからに他ならない。
2007年11月25日
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「あのときどうして俺を殺さなかったんだ?」昨日は仕事を休んで親知らずを抜いた。四本の親知らずのうち、二本を抜いたのは既に35年も前のこと。今回の親知らずとて、虫歯になったというわけではなくて、隣の歯に穴が開いて今回そこを治したとしてしても隣の親知らずがじゃまをして将来必ず虫歯になるといわれたため。親知らずを抜くのに1時間以上かかった。麻酔はしているが、どのように抜いているのかはだいたい分る。(描写は省略)どうやら末広がりの歯だったので抜き難かったらしい。私は未だ手術と言うものは経験したことはないけれども、このときの感覚と、麻酔が切れたときの痛みは、そのときのことを少しは想像する材料になるだろうと思う。取り出した歯を見せてもらった。赤ん坊のように、血にまみれた、かわいく綺麗な歯。携帯写真を撮った。(もちろん公開するような無神経なことはしない)痛み止めが効いている間の夜、「ボーン・アルティメイタム」を観た。監督 : ポール・グリーングラス 原作 : ロバート・ラドラム 出演 : マット・デイモン 、 ジュリア・スタイルズ 、 ジョアン・アレン 、 デヴィッド・ストラザーン 、 パディ・コンシダイン 、 スコット・グレン 親知らず(記憶喪失)の元CIA工作員のボーン(マット・デイモン)が、親殺し(CIAの秘密ミッションを暴く)をするという話。なんとも痛いシーンの連続、連続。DVDの小さな画面で見たらたぶん追いつけないのではないかな、と思うくらい荒っぽい映像の中に、キチンと超CIAともいえるボーンの天才的な知恵や技が映し込まれる。なかなかの娯楽作。痛みを完全に忘れた。三部作とも図らずも映画館で観た。アメリカのCIA本部で決定したことが、末端の、しかし超人的な知恵と技を持つ工作員に伝達され、ボーンを殺ろうとするのが、三部作に共通したパターン。結局、人間を人殺しのマシーンに変えることの意味を問うシリーズであった。そのことにボーンは一定の決着をつけたのだから、この娯楽作はこれで打ち止めと言うことなのだろう。三部作を通じて出演したニッキー(ジュリア・スタイルズ)が今回唯一のヒロインの座についた。本部からの情報の繋ぎ役だった。常にいわれたままに繋ぐ無表情とときおりみせる「戸惑う顔」が印象的だった。この作品において彼女は見事な変貌を遂げる。最後のシーンは彼女の顔のアップで終わる。忘れられない顔だった。イーココロクリック募金
2007年11月17日
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監督、主演、編集 マイケル・ムーアなんともうまい編集である。インタビューで相手がさりげなく「そういえば、医療費だけじゃなく(フランスでは)妊娠中の子守も保障されているわ」といえば、その直後にはその取材場面に切り替わる。そうやって次々と皆保険のない米国と手当ての厚いカナダや、欧州やキューバとの違いを浮き立たせる。ムーアにとって都合のいい事実だけを並べている。「だからこの映画は偏向している」と言う感想ならばその人は正しい。けれども、「だからこの映画は間違いだ」と言うのなら、それは大間違いだ。やはりこれは見事なドキュメンタリーである。偏向した(主張のある)事実をこれでもか、というほど見せる。ドキュメンタリーの王道だろう。しかもエンタメで楽しい。内容は深刻だけど、なぜか楽しい。おそらく、落語と同じである。演じている人間は絶対に笑わないが、内容はえらく皮肉が効いていて,くすくす笑が絶えない。ラストタイトルで、(フランス人の言葉だけれどもと言う但し書きが一呼吸遅れてついてやはり笑うのだけれども)「アメリカ人は偉大だ。なぜなら自らの間違いを正すことが出来る」と付く。あるいは、ムーアは言う。「アメリカ人は今迄だってほかの国のいいところを取り入れてやってきた。ワインだってそうだろう?」その通りだ。近年、カリフォルニアワインの充実振りは目を見張るものがある。日本には健康保険がある。けれども、この映画を見て気がつくのは、どんどんアメリカに近づいていっているという現実である。日本もほかの国のいいところをどんどん取り入れてここまでやってきたのだ。タダ、医療に関していえば、アメリカのいいところだけを取り入れてきたのだろう。ホント人事じゃあ、ない。「なぜアメリカ政府はフランスの悪口ばかりを言ってきたのか。フランスのこの現実を知らせたくなかったからだ。」それは日本にもいえている。フランスのこの福祉の充実振りを、あなたは知っていた?私はこれほどまでとは知らなかった。
2007年11月03日
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「誰でも人を殺すことは出来る。けれども、心の空洞は埋められない。」監督 : ニール・ジョーダン 製作 : ジョエル・シルバー 出演 : ジョディ・フォスター 、 テレンス・ハワード 、 ナビーン・アンドリュース 、 ニッキー・カット 、 メアリー・スティーン・バージェン ある日、恋人を殺され自らも暴行を受け、自分の身を守ることから拳銃を手にしたことにより拳銃で法で裁かれない悪を撃ち殺していくことになった一人のか弱い女性。彼女はどうなっていくのか。銃社会の中いつ正当防衛であれ人を殺す可能性を誰もが持っている社会、アメリカ人にとっては切実な問題なのだろう。また、悪人だったらその場で殺してもいいのか、「正義」だったら殺してもいいのか、と言う問いはイラク戦争を経たアメリカにとっては、やはり切実な問題でもある。ひとつの答は、同じアパートに住むアフリカ系の女性が言う冒頭の言葉に集約される。彼女のふるさとでは、子供に銃を渡し、親を殺させる、という。(「ブラッド・ダイヤモンド」でもありました。)そうやって、人を殺すことに麻痺させる、と言う。人を殺すことは慣れることは出来る。けれどもいったん出来た心の空洞は決して埋まることはない。エリカ・ベインもそのことをひしひしとと感じる。けれども、殺しに完全にブレーキをかけることは出来なかった。「私は別人になった。もう戻れない。」この映画はだから人殺しはいけない、と単純にはいってはいない。法による裁き以外に、正義による裁きはありえるのだ、とも言っている。正義を神と変えてもいいかもしれない。これはたぶん日本人には分りにくい感覚だろう、と思う。これを突き詰めると、結局イラク戦争も正当化される。つまり、最後の最後で世界を変えるのは、神=人間だ(「作為」)、と言う価値観でもあるだろう。一方、日本の場合は違う。最後の最後で世界を変えるのは、「自然」である。だから人の力の及ばざるところ、偶然によって、突然世界は変わるのである。作為と自然、この二つの概念は国によって強弱はあるけれども、どこの国でも時代でも存在する。個人から国の方針まで。どのように考えたらいいのか、悩ましい部分でもある。映画では、ジョディ・フォスターがさすがに鬼気迫る演技をしている。全てが彼女のようにはならないだろうけれども。すこしづつ顔つきが変わっていく、すこしづつ悩みながら人が変わっていく様を見せる。映像とは恐ろしいものだと思う。
2007年11月02日
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ミュージカルは苦手な私です。「シカゴ」は全くダメで、「プロデューサーズ」もダメだったので、「最高傑作だ!」と興奮している方に感想を言うのが心苦しくなって「ドリームガールズ」は最初から見るのをやめました。けれども、観る前からダメだと思うのは私の主義に反するので、今回は見に行ったわけです。あまり寝ていなくて、しっかりと食べた後に見たのに、全く眠たくならなかった。監督・振付・製作総指揮 : アダム・シャンクマン 出演 : ジョン・トラボルタ 、 ミシェル・ファイファー 、 クリストファー・ウォーケン 、 クイーン・ラティファ 、 ザック・エフロン 、 ニッキー・ブロンスキー トレーシーが朝目覚めて自信たっぷりに学校へ行く。それだけのオープニングなのに、今までの主人公なら、もっと悩んでいるはずなのに、彼女には悩みはない。もちろん何も考えていないわけでもないし、感受性もある。街にあふれる失業者たちにも明るく挨拶をするし、踊りすぎてバスを乗り過ごしても全然へこたれない。トレーシーの魅力がこの映画の魅力を支えている。ちびデブでもへこたれないように、その後の黒人差別問題も彼女にとっては、悩みもなく「差別撤廃」で突き進む。全ての評価基準はダンスがうまいかどうかだけ。50年代から変わった社会を見ようとしないジョン・トラボルタの母親を街に引っ張っていく歌や、「僕たちはここまでやってきた。」と高らかに歌うラスト。覚えたい歌が幾つかあった。こんなことは珍しい。
2007年10月29日
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1961年、キューバのカストロ政権転覆を目論んだピッグス湾侵攻作戦がCIA内部の情報漏れで失敗し、指揮をとったベテラン諜報員エドワード・ウィルソンは窮地に立たされる。第二次世界大戦前夜、イェール大学在学中に秘密結社スカル&ボーンズに勧誘されされたのを機に、この道に足を踏み入れて以来、戦中、戦後と優秀な諜報員として暗躍してきたが、その陰で妻と息子は孤独な生活を強いられていた…。(goo映画より)監督・出演 : ロバート・デ・ニーロ 製作総指揮 : フランシス・フォード・コッポラ 脚本 : エリック・ロス 出演 : マット・デイモン 、 アンジェリーナ・ジョリー 、 アレック・ボールドウィン 、 ウイリアム・ハート 体調が万全でなくて、最初だけならまだしも、半分以上、時々意識が飛んでしまった。この映画にかぎっていえば、それは致命的です。だからほとんど批評できない。息子はお父さんに反発するか、色濃く影響してしまうか、どっちかなんでしょうね。この映画の場合は、お父さんのようになりたいと思った息子の挫折があとになって生きてい来る。まあ、製作者と監督がこうだからいうのではないですが、やっぱり「ゴッド・ファーザー」的映画だったのかも。
2007年10月21日
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監督 : クリス・ヌーナン 製作総指揮 : レニー・ゼルウィガー 出演 : レニー・ゼルウィガー 、 ユアン・マクレガー 、 エミリー・ワトソン 、 ビル・パターソン 、 バーバラ・フリゼルウィガー が製作総指揮までしていたとは、知りませんでした。思い入れたっぷり演技でしたね。一度イギリスに行ったことがあります。同室の男性は北海道に住んでいる人で、同じような風景だといっていました。けれども違うのは荒れた土地がほとんどないということ。マンチェスターの街中を歩いていると、家が売りに出されている。なんと円で200万円。建ててから100年以上たった家なんてざららしい。そうやって直しなおししながら、イギリスの人たちは生活費を安く押さえているのだな、と思う。けっして、「国民総生産世界第二位」と言うことが、その国民の裕福度の指標にはならないのだ、実感した瞬間でした。土地開発に抗して、自然を守ろうとする態度、それを支えるポターの読者たち、イギリス人たちの誇っている顔が見えるような映画でした。
2007年10月19日
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監督 : ジェームズ・フォーリー 出演 : ハル・ベリー 、 ブルース・ウィリス 、 ジョヴァンニ・リビシ 、 ゲーリー・ドゥーダン 知り合いの映画ファンが、「たいへんおもしろかった」といわれるので、一応チェックしました。いわれるとおり、どんでん返しが身上のサスペンスであり、それを楽しむ映画です。それともうひとつ、ハル・ベリーの美しさ。しばらく彼女は、目が光る超能力者をしていたので、普通の人間の役をしたらとても新鮮。まあなんとセクシー、美しい。ずっと身体にフィットする服を着ているので、それだけでも楽しめます。犯人当ては外れました。だって根拠が見つからなかったので。最後は無理やり‥‥‥と言うかんじは否めない。「ボルベール」はスペインだったからあのような物語になった。それがアメリカに舞台を移すと、このような物語になるのかもしれません。(もちろんこれは犯人を当てるためのヒントです。ダメ?)
2007年10月19日
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「人生はおとぎ話じゃないのよ。現実は残酷なものなの。」内戦終結後もフランコ軍への抵抗運動が続く1944年スペインの山岳地帯。少女オフェリアは、臨月の母と共に再婚相手のフランコ軍大尉の駐屯地にやってくる。大尉は非情で残酷、罪無き者を平気で殺し、母を子供を生む道具としか見ていない。オフェリアは生まれてくる弟に囁く「外の世界は平和ではないわ」オフェリアは一方で大好きなおとぎ話そのものの世界に迷い込む。ラビリンス(迷宮)の奥で、牧神パンは少女に云う。「あなたが三つの試練に耐えることが出来たなら、地下王国の皇女として迎え入れることが出来るでしょう。」製作国 : メキシコ=スペイン=アメリカ 監督 : ギレルモ・デル・トロ 監督・製作・脚本 : ギレルモ・デル・トロ 出演 : イバナ・バケロ 、 セルジ・ロペス 、 マリベル・ベルドゥ 、 ダグ・ジョーンズ 、 アリアドナ・ヒル普通のファンタジーならば、ここで少女は一挙に伝説の世界に入り込み、もし現実世界に戻ることが出来たならば、そのときは少女が大きく成長したとき‥‥‥ということになるのかもしれない。けれどもこの映画は違う。少女は現実世界から離れることができない。 一つ目二つ目の、おぞましくも怖く、美しい幻想世界の試練を克服するのと平行して、現実世界では、母親と赤ん坊、そして少女が心情的に味方しているレジスタンス組織にも残酷な運命が訪れる。そして三つ目の試練、少女には過酷な運命が襲う。果たして彼女は地底の国で皇女として迎え入れられることが出来るのか。少女には厳しすぎる現実(ファシズムという絶対悪)とファンタジー(厳しさ、そして夢と希望)が対置される。ファンタジーの中で少女は時に泥にまみれ、地中虫にたかられ、あるいは子喰いの怪物に襲われながら、試練に立ち向かう。この私でも目をそむけるような場面があるので、結末も含め女性陣の支持は得られにくいかもしれない。私でさえ、少女にこれまでもの過酷な運命を与えるのならば、映画「レオン」みたいな騎士を配置して欲しかったと思う。少し恨みに似た感情さえ覚える。しかし、まさに世界とは、このように残酷で美しいものなのだ、と少女や我々に教えてくれているのだろう。そしてその中には大人には見えない「真実」がある。見事な映画だったと思う。CGは凄くない。妖精もパンも怪物もどこか時計仕掛けめいていて、それがまた幻想性を作っている。スペインレジスタンスたちの描写も映画としてみるのは久しぶりで嬉しい。一番上の言葉は、母親が娘を叱る時に言ったことである。確かにそうだ。人生はおとぎ話ではない。けれども、私はファンタジーを人生から離すことはしないだろう。
2007年10月08日
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監督・製作・脚本 : トッド・フィールド 原作・共同脚本 : トム・ペロッタ 出演 : ケイト・ウィンスレット 、 パトリック・ウィルソン 、 ジェニファー・コネリー 、 ジャッキー・アール・ヘイリー ケイトが普通の主婦を見事に演じている。公演デビューにも染まりきれない、エリートの夫の変態趣味に気づいて、こんなはずじゃなかったと思っている元文学部の女性、になりきる。設定は不倫相手の妻ジェニファーコネリーより見劣りがする少し太った30台女性なので、時々小じわも寄る。もちろん不倫旅行から帰ってきたときの彼女は美しい。大人になりきれない大人の群像劇である。「イン・ザ・ベッドルーム」の監督の作品なので、心理描写には素晴らしいものがある。しかし話の構造は、日本が得意する昼のメロドラマではある。私的には御免なさい、作品になってしまった。
2007年09月30日
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現在MOVIX倉敷ではワンコイン上映というものをしている。このシネマコンプレックスでは、ちょっと前の人気作品や単館系の話題作を一週間限定で半年に二回ほど500円の格安で上映するようになった。この作品を私は半年ほど前に見逃していたので、嬉しかった。平日の昼、なんと300席近い椅子が半分近く埋まっている。上映側と観客の要望が゛合致している。この枠をぜひ広げていってほしいものだ。「不都合な真実」(写真はキリマンジャロの雪が十数年で消えてしまったことを示す)監督 : デイビス・グッゲンハイム 出演 : アル・ゴア 地球温暖化の厳然たる事実と、そのことがもたらす地球の未来、そして問題の所在を「米国大統領に一瞬だけなった」ゴア氏が、コンピュータースライドを駆使し、実に説得力を持って「講座」する。約80%がその講座をそのまま映像化しているという異色のドキュメンタリーである。それだけこの講座がよくできているということなのだろう。彼はこの時点でこの講座を1000箇所以上開いているという。凄いものだ。講座の合間に、ゴア氏の個人的な思いが吐露される。ゴア氏の父親は議員も勤めた地方の有力者で、幾つかの農場も経営していた。タバコ畑もそのひとつだ。タバコと肺がんとの関係が暴露されたあとも、父親は畑をやめようとはしなかった。しかし、父親の娘でありゴア氏の10歳上のヘビースモーカーの姉が肺がんで死んだあと、父親はタバコ畑をやめた。人間は、目の前に銃を突きつけられなければその危険性に気がつくことがないことの方が多い。地球温暖化の問題はまさにそれだ。政治家はいかに説得力を持つデータを指し示そうと「それがどうした」という反応しか示さない。政治家の頂点まで登りかけていた人がいうのだから説得力がある。これが人間の性なのか、と絶望的な気分にも陥る。けれども最後で10幾つかの具体的なCO2削減の計画を達成さえすれば70年代初頭の水準まで戻ると断言する。そうだなあ、と私も思う。人間は何もないところから設計図を作り、設計図通りに建物を作ることが出来る唯一の動物である。人間は未来を予測し、対応策をとることが出来る唯一の霊長類である。ただし、結局はあと10~50年、時間との競争なのだろう。この映画を出来るだけ多くの人が見ることが出来ますように。
2007年09月14日
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「女を殺す男は醜いが、男を殺す女は美しい」ということを誰が言ったか、というと私がでっち上げました。すみません。監督 : ペドロ・アルモドバル 出演 : ペネロペ・クルス 、 カルメン・マウラ 、 ロラ・ドゥエニャス 、 ブランカ・ポルティージョ 、 チュス・ランプレアヴェ 女は、という言い方をすると反発する人もいるとは思うが、女はいったん腹が据わると、まるで掃除や引越しをするみたいに死体を片付けるし、結果的に絶妙な嘘をつく。もちろん警察が動き出したならば、すぐにばれる嘘ではあるが、彼女にはそもそも動機がないのでおそらくばれないだろう。信頼関係もあるし。隣の男性に血のついた首筋を見られても、「女にはいろいろあるのよ」といって納得させてしまう!!男なら、計画殺人かプロの暗殺者でない限りは、あんなどうどうとした嘘はつけない。犯罪映画ではあるが、決してサスペンスでもなければ、罪と罰の物語でもない。スペインの原色の夏、ペネロペ・クルスが時に母親、時に娘、時に女を絶妙に演じる。女は女の悲しみを知っているのだろう。慾と愛憎さえ絡まなければ、女は女を裏切らない。男の監督はそれをおそらく知ったのだろう。男にとって新鮮な女を描いている。後味は悪くない。月並みな言葉が残る。「女はこわい」(このこわいは、「饅頭こわい」のこわいです。)
2007年08月20日
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最初のカタール米軍基地を襲う場面は、日本の怪獣映画を思い出してどきどきした。日本の映画のような気がしてならなかった。エイリアンはやってくるが、いいエイリアンと悪いエイリアンと分かれているところなんか、日本のマンガ雑誌と構造が似ている。大変楽しめました。子供だましだけど。監督・製作総指揮 : マイケル・ベイ 製作総指揮 : スティーブン・スピルバーグ 出演 : シャイア・ラブーフ 、 タイリース・ギブソン 、 ジョシュ・デュアメル 、 アンソニー・アンダーソン 、 ミーガン・フォックス
2007年08月19日
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"不良"(ツォツィ)と呼ばれる少年(19歳くらいか?)が、おそらく初めての殺人を犯す。南アフリカの首都の郊外。少年が本物のマフィアになろうとする直後に「赤ん坊」に出会う。後はご想像の通り。監督・脚本 : ギャヴィン・フッド 原作 : アソル・フガード 出演 : プレスリー・チュエニヤハエ 、 ZOLA 、 テリー・ペート この映画のいいところはそのような話の筋ではない。この映画では最近のアフリカ映画のように「雄大なアフリカの自然」は出てこない。東京によく似たネオン街と、その直ぐ近くに広大に広がるスラム街。そのスラム街の直ぐそばにある孤児たちのすむ土管の家。いろんな立場の人たちが、ツォツィと赤ん坊を軸に、いやおうなく結びつく。白人の刑事、黒人の富裕層、鉱山で障害者になった物乞いの老人、仕立てで生計を取る赤ん坊を抱える寡婦、チンピラ、貧しくて学業をあきらめた青年。結局、南アフリカのひとつの「現実」を、それでも平和で裕福な日本の一地方都市に居ながらにして見ることが出来る。この映画の一番の価値はここだろう。
2007年08月02日
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モーツァルトの「魔笛」のオープニングの曲に合わせ、俯瞰映像から個別の映像へ、やがて俯瞰映像へ移っていくオープニングが素晴らしい。太陽の光から春の野原、スミレに移り、その花を摘んだ男の手が塹壕に入る。時代と場所は第一次世界大戦のある戦場だと分かる。塹壕を走り回る兵士、塹壕の端で将軍が車から降り戦闘の合図をする。雲の合間から旧式の戦闘機が姿を現し、俯瞰映像に、そして戦場では一人一人の兵士の突撃場面へ。人が次々と倒れていく。監督・脚本 : ケネス・ブラナー 音楽 : ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 出演 : ジョセフ・カイザー 、 エイミー・カーソン 、 ルネ・バーベ 、 リューボフ・ペドロヴァ 、 ベンジャミン・デイ・デイビス 二時間弱。オペラ「魔笛」をほぼ丸々聴くことになる。(すみません。音楽はからしき知らないので全て聞いたのかどうかは不明。)なによりもモーツァルトのこの曲が素晴らしい。なかなかこの曲の全体像を聴くことが無いので、「そうか、この有名な旋律はこのように繋がっているのか」と感心することしきり。構成には感心するところと退屈なところがあった。うまいこと、戦争映画にこの「魔笛」を移し変えているところもあった。一方、じっくり歌を聴かせたいと言う意図なのか、背景もあまり変わらず、ひとりの歌をずーと画面に載せている場面もあった。歌自体が素晴らしいのかどうか、よく分からないのでそこは退屈。ミュージカル映画とは違う。オペラという曲重視の演劇に映画をくっつけたこの試み、とりあえずほとんど退屈はしなかったので成功しているのではないか。決定版というほどではないかもしれない。次回作に傑作が待っている、ということで楽しみは増えたかも。映画は戦争と平和という問題を真ん中において、最後は平和をたたえる、という風に終わるのではある。うーむ、意図はよく分かるし、タミーノは「平和のためよりも愛のために僕は行く」と答える所なんかなかなか意味深ではあるのだが、最後の試練の洪水があまりにも局地的な試練であってイマイチだったりしてのめりこめない。モーツァルトに「戦争と平和」を託そうという試み自体が無理なのではないかと思う。モーツァルトはそんな男ではない。人間の「自由」を主題としたところで光り輝く人なのではないかと思う。それを証拠に魅力的だったパートは、夜の女王の場面だったり、パパゲーノとパパゲーナの小鳥のような求愛場面だったりする。
2007年08月02日
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アルツハマーで亡くなられた3人のお母さんはいい手を考えたものだと、つくづく思う。お母さんはおそらくこのフランスのル・ピュイからスペインの西の果て、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまで1500kmにも及ぶ巡礼路を一緒に歩く巡礼ツアーに一度は参加したことがあったのだろう。お母さんはおそらく何十年に渡り、兄弟の不仲には心を痛めていたのだろう。お母さんはおそらく、それを解決する機会は自分が死んだとき、自分の遺産をエサに3人を動かすことが出来る時しかない、と思い定めていたのだろう。お母さんはおそらく、三人が最後まで行くことも予想して「あのような遺言」も書いたのだろう。「サン・ジャックへの道」(仏製作)監督 : コリーヌ・セロー 出演 : ミュリエル・ロバン 、 アルチュス・ド・パンゲルン 、 パスカル・レジティミュス この映画のいいところは、そういう兄弟の確執を旅によって癒すというテーマに集中しない、ということだ。彼らはツアー参加者のうちの三人に過ぎない。だからこの映画は基本的に9人の群像の旅映画になった。私の貧乏旅も基本は「歩く」ことである。歩くと時間はかかるし、身体はきつい。しかし自分がどこにいるかがよくわかる。10年たってそこに行ってもまざまざと道を思い出す。あるいは、世間や仲間のうちで、あるいは人生の中で、自分の位置にも気づかせてくれることもあるかもしれない。作品中では別に大きな出来事があるわけではない。兄ピエールが突然人が変わったことに共感できる人はどのくらいいるだろう。あれはある程度旅をした人にとっては当たり前の反応なのであるが、ご都合主義に映らないだろうか。心配だ。旅に出たくなった。貧乏旅に。
2007年07月23日
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あーあ、あの車ホントに壊れているよ、このスタント痛そ。監督 : レン・ワイズマン 出演 : ブルース・ウィリス 、 ジャスティン・ロング 、 マギーQ 、 ティモシー・オリファント 、 メアリー・エリザベス・ウィンステッド 昔のアクション映画が帰って来た。もちろん全て実写じゃないけど、ところどころ、本物しかありえない映像が続き、どきどきする。ハイテクを使ったサイバーテロ対、ローテクのロー刑事と言うアイディアの妙。あの時語られていた娘さんがこんなにも立派になって、というおじさん趣味。しかも二人の登場女性が気が強くてかわいい。「M:i:III」で美味しい役をやったマギー・Qがまたも(見方によるが)儲け役、メアリー・エリザベス・ウィンステッド もこれをきっかけにブレイクしそうな予感。ワシントンロケはどのようにやったんだろ。まるで日本の怪獣映画を見るみたいに次々と街を壊していく快感。F-35と言う戦闘機は本当にあんな芸当が出来るんだろうか。最近の兵器って、凄い。冒頭の歴代大統領映像を使ったテロ声明もなかなか面白かった。映画ならではですね。マクレーン刑事は絶対に死なないということを知っていても、どきどきする映画館体験。久しぶりに二時間が短いと感じた。ハリウッド映画を久しぶりに楽しんだ。
2007年07月05日
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監督・製作・脚本 : メル・ギブソン 脚本 : ファルハド・サフィニア 出演 : ルディ・ヤングブラッド 、 ダリア・ヘルナンデス 、 ジョナサン・ブリューワー 、 モリス・バード 、 カルロス・エミリオ・バエズ映像処理が素晴らしく、色が綺麗で、スピード感があって、上手いなあ、と思う。飽きることがなかった。エンタメとしては素晴らしい。モチーフ的にも、映画当初に出てくる誰かさんの「文明の滅びる根本原因はその内部にある。」という文明警句が全てなんだろうと思う。それには依存はない。けれども、マヤ文明の描き方に(全然詳しくはないけど、)どうも胡散臭さを感じてしまうので、あまりのめり込めない自分がいる。あらゆる自然から知恵を借りる長老の話がジャガーの村の信仰心だと思うのであるが、一方で唯一神も信仰しているらしい場面がいくつもある。地獄の思想も(翻訳の問題なら申し訳ないが)出てくる。マヤの都市の描き方も、時間の都合もあっただろうが、あの公害の描き方、退廃の描き方は、現代都市を移し変えただけのような気がして、あまり信じることが出来ない。 それはそれとして、天然記念物の獏の猟を楽しんでいるところなんか、縄文時代の熊狩りを想像して面白かった。長老の話なんか、アイヌの伝承を髣髴させて大変面白かった。produced by 「13日の水曜日」碧猫さん
2007年06月27日
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監督 : デビッド・フィンチャー 出演 : ジェイク・ギレンホール 、 マーク・ラファロ 、 ロバート・ダウニー・Jr 、 アンソニー・エドワーズ 、 ブライアン・コックス この映画を見始めてすぐに思い出したのはボン・ジュノ監督の『殺人の追憶』だ。類似点は多い。おそらくはフィンチゃー監督は相当この作品に影響されているだろう。相違点もある。その点が大変興味深かった。類似点は話の構想そのものだ。いまだ解決していない実際にあった無差別殺人事件について、その犯人像を暴くのではなく、そのときの時代背景を丁寧に映しながら、犯人を追い求める人たちの情念を描く。特に69年から70年前半にかけてのサンフランシスコの街やその郊外のアメリカの風俗を、丁寧に丁寧に描ききっている。冒頭近く、遠くを歩く通行人のファッション、道路を走る一台一台の車まで全て時代考証をしているし、遠景もひとつも現代を感じさせるものがなかった。監督は本気だ、そう思った。相違点は、80年代の韓国と、70年代のアメリカの違いである。民主化前後の閉塞された社会の韓国では、犯人の追及はあくまでも二人の刑事に任されていた。しかし、情報化社会のアメリカではこの犯罪は犯行声明や記号が飛び交い、劇場型犯罪になる。だから韓国のほうは田舎の後進性と職人気質が浮かび上がったが、アメリカのほうはベトナム敗戦直後の廃頽、80年代のレーガンの新自由主義序章の世界(トレーラーハウス等)が浮かびあがる。アメリカのほうが現代に引きづりながら、それらが何も解決していないということを示唆している、ように私には思えた。
2007年06月21日
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監督 : リチャード・エアー 脚本 : パトリック・マーバー 出演 : ジュディ・デンチ 、 ケイト・ブランシェット 、 ビル・ナイ 、 アンドリュー・シンプソン 二人の役者の演技合戦を見る映画だと、気持ちを切り替えた。事実二人は役になりきっている。ここには、かつて女王やMI6長官をやったような超然とした女性はいないし、エルフの女王をやったような気高い女性はいないし、「バベル」の瀕死の妻が若干かぶるけれども、この映画のようにさまざまな感情表現はしない。それはそれで楽しかった。タダ、出てきた感想は貧弱。女は怖い。特に分別がまだ残っている大人の女性は怖い。一手二手先を考えることが出来るのに、感情に任せて動いてしまう。それはそうと、イギリスのマスコミはほんとにゴシップが好きなんだね。
2007年06月16日
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「人生は一篇の劇に過ぎない。世界は、明日取り壊されるかもしれないフィッツジェラルド劇場にすぎない。」ということを誰が言ったかというと、私がでっち上げました。すみません。監督 : ロバート・アルトマン 出演 : ウディ・ハレルソン 、 トミー・リー・ジョーンズ 、 ケヴィン・クライン 、 リンジー・ローハン 、 ヴァージニア・マドセン 、 メリル・ストリープ 、 ギャリソン・キーラー 実はアルトマン作品は、ほとんど見たことがない。「M★A★S★H」(1970)も、もしかしたらビデオで見たかもしれないが、よくは覚えていない。ただ、彼の遺作であるということだけは事前情報としてちらりと聞いていた。つまり事前情報はないに等しかった。映画が始まる。今宵で閉めてしまうラジオの生放送のショー番組の話らしい。豪華俳優は次々と出てくるのに、物語がいっこうに始まらないので、いじいじしていると、次第とただこのショーを楽しめばいいのだということがわかってくる。監督の遺作らしいが、遺作にしてはきっちりと脚本がこなれていて、力強さもある。映画つくりというのは大変な作業のはずだ。長い長い期間をかけて準備して、一つ一つのシーンを時間をかけて全力で映し、終わったあとも長い長い編集作業がある。けれどもできた映画は二時間程度で終わる。まさに一篇のショーの時間だ。それでいいのだ。それで十分に映画になるのだ、とアルトマンは思い定めたようだ。そして人生に対する未練がひとつも感じられない。これは凄い事なのだろう。傑作だ、とは言えないかもしれない。けれども、映画好きなら一度は考えたことがあるだろう、というようなことを私は思った。普通ならば、映画と映画館に迷惑をかけることなので、たとえ夢見たとしてもやってしまってはいけないことなのではあるが、この「今宵、フィッツジェラルド劇場で」に限っていえば、かえってこの映画と映画館の評判を高めることに資するだろうと、私は固く信じる。つまりそれはこんなことだ。観客がまばらな昼下がりの映画館で、フランス製の心地よい劇場シートに身を沈めながら、この映画が始まって一時間と少しぐらい経って子守唄のような歌声を聴きながら、この映画のラストを知ることなく、眠るような死んでしまえたらな、と思う。それはおそらく、世界で一番幸せな死に方だったと人は言うだろう。
2007年06月15日
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監督 : ゴア・ヴァービンスキー 出演 : ジョニー・デップ 、 オーランド・ブルーム 、 キーラ・ナイトレイ 、 チョウ・ユンファ 、 ジェフリー・ラッシュ もっと単純な話にすればよかったのだ、という気持ちと、海賊映画はこうでなくちゃ、裏切りに次ぐ裏切りがこの世界観の真骨頂なのだから、うまいこと収まってよかったのだ、という気持ちがまだ拮抗している。(後半のほうに若干気持ちは傾いている)今まで出てきた登場人物が、生の世界も死の世界も含めてぐちゃぐちゃのかき回されて、しかしこれは「詰め込みすぎ」ではない。そもそもディズニーのアトラクションから生まれた話なのだから、おもちゃ箱で結構なのだと思う。残念なのは、子供にわかる筋立てになっていないということだろう。「スパイダーマン3」のときは、脚本の破綻を批判し、こき下ろした。この映画に関して脚本は破綻しているがこき下ろす気にまったくなれない。だから、もう少しわかりやすくしてほしかった。それに尽きる。(もしかして最初の10分間遅れて言ったのが致命的だったのだろうか、とふと不安になったりして)悪い作品ではない。犬君もしっかりキャラを作っていたし。produced by 「13日の水曜日」碧猫さん
2007年06月08日
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「主人公は僕だった」監督 : マーク・フォスター 出演 : ウィル・フェレル 、 エマ・トンプソン 、 マギー・ギレンホール 、 ダスティン・ホフマン 、 クイーン・ラティファ 物語を作る場合に、往々にして「全知の第三者」が登場する。しかし、もし物語の主人公がその第三者の存在に気がついたとしたら‥‥‥。という話である。好みは分かれるかもしれないが、私は面白かった。小説を書いたことのある人なら、たいていは面白いと思うだろう。結末のつけ方が何故あのようになったのかも、あそこにポイントがあるのだ、と気がつくだろう。この映画は悲劇でも喜劇でもない。非常に哲学的な映画なのである。俳優が総じてなかなかいい。エマ・トンプソンなんかスランプの作家の表情が良く出ている。ダスティン・ホフマンを最近良く見かけるが、何か心境の変化があったのだろうか。それからマギー・ギレンホール!話は横道にそれるけれども、ハーバード大学中退でパン屋を始めた肩に刺青がある反体制の娘の役をしているマギー・ギレンホールがかわいい。彼女は税金を78%しか払わない。防衛費や大企業を助けるための税金分は払いたくないというわけだ。彼女を好きなウィル・フェレルは国税局の職員だから、見逃すわけには行かない。こんな提案をする。「22%分はボランティア団体に寄付するという手段もあるよ」彼女は「抵抗することに意味があるの。」という。そりゃあそうだ。そうやって折り合いをつけたとしても、78%払ったうたちの22%はやはり不本意に使われてしまうのだから、最後まで抵抗することに意味があるのだろう。二人が結局何に折り合いをつけるかは映画を見ていただくとして、羨ましいと思ったのは、税金として払う22%を寄付として使うことの出来るアメリカの制度である。アメリカは寄付社会だ。弱肉強食のやり方は日本よりは進んでいるが、一方で寄付によりNPO法人は日本よりは活発だ。日本も寄付による免税措置をアメリカ並にしたなら、もっと住みよい社会になるのに。produced by 「13日の水曜日」碧猫さん
2007年05月31日
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つまらない作品は簡単に済ませます。そういう作品は基本的にあまりTBを送りませんが、ひとつもないと将来調べものをするときに困るので2~3送ることにしています。そういうことなので、不快に思った方はTBの返しをしなくていいです。なんか断りが長くなりました。本文より長くなったりして(^_^;)監督 : サム・ライミ 出演 : トビー・マグワイア 、 キルスティン・ダンスト 、 ジェームズ・フランコ 、 トーマス・ヘイデン・チャーチ 、 トファー・グレイス 、 ローズマリー・ハリス わたしが参加する映画を語る会のサークルでも、(わたしが一番辛口の評論家なのですが)一様に「なに!あれ?」という反応でした。「2のほうは良かったので、期待していたんだけど、せっかく丁寧に築いてきた人間関係がこれでめちゃくちゃになった。」「つくらいなほうが良かった。」散々でした。基本的に話がご都合主義的過ぎます。無理やり終わらそうという魂胆が見え見えです。特撮はさすがに大金をつぎ込んだだけあって凄いものがあります。砂の一粒一粒をよくぞあそこまで動かしたと思います。けれどもその何十%かを脚本につぎ込んでほしかった。蛇足)この映画は最低賃金生活に入る前に観たので、お金はカウントしません。ご心配の方、一日二個の弁当生活で何とか戦略通りに行っているということを報告しておきます。
2007年05月20日
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人と人が信じあえるのに、言葉は必要なのだろうか。という疑問がわいてきた。そんな映画でした。また長い前ふりをします。早く読みたい方は写真がアップされているところまで降りていってください。幕末前後の外国人の日本旅行記を分析した著書「逝きし世の面影」(平凡社ライブリー 渡辺京二)にこのような行(くだり)がある。開放されているのは家屋だけでなかった。人々の心もまた開放されていたのである。客は見知らぬものであっても歓迎された。ルドルフ・リンダウは横浜近郊の村、金沢の宿屋に一泊したとき、入り江の向かい側の二階家にあかあかと灯がともり、三味線や琴に賑わっているのに気づいた。何か祝いごとをやっているだろうと想像した彼は、様子を見たく思ってその家を訪ねた。「この家の人々は私の思いがけぬ訪問に初めはたいそう驚いた様子であったし、不安を感じていたとさえ思えた。だが、この家で奏でられる音楽をもっと近くから聞くために入り江のむこうからやってきたのだと説明すると、彼らを微笑みをもらし始め、ようこそこられたと挨拶した。」二階には四組の夫婦と二人の子供、それに四人の芸者がいた。リンダウは、歓迎され酒食をもてなされ、一時間以上この「日本人の楽しい集い」に同席した。彼らは異邦人にびくびくする様子もなく、素朴に好奇心をあらわにして、リンダウの箸使いの不器用さを楽しんだ。そして帰途はわざさわ゛リンダウを宿屋まで送り届けたのである。これは文久二(1862)年の出来ごとであった。渡辺京二氏は、当時の日本の家の鍵などかけない開放性、卑屈になるのでもない恐れ戦くのでもない好奇心をあらわにする親和性、そしてどんな貧しそうな者でも決して物を盗まず、見返りを求めないもてなしをする礼節、それらが一様に一人や二人ではなく何十人という外国人が書いた日本旅行記にことごとく書かれているというのである。「ここに輝いていたのは、日本の古き庶民生活の最後の残照であった。」と渡辺氏は言う。果たして現代日本にその光は少しも残っていないのか、という疑問は措いておいて、現代でも外国を旅すると、そういう体験をすることがある。旅の道連れになって一泊だけ同宿したキム君、道を教えてくれた食堂のお兄ちゃん、車に乗せてくれたオモニ、そんな体験はすでにほかにも何度も何度も書いた。心を伝えるのに、本当に言葉は必要なのだろうか。「バベル」監督 : アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 出演 : ブラッド・ピット 、 ケイト・ブランシェット 、 ガエル・ガルシア・ベルナル 、 役所広司 、 菊地凛子 、 アドリアナ・バラッザ この映画では幾つかの言葉が使われている。バベルの寓話は人間の放漫に怒った神が人々の言語を分かち、混乱に貶めたというものらしい。だからてっきり外国で登場人物が一人残されて、言葉も出来ずに混乱するという話かと思っていた。けれどもそういうことは一回もない。むしろそれぞれの思いが通じなくなるのは、同じ言葉を話す同国人のほうが多い。物語始めのブラピの夫婦。モロッコの牧畜兄弟。チエコと表面的に付き合う聾の仲間。ブラピとバスの人々。アメリアとブラピの電話のやり取り。検問場面でのガルシアと警官との会話。等々、すべて同じ言葉で会話されている。そしてこの映画で気持ちが通じる場面はすべて言葉にならない言葉ばかりであった。幕末の日本人がそうであったように、旅先で私が出会った人々のように、不完全の言葉であれば言葉以外のことを使って人々は「思い」を伝えようとする。その場合のほうがすんなり心の中に入ってくる。「バベル」とはただ、それだけを伝えようとした映画なのではないか。追記(07.05.06)昨日気がついたのですが、このアメリカ、日本、メキシコ、モロッコの国は世界の中で貧困率が高い国の五つの中の三つなのです。OECD(経済協力開発機構)が加盟国(30ヶ国)の貧困状況について比較調査した2005年報告書に「貧困率」というデータがある。貧困率とは、国民の平均所得の半分以下しか所得のない人を「貧困者」とし、国民全体の何%になるかを示すデータなのだが、これによると日本の貧困率はメキシコ(20.3%)、米国(17.1%)、トルコ(15.9%)、アイルランド(15.4%)に次いで世界で5番目の15.3%。中進国のメキシコ、トルコをのぞけば、先進国で3番目の高貧困率国ってことになるという。もしかしたらこのデータが監督が日本を舞台にした理由なのかもしれない。貧困率が高いということは『格差社会』であると言うことです。それは人々に大きなストレスをもたらすのだろう。摩天楼のようなバベルの塔のようなビルがある日本やアメリカにおいても、その根本においては神が罰を与えた当時の人類と同じ状況なのだ、ということなのでしょう。
2007年05月04日
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『善き人のためのソナタ』という映画がはねたあと、近くの公園に弁当を食べに行った。GWの始まりの昼下がり、後楽園をぐるりと囲む旭川はゆたりと流れ、岡山城がかむなび山(聖なる山)の操山を借景として黒くそびえていた。満足して弁当を捨てるゴミ箱を探す。数年前には確かにあったはずの場所にない。公園のどこにもゴミ箱が無い。「しかたないなあ」とゴミ箱を探して街に出る。あった、岡山で老舗のラーメン屋の前にダストボックス。近づいてびっくりする。入れ口をガムテープでしっかり止めているではないか。この段階でやっと役所の明確な意思を知る。「それほどまでにテロが怖いのか?数年前と比べて市民が何か悪いことをしたとでもいうのか?」ぶつぶつ言いながら、コンビニを探す。まさかコンビニのゴミ箱まで撤去していることは無いだろう。おお、あった。セブンイレブンの前にカンカン入れとともにゴミ箱。私はやっとじゃまくさい弁当ガラを処分してほっとする。今日は、コンビニの前がいつもとは増して明るく感じる。コンビニにしてもこのようなちょっとした便利がカスタマーサービス(顧客満足)の一環なのだろう。役所にしても、街の中にコンビニは適当な位置に配置されているからちょうどいいのだろう。けれども、ふと思う。なぜコンビニなのだ?なぜコンビニだけが許可されているのだ?コンビニが行政に献金などで圧力をかけた?けれども、ゴミ処理費用は馬鹿にならないコストがかかるはず、費用対効果でそれは無いだろう。役所は街中のコンビニのゴミ処理費用は例外としただろうか。そんな報道は耳にしたことが無い。少し視点を変えて考えてみる。なぜコンビにだけはゴミ箱の設置が許可されているのか?テロの危険性なら、人が多く出入りするコンビニのほうが危険ではないのか。いや、待てよ。人が多く出入りする‥‥‥?コンビニの前は明るい‥‥‥?24時間開いている‥‥‥?そしてコンビニの大きなガラス面から中を見ると壁と天井の角のところにある黒い物体がわずかにこちらに向いている。そうか。コンビニには監視カメラがあった。おそらくカメラのひとつは店の中から外のほうにも向いているのだろう。何しろ、雑誌万引きを監視する必要がある。そうか、だからこそコンビにだけはゴミ箱設置が「許可」されているのだ。それほどまでにいつの日から我々は監視されなければ「許可」されない存在になってしまったのかいつの日から我々は監視されることを「許して」しまったのか今日私は、外からのゴミをここコンビニに捨てた事は「許された」のだろう。けれどもそれも許されなくなる日は近いのではないだろうか。先日、岡山ではタバコポイ捨て禁止条例が制定された。同じ理屈で、やがてあらゆるゴミは「地球環境のために持ち帰り」「自己責任で」処理をしなければ罰せられることになるだろう。そのためには、あらゆる行動は監視され、機械だけでは間に合わないので密告を奨励することになるだろう。ある日「これぐらいはいいだろう」と思ってした私の行為はたちまちのうちに国家公安委員会によって知られることになり、共謀罪の成立を待たなくても、その先例つくりの一環として逮捕されるだろう。そして取調室で「おまえ、実はよからぬことを計画しているだろう?」と凄まれ、「黙秘しても無駄だよ、吐いちまいな。この監視ビデオの記録がある限り、起訴は出来るんだよ。今吐いたら、罰金刑で済ましてやるからさ。知っているかもしれんが、日本の刑法じゃあ、起訴されたら99.9%は有罪になるんだぞ。へっ、へっ、へっ。」(参照映画「それでもボクはやってない」)と脅される。私ついに折れる。「ごめんなさい。私が悪うございました。実はゴミを捨てただけではなくて、畏れながら○○も○○も、しいては国家に歯向かう○○まで計画していて、さらにはブログで○○のようなことまで書いていました‥‥‥」‥‥‥だんだん話が妄想の世界に入ってきたので(コンビニでゴミ箱を見つけるところまでは事実です)そろそろ本題(?)の映画の感想を書きます。(すみません。あまりにも長い前ふりでした*_*)「善き人のためのソナタ」監督・脚本 : フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク 音楽 : ガブリエル・ヤレド 出演 : ウルリッヒ・ミューエ 、 マルティナ・ゲデック 、 セバスチャン・コッホ この映画は、東ドイツ末期の監視体制がどこまで徹底して行われたか、その中で体制側の人間だった国家保安省(シュタージ)局員のヴィースラーが何故変わることが出来たのかを描いた映画である。ヴィースラーの短い呟きがかえって彼の心の中の嵐を語っていて見ごたえがあった。結局、長い間インテリとして信じてきた体制の正義を超える価値観を植えつけたのは、決定的だったのは、感情のこもった音楽であった。現在30歳以上の日本人の多くは社会主義国家は恐ろしいところだと教え込まれてきたと思う。ものがない国、自由が無い国、監視社会、管理国家‥‥‥。しかしこの映画を見て判るようにこれほどまでの管理社会でもやはり「西側」の書物は比較的容易に手に入れることは出来たようだ。西側のラジオはたとえ役所の地下作業所でも容易に聞くことは出来た。問題は社会主義国家なのではない。国家のありようなのだと思う。アメリカやイギリスを例に取るまでもない、自由なはずの現代日本においても、いつの間にか「監視社会」になっている可能性があるということは、上で書いた通り。「美しい国」で私の妄想が本当にならないよう、出来ることは少しでもしていきたいと思います。
2007年04月29日
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「ブラッド・ダイヤモンド」アフリカ・シエラレオネ共和国。反政府軍組織RUFに捕まり闇ダイヤの採掘場で強制労働を強いられていたソロモンは、作業中に大粒のピンクダイヤを発見。再び家族と暮らすために危険を承知でそれを隠すが、直後に政府軍によって捕らえられてしまう。一方、刑務所で巨大なピンクダイヤの話を耳にしたダイヤ密売人のアーチャーは、その在り処を聞き出すために、同じ刑務所に収監されていたソロモンを釈放させよう画策し…。(goo映画より)以下RUFの採掘場へ決死の覚悟で行く2人の会話を、二人の気持ちとともに脳内で再現してみました。ソロモン「子どもはいるのか」アーチャー「いや、いない。」ソロモン「結婚しているか」アーチャー「していない」ソロモン「金はあるか」アーチャー「いくらかは(笑)」ソロモン「ダイヤが手に入って金ができたなら結婚するか」アーチャー「分からない」ソロモン「私には理解できない」ソロモンには理解できない。結婚できる条件が出来たなら、結婚をして、子どもを育てる、それ以外の何を望むというのか、ソロモンには理解できない。アーチャー「ああ、俺にもなぜなんだかわからないよ。」アーチャーは思う。そうだよな。俺の幸せとは何だったのだろう。子どもの頃は散々だった。9歳で内戦に巻き込まれ、母はレイプされた上で殺され、父は首を切られてつるされた。コッツィー大佐に拾われて人を殺すことや商売を覚えた。金ができても少しも心休まることは無い。けれども、あの美人記者の目は純粋だったな。もしかしたら、2人ですごすということが幸せだったのかもしれない。望みようも無いけど・・・。RUFが村を襲う場面、RUFと政府軍との戦闘場面がすごい。ソロモンの息子をしだいと殺人兵器に変えていく、描写がむごい。その中でぽっかりかんだこの会話だからこそ意味があるだろう。TIA(これがアフリカだ)という言葉が数度出てくる。「ナイロビの蜂」と「イノセントボイス」のテーマをひとつにしたような映画。地獄のような内戦の描写。雄大な自然との対比。スピィーディーな展開。見事なエンタメ、社会派融合映画である。レオ様もこのような映画なら、影があって野性的で、少し弱弱しいところもあって、よく見たら美男子の役がよく似合う。監督 : エドワード・ズウィック 出演 : レオナルド・ディカプリオ 、 ジェニファー・コネリー 、 ジャイモン・フンスー 、 マイケル・シーン 、 アーノルド・ボスロー(コッツィー大佐)
2007年04月26日
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監督 : ダニー・ボイル 脚本 : アレックス・ガーランド 出演 : キリアン・マーフィ 、 真田広之 、 ミシェル・ヨー 、 クリス・エヴァンス 、 ローズ・バーン 単館上映にはかからない、かといってシネマコンプレックスでは二週間で打ち切られる。このような映画には、低い確率だが、傑作であるということがある。‥‥‥ということで、見る予定はなかったのだが、思いついてみてしまった。結果は二週間で打ち切るべきだ。宇宙船で潜水艦映画のようなことをする意図はいい。けれども、あんた「目的達成のために仲間を犠牲にする」とか、「太陽に爆弾を落とすことへの畏れ」とか、すべて中途半端。
2007年04月23日
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予想していたのとまるっきり違った。ロマンスキーの「戦場のピアニスト」のようなどうどうとした反戦映画を思っていた。ロマンスキーは故国に帰ると、人が変わったような映画を作った。しかし、故国オランダに帰ってもポール・バーホーベンはバーホーベンだった。製作国 : オランダ=ドイツ=イギリス=ベルギー 監督・脚本 : ポール・バーホーベン 原案・脚本 : ジェラルド・ソエトマン 出演 : カリス・ファン・ハウテン 、 セバスチャン・コッホ 、 トム・ホフマン 、 デレク・デ・リントエンタメ精神は忘れないし、編集がスピーディーだし、人間を突き放してみているし。勘違いしないでほしいが、この映画が「反戦」を訴えていないわけではない。かっての彼の作品「スターシップ・トゥルーパーズ」について、私の周りは誰もが頷かなかったのであるが、あれは原作を見事に逆手に取った反戦映画だった。この作品も、何度も何度もどんでん返しを使いながら、全体的には戦争が作る「狂気」を描いているのである。その意味では、非常に怖い映画だ。事実を基に作ってあるのだそうだからなおさらだ。やるじゃない、バーホーベン。やるじゃない、オランダ映画!
2007年04月16日
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ドイツには今17基の原発があり、110数件のトラブルが報告されているという。(日本にはその約三倍の原発があり、報告の精度はそれよりもおそらく低い)もし近郊の原子力発電所で臨界事故が起きれば人々はどうなるのか、という映画だ。事故そのものは一切映さず、70キロ郊外の田舎町に住んでいる女子学生ハンナと弟ウリーと恋人エルマーの運命をドラマで描く。監督 : グレゴール・シュニッツラー 出演 : パウラ・カレンベルク 、 フランツ・ディンダ 、 ハンス=ラウリン・バイヤーリンク 、 カリーナ・ヴィーゼ 放射能の恐怖を描いた点で、日本を除けば、今まで見た映画のどれよりもリアルである。それは彼らの経験の無い核戦争の話だったからではなく、チェルノブイリの「見えない雲」を実際に経験した国民だから描けたのだろう、と思う。興味深かったのは、それよりも実際に事故が起きたときの政府の対応と民衆の反応との剥離だ。政府は(おそらくマニュアルに沿って)「家に閉じこもりなさい」と指示をする。警察やラジオは決して「逃げなさい」とは言わない。それどころか、警察あるいは軍隊はところどころで道路を封鎖し、駅に人が入らないように入り口を固める。交通パニックが起こっているからであるが、しかし本当に逃げないほうが安全だったのか。この映画では、おそらく違うといっている。それはたとえば、ハンナの村はその後一年間ほど立ち入り禁止区域になってしまったことでもわかる。パニックに巻き込まれ、放射能の雨を浴び、ハンナは被爆する。どの道がよかったのかは分からない。しかし、判ったのは政府が行うのは「民衆を守るためではない。秩序を守るためだ。」ということだ。実は日本では全然絵空事ではない。皆さんは知っているだろうか。このような「有事」の場合、テレビやラジオや公務員や、自衛隊はどのような行動をとるのか、すでに法律、条令が市町村、放送局などの会社規定段階まで確定しているということを。その最たるものはNBC攻撃への対処で、核攻撃の場合は「至近距離では、布(できれば水で濡らしたもの)で口と鼻を覆う」(鳥取の国民保護計画)という唖然たる指示が出てくる。このことでも明らかなように、本来の自治行政を犠牲にして膨大なエネルギーを費やした計画書は、一つの地域が実際に戦場となった時、その適応性を欠き、ほとんど無意味に近いものとなろう。はっきり言ってドイツのそれよりも非現実的かつ硬直的である。原発の事故隠しが報道されているが、問題はそこだけにあるわけではない。想像力を働かせよう。映画はそれを手助けする。最後に、この映画は魅力的なヒロインのおかげで充分鑑賞に堪えうる青春映画になっているということも付け加えておく。
2007年04月15日
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私としては珍しく、今週の興行収入一位の作品を「褒め」ます。監督・製作 : ショーン・レヴィストーリー&脚本 : ロバート・ベン・ガラント&トーマス・レノン出演 : ベン・スティラー 、 ロビン・ウィリアムズ 、 カーラ・グギーノ 、 ディック・ヴァン・ダイク要は自然博物館版『おもちゃのチャチャチャ』。設定を楽しめるかどうかに、面白いかどうかが、かかっている。と、いうわけで、旅で見知らぬ土地に行くと、先ずは(歴史)博物館に寄る私としては、十分に楽しめた。 卒論でネイティブのある女性を対象にしていた女性学芸員が、生命を持った彼女を相手にして『質問することは山ほどある』と叫ぶ気持ちはよーくわかる。私なら竪穴式住居で、家族三人と犬とで穏やかな食事をしている弥生人が生命を持ったなら早口で少なくともこれだけのことは質問したい。「あなたの最も好きなお話の題名は何?」「死んだら、どこに行くと聞いている?」「王様はいるの?どんな人だと思う?」つまり遺物では判らない彼らの「気持ち」をしりたいのだ。実はこの自然博物館に展示されている人たちのほとんどは、私の興味外の人たちである。元大統領も、西部開拓民も、ローマの王様、エジプトの王様もどうでもいい。でも彼らが、本来知られているよりも少しわがままだったり、弱虫だったり、優しかったりするのは見ていてとても楽しいものだ。
2007年04月04日
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監督 : ナンシー・メイヤーズ 出演 : キャメロン・ディアス 、 ケイト・ウィンスレット 、 ジュード・ロウ 、 ジャック・ブラック 人気俳優を配して、「分別」と「後一歩が踏み出せない」との間の線引きが難しい「大人の恋」を描いている。まあ、狙いは良いのだけど、これが日本の映画なら、言葉にならない俳優の表情をじっくり撮らせて味わいある傑作になったかもしれないが、ハリウッド映画だと皆しゃべる、しゃべる。アイデアは奇抜だけど、落としどころはありきたり。それぞれの俳優にあまり共感しなかった。
2007年03月26日
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監督 : スティーヴン・フリアーズ 出演 : ジュディ・デンチ 、 ボブ・ホスキンス 、 ウィル・ヤング 、 ケリー・ライリー 、 セルマ・バーロウ 、 クリストファー・ゲスト イギリスはどうしてこんなにも裸の見世物が好きなんだろう。それを見せたことがどうして映画になるのだろう。うーむ、面白くなかった。趣味の問題だろうか。確かに戦意高揚のレビューを戦時中にかけながら、裸を見せた、というのは表現の自由を守ったともいえるかもしれない。その点では、太平洋戦争勃発で東京中が勝利に酔いしてれているときに、ひとり文楽を見に行き、消え行く文化を悲しんでいた加藤周一のような状況の日本とは大いに違うのかもしれない。でも、だからといってそんなに凄いことだとも思えない。
2007年03月25日
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この前紹介した「ビッグ・イシュー日本版」(3/1号)の巻頭はニコラスケイジのインタビューになっている。もちろんノーギャラで応じたに違いない。しっかり映画「ゴーストライダー」の宣伝をしている。監督・原案・脚本 : マーク・スティーヴン・ジョーンズ 出演 : ニコラス・ケイジ 、 エヴァ・メンデス 、 ウェス・ベントリー 、 サム・エリオット 、 ピーター・フォンダ ニコラスはアカデミー主演男優賞を受賞したときのオスカー像とともに、この「ゴーストライダー」の第一巻も一緒に飾っているらしい。「彼に感情移入したのは、恐ろしいキャラクターだったからではないかな。恐ろしいものが善なるものということもあるってことを理解しようとしていたんだ。」「子供のときは怖い夢にうなされたり、怖いものがいっぱいあってね、だからヒーローと友達になることで悪夢を乗り越えようとしたんだ。」ゴーストライダーは「黄金バット」よろしく、ヒーローが骸骨顔になる。けれども昼間は普通の人間で、美女と恋仲になるというなんともアメリカ的なヒーロー。ニコラスの思い入れはわかったけれども、作品的にはイマイチ。テーマ的には悪魔的な力を得た普通の人間で善的なことをする、いう点をもっと際立たせてほしかった。ニコラスにとってはあのひたすらかっこいいバイクに乗っただけで満足なのだろう。自己満足的な映画になった。可能性としては魅力的なだけに惜しい。「
2007年03月24日
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昨日はイラク戦争開戦四周年で、各地でデモや集会が開かれた、はずである。(検索したけど出てこない)私も一応デモ行進だけはした。朝日のイラク特措法延長に「反対」69% 本社世論調査(2007年3月14日)の記事に見るようにこの点に関しては安倍政権は完全な「裸の王様」である。まあ、いいんだけどね。「24シーズン5」をやっと見た。アメリカ映画で大切にされる価値観の二大事項、家族愛と愛国心その二つの葛藤を描いて面白いシリーズなのだが、ジャックともシーズン1と比べると、とんでもなく遠いところに来てしまったなあ、という感想を持った。最初の頃ジャックは明確に家族よりも国への忠誠を選んでいた。しかし、その結果妻を失い、娘に危ない目を合わせ、しだいと考えを変えて行った様だ。この間の中間選挙の影響もあるのだろう、このシリーズで初めて大統領は明確な悪役となる。テロに加担する大統領という衝撃的な事実が発覚する。このシリーズを見ていると、9.11に対する国民感情が透けて見えて面白い。ブッシュも今や「裸の王様」だ。
2007年03月21日
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監督 : ガブリエレ・ムッチーノ 出演 : ウィル・スミス 、 ジェイデン・クリストファー・サイア・スミス 、 タンディ・ニュートン 、 ブライアン・ハウ 気乗りのしない映画だったのだが、ウィル・スミスがアカデミーにノミネートされたということもあり、万が一ということもあり、見てきた。やはりプロパガンダ映画ですがな。あんた、一文無しになったのはほんの一瞬じゃあないか。あんたが(能力と努力は確かにあったけど)成功したからといって、ホームレスに陥っているアメリカの多くのワーキングプアへの励ましにはならないでしょう。
2007年03月04日
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当りでした。あまり期待していないで、こんなのに当たると心底嬉しい。監督 : ロジャー・ドナルドソン 出演 : アンソニー・ホプキンス 、 ダイアン・ラッド 、 ポール・ロドリゲス 、 アーロン・マーフィー 、 アニー・ホワイト 60年代初め、63歳の老人が25年がかりの夢を果たすために、ニュージーランドの田舎からアメリカ大陸に渡ってくる。愛車インディアン(オートバイの改良品)を船で運び、最高速度を競う競技に参加するためだ。超貧乏旅行。けれども持ち前の楽天性で、旅を乗り越える。全体の半分以上がロードムービーになっている。基本的にほんとにあった話。このおじいちゃん、ひとつだけの夢を追い求めて酒もタバコもせずにバイクだけをいじってきた全くのバイク馬鹿。そんなんが一目見て分かるのか、彼に出会う人はみんな、ゲイも、ネイティヴインディアンも、未亡人も、ベトナム休暇兵もすぐ仲良くなれる。旅人の視点で60年代初めのアメリカの姿をあぶりだし、返す刀で夢追い人の応援映画になっている。実は彼がやる車中泊も、外国の超貧乏一人旅も、私は経験しているので、めちゃくちゃ共感しながら見た。そうなんです。こんな旅は他人からの「親切」なしには成り立たないのです。大変なことはきっとあるけど、そんなことは旅なのだから当たり前。受けた親切だけを覚えていたら、いつまでも素晴らしい旅の思い出として残ります。(実際困難なことは案外ないものです。)ただし、私の旅の場合、なにかが足りないのか、このおじいちゃんのように女性にはもてなかった(^_^;)。名優アンソニー・ホプキンスが笑顔のかわいいおじいちゃんを演じています。ハンニバル教授もこんな罪のない趣味に打ち込んでいたなら、あんなことをしなくても良かったのに‥‥‥。後半は少し意外な展開。そして最後に出てくる一言にサプライズ!
2007年02月14日
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製作・監督 : マーティン・スコセッシ 脚本 : ウィリアム・モナハン 出演 : レオナルド・ディカプリオ 、 マット・デイモン 、 ジャック・ニコルソン 、 ベラ・ファミーガ 、 マーク・ウォールバーグ まだ「インファナル・フェア」三部作を見ていない方は、まずは「ディパーテッド」を見たあとでこの三部作を順番に見ることをお勧めします。どうしても前作がちらついてしまって、客観的な評価ができない。すみません。密告と裏切りの世界。登場人物たちはほとんど悩んでいないように思える。でもそれはそれで、9.11以降、盗聴し放題になった(「テロ防止法」のおかげでFBIの許可を得れば出来るらしい)アメリカ社会の今の雰囲気を映しているのかもしれない、とも思う。乾いた映像。最後の畳み掛けは、まさに「ディパーテッド」。レオ様が彼女にあてた手紙の内容が気になる
2007年02月01日
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監督 : ソフィア・コッポラ 原作 : アントニア・フレイザー 出演 : キルスティン・ダンスト 、 ジェイソン・シュワルツ 、 ジュディ・デイヴィス オーストリア皇女マリーは、14歳にしてフランス王太子ルイ16世の元へ嫁ぐことになった。結婚生活に胸を膨らませていたが、待ち受けていたのは、上辺だけ取り繕ったベルサイユ宮殿の人々と、愛情のない夫婦生活。ルイは必要な事以外はマリーと口もきかず、同じベッドに寝ていても、指一本触れない。愛情深く育ったマリーだったが、悪意溢れる噂に傷つき、やがて贅沢なドレスやパーティーに心の安らぎを求めるようになる。(以上goo映画情報より)監督のお父さんのパーティはこんな感じだったのだろうか。少女は華やかさと孤独をその中に見ていたのだろうか。本物のベルサイユ宮殿や、衣装や、お菓子等等見所はあるらしいのだけど、興味の無いものにとってはちょっと退屈な二時間だった。
2007年01月30日
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締め切りぎりぎりですが、いちおうインターネットの投票に参加しておこうと思います。評価についてはすでに書いたベスト20を参照してください。[作品賞投票ルール] ・選出作品は5本以上10本まで ・持ち点合計は30点 ・1作品に投票できる最大は10点まで『 外国映画用投票フォーマット 』【作品賞】(5本以上10本まで) 「スタンドアップ」 3 点 「父親たちの星条旗」 3 点 「硫黄島からの手紙」 3点 「ココシリ」 3 点 「亀も空を飛ぶ」 3 点 「イノセントボイス-12歳の戦場」 3 点 「グエムルー漢江の怪物 」 3 点 「ナイロビの蜂」 3 点 「ミュンヘン」 3点 「白バラの祈り」 3 点【コメント】今回邦画と比べて洋画の水準が高すぎた。甲乙つけがたい。【監督賞】 作品名 [ クリント・イーストウッド] (「 」)【コメント】誰も文句ないでしょう【主演女優賞】 [ シャーリーズ・セロン] (「スタンドアップ」) この内容(以下の投票を含む)をWEBに転載することに同意する。
2007年01月18日
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「麦の穂をゆらす風」 監督 : ケン・ローチ 出演 : キリアン・マーフィ 、 ポーリック・デラニー 、 リーアム・カニンガム 、 オーラ・フィッツジェラルド IRA(アイルランド共和軍)の歴史は複雑だ。 アイルランド独立戦争の現代史を評価しようとすると、 袋小路に入り込み出てこれない。ひとつだけわかるのは、アイルランドに独立の大義はある。ということだ。民族独立権は、人類が獲得してきた歴史的な権利であると、私は思う。大英帝国が冒頭に示すような集会禁止条例を盾にした暴行等、数限りない民族独立権への侵害には怒りを覚える。主人公デミアンも結局それらに我慢できずにIRAに身を投じる。しかし、映画は独立の大義を高らかにうたわない。デミアンは「僕は一線を越えたかもしれない」とつぶやく。イギリス軍兵士を初めて殺したときではない。情報を敵に漏らした友を命令のために射殺したときである。大義はどこかで微妙に歪められる。(いや、歪められているかどうかという判断もこの独立戦争に対して私は判断できない。)兄弟は個人の力ではどうしようもないところに自分をおいてしまう。それが歴史の中を生きる、ということなのだろう。同じように兄弟相殺しあう映画としては朝鮮戦争を扱った「ブラザーフッド」があり、圧倒的な暴力描写で私を押し切ってしまった(この年の私のベスト3)。あるいはギリシャの内戦で双子の兄弟が殺しあうことになった「エレニの旅」では、丘の上の会話の神話的な描写がある(この年のマイベスト1)。そして、この作品では、IRAと自由国軍との内戦は非常にリアルスティック、そしてドキュメント的に表現される。ただし、デミアンが兄の最後の説得を冷たい目で見る目にはぞっとさせられる。やりきれないラストだ。2006年12月30日、イラク政府は「われわれは自主的に、正当な手続きを踏み、前イラク大統領フセインを処刑した」と発表した。その直後からシーア派に対する無差別テロが頻発する。そしてイラク政府はアメリカとともに大規模な掃討作戦を決定する。米軍は二万人の増兵を決定する。この作品の中身は明確にそれまでのイラク戦争を反映しているし、映画が完成した後の世界を予言している。この映画の中身は「今まさにそこにある悲劇」だ。「一線を越えたんだ」この言葉の意味は大きい。
2007年01月13日
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監督・脚本・製作 : ウスマン・センベーヌ 出演 : ファトゥマタ・クリバリ 割礼は、何百年も続いてきたこのアフリカの村の風習だ。しかし、子供は本能でそれを嫌う。四人の子供は逃げてきた。二人の子供は自殺までしてしまう。母親は立ち上がる。最初はひとつの家族から。やがては村のほとんどの女たちが。長老は絶対に認めない。帰って悪い情報を与えるラジオを没収して回る。村には長老の独裁的な権限と、保護を求めてきた子供は無条件に保護されるという民主的なおきてとがある。長老は抵抗している母に鞭を打って従わせようとする。女の夫ならそれが出来る掟のようだ。夫はいやいやながら、けれども村全員が見ている前で容赦なく打つ。けれども女は「保護」を撤回しようとはしなかった。女たちはさらに団結をする。の縮図がここにあるだろう。ここに不当なはいかに廃れていくのか、どのように闘えばいいのか、重要ながある。私は重要な法則を実はこの映画を見る前に見つけていた。哲さんがその「具体例」がこの映画にあるというので、見に行った。重要な法則とはなにか。「男だけの会議で精神論を持ち出すと、なぜかどんどん暗くなっていくが、女だけの会議で精神論を持ち出すと、なぜかどんどん明るくなっていく。」割礼には何の経済的効果もないだろう。あるのは伝統を守るかどうか、ということと得体の知れない価値観の転換への恐怖である。男は具体的な達成目標がないとどんどん暗くなっていく。女は何をするだろうか。夜を徹して話し合う、あるいは寄り添う。そして歌を歌うのである。ひとりが朗々と歌う。周りがリズムをつける。そのとき古い法は廃れていくだろう。教育基本法の闘いの時には、もっと歌う必要があっただろう。護憲の歌はもっともっと必要だろう。
2007年01月12日
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監督 : ジョナサン・デイトン 、 ヴァレリー・ファリス 出演 : グレッグ・ギニア、トニー・コレット、 スティーヴ・カレル よく考えたら、アメリカはもうずーと前から「勝ち組、負け組みキャンペーン」の先進国だ。この映画の中で、お父さんが、「負け組み」「勝ち組」なる言葉を何回も使うのは当たり前。この家族の一人一人は「勝ち組負け組みとは何か」という命題に対して、それぞれの回答を引き出す。自称(たぶん客観的にも)プルースト研究家の妻の弟は言う。「彼はずーと病弱で、職にも就けないニートで、恋人に死に別れた神経質な男で、20年かけてたった一つの小説を書いた者に過ぎない。それがいまや、シェイクスピア以来の大文豪になっている。」(うろ覚えなので、ニュアンスは違うかもしれない)だから負け組みとか決めるのは、自分自身しかないのさ、こういうメッセージはストレートに伝わってきた。気持ちのいい作品。
2007年01月11日
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