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yokota115@ Re:荒れ放題の我が家の「雑草園」 先ずは植木鉢の整理(04/02) こんばんは ブログ再開されていたのです…
エンスト新 @ Re:荒れ放題の我が家の「雑草園」 先ずは植木鉢の整理(04/02) こんにちは 植木鉢100鉢は圧巻ものです…
木昌1777 @ Re:荒れ放題の我が家の「雑草園」 先ずは植木鉢の整理(04/02) こんばんは。これだけの鉢を出した整理も…
かずまる@ @ Re:荒れ放題の我が家の「雑草園」 先ずは植木鉢の整理(04/02) クマタツさんお疲れ様です! 野菜の苗を植…
かずまる@ @ Re:おはぎ(03/27) クマタツさんお久しぶりです! ワタシの持…

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2014.01.20
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カテゴリ: 鹿児島の歴史
IMG_2682.jpg

 南泉院歴代住職の墓を206号に戻り、更に進み小野公園を過ぎて幸加木バス停近くを左折し、幸加木川を少し上流へ行くと建設会社に行きつく。その建設会社の右側に次のような案内板を見つけた。

 「木村探元の墓」(きむらたんげんのはか)
木村探元時経は、延宝7(1679)年、城下千石馬場の甲突河畔(現在の平田橋の東たもと)に生まれました。
 小さいころから絵を描くことがじょうずでしたが、23歳のとき江戸に出て、狩野探信の弟子になり、狩野派の絵を学びました。その後、鶴丸城内や京都の近衛家の障壁画などを描き、それがすばらしい絵だったので、世間の人たちから「見事探元」とたたえられました。また日本画ばかりでなく、和歌・茶道・書道にもすぐれ、晩年には雪舟に心酔し、狩野派の絵に雪舟の山水画をとり入れたといわれます。
 磯別邸には、木村探元が描いたふすま絵が今も残っており、その一部は、尚古集成館に展示してあります。探元は、明和4(1767)年、88歳で亡くなりました。

 それを見て足元の悪い細い坂を登って行くと左上には沢山の五輪塔? があり、少し先に木村家の歴代の墓標など数個の中心に上の探元の墓標があった。

IMG_2683.jpg






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Last updated  2014.01.20 10:44:45
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