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2014.05.16
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カテゴリ: 鹿児島の歴史
IMG_3485.jpg

 円通寺跡墓地を探すのは一筋縄ではいかなかった。
事前に地図で調べて行ったのだが、この山の一角だろうと思っていても、入り口が分からない。それらしき道をみつけるために周囲を何回も歩き回ったあげく、やっと竹の倒れた上を超えたりしながらたどり着いた。しかしそこは、歩き回ったときに寄った護国神社のすぐ下に当たる場所だった。
つまりは、ハローワークの前にある護国神社を登って行って拝殿の右下に墓地は位置していたのだ。

 円通寺跡墓地はその昔「閻通庵」と呼ばれていた。伊集院久氏の娘が、許婚者・渋谷右馬助の菩提を弔うために建立したと言われる。

IMG_3477.jpg

 いわゆる「坊主墓」と言われる住職の墓標もあり、ここに違いないとは思ったが、帰って他の資料により、ここが円通寺跡墓地ということが確認できた。

 旧い墓標の一部

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 新しい墓標もある墓地だが、旧い墓標が集められていた。

IMG_3480.jpg

墓地を歩いていると、一つの案内板が目に入った。近づいてみると「本田兄弟の墓」とある。

 長男・親正と二男・親直の二人の墓である。

IMG_3487.jpg

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本田兄弟は伊集院の名家・犬丈馬場の本田家で生まれた。弟の親直は、後に一族の本田廉四郎の養子となった。
兄弟の父は西郷隆盛と親交があったので、兄弟が慶応三年藩主に随い京都に行くとき、西郷は「お前たちが戦死したらは墓はおれが建ててやる」と言って励ました。二人は鳥羽、伏見の戦いで奮戦した後、越後に転戦し兄親正は病にかかり病院に入院中砲声のはげしさを聞き病床にあるを偲びず、杖に頼り戦線に出て奮戦中遂に弾丸に当たり戦死した。時に26歳だった。弟親直は村松城の攻撃で弾丸で傷つき新発田病院で亡くなった。22歳の若さだった。

 西郷は約束通り明治2年8月石工を連れて本田家を訪れ、自分で筆をとって碑文を書き、石工に彫らせ、兄弟の墓を建てた。碑文の後に「隆永」とあるのは西郷隆盛のことである。

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Last updated  2014.05.16 15:57:40
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