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エンスト新 @ Re:荒れ放題の我が家の「雑草園」 先ずは植木鉢の整理(04/02) こんにちは 植木鉢100鉢は圧巻ものです…
木昌1777 @ Re:荒れ放題の我が家の「雑草園」 先ずは植木鉢の整理(04/02) こんばんは。これだけの鉢を出した整理も…
かずまる@ @ Re:荒れ放題の我が家の「雑草園」 先ずは植木鉢の整理(04/02) クマタツさんお疲れ様です! 野菜の苗を植…
かずまる@ @ Re:おはぎ(03/27) クマタツさんお久しぶりです! ワタシの持…

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2018.07.21
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カテゴリ: 鹿児島の歴史

 夏の厚い一日、「2018 かんまち本でさるく上町歴史散歩」に行ってきた。
この日は猛暑に加えて、先日降った桜島の「へ」(灰)が風に舞い上がるコンデションの悪い日だったが20数名の参加者だった。
 最初に行った「高崎正風翁の碑」は長田町の南風病院の玄関近くにある。
高崎五郎右衛門(父)高崎正風(子) 天保7年(1836)~大正元年(1912)の墓地については、拙ブログの2018年5月19日に書いた。父の五郎右衛門の関係する「お由良騒動」についてもそこで触れている。



 この先にある長田神社下から西郷隆盛終焉の地である岩崎谷方向に延びる山すその道に長田窯があり、山手側には敷地面積600坪の「焼き物方御用屋敷」があったという。
この通りは「茶碗屋馬場」と呼ばれていたそうだ。沿線には茶碗屋があった。




 ここは、その当時 登り窯があった?



 いよいよ長田神社へ。
六月灯(鹿児島の夏の風物詩で各神社毎に夜店などが出て夜遅くまで賑わう)が近日中に開かれるのか階段でもその準備に余念がなかった。



 古色蒼然たる神社である。しかしその風格はピカ一。
それもそのはず、承久3年(1221)勧請されている。
創建以来 福ケ迫諏訪神社と言われていた。初めは出水野田郷山門院木牟礼城内に創建されるが、島津家5代貞久は東福寺城(鹿児島市多賀山)を攻め落とすと、下諏訪神社として現在の福ケ迫に移した。
なお、上諏訪神社は清水町の南方神社に移される。上山城(城山につくられた山城)の守護神となっており、代々島津家藩主の崇敬が厚いという。主祭神が神戸長田神社と同じ事代主之命であるとして、明治2年に長田神社と改称され現在に至っている。



 社正面の「長田神社」の書は30代忠重の筆による。



 見事な龍の手水鉢



 天明7年にこれをつくったとの彫りがある。4人の人物の寄贈のようだ。
時代は1780年代で25代重豪の治世の頃と言われる。



 他にも手水鉢が。


 神社の片隅にはここにも「水神」「山神」の碑がひっそりと置かれていた。




 「茶碗屋馬場」に関する薩摩焼の話については次回書こうと思う。





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Last updated  2018.08.18 18:11:07
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