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今日は脳外科へ通院の日でした。担当医が変るので、どんな先生だろうと不安でいっぱいもしかして患者の顔も見ないで、パソコンの画面ばかり見て、薬だけドッサリくれる無愛想な医師?はたまたものを尋ねるのに私を無視して両親の顔ばかり見て喋る、患者信用しない医師?名前を呼ばれて入って行くと、意外な事に女の先生でした。私はあれだけお医者にかかるのに女医さんは始めてです。そちらの方が意外?先生はにこやかに名札を見せて「…と言います。よろしくお願いします」とおっしゃって、私の目をじっと見ながらその後の具合を訊き、血圧を測り、カルテに記入しました。その間、私の顔とカルテを見られただけ。「血圧もいいし、変った事もないし、いいですよ。ちょっとでも変った事があればすぐに受診して下さいね」とおっしゃって、今日の受診終了。あんな先生は始めてです。みんな母か父ばかり見て問診されるのに。脳梗塞になって言葉がよけい不自由になりました。脳性マヒの言語障害に加えて脳梗塞の言語障害とダブルパンチです。デイサービスの職員には、判らなかったら判るまで訊いて下さいとお願いしています一番困るのは両親です。耳の遠い母とは携帯のメールで話しています父は私より半年早く脳梗塞になり、体の方は異常無しですが頭がはっきりしなくなりました。人の言う事が理解できないようなのです。それに今言った事をもう忘れている。私の言う事を変なふうに聞き返します。困ったものです。でも今日の先生は素敵だな気分良くて、病院の隣のコーヒーの美味しい喫茶店でモーニングを食べて帰ったのです
2013年01月11日
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9月になったというのになんという暑さでしょう。暑さに弱い私は相変らずへばっておりますパソコンの置いてある場所は午後からは陽が射して、パソコンの熱と太陽の熱で耐え難いまでの暑さ。先日、気分が悪くなり、慌てて扇風機にあたりながら水分補給しました。危なかったかも・・・8月9日にインプラントの最終段階の手術を受けました。手術といっても土台に人工の歯をねじこむだけです。インプラント5本とその間にブリッジをかけます。全部で10本。麻酔をかけて、骨に直接ねじこみます。首が動くし、顎関節症で口をあまり大きく開けない私の歯茎に先生は素早く入れてくださいます。約1時間程で終了。でもそれから上と下が噛みあわず、食べ物を噛むことができなくなりました。どうしよう、高額治療を受けたのにこれでは・・・失敗の選択だったかと泣きたくなりました。2週間後、メンテナンスに行った時に訴えると、「まず見た目がきれいに見えるようにしました。これから下の歯で調節します」とのこと。下の歯に継ぎ足しをして、噛めるようになりました。昨日は歯磨き指導を受けました。驚いたことに歯ブラシは1月に1度くらい替えた方がいいんですって。私のは5~6年同じ物ですよ。ひえ~今後は長く持たせるために歯磨きをしっかりすることと、月に1度のメンテナンスに通うことになり、インプラント治療は終了しました。最初の手術が昨年の9月初めだから、丸1年かかった事になります。私は本数が多かったのと、土台埋入手術を2度に分けて下さった事もありますが、ネットでとても簡単なように書いてあっても信じない方がいいと思います。歯医者さんとよく相談して、絶対任せて大丈夫と信頼できる所で治療してもらうよう経験者としてアドバイスいたします。特に障がいを持つ方は、自分の障がいの事を本当によく理解してくださる先生を選んでください。高額で保険が効きません。よく考えて受けられる事をお勧めいたします。今年も肢体不自由児・者の美術展に絵と写真を出品しました。6月中頃に「何を描こう?」と悩んでいた私に「ユリ、描いたらええねん」という母の一言で決まりました。モデルになってくれたのはこのユリです。モナリザという品種だそうです。大きくて香りも高く、豪華な感じです。写真の方はバラと虫と鳥を出品しました。昨年は抜歯とインプラントの土台埋入手術のせいで熱が出て最後の仕上げができず、心残りなまま未完成作品を出品しましたが、今年は間に合いました結果はどうあれ、ひとまずホッ今年は本当に暑い夏でした。異常気象ですよね。私に似て暑がりのメロンはこんな恰好になってしまいました。そしてこちらはミント。ザビ神父さんに。朝夕は秋の気配を感じるようになりましたが、日中の暑さはまだ続きそうです。皆様、どうぞお体大切に。
2010年09月05日
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2010年が明けたと思ったらあっという間に半月過ぎてしまいました。相変らず更新の少ない日記ですが、今年もどうぞよろしくお願いします。 今年は伯父の喪に服しているため、しめ飾りもお鏡もなし、お節はほんの形だけ、というお正月でした。大好きなお雑煮も元旦の朝だけ、というちょっと寂しい…うーん、しかたないです。 昨年9月からインプラントの手術を受けています。最初に足りない骨(私の骨、薄いそうです)の分の補強手術。それが3ヶ月で固まるので12月下旬に仮歯が入る予定でした。ところが私が風邪を引いてしまい延期。今年に入ってすぐの6日に残りを抜歯して仮歯を入れる段階で、今度は仮歯が合わずまた延期。前歯のほとんどが無くなり、お粥生活に突入。15日に仮歯が入りました。2時間かかりました。先生「ものすごく食べにくいですよ」私「ええっ」これ以上食べにくくなるとは!仮歯と言っても歯の形をしていません。白くて長いズベッとした物を歯茎にかぶせてあります。横から見るとJ字型の長い棒の方を上あごに貼り付けてあります。上あごの半分を覆われて、感覚がありません。先生が仰る以上に食べにくく、しゃべりにくいです。固形物は上あごにたまって飲み込みにくいです。それに油断すると、鼻や気管に入るので気を付けてゆっくり食べなくてはなりません。誤飲性肺炎にでもなったらたいへん。ボクサーがマウスピースをつけたまま、生活しているようです。元々言語障害があるのに、何を言っているのかわかりません。特にた行とら行が言いにくく「メロンちゃん」が「メオンかん」になってしまいます。本歯が入るのが4月頃ということで、このままかしら?本歯もこんなだったらどうしよう。私の選択は間違っていたのか…と不安で一杯です。今まで何気なく食べたりしゃべったりしていたけれど、人間の持って生まれた物に無駄な物は何一つないということを実感。食べる、話すということに口の中の感覚がどれほど大切な役割をしていることか。10日ほどお粥ばかり食べているのですが、豆腐という食材は有難いですね。湯豆腐、鍋物のお豆腐、おでんの豆腐、豆腐の卵とじ、麻婆豆腐等々、本当に飽きることなく食べています。おいしい豆腐料理をご存知の方、教えていただけると有難いです。 これは昨年両親らが行った「なばなの里」のイルミネーション 「真綿色した…~♪」シクラメンって日本名ブタノマンジュウっていうの知っていました?昔、シクラメンの根(丸いお饅頭型です)を豚の餌にしたことから付いた名だそうです。 こちらは真紅名前がどうだろうが、きれいな花です。
2010年01月17日
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昨日は奈良医大病院へ行ってきました。和歌山医大病院がだめだったので、義妹がなんとか私の首の痛みを軽減できないかと、交渉してくれました。この日も朝早くから車で連れて行ってくれました。1時間かかって到着。でも障害者用駐車場に入るのに待ち時間40分。母がここで股関節の手術を受ける事になっていて、今順番待ちというところです。いつもこんな事ないのに、と言いながら、まあなんとか入れました。初診なので覚悟はしていましたが、診察を受けられたのは1時過ぎでした。その間、予診があり、レントゲン。レントゲンは相変わらずたいへん。2人の若い男性技師さんが必死で押さえてくれます。「もうちょっと頑張ってな」「僕のお腹に頭を付けて、力入れんと」「痛かった?ごめんな」と彼らのお母さんより上くらいのおばさんに優しく言ってくれますよ。なんとかOKが出ました。ここは和歌山医大より痛くなかったです。技師さん、いつもお世話をかけます。先生は画像を見せてくださりながら懇切丁寧に説明をしてくださいました。一番わかりやすかったです。おっしゃったことは和歌山の先生と同じようなこと。神経はきれいなので、今すぐ手術の必要はないそうです。ただ脳性マヒ特有の緊張で首の筋肉がカチカチ、骨が変形してずれている所へ筋肉がギュ~と締め付けるから骨の隙間がなくなっている部分もあり痛むとか。痛みの軽減は筋肉を緩めるのがいいそうで、暖める、軽いマッサージ、貼り薬、首カラー、筋弛緩剤の服用等。筋弛緩剤は服用しているので、カラーを試してみる事になりました。装具は別で、また待つこと1時間弱。精算も全部終わったのは3時過ぎでした。それからとりあえず食事して(お腹グーグー)帰宅。私は手術の必要がないということでホッとしたのですが、義妹は満足できないようで「東京へ行こう!」なんて言ってくれています。私はただ座っていただけで、義妹が走り回って、全ての手続きをやってくれたのに、くたくたでした。帰ってから食事もせずに爆睡してしまいましたよ病院は忍耐です。で、今こんな恰好です。一番柔らかいカラーだそうですが、いつもガクンガクンしている私の首にはかなりしんどい物です。ちょっと余計に力が入りそうな気もしないではない・・・来週はブログで知り合った方が偶然養護学校の職員さんで、静的弛緩誘導法という研究をされている方だったので、紹介していただいた奈良で開催される勉強会に参加してみようと思っています。
2009年01月17日
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暑いくらいだった昨日に比べ、今日は朝から雨気温もかなり下がってきました。6時出発で出かけた昨日。関西ではただ1ヶ所、内視鏡手術のエキスパートが3人も揃っていらっしゃる病院です。10時15分までに入るようにと言う事でしたが、9時に到着してしまいました。テーマパークのように巨大でした。全景を撮れなかったので、駐車場から一部を撮影しました。今まで通院していたのは、大阪のボバース記念病院と言い、脳梗塞や脳性マヒの専門病院です。主治医からの紹介状とMRI画像を渡し、1時間ほど待っていると、若い女性医師による問診があり、レントゲン撮影に行くよう言われました。あまりにも広くて案内図を見ながらたどり着き、レントゲン。私、大嫌いです。どうしても動いてしまうので、技師さんに「ごめんな、持つで」と言われ押えつけられました。首を上げた状態の時、痛さに激しく動いてしまい、撮り直し。もう一度痛い思いをしました。その後、首がしばらく変でした。付き添いの義妹と、MRIがあるのにね、などとぼやきながら、迷子になりそうな所を整形外科へ帰ってくると、ぐっすり寝込んでいた父と弟が起きていました。そしていよいよ診察。日本でも脊椎の分野では有名なその先生は、外科医らしくぽんぽんと物を言う人でした。私は厳密な意味では頚椎症ではないそうです。だから内視鏡手術は適正ではない。あなたのはアテトーゼ型脳性マヒ特有の不自然な体のゆがみ(この場合首の前傾)と、不随意運動(意識しないのに勝手に動いてしまうこと)による骨の変形で、頚椎の神経にはそれほど大きな損傷はない。こういうことですね。 普通の人 私しかもこうです。もしどうしても手術をと言うなら固定術になる。これは骨を金属の棒とネジで固定するという大手術になり、ロボットのようになるが、これをしても脳性マヒの人は不随意運動があるからずれて再手術ということになる。と、聞くだに恐ろしいことをおっしゃる。そういえば、15年前に友人が経営する作業所を手伝っていたときに、首に金属を入れているという重度脳性マヒの女性がいましたが、その金属がずれてまた手術すると聞きました。彼女は2度と作業所には来ませんでした。先生は脳性マヒの人の手術方法はまだ研究されていないんです、とおっしゃいました。15年たっても同じなんですね。付き添ってくれていた家族3人が口々に、それならせめて痛みを軽減する方法は何かないんですか?ときいてくれました。決定的な方法はない。カラーを巻いて固定するか、暖めるか、首の運動(運動!?死ぬよ~)をするか、その人に合ったやり方で努力してもらうしかない。だそうです。結局、うちよりも脳性マヒの扱いに慣れてるボバースの方が合っているんじゃないか、ということでした。最後の望みが断たれた瞬間です。失望、落胆、この痛みからは逃れられないという絶望、いっそ死にたいという逃げの気持ち、病院付き添いの負担を家族にかけずにすむという安堵感、いろんな思いがどっと押し寄せました。遺伝子レベルでの診断や治療、最先端の医術。でも取り残された分野はあるのですね。脳性マヒの二次障害以外にも、筋萎縮症やリウマチ他いろんな難病。私が利用しているデイサービスには、ホテルマンだったのに自分の事を何もできない車椅子生活になった人や、フランス料理のシェフとしてお店を持ってやっていたのに遺伝性の難病によって身障者になった人などがいます。でもみんな冗談ばかり言って、デイルームは笑いが絶えません。ハンディキャップを持った人に医療でさえも差別がある、こんなことがあっていいのでしょうか?治すことはできなくとも、病気の進行を食い止めること、少しづつでも改善するようなリハビリの方法、痛みのケア。どうか研究されますように。応援してくださった皆様、本当に嬉しかった。残念な結果に終わりはしましたが、決して忘れることの出来ない暖かい心をいただきました。有難うございました。
2008年12月05日
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土曜日は朝7時30分出発で、大阪の病院へ行ってきました。今回はMRIを撮るためです。弟が運転、義妹が付き添ってくれました。9時20分到着受付を済ませて処置室へ。私の場合、不随意運動があるので、1時間も動かずにいるのは不可能。それでMRI室へ入る前に薬を飲みます。看護師さんが睡眠薬を2錠、手のひらに乗せ、紙コップに入れた水を渡してくれます。でも脳性マヒという障害は、健常な人には考えられないようなことで苦労します。紙コップを持った手に力が入りすぎて、コップがつぶれて水があふれそうになりながら、口へ持っていくことができないのです。薬が喉にくっついています。「飲みにくいです」と言うと、義妹がストローを出してくれようやく水を飲みましたが、どうも薬は喉の奥で止まっているような気が…移動ベッドに横になって効いてくるのを待つ間、つばで必死に飲み込みました。電話がかかり「はい、わかりました」と答えた後、看護師さんが独り言を言っています。「人、おれへんのに救急が来るって。移動ベッドもこれしかないのになあ」え、これしかないの? 早く眠らなきゃ、と焦る私やがてMRI室へ移動。そこへ救急車到着。益々焦る私MRI室で慣れた手つきで2回ベッドに移し変えられ、ゴーンゴーンと音を立てる機械の前にきても意識はなくなりません。技師さんが「もう少し待ちましょうか」と言って、しばらくそこにいる間にようやく薬が効いてきました。でももう待てんと思われた技師さんが電話され、急遽先生が飛んでこられました。腕に注射され、体を2ヶ所ベルトで固定されたまでで…後は“無”でした。気付いた時は元の処置室でした。ところが今度は目が覚めません。看護師さんが時々様子を見にこられるのはわかるのですが、意識がはっきりしません。「どうですか、まだ眠い?」と訊かれ「…ふぁい…」と答えるのがやっと。強い睡魔と闘って、どうにか車椅子で移動できるようになり、診察室へ。弟達が先生と話してくれました。以前から義妹が「今度は私も行って、お姉さんの言いたいこと全部言ったげる」と言ってくれていたので任せました。テレビや新聞に加えて、ネットで充分調べておいた内視鏡手術のこと、和歌山県立医大付属病院に内視鏡認定医の先生が3人いらっしゃって、実績もあることを話してもらいました。20年近くも私の主治医でいてくださって、強く手術を勧めてくださっていたのでどうかなと不安だったのですが、和歌山医大ならと案外簡単に紹介状を書いてくださいました。MRI画像の貸し出し手続きも全部義妹に任せ、弟が押してくれる車椅子に座り込んだまま待ちました。帰りの車の中では寝っぱなし家に着いて、両親に報告を済ませ、即ベッドへぼんやり目覚めると両親の会話が聞こえてきます。「まだ寝てるの?」「うん、よう寝てるわ。疲れたんやろな」違うって。睡眠薬を2重に投与されたからやって!夕食時にはちゃんと起きましたよ。睡魔も食欲には勝てません足元がふらついて危ないので、お風呂はやめてまたベッドへ次の朝、ようやくすっきりと目覚めました。なんだか24時間眠ったような気がします。 ようやく内視鏡手術への道が開けました。和歌山医大病院は遠いので大変ですが、手術の方向へ進む決意ができました。20年苦しんできた首の痛みとそれに付随する肩の痛みや腕が上がらないこと、階段の下りが怖いこと、歩きにくさ等々といった症状が少しでも緩和されればどんなに嬉しいでしょう。両親が元気な内に早めに手術するようにと母が言っていたのですが、これまでの手術法では怖くて決心がつきませんでした。新築のマンションを購入して、新築祝いなんていらないから、京うさぎさんが来てくれることが1番の新築祝いだと言って、待ってくれている友人宅も訪ねることができるかも…と期待は大きいのですが、日本でも有名な先生だとか。いつになるかわかりません。先ずは診察を受けること、そこから始まります。
2008年10月27日
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春らしくなってきました。こんな陽気の中寝ているのは何とも酷だ。日中はほとんど一人なので、電話は留守電にしている。録音しておられるのが聞こえる。来客がベルを押す。「留守ですよー」と独り言をつぶやいてお帰り頂く。いずれも申し訳ない気持ちでいっぱいになる。半身起こしていいなら本を読めるが、あお向けでは腕が疲れる。退屈なので、携帯に無料ゲームをダウンロードしたら、結構ハマってしまった。今月分の通話料金を見たら母は目を回すだろう(-"-;)ブログも携帯で更新してるしなあ起きる時はコルセットを付けるが、重さと息苦しさに疲れてすぐ横になりたくなる。こんなに寝てばかりで足が弱らないかと心配で、できるだけ動かすようにしている。そうでなくても足弱なのに。昨日の午後うつらうつらしていると急に鼻が痛くなって目がさめた。メロンが鼻を噛んでいた。まったく油断もすきもあったものではない。
2008年03月08日
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今日は診察日。まずレントゲン。私の場合、これがまことに厄介至極。不随意運動があり、緊張がきついので看護士さん2人がかりで大騒ぎして撮ってくださる。終わった時にはぐったり次はコルセット。コルセットは業者さんに先週型取りしてもらった物。なんと胸の上から腰まで上半身を全部おおう。く、くるし~少し緩めて下さり「しんどいと思いますが、頑張って下さいね」と励まされる。励まされてもなあ、と思いながら素直な性格の悲しさ「はいっ!」と返事してしまう。コルセットは18世紀の貴婦人がウンウン言いながら侍女に締めさせていたのと同じだ。昔の人はこんな苦しい物を付けてよくぞ生活したものよそして診察。痛みが楽になっていたので、起きていいと言ってもらえるかと期待したら、ああ、無情、また悪くなっているので、安静期間を延ばします、と言われてしまったそ、そんなあ~少なくとも14日までは寝てること。かがんだり、前のめりにならないことだそうだ。骨がもろいとか。小魚食べて、コンドロイチンとグルコサミン飲んでるのになあ…。仕方がない、まだグータラ生活が続きそうだ
2008年02月25日
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昨日、ブログをご覧になった中学時代の恩師から本とお菓子が届く。先生はクラス担任ではなかったが、国語と、たしか生物、数学を教えていただいたと思う。美しく聡明でクールな中に情熱を秘めてらして、活動的で、我が学年の女生徒全員の憧れの先生だった。(先生は女性です)送っていただいた本は齋藤孝氏の「声に出して読みたい日本語」CD付き。この本は以前から気になっていて図書館で借りてきてもらおうかとも思っていたので嬉しかったぱらぱらとページを繰ると、よく知っている文章や始めて見る漢詩などじつに多彩。好きな金子みすゞさんの詩があった。「大漁」朝焼小焼だ大漁だ大羽鰯の大漁だ。浜は祭りのようだけど海のなかでは何万の鰯のとむらいするだろうもうひとつちょうど今読んでいた正岡子規の短歌くれないの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる声に出してもみずみずしさが広がるような歌だ。日本語には四季があり、自然が息づいているように思う。日本語って美しい。
2008年02月21日
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先日ご訪問下さってコメントいただいた遠い日の天使さん、文鳥さんサイトを教えて下さったねぎさん、優しいお見舞いのコメントを下さったちょこりんさん、yasukeさん、黒ごまさん、本当にありがとうございました。お一人お一人にお礼の返事をしたいのですが、こうして打つのがやっとです。皆様のコメントを読んで嬉しさと感動のあまり涙があふれて仕方がありませんでした見も知らぬドジな私のためにこんなにご心配いただくなんて、こんなに人の優しさに触れる事ができるなんて私は幸せ者です。ブログをやっていて良かったと思います。「スズメ三昧」と出会えたことは私にとって心の宝物です。朝、携帯でスズメ三昧を見ます。画面は小さいですが、可愛いすずめさんの表情豊かなお写真と皆さんの楽しいコメントにどれほど心癒されているかしれません。もう少しの間参加できませんが、ベッドの中で楽しみに見せて頂きます。今日外科でコルセットを作ってもらいました。何もかも始めての経験で物珍しさいっぱいへー、こうやって作るんだーと感心しました。痛みが少し楽になってきたからこんなのんきな事も言えます。早く良くなってほしいです。
2008年02月18日
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始めてのによる日記14日の朝、すずめに食事を出した後、部屋に入ってから、すずめさん来るかなあと振り返ったとたんにバランスを崩した。あ~、こける、こけると、何かにつかまろうと振り向いたまま尻餅をついた痛みが尋常ではなく、わめき声とうめき声しか出ず、動けない。何分かそのままでいたが必死で立ってどうにか両親のいる居間に行った。すぐ外科で診てもらったところ、背骨の圧迫骨折と言う事で、5日程度の安静と3週間の外出禁止を命じられてしまった始めての骨折年寄りが怪我する確率が高いのは家の中というのは本当だ。鋪装具を付けてベッドに横になっていると、骨折した部分より腰が板をはったように痛くなり、寝ていることもできなくなる。幸い本が死ぬまでに何冊読めるかというほど積んであるので手当たり次第取り上げる。でもこういう時にかぎって眠くなるで、結局読めないあ~あ唯一の慰めは友や妹からのメールと「スズメ三昧」今は参加できないけれどで写真を見たり、コメントを読んで楽しませて頂いている。皆さんも気をつけて下さい。
2008年02月17日
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2,3日前から体調が悪かったので、デイサービスから帰ってすぐにかかりつけの医院へ行った。診察が終わって帰りかけていると、看護師さんらしい人が「もし何かありましたら、年末年始関係なく、電話してくださいね。こちらへお電話頂いたらいつでも院長の携帯につながるようになっていますから、少し長めにかけてください。365日、24時間いつでも対応いたしますから、遠慮なく電話してください」と言ってくださった。最近、涙腺が破れているのではと思うほど、ちょっとしたことで涙が出る私はこの言葉にうるうるなってしまった救急車を呼んでも、病院に断られた挙句、亡くなったというニュースをよく聞く中、こんな先生がおられるとは!私が最初にかかった時から「ここまで来るのがしんどかったら、私、往診しますからいつでも言ってください」とおしゃっていた。喘息を持っている甥が何度か休日に診察してもらったことがある。昔、「医は仁術」という言葉があったが、これをそのまま人間にしたような先生だ。本当に心強く、有難いことだ。名医だなと思った年末のひと時だった。
2007年12月29日
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10日土曜日はMRI検査のため、脳梗塞や脳性マヒの人専門の大阪の病院へ行った。私は頚椎症で、首の関節の間にあってクッションの役割をしている軟骨が擦り減って、棘のような骨が神経に直接当たる。障害者でなくても、最近これに苦しめられている人は多い。弟が車を運転してくれたこういう時、街中を走るのが苦にならない弟はとても頼れる。私達、脳性マヒの後遺症を持つ人には、筋肉の緊張と共に身体のいろんな部分の不随意運動がある。動かすまいと必死になればなるほど、手足や首、顔の表情などが勝手に動いてしまう。一瞬も動いてはいけないMRI検査をどうやってするか。眠っている間に撮影するのだ。そのため、検査の1時間前に受付を済ませ、処置室で白い錠剤を2錠飲む。少し待って、細い道路を隔てた別棟の検査室へ案内される。行く時はしっかり歩いていく。そこでまた待たされる。少しボーっとしてくるこのまま寝てしまったらどーしょーと、心配になった頃、男性検査技師さんが出てきて、金具が付いている服を脱いで、検査着に着替えさせられる。技師さんはにこやかで優しい。わが町の市立病院のレントゲン技師に「一人で来るか、脳性が」と吐き捨てるように言われたのとえらい違いだ。ベッドに横になると、意識が薄れていく。ベッドが移動され、MRI用のベッドに移される。頭を固定され、おでこに何か貼られる。必死で薄目を開けようとがんばるベージュがかった広い天井がちらと見えるが、もう目を開けていられない。大きな音を子守唄代わりに眠りに引きずり込まれていく「はい、お疲れさま」という声とおでこの物を剥がされる感覚で目がさめる。いえ、疲れてません、ぐっすり寝てただけで。なんと1時間かかっていた。MRIは3度目だが初めての時は天国かと思ったものだ。ベッドに移され看護士さんお二人にあっという間に服を着せられ、ベッドのまま診察室へ運ばれる。私はボーっとしているし、付き添いの母は耳が遠いので、弟が結果を聞いてくれた。3年前に検査した時よりは悪くなっているが、まあ今すぐどうということはないということ。しかしいつかは手術しなければいけないと言われた。同じ事を言われ続けて20年近くなるし、良くはならないとわかっているので、ひとまず安心。母と弟に両方から支えられて車に乗り、病人みたいに甘えて「ラーメン食べたい」と言ってみる。弟が連れて行ってくれたラーメン屋のおいしかったことそして眠っている間に家に着いた。弟、母、技師さん、看護士さん、先生、私以外の皆様、本当にお疲れ様でした。翌日は寝すぎて、腰が痛かった
2007年11月12日
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