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最近弟や従兄弟が拾い犬をしてきてそのまま飼い主になっていますもちろん警察には届けたそうですが、ペットは生き物なのに拾得物になるようで・・しかし、実際倉庫に置ける物ではないので、落とし主が見つかるまで拾った人間が世話を頼まれるようです。しかも「期限に持ち主が見つからない場合は保健所に送る・・でいいですね? 」と聞かれるので結果見つからない場合は情も移るので拾った人が飼うパターンになるようです。さて、従兄弟のワンコですが、拾った・・と言うよりむしろ犬に選ばれた人のようです。ずっと彼の後ろをついてきた犬は糖尿病持ちで、おそらくその為に前のご主人に捨てられたのかもしれません。毎日のインスリン注射代金がとてもかかるのだそうです。それでも、ワンコはたまたま孫のいない伯父に気に入られ、家の中でみんなに可愛がられながら今は暮らしています。人を見る目があった犬だな・・と思ったのでしたサグラダ・ファミリア 10 (教会建設)サグラダ・ファミリア(Sagrada Familia) Part 10今も建築がつづく教会の屋上と聖堂の天井と照明サグラダ・ファミリア完成予定図の・・教会断面図左が聖所側で、赤、緑、紫は現在はまだ建築されていない塔ですが、特にこの教会のシンボルとなる170mの高さを持つ重要な塔です。教会の塔赤・・・聖堂中央ドームの上にそびえる予定のイエスに捧げられる塔。紫・・・聖堂後陣の上にそびえる予定のマリアにささげられる塔。緑・・・聖堂中央ドームの下にあった4本の柱の上 ・・4福音書記者(マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ)に捧げられる塔。後の鐘楼は前に紹介したように東の南、西に各4本で12本が12使徒に捧げられる塔です。東(降誕のファサード)・・マテア、ユダ、シモン、バルナバ南(栄光のファサード)・・アンデレ、ペトロ、パウロ、大ヤコブ西(受難のファサード)・・小ヤコブ、バルトロマイ、トマス、ピリポ東の塔からの撮影なので、あちらに見えるのが西側の塔だと思います。つまり小ヤコブ、バルトロマイ、トマス、ピリポの塔のようです。よくみれば中の芯に鉄筋が使われていますね。素人なので工事はわかりませんが、セメントを使っているようにはみえません。外壁はパーツの貼り合わせのようです。写真右の人達はその場で石を加工して積み上げているようです。驚くのはコンクリートに貼り付けるのではなく、鉄筋のまわりに組んでいる・・と言う事です。反面鏡のような形をしているそれは何なのか?おそらく考えられるのはこれが中央ドームの上、イエスの塔の内部になるのでは? と考えられます。なぜそんな形をしているのかはガウディに聞いて下さいしかし、内部に光りを取り込むような設計になっているのは間違いないと思います。そして、こちらの奥に見える原子炉のような形の物は?おそらく後陣に建つマリアの塔の内部になるのでは? と考えられます。双方場所的に判断しています。たぶん上の内部断面の図面からも間違いないと思いますが・・とても不思議な形ですところでここで、参考に本からの写真を載せました。この工事は聖堂の内部の天井の上の葉の裏側? の部分てす。すでに聖堂内部が完成しているので、今はこの工事は終っていますが、かなり緻密に作られているのが解る写真なので載せてみました。この富士壺のようなものが、後から紹介する天井の穴一つ一つになるようです。聖堂の明かり以前紹介していますが、聖堂内部の写真を再び写真左・・・聖堂内、中央ドームの聖堂の天井写真左・・・明るいの天窓が後陣、マリアのドームの聖堂の天井ガウディは光の効果を利用して教会の神秘性を高める設計を心がけたようです。大窓、丸天井、その他あらゆる採光の要素は、森の木々の葉から光が差し込むような照明を実現する為に設計されている・・と言う事は前にも紹介しましたが・・。それは外からは光を取り込むような形状に作られ、中においては光があらゆる方向に拡散するような散光の形状に設計されているようです。建設中の双方のドームの内部構造の秘密・・が写真にはあるのかもしれませんが、建設関係者ではないので残念ながらわかりません。まだ本においても天井や塔については詳しく紹介されたものもないようです。しかし、特に以前紹介したように天井の変わったデザインは、殉教のシンボルであるシュロの葉があわさったデザインをイメージして作られています。そのデザインそのものが木漏れ日のように光を拡散させる効果を持っている・・という点は納得です。以前も聖堂内部の時に紹介した天井の写真と、夕刻の聖堂内の写真を載せますので比べてみて下さい。高さ45mにあるボールトに開く双曲面状の採光窓が身廊天井にはたくさんちりばめられています。因みに写真左右の側廊部の天井は白いコンクリート製だそうです。外からの明かり以外に人工の照明も組み込まれていますが、自然光のようなやわらかさの光は区別がつきにくいです。あの紋章入りの明かりの穴が上で紹介した富士壺型の一つ一つになっているわけです。拡大紋章のマークは聖人たちの紋章であったり、キリストやマリアを示すアナグラムのようです。さらに拡大実際下から肉眼では識別もできませんが、先ほどの富士壺型の穴(天井のボールト)にはめこまれているのは所謂提灯(ちょうちん)のようなガラスの装飾です。これも参考の為に本から載せました。こんなガラスの飾りが一つ一つに組み込まれているようです。これ一つとってもりっぱなオブジェですね。身廊側面のファサードのピナクルにはフルーツ盛り等の装飾がトッピングされています。巨大なサグラダ・ファミリアは装飾だらけの教会です。その装飾一つ一つが芸術作品として丁寧にコツコツ手作りされているのですから恐れいる工程です。近代的な工法や機械を導入してもボランティアによる手作りの工事でサグラダ・ファミリアは建設されているのです。写真は柿とイチジク最後に・・教会の着工は1882年3月19日。聖ヨセフの日に礎石。内部の礼拝堂が昨年(2010年)11月7日、ローマ教皇ベネディクト16世の来訪に併せて完成。教会の完全な完成予定はガウディの没後100年の2026年。今回はこんなところでサグラダ・ファミリアは終わりたいと思います。またいつが続編があるかもしれません。Back numberリンク サグラダ・ファミリア 1 (未完の世界遺産)リンク サグラダ・ファミリア 2 (降誕のファサード)リンク サグラダ・ファミリア 3 (生命の木)リンク サグラダ・ファミリア 4 (未完の理由 と主祭壇)リンク サグラダ・ファミリア 5 (天井と福音書記者の柱)リンク サグラダ・ファミリア 6 (天井の立体幾何学模様)リンク サグラダ・ファミリア 7 (ステンドグラス)リンク サグラダ・ファミリア 8 (受難のファサード)リンク サグラダ・ファミリア 9 (鐘楼のバルコニーから)サグラダ・ファミリア 10 (教会建設)
2011年01月31日
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さて、お正月クイズを終えて、どこにいこうか悩んでいましたが、とりあえず棚上げになっていたサグラダファミリアの続き、バルコニーからの景色と工事現場を紹介しておこうと思います。なかなか教会の建設現場は見られません。しかも天下のサグラダファミリアですから建設現場・・と言うより何をどう作っているのか? は興味ありありではないですか?サグラダ・ファミリア 9 (鐘楼のバルコニーから)サグラダ・ファミリア(Sagrada Familia) Part 9降誕のファサード、鐘楼のバルコニーから降誕のファサードが見える公園からガウディ・プロジェクトによれば、教会がよく見えるように周囲は公園にすべきである・・とされていたそうです。今回紹介すのはこの降誕のファサード側からの景色で、ちょうど正面の生命の木の裏あたりからです。工事用エレベーターでバルコニーに・・・観光用に現在使用されているエレベーターは現在右の鐘楼の中に設置されている工事用のエレベーターです。上からの景色を見学したい場合は、最初に教会の入場券と共に購入する必要があります。なぜなら、エレベーターは小さいので、混雑回避の為に登場時間が最初に決められるからです。上が教会聖堂の入場チケット下が上階行きのエレベーターに乗る為のチケット。上のチケットには16:20~16:30と入っています。従って時間調整して聖堂内部を見学してからエレベーターの方に・・。エレベーターの前の床にはキリストのエルサレム入城の絵が描かれていました。工事用のエレベーターなので一度に6人ほどしか乗れないのです。帰りはエレベーターで下降してもよいし、鐘楼の螺旋階段で下りる事もできます。エレベーターは鐘楼の中に設置されているようです。工事完成の暁には取り外されて鐘が取り付けられるのでしょうか?荘厳さを表現する為にサグラダ・ファミリアは巨大な寸法に・・。数々のピナクルや塔は中世の大聖堂のように、市のどこの建物よりも高く天に近づかなければならなかったと言います。結果イエスに捧げられた塔は170mに達し、4500m²と言う面積では14000人が収容でき、完成した暁には高さ、面積、収容人数では他のどの教会もしのいで一番になる予定なのだそうです。鐘楼内部は螺旋階段となっています。鐘楼の音響は特に研究しつくされ、60個の鐘が吊される事になっているそうです。鐘楼は2本一組で階段はそれぞれ逆方向で設置。バルコニー・・木の裏に左右をつなぐ橋もついています方位的には北東方面?右下が池です。生命の木の裏側から・・・下の正面の池からの撮影が最初の写真です。ちょうど東方面に新ランドマークのビルが見えます。特にひときわ目立つビルが2005年に完成したスペインの水道局の所有するトーレ・アグバール(Torre Agbar)余談ですが、ビルの形状からすこぶる評判が悪く、ライトアップも下品で評判が悪い。あのビル群の向こうが地中海となっていて、奥のビル群あたりがコンベンションセンターのある地区です。見下ろすと彫刻の裏側なども見えます。ラッパをふく天使の頭上たぶん愛徳の門の上、聖母マリアの戴冠をするキリストの像が設置されているブースの上です。彫刻や飾りが間近で見られるのがメリットなのは確か。バルセロナのどこからでも見られるよう名高さをもほこっているので、当然景色も絶景。そして、いまなら工事風景も見ることができます。西の受難のファサード側の鐘楼をつなぐ橋から鐘楼の上のピナクルイエスの12使徒に捧げられた12本の鐘楼の先端にはピナクルと呼ばれる25mにも及ぶ飾りがついています。飾りは司教のシンボルである司教冠、杖、指輪がデザインされ、ヴェネチアングラスを砕いたモザイクで装飾され、各ピナクルには聖人の頭文字がきざまれているそうです。(写真は表なので見えません。)工事風景は次回にまとめて・・。それにしても今頃、サグラダ・ファミリアの本が集まって来ていますさすがに現地で売られている本は詳しいです。ガウディはこの教会にキリスト教のシンボルの全てを集めた・・と言われています。つまり教会そのものが聖書のようになっていると同時に象徴になるべく建設されているのです。信仰もなく、ましてカトリックでない日本人にはサグラダ・ファミリアを本当の意味で理解する事は難しいかもしれません。実際この教会に興味を持つ者は信仰者として、よりも建築物として、建設関係者が多いのかもしれません。Back numberリンク サグラダ・ファミリア 1 (未完の世界遺産)リンク サグラダ・ファミリア 2 (降誕のファサード)リンク サグラダ・ファミリア 3 (生命の木)リンク サグラダ・ファミリア 4 (未完の理由 と主祭壇)リンク サグラダ・ファミリア 5 (天井と福音書記者の柱)リンク サグラダ・ファミリア 6 (天井の立体幾何学模様)リンク サグラダ・ファミリア 7 (ステンドグラス)リンク サグラダ・ファミリア 8 (受難のファサード)サグラダ・ファミリア 9 (鐘楼のバルコニーから)リンク サグラダ・ファミリア 10 (教会建設)
2011年01月27日
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今回はほぼ答えの出ていた簡単クイズでした2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 3-4 (パルテノン神殿)パルテノン(Parthenon)エレクティオン(Erechtheion)パルテノン以前海も近く、周辺に幾つもの泉を有し、川の流れる肥沃な平地はBC2800年頃には人が住み始めていたそうです。青銅器時代末期のBC1300年頃には丘に巨石を使用した城壁が作られその後居住地から神域へと変わっていったようです。それはクレタ島のミノア文明が崩壊した後、ミケーネ文明の時代にあたり、当時の古神殿跡やそれらの巨石は今もパルテノンの前に転がっています。この頃からギリシャは民族の流入が続く動乱期に入り「暗黒時代」と言われ、史実もほとんど伝えられていないそうです。私たちの知るイメージのギリシャ文明は、その暗黒時代が過ぎたBC6世紀頃から始まるアルカイック期(archaic)からのものです。丘の上にはまだ古い神殿が残り修復や新築を始めていた頃、今度はペルシャ戦争(BC492年~BC449年)が勃発。ギリシャはアケメネス朝ペルシア帝国との戦いに突入。その最中のBC480年、サラミス島近海で起きたギリシア艦隊とペルシア艦隊との衝突(サラミスの海戦)により戦いに勝利したものの神聖なアクロポリスの丘は再びがれきの山となったのだそうです。パルテノン神殿の建築パルテノン神殿の建設はBC449年アテナイの政治家ペリクレス(BC495年?~BC429年)の治世に始まったと言われています。前回紹介した写真から・・・再びアクロポリスの復元図を参考に今回紹介するのは下の写真の部分右・・・パルテノン(Parthenon)左・・・エレクティオン(Erechtheion)上図のパルテノン神殿の今参道を上ってくると右手にパルテノン神殿が目に入ります。本来この参道は現在のパルテノン神殿の左隣にあったアテーナの古神殿に続いていました。そして、その神殿の前には巨大なアテーナの像が建っていたようです。ガラスケース入りで写真がボケているのですが、唯一あった写真をおまけに紹介します。パルテノン美術館に保管されているこの大理石のアテーナ像はローマ時代に現物を模写したと言われるものです。これの全長12mのサイズのものが紀元前にはアクロポリスの上に立っていたと言う事です。パルテノン(Parthenon)神殿・・・・アテーナ・パルティノス神殿奥行き69.51m。横幅30.86m。正面と背面に8本、両サイドに17本の計46本のドーリア式列柱が神殿を取り囲む形で建てられたドーリア式神殿です。柱の高さは10.43m。着工はヘリクレースによりBC447年に着工。総指揮をペイディアースがとり、組み立てにイクティーノスやカリクラテース。他に彫刻家、建築家、画家などの当代一の名工達が一丸となってこの国家的事業に参加したようです。その為に驚異的なスピードで神殿はBC438年に完成しています。神殿内部に「処女の間(パルテノーン)」があり神殿の名はそこから呼ばれるように・・。処女の間は女神アテナイに仕える女官達の居室と言う建前ですが、実際は奉納品を納める部屋として使用されていたようです。素材はペデリンコン産の白大理石すべての柱は内側に傾斜し台輪を支え、のしかかってくる重量の負担を軽減。柱は上端に行くほど細く、柱の中頃あたりは逆に膨らみ、柱の下部はほとんど同じ大きさでドッシリと安定させているそうです。また、柱は円柱の臼(うす)のような石を10~11ピース重ねてできているそうですが、ブレもなく継ぎ目がしっかり合わさって見えます。後側西側の破風にはアテナイとポセイドンの土地争いのレリーフあり、東側の破風には守護神アテナイの誕生の様子が描かれたレリーフがはめ込まれていたようです。東のレリーフの現物はロンドンの博物館に、その他神殿を囲むように掘られていた現存するきれいな物は大英博物館やルーブル美術館にあります。以前ギリシャの文化大臣になった女優メリナ・メルクーリが「ギリシャの物はギリシャに返せ。」と返還を要求したようですが、ギリシャの遺跡から発掘された文化財であるはずの美術品のほとんどはギリシャにはないのです。度重なる戦争によりメチャクチャにされ、かつ特に完璧な美術品と呼べる物は海外に流出していて国内にはガラクタに近いようなものが残された・・と言うのがギリシャの現状です。建物内にはこんなレリーフがあったようです。アクロポリス博物館 「座せる三神」右からアルテミス、アポローン、ポセイドン・・らしい。横からアクロポリスの丘は、ずっと工事中。遺跡を発掘しつつ、修復工事はギリシャ時間ですすんでいるように見えます。エレクティオン(Erechtheion)・・・エレクティウス神殿複数の神が祀られている複合型の神殿(エレクティウス神、ポセイドン神、アテーナ神、ヘーパイトス神)パルテノン神殿は堅牢さ、重厚なドーリア式の完成形と言われる建物ですが、ドーリア式はそんなに長くは続かなかったようで、BC420年に着工して(内戦や火災で工事を中断しながら)BC395年に完成したこちらのエレクティオンはイオニア式の代表的な神殿としても知られています。この神殿の場所はアクロポリスでも最も古くからの聖域があった場所とされています。以前にも紹介していますが、アテナイの守護神を決める対決で女神アテーナとポセイドンが戦った事は神話の世界の話ですが・・。伝説ポセイドンは三叉の矛で地を突くと「エレクテウスの海」と呼ばれる塩の泉が吹き出した。アテーナは輝く槍で地を突くとオリーブが生え、たわわな実を実らせた・・と言う。この対決は、この土地を領有していた祖王ケクロプスの裁量で女神アテーナが勝利し、この土地は以降アテナイと呼ばれるようになったとされています。現実的には、この伝説がアクロポリスの丘は泉と穀物に恵まれた土地であった事を示している・・とも考えられるそうです。神殿の北には6体の少女像の柱があり、カリュアーティデスと呼ばれています。飾られているのはレプリカで、一部本物はアクロポリス博物館で展示。一体は大英博物館に。高さ2.30m。頭に供物の入ったかごを持つこの柱は珍しいだけでなく極めて芸術性の高いものとして評価されているようです。さて、きりがないのアテネのアクロポリスも今回はこれで終わりにしたいと思います。アテネのアクロポリスは1987年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。ギリシャ共和国でした。問題back numberリンク 011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 3-1リンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 3-2 (ゼウス神殿)リンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 3-3 (アクロポリス)
2011年01月21日
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さて、お正月クイズもいいかげん終わらなければならない時期ですね今回解答編で最後です。しかし、簡単に終わらせるか少し詳しく載せるかで悩みました。結果解答編を2回にして、次回が最終章にします。2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 3-3アクロポリス (akropolis of Athens)アクロポリスの丘・・と言えばもちろんここはギリシャです。そして今回の答えはアテネなので、アテネのアクロポリスです。アクロポリスは「小高い丘」をさす言葉で、もともとは諸王の居城や神殿があった場所をさしています。都市国家ポリスが誕生してからは、神殿や集会施設が建設され、有事の際は砦の役割をしたようで、それらはギリシャ各地に多数存在していたようです。しかし、一般にアクロポリスと言えば、アテネにあるアテナイの守護神であるアテナイ神を祀ったパルテノン神殿のあるこの丘を指して呼びます。アテネのアクロポリスを西にあるフィロパポスの丘より撮影アクロポリスの丘全体は半結晶石灰岩で覆われ、海抜は150mだが市街地からは70mの小高い丘です。東西の長さは270mで南北は最大のところで156m。丘の西面以外は絶壁になっています。この位置から昔の復元地図を紹介。照らし合わせて見て下さい。丘の左に手前がヘロデス・アティコス音楽堂右手前が前回紹介しているディオニッソス劇場跡です。右の円柱が連なる神殿がもちろんパルテノン神殿です。写真、丘の左手が入り口となるブーレの門と参道、そして前門(プロピュライア)が残っています。それらの奥にはエレクティオンとアテーナの古神殿があり、わずかに見えています。フィロパポスの丘からアテネの街が見渡せるアクロポリスの丘から、周りを眺めると、不思議な事に平地に小高い丘がい幾つもあるのがわかります。昔は、松明による伝令が丘から丘に伝わった・・と言われていますが、確かにここならそれも可能なのだ・・と思います。なぜ丘がはっきり解るのか? 東京ならビルが建ち並び丘も何も解らなくなっていますが、ここは昔から丘の上に教会や神殿などがあったり、軍事に利用されてきたからでしょうか? 丘はそのまま緑ある丘として今も残っているからです。アクロポリスの悲劇かつてこの地はオスマントルコとベネチアの取り合いの場所。ヴェネチアとオスマントルコの戦争では、ヴエネチア軍はこの丘に大砲を据えてアクロポリスを吹き飛ばしたそうです。1460年からトルコのの領地となっていた時期にはパルテノン神殿はトルコ軍の士官の宿舎となり、エレクセオンはトルコ軍指揮官のハーレムとなっていたそうです。ここを奪還したいベネチアの攻撃による神殿破壊と、砦を築く為に神殿を破壊して回ったオスマントルコは共にとんでもない大馬鹿ものです復元図面図の右下が山門であり参道となっていて現在もそこが登り口です。ブーレの門跡・・上から撮影280年頃にローマ人によって建造された門は発見者であるフランスの考古学者エルネスト・ブーレの名前がつけられている。ブーレの門から参道は階段がジクザクついてたようですが、今はまばら、古代ギリシャの時代もこれとほぼ同じ参道を歩いていたらしいです。左の柱は台座で、アグリッパの記念碑。当然かつてはそこに青銅の戦車に乗ったアグリッパの像が建っていたと言われています。台座のあるあたりは見晴らしが良く、展望台になっています。そして写真右に神殿への前門となるプロピュライアが建てられています。プロピュライアの建築はパルテノン神殿完成後すぐだったBC5世紀頃。建築家は当代一のムネシクレース。中央楼と左右に北翼と南翼がある造りとなっています。写真は中央一部と北翼。ゲート全体を写した写真がないのですが、現在はこれでも大分修復されています。何しろここが先に紹介したトルコとの戦いでベネチアの砲撃を受けて吹き飛ばされたり爆薬庫の爆発があった場所なのです。アグリッパの記念碑の後ろの展望台からつづくリンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 3-4 (パルテノン神殿)back numberリンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 3-1リンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 3-2 (ゼウス神殿)
2011年01月18日
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さて、クイズ続編2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 3-2 (ゼウス神殿)まず訂正からです。前回最後に紹介した劇場は「ディオニッソス劇場」ではなくて「ヘロデス・アティコス音楽堂」でした。正しいディオニッソス劇場半円のベースのようなのがステージです。そして、木立の向こうには、最近移築されたアクロポリス博物館があります。17000人収容の劇場も今はただの遺跡となってしまいました。ヘロデス・アティコス音楽堂はこの右手の方角にあります。アクロポリスの西に広がる小さな丘アリオス・パゴスからはアゴラが見渡せる。アクロポリスの丘を中心に、アリオス・パゴスと対角の位置にあるのがゼウス神殿。ゼウス神殿を中心とするこの場所は、正しくはオリンピエイオン(Olympieion)と呼ばれるオリンポス山のゼウス神を祀る神域なのだそうです。つまり日本の神社と同じ分室です。因みに前回紹介した初代オリンピックスタジアムはこのすぐお隣さんにあります。ゼウス神はオリンポス12神の一人にして、全ての神々の頂点に立つ全知全能の神様です。その神々の住まいがオリンポス山なのです。因みにオリンポス山は北緯40度05分00秒、東経22度21分00秒テッサリア地方にある標高2917mの実在する山です。現在の神殿はローマの皇帝ハドリアヌスが建てた(BC130年頃)ものだそうですが、それ以前に実在していた神殿は途中中断もあり建築に700年かかったと言われています。4世紀にゴート族の侵入により破壊され直径1.6mで高さが17mの円柱の柱が現在は13本残っているだけ。壊れていなければ規模と壮麗さからエジプトのピラミッドにも匹敵する名所だったようです。比較的、完璧に残っているのはヘファイスティオンヘファイスティオン(Hephaistion)ヘーパイストス(H?phaistos)の神殿の事です。ヘーパイストスと言えばオリンポス12神の1柱で古くは火山の神であり現在は炎と鍛冶の神として知られている神様です。彼自身は容姿が悪く地味な神様ですが、神々の頂点に立つゼウス神と女神ヘラの息子と言う血統。そして彼の妻が愛と美の女神アフロディーテである・・と言う事で驚きと共に良く知られています。建築時期はパルテノン神殿と変わらないらしい。アクロポリスの丘に見えるのがパルテノン神殿。国旗もたなびくこの国は・・。問題つづくリンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 3-3 (アクロポリス)リンク 011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 3-4 (パルテノン神殿)back numberリンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 3-1
2011年01月14日
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クイズ第3暖です。2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 3-1衛兵・・大統領官邸前からさて、これは冬服ですが、どこの国の兵士の服でしょう衣装にこの国の歴史が感じられますね。ここはこの国の首都ですが、都市と言うにはちょっと田舎っぽいです。この国の歴史は非常に深く、国のあちこちから遺跡が発見されています。もちろんこの街もそうなのです。地下鉄を掘れば遺跡に当たる・・。だからなかなか近代的に建築物を建てるのも難しいのでしょう。他の国よりも一歩遅れてEUに加盟しましたが、もともとそんなに経済の良い国ではありません。ズルして加入したツケが最近発覚してEUは大変な事になっていますね。パナティナイコ・スタジアム(Panathinaiko Stadium)大理石でできた競技場は古代にはパンアテナ大祭の競技場があったと言われる場所だそうです。「パンアテナ大祭」は、アテナイの守護女神であるアテナイ神を讃える祭りだそうで、古代そこでは重要な宗教行事の一つだったそうです。1896年第1回目の近代オリンピックがおこなわれています。しかし、古代オリンピックが行われたのはここが発祥ではなく、ペロポネソス半島西部に位置するオリンピア(Olympia)と呼ばれた古代都市です。実際現在のオリンピックにおいても、その聖火の火だねはもオリンピアのヘラ神殿から運ばれているのです。(火種は太陽から凹面鏡を使って採火。)因みに紀元前8世紀頃にはすでに競技があったと考えられています。大理石でできている競技場は今や遺跡か?今ではここはささやかな競技場の規模です。2004年に2回目のオリンピックが108年ぶりに開催されていますが、もちろんメイン会場はここではありません。しかし、ここに観光で立ち寄る人は多いようです。アクロポリスの丘からの眺めアクロポリスの丘の麓にある演劇の神様に捧げられた劇場跡劇場は「ディオニッソス劇場」ではなくて「ヘロデス・アティコス音楽堂」でした。「ディオニッソス劇場」は次回紹介します。古代劇場跡は今も音楽会に利用されています。なぜなら音の反響が素晴らしい造りになっているからです。似て非なるものですが、競技場と似た造りだと思いませんか?観客の為にどちらもすり鉢のような造りとなっています。古代、競技も舞台も民衆の為の大切な娯楽だったからです。問題は続くリンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 3-2 (ゼウス神殿)リンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 3-3 (アクロポリス)リンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 3-4 (パルテノン神殿)
2011年01月11日
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2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 2-3 (おまけ)せっかくなのでツェルマット界隈とマッターホルンの眺望を少し・・。マッターホルンについては2009年5月「アルプス山脈 マッターホルン 」のシリーズで紹介していますからそちらも良かったら見てね。ツェルマットからの観光は、ゴルナグラート鉄道に乗って、ゴルナグラードからの景観を眺める観光とトレッキングがありますが、他に前回紹介したように町外れからのロープウェイに乗ってマッターホルンを目指すコースがあり、さらに夏スキーを楽しむコースもあります。ツェルマットの街・・右下ロープウエイ乗り場ロープウエイでは、フーリで左コースをとると、夏場でもスキーのできるマッターホルン・グレーシャー・バラダイスに行けますが、今回写真は右コース、マッターホルンの麓シュバルツゼーの方から。天気が良くないので写真が暗く、少し調整しています。シュバルツゼー(Shwarzsee)標高2583mホテルもあります。たいていの観光客はここで折り返し、マッターホルン登頂を目指す人はさらにヒュッテまで数時間歩くのです。通常は時間も無いので観光ではこちらのコースにはあまり来ないようです。尚更ヒュッテまで散策する時間はないからこの先の写真はありません。シュバルツゼー(Shwarzsee)からのマッターホルン北壁は雲? ガス? がひどくて見えません。この写真は9月初旬の写真です。さて、今度は最初に紹介していたゴルナグラード(Gornergrat)からです。ゴルナグラード終点駅 標高3089m手前が駅、そして天体観測所駅を見下ろす観測所から撮影左・・モンテ・ローザ(Monte Rosa)標高4634m右・・リスカム(Liskamm)標高4527m手前ゴルナー氷河マッターホルンの横からの姿。なかなかない角度です。シュバルツゼーからの下りから北壁が欲見える位置です。北壁を制するにはロック・クライミングの技術よりもアイスクライミングの技術が必要だと言うくらい、夏でも岩の間は凍り付いて鉄板のようだそうですツェルマットとマッターホルンおわりクイズ問題back numberリンク 011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 2-1リンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 2-2 (解答編) 次回クイズリンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 3-1
2011年01月07日
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「2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 2-1」の解答編です。2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 2-2今回はサクサク・・解答編です。マッターホルンのお膝元アルピニストの聖地・・ここはスイス、ツェルマットです。ツェルマット(Zermatt)マッターホルン山麓にあるこの街はスイスの南、ヴァレー州にあります。 ヴァレー州ツェルマットは谷間の街・・・シュルーマッテン・リフトからマッターホルン・ゴッタルド鉄道の終点のツェルマット駅氷河急行・グ レッシャー・エクスプレス(Glacier Express)が停車しています。昨年紹介したスイスアルプスの山岳地帯を走る山岳鉄道である氷河鉄道は、この街ツェルマットからサンモリッツの間で運行されています。前回も紹介したようにこの街はガソリン車の乗り入れ禁止の為に、この街に入る人のたいていは列車になります。日本人の観光客なども前のテーシュの駅から乗り込むのです。その時に荷物は別の電気自動車で運ぶ場合もありますが、自分でカートに乗せてツェルマットまで来るのです。だからめずらしい事に駅には空港のようにカートが並んでいます。駅前には電気自動車が停車。ホテルまでの荷物搬送用や送迎車です。こじんまりした街ですが、小さな田舎の町にしてはさすが観光客が多いので賑わいがあります。マッターホルンをアタックする人のみならず、スキー場やもちろん風光明媚な観光名所がとりそろっている場所だからです。ツェルマットからマッターホルンの頂上を目指す人はツェルマットの北からシュルーマッテン・リフトというロープウエイに乗り、途中フーリで乗り換えシュバルツゼーで降り、さらに登山してマッターホルンの麓のヘルンリ小屋のあるマッターホルン・ヒュッテまで行くのです。登頂する人達は、ヒュッテに宿泊、そこから朝の暗い内にマッターホルンの頂上を目指して出発するのです。ツェルマットの街からの朝焼け左の反っている所が北壁です。のせきれなかったので次回おまけとしてつづく。リンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 2-3 (おまけ)クイズ問題back numberリンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 2-1
2011年01月06日
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今回も以前紹介した事のある中からの出題です。2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 2-1この街はどこでしょう?ゴルナグラート鉄道終点まで33分ほどですが、この街の観光の目玉となる景色を堪能する為の鉄道です。電車で朝の通勤をしている働くわんちゃんです。この電車の終点ゴルナグラードまで毎日乗車しているのです。この国では救助犬として活躍するワンコたちですが、彼らの職業はモデルなのです。ややこしいですが、山岳救助犬のコスプレをしたモデルのセントバーナード犬なのです。コスプレ? 首に付けたプチ樽は山岳救助犬の必需品で、中には救助者に飲ませるブランデーが入っているのだそうです。要するに、アルプスと山岳救助犬と観光客が収まる記念写真用のモデルさんたちです。実は、2009年5月「仕事で電車通勤するセントバーナード犬 」で紹介しています。氷河このあたりは4000m越えの山が多いです。山頂のゴルナグラード駅から下りはハイキングで途中駅まで下山。リッフェル・ゼー越しのマッターホルンは写真撮影のベスト・ポイントです。欧州の3大名峰(マッターホルン、モンブラン、ユングフラウ)の一つであり、3大北壁(マッターホルン、アイガー、グランド・ジョラス)の一つこれがマッターホルン(標高4478m)です。ここどこ? の街はこの山の麓にあたります。マッターホルン・アタックにはこの駅から始まります。この街はガソリン車禁止のエコな街なので、バスで乗り入れる人も一つ前の駅で電車にのってこの街に入るのです。この駅は昨年紹介した氷河急行(Glacier Express )グレイシャーエクスプレスの停車駅でもあります。次回解答。リンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 2-2 (解答編)リンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 2-3 (おまけ)
2011年01月05日
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問題のback numberリンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 1-1リンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 1-22011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 1-3 (解答編)マルコポーロの出身地時間を止めたようなロマンティックなこの街は日本人観光客も多く人気が高い所です。大運河にかかるリアルト橋ここはこの街の目抜き通り(運河)で、13~15世紀、この地区はこの街の商業の中心地として栄えた場所です。東(アジア)と西(西欧諸国)を結ぶ商業都市として栄えたこの街は、海上貿易の商人の街であり、国際都市だったのです。かつてマルコ・ポーロはこの街から大航海に出発しましまた。チンギス・ハーンに気に入られ、中国で25年を過ごしこの街に帰国したのは1295年。故国にもどった彼はみんなから忘れ去られた存在だったそうです。帰国後にこの街は敵対していたジェノヴァと交戦。兵士となり出兵し、敵地で捕まった彼はその獄中で著述家のルスティチェッロに会い、彼がマルコの旅を記録して「東方見聞録」として残したのです。(しかしルスティチェッロはかってに余計な事を書き足した為にちょっと怪しい内容になってしまったようです。)1299年マルコは釈放されてこの街に戻り、再び家業の商人に戻ったようですが、その後この街を出る事はなかったといいます。リアルト橋周辺の運河沿いはレストランが多い?ここでは運河は普通に道路なのです。家は完全に水の上に建てられています。鉄柵は玄関だったり自家用の船の車庫だったり・・。本当に水没した家です。かなり細い路地もゴンドラは行く・・。大運河を戻るよりも裏道を抜けた方がサンマルコ側の海に出るのは近い。写真は逆走。リアルト方面に向かっています。この街の形容詞は「水の都」ここはイタリア、ベネチアでした。次回もクイズリンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 2-1
2011年01月03日
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「2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 1-1」引き続き問題です。2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 1-2この街では、四旬節直前の2月に謝肉祭(カルネヴァーレ)が盛大に催されます。復活祭前の禁欲日・・である 四旬節(レント受難節)に入る前におもいっきり馬鹿騒ぎをする・・のか゜ルーツで、それはこの街の伝統的行事でもあります。このカーニバルは仮面を着けておこなわれるのが特徴です。現在のものは近年再開されたものですが、もとは共和国時代からの習わしで、身分の高い者も仮面を着けてカーニバルに参加する事ができるからです。簡単に言えば、身分を越えた無礼講のお祭りだったのです。共和国時代の貴人の仮面スタイルですね。今は観光化されて、この日の為に海外から旅行者が訪れて大盛況です。ペアでテーマある素敵な衣装を身につける人達。観光協会のひともいるかもしれませんが、たいていは好きでコスプレしているので、写真を気安くとらせてくれます。むしろ、撮られる事が嬉しいようで、決めポーズまで・・。正確に言えば四旬節直前の3日間がカーニバルです。上がサンマルコ広場下がサンマルコ寺院・・・大きなヒントです。大運河に浮かぶゴンドラ・・・と言えば答えはわかりますよね。鐘楼と寺院がこの街の象徴でもあります。答えは次回にリンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 1-3 (解答編)問題のback numberリンク 2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 1-1
2011年01月01日
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