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最近塚本邦雄が好きだ。うーん、周囲に通じなさそう。結社に入っている人レベルだと私がついてゆけなさそう。私はただのリーダーなのだが。「突風に生卵割れ、かつてかく擊ちぬかれたる兵士の眼」塚本邦雄!天才としかいいようがないです。ぐしゃっていう不快な音と不毛な戦地と、吹きすさぶ風のなんともいいようもない衝撃と虚しさが想起されます。またフシギと一種の美しさとスピード感があるようにも思います。ことばにスピード感を出すということは意図してやることはむずかしいのではないでしょうか?読者が何かを想起することが多ければ多いほど、それはいい短歌じゃないかと思うのです。それが作者の意図と違っていたとしても。むしろ、よい作品であればあるほど、その衝撃の内容はバラバラになるように思います。そういう意味では国語の授業の「正しい解釈」は必要悪なのですが。眼球の短歌は「我が眼はや今はたとへば食甚(しょくじん)に秒はつかなる月のごときか」北原白秋「たつた一つの嫁入道具の仏壇を義眼のうつるまで磨くなり」寺山修司どれも好きです。北原白秋の失われつつある視力、寺山の義眼(寺山は義眼ではないですけどね)。生への凄みがある。筋肉少女帯の「二十三の瞳」も好きです。(ひとりが隻眼なのです)
2016.10.05
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いたみもて世界の外に佇つわれと紅き逆睫毛の曼珠沙華(いたみもて せかいのそとにたつわれと あかきさかさまつげのまんじゅしゃげ)塚本邦雄無料写真素材元---------------------------------この短歌いいなあと思って。私は短歌を読むことがけっこうあるのだけど昔、友達に「この短歌いいよね」ってメールしたらいきなり何?みたいな反応されたことがあり 笑。『読書メーター』はあるけど『短歌メーター』はないし。歌集を読み通すのではなく、一首の感想を書きたいのです。読むけど自分では作らないから短歌の結社に入れないし。せっかくブログがあるのでブログに備忘として書いておこうと思いつきました。たしかに曼珠沙華は逆睫毛みたいだなぁ。自分でも消化できないような強すぎる痛みのある感情を味わうときに世界の外に佇むような孤独を感じたことは経験がある。静かにその痛みを味わうような傍観でも、目をそらすのでもない芯の強い人間のあり方が浮かびました。曼珠沙華は彼岸とこの世との間にあるというイメージが生命力が止ったかのような静かさで広がりました。逆睫毛のかすかな痛みの記憶も鑑賞に同調してくれます。
2016.05.07
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