海外ロングステイ

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June 15, 2014
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今回の小説はストーリーがあり、わかりやすいが、主語がなかったり、描写をゆっくり読まないとわからなくなる。おまけに後から 登場人物が増えて、関係がわかりにくく、やがて主従関係なのか、家族や夫婦なのかわかりづらい。なぜなら時間的な流れが前後している。そういうわけでゆっくり読んでいくほかない。個々の描写は 自然の描写もさることながら、風俗も明治のころを髣髴させる。文豪の名に恥じない出来である。

表現では夏目漱石より心理描写がうまいと思います。特に会話に力が入っています。

140614「女性が読む秋声文学の今 第二回あらくれ 立教大学特任教授 林淑美

体格のよい顔は少々団子鼻の先生が登場した。書類を鞄から取り出す。ノートあり、ファイルあり、資料のコピー。さらに初版の松本とおるさんの本をコピーして持ってきている。
先生はフェミニズム研究で有名で、中野重治の研究でも本を出されている。
著書を紹介すると
昭和イデオロギー―思想としての文学 林 淑美 (2005/8)

中野重治とモダン・マルクス主義 ミリアム シルババーグ、Miriam Silverberg、林 淑美、 佐復 秀樹 (1998/11)

増補 世界の一環としての日本2 (東洋文庫) 戸坂 潤、 林 淑美 (2006/8/10)

中野重治評論集 (平凡社ライブラリー) 中野 重治、 林 淑美 (1996/5)

思想と風俗 (東洋文庫) 戸坂 潤、 林 淑美 (2001/11)

批評の人間性 中野重治 林 淑美 (2010/4)

増補 世界の一環としての日本 1 (東洋文庫) 戸坂 潤、 林 淑美 (2006/7/11)

知的しょうがい者がボスになる日―当事者中心の組織・社会を創る 林 淑美、河東田 博、 パンジーさわやかチーム (2008/7)

中野重治連続する転向 林 淑美 (1993/1)

現代オーストロネシア語族と華人―口述歴史:台湾を事例として 林 淑美 (2011/12)

この「あらくれ」は夏目漱石いわくフィロソフィーがないという。館長の前置きとして


最初にこの物語の場所を特定している
。東京の西新井大師 王子稲荷間を歩いている。ほぼ小説の場所は東京全図に載っているもので十分です。

時代は明治42年ロシア戦争明治37年ですでに終わった時代にかかれた小説だった。
まだ荒川放水路がないころの時代。荒川の地図を見せて説明する。
生家とその周辺。

この小説は女の自立の意思を描き、明治中期以降の女の庶民の意思を描き出した。
読売新聞には大正4年に掲載が始まる。
その後この新聞を初出紙として本に出る

小説に出てくる場所を特定できないところが2箇所ある。養家 たぶん王子の近くです。
また、ある山国は高崎から上の鉱山と温泉の町。長野の県境でしょう。

文体の特徴は、この時期見られる結果を先に書いて過去にさかのぼって小説が書かれています。
年齢が書いてあるのは1章のみですので年表を作りました。
また最終章でいくつになったのかわからないと困るので年表にしましたが、最終24~25歳です。

○年代の表記がいい加減と書評にあるが,年表を作成してみて時間の処理は極めて正確でした。

上野の近くに住み東京の都会の風俗を見ることができます。

○他の本の年表に違和感がある。
時間が錯綜している為の誤解ではないか。中野重治の作品はしょっちゅう倒置が起こる。
また記憶から来て思い出の順序そのままであると書評にある。
料理屋に出たりは入ったりしていなく、あくまで結果を書いてから、その過程を書いている。

洋服屋を開業した店は5軒あり、そのうち1軒は愛宕の3畳のアパート。


○戦争が日清戦争日露戦争どちらなのかわからない。
博覧会を当て込んだ事業の風俗描写がない
東京の田舎について書かれてない。

おくのわたし=荒川に決まっています。
そのほかの描写もよく書かれていますが,戦争当時は日露戦争と書くものでしょうか。

○町の気風が書いていない

風俗の書き手としてはうまいです
日露戦争を外国の戦争と規定しています。歴史性を否定していると書かれていますが、そんなことにはならない。

庶民の女18歳で 責任の否認?嘘でしょう。
18歳でまだ人生を判断できる歳ではない。

お島の表現が実際のお島の行動に近いように書かれています。
お島の行動に沿うように書かれています。

お島は自転車を運転します。自立した女性をあらわす。
労働服 当時はリボンのついたかわいい服。明治時代は洋服姿は少ないのです。
被服的な使い道

和服の場合消費服であり労働服であった。
自ら労働する女と自己規定している

自立について
明治時代は女性の自立は野性的な本能としか描くしかなかった
お島の男性遍歴はあるものの、性的に奔放ではなかった。どちらかというと性的行為は不得手であった。

坂口安吾は「不感症の女」を戦後間もなく書いている。女性を男性から自由なものと描く。性的不感症は男性から女性が自由になる。

小説では小野田に従わないから、ある程度自由である。
つまり夫であるとともに仕事の相棒でもあった。

そのことが小野田の技術の腕より木村の腕のほうが良かった。
当時も仕事は一人でできなかった。

この当時 女性の記事で 「高橋お伝」 毒婦の象徴として紹介されている。
明治12年2月 性的に奔放であるが、お金をとり商売の元手にしている。
その記事の中にも7~8歳 女らしからぬ「あらくれ」なる女と表記あり。当時の思想は良き家庭を作るために女性は奉職する思想があった。

サロメ,マノンレスコーに紹介される毒婦に世間は道徳的に審判を下す。大学で講義すると女性の場合性的嫌悪感で、道徳的教育になります。

自由な女は毒婦を担保します。
性的な魅力にひきづられることなく仕事にひかれる。

本の中の「自分」という表記
1人称を語る。主人公の心理を描かず自分の名刺が頻発します。
直接話法の従属で用います。
つまり一人称の代名詞は直接話法としてつかい
また直接話法より、遠くへ行かす。
自分というものは他の人称に移行できない

明治21年 自分という文字が男子とことなる。
西洋のように尊称を廃し、男女がわからないようにする。

無人称の語り部で1人称に語る場合、無人称に語る場合がある。

お島の場合1人称で語っている。お島の視点から内側をみせ、一個の人間の強調という面で外側からの視点がある。

私という1人称に変えてもかまわない部分
自分という言葉を外してもかまわないという部分
さらにお島という主語を自分に変えている部分が見られます。

自分という語はお島の自立心と関係する。
男から自由な女。
お島の自立心、反抗心、出生意欲の象徴

女の自立心を性の乱れた「あらくれ」としなければ描けなかった庶民の女の原点がある。
あらくれと表象されたことが問題です。
そのため男女の遍歴で因果応報の物語にしなければならなかった。
因果応報でない女の自立は先の時代を待つしかなかった。

最後に夏目漱石をしてこの小説にはフィロソフィーがないという指摘は先生どう思いますかという質問に、これだけ男性遍歴があり若くして生きているお島の物語。物語から哲学はにじみ出ている。





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Last updated  July 13, 2014 09:17:16 AM
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