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140709司会から14歳の生徒の学校での活動報告が最初にありました。今日は先生空気枕を作り椅子と身体に挟んだ。聞けば、手足がしびれるということでした。質問 今仕事で不安に思っていることは経験者が仕事をやめて残った人が困らないか。会社の資産は金ばかりでなく、人にあると思います。と感想を述べました。先生いわく退職なんて人生に無い。死ぬときが退職。むしろ卒業というべきです。日本の常識は昔から士農工商という言葉があります。百姓は何代も百姓でした。温故といって古い知識が生きていました。今日起きる問題は過去にもあったのではないか。捨てる常識を持ちなさい。自分の生活1年前と比べてどのくらい変りましたか。今ほど昔は効率のよい機械は無かった。なぜ生きるの?わかります?14歳の年代は人の一生でも大切な時期です。3歳までは自分がわからない。俺はという意識が強くなるのは13~14歳ごろ。不登校や不良の生徒は学校で二桁以上います。今教育システムがうまくいかないそこで小中一貫教育を取り入れ、5歳から教育を考えてます。中一というレベルを作らない。制度で○年生をなくします。かの有名なスティーヴン・スピルバーグは13歳にあった映画を製作します。その結果大人も楽しめます。イスラエルの国では13歳でバール(日本でいうバーと食事ができるところ)で成人式を行います。みんな同じ顔に作られますか?一人ひとり違うからこそ、お互いに役立ちます。また、社会構造に役立ちます。自分の顔に好きになる。これなしに愛することはできない。幸せにはなれない。個性を発揮できない。聖書では自分を愛するように隣人を愛しなさいとあります。隣人どころか自分を愛していない。退職定年と人生を区切ることは無い。老いては子に従うな。最後まで親の役割を離すな。親は死ぬまで現役です。無財の七施の眼施、和顔施(わがんせ)、愛語施など。これらはいつまでも現役でできる。子供に認められないから老人ホームに入れられる。お釈迦様はなぜ生きるの?生老病死は無いといった。涅槃像 金色に輝く 金とは永遠をあらわす。死して、キリスト教は、よみがえる。仏教は人間は魂の入物。65歳以上痴呆認知証は40%に登るといわれている。霊的な力を持った人はふるさとに戻ることがよみがえると考えた。そのためイエスは帰るために死ぬ。お釈迦様はネパール南部のバダリア(現在のルンビニー)で住んでいた。そこに遺跡を発見。そこで出土した石柱には、インド古代文字で、「アショーカ王が即位後20年を経て、自らここに来て祭りを行ったとある。ウィキペディアより城も妻も子供もいた。すべてを放棄した人。周りはヒンズー教の聖地、出家して 信用して世の中を悟る。30歳にして木の下で修行する。イエスもその点では家族には悪い人だった。6:1イエスはそこを去って、郷里に行かれたが、弟子たちも従って行った。 6:2そして、安息日になったので、会堂で教えはじめられた。それを聞いた多くの人々は、驚いて言った、「この人は、これらのことをどこで習ってきたのか。また、この人の授かった知恵はどうだろう。このような力あるわざがその手で行われているのは、どうしてか。 6:3この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」。こうして彼らはイエスにつまずいた。 6:4イエスは言われた、「預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない」。 6:5そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった。 6:6そして、彼らの不信仰を驚き怪しまれた。キリストはヘブライ語では救い主を指す。偶像崇拝は十字架にかかったイエスを祭る。お釈迦様は6年間座禅しました。インドではヒンズー教が盛んで、修行僧にお布施を上げました。修行僧は働いてはいけない。またお布施をあげても恩に着せることも無いのです。お布施とはとっていただく。何も代償を求めない。お釈迦様が感じた自然の摂理を信者は理解する。人生最大の不幸は仏子であることを知らないことである。足ることを知らざることなり。今日生きられるのはありがたい。食料は命を保つ材料である。自分の顔を愛することが、私の世界と私の居場所を作り、1日の出会いどう1日生きるかで人生の幸不幸をきめる。あなた方は悔い改めろ。自然の法則に生きています。どの戒めですか。永遠の命は涅槃の状態。なぜよいことをたずねるのか。戒めを守り十戒を実践する。殺してはならない。など参考参照。失われた羊を発見するために来た。殺すなでなく神にささげる。殺した動物の血は飲み、干し肉にして食べたそうです。人間は人間を獲物にして殺せるか。たとえば熊は自分を守るために他人を襲う。なぜよいことをするの。自然の摂理 幸せになることについて全部この摂理を言っています。半袖で夏は過ごしますが、暑いからという自然的特徴から自然の摂理がうかがえます。自分を愛するように隣人を愛しなさい。自然形態を作る。赤ちゃんが生まれたとき母性愛がいっぱいですが、やがて乾いてくる。仏子生んで育てる。不幸を教えたのは母親である。求めよさらば与えられん。この一文は自然の法則を求めよ。と解釈すべきです。お金は使い切る能力が必要です。親という字は立ち木を見るのが親です。つまり与えるだけ。子孫繁栄を祈るだけ。神の摂理。罰が当たるぞ。神は幸せになってもらいたいというのが自然の摂理です。罰は当たらない。求めよ。これは求め続けよ。自然の愛。与えられるより与える喜びを。優しい言葉気配りの役割お金や身体を粗末にしている。泥棒根性。命与えられたもの。道具として天から預かっているに過ぎない。何に使うか求めなさい。この世を旅している間貸している。願った政策はうまくいかない。2050年団塊の世代のジュニアが75歳になる。年金は当初10人の加入者で老人1人支えた。2030年3人に1人になり2050年1人で1人になる。質問 夫婦で男と女の違いをよく感じます。夫にどう対処したらいいでしょうか。われわれは自然の中においてもらっています。女は男が確実に必要です。男は身の細かいことは解決できない。男は女と違う役割がある。それでお互い背を向け合って互いに見ない。逆らわず。従わず。ありのまま。そのまま。人生の不幸の原因がここにある。編集後記講演後昼食をご一緒しました。最近ユーチューブで先生の講演が見れますねとお話しましたら、周りは誰も知らない。自分の記事もブログでアップしていますが公認ということで。先生いわく、教えは、言葉ではなかなか伝わらない。また本になっても多くの誤解もあります。キリストが12/25の極寒の砂漠で飼い葉桶の中で生まれた?とんでもない。イスラエルは雨季の時、ポピーのような低い花が咲きますが、聖書の中の百合の花は咲か無いのです。昼裁判が開くのが普通ですが、当時は夜中に裁判が開き、キリストを知らないと3度唱えて鶏が鳴くという記事がありましたが初めて納得しました。外国の事件をしかも2000年も昔の話を文化や言葉、温度も天気も違うのに、どうして間違いなく伝えられるでしょうか。無理です。そのことを知って聖書を読むとまた、一歩聖書の現実が近づいてきます。今月で人生の区切り(定年)を迎えますが、決して人生を退職していません。新たに挑戦し続けます。それこそ、7:7求めよ、さらば與へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。 7:8すべて求むる者は得、たづぬる者は見いだし、門をたたく者は開かるるなり。 7:9汝等のうち、誰かその子パンを求めんに石を與へ、 7:10魚を求めんに蛇を與へんや。 7:11さらば、汝ら惡しき者ながら、善き賜物をその子らに與ふるを知る。まして天にいます汝らの父は、求むる者に善き物を賜はざらんや。 7:12さらば凡て人に爲られんと思ふことは、人にも亦その如くせよ。これは律法なり、預言者なり。 聖句を信じて明るい未来に祝福あれ。
August 10, 2018
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140205今日は先生全身コートで被い、帽子をかぶり入場しました。久しぶりの大雪で10cmは雪が降ったのではと感じられます。2月の節分を迎え皆さんどう節分をどう過ごしましたか。会員の一人がバッハアンサンブル富山を聞いてました。もちついて祝いました恵方巻きを食べていました旧暦は百姓さんのために作られました。太陽暦は舶来の思想で、1ヶ月旧暦より早い。そのため季節と暦が離れてしまった。百姓さんにとってはこれから種をまく季節です。大地と天候で自給自足が成立してますので自然に任せるしかなかった。大地から恵まれている物 福とする。不作など貧しくなるもの 鬼。福は内 まめを手を掲げて豆を投げる。鬼は外 豆を下方に叩きつけるようにまく。私にとって鬼は何だろう。108つの煩悩 貪瞋痴の元。アベノミックスで貧富の差が開きます20%はスーパーリッチ50%が普通30%貧しい人(2000万人が無貯蓄、1500万人が多重債務者)50%は常識にいじめられる。人に親切には常識ですが、ほんとにできるのか。民主主義、自由、平等、権利全く出鱈目。今までの物差しで測っては駄目なんですよ。蟻の行列を観察した人がいます。20%は一生懸命働き30%はサボっています。人の世も同じですが。その20%の蟻を集めても同じ現象で20%の蟻しか働かなくなります。出鱈目なことを教えて常識化する。それを追い出さなければ行けません。直観洞察力 人生にプラスになる。善悪2原論 悪人はいない。殺人が起きて悪ではあるが、その人自身悪人ではないやってしまったことに対して善悪がある。良きことが来るように福をする。福をやらない事は、煩悩が捨てられない。出家して100日の水ごもりをする。すなわち仏子なのに仏子であることを知らざる事が一番不幸なのです生活状況にどうプラスになるのか。鬼を退治して自分の道を行くべきです。いいこと知っていてもできない。全く知らない人は無関心を装う。善悪分けるのが全くおかしい。悪魔に占領されているので悪と善がいることを認識しない。キリスト教はユダヤ人が始めた。イエスは神の子と気づいた。あなたは人間。猫はカワイイですね仏様の変身です。仏教は悪いことすると地獄に行くぞと脅す。ところが御経をあげても幸せにならない。仏様に守ってもらってありがたいという気づきがない。○仏もイエスもまだ見ないけど信じる。天上天下唯我独尊命は未来からやってくる。悪魔は同情心がない。気づきがないと駄目。悪魔よ退けという儀式が節分。ただ神のみ仕えなさい。我我は神の子なんだから福は内にはいらない。目は身体の明かりです。心眼がくらければ全身もくらい。三つめ小僧がいましたね。1つめ小僧は心眼なんです。神と神の義求めなさい。そうしたら無尽蔵にえられます。神の義は自然の変化 神の自然を求めなさい。人生は母性にとって大特権であった。新聞によると 看護職7割慢性疲労 6割疲労。身辺のことは女性が絶対強い。遠くの希望に母性愛が働く。節分とは鬼を外に出し自分の心に住む神を求めなさい。続けることは祈り続けること。
August 9, 2018
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140605常識をなくする常識を持ちなさい。自分の人生の計画は神が計画している。司会者いわく、梅雨で体調がおかしいころです。娘もインフルエンザの疑いがあるということもおきました。今日は体調不良で出席者もいつもの半分です。問題が起きると言うことは、本人が問題にしているだけである。うらやむと言うことは、うらやむことをなくしてやみます。憎しみは、憎しみをなくしてやみます。高齢化社会になり、過去のモデルがありません。2年前から上手に老後を生きる勉強を2年間しました。生かされている自然は愛するため、祝福されているために自分たちを守ってくださる。撥が当たっていると言う考えはお粗末です。「万象わが師」昔75kgで今は54kgからだがやせました。怪我しくじり挫折をとおして新しい発見が得られました。時々夢でおやじやおふくろの顔が出ます。桜から緑の季節。緑と言う言葉は誰がつけたかぴったりする表現です。自然は公平な宝物お金、物、財産を求めても自然にかなわない。自然は誰かが運用している。皆役立っている。G7で会議してますが、平和を求めて人を殺す。安部首相 1200兆円の借金。国債1000兆円 GDPの240%にあたります。生まれる人は105万人死ぬ人は128万人。減少する人は23万人です4年続けて減になります。2025年は弾劾の世代が後期高齢者(75歳以上)になります。年金制度がだめになります。かといって高齢者は物欲がないので消費が増えません。3100万人の65歳以上。若い未成年者1600人。認知症は400万人が2025年には550万人になります。2000年前ブッタ、キリストの教えでは高齢で最善 準備の過程を生きている。列車事故が起きました。痴呆症の夫91歳が汽車から抜け出し列車事故を起こしました。85歳の妻はうたたねしていたそうです。痴呆症の夫を管理する人が悪いと鉄道会社は訴え、360万円の賠償を命じられました。ほんとに管理する人が悪いのか、痴呆だから仕方がないとする見方がないのか。常識をなくする常識を持ちなさい。アインシュタインは相対性原理で有名な方ですがニュートンの万有引力が常識になっているときに物質の引力が双方の大きさ関係で上下でも左右でも変わるという新説に宗教界が猛反対をしたそうです。更に物質の構成が分子から原子が一番小さく電子が更に小さいという素粒子論を唱えたことも大問題となりました。常識とは18歳までに身に付けた経験知識に基づく偏見であります。今日がちゃんと生きられるのが幸せです。過去の経験では将来不安になります。18歳は肉体的に最高潮。脳の発達も最高潮35歳は初老ですね。政治に年寄りが多く参加すると年金や医療など個人負担が先送りになります。原子炉復活、放射性廃棄物の置き場がない。廃棄物の処分するのが高い。中国は石炭利用が70%。そのうち25%がスモッグ発生しています。権力者は2割、貧困層8割の13億人の国民です。片やアメリカは人口1%が40%の資産を持っています。かつてシルクロードで中華の文化を輸出してきました。西欧文明が200年あり、物質の発明があるものの行き詰まってます。高度成長定年は常識ですが 厚生大臣は70歳まで年金もらっわない人は、その後多く支給しよう言ってます。1時間1500円 機械の一部として私たちは働きました。定年後、家で何もしないで生活していると痴呆症になります小人環境得て不善をなす。本来の仕事は時間でなく出来高である。時間労働で定年まで不幸を得て生きている。老後に不安を感じる人は、会社から指示されて仕事をこなしてきた人であります。自分という存在認めていますか。顔 誰の顔と比べて良いか悪いか判断していますか。◎自分を気に入ること自分の人生好き 今いる場所好き自分を気持ち悪いとおもうのは 幸せはない絶対的なものはない。あるのは間違った常識。誰かが生かしてくれる。自分が自分の周囲を押さえ喜ばす それが幸せだ。始皇帝は侵入者が怖かったので万里の長城を作った。ヒットラー 彼の飯炊きになった人は13歳から使えていた。飯炊きさえ他の人を信じられなかった。お金 使い方を知った人が幸せになる 道具に過ぎないですよ。足ることを知らざる人生最高の不幸である。十戒 汝の神を愛せよ。汝の友を愛せよ。さらに自分の財産を貧しい人に渡しなさい。財閥が天国に行くのは駱駝がはりという通路をとおるより難しいのです。足るとは 500万から1億円の金を持つこと。 それ以上もつと大変。たとえば老人ホームで何も財産のない老人は幸せそうに笑っている。財産抱えた老人ほど、気難しいそうに生きています。自分の顔が最高に好きです。和顔施 笑顔は心が喜んでないとできません。愛語施 優しい言葉慈眼施 めくばりこれらは今いる場所を良くする。そのために今日種をまく。老境までの途中だからわからない。 老境こそ最善である。私はそのために作られてきた。恐れるなブラウニングの詩老いゆけよ 我とともに最善はこれからだ。人生の最後のために生まれてきたのだ。神言い給い 私がお前の人生を計画した。若い青年のときは途中に過ぎない。信ぜよ、委ねよ、恐れるな。自分の人生の計画は神が計画している。自流で計画は地獄です。人に計画を相談するな。常識・学問・他者・偏見があるのみ。自然の回帰を人生にたたえる歌が多い春生 夏長 秋収 冬蔵緑繁き 青年のごとく人生思いなくてはだめ人生が葉のごとく青々しい自分が生きているか、自然と相談しましょう。これから40年過ぎると1800の市町村のうち900消滅する恐れあり。行政が必要なくなるのですよ。人口減で50年後6000万人になる自分で解決しないとだめですよ。インフラ整備に、道路、橋 4兆円使ってます。将来は負担できません。老境 今日から和顔施を同国の人にできるか聖書の道には 雑草の中に種が落ちた。良き地(心の中)30%、60%、100%実る人がある。いろいろな生き方がある。聖書は学問です。ヒンズ教、バラモン教に対し、キリスト教 相手にされず、故郷に入れられず最近産婦人科で生まれた赤ちゃんを洗わないで妊婦の身体の上に乗せおっぱいを含ませる。キリスト教は聖霊で身ごもった。老境に至って常識ではない最善を迎えなさい。貪欲、怒り、愚痴がある。三途の川 毎日の生活の川 そこで私たちは生かされている。70%の母が子供育てるのが負担である。今日生きながら老境に至って安心安全が生きられる。70%の人が人生安心安全を求める。安心安全がどういうことか知らない。今日の生き方が三途の川を渡る生き方です。この世で極楽ですよ。自分で自分の状態を作る。今日どう生きるか。昨日の中で常識が間違っているから、過去の挫折は新しい発見である。万象是我師 我が味方であり、師匠である。喧嘩は自分の状態を映す鏡。暇だ 休んでいるがこれも仕事のひとつ。働くとは他人を楽にすること事に仕える。 労働のこと第一番に大事なこと。命を大事につかう。休むというすばらしい道徳を回りが持っていない。疲れている。疲れを治す。免疫力が休んで力を出す。肉体は心の入れ物です。心が入れ物を手入れし身体が動く。くたびれた。自分を守る。人をけなすようになる。自分の顔を愛する。自分が生かされているという祝福を日々学んで生き方を変える保護者が引きこもる。子供に学校へ行けというと大暴れするので、学校へ行けといえない。子供の心は母親の生き鏡。見えないものを写す。
August 9, 2018
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140109 先生ぎっくり腰になって登場。顔は笑顔でしたが、元気がない。司会者 明日は先生の誕生日ですね。子供のようになって又1年学びましょう。新年が過ぎてしまったが、日常の暗がりに気がつかない。見えない物が99%で、煩悩が邪魔をしています。自然の愛、恵が見えない。隣近所との比較ばかりしている。反省して108つの鐘をたたき新年に挨拶を行う。元旦参りも結構だが、実証しなければ意味がない。エンターティンメントは広告ばかり放送する。何が定着するのかわからない。テレビは思想操作されています。なぜ猜疑心を持たないのですか。行儀の良い人は猜疑心を、持たない。日本は世界で一番老化が早い。65歳以上は3100万人。15歳以下は2000万人。(人口12000万人として合せて42.5%になります)人間生涯現役なんですよ。ここに来る途中木から葉が落ちてました。自然の変化が見られます。社会では定年は仕事を切られる。この時点で人生の満足、平安、安心がない。農家は定年がない。7%で高齢化社会 1970年で到達14%で高齢社会 1994年21% 2013年3100万人国債発行1兆円特別補正予算5.5兆円内容は既得権益のばらまきです。予算は何に使うかが大切ですよ。1公共投資経済成長しないと景気が良くない。テレビ、車、冷蔵庫を昔争って買った。今はない。35年のローンで家を買う。今は1000万戸の空き室がある。2何で幼稚園児になって学ばなければいけないのか。経験多い方が不幸なんですよ。幸せになるには経験をすてなければいけない。聖書に人々が幼子を身元に連れてきた。天国は彼らのようなものだ。天国=安心一体天国は誰が一番偉いのか。 井戸端会議は嘘の固まりです。伊勢神宮は、やだの鏡をまつるがこの鏡は皇室にもある。天地の有情 自然の情。我同時に浄土する。四苦八苦が無くなった。苦労するため不幸のため生まれたのか?老いることが苦しみ?老いてこそ人生の最善なんだ。一瞬一生が人生なんだ。お布施がしたい。自然の中であなたが善で感謝しているのが尊い。幸せは自然の法則に従う。あなた一人一人が尊い。仏子であることを知らない。ねたみはねたむことでやむ。にくむも同じ。 一人一人が皆違う。不足分を持っている。毎日空気を使わせてもらいありがたいなあ。自分で自分を表現しない。幸せの見直しを出発する。あなた一人一人の状況が違う。平等でなければ面白く無いの?役割が見せてもらえる。仏子であることの幸せに気づく。成績いい方がいい。これ常識。成績何で悪いの。人間は生かされている。善人も悪人もなし。行為は悪いが神の子として生かすことはなんぼでもできる。うまい物食ったり、遊んだり、買ったりするところに幸せはない。他者と違うことが自分に光をともせる。「勉強しよう」ところで何を勉強するの。1神の子である2自然から命を貰っている3すべての物を持ってえこひいき無く自然から布施を貰っている。お布施を勉強しなければならない。過去の不正が結果している。種蒔いて芽が出る。今日なすべきことのたとえ話聖書から道ばたの種は鳥が食べる。岩の種は根が生えない。雑草の中の種は、3日で根腐れして消える。良き地の種は100倍の目を結ぶであろう。私たちで言うと道ばたは左から右へ耳を抜ける。岩は 頑強に拒む。もだ 3日くらい頑張る。よき地 信じて布施をする。浦島太郎は亀への布施をした。勉強で一番大切なのは布施である。天から与えられる 今日の結果は過去の結果です。布施は人生そのものです。財施が90%締めてます。その他にも和願施 自分の心が良くなかったらできない。今日いいことをした。悪いこともこれくらいした。自ら笑顔する心が大切。両方毎日どちらを選択するか。愛語施 優しい言葉優しい言葉で一番は、困ったときの助け合いの言葉でなく、いいことを3倍にも増してあげること。慈眼施 目配り気配り心施 財施は10番目である。成功しない。喜んでしないと布施できない。相手の一部を知っているだけ自分の心を自分で虐待している。相手に対して同じ質の物をあげるのが布施。お金、名誉、地位も身の回りにやってくる。形だけでは益々悪くなる。行かざれば至らず自分の居場所があるかどうか。昔のままの競争心は苦しい。和願施すると生涯現役で終わる。もちろん仕事が変わる因果のいい結果を貰って巡回輪廻する。人生には不幸もない。もらう事を大事にしている。幸せは無い。神のことわかればビックリするような人生になる。涅槃の中に人生おくれる。明日来るのは奇跡だよこの世の中から居なくなる、一日大切に生きる。泪こぼすしかない。母さんが夜なべして手袋編んでくれた。今母ちゃんがいるの?子供の言うことを聞いていくのが母ちゃんだ心にどれだけ和願施を施せるか。
August 7, 2018
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131211先生来られたときには会場3分の2ほどの受講生でした。司会者先月かれていた声が今日は声の調子も戻っています。悩みが解消して声も直りました。今日は低気圧が近づいてとても不安でした。ことし最後の講演。しかし講演時間2時間の間には雨風吹くこともなくいい天気でした。司会者の指名に基づき近況報告を小生がしました。2日前の月曜日に金沢文学館で読書会がありました。朗読の中でも源氏物語の現代文と原文の朗読があり、言葉で朗読するとことばの美しさ、短歌のやりとりなど魅力満載でした。普段の言葉で自然を感じる事が少ないので源氏物語の文の美しさは是非マネをしたいものです。先生:会員の話は聞いている人へのプレゼントです。この話の中に経済や仕事の話でもなく余裕が感じられます.昔の漢字文化からひらがな交じりの文学に移り日本の文化の創世記にこの物語が当たります。源氏物語は季節を読み込んでいます。世界に誇る日本の文化を世界に発信すればいいのです。いま英語が貿易障害につながると小学校でも英語を教えています。小学6年にアンケートを採りますと何をしたいかは1位寝たい何が欲しい1位お金あなたにとって何がない?何でもあるが希望がない日本は明治6年に太陽暦を採用しましたアメリカ文化の影響で米の消費は昔米2俵今1俵に減少しました。これから6億人の東南アジアのひとに日本の商品を売ればいい。日本が東南アジアの人を呼んで日本を教える。留学生を受け入れる。私たちは神(自然)の存在を知らないから損得や楽かどうかで考えて不幸になる。日本の情緒、感情の文化を教えるべきです。別の会員から昨日体調が悪く今日の会に是非出席したいと思い意志の力でなおしました。先生:何んで風邪を引いたのですか。誰が傷ついた身体をなおしたか。肉体が傷つくと主人公は心ですか。医者は肉体だけを治し心までは直さないのです。ヘブライ語で、やたの鏡とはヤーダまたはヤハウェイをさしヤハウェイなろうなろうとする働きあろうあろうとする働きあらしめよう良くしようという働き神様はなおしてあげたいと働く今は知識の教育によって納得するための説明。神の存在を0としてしまっている教育システム。信じる特権があなた方に与えられているが、実際は学問や宗教の価値観で解決されている。空気は神様がつくるもの。神は人を生かそう生かそうとさせている。神の意識は例えば、ここに来るとき町でみた樹木の枯葉のごとく。自然はだんだん老いるのに、人間は高齢になっても化粧をしている。人間は自然のままに枯れるべきだ。浦島太郎なぜ竜宮城から帰りたくなったの?娯楽は決して幸せでないたとえを示します。最終的にふるさとに帰ること。もっともっと竜宮城で求めても飽きるエンターテイメントは一時期の気晴らししかない。もっと求めることから不安恐怖が生まれるばかりである。あなたを囲んでいる道具は忠義を尽くすためにある道具です。何が不自由なんだ。見えないから不安だ。捨てて大逆なんです。ところが大事にして使うといっぱい道具が中間を連れてくるどういう使い方でお金は増えるかどんな役割を持たせるかが大切です。食べなさい、遊びなさい、学びなさい、休みなさい、働くことも恵です。自然に仕えなさい神=自然なんですよすべてを手放すと錯覚を起こします。名誉地位財産 自分のものと思っているからです。これが苦しみの原因である老境になると居場所、役割、喜びでも変わる偸盗(ちゅうとう)罪 手放せなくなることをさします老人ホームでは何も無い人は喜んでいるのに持っているばあさんは苦しんでいるものが失う感覚は駄目ですよ自然が軽くしている必要なものは神が全部知っている聖書の一節何を食べようかと惑うな自然は神様が生かしている通りに生きている植物循環があり、神の義がある。自然の法則があり、庭の花が咲くのは私が育てたのでなく、私は仕えただけである仕える能力を磨きなさい。唯心所現 心に思ったことは現れる 自然と共鳴しなさい。全部与えるであろう 10の内8つしかできなくてもいいが、サボって7つした場合神から全部取られる。天国=自然原因結果の能力に応じてタレント=能力、笑顔、目配り、気配りタラント=お金全然知らない人に施すほど結果はいい無関係な人に無関心では意味がない。やらなかった人は1タラントも取り上げられ追放となる。お金でなく能力も。偸盗罪は最高の罪である。今あるものを活用してください。何で自然と関わらないのか。老い行きを 最善としてこれからに宛てる時間 喜びでいっぱい持って来てくれるように神の言うことにしたがって気づいてゆくように原因は自業自得であるサラリーマンは組織以外のことが言えない。若いとき勉強していない。努力していない。今神のみ手にあります信じよ、ゆだねよ、恐れるな物を持たない。聖句天に宝を蓄えよいっぱい持つのもいいけれど、使いこなす能力が大切である。心があるところに宝がある。持ってる物を充分に役立たせよ人の為にお金を使いなさいと言うことではない。笑顔でも良い、お布施になる。他人を褒めれることが薬となる。失敗したことは褒めてやらなければならない。失敗は人生最高の学びである。神様は救おう救おうとしている。外国人を教える場合、コミュニケーションは心と心のふれあい言葉は道具にすぎない言葉をあまりにも表面的に信用しすぎている。言葉以上の言葉があるのです。言葉 言の葉っぱ言霊 自分の心を表現する今が幸せなんだと気づかせてくれるやって見せなさい。言って聞かせるのではなく自分がほんとのことを出して行くのが大切なんだ。世の中とは一線を隔てていく若い価値観がそこにある。安心を覚えていくことが最大となる。他者のためにすることも大切である世間の付き合いはその人のあり方による。
August 7, 2018
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130807暑いさなか、先生上衣を持って会場に来られた。シャツはグレーの半袖シャツ。会員からの報告今朝キュウリが3本とれました。普段の生活から解放されて自然との共感が大切です。 金魚は水の中に生きる 人間も空気の中に生きるその空気に含まれるのは分子更に原子。昔はこれ以上分けられなかった。今は電子に、クォーツ、素粒子、トリノ,ニュートリノ カミオカンデで今研究に当たっていますね。トリノは電子と比較すると地球とピンポン球の大きさになります。これが身体を抜き差しします。空即是色 素粒子が身体を突き抜けるので気持ちがいいのです。現実の世界は文部科学省のごとく説明が付かない現象は説明するな.と教えられます。色即是空 見えないものが見えるものを支えている。見えている現象は必ず原因がある。先祖から来るもの見えないものが減少しています。「仏様」は情報、協議、世間体、常識から自然と共感すると鎖がほとける。「悟り」私とあなたの違いに差をつけない。あらゆるもの全部水は消えない生態系として違うけど差をつけない「ガマン」傲慢さをガマンという。サンスクリット語で我を誇り他を見下すこと。先生色紙を出され何事も筋書き無く今日を描くここで筋書きは自然現象お金のほうが信仰対象よりいい知っているものだけ信じる神がいますから始る神=自然の法則、愛、恵、愁い■いただきます 毎日食事の前に田の神の命をもらっている。ごちそうさま他のところ生態系に回って貢献しますありがとう夜の運行とぴったり合うもし遅くまで起きていたら貧乏神に取り憑かれますよ命は身体でなく心だ。こころだから説明できない。心から食べる。命のあるもの以外食べられない。キュウリが大きくなるとは、自分が育てたのでなく神の存在なのだ自然の生態の運行悟る日々の生活はいただきますから出発します幼心神心 赤ちゃんには憎しみがない自然の律動に合せて寝る慢性疲労 更年期障害 夫が原因か医療病か慢性疲労自然がわからなくなる■休み皆さん暦の奴隷になっている自分の時間が無い何もしない、何も考えないことをする仕事をする時間に縛られると幸せはない休み上手は人生達人今朝の新聞によるといじめ被害 小学生の9割学童保育最多2.1万箇所母子のぬくもりが一番いい 1年間は肌と肌の交わり臭いと擦れ合いが大事である。凶育、狂育、競育、脅育、恐育テレビではアメリカの野球選手がドーピング違反夫の子育ての休み1.89%母が育児がふさわしいのに父はすべきでない父には望遠鏡で母は顕微鏡で子供を見るくらい子供が転ぶ。倒れても手伝うのがまちがい達成感のない子供。やりたいことをやらせなさい見えないものが見える人になりますよ一面をけなすことはだめです劣等感が人生に影響しますいいことを褒める子供が育つ時間を待ちなさい塾に通わせてばっかりしたり、お金信仰だと大人になったら何になるの自分を失い探求心を無くす試行錯誤が大人になってからの宝です。社会の実態が小学生の身に起こる。学童保育では学校のストレスがお母さんによって開放されない子供の不良は親を証明している。必ず家庭内でお客様扱いにしない子供として扱い、役割を持たす。朝仏壇に灯明をあげる逆に早く起きろ。社会人になって就職するのは6割になってます。4割できない。家庭の中で役割を持たせてあげることが大切。職場から働く喜びを得る。便利のいい機械に振り回されずに寝る休む。おさらい1比べるな、頼るな,求めるな2自然に求め続ける求めよでなく求め続けよ。そうすれば与えられるでしょう。あなたの心が開くまで、探しつづけなさい。たたきつけなさい。人間に求めては駄目ですよ否定拒否から求める心。自然との共鳴共感から赦すことがだんだんできる早いことと良いことは一致しないお金とはX生きるに必要なもの○この世にいる間の道具にすぎないお金自体に意志がある この人のために役立ってやろうお金の喜ぶ使い方をすると,そのお金が友達をつれて帰ってくるお金が喜ぶような使い方をいただきますから始めましょう。日光の東照宮に3ざるがいます見ざる 人間の汚いことを見ない聞かざる 悪口を聞かない言わざる 嫌なことをいわない見ていいけれど許す一生できないかもしれないかもしれないが時間がかかるやると言うことが実証する質問何年も使っていないものの処分は?ものはゴミ、捨てるという言葉に反逆する雑草という言葉も同じ奉納する納めるという言葉に変える天にお返しします財産は子供の為に預かっている貯めたものを減らしていく減蓄がたいせつ。赤信号 危ないから止まっていたほうがいいですよ自分の心が怒ると免疫が下がる相手が悪いのに自分が悪くなる
August 2, 2018
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131015 先生いつものごとく教室に10時15分頃入室されて握手を求める。素敵なグレー系のスーツに身を包んで笑顔のまま一人一人に握手する。皆さんはどれだけ幸せですか。根っこが土の中に入って誰が根っこを作ったのか。緑に包まれお日様に恵まれる生活。こんなすばらしい自然の中に置かれているのに毎日いらいらしながら不安なのか。自然の深さと量と大きさその気づきを感じ、喜びを知ってください性犯罪の番組が何度もテレビで放送されています。テレビの視聴率を高くするために放送していますが、見る対象が若い人だと犯罪の検討材料になってしまいます。まるで犯罪を勧めているかのような放送です。刺激、推奨され、アクセルとなって犯罪を推奨しています。世間のレベルが低いのです。お金があって自分の事だけ考えても決して幸せになれません。欲得楽の世間体が見えます。現代は情報化社会。だけど声なき声に耳を傾けるのが大切である。声なきとは、無言でなく自然がいっぱい声を出しています。ピーピーかおはようか葉っぱは生きているから変わる。自然の緑に対して感謝。言うべき時を知る人は黙する人である。内観がない 直感がない・・自然の御手にあるのに、情報の中にあるのではない。我々ではない。私は一人一人だけなので、みんな違うから役立つ学校教育は何で情報を押しつけるのか。洞察力が無くなる。先生は何を預かっていますか?ロボットを預かっているようです。ほんとは一人一人違うことが教育なのに洞察力がない。情報に巻き込まれる。その原因は見えているところだけ報道している。例えば、高いところから落ちた。これでは原因が見えていない。なんの為に生きているの。自分の考え方で、努力している人が常識と思うこと。自分は自分のもの?生かされているのに。自然に。神と仏について 見えないものをウパーヤ これはすばらしい方便手段です。私たちは生かされている。生かしている意志を思っている。70億の人口、魚、植物、動物。意志を持っている。生かされている実感がない内観がない。今日神の御手 自然の中にある。春芽が出て花が咲き秋に実をつけ冬枯れる。輪廻は繰り返される。今日、ほうもんどうを究(まなび)で自分を作っている。天地有情我浄土する私を生かす自然の法則に従って生きて行こう春風が吹いてきたら芽を出し秋風が吹いてきたら枯れる自然の意志にしたがって。年取りたくない人手を挙げてください。手を挙げた人は自然に反則しています。自然のドラマを知る。若い者はその途中にすぎない。プロセスの途中にすることは布施である。どういう人に施すの?すべての人にというのは偽善である。全部の人にはできない。例えばお姉ちゃんがケーキをもらってきた。弟一人がいる。かわいそうだから分けてあげるという考えは傲慢である。これなら憎らしい人には施せない。代償をもとめている行為が布施ではない。やったら自分がうれしいからやるのが布施ですとはならない。やったのに返さないと文句が出る。かわいそうだからやる。代償を求める。命もお金も地位も人に与えて預かっているのにすぎない。自分が大きく喜んで施しができるようでないと人に布施ができない。人に是非もらってもらいたいと施すのが布施である。うれしくて行うのが布施。これでないと縁が良くならない。無財の七施がある 7以外にいっぱいあるのです。愛語施和顔施 赤ちゃんの笑顔です慈眼施身施心施舎房施謙譲施もらってもらう気持ちが大事です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考 慈悲の実践~無財の七施~ http://ichigu.net/pillar/service02.html 「ありがとう」「おかげさま」の気持ちを行動で表す身近な実践として、『雑宝蔵経』(ぞうほうぞうきょう)に説かれる「無財の七施」(むざいのしちせ)があります。 仏教には、人々が人間形成に努めて幸せや安らぎの境地に至る道として六波羅蜜(ろくはらみつ)の行があり、その第一番目が布施です。布施の「布」は分け隔てなく、あまねく、「施」は文字通りほどこすという意味です。万人に等しく、施しをする人はもとより、受ける人の心も清く、布施の内容も清らかであることが大切であると説かれています。世間一般の損得勘定では、与えた人よりも与えられた人の方が得をするようなイメージですが、布施は、ほどこした人の方が幸せな気分になり、与えられた人よりも与えた人を幸せにするのではないでしょうか。『雑宝蔵経』に無財の七施を行うことで「大いなる果報を獲(え)る」と説かれている通りです。 私たちの日常生活においてお金がなくても、物がなくても周りの人々に喜びを与えていく、少しでも喜んでいただける方法がある、それが「無財の七施」の教えです。このような身近な奉仕や実践によって、自己を高めることができるとともに、世の中の人々の心を和ませることができるのです。 あらゆるものがつながりあってこの世の中は成り立っています。人との出会いやつながりはもちろん、お互いの助け合い、支え合いの中で私たちは生きているのです。伝教大師は「悪事は己に向かえ、好事は他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」と説かれるように、取ったり、もらったりのTake・テイクだけでなく、小さな行いでもいいから、恩返しや御礼をしましょう。周りの人に喜びを与えて(Give・ギブ)いきましょう。私たち一人ひとりのささやかな行いが、周りの幸せのためになり、行いを通じて自分も幸せな気分になります。 1.眼施(げんせ) やさしい眼差(まなざ)しで人に接する 「目は口ほどにものを言う」といいますように、相手の目を見ると、その思いはある程度わかります。相手を思いやる心で見つめると自然にやさしい眼差しとなり、人は安心します。自らの目を通して相手に心が伝わって、相手も自分の気持ちを理解して、お互いが打ち解けることができることでしょう。 2.和顔悦色施(わげんえつじきせ) にこやかな顔で接する 眼施と同様、顔はその人の気持ちを表します。ステキな笑顔、和やかな笑顔を見ると幸せな気持ちになります。そして周りにも笑顔が広がります。人生では腹の立つこともたくさんありますが、暮らしの中ではいつもニコニコ、なごやかで穏やかな笑顔を絶やさぬよう心がけたいものです。また、メールの顔文字も一工夫してみてはいかがでしょうか。 3.言辞施(ごんじせ) やさしい言葉で接する 言葉は人と人との関係を円滑にするコミュニケーションの大事な方法です。私たちは言葉一つで相手を喜ばせたり、逆に悲しませたりする場合があります。相手を思いやるやさしい言葉で接していきましょう。「こんにちは」「ありがとう」「おつかれさま」「お世話になります」など、何事にもあいさつや感謝の言葉がお互いの理解を深める第一歩です。 4.身施(しんせ) 自分の身体でできることを奉仕する 重い荷物を持ってあげる、困っている人を助ける、お年寄りや体の不自由な方をお手伝いするというような身体でできる奉仕です。どんなによいことと思っても、それが実行できなければ意味をなしません。よいことを思いついたら実行し、自ら進んで他のために尽くしましょう。その結果、相手に喜んでいただくと同時に、自己の心も高められるのです。 5.心施(しんせ) 他のために心をくばる 心の持ち方で物事の見方が変わってしまうように、心はとても繊細なもので、自分の心が言葉遣いや態度に映し出されます。自分だけがよければいいというのではなく、心底からともに喜び、ともに悲しむことができ、他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れれば言うことはありません。慈悲の心、思いやりの心から自然とやさしい顔や眼差しにも表れてくることでしょう。 6.床座施(しょうざせ) 席や場所を譲る 「どうぞ」の一言で、電車や会場でお年寄りや身体に障害を持っている方に席を譲ることです。座席だけでなく、全てのものを分かち合い、譲り合う心が大切であるという意味が含まれています。何事も独り占めはいけません。少なくとも電車やバスのシルバーシートは本来の意義に従って利用しましょう。場合によっては自分の地位を譲って後のことを託すという意味も含まれるでしょう。 7.房舎施(ぼうじゃせ) 自分の家を提供する 四国にはお遍路さんをもてなす「お接待」(おせったい)という習慣が残っています。人を家に泊めてあげたり、休息の場を提供することは様々な面で大変なことですが、普段から来客に対してあたたかくおもてなしをしましょう。平素から喜んでお迎えできるように家の整理整頓や掃除も心がけたいものです。また、軒下など風雨をしのぐ所を与えることや、雨の時に相手に傘を差し掛ける思いやりの行為も房舎施の一つといえるでしょう。 いかがですか。一日一善といいますように、私たちも普段の生活の中で、この「無財の七施」の中の一つでも真心のこもった布施を実行できれば、自ずと他のこともできるようになっていくのではないでしょうか。そうすれば、周りの人たちと仲良くでき、自らの心は安らぎ、ともに幸せに暮らすことができるに違いありません。 ------------------------------------------------------------------------国連で住民の困っている数だけ食糧援助しようとしたら,現地から僧侶の数だけ引いて請求が来ました。坊さんにあげるのは国民から坊主に出すならわしだからです。人を憎み自分を駄目にするのは自分である。不幸な人が回りには多いが、自業自得の結果なんだ。ほんとはみんな幸せなんだ。愛慈悲=仏様恵=神様・天地自然を言う自然の恵みが自分に命令する。人間に善悪はない。行った行為に対してウパーヤ 方便として与えた。どれだけ近づくか今日行う行為による。近づくことをするのが布施です。自然はあなた方に対して命令する。あなた方は年を取る涅槃の境地を与えるために、布施を行うのです。64歳以下8000万人の人口です。この人口で国の1200兆円の借金 GDP240%に当たるを返済します。年金を無くすしかない。ヨーロッパでは67~68歳から年金支給です。医療保険は病名によって他は使わせない。若いとき老境に生きる布施に近づきなさい。因果律自然の法則原因が結果する。天網は漏らさない。自然法爾(じねんほうに)は絶対法則 最後に解説有り。棚からぼた餅とは棚にいいぼた餅を上げる。ぶす餅を揚げてはいけないのです。プロセスが目的を作るいい人生いい老人所業仏業いきていることの行いが仏業である。利得を得る。善縁善果悪縁悪果私たちは仏子なり知らないことが最大の罪なり。犬、ペットでなく仏の化身である。すべての森羅万象は仏の化身である。普段食べているお米は天地の力を宿した米。食べなさいと言うとき命をいただきます。供養して身のうちに入れ、感謝がどれだけ深いかでお米が生きる。昔は海山のものを食べ余計なものは取らなかった。今もうけるために全部取る。そのため自然を狂わした。自然の法則と違う人間が作った状況に対して供養の心が大切である。善は、バランスよく行う。涅槃の境地を生きられるように布施を能力の範囲内で行う。家族の範囲だけでもいいので近づいていきます。身口意 このうち意が大切です。 先生 合掌。-----------------------------------------------------------------------------参考自然法爾(じねんほうに)~親鸞聖人のおしえ~ 「物事は自然になるようになっていくし、それが一番いいことである」 日本には四季があるが、 春になれば自然に温かくなり、自然に花が咲く。 それは自然にそうなるのであって、 だれかが努力してそうなっているわけではない。 それは、自然にそうなるべくして、そうなるのである。 そして、その自然の営み、物事の移り変わりこそ、 仏の働きであり、仏の姿そのものである。 大体、この自分という存在を考えてみても、 生まれようと思って生まれでたわけでもなく、 育とうと思って育ったわけではないではないか。 そう考えると、こうして生きておるのも、 すべては仏さまのお慈悲、ご加護のおかげである。 だから「ああか、こうか」と考えるのをやめて、 その日、一日一日をただ精一杯生きよ。 喜びと感謝をもって事を為せ。 あとはすべて仏さまにお任せせよ。 もともとお前自身はお前のものではなく、 仏さまのものである。 それを勘違いして我がものとして執着していただけのこと。 仏さまのものは仏さまにお返しして、 心配することなく毎日を楽しく生きよ。 (親鸞聖人御消息「自然法爾の章」より)
July 31, 2018
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131107先生ロマンスグレーの髪をなびかせて教室に入場しました。先生から私に尋ねられた。先生「最近どうですか。」私「悩みが多いですね」先生「悩み多いとは傲慢ですね」先生を通して自然の声が聞こえます。司会者みっちゃんの挨拶。「今日はかれた声でご迷惑おかけしてます.喉のポリープができましてしわがれ声です。」先生「ほんとは声が変わってうれしいいうのがいいのです。素敵な人生を送るように変身中です.楽しいです。くらい言わないといけません」私といい、みっちゃんの話といい、いかに先生の門下生ながら今まで何を学んだかと問われそうです。自然の声どころか毎日の仕事や生活にしか目を向けていない。そのことに尽きます。 自分で原因作って結果があるのです。大学生になる22才まで身内を甘えかして教育させる。塾まで子供に行かせています。それに比べユダヤ人は13歳で成人式を迎え家庭で教えています。甘えることになれ、与えられないと不幸に感じます。採取民族が農耕民族になりかわり日本的文化が育つ土俵になりました。昔は困ったら助け合ったものです。お金借りて12/31までに返したいができない。そこで新年度4/1で借金を0とする習わしがあった。それで絆が深くなった。お目でとうは、今年こそ芽を出したいという意味です。お屠蘇は捕殺して新しくよみがえるための行事です。兄弟といえど他人のはじまり。助ける甘えるは子供を不幸にする習慣です。性格を子供から大人に成長させるため時間を要します。効率がよい現代電化生活は小人閑居を得て不善を為す。昔は洗濯掃除などの家事は女の居場所でした。今は善か悪かで判断してます。悪なんてないのですよ。善に近づくだけ。自業自得生かされている事への感謝だけですよ。因果応報生かされていることで感謝感謝できないのは自分の諸行をみせびらかせている証拠。つまり悪の行い。世の中の風潮は政治家は女性を活用してGDPをあげる。不足する労働力に対して女を働かせる動きあり。今の時代、商品の売買は供給過剰で欲しいものはサービスが主だから女性の方が労働力にいいのですが果たしてそうでしょうか。女性の未婚増加。女性の役割をたっぷり行うべき。日々足下の問題に対して解決すべきです。日本では学童施設2.1万箇所設営して女性の社会進出を図っています。女の価値は無償労働力138兆円。でも子供がいないと家庭の幸せがない。これらが不善を為す原因になる。女性がなさなければならないことをしていない。甘えさせて子供を育てる。甘える日本の伝統文化が良くない。懐疑心、疑問を持たない。知人友人の関係は嘘、虚構で一生懸命しているが名前ばっかきにしている。他人には無関心無遠慮で不幸が続く。同情は最低のお付き合い。他人に対してどう接しているか。台風が来る津波が来る だけど見知らぬ人のことですね。見知らぬ人にどう気を配り目配りするか。ここが大切です。自分の心からできる限り因果律で最高の結果を得るべきです。お布施は自分の心から出たもの。無財の七施には心施 やらなくてもいいが思うことの大切さ.ほんとうに心が思う。身施 身体で奉仕する。やれないことを求めるのは邪道。距離が離れていては施せません。強制しても意味はありません。できないけれどできる範囲でいい。NPO見せびらかせてはよくない。神がちゃんとみています。身口意 奉仕したり口で歌ったり心で思う舎房施 相手に気を使わせない.見えないところでの布施。謙譲施 自分が譲りたくてしょうがない。ちなみに怒った心のときは布施をしても布施ではありません。自分が幸せでないと布施にならないのです前回の確認ですが、お兄ちゃんがケーキをもらってきた。お兄ちゃん妹にもわけてあげて。そうおかあさんがいう。これは世間体は正しい。しかし人生で何で苦しむのかはやっても返しがない。ほんとの布施の気持ちでこれを考えると1人で食べてもおいしくない。2人で食べたらおいしいから分ける。財施 お金であげる。お金は天から回ってきた道具です。法施 皆さんにお話ししてわかってもらいうれしい。まさに天下の法則を皆さんにおあげして取っていただく昔話の浦島太郎、桃太郎、花咲かじじい。すべてがこの布施を伝えている。無 垢(がん、に、美)が全部嘘である色即是空 見えたものが無い空即是色 あるよ色即是空 見えたものが無い空即是色 あるよ カボチャの種をつぶしても命の存在はわからない。同じく人間の五感は鈍感で架空な人生を生きている。水に塩を入れて溶ける。無い塩はとれない。しかし確実に塩はある。我々を生かしているのは自然(神)である仏様はあなたです。仏像ではない。神でないものを拝むのは罪である。諸業修行 諸行仏行 自然の祝福それに近づくのが自然で、これが修行近づいて縁が良くなる二宮尊徳天つ日の恵みつみをく無尽蔵鍬で掘り出せ鎌でかりとれ無尽蔵の中に生かされている。近づこうとしないのは怠惰です。偏差値は99%の人が信じているが、幸せになる人は1%もいない。散るべきを知っているのがすずき。五感は無垢であるが善に近づくかわからない。唯心所現 今どんなことを思って生きているのか。どう思うかで将来を作る。心が将来を作る。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考唯心所現という言葉。人間というのは、心の中で思っていることがすべて現れる。どんな選択もどんな結果も、すべては自分が思っている通りになっているという意味らしい。周りの人との距離感も、それは自分の心が決めていること。自分が決めていることに自分が文句を言っている。心の持ち方一つで、世界は大きく変わるんだとか。深いなあ。思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい。それはいつかあなたの運命になるから。http://d.hatena.ne.jp/maru2co/20111024/1319452612「唯心所現」の「心」とは「コトバ」のことです。「コトバ」には、「身(しん)」(行動)、「口(く)」(発声音)、「意(い)」(心の思い)の3つがあります。身・口・意の三業を駆使することで、「唯心所現」の法則によって、「現象世界」をどのようにでも作り上げることができます。善いコトバを使えば、善い世界が「現象世界」に現れ、悪いコトバを使えば、悪い世界が「現象世界」に現れてくるのです。そこで、善い世界を実現させようと思ったら、「実相世界」の善きコトバ、神様の御徳である、智慧・愛・生命を、コトバで表現すれば良いということになります。http://carbonoffset.fukuwarai.net/%E5%94%AF%E5%BF%83%E6%89%80%E7%8F%BE/・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・若者の半数交際相手無し。従業員93%は新聞によるとやる気無し。お隣中国は94%です。アベノミックスで景気は良くなるか?28%の中小の会社が税金納めている。1億円以上の会社のうち68%が税金を納めている。物価が消費税導入で高くなる。それに向けて世界で最も高齢化社会がはやいのは日本である。かつてスウェーデンが120年間で高齢化社会を迎えたが日本ではどうでしょうか。高齢化社会は65才が7%。高齢社会は14%で24年間で達成してしまった。25%3000万人の高齢社会が現状だ。老齢に対する不安をあおっている。85歳まで生きるのに2000万円かかると報道している。親孝行しているのがばかばかしくなる時代。夫婦の喧嘩を見せている家庭内教育。31%離婚、61%家庭内別居今日をどう思うか。今までの制度に甘え、不幸に陥る危険がある。日本で製造されているものが外国で価値を持たなくなる。66歳のフラダンスで身体が痛むのは当たり前。不幸である。将来心配する度合で人生が決まる。心配しないでいい、人生を送る。そのために役割を変えるのが布施。その布施で一番は笑顔である。愛語施 若い人に声をかけられるか。毎日父母と喧嘩 親子だからできる甘え。ブレーキをかけるのはあなた次第。お布施は思い出した時にやるだけでも因果があがる。高齢を豊かにして、周囲から必要とされるひとになるために。皆人は生かされている。自然を信じてマネしている。創造通りに創造される 自業自得イヌマエル 神と共にいます同行二人。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考「同行二人」とは、弘法大師が共に歩かれ西国巡礼をしていくという意味なのですね。同行二人の意味は、その通り、巡礼は弘法大師様と共に行く~~、ということですな~~巡礼の道は日本中で見られるようですなあ~~私の住んでいた地方にも、右、遍路路と指指し石柱がありましたなあ~~~晩春の菜の花畑を、チリン、チリンと鈴を鳴らして遍路さんが行く・・・。巡礼者を、お遍路さん、というのは四国巡礼についてだけ、のようですな~~~農業が嫌で,町に出て、学校に行き農とは直接には縁の薄い職にいましたが、このところ、この選択は誤りであつた様におもえるのです・・・幾歳、ふるさときてみれば・・・・このところ帰郷していませんな。なみだ、なみだで、幾歳くれえて~~~http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1484770869・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
July 31, 2018
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130717 いつものごとくにこにこと歯を見せて先生来られた。私がご自宅に送った就職準備セミナーの原稿から【あるレジ打ち女性の話】が印象に残りましたという感想をいただいた。金沢市役所の上田さんもこの話感動しましたねと意見をいわれました.出典『涙の数だけ大きくなれる』 ~木下晴弘著書、フォレスト出版より~http://1kando.net/5100会員から お母さんにいつも食事を作ってあげているのにご飯にはありがとう言うているのに自分に言ってもらえない。 孫の小学4年が学校でいじめられている。抵抗すると更に仲間を連れていじめに来る。どうしたものか。先生自分の思うとおりにはならない。現象には原因がある。感謝しない親を見たら反面教師として見るべきである。老境に入ったとき人から憎まれたりしないように、将来の原因は今作るべきである。 また相手を仏様と認知できると相手が変わる。こちらの波動が相手に移って変わる。 赤ちゃんは何で生まれてきたか。命と心が満たされないと60~80歳で地獄を見ることになりますよ。つまり子供は愛されるために生まれてきた。それが生まれてきた理由である。大きくなるのは易いが成長は難しい。 小言は子供にとって迷惑である子供には喜びと希望を与えて子育ては人生最高の幸せである 原因は過去にある。幼児の教育にある。親にありがとうぐらい言ったらというのは自分自身を虐待させている。自分が苦しくなる。原因を作っている母。迷って苦しんでつまずく時もあるが,老境のモデルになって憎まれ役をしている。仏祖母、毒祖母のごとく子供には親孝行しろと要求しない。 我々は子供の時から答えを教えられてきた。習慣から。風習から。成績上げなさい。社会から後ろ指刺されないようにというような貧相な考えを持って来た。ほんとは答えはいっぱいあるのに。 五蘊皆空{ごうんかいくう} 度一切苦厄{どいつさいくやく}ごうんとは情報の取り入れ窓で色想行識 受想行識色とは現象のことこれらを捨てないと極楽に行けないよ■供養とはなにか。空でなった人でないと良きことができない。仲良くできる人が人類を愛せる。そこで供養とは、欲張りを空になれよと親が自分を供養している。先祖はうれしい存在だ。 お坊さんは死んだ方に向けて御経をあげていますが、本来子孫にこう生きろという代弁者である。遺産である財産、資産、能力は子供に残していったものである。変化に対応するために子供が活用し社会に奉仕する。ここへ来る前に以前見た栗の花が毬栗になっていました。自然の変化が最大の喜びです.確実に年を経ることによって死に際がすなわち今日の結果だった。老境に入った姿が自分を告げる密告者だった。 生活が苦しいから子育てができない。ほんとは違うかもしれない。土の中は生態系があり微生物が生きている。化学物質ができてから微生物を廃棄してしまう。化学物質誕生から40年しか経たないのでまだ影響は現れていないはずが。子供のアトピーはお母さんが食い続けている食物に原因がある。男性ホルモンが少なくなり精子の数が少なくなる 食べ物はその点非常に大切だ。スーパーの社長は店のものを食べない。食べ物は命を保ち命を活性化する。食べ物がいいと発想が変り生理が順調になる。■老境に入り大切にする事項。1食べること 命を活性化させる2寝なさい 寝るほどすばらしい医者はいない朝雀の声を聞き花に声をかけ,風の音が自然に感じられる3休む ノアの方舟 ノアはヘブライ語でいやし、休みを与える意味。空になるには勉強の5倍時間をかけて空になる。そうすれば自然の法則が自然に入ってくる。 汚い魔色の世の中から新しく出発させた方便として。何も見ない本物に満ちて。松風 こう生きろと教えるせせらぎ こうしなければダメ水は○のところは○、□のところは□になって自由に倣う4遊びなさい好きな事をする。働いていることから開放されることスポーツも開放である勝負のある世界はもはやスポーツでない空手道 道でもって仏道なり正しい道に入る人間の欲から開放する5学ぶ修行と言うことではなくほんとは何なのか疑問を持つ学ぶ事は疑問を持つことである出会いからご縁になって、文句との出会いすべて出会いから始める。金子みすゞ『星とたんぽぽ』 青いお空のそこふかく、海の小石のそのように 夜がくるまでしずんでる、昼のお星はめにみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。ちってすがれたたんぽぽの、 かわらのすきに、だァまって、春のくるまでかくれてる、つよいその根はめにみえぬ。 見えぬけれどもあるんだよ、 見えぬものでもあるんだよ。『すずめのかあさん』子どもが子すずめつかまえた。その子のかあさんわらってた。すずめのかあさんそれみてた。お屋根で鳴かずにそれ見てた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考 劇団若草の創始者である上山雅輔(本名:上山正祐)は金子みすゞの実弟。1926年(大正15年)、叔父松蔵の経営する書店・上山文英堂の番頭格の男性と結婚し、娘を1人もうける。しかし、夫は正祐との不仲から、次第に叔父に冷遇されるようになり、女性問題を原因に上山文英堂を追われることとなる。みすゞは夫に従ったものの、自暴自棄になった夫の放蕩は収まらず、後ろめたさからかみすゞに詩の投稿、詩人仲間との文通を禁じた。さらにみすゞに淋病を感染させるなどした事から1930年(昭和5年)2月に正式な離婚が決まった(手続き上は未完)。みすゞは、せめて娘を手元で育てたいと要求し、夫も一度は受け入れたが、すぐに考えを翻し、娘の親権を強硬に要求。夫への抵抗心から同年3月10日、みすゞは、娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自殺する。享年26歳。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小石を蹴って実はダイアモンドを蹴って死んだことを知らない。命と心を学ばないと老境になって困る6働きなさい 傍楽 今日の私の役割です誰のために役立っているのか考えなさい聖書にはマタイによる福音書7章でわたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には善い贈り物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に善い贈り物をくださるにちがいない。ここでは求め続けよが抜けています自然(=神)の法則を求め続けなさいたたき続けなさい。そしたら頼れられる。浦島太郎のように愛を出し続ける必要とされる人間になりなさい自分の特性を完成させなさい人間の集団の中で自分の役割を認識するが比較しては駄目ですアベノミックスで金融緩和は貧富の差を生み,財政再建は達成されず年寄りから金を出させる。30兆円の臨時災害復興国債発行30兆円の本予算の国債40兆円だけ国政に使える何処にお金を使うかが政治ですインフラ放棄で日本の橋の40%はぼろぼろです。
July 31, 2018
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130612 2ヶ月ぶりに講演が聴ける。うれしさに小走りになる気持ちを抑えながら会場にむかいました。どなたか近況報告をしませんか?に答えて■質問から 職業選択にみる幸せとは 私がこのたび大学3年生に講演をすることとなりました.職業選択の十戒という内容で7月に金沢市役所主催の講演に出ます。実は会社を選ぶのに給料の安いところを選ぶこと、親の反対している会社を選ぶことなど一般常識以外就職選択基準を話さなければなりません。 先生曰く出発点は非常に大切です。先日も母と息子が就職相談で話したことは、一人一人は同じでないんです。みんな同じ基準で会社を選び、失敗しています。実は倒産しそうな会社ほど本人の身になるのです。人生は練習の聞かない本舞台。学校の勉強は役立たない。会社勤務はお金を稼ぐことと錯覚しています。 先日北海道に行きました。ヨサコイソーランで270組が踊っていました。みんな生き生きしていて好きな芸は身につくのです。ところが会社の仕事ではそうはいかない。もっと自分の好きな仕事をするべきです。 お幸せを祈っていますと皆さん挨拶します、お幸せとは何でしょうか?お金いっぱいもらっていること?偉くなること?いいところに就職すること?このような基準では幸せは一生ないよ■老境鏡はなぜ見るの不幸になるため、他人と比較する為と思ってしまう。悪いよりはいい。二者択一。一時いいことを望み一生終わりがちになる。同じく老境は体験がないとわからない世の光人の心が暗ければ光なし草葉に置き露の風の吹く間の光なりけり 私たちは、はかない幸せをもとめがちです。死は怖いと教えたのは宗教です。老いこそ最善であり人生の最後であり50~60歳と肉体条件が変わる60~70の時50~60の考えでは苦労をします紅葉で紅くなるのはいいが、青いままでは困る我々の時は神の御手の中にあるこの神をホーベンとかウパーワ(自然)という今このときが幸せであり悪いことは不幸と考えるこのときが幸せでありその後はない■幸せは仏子(神の子)と知る事幸せとは2500年前に釈迦の言葉で「人間最大の不幸は仏子なんだと知らないことだ」「人生最大の罪は足ることを知らないことである」時に流されるなよ.時をきっちりと捉える。仕事に使われなよ。主体的に働け。お金に使われるなよ。人生は受け身で生きるなよよさこいソーランであれほど若い者が熱中して奮起した行動をみたことがない。このパワーを世の中に引き出していない。会社や先輩が若者を駄目にする。好きなものを引き出してあげるのが教育で、なんでも平等ありっこない。踊り好きならさせればいい英語好きならさせればいい同じだって事は役に立たなくなる。自分の子供に何か特徴あるのかわかりますか?■母親の仕事母親の仕事をまっとうしなさい政治家曰く日本をよくするには人口を減らさないため、子育てのために乳児園が必要で・・・泣きたくなる失策だ役員は将来の投資をして役立つ社会をを作り法人としての人格を認められる。男女の差はあって当然。自分というものを生きなければ駄目。■20代は究学 仕事に失敗はつきもの孔子は言われた子曰く、「吾 十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順い、七十にして心の欲する所に従いて矩・のり・を踰えず」。15歳を志学・しがく・、30歳を而立・じりつ・、40歳を不惑・ふわく・、50歳を知命・ちめい・60歳を耳順・じじゅん・、70歳を従心・じゅうしん・、と呼ぶ。10代志学 親のいうことを聞くと世間並み褒めるから新しい事に疑問を持つそのため怒る必要が無くなる。褒めることは驚きと感動と躍動がある。20代は書いてない。究学でしょうね。 仕事に失敗を体験して すばらしいパワーを生む。一番不幸は他者を思う心が自分をいたぶる失うのは良き入れ物を求めるため。体験を通して知る。今の大学生は親の意見で48%職業を選択します。子供に自立心を教えないのは 泥棒根性を教えるのと同じ。乞食根性を教えるのと同じ今の会社はコンピュータで使われた会社人間、乞食人間ばかりです。そのため志学を通して好きなことをやらせる今後その人が何ができるか絶対条件となる多くの人は若いまま老境に入る。友達が死んでも自分のこととは思えない■効率変調時代人と人との会話がへたくそな時代好きだったことを行い神様に使われ信じて神にゆだねる。 人生今日ここを旅行させてもらっているな 明日ここをするのかな今は途中であるが老境の時、平安になる安心(健康も伴う)して人生の喜びをまっとうする。
July 30, 2018
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130410 桜咲く自然と一体化し、自分の居場所と自分の役割を自覚せよ 先生怪我をして退院してから今回で2回目の講演。前回と比べて顔色がいいし,おでこは光り、笑顔が満面にあふれている。今日の感想質問はありますか「どうして笑顔になれるのでしょうか?」それは心配不安があると笑顔が出ない。心配の無い境地とは?どんな心境なのか。今回の話は中村天風先生の宇宙の息吹を身体に受けるように自然の息吹を身体に感じて生きていることに感謝し、居場所と多くの人に親切にする自分の役割を自覚する事だった。今咲いている桜の気持ちと同一化できますか。そこに生かされている自分の姿を発見できますか。感謝以外言葉がない。前回も感謝の言葉だった。人生はミクロの世界で1/100秒で変化が起きてます.経験から心配不安を持って、安心がないと不幸が多い。朝起きたらうれしいのです。皆さんも生きてることに感謝しなさいよ。不安心配が当たらないのです。ワシントンでも日本の桜が2600本咲き誇っています。散る桜残る桜も散る桜散りぬべき 時知りてこそ 世の中の花も花なれ 人も人なれ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考これは細川ガラシャの辞世の句です。花も人も散る時を心得てこそ、その花(人)本来の美しさを後の世に残すことが出来るそんな意味の辞世だと私は解釈しております。http://beautist.cosme.net/article/228893・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・イエスが言ったことは、今やっていることを悔い改めなさい。神の国にいる豊かな変化。地球、自然、変化こそ豊かさであり祝福される。4:7イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。 4:8次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて 4:9言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。 4:10するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。 4:11そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。 4:15「ゼブルンの地、ナフタリの地、海に沿う地方、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤ、4:16暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」。4:17この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、「悔い改めよ、天国は近づいた」。桜をみて手を合わせて泪こぼれそうです。桜は自分なんだ。ところが自分に住んでいる悪魔今やっていることを悔い改めさせる.神にいる豊かな変化。自然が私、桜は冬枯れても私なんだ.畠も田んぼも私。全部自分なんだ。天地が浄土する。天地の自然法則を自然の恵みに一体感になった。4:1さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。 4:2そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。 4:3すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。 4:4イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。と書いてありますから」。 4:7イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。イエスが岩穴にいて座禅していたころ、サタンがイエスに神の子なら石ころをパンになれと命じてみろ、とはやす。あなた方の中に千変万化がある。神から出る言葉=自然の変化を指す。さて桜が咲いた.どう感じますか。桜が何を呼びかけていますか。天声天命変化から年々歳々花あいに見たり花の豪華さにこのように行きたい夢がある世(よ)の中(なか)は三日見ぬ間(ま)の桜かな ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考《大島蓼太の俳句から》世の中は、3日見ないうちに散ってしまう桜の花のようなものだ。世の中の移り変わりが激しいことのたとえ。「世の中は三日見ぬ間に桜かな」とも。デジタル大辞泉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桜は実は蝶々の幼虫が樹液を吸っています冬は桜の枯れ木に誰も見もしない。大地と樹液に循環が何ヶ月も行われている。ところが、あなた方は結果だけ見てその結果を取り込んでいる。花は散っていくのが目的です。桜の木の全体像は春は花、樹液、枝は去年からの準備をしています。自然は嫌いなこともやるのです。桜を見て神の声が聞けない。すなわちごく自然の豊かさ,祝福、幸せは皆それぞれ違うのです自分は自然に活かされているのです。自然とは変化が許されている。活かされてここにある。この世の幸せは風の吹く間の光なり。風は人間中心に考えている。権利が欲に苦しんでいる。=不幸を感じる。私がやることは身の丈。今居るところ。偶然生まれたのでなく、生まれてくる親のところを選んできた。生活環境=損得の価値観居場所でどれだけ喜んでいるか。変化を理解すると、居場所はプロセスと同じになる。桜は神の口の言葉 感じる人は感じてた。大きなゴミ天網恢々疎にして漏らさず自分に因果律がある。断食を人に見せない。誰も2つ主に仕えれ無い。空の鳥をみるがよい。花をみるがよいこれらのものがわかればすべて添え与えられるであろう。1日生きることで十分である身の丈の生活が好ましい。しかし普段は何でも比較している。嘘をつく毎日のくらしです。浦島太郎の話から浦島太郎が亀を助けた。浦島は貧乏であるが亀を助けた。皆さんは何でもできるがやらないだけである。チャンスは毎日ある。身の丈をちっちゃく考える自然の身の丈 役割である能力に応じていまいる場所で力100%発揮する事が大切です。マタイ25:14また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。 25:15すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。 25:16五タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに五タラントをもうけた。 25:17二タラントの者も同様にして、ほかに二タラントをもうけた。 25:18しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。 25:19だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。 25:20すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。 25:21主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。 25:22二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。 25:23主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。 25:24一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。 25:25そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。 25:26すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。 25:27それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。 25:28さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。 25:29おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。 25:30この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。 注:この時代は銀行はないので利子も付かない。このように聖書も間違いの記述があります。40歳以下の正規社員10%は会社に行っていない。うつ病など精神病も多い。能力を発揮する人は幸せがどんどん高まるが,やらない人は会社から仕事を取り上げている。マタイ25:31人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。 25:32そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、 25:33羊を右に、やぎを左におくであろう。 25:34そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。 25:35あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、 25:36裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。 25:37そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。 25:38いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。 25:39また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。 25:40すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。 25:41それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。 25:42あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、 25:43旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。 25:44そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』。 25:45そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。 25:46そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。 山羊は羊の餌を奪うので牧場からは嫌われ者です羊飼いにつれられ左側地獄に、右側極楽にわける。左が山羊に右に羊に分けるように人も分けた。右に選ばれた人は神から祝福を受け継がれている。みつぎものを用意しなさい。私の兄弟のもっとも小さい者にしたのは私にしたのと同じである。これがあなたの因果律となる。あなた方は私が旅人であったときに乞食をほったらかしにした。損得、好き、嫌いの価値観でみてしまい、過去未来も関係ない。2016年は65歳以上の高齢者が36%になりますます働き手がない。3000人法曹界に入る。弁護士の人数を制限している。つまり既得権益がいっぱいある。お金は海外投資に行くだけなので,阿部ノミックスでも景気が浮揚しない。明治元年3000万人だった人口は1960年には8500万人。生活保障福祉の費用増大。生きているのが辛いだろうな。医者は儲かるだろう。格差社会の中で、自分の役割を果たさないと駄目ですよ。質問「居場所は年齢と共に変化するのではないか?」わらしべ長者の例にもあるように、最初の居場所は触った物をつかめ。これが今日の役割ちゃんと与えられる自然から来る。まだみれぬ物をあると信ずるのが正しい。
July 30, 2018
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130312 今日は小春日和の天気もいい日。先生福井から車で来られるとのこと。全員緊張していました。ギブスと松葉杖。頭に包帯を予想して。先生皆さんに話したいお気持ちわかりますが・・・ 先生教室に来られた。肩から腕をつっているだけ?みんな感極まって拍手喝采。良かった良かった。木林さんの挨拶の後先生、入院の疲れかやや顔につやがないが、なんと数日前まで手が鬱血で黒くなっていたそうであります。先生にこにこしながら話し出した。まだ病院に入院しています。病院に入って気づいたことをぜひ伝えたい。苦しむために悲しむために皆さんがうまれてきたことが私にはわからない。本当に皆さんは心配事が好きなのですね。ほんとは人生が幸せになるために生まれてきた.幸せを望んでいるのに、幸せがなにか書けない。だが不幸はいや、程度の比較しかできない。もっと幸せになろうよ。ここで「幸せなら手をたたこう」を歌う。幸せなら 手をたたこう幸せなら 手をたたこう幸せなら 態度でしめそうよほら みんなで 手をたたこう幸せなら 肩たたこう幸せなら 肩たたこう幸せなら 態度でしめそうよほら みんなで 肩たたこう幸せなら 手をつなごう幸せなら 手をつなごう幸せなら 態度でしめそうよほら みんなで 手をつなごう現物とか現象を対象として幸せかどうかを判断していますが、みんな1人1人違います。遺伝子が違うように精子と卵子の出会った時からみんな異なっています。ありがたくないですが死を求めないものは経験がないからです。では幸せをいつ経験したか。過去何千年と経験していることなのに、今日どうやって生きていますか、先の世の借りを返すためですか。味覚なら塩はしょっぱい。からくもない。でも味わっていないとわからない同じく涅槃に入る事は説明してもわからない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考 涅槃 ねはん ニルヴァーナは「吹き消すこと、吹き消された状態」を表し、仏教では煩悩の火が吹き消され、煩悩から解放された悟りの境地を表す。また、死、特に釈迦の死を表す。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あれしていけないという規範に皆さんいじめられている。毎日心配している人は、幸せというイメージができあがったものと考えてます。今日の私の行動は筋書きが提出された日で、福井から自動車にのり、こうしてここに来ています。そして怪我したおかげで足1本内臓1つ新しい命が与えられた.肺にも感謝。感謝はどのくらい深い?命が私の方に流れてきます。この深い幸せがあるのに何処に不満があるの。幸せのために生まれてきたのに。毎日毎日 株だ。円が上がった・・・何処に幸せがありますか。少ないより多い方が本当に良いのか。お金は交換する道具なのに、お金を増やす手段にしている。株をどんどん買っては損して売る羽目になる。財産全部取られることになる.いままでお金を持ったことのなく急にお金を持った人の不幸せ。人の心に写る状況が幸せという現象を生み出す。稲盛和夫さんが「忘己利他」を提唱しています。いいかえると「もうこりた」。人の為に忘れて他を利するのは私にはできない。ところが世の道徳や宗教は人から必要とさえる存在になれと説得しますが、できもしないのに人にやれと教える。この世の中に立派な人はいない.立派な部分があるだけである。世の中にないと私たちが生きれないもの。無理、嘘、虚飾、虚構。これが過去からずーと続いている。勉強しても断食して修行してもこの状態は変わらない。つまり常識が不幸にする鎖にしかならないお釈迦様もイエスキリストも家や家族を捨てた。ナザレから家族が迎えに来ていましたが、しかしキリストは自分の要求を聞いてくれる人が家族であると。それに比べ私たちは日常の出来事に縛られています。さらに世間体に縛られ、結果虚構を築く。今日もらった命。どれだけ幸せと思えるかにかかっています。お釈迦様は、菩提樹の下で坐禅をなさりながら、暁の明星を眺めて悟りを得られた。その時、感じられたことは 天地有情我 同時成道ス これが仏教の原点です。天地=自然 有情=バランス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考「我ト与ト二天地有情一 同時成道ス」「自分と宇宙とが同時に真理(道)そのものとなった。」 と訳されるが、それは、この世のすばらしさの発見であり、現実の肯定である。とても、この世は正体のない空っぽの世界だと悟ったことばとは思えない。 お釈迦様はこの世はすばらしいとおっしゃっている。私たちは今、そのすばらしい世界に生きていることを実感し、感謝しながら人生を送らなければ、時間がもったいないのだ。時は取り戻すことができないし、生まれてしまった以上、死へ向かって刻々と自分に与えられた時はすり減っていくのだから。http://www16.ocn.ne.jp/~housyuji/bukyo/bukyo9.html現象の悪にとらわれない世界観に立つ実際、このように犬と人間の間にも「全面信頼する世界」があるのです。この「全面信頼する世界」は一般的に「良心」と言われているものです。「神性(しんせい)・仏性(ぶっしょう)」とか「真・善・美」と言った方がより的確で、人間が生きる上で最も大切にすべきものです。 これは仏教の開祖である釈迦が「山川草木国土悉皆成仏(さんせんそうもくこくどしっかいじょうぶつ)・有情非情同時成道(うじょうひじょうどうじじょうどう)(山も川も草も木も国土も皆既に成れる仏である。天地一切のものは仏のいのちのあらわれであり、全てが大調和し合っている世界である)」と大悟したことであります。すべてのものが神仏のあらわれであるという価値観でみていく、「真に生きるべき道」を指し示した「世界観」(生長の家でいう「実相」)でもあります。人間はこの「世界観」に立って生活することにより、真の幸福を得ることが出来るのです。http://www.jp.seicho-no-ie.org/faq/04/0407.html・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・立山を見ると春白く夏青く冬又白くなると言う自然のバランスを持っています。人間の科学と技術だけでは自然を止められない。地球の有情変化に活かされている.自然の環境を安定するために台風や風が起きる.津波、地震さえ・・山川草木国土悉皆成仏悉皆=全部イエスはみんな、くいあらためろ.神の国にいるんだ神の国=自然今回病院に入院して初めて普段感じない身体の一部分に感謝を持ちました。この指が動いている。新しい生命を今日もらっている。地球の上に置いてもらっている。一人一人違うように。環境が異なるし、各人遺伝子が違うし、あなたの居場所も異なる。身口意。ひとは善も悪も行う人格を持っています。その行動で、1日1日代償を求めない行動をするのが大切です。言葉の理解でなく体験である。「千聖不伝」言葉では伝わりません。死ぬとき三途の川できれいに洗ってお釈迦様の前に出る。今日どう生きるかが仏教のプロセスなんです。死んだら人生終わりと誰に教わったの。仏教では輪廻転生を説きます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考輪廻転生について 仏教の死後観仏教の死後の世界観は古代インド人が考えたものです。インド人は現世を基本的には苦しみの多い世界と考え、以下の6つの世界(天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)に分類し、死後はこの六道(ろくどう)を輪廻・転生すると考えたのです。お釈迦様は六道輪廻では永遠に苦しみから逃れることができないと考え、極楽世界(輪廻を超越した世界)である浄土を考えたのです。地獄の恐怖が浄土を生み出したと言っても過言ではないでしょう。故人は浄土に往生し阿弥陀仏のもとで仏に成るべく修行をし続けておられるのです。仏教の真の目的は浄土においても仏に成ることです。http://www8.ocn.ne.jp/~ohmybud/jihou6.html ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・梅は木から地上に落ちて肉が腐り芽が出て別のところで生きる。人生は旅の途中結果がプロセス。信じなければ成らない天地の法則聖書 最後の審判 ★人の子が栄光の中にすべての御使いたちを従えて来る時、彼はその栄光の座に着くであろう。そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼いが羊と山羊とを分ける様に、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置くであろう。 ★その時、王は右にいる人々に言うであろう、『私の父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受け継ぎなさい。あなた方は、私が空腹の時に食べさせ、乾いている時に飲ませ、旅人であった時に宿を貸し、裸であった時に着せ、病気の時に見舞い、獄にいた時に訪ねてくれたからである』。その時、正しい者達は言うであろう、『主よ、いつ、私達は、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、渇いているのを見て飲ませましたか。いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、はだかなのを見て着せましたか。また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。私の兄弟であるこれらの最も小さい者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである』。 ★それから、左にいる人々にも言うであろう、『呪われたものどもよ、私を離れて、悪魔とその使い達とのために用意されている永遠の火に入ってしまえ。あなた方は、私が空腹の時に食べさせず、渇いていた時に飲ませず、旅人であった時に宿を貸さず、はだかであった時に着せず、また病気の時や、獄にいた時に、私を訪ねてくれなかったからである』。その時、彼らまた答えて言うであろう、『主よ、いつ、あなたが空腹であり、渇いておられ、旅人であり、はだかであり、病気であり、獄におられたのを見て私達はお世話をしませんでしたか』。その時、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者の一人にしなかったのは、すなわち、私にしなかったのである』。そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の命に入るであろう」。 マタイ25:31~46羊は野性で飼われている。財産である。この話では右の人がいい。法の鏡で見ろ。自然のことをやっただけの人が救われている代償を求めないのでしたことを覚えていない。毎日のプロセス。乞食にパンを与えるのが大事。三途の川を渡るのは今日なんだ。時の流れが川の流れにたとえている。貪瞋痴 人の煩悩は『貪(とん・貪欲に求めること)、瞋(じん・自分の心に執着して怒ること)、痴(ち・無知で愚かな考え方に囚われること)』の“三毒”に帰結する、人に発している煩悩。洗いなさいよ.続く命が人生をおくる卵子と精子が出会い選ばれしものの出会い。老いは我と共に。私の時は神の御手の中にある。若いときは人生の旅の途中。格差社会の折り、何が得意なのと個性を育てるのが大事だ介護だ.年金だ。今不安な人が必ず不安になる。ほんとは今日私たちは幸せなんだ。それを教室にいるみんなにいいに来ました。今日も新しい人生。今日は身体が毎日蘇生するので一番若い若い命が与えられた。老境に入ったとき幸せにつながりますよ一寸法師は 昔、昔あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。子供のない二人は毎日子供が授かるよう神様に祈っていました。「神様、どうか私たちに子供を授けてください。どんな小さな子供でも構いません。」ある日のことです。驚いたことに、二人に小さな赤ん坊が授かりました、背の高さ一寸にも満たない男の子です。さっそく一寸法師と名付けました。二人は宝物のように育てました。村の子供たちはからかいました。「一寸、一寸、一寸法師」と。おばあさんはとても腹を立てて「おだまりなさい。」と追い返しました。 しかし一寸法師はたくましい頭のいい子供になりました。ある日こう言いました。「お父さん、お母さん、私に針と藁とおわんと箸を下さい。」「一体どうする気ですか。」とおばあさん。「針は剣、藁はさや、おわんは船、箸はかいです。都に行って武士になるつもりです。」二人は許しを上げました。さっそく一寸法師は都へと向かいました。途中、ありに会いました。 「ありさん、川はどこですか。」「たんぽぽ畑のところです。」川につくと、おわんに飛び乗ると、矢のように川を下っていきました。魚が一寸法師に向かって来ました。魚は美味しい食べ物とまちがえたのです。一寸法師は箸をつかって追い払いました。波に揺られ、雨にうたれ、風に吹かれ、やっとのことで都に着きました。誇らしげに町を歩いていくと大きな立派な家が見えてきました。一寸法師はそこで働くことを思いつきました。「門を開けてください。お願いがあります。」主人は門をあけるとあたりを見回しましたが誰もいません。「一体だれだ。誰も見えんぞ。」「あなたの足元にいます。」 主人は下駄のそばに一寸法師を見つけました。「私は一寸法師と申します。ここで働かせてもらいたいと思います。」「お前はなかなか活発で頭が良さそうだ。よし家来にしてやろう。」この主人には美しい娘がおりました。一寸法師は読み書きを教わりました。一寸法師は頭が良くてすぐ理解してしまいました。 ある日、娘は一寸法師を連れてお宮参りに出かけました。途中、大きな鬼に出会いました。鬼は娘をさらいに来たのです。「悪い鬼め。お嬢さんにちょっとでも手を出せばただではおかないぞ。」「生意気な。食べてしまうぞ。」と鬼は言うと一気に飲み込んでしまいました。「いたた、いたた...」 一寸法師は針でお腹の中を刺しました。「いたた。死んでしまう。降参だ。助けてくれ。」鬼は一寸法師を吹き出すと山の方へ一目散に逃げて行きました。「助けてくれてありがとう。あなたは小さいけど、とても勇敢で強いのね。」「ちっと見てください。鬼が何か忘れていきました。これは何でしょう。」「これはうちでの小槌というものです。これを振ると欲しいものが何でも手に入ります。一寸法師、あなたは何が欲しいですか。」「私は大きくなりたいです。」うちでの小槌をふると、一寸法師はぐんぐん大きくなりあっと言う間に立派な大人になりました。一寸法師は娘さんと結婚し、望んだ通り立派な武士になりました。http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/7211/Japanese/issunhousi.html生まれたのが一寸法師だった。普通ならこんな子供はいらない。犬からも友達からもバカにされる。しかし親から毎日愛されているのでちっともバカにされているとは思わない年取ってからお椀と針をもらい、都に行く。娘のおもちゃとして一寸法師がお姫様のお供になった。鬼がくると回りは逃げていくが一寸法師だけは鬼に飲み込まれておなかの中で戦い、鬼が勘弁してくれと鼻から出て、打ちでの小槌をもらう。〇自分の居場所で花を咲かせましょう毎日のつながりが老境につながる。自分の利益を考えなさい。今持っているが発揮していない自分の役割居場所を考えよう。体験してください。勉強は嘘の証拠を学ぶだけ。幸せは自利ですよ。天がやってくれて利他につながる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考ボランティアの根本精神は「自利利他」(維摩経)である。自らを生かし、他者を生かすということ。自分のことは、さておき人のためになにかをしなさい、ではなく、自分を生かすボランティアをやっている人は、他者も生かすことができる。本当の自利の精神があって、利他の心が機能するのだ。人は、自分がおぼれながら、おぼれた人を助けることは、できない。ゆったりした中道の心で自分を活かし、相手を生かす。これが、ボランティア活動にとって大切な「生き方」なのである。http://jiririta.net/jiririta.html・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・自利自利で他を愛せるようになる。人生神様が別の筋書きを書いてくれた。いままで不思議に導かれてきたな。質問のなかから子供に孝行といのはおかしい。親と子は一つである許すというのはうれしいことである。子供への負担は関係ない。五蘊盛苦(ごうんじょうく)とは五感に入っていく情報煩悩が盛んになる。往生常楽(往生十楽?)の状態です。しかし自利で求めても、つまり四苦八苦がない。感謝以外無い。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考仏法では生老病死を四苦というように申します。これらが何故苦しみとなるのかという理由は、案外知られていないのではないでしょうか。それは仏法の教えでは、私たちの心は四つの満たしたい尺度を持っているからだといわれています。その四つの尺度とは常・楽・我・浄といいます。最初の「常」というのは、常なることであり、いつまでもいつまでもと願うことです。いつまでも若くありたいとか、いつまでも長生きしたいというのが私たちの心ではないでしょうか。次の「楽」というのは、字のとおり、楽しいことであり、快適なことであり、不都合なことを嫌う心です。三番目の「我」とは、私がいつも中心であることを主張し、無視されることを何よりも恐れることです。最後の「浄」というのは、自分や自分に属するものが善きことであり、非難されるものは何も無いと主張することです。これらの四つが私たちの理想とするところで、この四つを満たそうと絶えずがんばっているのが私たちの姿ではないでしょうか。ところがこれらは到底満たされることはありません。何故なら、わが身の事実は、老い、病み、やがては死する身だからです。ですから私の心の尺度である常・楽・我・浄を実現させようとする限り、身の事実と矛盾して、苦しみが絶えることは無いというのが仏教の教えるところです。それで、このような常・楽・我・浄という智恵は、仏教の言葉では「四顛倒(してんどう)」といいます。四つの道理に背く見解ということです。ところが私たちはものごころついて以来、常・楽・我・浄を満たそうという生き方しか知りませんから、自分の思いどおりにならないことに、しばしば遭遇してしまうということになってしまいます。それというのも、自分というものを中心にものを考えているためではないでしょうか。自分を中心にものを見ると、自分の身体でさえ自分が生き延びるための手段のように考えてしまいます。ですから老いてゆく身を嫌い、病いになる身を恨み、やがては命終わってしまう身を恐れて生きるということになります。仏法はそういう私たちに目覚めを促しているのです。弥陀如来が浄土に往生せんと願って念仏せよと勧めてくださることによって、自分自身の姿が明らかに照らし出され、自分の姿に目覚めるということが起こります。それが常・楽・我・浄という道理に背くことを追い求め続けて、苦の絶えることの無い人生であったという目覚めです。目覚めてみれば、苦の原因ははっきりするのですから、最早、苦に押しつぶされることは無くなるのです。参考二、『欣求浄土』大文第二に欣求浄土(ごんぐじょうど)というのは、極楽の国土と衆生とは、その功徳が無量で、百劫、千劫という長い時を経ても、説き尽すことはできない。数量でも喩えでも、また知ることはできない。けれども、《群疑論》には極楽浄土の三十種の徳益を明かし、《安国鈔》には二十四種の楽を挙げている。極楽浄土を褒めたたえることは、人の心によるということが知られている。今、十種の楽を挙げて、浄土を讃えるが、それはちょうど、一本の毛に滴る大海の水である。第一には聖衆来迎楽(しょうじゅらいごうらく)、第二には蓮華初開楽(れんげしょかいらく)、第三には身相神通楽(しんそうじんつうらく)、第四には五妙境界楽(ごみょうきょうがいらく)、第五には快楽無退楽(けらくむたいらく)、第六には引接結縁楽(いんじょうけちえんらく)、第七には聖衆倶会楽(しょうじゅくえらく)、第八には見仏聞法楽(けんぶつもんぽうらく)、第九には随心供仏楽(ずいしんくぶつらく)、第十には増進仏道楽(ぞうしんぶつどうらく)である。欣求浄土ー聖衆来迎楽(しょうじゅらいごうらく)第一の聖衆来迎楽とは、およそ悪業の人が命尽きる時、身体の中の風の要素(動き、成長)と火の要素(熱、成熟)が、まず無くなる。それゆえ、動乱し発熱して苦しみが多い善行の人は命尽きる時、身体の中の地の要素(物、保持)と水の要素(潤い、集める)とが、まず無くなる。その人の臨終はおだやかで、苦しみがない。まして、念仏の功徳を積み、浄土に心を寄せることに長い年月を重ねた者は、臨終の時、大きな喜びが自然と湧いてくる。その理由を述べると、阿弥陀如来が、多くの菩薩や百千の比丘たちと共に、大光明を放ち、はっきりと目の前に現われる。その時、大悲の観世音菩薩は、多くの福徳を持つその手を差し伸ばし、宝の蓮台(蓮の台座)を捧げて、念仏行者の前に来られ、大勢至菩薩は、無量の聖なる衆と、同時に讃めたたえ、手を差しのべ、導いてくれる。この時、念仏行者は、まのあたりに自らこれを見て、心は歓喜し、心身安楽を得る。まさに知るべきである、ひとり、草庵(小さな家)で目を閉じる時が、すなわち蓮台に坐る時である。そこで阿弥陀仏の後に従い、菩薩たちの仲間に加わり、一念の間に西方の極楽世界に生まれることができる。(観無量寿経、平等覚経、などによる)かの?利天(とうりてん)の億千年もの楽しみや大梵王宮(だいぼんのうぐう)の深い禅定(悟りの境地)の楽しみ、これら諸々の楽しみは、まだ本当の楽しみとするには足らぬ。それらは、生まれ変わり、死に変わりあり、ついには三途を免れられないのである。ところが、今、観音の掌(たなごころ、手のひら)において、宝の蓮華台に身を託し、永く苦しみの海を越え、初めて浄土に往生するのである。その時の歓喜の心は、言葉で言い尽くすことはできない。http://amiter.blog.fc2.com/blog-entry-34.html・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・冬のある日朝10時頃空港行きのバス停を探すのに駅の薬局でお聞きした.お嬢さんが親切にバス停まで連れてくださった.しばらく待っているとそのお嬢さんが通りかかり、声をかけてくれて,又店に入って暖かいお茶をもって来てくださった。何気ない行動ながら実に感謝に堪えない行動である.是非皆さんも周りの人たちに1日1回の親切をしていただきたい.それがお釈迦様やキリストに対して行うのと同じです。
July 29, 2018
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司会の挨拶春を感じる今日この頃ですが年と共に感性が鈍くなっています。挨拶の後、先生曰く変化が地球の原則ですしかし変化はない方がいいのです人生とは変化の連続です変化を先取りして失敗を経験すると生きずらくなります。変化はミクロの世界にたとえれば人の肉体の一部にも当てはまる。赤子を生む女性の一瞬の変化は大きい変化を感知して則対応が大切ですが臨機応変に対応することが大切です心のとらえ方 変化にどう対処するのか新年から1月が経ちました。鬼が邪魔していますその鬼というのは,自分の中に2つの気持ちがあります意地悪じいさんと親切なじいさん。合わせ持っています六道輪廻、108つの煩悩が内在します・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考六道輪廻について まず、『六道』とは【地獄・餓鬼・修羅・畜生・人間・天上】のことで、何れも迷の世界を示しています。『輪廻』とは『その迷の世界をグルグル廻って出抜けられない様子』を形容したものです。この『六道』は人々の心を離れて別にそんな世界がある筈のものではありません。よく爺さん婆さんに向って、田舎のお説教坊さんが、死んでから地獄へ落ちたり極楽へ生まれたりするように説いている向きもありますが、あれはあれで、方便として良いかも知れませんが、元来 『仏教の教理』はそんなことを言っているのではありません。六道とは人々の心の階級であります。教養の程度といって置いても宜いでしょう。仏教では、貧欲・瞋恚・愚痴の心を三毒といっています。そして、それを迷いの代表的のものとしています。教養のない者は、逆境に居ればすぐ不平不満を起こして瞋恚の炎を燃やし、順境に処すればすぐ有頂天になって貧欲の皮を突破る。そして平々凡々の時はウスボンヤリと愚痴を言って空しくその日を送っています。かかる程度の低い輩を『地獄』の衆生と呼んでいるのです。だから死ななくても地獄の衆生は、そんじょそこらにウヨウヨしているわけです。その三毒を一つ一つに分解して、貧欲を『餓鬼道』で代表し、愚痴を『畜生道』で、瞋恚を『修羅道』で代表しています。その上の階級が『人間界』で、ここでは食欲・色欲・睡眠欲という動物的本能の他に名声・利欲の二欲を加えた五欲の世界を代表させています。更に、もう一歩進んで、これも迷いの世界ではありますが六道の最高位に『天上界』があります。これは他の五道程の生々しい欲望はないのですが、天人に五衰の悲しみがあるなどといわれていて、まだ悟りの世界には達しておりません。どんな心の階級、教養の程度かと云いますと、眞・善・美を愛するという側でありまして、つまり哲学や科学・倫理や道徳・美術や芸術に打ち込んでいる連中をいいます。連中といっても職業人とか専門家とかいう意味ではありません。真善美を愛するといえば、まあ教養の高い方の側ではありますが、六道輪廻は免れません。いつ『地獄』に落ちないとも限りません。例えば音楽会に行って良い気持ちで聴いているうちは『天上界』に遊んでいると言えましょうが、その同じ人が帰りの電車の中で、足を踏んだ踏まれたで喧嘩をすれば忽ちに『修羅道』に落っこちてしまいます。結局 人間は悟りを開いた上で、しっかり心の鍛錬をしない限りは、誰でも、如何なる高位高官であろうと学者であろうと文化人であろうと、その他 何であろうと、この六道を出たり入ったりしていることがよく判ります。この状態を仏教では『六道輪廻』と云っています。決して迷信でもなければ低級でもありません。【上記の文章は、耕雲庵立田英山老師の著書『禅海一瀾抄講話』より抜粋した文章です。】http://www.geocities.jp/gakunanzen/zuihitu/z3-rokudourinne.htm108の煩悩について天台宗・神木山等覚院(神奈川県川崎市)の僧侶、中島光信さんにお話を聞いてみました。「実は、108というのは“とても多い”ことを示す数で、必ずしも数が決まっているわけではありません。簡単にいうと、煩悩とは自分を悩ませるもの、心を乱すものの総称ですから、一般的な意味で使う『愛する』ことだって、執着につながる煩悩だと考えることもできる。煩悩の数は時代や教義によって変わり、“8万4000煩悩”という考え方もあるほどなんですよ」考えることがすべて煩悩…みたいになっちゃいそうですね。調べてみると、有名な考え方として「人の五感に“意識”を加えた『六根』を、それぞれ『好(いい)・悪(わるい)・平(どちらでもない)』、さらに『浄(きれい)・染(きたない)』、『前世・今世・来世』の要素があり、6×3×2×3で108になる」というものがあるみたいだけど、例えば“味覚×悪×浄×来世”のような組み合わせで、それがどんな煩悩なのかを素人が理解するのは難しそうです。「より大きな枠組みだと、仏教の根本的な考え方として、人の煩悩は『貪(とん・貪欲に求めること)、瞋(じん・自分の心に執着して怒ること)、痴(ち・無知で愚かな考え方に囚われること)』の“三毒”に帰結する、というものがあります。いずれにしても、人の煩悩は“眠い、お腹が空いた”など身体が欲するものと、頭で考えるもの――物事に執着して、自分で生み出すものとがあるといえるでしょう」http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/wxr_detail/?id=20111230-00022427-r25・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・□節分の豆撒きを皆さんされてます福は内、鬼は外この鬼って徹底的に悪くなることを喜ぶんですよ。一軒家で,寒いとき床をはがして燃やせ,壁をはがして燃やせ、挙げ句の果てに柱を燃やせ。・・家が壊れるまで続きますそんな家の主でも、娘と結婚してせっせと働き、貧乏神が逃げてある日、福の神に変わるこんな事がありました.バス停が何処にあるのか薬屋さんでお聞きしたら、教えていただいて.バス亭で待っていたら、バス停を教えてくれた親切な娘さんが寒かろうと薬屋に戻りお茶を出していただいた。自分の事ばかり考えている人にはできません.鬼が自分の中にいるのです。曽我廼家(そがのや) えんめいの話から 主演の 「ある男がな、 海で溺れて、自分の国とまったく違う国に流れ着く。 あまりおなかが減っていたので、 食堂でトンカツをたのんで夢中で食べる。 食べ終わって、お!! 自分は財布を持っていない一文無しだと気付き、 ご主人に詫びて、配達でも皿洗いでもさせて下さい、 代金を償いますと言うと、 なーに、その必要は無い、この国は食べてもらった店がお礼にお金をさしあげる、 とのこと。 へえ、と不思議に思ったが、もらい。 宿を探して泊ると、 今度はその宿が、泊ったお礼とお金をくれる。 おかげで、どんどんお金が貯まっていって、 贅沢がエスカレートしてゆく。どこに行っても、お金をくれる。 もはや、この世の春。 で、お金なんか持ってなくてもいいや、と、 川にお金を捨てる。 すると、警察に逮捕され、死刑を宣告される。 この国では、お金を川に捨てると死刑なのだ。」 http://www.zabutontei.com/blog/uview.cgi?20071111012221OS0.txtここでお金を払えるのは相手が望むことを求めていないまでも感じて実行すること。よき親切でお金が払える。浦島太郎も亀がかわいそうだとお金を払って結果、因果律が回ってくる。私はみんな嘘つきだと思います法律の網をくぐり抜けていますスピード違反してませんかちょっとしたごまかしを犯す。非理法権天 法とは権力者が自分に都合良く作った因果とは関係ない理論は法律を構成する権力を自分の都合で行う理法権 つまり鬼のこと、不幸になる原因のこと天 つまり福の神 普段忘れている恐育、狂育、競育、凶育ばかり親が子供に求めるなぜ被害者意識になる自然の変化に合せて自由に生きる生かされている自分のもったいなさ自分の命を大事にしなさいよ自分が活かされることが 福の神共働き家庭などの小学生を放課後に預かる学童保育(放課後児童クラブ)の利用登録者数が、今年5月1日時点で過去最多の85万1949人に上ったことが26日、厚生労働省のまとめで分かった。前年から1万8911人増えた。一方、希望しても利用できない待機児童が5年ぶりに増加。厚労省は「需要に整備が追いついていない。施設の拡充に努めたい」としている。 施設数は2万1085カ所(同524カ所増)で最多を更新。待機児童は前年比113人増の7521人だった。 何で親は保育園に入れる?子育てが大変なんですか恐育、狂育、競育、凶育、をしたがる幼稚園のころから子供にはやりたいことをやらせる。ご覧なさい。大卒の62%は何をやったらいいのかわからんといっています子供に自由にやらせないで外に預ける子育て。今の新卒の求職者は 給料なんぼあたると聞くが仕事もできないのに月給を決めたがる。乞食教育、泥棒根性を育てている□節分を堺に良くなるのに鬼が邪魔するあなたたち、今ここに生きている。許されている.命を与えられて今を生きる。何の功績無くても命ながらえて活かされている役割を誰に感謝する神や仏は方便である自然をバカにしていながら自然に生かされている自然の変化の感知 知恵を持つことの大切さ知恵とは生かされていることを知る 自然の法則を知る事神ありき 光有り神の存在はキリスト教だけ聖書にアダムとイブが書いてあるエデンの園で知恵の木があります。アダムではできないことを知らされる。アダムとイブでは役割が違う知の木の実 これは人を傲慢にし 罪の意識がないアダムはこれを食わない 善イブ食べる 悪善悪の戦いがくり返される人はパンだけで生きるものにあらず神の言葉には 善悪が含まれている□1日1回親切をやってみる人生が変わるいままでの人生で失敗は何か。自分に問え人から評価されないのはへいきとという考えが大切先人の後を追うな雑談勝ったから強いと評価される。しかしプロセスが大切で、人格を教えない負けたってくじけない。自分を大切にしなさい戦ってかなわなかった勝者を褒めるのが大切夫婦はつかず離れず・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考非理法権天出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』移動: 案内、 検索 非理法権天(ひりほうけんてん)は、近世日本の法観念を表しているとされる法諺。 概要 [編集]江戸時代中期の故実家伊勢貞丈が遺した『貞丈家訓』には「無理(非)は道理(理)に劣位し、道理は法式(法)に劣位し、法式は権威(権)に劣位し、権威は天道(天)に劣位する」と、非理法権天の意味が端的に述べられている。非とは道理の通らぬことを指し、理とは人々がおよそ是認する道義的規範を指し、法とは明文化された法令を指し、権とは権力者の威光を指し、天とは全てに超越する「抽象的な天」の意思を指す。非理法権天の概念は、儒教の影響を強く受けたものであるとともに、権力者が法令を定め、その定めた法令は道理に優越するというリアリズムを反映したものであった。非理法権天は、中世日本の法観念としばしば対比される。中世日本において基本的に最重視されたのが「道理」であり、「法」は道理を体現したもの、すなわち道理=法と一体の者として認識されていた。権力者は当然、道理=法に拘束されるべき対象であり、道理=法は権力者が任意に制定しうるものではなかったのである。こうした中世期の法観念が逆転し、権力者が優越する近世法観念の発生したことを「非理法権天」概念は如実に表している。南北朝期に楠木正成が「非理法権天」の菊水旗を掲げたとする説があるが、これは瀧川政次郎らの考証により江戸期におこった伝承であることが明らかとなっている。しかし、非理法権天の由来が楠木正成に仮託されたことで、非理法権天は尊皇思想に結びつけられ、その過程で「天」は天子、すなわち天皇であり、天皇が全てに超越するという思想が一部に生まれた。大東亜戦争期の日本では「非理法権天」が皇国主義・軍国主義と密接な関係を持つスローガンの一つとして掲げられ、教科書の中でも使われた。楠木正成の家紋から名をとった菊水作戦で沖縄に向かう戦艦大和には、非理法権天と印した幟があったといわれるhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E7%90%86%E6%B3%95%E6%A8%A9%E5%A4%A9参考終わり
July 29, 2018
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20121204幸せって何処に売っていますか。毎日の生活で私たちは不幸を求めている。政治は国民の幸福のためと言っておきながらなぜ言い争いをするのでしょう。国民は実は不幸になりはじめて政治に気づくのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・幸せのあんちょこはないかと助けてインターネットに聞きました。どうして人は、幸せになれないのでしょう。どうして人は、苦しむのでしょう。「それは、諸行無常だからだよ。」と、おしゃかさまは説きました。すべてのものは、移りゆき 変化するもの。それが、諸行無常という言葉の 意味することです。「この世界は、自分を幸せにしてくれる世界」という幻想を捨て、「私は、世界の幸せのために在る」と、逆転の発想をした時、神様はあなたに味方するのです。これまで私たちは、自己中心の幸福感しか教えられずに、競争原理に追い立てられてきました。それでは、いつまでたっても幸福になれず、社会も混迷を深め、破滅の道を歩んでいます。今、地球は とても悲惨な情況にあるのです。自己中心、それも肉体中心の幸福の発想をやめて、他者中心の幸福感への転換と、みずからの霊性の進化というよろこびを幸福の中心に置くべきなのです。人々がそうなれば、この社会や自然や地球全体が、ほんとうの幸福に包まれるでしょう。もう、しらんぷりするのは やめましょう。地球や自然に、優しさを向けてあげましょう。困っている人々に、思いやりをもち、そして真面目に考えてあげましょう。決して大げさなことを考えるとか、難しいことを行う必要はありません。「私に何ができるかな?」と考えること。まずはそこから 貴重な一歩がはじまります。参考 幸せとは http://homepage3.nifty.com/harunaji/a015.htm ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・講義のはじめに真っ赤なポロシャツを着て皆さんにもっと明るく着こなして生活を楽しみましょうと見せましたが、恥ずかしかった。シャツは目に見えるものですが,幸せとは目に見えないもの.主婦の方が深刻に質問した。中2の子供が勉強しない。入れる高校がない。毎日夫婦して心配しています。どうすればいいのでしょうか?先生は急に歌い出した七つの子からす なぜ鳴くの からすは山にかわいい七つの 子があるからよかわい かわいと からすは 鳴くのかわい かわいと 鳴くんだよ山の古巣へ 行ってみてごらんまるい眼をした いい子だよカラスはカワイイと啼くのです。勉強のことを心配するよりも夫婦仲を心配した方がいいですよ子供に好きな事も作らせないで、好きな事を見つけさせなければいけない子供は目的を持って生まれてきているのですよ昔15歳で元服式を行いました.今の歳で14歳。もう立派な大人で自立心を持たせるべきです。子供の育児は子供に大人が楽しませてもらっている状態です。母の泪は絶対です。もっと愛を降り注いで自分流に育てればいいのですよ『すずめのかあさん』子どもが子すずめつかまえた。その子のかあさんわらってた。すずめのかあさんそれみてた。お屋根で鳴かずにそれ見てた。 金子みすずは動物や自然に身を置き換えた詩が多くそっと、優しく、情深く人間の業や煩悩を諭してくれます。すずめのお母さんは、鳴けないほど心配しながら『泣いて』いたと思います。怖い人間に抗うことはできませんもの。すずめのお母さんの絶望感が伝わります。みすずはすずめと人間を対比させ子どもと引き離される悲しみを詠ったと思います。しかしながら、こすずめが子どもに追いかけられているときは....「早く逃げて!」と鳴いたでしょうね。「笑って見ていた人間のお母さん、すずめのお母さんの気持ちは同じ母ならわかるでしょう?」とみすずに問われているようです。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1140935406土 こッつん こッつん 打たれる 土は よい畠になって よい麦生むよ。 朝から晩まで 踏まれる土は よい路になって 車を通すよ。 打たれぬ土は 踏まれぬ土は 要らない土か。 いえいえそれは 名のない草の お宿をするよ。 ※ 打たれる=打(ぶ)たれる 切ったお花の魂は御仏様のお宿(大地)でさくよ仏様は迷いをほどいてあげる。桃太郎は腹が減っていた犬に団子をあげた。無償で団子をあげた息子を育てたおばあちゃんがすばらしい。代償を要求するのは乞食の子を育てるのと同じ。子供に何を要求するの桃太郎が鬼を退治して宝をくれた。代償を求めて鬼を退治したわけではないはず。話で代償をくれるのはよくない今日子供をどういう風に褒めてあげるか今日褒めないでいつ褒める?喧嘩は親孝行ですよ周囲にある商品道具使い切れない。使われない道具は私たちにいろいろ使う能力がない輪廻転生何処まで行っても消えることがない今毎年105万人のかたが亡くなります。このうち孤独死3万人自殺3万人死ぬ人見ても他人事。自分の事と思わない 山梨県の中央道・笹子トンネルで天井板が崩落した事故は他人事。縁のあった人の死は感じ方が違う「花のたましい」 散ったお花のたましいは、 み佛さまの花ぞのに、 ひとつ残らずうまれるの。 だって、お花はやさしくて、 おてんとさまが呼ぶときに、 ぱっとひらいて、ほほえんで、 蝶々にあまい蜜をやり、 人にゃ匂いをみなくれて、 風がおいでとよぶときに、 やはりすなおについてゆき、 なきがらさえも、ままごとの 御飯になってくれるから。金子みすゞ 40~60歳にもなって自然の恵みを何だと思っていますか。花から臭いも密もくれるが何も請求しない自然はすばらしい私たちは自然の一部です自然分身=自分 自然の細胞である争いと喧嘩で全部駄目になる自然に活かされている大東亜戦争で310万人死そのうち兵士210万人世間体で笑って押し入れの中で泣く知識を持っても何にもならない善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。善人はお寺に金品仏像を寄付する人悪人は何もしない人阿弥陀とは、サンスクリット語で、「ア・ミター・ユス(バ)」「ア」は否定語(no),「ミター」は量る・計るという意味、「ユス」は時間、「バ」は空間を意味するそうで、直訳すると「時間や空間では計算できない=いつ、どこにでもいる」仏様という意味だそうです。高齢化社会人生とは何か明治時代190万部落があり,1部落150人だった。採取民族で人口を増やさないために赤ちゃんの口を紙でふさいで間引き,年寄りは姥捨て山に捨てた。日本は平均寿命86.5歳60年前は55~56歳明治は47~48歳人口12000万人で4000万人が60年で増えたところがその人口が40年後には8600万人になりますそこで道徳、社会、政治、福祉・・・今のままでいいか国債1000兆円一人880万円の赤字特殊法人赤字2000兆円補助金年金の支出鉄道はトンネルが劣化している。昭和40年代に道路を造った。専門家は30から50年大丈夫としか言わない。20年後若い人が修理するに200兆円。今国家予算90兆円ですね。原子力発電所40年の寿命。だれでも知っています。中国では万里の長城が直せないそれで事故が起きる北陸新幹線も40年後使われない異物として観光名所になっているかもしれない。幸せとは何かどこの政治家も国民に豊かさと幸せを与えたいと言う。夫婦子供2人の所帯が豊かになる基準に、制度を作ったが50歳男20%未婚30歳男女独身のうち25%が親と暮らしている66万組の決行があり22万件の離婚で36%をしめる構造が変わっているのにどの政治家もなのも指摘しない物があっても年寄り23%買うものが無いどの政策も効果なし政治、制度、世間体に任せては駄目だ幸せの基準とは幸せになるチャンスはいっぱいある自然を見なさい.チャンスを見つけて幸せに気づく 浦島太郎の話で 多くの通行人が亀を見捨てた浦島太郎は、なけなしの金をはたいて亀を助け竜宮城でのチャンスをつかんだ関係ない人に親切にできるか他人に親切になれるか知った人に親切は代償を求めることになる善きサマリア人のたとえ話(ルカ福音書10章)29 しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。30 イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。31 ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。32 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。33 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、34 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。35 そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』36 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」37 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」 ユダヤ人にとってサマリア人を介抱することはけがわらしい行いだった。代償をもとめてはいない何も関係ない人に親切にした人が幸せになれる石ころだとけっぽって実はその石はダイヤモンドだったと言うことになる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考 幸せになりたい、 誰もが頑張っているのに、 誰もが満たされない。 -------- 目次 -------○幸せとはなんでしょう○諸行無常○この世はリサイクル○人は霊的存在○輪廻転生○似た者どうし○因果応報ということ○もう一度、幸せとはなんでしょう○苦難の克服○愛に生きる○奉仕○人間と動物の違い○私は世界のために○地球の悲鳴○幸せとはなんでしょう人は誰でもみんな幸せになりたいですね。でも、なかなか幸せになれない。「もっと綺麗になりたいのだけど・・・」そう思って、いろいろやってみるけど、なんだか疲れたわ・・・「いい会社に就職したい。」そう思って、がんばって就職したけど、ひどい会社だった・・・「バックがほしい。」貯金をみんな降ろして買ったけど、飽きちゃった・・・「彼氏がほしい。」彼氏がいれば、きっと幸せのはず・・・でも、いざ彼氏ができるとケンカばかりだし、ちっとも幸せじゃない。「車、家がほしい、・・・とりあえずお金が欲しい。」たぶん、車が手に入ったら しばらくはうれしくてドライブしたり、車を洗ったりして楽しいでしょうが、そのうち飽きちゃうだろうな。事故にでもあったら、たいへんだわ。家も・・・欠陥住宅だとサイアクだし、雨漏りがするとか、庭に草が生えたり、掃除もめんどうくさい。いろいろ考えたけど、お金さえあれば、何でもできるんじゃない?とりあえず、お金がたくさんあれば 幸せでしょう。・・・という結論になりましたが、はたしてお金持ちなら幸せでしょうか? 物を買うのに困らないし、おいしいものを食べられるし、リッチな旅行ができる、いろんな支払いに困らない、・・・お金持ちの良いところは、こんなものでしょうか。でも、物があればいいってものではありません。いらないガラクタが増えるだけってこともあります。おいしいものを毎日食べられて、たまらないかもしれませんね。でも、それでは健康が心配です。糖尿病や高血圧になって、なにも食べられなくなったら、結局は貧乏と同じですよね。旅行ばかりして、地球の中をあちこち見て回ってもそれが何になるのでしょう?今はテレビで世界じゅうを放送する時代です。旅行は危険が多くて、疲れるだけじゃないですか。でも、お金さえあれば、先の生活に困らないという、安心感はだいじよね。という人がいますが、安心感さえあれば幸せでしょうか?お金があるけれど、老人ホームでボーッとしているお年寄りより、貧乏でも元気に畑仕事をしているお年寄りや、孫に囲まれて賑やかなお年寄りの方が、幸せそうですよ。お金より、健康や生きがいの方が大切なのでしょうか。それでは、地位とか名誉と呼ばれるものを手に入れると幸せになれるでしょうか。政治家や代議士さんは、名誉がありますよね。でも、ウソつきの代表のようにも思えますし、そんなに立派と思えません。大会社の社長さんは幸せでしょうか?会社で失敗があると、いつも困った顔をして謝っていますね。こうして、一般に幸福と考えられるものを並べてみても、何だかパッとしませんね。手に入れて、しばらくは満足して幸せそうに考えられますが、そのうちだんだん、困ったことになりそうです。サッパリ幸せって、分かりませんね。小さな時から幸せって、どんなことと教わってきましたか?学校では、「勉強、勉強」ですね。ゆとり教育とかいっても、結局はテストの点数で、ゴミみたいに分別されて、高校に行きます。テストで人の優劣を決めて、高得点をとることが幸せのように教えられますが、それは人と競争をして勝つことですよね。でも、県でただ一つ、全国で数えるほどの進学校に行った人いがいは、みんな負け組みで、ほとんどの人が挫折を味わうのです。部活動のスポーツをやっていた人は、どうでしたか?健康な発育のためと言われても、結局は人との競争に勝つことばかりをしいられて、いつも負けていましたね。だって、試合となれば負けない人は県内でただ一人、二位以下はすべて負け組みですから。 そんな競争を勝ち抜くことを教えられて育ちますので、社会に出ても、競争で勝てば幸せなのではないかと思ってしまいます。お金を獲得する競争ですね。これは、ほとんどの人が一生かけて戦っていますが、ようやくお給料を手に入れても、どんどん出ていってしまいます。あとは、彼氏をつくる競争や、おしゃれの競争にがんばりますが、「やっと手に入れて、しあわせだわ~♪」と思ったのもつかの間、しばらくすると むなしくなるのです。「あれ・・・、へんだわ」と、この頃思っていませんか?そうなんです。学校で教わる幸せや、大人に教えてもらった幸せは、どこかヘンなんです。そういうことを、今から2500年ほど前にインドにいた「おしゃかさま」という方が、すでに指摘しています。○諸行無常どうして人は、幸せになれないのでしょう。どうして人は、苦しむのでしょう。「それは、諸行無常だからだよ。」と、おしゃかさまは説きました。すべてのものは、移りゆき 変化するもの。それが、諸行無常という言葉の 意味することです。赤ちゃんは子供になり、子供は大人になり、大人はやがて老人になります。誰も、この変化に逆らえる人はいません。若くて美しい女性は、いつかは お腹がポッコリのオバサンになります。優しかった彼は、いざ結婚すれば マザコンだったり浮気性だったり、「こんなはずではなかったのに・・・」と後悔しても、人の心は変るもの。 これらはすべて、諸行無常です。「お金よ、お金さえあれば 人は幸せになれるのよ。」と言っている人も いざお金が入ると、パーッと使って、あっという間に一文なしになって、諸行無常を感じたり、お金が出て行くことに恐怖を感じて、毎日が不安でいっぱいになったり、これも幸せには程遠いですね。この世で変わらないものはありません。石や岩は、永年の風雪で砕けたり削られて形を変えます。どっしりして見える山も、永い間に崩落しているのです。この地球さえ、温暖化やオゾン層の破壊などで、その環境を変えています。どんな物も、時間とともに刻々と変化している。だから、目的とする幸せを手に入れて、一時的に幸せになっても、いつかその幸せは消え行くものなのです。幸せとは幻のようなものですね。じゃあ、幸せって この世にはないのでしょうか?すべての幸せが 幻なのでしょうか?いえいえ、そんなことはありませんよ。ちゃんとほんとうの幸せはあります。物やお金、若さや美貌、健康や異性に幸せを求めている限り、それは夢のようにはかない幻のようなものですよ、これまでのような幸せの考えでは、ぜったい幸せにはなれないことを知っていただきたいのです。これから、ほんとうの幸せを探すお話しに入っていきたいと思います。まず、この世界、この世という世界が、どうやって成り立っているのか、この世界はどうしてできたのか、ということを話します。私たち日本人は、神道や仏教を通じて、こういうことを深く深く考えてきた民族です。学校などでほとんど教えられませんが、ちゃんと知っておきましょう。次に、人はどうして生まれてきたのか、なぜ死ぬのかという「輪廻転生」のお話しです。そして、人の構造というか、目に見える肉体や 目に見えない心、さらに霊魂や幽体という構造もあるのですよ。人によって、運の良い人や 逆に運の悪い人がいますね、そんな人の運命についての「波長の法則」というお話し。「因果応報」というお話しも、運命についてのお話しです。この世界を知ること、世界の流れを知ること、自分の存在を知ることを通じて、ほんとうの幸せということが見えてくるのです。○この世はリサイクルキリスト教やイスラム教という宗教では、この世は神様が造られた世界ということになっています。だから神様は一番偉いのです。その次に偉いのは、人間です。神様は人間を造られて、自然の頂点に立ち自然を支配しなさいと命じました。それに比べて日本人の世界観は、あらゆるものは、神様ご自身が細かく分かれて、石や木や草や 動物や人間になったと 考えられました。だから、自然も人間も みな平等なのです。人間だけが偉いとは考えていませんでした。でも、今はどうでしょう?そんなことを考える日本人は、ほとんどいません。公害や環境汚染、環境破壊を行うのは、自然を人と平等に尊ぶ精神の無くなったことを証明していて、とても残念なことなのです。それで、昔々からの日本人の考え方を、もう一度見直していただきたいのです。この世界が、神様そのものとしたら、自然も人も大切にしなければいけませんね。もちろん自分もです。私たちは、神様から生まれて、この世で精一杯に頑張って生きて、死んでしまうと、また神様の世界に戻るのです。そして、やがてまたこの世界に生まれ変わるのを待っています。そんな生命のリサイクルの一つであり、一部なのです。○人は霊的存在人も自然も神様の一部としたら、私たちは、ほんとうに神様なのでしょうか。 それなら、どこが神様なのでしょう。どこにも神様らしきものは見当たりませんが…。そうですね、身体のどこを探しても、神様は見えません。なぜなら、神様は見えないことになっているのですよ。神様は、人の心のずっと奥に、静かにたたずんでおいでます。それは近くて遠い所で、誰もそこまでたどり着ける人はいないのです。 そんな目には見えないけれど、神様の部分を、魂(たましい)とか霊(れい)と呼びます。ほんとうは、もう少し細かく分類されるのですが、ここでは、あまりこだわらずに、目には見えないけれど、神様の一部のことを「霊」「霊性」としましょう。人間は、目に見える肉体の部分と、霊によって成り立っていることを知ってください。また、人間の心の中に限らず、動物にも霊の部分はあります。植物にもあるし、山や川、石や岩にも霊が宿り、昔の日本では、こんな多くの霊のことを「八百万の神々」と呼んで、敬ってきました。自然をとても大切にしてきたのですよ。ほかには、浮かんでいる霊や、漂っている霊も少なくありません。あまり良くない霊というのもありまして、そんな良くない霊から 私たちを守ってくださる「守護霊」という立派な霊もおいでます。亡くなって、神様の世界に行かれた方々も、この世界が気になってよくおいでになります。そんな神様にも近い、高級な霊など無数の霊に囲まれて、私たちの生活はあるのです。○輪廻転生ふつうに生きている限り、まったく分からなくて自覚のない「霊性」ですが、それがはっきり分かって「ああ、私は霊なんだなー」と思う時があります。それは、人が死んだ時です。肉体が亡くなりますと、この霊の部分が ぼーっと肉体の外に出ます。そして、悲しんでいる家族などを見ては、自分の死を実感するのですが、この時になって、ようやく人は肉体だけでなく、霊的な存在であったことを自覚するのです。人はこの世を生きた後、死ぬと肉体は滅びますが、霊性の部分はもともとが神様ですから、神様の世界へと帰るのですね。こうして、亡くなった人の霊は 天国へと向かいます。天国に到着しますと、それまでに亡くなっていた、父や母や、おじいちゃん、おばあちゃんなど知り合いが出迎えてくれまして、「おかえりー」とか「ごくろうさん」と言われるのです。楽しいご対面となります。その後は、「下界はどうだった?」とか聞かれて、「頑張って生きてきました。」とか「楽しかったよ」なんて、この世で生きてきたことを振りかえり、反省したりします。 そして、ずっと神様の世界にいますと、いろいろなことが思い出されて、あの時はこうすれば良かったとか、もっとこんな生き方がしたいとか、もっといろんな体験をしたいと思うようになります。そして、神様に「もう一度、下界に行かせてください」と、お願いするのです。こうして、人間はまた赤ちゃんになって、この世に生まれてきます。人間に限らず、動物も同じです。草や木も、石も水も、星たちも生まれては死に、神様の世界に行き、また生まれることを繰り返します。このことを「輪廻転生(りんねてんしょう・りんねてんせい)」と、呼びます。○似た者どうし霊性というのは、いろんなレベルがあります。尊くて美しい心の霊もあれば、悪いことばかりしている悪い霊もあります。神様の世界に行きますと、亡くなった家族に会えますね。でも、その世界というのは、この世で行ったことが すべて分かってしまう世界なのです。そして、人の考えていることも分かってしまって、ウソがつけない世界です。もし、善い人ばかりの家族の中に、悪い人が一人いますと、悪いことをしてきたことや、悪いことを考えていることが、ぜんぶ分かってしまいます。そうなりますと、その人は もう恥ずかしくて家族の中にいられなくなるのです。そして、似たような人たちのいる所へ行きます。悪い人ばかりの集まっている世界ですね。自分と同じような人が集まっている方が、その人にとっては住みやすいのです。こうして神様の世界というのは、悪い人は悪い人ばかりが集まって、暴力や裏切り、怒りや恨みだらけの地獄のような世界を作っています。一方、善人は善人の世界を作り、優しさや思いやりのあふれる、それこそ輝く極楽浄土となっているのです。俗説には、人が亡くなると、神様や閻魔大王に裁かれて天国か地獄に振り分けられると申しますが、それでは地獄へ行った人から抗議が殺到するでしょう。神様の世界は完全な世界なので、みずからの意思で、天国と地獄へと住み分けるのです。そういう霊のレベルによって住み分ける性質は、この世界に来てからも続いています。悪い霊性の人は、どんなに着飾ったり、善人ぶっても 周囲には悪い霊が集まります。運が悪かったり、周囲に暴力や怒りが絶えず、裏切りや詐欺や、事件や病気が多いのです。善い霊性の人には、善い霊が集まりますから、貧しくても明るい家庭だったり、いつも元気だったり、楽しい雰囲気に包まれています。似た者どうしは集まりやすいのです。ここまで来ますと、幸せについての本質が ちょっと見えてきましたね。 人間は、肉体と霊から成っていますが、どうも霊性を良い方向に持って行くことで、なんだか幸せそうになりそうな気がしてきました。 ○因果応報ということ神様の世界では、この世で行ってきたことが すべて分かってしまうと書きましたね。誰も見ていないところで、ひっそりと行った悪いこと、その時は、「ま、誰も見ていないから良かった。」と、安心していたかもしれませんが、すべてお見通しなのです。それどころか、心の中で考えた悪いことまで分かってしまうのです。怒りや嫉妬や、妬み、恨み、・・・人間というのは、次から次へと悪いことを考えるもので、誰もが天国では赤面します。また、子供のために朝早くに起きて、せっせとお弁当を作ったんだけど、誰も「ありがとう」と言ってくれない、ちょっと寂しいな。と、思っていたことも、そんな善い行いは 神様の世界でしっかり認めてもらえます。誰にも認めてもらえない善行、感謝されなくても黙々と行ってきた善いことというのは、もっとも尊いことなのですよ。そんな 悪いことと善いことを計算して、プラスとマイナスが ちょうど釣り合うようにするのが、「因果応報」と呼ばれるシステムです。 原因(因)があると、それに従った結果(果)が生ずるという意味の言葉です。つまり、悪いことをした人には、その後悪いことが起こり、ひどい目にあいます。逆に、善いことをした人には、善いことが起こり、幸せになります。そんな原因と結果が、きちんと釣り合うように 世界の出来事は、ちゃんとできているのです。それは、ぜったいに間違うことのない、神のシステムです。「因果応報」がないと、世界の完全性がなくなってしまいますね。悪いことをした人は、悪いことのやり得となり、被害にあった善人は 泣き寝入りすることになります。神様の世界は、こんな悪人の味方をするような、不完全な世界ではありません。もし、あなたが今、幸せだなぁと感じているなら、それはあなたのこれまで行ってきた、善い行いの現われです。もし、今、不幸でつらいわ…と、感じているなら、それはあなたの これまでの悪行が 因果応報により現れているのです。 そして、もしあなたが「私はもう幸福にはなれないわ、悪いことばかりしてきたから…」そう思っても、あきらめてはいけません。これから 善いことをどんどん行えば、これまでの悪いことが、しだいに消されていき、やがては逆転して 必ず善いことが起こり、幸せへと 歩むことができるのです。ここまで来ますと、かなり幸せの条件が 見えてきましたね。○もう一度、幸せとはなんでしょう人は学生の時、勉強すれば幸せになれると教えられ、頑張ってみますが、トップクラスになれる人は、ほんのわずかで、あとは 落ちこぼれの悲しみにあいます。そのわずかの 進学校に行った人たちも、受験競争で苦しいだけで、とても幸せとは思えません。高校、大学を出て、就職すれば幸せかというと、いざ就職すれば 厳しくて、通勤と仕事に追われる毎日です。病気になれば、この病気が治れば 幸せになれると信じても、いざ健康になれば、そんな幸せも忘れて 働かなければなりません。結婚すれば幸せかと 思っていても、いざ結婚すれば次から次へと問題が出てきて、いったいどこまで行けば 幸せになれるのかと、だんだん人生に絶望してきます。それどころか、次から次へと起こる問題も複雑化して、それこそ 必死で苦しんでいるのに、ちっとも救われない、神様なんて信じられないと お嘆きでしょう。それは、これまで書いてきたことを 知らなかったからです。人が、外に幸せを求めている限り、手に入れた一時は幸せを感じても、その幸せは、夢のように消え去ってしまうのです。幸せとは 外にあるのでなく、自分の内側にあることを知ってください。 そして人間は、肉体と霊性のふたつが合わさった存在であることを知りました。私たちが幸せを追い求めるのは、このうち肉体にかかわるものばかりです。美しくなりたいと、お化粧したり ダイエットをしたり、洋服を買ったり、バックや靴、アクセサリーを買ったり、おいしい物を食べたいと思ったり、彼氏がほしい、結婚したい、お金が欲しい、家が欲しい、・・・すべて 肉体のための 幸せの道具です。これらの物もまた、手に入れた一時だけ幸せを感じる 幻のアイテムにすぎません。ほんとうの幸せを得たいなら、肉体のための幸せを 求めるのでなく、霊の幸せ、心の幸せを 求めることが大切なのです。「霊の幸せ」とは、はじめての言葉ですね。霊が幸せになるなんて、どういうことなんでしょうね。私たちが天国に行って、またこの世に戻ってくるには、何か理由がありましたね。「あれがしたい、これもしたい」そう思って この世に生まれてきたはずです。それが霊性としての願いです。その願いを、もう一度考えてみましょう。この世で私たちは、いろんな失敗や間違いをおかします。悪いこともしてしまいます。そんなことを天国で反省して、「今度こそはしっかり生きたい」、「もっと善いことをたくさん行いたい」と願って、この世に生まれ出てきたのです。そんな輪廻転生を、何度も何度も行って、人の霊性は 成長しているのです。永い年月をかけて、何十回、何百回という輪廻転生で、人の霊性は より善い霊性になるために この世に生まれ来て 苦しみに耐えて、がんばっているのです。私たちの、ほんとうの幸せ、根源的な幸せとは、「善き霊性」になることです。美しく、清らかで、愛に満ちた霊性になることが、幸せの結論です。この世に「おぎゃーっ!」と生まれてきた、その本当の目的どおりに生きるのなら、これ以上の幸せはありません。こう書きますとね、「なにそれ、がっかり!」という声が聞こえそうです。「いくら霊が清らかでも、やっぱり顔は綺麗な方がいいし、身体はスマートな方がいいわ。お金がなくては、どうして生きていくの?家のローンはどうするの?子供の教育費はどうするの?霊性が善くても、食べていけないじゃない。」と、反論されそうですね。ふつう、これが常識です。でも、これで、いいのですよ。私たちの生まれてきた理由は、霊性の善きものへの成長。これだけです。このために生まれてきたのですが、しだいに忘れて横道にそれてしまったのです。ほんとうの目的を、今思い出しました。でも、それで現実の社会で暮らしていけるのでしょうか。霊性が成長しますと、内側から輝きます。光のオーラが発せられるのです。清らかな霊性ほど、その輝きは強くて、美しい雰囲気をかもちだし、周囲を魅了します。お化粧やジュエリーで飾り立てても、内面から輝いている人には、ぜったいかないません。その輝きにより、悪い霊は近寄れなくなり、善い霊を引き寄せ、善いことばかりが起きます。似た者どうしは集まるという法則です。もし、貧乏な環境であっても、お金が必要な時は 自然とお金が入りますので、心は安定しています。それが神様が造られた世界の、完全さなのです。善い霊性には、神様の保証付きです。これ以上の安心感はありません。真実の幸福とは、神様から祝福された 不変のものでなければなりません。 それでは、善い霊性として成長するための、もう少し具体的な方法を 考えてみましょう。○苦難の克服この世には、不平等と理不尽が満ちています。善い人が急に事故で亡くなったり、なにも悪いことをしていないのに台風や地震で家を失うとか、罪もない人が戦争で被害を受けたり、どうして?と、神様の存在を疑うようなことが起こります。お釈迦様は、人間には「生老病死」という根源的で避けられない苦しみが存在すると説かれました。さて、そんな苦難に対して、私たちは どう向い合えばよいのでしょうか。 因果の法則によれば、何らかの苦難は 私たちが過去に行った悪行に対する結果であると考えられます。そのため苦難を受けるのは、過去の悪い因果を清めるためには、どうしても必要なことなのです。もしも、この苦難から逃げたり、人に押し付けたりすると、次にはもっと大きな苦難が現われるでしょう。今、起こった苦難には、しっかりと立ち向かうのが良いでしょう。ゴミ箱が いっぱいになっているという 困った事態に対して、見ないふりをして 逃げていませんか?お母さんに捨ててもらおうと、人に押し付けていませんか?大きな物を乗せて 隠していませんか?「このゴミ箱が悪いのよ!」と ヒステリーを起こして、ゴミ箱に やつ当たりをしていませんか?どの方法もいけませんね、いっぱいのゴミ箱は、自分でちゃんと捨てなければなりません。捨てた時に過去の因果が 一つ浄化され、あなたの霊性は、ほんの少し成長するのです。そして、根本的なこととして、私たちが この世に生まれてきた理由が、「霊性の成長」であることを、思い出してください。肉体は十代の後半で成長をストップしますが、心や霊性は、一生を通じて いつでも成長します。それは苦難というトレーニングによって、鍛えられ、経験を積み、学習して成長するのです。肉体の成長が終わって、さらに素晴らしい肉体となるためには、重いウエイトトレーニングをすれば、隆々たる筋肉に成長します。同じように、心や霊性は、苦しみや悲しみを経験してこそ、大きく豊かに成長するのです。まさに苦難とは、霊性の成長や進化のための 試練にほかなりません。 ある高校生のA子さんのお話しを、例え話として聞いてください。彼女は同じクラスに、すごく嫌いなB子さんがいました。もう、その子が近づくだけで、おぞましくなるのです。これという理由もなくて、ただ波長が合わないというか、とにかく彼女のことではイライラするのでした。ほかの生徒もA子さんの態度を見て、B子さんには近づかず、いわゆるクラスぐるみの いじめになっていました。そして、もう一つの問題は、朝の通学の電車の中での痴漢でした。ほんとうにひどい目にあって、辛い毎日でした。「もお、死にたいわ。」が、A子さんの口グセで、友達も同情的です。 そんなある日、彼女にとんだ不幸が降り注ぎました。まず、それまで優しくて 彼女にとって、良き理解者で話し相手だった母親が、突然いなくなりました。「好きな彼氏と暮らします」という一通の手紙だけを残して。ぼう然としているA子さんの目の前で、お父さんが倒れました。脳いっ血でした。彼女はぼう然となっている暇もなく、救急車を呼び、その後は、病院に運ばれた父親の 看病が始まりました。 あまりに大きなショックで、何度も泣いたし、運命や母を恨みました。でも、そんな悲しんでいる暇もなく、二人の弟の世話と、重症の父親の看病のために、体を動かすしかないのです。学校にも行けなくなり、二週間が過ぎ、疲労困ぱいしていた時に、母親がひょっこり帰ってきました。A子さんは、自分たちを捨てた母親を恨んでいましたが、いざ出会うと、もう、ただ泣くばかりでした。 家事と父親の看病を、母に代わってもらい、彼女は二週間ぶりに学校に行こうとすると、通学の電車の中で また痴漢にあいました。それまで 泣き寝入りしていた彼女ですが、痴漢の手を握りかえして、「やめてください!」と、自分でも驚くほどの 大声を上げたのです。周囲の男性たちが、その痴漢を取り押さえてくれて、警察に突き出してくれました。そして学校に着くと、あれほどイヤだったB子さんを見ても、何も感じなくなっていました。自分でも、とても不思議でした。「これまで、なんであんなに嫌っていたんだろう?・・・」A子さんは、一日中楽しい気分で学校生活を終えました。「また学校に来れるようになって、ほんとうによかった。」と思いました。そして、一人で帰るB子さんに歩み寄って、「いっしょに帰ろう。」と言いました。B子さんは、それまでA子さんが恐くてしかたなかったけど、その日から、ぜんぜん恐くなくなり、とても仲のよい二人になりました。 このことから A子さんは、母の家出と父の病気という苦難を乗り越えることによって、霊性がアップしたと思われます。痴漢を撃退する勇気を得て、訳もなくB子さんを嫌うというわがままも無くなり、誰でも愛せる 豊かで大きな霊性を得たのです。B子さんも、その変化を敏感に感じ取ったのでしょう。神様の与える試練が、人を成長させるという 典型的な例と言えますね。 このような大きくて苦しい苦難にあいますと、立ち向かうには恐くて、逃げ出したくなったり、絶望に陥りるものです。そのような時でも、人は立ち向かわなければならないのです。逃げてはいけません。「人は神の子」であることを信じて、苦難と向きあった時、ぜったい神の救いがあるのですよ。なぜなら、この世は神様が造られた世界で、苦難もまた神の造られたものだからです。「天は、自ら助けるものを助ける」という言葉がありますが、みずから「やろう」と決めたものには、神の愛の救いがあるのですよ。私たちのまわりには、無数の救いの手が満ちていて、ただ、それを信じて行動した者が 恩恵を受けるのです。○愛に生きる人は裸で生まれ、死んだ時もまた 裸で死んでいくと言われます。どんなお金持ちも、お金を天国にもって行けません。立派な豪邸を建てても、天国へ行く時は、身一つで行かなければならないのです。大統領も、死んだらただの人です。そんな天国行きですが、一つだけ持って行ける物があります。それは、「愛」です。この世で、どれだけたくさん人を愛したか、その愛の量を持って天国へ行くと言われています。たくさんの愛のある人の霊性は、美しく輝き成長し、さぞ天国ではよい世界へ行けるでしょう。でも、普通に考える「愛」と、ちょっと違うかもしれませんので、ご注意願います。「私は彼を、ものすごく愛しています。世界の誰よりも、死ぬほど愛しています。…ところで、天国へ行けますか。」と、質問されても「まあまあ」と、お答えしましょう。胸を焦がす大恋愛というのは、女性にとって一大事で、人生の最大の愛と思ってしまいますが、神様を基準とした愛のレベルからしますと、低いレベルの愛と申せましょう。愛のレベルは三段階あります。1、異性や肉親への愛(彼氏、親や子供への愛、優しい人への愛)2、知らない人への愛。(1より高級な愛)3、敵を愛すること。(一番高級な愛、一番むずかしい)1のレベルは、普通の愛ですね。レベルは低いと言いましても、愛してはいけないという訳でなく、どんどん愛しましょう。2のレベルは、見知らぬ人へ親切にしたり、道端で倒れている人を介抱したり、無関係なすべての人に平等に愛することで、とても難しいですね。また、世界平和を祈る心にも、この愛はあります。 3となりますと、キリスト様やお釈迦様、ガンジー、マザー・テレサ様のような聖者の愛です。自分を攻撃してくる敵でさえ愛するという、大きく深い人類愛がなければできないことですね。でも私たちにまったくできないかと言うと、そうでもございません。やる気さえ出せば、けっこうできるものなのですよ。イエス・キリスト様は「汝の敵を愛せ」と申されました。あなたの一番きらいな人、あなたを一番苦しめている人、そんな人を「愛しなさい」と言うのですよ。正気ですか?…と言いたいでしょう。もし、愛することができたら、あなたの霊性は浄化され、とても清らかになります。神様のように神々しい霊性となるでしょう。でも、どうしたら愛することができるでしょう。それには、私たちの中に、神様の分身である「霊」が存在しているように、一番きらいな人にも神様がおいでるのです。そのことを考えて、信じることができれば、かなり行けますよ。その人に対して、べつに「愛しています」と告白する必要もないので、あなたが一人になった時に、「あの人の、内なる神様を尊敬し、愛します。」と祈りましょう。それならできるでしょう。祈るだけです。さらに、きっとその人は、多くの欠点があると思いますが、たった一つで良いですから、何か長所を見つけましょう。何でも良いです。「あの人の、大きな元気のある声を愛します。」と、一つだけの長所を愛するように祈りましょう。あなたの人に対する見方が変れば、相手も変ります。相手を鬼と見れば、鬼になり、相手を神と見れば、神になるのです。少しずつ相手への見方が変わってきて、少しは好感が持てたら、これまで鬼のように思って、恨んだり怒ったりしたことを謝りましょう。謝罪の祈りも大切なことですよ。人生は、何も恐れるものはありません。まず、あなたが物事をはじめる決断をして、やる気を出せば、そこからすべての道が開けるのです。お金も地位もいりません。敵さえ愛することができます。あなたが決断するだけで、幸福への道が開けるのですよ。○奉仕愛について書いてきましたが、日常生活で愛の精神を実行するとしたら、それは「奉仕」になります。愛の心をもって、他者が幸せになるようにすることですね。奉仕は、人間の生きる至上の道です。奉仕には、次の三つがあります。一つめ、行為による奉仕。労働や親切な行為ですね。お年寄りに席を譲ったり、ボランティア活動をすることです。お金を寄付することもこれに入ります。 二つめ、言葉による奉仕。人を生かすも殺すも言葉しだい、と申します。それほど言葉には力があるのです。同じことを言うなら、相手を喜ばす言葉を使うこと。相手に明るくなってもらい、生き生きとなるような言葉を使えるようになりたいものです。三つめ、心による奉仕。他者の幸せを願う心、愛に満ちた心です。世界の平和を祈り、人々の平安を祈りましょう。無力で無駄のようですが、とても大切なことです。奉仕と聞くと、なにか災害時のボランティアに出かけたり、多額の寄付をしたり、特別なことのように考えるかもしれませんが、そんなことはありません。むしろ、ふだんの生活の中のこころがけの方が大切な奉仕となります。今いる あなたの場所で、あなたができる範囲で、あなたの言葉で他の人への奉仕が、何かできるはずです。今の職業、環境、まわりの人々、とりまく物の中で行えば良いのです。 10分後には、その時、その場所で、 1時間後には、その時、その場所で、何か奉仕ができないかと考えましょう。 奉仕の対象は、困っている人に対する救いだけではありません。ペットにエサをやれば、ペットへの奉仕。花瓶の水を交換すれば、生け花への奉仕。散らかっている部屋を掃除すれば、空間への奉仕。道路に落ちているゴミを拾ってゴミ箱へ捨てれば、周囲の人々や地球への奉仕になります。こう書きますと、なんだか当たり前のことを しているだけのように 思えるかもしれませんね。そうなんです。奉仕というのは、当たり前のことを、相手に対して心をこめて、愛情を込めて行うことなのです。あなたが看護師さんなら、患者さんに対して 心をこめて看護なさってください。あなたが農家なら、野菜やお米に対して、心をこめて作ってそれを食べる消費者に、心をこめて出荷なさってください。あなたがカメラマンなら、被写体に対して心をこめて写し、写真を見てくれる方々に心をこめて現像してください。あなたが学生で、教室で勉強中なら、先生に心をこめて、そして送り出してくれたご両親に心をこめて 勉強なさってください。 あなたが今いる場所で、いましていることを 他者のために心をこめて行うことが 立派な奉仕になるですよ。○人間と動物の違い人(ヒト)とは、動物としてのヒトのことです。動物である以上、動物としての本能があります。自分の命を守る、「自己保存」の本能と、子孫を残そうとする「種族保存」の本能です。これはサルもネコも、鳥も魚も同じです。 では、人間となりますと、動物としての人でなく、社会生活をする上での「人間」という存在になります。動物の中にも、シマウマやサルの群れのように、またイワシの群れとか、集団になる動物もいますが、人間のように分業して社会を構成する動物は人間以外にいません。集団になる動物は、群れていた方が敵から攻撃されにくいから群れになっているだけで、一匹の固体を見ればそれ自体で完成しているのです。一方人間の方は、花屋とかうどん屋をしているとか、車のセールスとか、学生とか、何か役割をになって社会に貢献している訳で、ほかの動物とは、あきらかに違います。この、動物と人間とを隔てる要素として、人間には第三の本能があるようです。その本能とは、「人は、喜ばれると うれしくなる」という本能です。「人は喜ばれるとうれしい」という心があることを、「それは違うだろ」とか「納得できない」という人はいないでしょう。誰もが 納得できることですね。こんな喜びがなければ、誰が親切をするでしょうか。誰が廊下に落ちているゴミを拾うでしょうか。すべては、喜ばれることがうれしいから、人に親切にするのですね。 人間が、ほんとうに「うれしい」と、心の底からよろこべるのは、この、人に喜ばれた時が一番「うれしい」のです。奉仕をして、人の喜ぶ姿を見て、あるいは綺麗になった廊下を見て、ニッコリできるのは、人間の心の根源からの喜びなのです。もしも、世界じゅうの人々が、この人間本来の持つ本能に目覚め、奉仕の精神で生きたら、この世界はどうなると思いますか?まず、あらゆる職業や産業が 大きく発展するでしょう。国と国の不信感がなくなり、軍隊が必要なくなります。これは、とても重大なことで、世界の軍事予算が必要なくなると、その分を食糧援助や医療援助、環境問題への予算と回せますので、そうなると飢えて亡くなる人や、伝染病で亡くなる人がいなくなります。まるで地上の天国のような世界になるのですよ。そんな人の争いのない世界、不幸なことのとても少ない世界というのは、人間の霊性にとって、すばらしく良い環境です。きっと、霊性の成長も一段と進むでしょう。人間すべてが輝かしい霊性を持ち、愛にあふれた世界は、いっきに輝く世界へと進化することでしょう。まるで夢のような話しと思わないでください。もしも、あなたがこの話しを 10人の人に広め、その人たちがまた 10人の人たちに広めたとしたら、そんな繰り返しが十回あれば、なんと百億人の人たちに広がってしまうのです。これは、地球の人口の二倍です。たった十回ですよ。しかも今はインターネットで、情報がすぐ世界じゅうに広がる時代です。コンピューターウイルスが、あっという間に広がるように、奉仕の精神が広がれば、あっという間に地球は 光輝く天国になるかもしれません。その先がけが、あなたかもしれませんよ。○私は世界のためにここまで読んで、いかがですか?「そんなこと、できないわ」という声が聞こえそうです。少しはできても、ずっと持続することは難しそうですね。「敵を愛する」が一番難関で、「奉仕」も、ついつい怠けてしまうし、「苦難に立ち向かう」のも面倒というか、つい人に押し付けてしまう…。小さな時から、人と競争し、勝つことを教えられてきて、今さら敵をどうして愛せるのでしょう。人一倍儲けて、お金をたくさん得ることが目標だったのに、人に奉仕して何になるのでしょう。苦難のような面倒なことは、「代われるものなら人に任せたり、人に押し付ければ、楽じゃない、それがほんとうの幸せで、世渡り上手というものじゃないの。」と思う人もいるでしょう。これまで頑張ってきた、そこそこの学校を出て、まあまあの企業でコツコツ働いてきた。貯金もある。車もあるし、トラブルは多いけど彼氏もいる。デートは楽しい。私は今のままで、じゅうぶん幸せよ。という人もいるでしょう。そんな人は、今、地球上に5億5000万人の人々が常に飢えていて、餓死の危機にさらされていることを、ご存知でしょうか?お腹が減ってペコペコなのに、何も食べるものがないのです。私たちが「自分だけ幸せなら、それでいい。」という便利な生活の陰で、毎日2万5千人もの人たちが、お腹をすかせながら死んでいることを、どう考えれば良いのでしょう。そろそろ私たちは「自分さえよければいい」という考えを、見直す時期に来ているのです。何も不自由はないのに、何か満たされないのは なぜ?どうして次々と問題が起こるの?と思って、このページを読み進んできたあなたに、もう答えは出ているはずです。「この世界は、自分を幸せにしてくれる世界」という幻想を捨て、「私は、世界の幸せのために在る」と、逆転の発想をした時、神様はあなたに味方するのです。これまで私たちは、自己中心の幸福感しか教えられずに、競争原理に追い立てられてきました。それでは、いつまでたっても幸福になれず、社会も混迷を深め、破滅の道を歩んでいます。今、地球は とても悲惨な情況にあるのです。自己中心、それも肉体中心の幸福の発想をやめて、他者中心の幸福感への転換と、みずからの霊性の進化というよろこびを幸福の中心に置くべきなのです。人々がそうなれば、この社会や自然や地球全体が、ほんとうの幸福に包まれるでしょう。○地球の悲鳴日本人の豊かさの陰で、多くの人々が苦しみ、動物や植物が被害にあっていることを、真剣に考えましょう。世界には、920万人の難民が 祖国を追われて流浪の民となっています。 2000万人の国内避難民の方々が、安全を保障されないキャンプ生活をしています。世界では、毎年少なくとも60~80万人もの人々が国外へ人身売買されていて、その半数以上が 性的搾取の被害者になっています。日本においても、アジア各国、南米、東欧から女性たちが人身売買のブローカーによって日本に連れてこられ、性産業などに送り込まれています。地球上には、およそ100万種と言われるいろいろな動物が生息していますが、多くの種が地球上から姿を消しつつあります。世界全体で動植物では1万6000種以上もが、絶滅危惧種に指定されています。ここ50年あまり、人間が便利で豊かな生活を追いもとめた結果、さまざまな環境問題が世界中で深刻になっています。とくに人間がばらまいた有害物質は、生命をささえる水や土や大気を汚し、さらに生き物の内部にたくわえられて、生態系全体に大きな影響をあたえつつあります。有害物質には、放射性物質や人工化学物質、それに重金属などがあります。 そして、この日本においては、2万5千人の人かホームレスとなって、路上生活をしています。これらは、地球が悲鳴を上げている、ほんのわずかの数字にすぎません。 日本人が、豊かに暮らす陰で、その犠牲になっている人々や動植物が無数に存在しているのです。もう、しらんぷりするのは やめましょう。地球や自然に、優しさを向けてあげましょう。困っている人々に、思いやりをもち、そして真面目に考えてあげましょう。決して大げさなことを考えるとか、難しいことを行う必要はありません。「私に何ができるかな?」と考えること。まずはそこから 貴重な一歩がはじまります。参考終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
July 27, 2018
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January 12, 2013先生入ってくるなりいつものようににこにこしながら一人一人に握手をされる。そろそろ自分の番かなと緊張します.考えてみたら毎月握手する人は2人。先生と大阪の樋口さん。心の垣根がいつもなくなって素直に聞ける準備ができます。開講の挨拶でkさんが童心になったつもりで今年も1年過ごしたいと言っていました。先生曰く、去年も話していましたがまだまだ世の中明けていない。今年1年もはや8日が過ぎんとしています。人生変わっていないともったいないですよ。自然は春を迎える準備をしています。樹液が樹を流れてどっくんどっくんと呼吸をしています。皆さんは初詣で、ああ金持ちになりたいなど神様を脅迫していますね。kさんの挨拶のように稚児になった子供のように学びたい。見えていないものが見えるように第1歩に変える。歳を重ねて80年。幼心の心をもって、赤ちゃんのように、童心に目覚める命の大事さを知る年寄りが元気でなかったら若い者に希望を与えられない。医療費でも年寄りの医療費は1人当り年間85万円、現役の世代では15~17万円6歳の子供でさえ40%は貯金します将来に心配だから使えない年寄りは若い者に押しつけ代償を求めている□除夜の鐘とは何でしょうか私らは、煩悩をを消す事でしょ。(煩悩という言葉も考えないままにしゃべっている自分に気がつきました)出家をした坊主が修行のために行う行事の一つ坊主とは寺の一坊の主のこと出家とは断食、座禅など修行をとおして欣求浄土 厭離穢土を達成するこの除夜の鐘は修行の方法論としてあります。私たちは今暗闇にいます無明から光明に入るために座禅 断食 除夜の鐘の選択があります。ゴーン 社会との断絶ンンンンーン 浄土に引き入れるために鳴るあけて おめでとうございます命今日もいただいた年取ることが人生を、最善を与えるチャンスを与える人の為に生きるのが歳を取らない六道倫理 六波羅蜜大切ですね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考六道天道天道は天人が住まう世界である。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされる。また、空を飛ぶことができ享楽のうちに生涯を過ごすといわれる。しかしながら煩悩から解き放たれておらず、仏教に出会うこともないため解脱も出来ない。天人が死を迎えるときは5つの変化が現れる。これを五衰(天人五衰)と称し、体が垢に塗れて悪臭を放ち、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の花が萎む。人間道人間道は人間が住む世界である。四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。また、唯一自力で仏教に出会える世界であり、解脱し仏になりうるという救いもある。修羅道修羅道は阿修羅の住まう世界である。修羅は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。畜生道畜生道は牛馬など畜生の世界である。ほとんど本能ばかりで生きており、使役されなされるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされる。餓鬼道餓鬼道は餓鬼の世界である。餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされる。他人を慮らなかったために餓鬼になった例がある。旧暦7月15日の施餓鬼はこの餓鬼を救うために行われる。地獄道地獄道は罪を償わせるための世界である。詳細は地獄を参照のこと。このうち、地獄から畜生までを三悪趣(三悪道、あるいは三悪、三途)と呼称し、これに対し修羅から天上までを三善趣と呼称する場合がある。また地獄から修羅までを四悪趣と称することもある。また六道から修羅を除いて五趣(五道)と称すこともある。初期仏教では、地獄・餓鬼・畜生・人間・天上を五趣とし、修羅はなかった。つまり五趣の方が六道より古い概念とされる。これは当初、修羅(阿修羅)が、天部に含まれていたもので、大乗仏教になってから天部から修羅が派生して六道となった。したがって、これらを一括して五趣六道という。ウィキペディア 六道よりhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%81%93六波羅蜜参考 六波羅蜜(ろくはらみつ)の、波羅蜜とは、サンスクリット語のパーラミターのことで、 「究竟(くきょう)する」「彼岸に至る」「渡る」ということである。 「究竟」というのは、真理を究め尽くし、仏道修行を完成した境地のことをいう。 四諦のところでも書いたように、八正道は主に個人の救われ(悟り)を目的とした 修行であるのに対し、六波羅蜜は他の人をも救う(悟らせる)修行である。 その修行を六つに分けて説いているため六波羅蜜といい、それは次のようなもの である。 布施(ふせ) 布施とは、一般的には第一に「他人に物を施すこと」、第二に「僧に財物を施すこと」 という意味であるが、仏教的には次の3種類がある。 財施・・・財の布施。他人にお金や物を施すこと。募金活動など。 身施・・・身の布施。他人に身体を使った労力を施すこと。清掃奉仕など。 法施・・・教えの布施。他人に仏の教えを施すこと。説法すること。 なお、これらの施しを行なうときにはある動機が必要不可欠であり、それは、 一切の見返りを求めず(そういう心を持たず)、他人の幸せを心から祈るという ことである。つまり、ギブアンドテイクでは決してないということである。 見返りを求めないということは、「自分はこれだけの布施をしたのだ」と偉ぶる こともなく、逆に 「自分はこれだけしかできなかった」と卑下することもないという ことである。 自分でできるだけの布施を行ない、布施ができること自体が「有り難い」と思える ことによって、自分自身の仏性が磨かれるのだと説かれる。 そして、この3つの布施の中で最も尊いとされるのが法施である。もちろん、 財施も身施もいわゆる人助けとしては尊い行ないであるし、奨励されるべきこと には違いないのだが、ややもすると、募金も奉仕も、それを受ける人にとっては、 一時しのぎに終わってしまう可能性もありうる。 そこで法施が重要になるのである。 開発途上国などに対し、医療費や食料を援助するのは、人間として大事な 行ないであるが、それに加えて、田畑の開墾の仕方や農作物の育て方などを 伝授することができれば、当地の人びともいつか自立できる日がくるというもの である。 すなわち、人の幸せを祈願して行なうということが成り立って初めて布施といえる のである。 持戒(じかい) 持戒とは、身を慎むということである。特に、布施を行なうことによって、ややもすると 驕り高ぶってしまいそうになる気持ちを慎み、布施させていただけたそのこと自体に 感謝できる心になることが大事である、ということを説かれたのが持戒であるとも 解釈できる。 仏の教え(戒め)をよく守り、人間らしい正しい生活をすることを説かれたのが持戒 である。 忍辱(にんにく) 忍辱とは、他に対して寛容であり、どんな困難をも耐え忍ぶということである。 持戒によって、歯を食いしばって教えを守るというたんなる忍耐ということではなく、 そこに寛容さを兼ね備えることが忍辱の教えるところである。 精進(しょうじん) 精進とは、たゆまず純粋に努力することをいう。一時的な持戒、ある一時のみの 忍辱ではなく、一心不乱に継続して努力することこそが精進の本来の意味である。 禅定(ぜんじょう) 禅定とは、どんなことが起こっても迷ったり、動揺したりせず、静かな精神を保ち、 常に真理に心が定まっている状態をいう。継続して行なう精進も、常に落ち着いた 心で行なうことが大事であると説かれる。 智慧(ちえ) 智慧とは、真理を見極め、真理によって判断、処理できる能力をいい、仏教徒が 目指す最終到達点であり、仏の智慧ということである。仏教でいう智慧とは、 単なる知恵(知識)ではなく、真理を認識しているということが大前提であるとされる。 そして、この仏の智慧は、布施から禅定までの五つの徳目を修行することによって 完成されるものであると教えられている。以上の「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」が、六波羅蜜であり、人を救い世を救えるような理想的な人間になるためには、どれも欠くことのできない条件である。特に具体的なのは布施であり、できることから少しずつ実践し、仏の境地へ一歩でも近づいていこうと、仏教では教えている。http://www.alpha-net.ne.jp/users2/beach7/rokuharamitsu.htm・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・□今日が大切なんですよ毎日いじめられている亀を見ても知らんぷりしている。正月の屠蘇は自分を殺して幼心としてよみがえるには大切なんですよそして変わったかと鏡餅を見る自分を通して見た世界が大事ですねある程度本を飲んだら絶学です。自分の考えのない時に人の意見に左右されます□ほんとの幸せは何か管理職で日本の女性12%外国は30%遅れている?女性の役割をなぜ考えない(子育てが大切)何で今をいいと言えない今まで買えた鶏肉、豚肉が買えなくなった。だから景気が悪くなった。卒業とは次なるものを得るためのステップ。職業を変えたいけど母に反対される今までの物差しで考えすぎます。今年から新しい物差しで考えましょうそうすれば,子供が仕事を替わりたいというと機に非難する言葉が出ないサラリーマンになって,昔は終身雇用で定年まで働けた。パナソニック7000億で三年間赤字で2億円の借金ソニーが2300人の解雇こういう時代人生が何が好きかを問い、過去との卒業を何回もしなさい□今年は人の為に行動しよう人から必要とされなければ乞食となる人から役立つという確認が仕事を続ける条件年賀状にも書きましたが泣く、悔しさ 思うとおりにならない悲しいことで泣くのでなく恵みを苦労に置き換える考えが古くさい子供が笑ったとき相手が喜んでくれたとき,私がうれしいんですという心境が大切です私の存在が相手を喜ばすその結果自分のためになる本当に自分の存在が周囲を喜ばせる笑って泣いてどっちもあります。花咲かじいさんのようにいいじいさんも自分の中にいれば、意地悪じいさんも自分の中にいる笑う方が少し目方が重い方が善い相手のいいところを探すあなたの努力があったか。絆 日本国中でよく目にするが気の毒と思いつつもそれ以上にならないのが現実。昔は8~9人産んだ 乳児死亡が多く四割生存 東日本大震災で兄弟、父母の死、悲しさつらさを日本国中皆が体験した。人間から見た犬も犬から見た人間 きっと犬も人間も仲間だと思うと絆になるそして私の優しさを持っている仏心を引き出してくれる。
July 27, 2018
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今日は紺のシャツを着た先生又一段と若く見えます。東京から90歳の参加者Hさんが来場しました。先生家族のごとくいたわれて、自ら近寄ってほほズリする。感激の一瞬と同事にこれが礼を尽くすことと悟る。■近況報告身口意(しんくうい)に関して先日先生からお葉書をいただきました。鏡に映らぬ心の奥が観えないけれど因果の法則これは文字にはでない心の内部のこと。鏡に映らない心がいろいろ引き起こすこと。シンクウイも同じことを言っていますよ。参加者のHさんの挨拶の後、年を取ることはマイナスになったという解釈は駄目ですよという。年を取れば仕事、行動は変わる、居場所も変わる。年は与えられるものであり、変化が喜びで豊かさを持たせられる。50代のMちゃん。読書で学び反省してますが、自分の殻に入って外に出ないのは自分勝手であると教えられた。■幸せとは自分を隠したり嘘をついたりして虚構の中に私たちがいます。仏教では断食したり、座禅して、内から外に自分を出すのです。虚構から這い出して無垢から人間の本心が出るのです。能力人柄は十ヶ月の胎児からはじまる。これは小宇宙のごときものですところが母体がねたみ、恨みを持つと羊水が酸性化する現実の世界は無いものをあるように思ってしまう幸せなはずなのに幸せではないそのため、自分を全部出したくて出家する幸せは欲たりの理論足ることをしれ自分の安全を確保してなぜ他人と絆を持てるのか如是我聞 私はこう聞いたんだと御経に書いてあるかつて聖書は支配者が好きに書き換えた旧約聖書はヘブライ語 新約聖書はギリシャ語イエス自身はアラミ語を話す聞かせることが宣教で昔は本など無かった自分の心が飢え乾いている帰るところがなかったら安心できない怖いものがないのに、乳児のころ心配を押しつけられてしまう先の世のいろいろなこと悪いものを残すか良いものを残すかその接点は今日どう生きるか幸せだと続くし悩むと続かない先生丸を書く無とは、空とは何か先生丸を塗ってしまって矢印で外に出た図を書く残った丸が空であり無である・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考仏教の空(くう)とは、固定的実体もしくは「我」のないことや、実体性を欠いていることを意味する。ウィキペディア「無」には主語がありません。それが「無い」ということです。要するに仏教はこの部分に特に影響を与えていないのです。そこで、仏教思想の特徴というのは「有でもなく無でもなく、それゆえに有でも無でもあるところのもの」を定義しているということでしょう(龍樹の「中論」)。そして、この存在するとも存在しないとも言える実体、それを明らかにするのが仏教のテーマの大きなひとつと考えます。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q107313235・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私という概念が無にはない 宇宙の一部か空も我がない■ウサギとカメの出世街道亀よ兎に挑戦して勝ちなさいと教わった士農工商の制度が無くなり、もっと勉強して偉くなりなさいと文部科学省は教える。人生は油断したら駄目ですよ。苦労を教わった。出世、成功は人生では辛いものウサギさん。山で走りっこしなさい。亀は川で競争しようよ。同じく男と女とは個性があります。しかし思想が操作されていますこれからはウサギの長所である特徴と亀の長所をあわせて共生させる。自分の特徴、道徳、世間体にこだわってはいけない自分の中に嘘と虚構がいっぱいになっているこれを取ってほしい。無や空になれると自分が出てきますよ。目が開きます。聖書には飛ぶ鳥を観なさい。誰が養っているか。何を食べようと思い煩うな何を着ようかと思い煩うなと書いてある。今日一日思い煩えばいい。小さな蟻の身体にも心臓があるその蟻を踏みつける。自分の足元を見たことがない。しかし神は私に必要なものを知っているこのタオル古くなった。 使う能力がないどういう風に生かすか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考食器拭き 台ふき、雑巾として床拭き、ぼろぼろになるまで使うのが普通・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・神の義 自然の因果を求めなさい今日をよく生きる。心の思いが将来出る。過去の良い悪いはない。違いの立場だけ。だから明日のことを思い煩うな■お盆とは先祖が見守る行事お盆は何を意味するかというと死んだ人が私たちを供養する地獄極楽の境地は自分たちが決める「昼の月」金子みすゞしゃぼん玉みたいな お月さま風吹きゃ、消えそな お月さま。いまごろ どっかのお国では、砂漠をわたる 旅びとが、暗い、暗いと いってましょ。白いおひるの お月さま、なぜなぜ 行ってあげないの。自分たちが喜んで生活する悪口けんかは親孝行今日守ってもらっている親と子先祖と子供たち 一体で、これが絆です。求めて不思議な人と出会える■最後にお子さんへの色紙を見せてもらった身の丈で充分凛としろ文章と素敵な筆の絵が色紙に書いてありました。きっと後で送られるのでしょうね。先生の携帯には毎日メールでお孫さんからのメールが届きますまだ起きているのとか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考お盆の意味は仏壇参りと同じ。先祖に毎日元気に働いてますと報告するもの。それでなくても先祖はいつも心配しています。お墓参りは基本は毎日ですが、最低年4回お盆正月、彼岸には行きたいものです。私は、いつもぶらぶらと日曜日に花を持っていきます。他の仏教の道具の意味もここに紹介しておきますお盆祖先を供養する心日本では、仏教伝来以前から「御霊(魂)祭り」など、祖先の霊を迎える儀式が存在しました。推古天皇(606年)の時代、僧と尼を招き食事や様々な仏事を行う"斎会〔さいえ〕"が設けられ、この様式が現在の「お盆」の原型になったと考えられています。朝廷で始まったお盆はその後、武家・貴族・僧侶・宮廷などの上層階級で主に催され、一般庶民に広まったのは江戸時代になってからのようです。江戸時代に入り町人がある程度の財政力をもってきたため、仏壇の普及や盆提灯に使われるロウソクの大量生産とともにお盆行事が広く根付きました。元々日本人が持ち合わせていた「祖先を供養する心」とお盆行事は固く結びつき、「お盆」は今日まで受け継がれてきています。お盆の為に-家や町での準備-<家の中での行事>13日の朝、霊を迎えるための精霊棚〔しょうりょうだな(=盆棚)〕を作ります。台の上に真菰〔まこも〕で編んだゴザを敷いて、精霊棚の奥中央に先祖たちの位牌を安置します。位牌の前には、なすやきゅうりで作った牛や馬を供えます。これは先祖の霊が「きゅうりの馬」に乗って早く来てくれるように、名残惜しいので「なすの牛」に乗ってゆっくり帰るようにとの願いを込めたものといわれています。なお、近所に先祖代々のお墓がある場合、昼間にお墓の掃除とお墓参りをすませておきます。14日か15日に僧侶を招き、お経や飲食の供養をします。お供えものは、13日はお迎え団子(あんこのついたお団子)、14日はおはぎ、15日はそうめん、16日は送り団子(白い団子)と毎日変えてゆきます。<町で行う行事>14日~17日にかけては寺の境内や町の広場などで「盆踊り」が行われます。これは、精霊を迎え、慰め、そして送るための踊りであったと言われています。8月12~15日まで「連」という踊りの集団を組んで市内を練り歩く徳島県「阿波踊り」や7月中旬から9月中旬まで連日町をあげて踊る岐阜県「郡上踊り」などは全国的に有名です。また、京都を中心に行われる「地蔵盆」は、子供の守護神である「地蔵菩薩(お地蔵様)」をお祭りする儀式で、ここで紹介したお盆(盂蘭盆会)とは別の意味を持ちます。数珠は、お葬式や法事、お墓参りの時に手にする最も身近な仏具です。常にこれを持って仏さまに手を合わせれば、煩悩が消滅し、功徳を得られるといわれています。数珠は合掌する手に掛け、仏さまと心を通い合わせる大切な法具で、忘れてはならない必需品です。ですから、どの宗派でも数珠を大切にします。数珠は、持っているだけで功徳があるとされ、災いを取り除き、平穏や安らぎを得られるといわれています。
July 22, 2018
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20120912先生甚平を着て恒例の朝の挨拶を握手と言葉を交わす。受講者全員立ってお迎えしました。講演に先駆けて受講者から近況報告をしてもらいました。先駆けで私が町の中の人をみても,暗い服が多い。ぜひ明るい赤等着て気分も明るくした方がいいと気づいたと報告しました.私のビジネススーツも灰色ですねと指摘を受け,身口意になっていないことに気づく。 ある方は、お客から郵便物が届かないとクレームを受けた。本音で話す声に,気持ちよさを感じたと報告しました。先生正直は大事だけれど個人のエゴイズムは最低です。自分の感情を爆発させない方がいい。恨み辛み憎しみなどぶつけるのは人間として最低である■学びの大切さどんなところで生まれたの?どんなところで育ったの?そこには1000年の遺伝子の歴史があり,仏性 仏の心の持ち方で変わる人間とは複雑で,変化したことは人生の原則である。根っこは先祖。葉っぱは自分で見せちるもの。緑はいつかは変わる。私はこうなりたい.同類からの自分が向上を目指す。多くの人の出会いから距離感を見なくては駄目ですよ。1ヶ月に1回会うとか。楽しく生きるために学びを繰り返す最近死に際を考えます。おばあちゃんおじいちゃんが死を見せる。この死の終わり方が子供にとってどう影響を与えるか。心に残る。「死して死なず」永遠に生きている。愛に愛して信じて生きていかねばならない。過去家族をどれくらい愛したか老境に死に方でわかる。我々は未熟です謙虚さが必要です。若者はだめといってはいけない学び続けることの大切さ相談する親は自分の事を切り離すべきです「うちの孫はねー、うちの子供はねー子供が悪くて恥ずかしいあなたが置かれているのは過去の縁です何千もの縁が教育に出ている回りと同じでないと気持ち悪い実は過去の原因が今日を作っている時の流れというのもは本来因果とは現在が果なら、過去は因これが未来に流れていく例えば生活苦しい人は61%心の豊かさを求めている人は64%男性3割女性2割が未婚を望んでいる国民年金の納付率は58%と低いなぜなら、納めても将来年金が納付額以上にあたらないシステムを知っている■未来から来る恵みをえるには人口40年後には8600万人になる過去の原因なんて関係ないたとえ10分前でも永遠なんだ今日現在の因が未来に果する過去から現在未来と続く現在は未来から来る今日良きことをしようと未来から持ってこようとしている.見えないものが人生の時。心の豊かさを求めている.豊かさとは何ですか?1分考えてください物の豊かさと同じでないでしょうか。世界中の知恵の中で仏教では足ることを知ると言われています豊かな場所に今いるので比べる必要はないのです心の豊かさと物の豊かさは同じである。足ることを知りなさい足ることを知った人は物の不足を感じないつまり生活が苦しいとは過去と比べて苦しいのです。そこのドアなんと言いますか出入り口 取ることを先にする.入ったら窮屈になる金は天下の回り物から、金は天から回ってくる。金は物を買ったりして世界で250兆ドル動いている。お金があれば家買って,車買って幸せは買える?心の豊かさは買えないあなた方はお金の奴隷している金は天から回ってくるが、やることやったらですよ金(金箔)とは永遠に変わらない物だから仏像に金が貼られて永遠を表す今日何をやるかで金は天から回ってきます浦島太郎はいじめられていた亀をみて行動しました。その前におそらく何人も通っていたが誰も助けなかった。浦島太郎は1銭5厘を渡して亀をのがした。この金はおそらく貧しい中の全財産で,その日暮らしの状態の中でした。不安になるために生まれてきた嘘つくために生まれてきた今の世相を見るとそういわざる得ないここでは1銭5厘を先に出した。もし心が貧しいなら出さないそして天国の竜宮城に行った。毎日が飲めや歌えやの世界でした。私たちもぜひ無財の七施を実践しましょう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考 無財の七施http://ameblo.jp/renngyouji/entry-11166738753.html「仏説(ぶっせつ)に七種(しちしゅ)の施(ほどこ)し有り。財物(ざいもつ)を損せず大果報(だいかほう)を獲(う)る。」とあります。これは、お金をかけずして功徳(くどく)が積め、大きな果報が得られるというお布施が、七種あるということです。これを掲げてみます。一、 眼施(がんせ)これは、眼を施す、ということで、優しいまなざしで人に接し、人に暖かみを与えることです。相手に好感をもたらす「まなざし」です。諺にも「眼は心の鏡」「眼も口ほどに物を言う」とありますように、眼を見れば、その人の人間性が顕れるものである、ということです。冷たい「まなざし」より、優しい「まなざし」を心がけていくことが大切です一、 和顔施(わがんせ)これは、「柔和な顔」を施すということで、なごやかで優しい顔つきで人に接することです。顔の表現ひとつで、相手に敵意を抱かせるでしょうし、警戒心や不安を起こさせることになります。「柔和な顔」は、人に喜びや安心感を与えます。ですから、「柔和な顔」を施していくことが大切なことです。一、 言辞施(ごんじせ)これは、愛語施(あいごせ)ともいいます。字の如く、言葉のお布施です。相手と話をする時、優しい言葉や暖かみのある言葉で話していますと、相手に優しさ、思いやりが伝わり、安らぎを与えていくのだと思います。昔から、「言葉は身の文(あや)」といいますように、言葉は、その人の品格をあらわすといわれております。表面上の言葉ではなく、心からの「真実味のある言葉」が大切です。一 身施(しんせ)これは捨身施(しゃしんせ)ともいいます。自分の体を使って、他のためにさせていただくことです。諺に「実るほど頭のさがる稲穂かな」とありますように、人として人格の優れた人ほど謙虚で、決して自分を誇張して見せないものです。稲穂が実れば自然と頭が垂れてくるように、人格の優れた人ほど人に対しても頭が低いものです。その人格を磨き上げていくためにも、自分の体を使って、他のためにさせていただく「身施」は大切なことです。一、 心施(しんせ)これは、心のお布施です。人に対して「まごころ」を込めてさせていただく。「誠意」を持ってさせていただく。ということです。「心配り」とか「気配り」とかいいますが、相手を思いやっての、「心尽くし」というのは、相手を非常に暖かくして差し上げることだと、思います。心からの施し・・とても大切なことです。一、 床座施(しょうざせ)これは、相手に席・場所などを施すお布施です。例えば、電車やバスで困っている方に席を譲ったりすることです。先日、「徳を積むこと」に掲載しましたように、「徳は人にゆづりて、苦労は我に引うくるやうにする」ということですが、この「徳を人にゆづる」ことも、床座を施すことになるのです。そのための難儀・苦労は大切なことです。一、 房舎施(ぼうしゃせ)これは、雨・風を凌ぐところを人に与えることです。例えば、雨・風が強い日に、一本の傘に二人入ってたとします。その時自分は、半身濡れながらでも相手を気遣い、傘を差し掛ける思いやりのことです。自分のことは置いてでも、相手のことを思いやって行動していく、このことは大切なことです。以上、「無財の七施」を挙げましたが、全て人を思いやっていくところに、「七施」があり、そこに「功徳」があるわけですから、そこをお間違えのないように、くれぐれも「こころして」いっていただきたいものです。この「無財の七施」を自分自身が、身に付けていけば、きっと素晴らしい「徳」をそなえた「人格者」になっていけるのだと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・朝、早く起きなさいということから、言葉で相手が感動するおはようを言えるかですだいじょうかな,早くおきて食べて学校行きなさいよお母さん助かるわ。ありがとう。娘がぶん投げた衣服を親がたたんでみせるのです。子供がたたむようになるまで。子供は見てまねるものです。最初に出す。やってみせる。そしたら将来が出てきます。席を譲る.心の豊かさを出す喜びが入ってくる■昔話に見る教訓貧しい年越しでも、隣の家から餅つきの音が聞こえてきた。正月らしくていいねと喜ぶ気持ちが大切です。自分たちは餅無いけどネズミには米粒を与えて餅つきさせた。心を豊かにする.代償を求めない。貧しい生活で藁しかない。傘をあんで市場に持って行ったがあいにく市場が開いていない。道路脇の六地蔵様が頭に雪をかぶって寒そうだった。持っていた5つの傘をかぶせて尚自分の大事なタオルまでもう一つの地蔵様にかぶせた。家に帰り事情を話したら,良かった良かったと女房が褒めてくれる。その夜ドスンドスンと地蔵様が足ならししながら米や財宝を持ってきてくださった。心を出すことが心の豊かさにつながる。愛の字は心を受けると書きます。心は慈悲、恵み未来から愛を受けて実証現実かする未来から来ています今の生活は実は物が生かされていない。必要な物の何十倍の物が腐らせられていますどのくらいのものを使わないで持っていますか今に天からの逆襲が始りますよ使う能力は心の豊かさを持つと出来ますhttp://www.zabutontei.com/blog/uview.cgi?20071111012221OS0.txt曽我廼家(そがのや) えんめい?主演の 「ある男がな、海で溺れて、自分の国とまったく違う国に流れ着く。 あまりおなかが減っていたので、 食堂でトンカツをたのんで夢中で食べる。 食べ終わって、お!! 自分は財布を持っていない一文無しだと気付き、 ご主人に詫びて、配達でも皿洗いでもさせて下さい、 代金を償いますと言うと、 なーに、その必要は無い、この国は食べてもらった店がお礼にお金をさしあげる、 とのこと。 へえ、と不思議に思ったが、もらい。 宿を探して泊ると、 今度はその宿が、泊ったお礼とお金をくれる。 おかげで、どんどんお金が貯まっていって、贅沢がエスカレートしてゆく。 どこに行っても、お金をくれる。 もはや、この世の春。 で、お金なんか持ってなくてもいいや、と、 川にお金を捨てる。 すると、警察に逮捕され、死刑を宣告される。 この国では、お金を川に捨てると死刑なのだ。」 という変なハナシ。 貨幣価値について、いろんな解釈ができるブラックユーモア。 現実は人を採用する際は,求職者はなんぼもらえる?休みは?その結果成果主義導入で67.5%のひとはうつ病になり、85%の人がうつになり,お金のために働く。ほんとは誰とも比べていけない.身の丈だけでやっていくことが大切相手に対して自分ができる事をするのが働くこと。いいことしてもらったら、お金払われる。福井のデパートはテナント募集、売り店舗の看板が出てます。必要な事をやってもらい、その代償としてお金をもらう。いいコトしてあげたい。お金に使われることはない必要であることをしてあげると自然に未来から来る入ってきたらほんとは豊かと思っていけないのです。■親切親切の効用はキリスト教でも紹介されてます。1:ルカによる福音書 / 6章 27節 しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。 1:テモテへの第二の手紙 / 2章 24節 主の僕たる者は争ってはならない。だれに対しても親切であって、よく教え、よく忍び、 最後に疲れると不親切になります気をつけて休みも必要です。
July 22, 2018
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240510無尽蔵にある幸せの預かりもの心眼を磨いて感謝に満たされてください。師から有り難い言葉をいただいた。観自在菩薩にあるように観るであり見るでない。観ることは、心眼、慧眼を持ってみなさいとロボット工学森政弘先生から習ったがまさに再会した気分である。20代の自分には余裕がなかった。日々国家試験勉強の毎日。懐かしい中に師の言葉と併せて青春が呼び戻される。豹変しなさい。心眼でみなさい。本を捨て自然に学べ。自然の声を心眼で観なさい。不立文字、教外別伝。手も足も出ない自分を感じてます。黙って座って静かに自然の空気を感じましょう。今は春の臭い、おしろいのような臭いが感じられます。こうした臭いは初めて感じました。自動車での通勤を放棄して2年がたちます。雨の中、風の中を歩いていると自然のなかに生きている自分を感じます。少なくなった田んぼや畑も金沢駅の駅西を歩いていると今でもあります。■自然に感謝する音楽も目に見えない波動をだしてます私たちが生きることを与えられている時間、備わった能力で自然の花を見ても涙が出ます。能力、感謝、感性、 今日一日過ごせる幸せ豊かさ、所有感、自然から与えられたすごさ。誰がつくっているのですか?人も自分も気持ちがわからない鏡に映せば汚い自分も生かされるとわかったとき感謝が起きる。■感謝とは何か土の中はぽっかぽか地の蔵 花や実の宝庫お地蔵様 大地から恵みを出される方ですね対して天照大神、キリスト、創世から離れて人間がつくったものに変身している大地に感謝金子みすゞ 「土 」こッつん こッつん ぶたれる土は よいはたけになって よい麦生むよ。 朝からばんまで ふまれる土はよいみちになって 車を通すよ。 ぶたれぬ土は ふまれぬ土は いらない土か。 いえいえそれは 名のない草の おやどをするよ。 参考何でもない土や名のない草に目をやる優しさとすべてを認めてあげられる大きさ。誰にも笑顔で、誰にもやさしかったという彼女の詩は、あたたかい。今は大地の恵みを考える時間も気持ちもない婬邪罪 神でもないものを拝むこと感謝はなんですかどうして生まれてきた今の自分に安定があるかほんとは愛されるために生まれてきた一年365日うまれてしあわせと言う時間を感じるために生きている大地は時、命、能力を与えられている。何で自分の身を考えない。何で多忙なんだ。私たちは恵まれた条件で居るここに感謝が生まれる自分で持っているものは燃やされるそのため当てられたものを使い切って感謝すべきなんだ道具の価値を吟味すべきなんだ。ゆっくり休憩すべき比べるな頼るな求めるなあなたはもう充分に幸せである人生というものは波羅波羅波羅とは平安安心のこと虚仮とは嘘である 死んだら幸せでなく、今が幸せかを宗教はとく自分で幸せであることを念じなさい小さいことが大切ですよ笑顔、お辞儀、挨拶感謝が少ないと出来ないですね笑顔は喜びがないと作れない幸せを持っていないと笑顔がない結婚しても31%の方が離婚してます。77万の結婚の内、25.1万人の離婚男と女では役割が違います金子みすゞ 「わたしと小鳥と鈴と」わたしが両手を広げてもお空はちっとも飛べないが飛べる小鳥はわたしのように地べたを早くは走れないわたしが体をゆすってもきれいな音は出ないけれどあの鳴る鈴はわたしのようにたくさんな歌は知らないよ鈴と小鳥と それからわたしみんな違って みんないい女性は機械的に扱われている女性らしい感性を捨てている■子供の特徴を引き出すエデュケーションはかわいがること、ヒヌークとは愛すること非行した子は誰がつくった?親でしょう子供はそれぞれ違う。1科目でも優れていればそれでいい特徴を引き出す子供は愛されるために生まれてきたのです。3歳までの子供の権利が無視されていますね自分の定年退職も命令され、学校制度に任せっきりできた結果です3歳までは子供のわがままにさせて喜びなさい感謝がないなら自分の持っているものを調べなさい若者の8割が収入不安です15~29歳。それでも2割の子供が不安がない三歳まで言うことを聞いてもらった子供です断られたことがないので何でもチャレンジできる子供に育つ愛される権利を子供が持っている自然のすばらしさは太陽が沈むときの神々しさ神社を見ても感じませんね宗教は御経から学ぶべきで、僧侶や建物からではないマタイによる福音書 / 18章 12節 あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。 「ある人に息子がふたりあった。弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。 立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。息子は言った。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。・・・・」 (ルカの福音書15:11~24)。わらしべ長者 むかし、むかし、ある所に正直者ですが、運の悪い男が住んでいました。朝から晩まで、働けど働けど、貧乏で運がありませんでした。ある日のことです。男は、最後の手段として、飲まず食わずで、観音さまにお祈りしました。すると、夕方暗くなった時、観音さんが目の前に現われ、こう言いました。「あなたは、このお寺を出るとき、転がって何かをつかみます。それを持って西に行きなさい。」確かに、男は、お寺を出ようとしたとき、転がって、何かをつかみました。それは、一本のわらでした。何の役にもたたないと思いましたが、男は、わらを持って西に歩いて行きました。書いていないが貧乏で1週間も食べていなかった。観音堂のところで夢を見てぎりぎりの状態の生活であったのでしょうそうして幸せをつかんだ。神さまが愛している。1人でも迷える小羊を涙をこぼして心配している■自然主和顔施 感謝 喜びは感謝です自然の緑はきれい 心で感謝してますか大地が1年かけて作った、見えないものが見えるものを作る。感謝が精一杯だから物事に失着して自分の人生をムダにしない足下から考え、なぜ生まれてきたのか そこから感謝がうまれ 輪廻転生へと結びつくそのために1自分を見つめる2脇にいる人を大事にする■女性でなく女の復活赤ちゃんを産む特権を持つ女衆教信仰ではなく真向がただしい自然に従うだけです自然に生かされることは、ウパーヤ方弁と同じ聖書に裁くな人を裁くな裁くという権利も能力も人間にないしかし法律は荒っぽい犬は家族である家族と同じという気持ちを引き出す■教育強育 塾へいかす恐育競育共育今日育 今日教えなかったら手遅れになる興育 興味のあることを教える子供の性格は3歳までに決まってしまうこのときを大切に思うのが重要子育ては人生のやりがいに通じる■豹変する男になれそして豊かな人生を享受する60歳過ぎると断言する男になる75歳 職業はおばあちゃんという職業で、死ぬまで現職でいきなさい前回の居職十の話の内の職の話を聞きました。
July 15, 2018
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June 13, 2012いつになく教室が埋まる外は暑いのに部屋は涼しい自然にいる私たちが自然を感じない生活を行い、その報いが帰ってきます。原発にしろ、子育て。こうすればいいと教えてもらえるのは母からか。今も人生の母を求めてやまない私なのか□世俗から離れましょう 仕事に追われていませんかJRの社員が車両を運転し車掌も兼ねる仕事に追われている主婦は時間がありすぎて自分を苦しめている昔は川へ行き洗濯してました。今はスイッチ1つ押すだけ。愚者は環境を得て不善を為し、賢者は時間を得て遊歩(ゆうぶ)する遊歩(ゆうぶ)はサンスクリット語から来ている世俗から離れること参考http://kenuchka.paslog.jp/article/1065701.html「あばた」が実はサンスクリット語(梵語)起源の日本語だったと聞いて驚く。考えてみれば、「痘痕」なんてどう見ても当て字だし、音的にも日本語っぽくない。元は「アルブダ」と言って、腫瘍を意味するものらしい。仏教とともに日本に入ってきて定着した言葉は、歴史が古いだけに外来語かどうか分からなくなってしまっている。また、仏典における原義と、一般語化して本来の意味から変わってしまったものもある。「阿吽(あうん)」:梵語の「ア」と「フーン」を合わせたもので、「ア」は口を開く音を指し、「フーン」は口を閉じる音を指した。翻って、「吐く息」と「出る息」となって、「阿吽の呼吸」に至った。梵語 → 仏教語 → 相撲用語 → 一般語という珍しい流れ。「悪(あく)」:梵語の「アクシャラ」。仏教語における「悪」は世の理や仏道に反することで、将来の苦を引き起こすことを指す。和語における「悪」は、「にくらしいほど並はずれた」という意味であり、古代中国における「悪」は、「規則や命令に従わないこと」を指した。また、欧米における「悪」は、「絶対神を否定するもの」を指した。このことからも、「悪」の定義は今日なおも大きく揺らいでいることが分かる。「瓦(かわら)」:梵語の「カバーラ」。儀式で使われる杯や器を指した。後に、人間の頭蓋骨で作られた髑髏杯のこととなり、儀式で血などを入れるのに使ったとされる。織田信長が浅井長政の頭蓋骨で髑髏杯をつくって酒を飲んだ話が思い出される。神秘主義におけるカバラ思想の「カバラ」は別語源らしい。「金毘羅(こんぴら)」:梵語の「クンビーラ」。ガンジス川に棲むワニのこと。古代より水に棲む神として崇められていたという。「琴平」は金毘羅の当て字。「三昧(ざんまい)」:梵語の「サマーディ」。今でこそ「贅沢三昧」などと悪い意味でしか使われないが、本来は一つの対象に集中し、心を動かさないことを意味し、悟りの境地だった。今日の「一心不乱」とか「一意専心」に近く、今日でもヨガの階級では最高位となっている。「娑婆(しゃば)」:梵語の「サハー」。今でこそ受刑囚が「塀の向こう側」を指す言葉となってしまっているが、本来は「現世」を意味し、転じて修行僧が「下界(山の下)」を指すものとして使うようになった。「島(しま)」:梵語ではなくパーリ語の「シーマ」。今でこそヤクザの縄張りを指すが、本来は修行僧たちが修行する空間(領域)を意味した。「刹那(せつな)」:梵語の「クシャナ」。一瞬の意。正確には約75分の1秒とも言われる。数字としては、10のマイナス18乗の数を指す。現代日本語の「刹那的」は「後先考えない」ことを意味するが、仏教の原義的には「一瞬一瞬を大切にする」「瞬間を充実させる喜び」を意味する。どういう訳か仏教語は現代日本語で悪い(ネガティブな)意味で使われるようになっているものが多いことが分かる。逆に仏教語で悪い意味のものだったものが、良い意味で使われるようになってしまった単語もある。いま流行の「愛」がそれである。仏教語における「愛」は、梵語の「トゥリシュナー」の訳語。「トゥリシュナー」の原義は「喉の渇き」で、「むさぼり、執着する」といった渇望とか貪欲を意味するものだった。仏教的には、「欲望の満足するところを求める心情」を指し、愛欲とか愛執などと使い、決して良い(ポジティブな)意味ではなかった。もっとも、日本語における「愛」の起源は、仏教語の他に中国の古典における「仁愛」にも見いだすこともできるが、こちらも「大事にする」「親しむ」の意であり、今日の「愛」とは異なる。もともとは「トゥリシュナー」を「愛」と訳してしまった古代中国人が悪いのだろうが......檀那:旦那:梵語の「ダーナ」。もともとは「贈り物」の意で、転じて「お布施」となり、さらに僧が「喜捨してくれる信者」を呼ぶようになった。奈落:梵語の「ナラカ」で、そのまま「地獄」のこと。涅槃(ねはん):梵語の「ニルヴァーナ」の方言(ニヴァン、ニヴァナ?)が語源。もともとは蝋燭などの炎が吹き消された状態を意味し、転じて「生命の炎が消える死」となり、さらに仏教語として「煩悩(の炎)が消えた後の静寂」を指すようになった。馬鹿:梵語の「モーハ」で、古くは「莫迦」と記した。元の意味は「無知」「暗愚」に近い。仏教的には、無知は人々を現世で迷わせ苦しめる元凶ということになっている。仏陀:梵語の「ブッダ」。今でこそ「釈迦」の別名のように使われているが、本来は「悟りを開いた人」全般を指す。原義は「目覚めた人」。菩提:梵語の「ボーディ」。原義は「悟り」で、釈迦が悟りを開いた時に座っていた木を菩提樹と呼ぶようになったが、中国には生えていなかったこともあり、似たような木を「菩提樹」と呼ぶようになり、それが日本にも輸入された。平安時代には、「極楽浄土」の意で使われていたが、転じて「冥福」となり、今日に至っている。魔:梵語の「マーラ」で、インドの悪神の一つ。仏僧の修行を妨害する存在を指すようになった。後に、修行の邪魔となる愛欲=男性器を指す寺院の隠語(マラ)となり、今日に至っている。茉莉花(まつりか):梵語の「マッリカー」、インド原産のモクセイ科の低木。香や茶の原料として紀元前から今日に至る。夜叉(やしゃ):梵語ではないが、パーリ語の「ヤクシャ(女性形はヤクシー)」。森林に棲む神霊である【参考】『日常仏教語』 岩本裕 中公新書(1972)□自分とはなにか自分とは自然の分身自然の子小宇宙、細胞、人間の存在をつくる寝床に入る前に自分との対面をしなさい表側の自分だけしか鏡に映らない心が分身本来の自分に戻れ例えば石ころが落ちている 磨けばダイヤモンド自分もダイヤモンドですよ本心に戻って毎日生きよ時間的使われ方がわからない時間に振り回されている本心の自分ではないが仕方なく仕事に使われている命とか能力を使おうとせず人の持っているものだけを見ている幸せの字は物差しがついている□進歩とは何か大阪駅前のビル群、新幹線の高架橋人類が進歩した証拠。グローバルスタンダードに対応進歩とは仕事から解放されることではないか老後は遊歩する瀬島龍三先生からも教わったですね若者2000人のアンケートのうち80%が不安を感じている大飯原発の再稼働を野田首相が話していた人間が人間らしい生活をするために文化的暮らしをするために私は原発が必要です細野さん東電の建屋の耐用年数は40年ですよ大飯原発は今50年です日本の高温多湿が耐用年数を60年と決めているがインフラが老朽化しています道路橋など2030年には水門60%道路53%が建設後50年になる日本の建築は伊勢神宮に見られるように新しくつくるのが文化だった2060年までに190兆円かかる人間が豊かな生活、人類の進歩は何か50年後は生きていない無責任な人ばかり□宗教と税金時間どうりにやらないと怒られる女の自由な愛と平等が発現されない時間を自分のために充分使っていない仕事はハタが楽になることしかし人に何かを求めてばかりでは人生不幸につながる自然との共生税と福祉の一体化に反対する?お寺84000箇所 コンビニ45000箇所□先祖のおかげマタイによる福音書第一章から家系図か出ているが今日あるのは先祖のおかげです校正書2010年で完全生命表の完全版で男子79.55歳女子86.3歳健康寿命は男子70.42歳女子73歳男は9.22年間女は12.77年間病気で苦しむ結果になるイスラエルではこの子を先祖が期待できるように育てられるか不安と感じる夫婦が多い何十代も続く存在、家系図を知らない。先の世は今現在の状況が原因であり、教え生きること。子孫に返すことを問われている□自分という存在を見なさい人類の進歩=豊かさ、長寿、健康、苦しまない将来不安であってはならないはず2割の若者が不安でないならその人達はなぜ不安でないかを知る必要がある頼られる人間になりなさい求められる人間になりなさい比べるな。自分にご苦労さんと言えるように自分を磨きなさい昔かごに乗る人、かごをつくる人やりがい生き甲斐感謝を持てこの感謝は先祖から来ている観自在とは自分という存在をよく見なさいと言うこと生かされて生きている今日も明日も生かされている感謝以外無い積善の家に余慶あり 参考善行を重ねているような人の家庭には、自然にめでたいことが集まってくるものです。人知れず善いことを積み重ねていくよう努力することは決して無駄にはなりません。 善とは道徳、世間体は嘘。自分を飾るだけ[天網恢々疎にして漏らさず]参考"恢々"は広くてゆったりしていること。天が張っている網の目は粗いようにみえるが、その実、どんなに小さな悪事でも決して見逃すようなことはない、ということ。悪事の報いを逃れることはできない、というたとえ。原因、因果である苦労大変という原因をつくる子供先祖から続く今日の問題は先先から続きこれからも続く学校では見えないものを教えない受け身 こうしていることの感謝今ここにあるのが不思議だナーあなたの役に立たない物があるとしたら使う能力がない時に流されるな 味方であれ 朝日が起こしてくれる時に感謝仕事に使われては駄目ですよ傍楽 サンスクリット語です役割に不満を持つと感謝がないここにいる事実で感謝なのです自分で改良しない限り改善はない周辺に敵なし、風、雨、綠、道具も私のために役立つように待っている□童話が時代の流れで変わった。浦島太郎http://www.asukanet.gr.jp/tobira/urashima/urashima.htmlむかしむかし,あるところに,浦島太郎という若い漁師が母と二人で暮らしていました。ある日,浦島太郎が浜を歩いていると,子供たちが亀をいじめているのを見ました。かわいそうに思い,逃がしてやるように子供たちに言いましたが,いっこうにやめてはくれません。そこで,持っていたわずかばかりのお金を渡して亀を助けてやりました。この絵本にはなんと船に乗った浦島が絵が書かれていました小舟の船主は昔いなかった内容が時代的に変わっていきます早く起きろと言う親の躾を受けていた時代を反映しています小学校で子供を虐待していたあいつに負けるな悪いことばっかり言い続ける何で褒めない○ハラハラドキドキ音がして壊れたねX何しているのあなたたち貧乏人と思う人が貧乏人である今生かされている宝ものを6年生の子供に茶碗運びから洗いをまかしやってくれてありがとうと言うことが大事褒められる以外はものさしにならず□物語を聖書にたとえて浦島太郎は誰ですか。あなたですよこの亀は嫁、友達にたとえてみる嫁を助けられるか翌日亀が礼に来るほんとに信じている者に悪魔が来ない今日どう生きるかが大切である虫は偶然この部屋に入ったか虫が入るのは必然だったか
July 15, 2018
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□心の持ち方慈悲とか愛つまりどういう風に心が受け止めるかで幸福になるかわかる。いまの世の中こどもの考えのままに年を取った人が多い。教育に問題がある。乳児の育て方を見ても母親はいつもだめだめだめ・・・一番多いこどもへの言葉後で 嘘つくのが大事と思っている今度な 何時になっても実現しない乳児から保育園、学校へと子供を通わせているが行かなくても法律違反でない。真の教育を求めて自分で教えてもいい。休みは心身ともに休む日中光を浴びて仕事に励み寝る事が疲れなくなる不足すると不機嫌になる。これは病気の第一番目である制度が人間の自由や仕事を縛る学校でも入学して、比べられ、順番が付く文部科学省は答えを教えるところつまり教えないことにはわからないし、知っていることが全部正しいと思っている。このことがわかっている方は気をつけてください。今桜が満開です。重さなら100貫あるような感じです。全体どうして重みを把握出来ますか。幸せも同じですシリア1日75人殺されます。人類愛は教育によって生まれたので一人も夫婦愛につながらない宗教は先祖の思いが私の中に生きている。心が思うことを決める教育も決める。何が悪いか、損か得かは心が決める損して得取れとはうそですよ友達に頼むとカツ丼、後で1200円後でおごるから500円のラーメン食べさせて。これは誰が決めたか。出来なかったら恩知らず。自分で裁かれます。裁く心が自分に損を与えます。心が不幸を決める。桜の根を見なさい。大地の恵みを思いなさい。土の中は暖かくて楽しいな毎年桜が咲くね世の中は三日見ぬ間の桜かな意 味: 三日見ないうちに散ってしまう桜のように、世の中の移り変わりが激しいこと。 この根っこを見て人生を学べないか思いが結果するつまり根っこがやっているのは心の働きと同じ誰も認めない内容。桜は時期が来れば咲く。自然に包まれている。何で自然を征服できるの神が大地を作り人を作りなのに現世ではセメントの柱が新幹線を支えるそして自然破壊子育ては私です。先祖の心が生きてます。法律、学校の奴隷にいつなったら「今日の自分にご苦労様がいえるか」衣食住足りて礼節を知る心が満足しない 自分の中の先祖が満足しない人様用語で考え自分用語で考えてないため夢希望ビジョン上ばかり見ている平均寿命86歳。この肉体に喜びを与え根っこが土に帰り自然が喜ぶ□衣食住足りて礼節を知る衣 化繊は石油で出来ている黒板に点をつけるとおよそ3億個の原子がある。その中に電子があるが、その電子さえクォークをピンポン球にたとえると電子は月の大きさである。御経は死んだ人の為でなく、生きる人への教え衆教 大衆に本当のことを教えること(造語)問題は時間が解決する 女性の見方問題に白黒つける 男性の見方この世は嘘と女の誘惑出家とは出世間(社会)出世は偉くなることと考えられがちだが、本来欲を捨てること。白陰禅士悟りなば 坊主になるな魚食へ 地獄へ行って鬼に負けるな 世間の苦しみを経験しろ僧侶は麻、綿、絹しか着無かった化繊は静電気が付くのでアースして放電しないと駄目である医源病 医者が原因で病気をつくる絆 血のつながりが基本であった江戸時代は1部落平均150人。7から8所帯で構成する大家族。村八部のうち8部が助け合いとなる参考地域の生活における十の共同行為のうち、葬式の世話(死体を放置すると腐臭が漂う、また伝染病の原因となるため。また死ねば全てを許されると言う思想の現れとも)と火事の消火活動(延焼を防ぐため)という、放置すると他の人間に迷惑のかかる場合(二分)以外の一切の交流を絶つこと(残り八分は成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行)。ウィキペディア障子家の中は寒くとも、冬は着込めば過ごせるので夏の高温多湿対策に障子を使う家の中を一時的に遮るセメントの家 砂漠対策。寒さ対策の家生活保護は働けばお金に不自由することはない個室 小人環境を得て不義となす人に対する気遣いがない更に夜は部屋のチリやゴミが降りてきて呼吸で口から吸収する幼老一定 年取ったから死ぬことはない□衣食住から医飾従医 遺伝子組み換え食品は15から20年後に身体に影響を与える飾 優先順位が違う。夫が熱でうなされたら、まずは化粧して109番に通報する従 朝昼晩の自然のリズムに従うこと。天候に従うこと良寛和尚はこうおっしゃっています。 災難にあうときは 災難にあうがよろしく 死ぬ時節には 死ぬがよろしく候(そうろう) これはこれ災難を逃れる妙法にて候・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考 さからって無理をしない、風のごとく水のごとく生きた 良寛和尚のおっしゃりそうな味わいのある言葉です。 雨の降る 日は哀れなり 良寛坊 炊くだけは 風が持ち来る 落ち葉かな 自分を隠したり、飾ったりすることもなく、自然の恵みの なかで生かされていることをただ感謝して、風のごとく 水のごとく生き、嬉しいときは笑い、悲しいときは泣いて 生きた良寛和尚です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・良寛辞世の句うらを見せ 表を見せて 散る紅葉 ボタンを押して言うことを聞くのは自然界にはないしかし普段使っている掃除機、洗濯機はボタン一つで言うことを聞くが、子供は無理ですよ。□居職十居 居場所を確保しなさい職 十 往生十楽のこと往生十楽とは大文第一 厭離穢土--地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天人の六道を説く。大文第二 欣求浄土--極楽浄土に生れる十楽を説く。大文第三 極楽証拠--極楽往生の証拠を書く。大文第四 正修念仏--浄土往生の道を明らかにする。大文第五 助念方法--念仏修行の方法論。大文第六 別時念仏--臨終の念仏を説く。大文第七 念仏利益--念仏を唱えることによる功徳。大文第八 念仏証拠--念仏を唱えることによる善業。大文第九 往生諸行--念仏の包容性。大文第十 問答料簡--何よりも勝れているのが念仏であると説く。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考1厭離穢土 (おんりえど、えんりえど)とは、浄土教の用語。欣求浄土と対句で使われることが多いこの娑婆世界を「穢れた国土」(穢国)として、それを厭い離れるという意味であり、阿弥陀如来の極楽世界は清浄な国土であるから、そこへの往生を切望するという意味。2『維摩経』には「その心浄きに随って、すなわち仏土浄し」といい、また『心地観経』には「心清浄なるが故に世界清浄なり、心雑穢(ぞうえ)なるが故に世界雑穢なり」とあるように、世間の清浄であることは心による。すなわち、国土の浄不浄はそこに住む人の心によって決定づけられる。そこで、真実の浄土は仏の住居する処であり、成仏せんがために精進する菩薩の国土である。この点で、浄土は仏土である。しかし浄土は仏土であるが仏土は必ず浄土ではない。仏の教化対象の世界も仏土であるから、凡夫の世界も仏国でありうる。よって、仏国とは仏の住まいし、また教化する世界のすべてをいうから、浄土は成仏を目標とする菩薩の世界である。このような浄土について種々に説かれる。それらの中でも阿弥陀仏の西方極楽浄土は有名だが、この外に阿?仏(あしゅくぶつ)の東方妙喜世界、薬師仏の東方浄瑠璃世界、釈迦牟尼仏の無勝荘厳国など知られている。その意味で、浄土という語は一般名詞であり、固有名詞ではない。浄土は何のためにあるのかといえば、仏自らが法楽を受用するためと共に、人々をその国に引接して化益をほどこし、さとりを開かせるためである。雑穢の世界は成仏への修行の妨げである。そこで、諸仏は修行が容易であるように、人々を浄土に引接して化益する。この意味で、浄土とは仏の自利・利他の二利満足の場である。3極楽証拠 大文第三に、極楽証拠を明かせば、二つある。一つには十方浄土に対する。二つには兜率天に対する。・極楽証拠―対十方初めに、十方浄土に対するとは。 問う。十方に浄土があるのに、どうして、ただ阿弥陀浄土だけに生まれようと願うのか。 答える。天台大師が云う。「多くの経典、論書は、ただひとえに阿弥陀仏を念じ、西方の極楽世界を求めさせてある。《無量寿経》・《観無量寿経》・《往生論》などの数十部の経典、論書の文に、教え示し、西方浄土に往生することを勧められている。こういうわけであるから、ひたすら西方を念ずるのである。」天台大師は、一切の経、論を、およそ十五回繰り返し読まれた。だからその述べられることは信じないわけにはいかないのである。迦才師(かざい)の《浄土論》三巻には、十二の経と七つの論を根本にしている。一つには無量寿経、二つには観無量寿経、三つには阿弥陀経、四つには鼓音声経(くおんじょうきょう)、五つには称揚諸仏功徳経(しょうようしょぶつくどくきょう)、六つには発覚浄心経(ほっかくじょうしんきょう)、七つには大集経(だいじっきょう)、八つには十往生経、九つには薬師経、十には般舟三昧経、十一には大阿弥陀経、十二には無量清浄平等覚経である。論では、一つには往生論、二つには起信論、三つには十住毘婆沙論、四つには一切経の中の弥陀偈、五つには宝性論、六つには龍樹の十二礼偈、七つには摂大乗論の弥陀偈である。更に、わたくしに加えていう。法華経 の薬王品、四十華厳経 の普賢願、目連所問経、三千仏名経、無字宝篋経(むじほうきょうきょう)、千手陀羅尼経、十一面経、不空羂索神変真言経、如意輪陀羅尼経、随求陀羅尼経、尊勝陀羅尼経、無垢浄光大陀羅尼経、光明真言、阿弥陀大呪など諸々の顕教や密教の中に、極楽を勧めることは、数えきれぬほどである。それゆえ、ひとえに西方浄土を願い求めるのである。 問う。釈迦如来、曰く。「仏たちの浄土には、実に差別がない。」と、仰せられる。それなのに、なぜ釈迦如来はひとえに西方浄土を讃えるのであるか。 答える。十方随願往生経に、仏がこの疑問を解いて仰せられる。「娑婆世界の人間は、貪りなどの心が多く、信に向かう者は少なく、邪法を習う者は多く、正法を信じない。真理へ一心になることができないから、心が乱れ、志がない。浄土に差別がないけれども、人々の心をひと筋に定めさせようとされるのである。それゆえ、かの浄土を讃嘆するのである。往生を願う人々は、すべてその願いのままに果を得ないものはない。」 また、《心地観経》に説かれている。「仏弟子たちよ、至心に一仏および一菩薩を見たいと求めるがよい。このようなことを、迷いの世を離れる教えと名づける。」と、ある。このゆえに、もっぱら一つの仏国のみを求めさせるのである。 問う。その心をひと筋じにさせるためというのなら、どうして、多くの浄土の中で、ただ阿弥陀浄土を勧めるのであるか。 答える。たとえ他の浄土を勧めても、やはりこの疑問は残るであろう。仏の想いは、測り知れない。ただ仰いで信ずべきである。たとえば、愚かな人が炎の穴に落ち、自分の力では出ることができない場合、善知識(善き導く人)が一つの方法でこれを救おうとすれば、愚かな人は、それに力を得て、努めてすみやかに、ここを出る。何の暇(ひま)をもって、あれこれと他の方法を議論することがあろうか。行者もこれと同じで、他の思いを起こしてはならぬ。目連所問経に説かれているとおりである。「たとえば、長い川に漂う流木が、前のものは後のものを見ず、後のものは前のものを見ず、すべて大海に流れ込むようなものである。世間もまたそのとおりで、地位高く、財産があり、また歓楽の自由自在なものでも生老病死を免れることはできない。どのようなものでも、仏教を信じなかったならば、後の世に人間と生まれても、さらに一層、悩み、苦しむ身となり、仏の国土に生まれることが得られない。それゆえ、我、説く。〈無量寿仏の国は往きやすいのに、人々はこれを行じず、往生することができない。反対に九十五種の邪道につかえている〉と。こういう人を、眼のない人、耳のない人と名づける。」《阿弥陀経》に説かれている。「我、この利益を知るゆえに、これを説く。もし信ずるものがあるならば、まさに、願いを発して、かの浄土に生まれる。」このように仏の教えはありがたい。ただ仰いで信ずるべきである。まして、阿弥陀仏とは縁がないわけでもない。なぜ、これを拒むことがあろうか。天台大師の《十疑論》にいうとおりである。「阿弥陀仏には、大慈悲の四十八願があり衆生を導きたまう。また、かの仏の光明は、遍く十方世界の念仏の衆生を照らし、摂め取って捨てることはない。十方にある諸々の仏は、妙なる舌をもってその響き、音声で三千世界を覆い、一切の衆生が、阿弥陀仏を念じ、仏の大悲の本願力に乗じて、極楽世界に生まれることを得るのである。」また《無量寿経》に仰せられる。「{末法の後、仏法が滅した時、この経を百年、世に留めて、人々を導き、かの国土に生れさせよう}と説かれてある。ゆえに、阿弥陀仏と、この世界の極悪の衆生とは、とりわけ因縁があることが知られる。」と、ある。 慈恩大師、曰く。「末法一万年には、ほかの経法はことごとく無く、阿弥陀仏の教えのみ、人々を利益する。時を経て末法一万年後には、すべての経は無くなるが、釈尊の御恩は重くて、この教えを留めてくれること百年なり。」 懐感禅師、曰く。「*般舟三昧経に説いてある。跋陀和菩薩(ばつだわぼさつ)が、釈迦牟尼仏にお願いして、{未来の衆生は、どのようにして十方の諸仏を見たてまつることができましょうか}と。そこで仏が、答える。{阿弥陀仏を念じたならば、十方一切の諸仏を見たてまつる。}と。阿弥陀仏は、とりわけ娑婆の衆生と縁があるので、まずこの仏を専心に称念すれば、この三昧が成就しやすいのである。」*般舟三昧(はんじゅざんまい)―常に仏が現前する。 また観音と勢至の二菩薩は、この娑婆世界で菩薩の行を修めて、かの極楽国に生まれたのである。過去からの因縁があるのだから、どうして阿弥陀仏の教えが我ら衆生に相応しくないといえるのか。 極楽証拠―対兜率(たいとそつ) 二つに、兜率天に対する、というのは、次のようである。 問う。玄奘三蔵が云う。「西方(インド)の出家者も在家者も、弥勒菩薩のおられる兜率天に生まれる行業を修めている。兜率天はこの世界と同じように欲界で、その行は成就し易いからである。大乗・小乗の諸師たちは、みな兜率天に往生することを認めている。阿弥陀仏の浄土は、おそらく汚れた凡夫では、行が成就し難いであろう。昔の経典、論書によれば、*七地以上の菩薩が、それぞれの程度に応じて阿弥陀仏の浄土を見るとある。新しい経、論によれば、*三地の菩薩が浄土を見ることができるとある。どうして、低い凡夫が、浄土に往生することができようか。」天竺(てんじく、インド)でさえも、すでにこのとおりである。今、どうして阿弥陀浄土を勧めるのか。*七地―菩薩が修行して得られる境地。七地は、全ての執着心を取り、その光で四 方を照らす。*三地―あらゆるものは無相、空(くう)であると観じ、大慈大悲の心を起す。 答える。どこの地であっても、顕教・密教の教えの道理は同じである。わたしが、今まで説いてきた証拠は、すでに多い。どうして仏教の明白な文に背いて、天竺の風潮(ふうちょう)に従うのか。まして、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の無常院には、病人を西方に向け、阿弥陀仏の浄土に往く想いを起こさせたというではないか。その詳細は、後の臨終の行儀のところに述べるとおりである。明らかに知るべきである。仏の想い、ひとえに極楽を勧めることにある。西域(インド地方)の諸々の人々も、どうしてこれに背くであろうか。また懐感禅師(えかんぜんじ)の《群疑論》(ぐんぎろん)には、極楽と兜率とについて、次のような十二の優劣を述べている。一つには、教えの主が仏であり、兜率天は菩薩である。二つには、浄土と穢土のちがい。三つには、女人の有る無し。四つには、寿命の長い短い。五つには、内院(弥勒ぼさつの住処)・外院(天人の住処)の有る無し。兜率天の内院は退かぬが外院は退くことがある。西方浄土には内、外がなく、すべて退くことはない。六つには、五衰の有る無し。(五衰―死ぬ前の相。天道を参照)七つには、相好(そうごう、仏の優れた姿)の有る無し。八つには、五神通の有る無し。九つには、不善心の起こる起こらない。十には、滅罪の多い少ない。たとえば、弥勒菩薩の名を称えると千二百劫の罪を除くが、阿弥陀仏の名を称えると八十億劫の罪を滅ぼす。十一には、苦を受けることの有る無し。十二には、生を受けるときの相違。兜率天では、男女の膝下や懐の中に生まれるが、西方浄土では、蓮華の内、宮殿の中に生まれるのである。兜率、西方の優劣は、このようであるけれども、ともに仏が勧め、讃えているのであるから、たがいに是非を論じ、非難しあってはならない。と、懐感禅師(えかんぜんじ)は述べている。慈恩大師は十の相違を立てている。前の八つは、懐感禅師が立てた説を出ていないから、繰り返して引用しない。その第九にいう。「西方浄土は、仏が行者の所に来迎(らいごう)したまうが、兜率天は、そうではない。」しかし、懐感禅師は「来迎は同じ」という。慈恩大師の第十にいう。「西方浄土については、経典、論書ともに、勧めるものが極めて多いけれども、兜率天については多くない。」 また、懐感禅師は、往生の難易について、十五の同じ意見と、八つの違う意見を述べている。その八つの違う意見は次のとおりである。「一つには、本願の異。阿弥陀仏には引接の願(いんじょうのがん、衆生を救い導く)があるけれども、弥勒菩薩にはそのような願はない。願のないのは、自分の力で泳いで水を渡るようであり、願のあるのは、舟に乗って水に遊ぶようである。二つには、光明の異。阿弥陀仏の光明は念仏の人々を照らし、摂め取り捨てることはないが、弥勒菩薩にはない。光に照らされるのは真昼の遊びのようであり、光のないのは闇夜の散歩に似ている。三つには、守護の異。数限りない仏の化身や観音、大勢至などの菩薩が、いつも行者の所に来ているのである。また《称讃浄土経》に、十方の無量の数ある諸仏が護ってくれる。と、あり、また《十往生経》に、仏は二十五菩薩をつかわせて、いつも行者を守護する。と、ある。が、兜率天では、それがない。守護があるのは、大勢の人と、ともに遊び、強盗が迫ってきても恐れないようなものである。守護がないのは、ただ一人で険しい道を旅して、乱暴者に犯されるのに似ている。四つには、*舒舌(じょぜつ)の異。十方の仏がたは舌をさしのべて真理の真実を証明しているけれども、兜率には、それがない。*舒舌―仏の妙なる舌は長く、真理を証明する。五つには、衆聖の異。華聚菩薩(けじゅぼさつ)、山海慧菩薩(さんかいえぼさつ)が広大な願を発して、{もし一人でも西方浄土に生まれることが済まぬうちに、我は、仏の悟りを取らない。}と述べられたことである。六つには、滅罪の多少。これは前にあげたとおりである。七つには、重い罪悪についての異。五逆罪を犯したものも西方浄土に往生することができるけれども、兜率についてはそうではない。八つには、経説の異。《無量寿経》に、{六道の悪処を断ち切り、悪処は自然に閉ざされ、仏道に進むこと、きわまりがない。浄土へは往生しやすいのに、往生する人は少ない}と、あるが、兜率については、そうではない。十五の同じ意見からいっても、浄土へは往生し難いと説くべきではない。まして、異の意見には八つもある。それでも、浄土へは往生し難いと説いていいのだろうか。諸々の仏道を学ぶ者よ。道理と教えを求め、どちらの道が易しいか、難しいかをよく見分け、その迷いを取り除くべきである。」と、ある。 問う。前の玄奘三蔵の伝える、三地以上の菩薩が往生というのは、どうなのか。 答える。西域(インド地方)の行法は、よくわからないが、今、試みに解釈を施してみよう。西域の行者は、小乗(自己を磨く)を学ぶ者が多い。伝えるところに依ると、「十五の地方は大乗(多くを救う)を学び、十五の地方は大乗と小乗とをあわせて学び、四十一の地方は小乗を学ぶ。」ということである。兜率天に往くことは、大乗も小乗も共にこれを認めるが、他の浄土に往生することは、大乗では認めても、小乗では認めない。兜率天は大乗も小乗も共に認めるので、兜率に生まれることを伝えているのではないか。砂漠(タクラマカン)から東の地方は、大乗仏教が盛んであり、西域の諸々の修行と同じにしてはならない。まして、多くの教えの興隆(こうりゅう)は、なにも一時代というわけではない。とりわけ、念仏の教えは、末法の時代、仏教がなくなった後でも、罪に穢れた衆生を多く利益するものである。考えてみると、玄奘三蔵の時代、西域ではまだ念仏の教えは盛んでなかったのであろうか。そうでなければ、玄奘三蔵の高弟である慈恩大師が、どうして特別に《西方要決》を著作し、十の優劣を立てて自他のために、阿弥陀浄土への往生を勧めるのか。 問う。《心地観経》に説かれている。「我、今、弟子を弥勒に託す。龍華会(りゅうげかい、弥勒菩薩の説法)において、解脱(悟り)を得る。」と、あり、この経から、釈迦如来は兜率天を勧めてるではないか。 答える。この経文があっても、相違することはない。誰とて《弥勒上生経》・《心地観経》などの二、三の経文を否定はしない。けれども、極楽を勧める文が、多くの経典にあることには及ばない。また、《大悲経》の第三巻に説かれている。「将来の末世に法がなくなろうとするとき、修行者がいて、仏の教えにより出家した者が、子供の手をひき、一緒に遊び、酒屋から酒屋へと行き、仏の教えに入りながらも、悪行をするであろう。ただ身分は沙門(出家修行者)となりながら沙門の行を汚し、しかも、自ら沙門と言い、姿、形は沙門のよそおいをして、身に袈裟(けさ、僧の服)を着るであろう。そういうものでも、弥勒に随い最後の盧遮那仏(るしゃなぶつ)に至り、それらの沙門たちは、次第に般涅槃(はつねはん、完全な悟り)に入り、一人も残るものはないであろう。なぜなら、このようなすべての沙門の中で、わずか一度でも仏名を称え、信じたその功徳は、虚しくなることはないからである。」と、ある。《心地観経》の意味も、この《大悲経》と同じことである。それゆえ、かの《心地観経》には、龍華会(りゅうげかい、弥勒菩薩の説法)とは言っても、兜率とは言わないのである。今、これを考えてみると、釈尊の入滅(この世から離れた)より弥勒菩薩の出世(この世に出る)まで、五十七億六千年も間隔がある。(新婆沙論による)その間、輪廻、迷いを続ける苦しみはどれほどであろうか。どうして臨終において、すぐさま蓮台に乗り往生することを願わないのか。なぜ、悠々と生死の世界に留まり、龍華会を待つことがあろうか。まして、阿弥陀浄土に生まれれば、昼夜、思いのままに兜率天の宮殿に往き、龍華会の際には、第一の聴衆となる。まさに、富貴になって故郷に帰るようなものである。誰かこのことを願わないものがあろうか。もし、別の因縁があるならば、西方以外の浄土を願うのもよかろう。各自の望みに従うべきである。誤った執着をおこしてはならぬ。ゆえに、懐感法師、曰く。「兜率を求める者は西方の行者を非難してはならぬ。西方浄土に往生しようと願う者は、兜率天に生まれる修行を悪くいってはならぬ。それぞれ自分の性分に随い、気持ちに任せて修学すべきである。お互いに是非を論じてはならない。そんなことでは、優れた世界に生まれないだけではなく、さらに三界にて、迷いの海に没し、廻ることになる。」と、ある。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
July 1, 2018
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教えを受けても狭い自分の言葉にしか置き換えられない自分を感じます。もう1寸成長すれば回りが見通せることが出来ますが、それでも多くの受講者の要望でメモを取る決意をしました。盲蛇に怖じずです。X悩みが無くなる○悩みでなくなるをもって成長があるのです親の価値観でこどもを育ててはだめこどもが悩んでいるとき助けてあげられるか子育ての大切さは人生の大事さに通じます心が面白くない世の中から人生を味わうように育てる自力とは煩悩を捨てて見える空。他力とは自然に生かされている多くの政治家が神社に参拝されますが1:マタイによる福音書 / 6章 1節 にはこう書いてあります 自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。 伊勢神宮には鏡が飾ってありますが鏡には嘘つきは映らなく、表しか映らない心は神の鏡で映ります。正月の鏡餅も心を写すために飾る。因果律人口減で物作り危機、社会保障破綻、世代間格差増大しています。そんななんか自分が絶対だと権利主張しても意味がない聖書では最初に神ありき日本は高天原で八百万神が降臨しています次なる世代に対してどういう役割をしなければ行けないのか親という字 立ち木を見るの意味だが木を自分たちの代では切らない孫が生活のために切るときまで取っておく次世代のためにどう責任を持つかが大切母さんが夜なべをして手袋編んでくれた・・・弁当を作ってくれた母こうして手間暇掛けて育てないと人の心を理解する人にはなれない高校生が授業中60%居眠りをしています。必要とされる人格作りにはまだほど遠い現状です毒母(ブスボ)こどもの言うことを聞かない母高きにありておごらず低きにありて卑下せず断られたことがない事が幸せに通ず人から慕われるとき幸せを感じます人を裁くな。自分で自分を裁くことになる裁くと思っただけですでに自分の身に結果として変化が現れる。身口意(シンクウイ)に出てきます行動 話 心のことだからこどもをほめなさいやめないで続けなさい悲しいかな人間は人を裁く。月の1日でも念じて人を裁かない行動しなさい
June 16, 2018
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ワンダフルイブニング コンブーです。脳天気なコンブーですので、恥も顧みず村上太賀治先生に講義メモをお送りしました。予想どおりの葉書が届きました千聖不伝万古不伝不立文字 教外別伝不識どうぞ我流を発揮してください(以上)調べました。コンブーはこれでも純情な性格ですから。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「千聖不伝」どんな聖人でも悟り、真実を他の人に伝えることが出来ないとしています。参考 向上一路千聖不伝 〔向上の一路 千聖(しょう)不伝(ふでん)〕=ただ一すじの絶対の真実は、何千人 の仏祖の力を借りても伝えられない。坐禅によって自ら知るより他は無い。(曹山録))万古不伝いつまでも伝わらない?不立文字 教外別伝法(真理)とは、万物は法によって生かされておるところのものであるから、経典などによって説かれた言葉に真理があるのではなく、今、この自分が生かされているということを自覚すること。不識「しらぬ」ということではなく、「ただ頭の中で考えたり、本で学んだ知識などでおしはかれるものではない。あらゆる偏った見方、考え方を捨てて、仏様に身も心も預けて、仏様とともにその教えに生きるとき、初めて真理と自分とがひとつになり、悟りがひらけて、自分も仏様になれるのだ」多くの記事を参考にさせていただきました。ただ感謝です。初めていただいた葉書は、教えたくても教えられないこのつらさを感じさせる内容でした。よく聖書を読んだとか仏教書を読んだとかで,いかにもものがわかったと気持ちが陥りますが,実際はこの葉書に書いてあるとおり何もわかっていないのです。ゲーテだったと思いますが海の砂をひらってあたかも自然界を知っていると悟る人がいますが,今目の前にある海やずーと続く砂浜の存在を知らない。だから自然の前では身を低くして謙虚に教えを請うしかない。そんな内容をドイツ語のリーダーで読んだことがあります。参考終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・先生がみた東京タワーからの眺めはすさまじい高層ビルの群れが見えます。その光景でなんと40年後には多くの産業廃棄物を作ってしまったとそう話されたことを思い出します。私たちは考えが浅いのです。後世に残した物は不燃物の山、産業廃棄物の山を作ってしまったのです。人間が考える知識なんてものは実にあやふやな世界の知識なのです。日々謙虚に、自然の中から学ぶ生活をしましょう。
June 16, 2018
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January 14, 2012初めて村上太賀治先生の講義を去年5月にお聞きしました。事前知識がないので事例一つ一つが難解で毎回同じことを聞いている人にはすんなり理解できるだろうが、私には全体をどうまとめていいのか不明でありました。今回4回目の講義をお聞きして今最初の講義をまとめることで,少しは話の行間が埋まればと思い半年後に文章にしています。環境から感受性がどう受け取れるかそれには心がけて園児の心に戻って欲しい常識道徳は世間体から来るものです。本を読んでも真理はわからない文部科学省は表面を教えているのみ金は喜びの人に回ってくるしかしお金で不幸になる人が多い土の上 土は重いだろうなと考えてますか今日1日命が与えられています。 感謝しないではいられません。赤ちゃんは10ヶ月のち生まれる母のフェロモンの臭いで安心します貧乏 貧相な考え豊かな人 よし別の道でいこうと考えられる人天国で誰がえらい?幼子でなければ天国に入れないマタイ18章に書いてあります天国とは心の場所境地幼児は3歳以下をさします。しかし義務教育を行うと個性が否定される個性は育て方のこと自然の法則に従う育て方が大事自然の意志と自分の意志の共鳴するところを学ぶ6日間で神は土を持って人間を作られた自然に従わないまたは神様に従わないと 天罰がきます自然に優しくしましょう自然から優しくされている人間子供のわがままを実現してあげたいそのために他の子と比較しないお母さんが子供の存在に対して肯定がない信じること見えないものを観ることの大事さ愛の労力を惜しまない人間個性が大事ですよしかし幼児までの教育は恐育である経験が性格になる小学校に入って競育行儀悪いとは行動派。誰にも一律な義務教育ですおおらかな個性も大切ですよ個性がないと力が発揮する場がないところが高校大学で教育知っている者が知らないものに教えているが、虚構にすぎないたとえば微生物の固まりが土である微生物が空気中に呼吸しています時間を喜ばせ必要とされる勉強が大事ですすべて(時間・金・・・・・)が喜ぶように教育は経験を教えてはいけない喜びと豊かさを教えものだ。
June 7, 2018
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November 4, 2011ワンダフルイブニング コンブーです午前中は富山の越中大門で村上太賀治先生の講演を受けていました。これから厳しい時代だから,社会から自分を自由にして行きなさい。私たちはお金に左右されたり,子供など家族、会社に頼ったりしてはだめ従来の奴隷状態から解放してくださいつまり求めてもいけない。頼ってもいけない。比べてみてもいけないそれに比べ鳥とか花は明日の準備をしていない。今を生きています。束縛のない状態で自分がまず幸せに感じなさいそうすれば回りにもいい影響を与えますどこから来てどこへ行くのという質問をを毎回お話ししています私も質問したのですが本をどんどん読む秘訣はと問いましたら習学 人の受け売りの状態究学 学門を極める絶学 自然から学ぶ 今の私は絶学がたいせつということです。本やテレビから情報を読むなということですそうすれば自然の中から教えられますお金は天から回ってくる金は天下に配るもの最後に先生の言葉人生は生かされている天意往生輪廻転生天地往古の人生を楽しむ明日から何をしましょうかテレビも見ませんので毎日オペラ三昧ですね。本を読まなくなったらどんな自分が待ち受けているでしょう。耳鳴りはしない。めまいはしないお金やギリシャの破綻など社会に関心がないから自然,太陽、空、花、鳥に注意が行きます。別の人生で面白いかもしれません。今も自動車社会に抵抗して放棄したのですから,情報社会にも反抗できます。どれだけの弊害が出るかわかりませんが,少なくともニュースやテレビを見ていれば現在の生活情報だけは手に入ります。花は紅、緑の柳もっと自由に束縛のない良き人生を送りましょう。
June 5, 2018
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December 21, 2011ワンダフルイブニング コンブーです年末も押し迫りました。クリスマスには,ケーキを食べてイエス様の誕生日を祝うのが普通ですよね。ところがクリスマスとはキリスト信者が集まって12月の寒い中、マス(集会やミサ)をひらいとことから始まるそうです。ではクリスマスはキリストの誕生日は嘘になるのですね。サンタクロースもさよなら。それが現実というものです。聖書にも誕生日は書いてません。さて人間に出来なくても神に出来ないことはない。神は偉いは、西洋思想から出た思想。対する日本は、八百万の神を信じている国。自然崇拝仏教でも空を教えている空とは無いといわれているが、ほんとは充ち満ちている色とは現象色即是空 空即是色 空不異色 色不異空どんじんち貧瞋痴 どん欲 いかり ぐち これが三途の川のことを言うのですよ。西洋も東洋も人事を尽くしても及ばない世界が現存する。それなのにわかったふりを日本の教育は教えています。文部科学省は表しか見せない教育をしています。教科書は自然法則の1部。見えないところが大切ですよ自然から学ぶしかない。裏を見せて表を見せて散る紅葉 良寛一念弥陀仏滅無量罪 一心に命を計って多い罪を減らすように願うだから人事を尽くして天命を知るではだめ天命を尽くして人事を待ってこそ人災のない世の中が築けます。お話終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ドラッカーも学んだ後アンラーニングを薦めています。予想を超えた計り知れないことを想定しています。今回も良い学びでした。ところで多くの本から読んでもだめなら、今まで買ったこの本をどう処分したものか。悩みます。
June 4, 2018
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今暗闇にいることを感じなさい村上太賀治先生勉強会January 13, 2012今年はとくにあけましておめでとうとはいいずらい多くの災難がありました。それ以外にもなぜなら私たちは今暗闇の中にいるのです。原因は個人主義個人尊重 自己宣伝、自己主張・・・・・・・光明の中に入りましょうたとえば雪の上を歩くと暖かいのです。信じないとわからない。信じるとは100%。1%欠いてもだめです。それが出来ないのは子供の時から信じてはいけないと教えられている極地に追い込まれている108つの煩悩を除夜の鐘で1人で打つと消えるのです。そうした状態であけてお屠蘇を飲むのです。親鸞は仏を信じるとすべての煩悩をとると教えています。皆さんは生かされていることを知っています。損とか得とかでまだ来ていない未来を悩む信じるはまだ来ていないものを見ること四苦八苦が暗黒の原因生かされている人には四苦八苦がない四苦生老病死・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八苦愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離する苦しみ怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会う苦しみ求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られない苦しみ五蘊盛苦(ごうんじょうく) - あらゆる精神的な苦しみの四つを合わせて八苦と呼ぶ。四苦八苦の五蘊盛苦(心身から生じる苦しみ)とはどういう苦しみなのでしょうか?五蘊(色・受・想・行・識)が絡んだ苦しみなのでしょうが、「五蘊盛苦」についてお話します。「観自在菩薩が深般若波羅蜜多を行ずる時、五蘊は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したもう」これは般若心経の最初の言葉です。「観音さまが深い修行に入られ五蘊は皆空だと悟られたときに一切の苦厄から解放された」という意味です。般若心経の主旨が初めに示されている言葉ですが、同時にこれは仏教の基本理念でもあるのです。「五蘊は皆空なり」と悟ってこそ一切の苦しみから解放されるというのです。では五蘊とは何でしょう。「蘊」(うん)とは「たくわえ」とか「集まり」とかの意味です。仏教では世界は五つの集まりで成り立っていると考えるのです。その五つの集まりが、色・受・想・行・識なのです。「色」とは物質的存在という意味です。形あるものの全てです。あとの「受・想・行・識」は「心」の世界を意味します。「受」は、感覚とか知覚などの感受作用を意味します。暑いとか寒いとか、旨いとかまずいとかの五感による感覚です。「想」は、「受」で受けたものを心の中でイメージすることです。「行」は、イメージを意志に移行させることです。「識」は、判断することです。般若心経はこの五蘊がすべて「空」であると説いています。この世の一切は物体という「色」と心である「受・想・行・識」で成り立っており、その全ての実体は「空」であるというのです。それを悟ってこそ「一切苦厄」を「度」せるのであり、本当の安楽が得られるというのです。ではなぜ、「空」を悟ることが救いになるのでしょうか。人の苦しみ悩みのもとになるのは、まず「肉体」にあると考えられます。肉体は物質ですから諸行無常の道理に従って常に変化しています。病気や老化が無縁な人などいません。肉体の変化による悩みや苦しみは必ずやってきます。これは人としての宿命です。人にとって病気や老化による悩みや苦しみはほんとうに辛いものです。それと同じようにあるのが心からくる悩みや苦しみです。そのすべては渇愛によるものです。それが、嫉妬、憎悪、貪欲を引き起こすのです。その苦しみ悩みのすべては「受・想・行・識」の中で生まれるのです。だとすると、人間生きている以上様々な苦しみから逃れることなどできないわけです。その通りなのです。これこそ人間の人間たる宿命なのです。ただし、その現実のなかでお釈迦さまはそれでも救われる道を発見されたのです。それが、「行深般若波羅蜜多」での「悟り」なのです。その内容が明示されているのが般若心経であり、その主旨は「五蘊は皆空なり」と悟ることであるのです。五蘊が空であることをしっかり理解できれば、苦そのものの実体などどこにも無いということがわかるのです。 一切が空である以上そこには「苦」など存在しないということです。お釈迦さまは人生は全て苦であるが、その四苦八苦つまり「五蘊盛苦」から救われるには「五蘊皆空」と悟ることにこそあると説かれたのです。そのためにはただただ「般若波羅蜜多」を「修行」することです。これが唯一救われる「法」なのです。解説終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・高校は入れる学力の高校でいいので,無理していい高校に行く必要はないうちの子は出来ないは比べるからで,比べてはいけない貧乏人とはもっとほしがる人のこと1日2食にしてがまんすればいい。よくかむこと。自然の恵みが感じられる他のために生きる。他は私のために生きている病院は診る 聞きながら診察視る 今はこれだけしかしていません観る (心で観る)裏表のない かくれた物がないこと先生次の言葉をホワイトボードに書かれたじねん-ほうに【自然法爾】意味浄土真宗で、自力をすて、如来にょらいの絶対他力にまかせきること。人為を捨て、ありのままにまかせること。▽仏教語。「自然」はおのずからそうであること。「法爾」はそれ自身の法則にのっとって、そのようになっていること。「法爾自然ほうにじねん」ともいう。http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E7%88%BE/m0u/いんが‐りつ〔イングワ‐〕【因果律】 哲学で、すべての事象は、必ずある原因によって起こり、原因なしには何ごとも起こらないという原理。参考いつも鏡餅を飾るのはなぜですか。意味を知っていますか。そう問われて誰も答えれない。鏡は自分を映す物。そのようにこのもちに自分の気持ちをうつすとか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<鏡餅のお話>そもそも鏡餅とは?歴史をひもといてみると、そもそも鏡餅とは神様と人を仲介するものであり、1年間の幸せを願う「晴れの日」に神前に捧げた餅をみんなで分け合って食べることで、神様からの祝福を受けようという信仰・文化の名残りなのです。つまり、鏡餅は神様にお供えしてからいただく尊い餅。「お供え」が鏡餅の別名となっているのはこうしたことに由来しています。 では、なぜ重ねた餅を鏡餅と呼ぶようになったのでしょうか。 ひとつには、丸い餅の形が昔の銅鏡に似ていることから。古来から、鏡は神様が宿るところとされていました。また、鏡餅の「鏡」は「鑑みる(かんがみる)」。つまり良い手本や規範に照らして考えるという意味の言葉にあやかり、「かんがみもち」とよぶ音がしだいに変化して鏡餅になったのだとも言われています。 さらに、鏡餅の丸い形は家庭円満を表し、重ねた姿には1年をめでたく重ねるという意味もあるそうです。 鏡餅の起源は、はっきりとした記録はありませんが、元禄年間のものといわれる書に、丸餅と角餅を重ねた絵が残されており、この頃ではないかといわれています。 いずれにせよ、祈りと1年無事であったことを感謝する気持ちを込めて飾る行為は、非常に歴史のある日本人固有の文化なのです。 http://www5b.biglobe.ne.jp/~okasiya/okazarimoti.htmお屠蘇は、一年の健康長寿を願う薬酒 新年を寿ぐ祝いの膳に、おせち料理やお雑煮、お屠蘇がかかせません。料理とともにお屠蘇がつきものです。「屠蘇」とは、「悪鬼を屠り、死者を蘇らせる」という意味があり、正式には「屠蘇延命散」、または「屠蘇散」といい、十種類近くの生薬を合わせたものです。この生薬を、日本酒やみりんに浸して、成分を抽出したものを飲みます。お屠蘇は、中国の唐の時代に日本にも伝えられ、平安時代、嵯峨天皇の弘仁年間に宮中のお正月の儀式として、四方拝の後にお屠蘇を飲むようになったと言われています。時代がくだって一般庶民の間にも広まり、正月三が日や祝い事の日に、疫病邪気を払い、長寿幸福を得る儀式として広まりました。昔は、各家庭で生薬を調合し赤い三角の袋に入れ、大晦日から井戸に吊しておき、元旦の朝にお酒にしばらく浸して飲んでいたそうですが、明治以後は、薬種屋で売られるようになり、また飲みやすいように、お酒の代わりに甘味のあるみりんも使われるようになったそうです。お屠蘇に使われる生薬の働きお屠蘇に処方される生薬は、絶対にこのブレンドという決まりはなく、種類に違いはあるようですが、だいたい白朮(びゃくじゅつ)、防風 (ぼうふう)、桔梗 (ききょう)、陳皮(ちんぴ)、桂皮(けいひ)山椒(さんしょう)、大黄(だいおう)などが使われ、人や地域によってもさまざまの違いがあります。<!--[endif]--> お屠蘇の効能は、当然その調合されている生薬によって異なりますが、おおむね健胃、吐き気止め、利尿、抗菌、咳止め、風邪予防、血液浄化、発汗促進、下痢止めなどと言われています。健胃薬や、初期の風邪にも効くことから風邪予防の薬としても飲まれてたそうです。寒い時期、また普段より食べ過ぎ、飲み過ぎにもなりやすいお正月に、ごちそうとあわせて飲むのは、単なる儀式だけでなく、健康のためにも理にかなったものいえますね。解説終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
June 3, 2018
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放送大学「紙風船」に投稿した記事です。エンジェルとともに開業山代薫 古代より八百の神の日本は私たちの心の支えであった。大晦日お寺に除夜の鐘をたたいて一年の感謝を祈り、年が明けて神社に今年一年の幸運を占う。日本的行事はメッカより多い世界一の宗教行事だがそれでどれだけの人が救われたかはなはだ疑問である。 多くの人は年を取ると退職の道を進む。身も心も若い人には負けないのに社会が烙印を押す。金沢に住む佐藤純一は旅行代理店を定年退職後役員ゆえに3年間独立開業をしませんと契約した手前、3年間は毎日無職でいた。とりあえず金沢で世界に誇るものは何かを調べた。北陸新聞の雑誌の記事も退職後初日で図書館て調べものした。毎度さんにも聞き「日本にある古いものは金沢にもあるが金沢だけとなると」それでも無料の県民大学校大学院で大学准教授指導を仰いで論文に書いたのが高山右近だった。3年間は旅行でおすすめの場所を講演もして、小説も発表して人生30年の勤務年数の10分の一は休むことになったが、勤め人当時は土日祝日もなく働く佐藤にはこれで普通の休暇があたった勘定になる。 当の本人はいたって呑気。口一つあれば定年後何とか仕事になると思っていたが、実際家族で旅行先のアドバイスとなると、客観的なものが欲しかった。それは数値で評価したものが欲しかった。「いつも本を買うネットの本屋さんアフリカのように旅行もすべて評価できないか」それが独立開業の基本理念になった。海外旅行はスペシャルの5、山中温泉なら4、地元の観光地回りは3、動物園は大人としての遊び場なら2、暇つぶしの路面バスに乗るだけなどは1とした。というぐわいに3以上が合格として評価されるとわかりやすくていいのにと思った。さらに注文はバスの中でも講義が聞けたり司会者が漫才師ならいいな。パワースポットも1つは回りたいし。そんなウェブのサイトも作るとみんなが助かるのに。ないなら一つ作ろうかと4年目にして開業の道を進めだした。自宅ではマンションで人が訪れにくいのでどう考えても店がいる。不動産屋さんを回ると意外にない。「ここは5万円でもいいよ」現地は工場の隣り合わせで前は幹線道路。どんな物件でも紹介される。試しに市内を自転車で走ると空き店舗があった。電話すると契約済みで、募集看板がまだ撤去されない物件だった。探し出して3か月。神にもすがるような思いで昔占ったタロットカードを探したがない。かみさんが捨てた。 それではアフリカで100円のタロットカードを注文した。1円より100倍ご利益がありますようにこれでも奮発した。箱には対象年齢10歳から100歳まで。絵本作家が書いたカードだった。当たるも八卦当たらぬも八卦と店の場所は住まいから南の方。寺町台方面とでた。ネットで実際のタロットカードの占いはどんなんだろうと調べるとフローズンユリがいっぱい占いしていた。彼女の講演を初めから聞くと、占いはアカシックレコード(人生の書)を思い浮かべて相手の未来を見ながら占いしているという。しかも誰でも宇宙につながる。(そういえば中村天風先生も瞑想で宇宙とつながっていたと言われているが、ほんとかな) アカシックレコードという本を買ってきてその通りに占ってみた。夜自宅の机の前に座り目をつぶって瞑想を試みたが、もやもや光の帯が目の前に現れるだけで何もわからない。2度目はファミリーレストランで試みた。目をつぶり、背筋を伸ばしておしりから地球の中心に向かって稲妻が突き抜ける。おおと思ったら。「高校生が10人入ってきて部活の話をしだしたらもう気が落ち着かなくなった。3度目に図書館に行き自習室で瞑想してみた。地球の中心に届いたと思った瞬間身体が地球から離れて星の間を流れる。チュウブみたいな中を多くの星が流れ、最初は白く輝いていたがやがて青色帯びてある星の洞窟の前に来た。丸い岩がふさがって祈ると隙間ができて光が漏れてくる。一歩一歩中に進むと、突然階段が下に通じた一つづつゆっくり下りてゆくと部屋に椅子があって。周りには何も見えない。座って「私の開業する店はどこですか」急に両手を広げた中に大きな本を見た。表面は光が輝いて画像も何も見えなかったが、突然視界が開けた。そこは寺町台から犀川を渡って兼六園のある小立野台が見えた。その景色を私が右端で立っていた。 初めて見る景色に気でもおかしくなったか、戻れるのかと振り向くと階段が見えて慌てて上がり扉を開けると、目の前には本とノートが置いてある自習室に戻った。今の景色は何だろう。 フローズンユリの番組を見るとタロットカードからエンジェルの描かれたオラクルカードにすぐ移行して占いをしていた。売りビルの広告を見て、収入が生まれそうな物件、例えばアパートの一室に店を作れる大道に面した物件が欲しかった。担当者と現地で待ち合わせて見せてもらった。外観は3階建てながら鉄骨を覆う外壁がはがれている。1階まで雨漏りしている。2階3階は、畳や壁が雨漏りでびちょびちょ。築40年の物件だから土地値よりビルを壊す費用を差し引いて売りに出ていた。それで屋上に上がった時フェンス越しに見る景色がかつて見た小立野台の景色とよく似ていた。このビルはエンジェルの導きで見に来たことになる。その場で買う決心がついた。 エンジェルそばにいますよという4という数字は記念すべき数字であった。旅行代理店は縁起を担ぐので4とか9はあまり使わないような業界だったがあえて買った自動車のナンバーは444を選んだ。電話は〇44444〇と、5つも4が並ぶ。あまりの幸運に喜んだ。人が旅をしたいときはきっかけが必要だ。ヨン様に会いたい。うまいものが食べたい。エンジェルに会えますよというのもなかなか面白い。大々的に宣伝もしてみたいがエンジェルの中身は実は天使のほか、デビルもいれば先祖の霊や、高山右近などの聖者もいて日本の八百の神そっくりなのだ。これで物語が作れる。 さて開業したが社名はどうしたことかと悩んだ。黒黒禅さんの講演からスマートの法則を知り、スマートツーリストという名前を付けた。あとはチラシを作って商売しなきゃ。 チラシによると、日本一の食文化金沢の魅力ルビーロマン1粒4万能登のてまり1個17万(シイタケ)を鑑賞して牡蛎や香箱ガニのツアー募集。日本でこれ以上ない食材探し。15種の加賀野菜も堪能できます。興奮度5 男ツアーコンダクターが女装して皆様を興奮と笑いの渦にご招待。宿泊先は日本一の能登屋でそれでも笑えなかった人は全額ご返金。興奮度4 日帰り旅行ながら最高の教授陣で皆様を最高学府に。外人向け高山右近の聖地巡礼の旅。宿泊はBNAホテルで2次会も能の鑑賞会付き。なおこの企画は生涯学習の一環としてプログラムが認められて10単位が終了時もらえます。 農協の主催なら即席48を作りコンパニオン集団で接客。全館貸し切りにしてくつろげる笑いの渦。かくし芸は参加者に即興劇を演じてもらいます。なお出演者には宿泊券を贈呈します。 佐藤純一の夢は一つ一つ実現へと向かった。
June 3, 2018
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160315そうだったのか中国 池上彰中国の事情がよくわかる。私は香港に投資をしている。それで中国経済も見逃せない重要事項だ。金額はわずかでもニュースに強くなったりする いい方法かもしれない。 若者たちの反日意識は、実は中国共産党が育成したものだった。1950年代中国は日本軍の侵略でちゅうごく国民の死傷者は1000万人経済的損失は600億ドルと算定していました。1985年には1800万人1000億ドル1995年には3500万人6000億ドルとと訂正しました。親日的な立場をとると政治的に危険であるという常識が確立された1956年農民の9割が高級合作社になりました本来のチベットは中国全体の4分の1を占める1986年野党民主進歩党の存在を初めて黙認 台湾。台湾民主国の設立宣言時日本軍は弾圧し、14000人の住民が殺害された。1902年終結まで1万人戦死処刑になった。国民党が来た時2週間で28000人殺害された。200万人が中国から流れて来た。台湾住民の10%にあたる。1952年台湾と日華平和条約結ぶ1979~2006年中国への日本の無償優勝技術援助は3兆円。特区では10%外資の子会社を認めた1970年初め出生率5.8.現在1.8人。大学進学率2004年19%に。新生児の男女比は118.58中国高齢者1億人1989天安門事件死者319人。負傷者9000人農民は人口の6割2007年中国の砂漠化は18%を占める1979年ベトナムに人民解放軍20万人侵攻2007年私有財産を認める。物権法成立土地使用権70年期限後も使用保障。
March 14, 2016
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高橋源一郎さん、の講演を昨日聴きました。お昼の和田竜さんの講演はブログで詳しく書かれているのでき書きませんが、 石川県保険医協会 第42回定期総会 記念講演○講師紹介 高橋 源一郎 氏1951年生まれ。作家、明治学院大学国際学部教授。81年『さようなら、ギャングたち』で第4回群像新人長編小説賞優秀作、88年『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞、2002年『日本文学盛衰史』で第13回伊東整文学賞、12年『さよならクリストファー・ロビン』で第48回谷崎潤一郎賞を受賞。こう書かないとこの講演は漫談者の評価で終わってしまう演台はいらない。なぜなら会場を動き回り板書しない。座ると原稿が書けない。土日は競馬の予想をしている。それで競馬が買ったかどうか気にかかる。すべての話が民主主義に通じる。腰痛を整形外科医に診てもらったが治らない。ところが腰痛は一瞬で治る。人間はどちらか一方にねじれている。反対に動けば治る。その時思いつく言葉でしゃべらないと発見がない。運を天に任す。大学は在籍8年で満期除籍になったので高卒です。授業は5回しか出ていないが単位は88単位とった。今は大学の教授となり原稿表現法を教えている。大学生は頭堅い。ところが年をとるにつれて柔らかくなる。子供が5人いて43,42,15、10,9、小学校の入学式に校長が日の丸の方を向かないで演台の後ろに向かってお辞儀する。おかしなことを見ても誰も不思議と思わないように教育するのが今の教育だ。小学校の生徒に「ようこそ先輩」の授業として、うそ日記を書いてもらった。40人中39人までは素晴らしい。1人は読書家でだめだ。中学に入るとだめになってしまう。大学の授業を始めて黙っていたら誰も不思議に思わない。30分後それを指摘した。明治の時小学校と大学を創ったが、中学校高校を創らなかった。大学は指導者を創るために小学校は農業から工業発展のための工員づくりをした。アメリカでもロックフェラーや、フォードが初期教育を作り上げた。工場の作業と休みに合わせて学校の授業時間もそれに倣った。最初に理屈があるわけがない。現場で学ぶしかない。アトピーは昭和の初期はなかった。たんぱく質をうまく吸収できないために起こる。離乳食は2年ごにあたえるとWHOは警告するが日本は1年後を奨励している。儲かるのは離乳食メーカー。子供の授業にもスピードが速いことに気がつく。20分授業後試験。まるでブロイラーの飼育だ。現在「子供の村学園」福井など日本に4カ所ある。そこに子供をあづけているクラスがない。試験がない先生と生徒の区別がない教えない1~6年までを一緒にする。プロジェクトごとに集まって例えば1年間演劇をさせる。いじめがない。その時に国語を教える。木工のプロジェクトの時は数学を教える。毎週水曜の集会は小1も校長もお互い尊重して協力し合う。もめごとが残らない。認知症は過去の思い出にふける幸せな時だ。母にも姉にも会え昔住んでいた場所にいける。ところが現実は職員が少ないので食事は無理に口の中に押し込み、夜老人を縛っている。それで普通に入った人はみんな車いすになる。それに比べてしっかり食事に時間をかけて食べてもらう。そうすると車いすから歩くようになる。ある施設は徘徊自由。人気殺到順番待ち。タクローとして1000カ所ある。文学の世界では死んだ人がいい文章を書いている。岩波やドストエフスキ。現在の小説は生きた人が書いた小説ばかりだ。子供はどこへいっても勉強できるが経験させ承諾併せのむ親はジーと見つめる抱きしめる議論することが大事、好きにやることみんな分かれば納得できる。それで分かり合える。
February 28, 2016
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FB仲間が見て感動した本を読んでみた。魔法のうち12番目の最終回の課題を自分は作ってFBで公開していたことになる。参考となることが多い。人間関係の改善にも役立つ。ドラマ仕立てでよくわかる。営業でただ客に会って来いといわれた部下が、参考にすべき本であろう。マナー研修が行われているが、ほんとはクロージング(契約)につながる技術の取得が大切だ。もと勤めていた建材会社の上司も駆け出しのころ契約の場面に立ち会わせてもらったという。多かれ少なかれ誰でも人間交渉力は必要なものだ。待つ方は待たせる方の3倍時間だ。1営業に必要な力集中力会話力渦潮力(うずしお) 相手を自分の流れに引き込む2間じっとわたしを見ているときはなし目線をはずしたときはなす目線が戻って来た時話す間によって人は選択と決断を繰り返す間が選択と決断を繰り返し頭が整理され大きな結論を導く3売らない営業人間の人間力を高めなければちっぽけな視界で終わってしまう営業とはお客様の問題を解決するお手伝いをする職業です解決するアドバイスを求めているだけでなく自分を理解してくださる人を求めています客は興味のないこと気づいていないことに対して拒絶するともに成長して感動を共有する使命を担っているありがとうは自分への報酬4既成概念を乗り越える自分の行動の後におこる現象を想像する人は自分がイメージした以上のことはできない自分で創った自分の限界は破り続けなければならない既成概念は弱気な心のアドバイサー朝の大切さ (夜の効率比較して3倍はある)5応酬話法とは相手がこたえやすいように話を進める正しく使うこと、損得で使わない相手の考えや意見を尊重したうえで自分の考えを伝える納得していただく会話相手の不安を取り除く普段考えていることが言葉になる正しい心を心でしっかり相手の話を聴くこと6,5分という時間は30分の了解と同じ休日は家にいて過ごすか外へ出歩くかどちらが多いですか。二者択一話法そうすると聞かれた以上のことをしゃべる黙っていることは聞き上手ではない今週と来週でしたら時間に余裕があるのはどちらでしょうか相手がイメージしやすい引例を使用する大きなグループから的を絞る7、イエス・バット客の言葉を肯定するバットはお客様に言ってもらう質問することがイエスバットの極意何故お客様は購入してくださるのか、何故お客様のノーを消さなければならないのか営業職の使命を全うするやり方でなく在り方を大切にする8、質問話法人間にはその人がなりたいと思うようになる性質がある笑顔お客様の本心を導き出す技術です「本当のところはどうなんでしょう」究極の技術一度白旗を上げるまねること。まねることは盗むこと。盗むには気づいて普段からアンテナを張っておく。本心を教えて頂いた時から徹底的にその解決に集中する。9、類推話法「道」がつくものにすべて形があります営業の形は「聴く、観る、伝える」形は盗むもの守は師匠を真似ること破はその技術を発展させること一流に触れ感性を磨く営業の三要素 顧客の質 契約到達時間 目標到達意欲一つ一つのたとえ話を交えて伝えたいことを話す明日を信じろ頭のもやもやはすぐ片づける「なりたい」と思うのでなく、「なる」と決意するトップになることは目標でしかない。目標をクリアした先に目的がある。目標を決意した瞬間に9割達成される。10、クロージングのスイッチは「もし仮に」にある握手をしながら言葉を交わす11、肯定暗示法 言い切る技術X教えて頂けませんか○教えてくださいアポがいっぱい取れる人はクルージングをきちんとかけられる先義後利購入を前提に結論に持っていく基本関係は20ポイントとした場合、60ポイントで客紹介につながる60日以上連絡を取っていない顧客と営業マンの距離は15ポイント以下12ポジティブシンキング明確なビジョンのもとで、それに向かって思考を集中し、断固たる勇気を持って行動する12番の魔法を手にしたものは必ず成功する。参考ビジョンは、わくわくする夢のもとにある。さらなる解決策は戦略戦術にあると自分で考えている。Aシニアフリーターのわずかなお金の収入源を作りたい これが夢でビジョンはシニアに現金収入の仕事を紹介できればいいな引きこもりの人にネットで仕事を配信できるネットワークがあればいいな履歴書代わりに自分の過去の実績を紹介した電子書籍(自分ブランド)求人ではなく仕事依頼をシニアにできるシステム仕事別請負人のリスト化の公開以下自分の公開した夢とビジョンです。B経費がやすくなる方法を伝えたいネットでのオクションの利用定価の調査の仕方家族葬、海外結婚、会員制結婚の仕方Cシニアの尊厳と活用シニアの居場所提供に、公民館、町の喫茶店の利用を考える各種講座を低料金で学習できる講師に参加者に応じた講師料の支払い貧困者への朝食の無料配布D会員同士の学習の案内歴史の勉強会調理の実習困りごと相談所各有資格者の無料相談パソコンで友達づくり
February 24, 2016
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カラマーゾフの兄弟は世界最高文学の一つに数えられるが、その根底がよくわからない。今回の賭博者は、中編ながらよくロシア文学のドフトエフスキーの主題がよく書かれている。日本の文学は私小説の域を出ないが、ロシア文学は大地をみる思いがする。小説は謎かけになっており、もやもやが生じ、もやもやを解ける前提で書いてある。小説はどちらかというと滅茶苦茶だが、ロシア的である。お金で恋愛にケリをつける。そのことを問題にして展開している。戯画的にステレオタイプに作ってある。自分(アレクセイ)はポーリンの奴隷だ。ゴミみたいな存在が上層を相手にする。この間の落差を表現する。つまり崇高なもの下卑たもの卑俗なものを書く。カラマーゾフの兄弟にも言える。支配的なヨーロッパに比べてロシア的表現。つまり勤労と無茶苦茶。ポリーナがアレクセイにお金を預けるのが謎だが。ロシア人は多面に天然だ。それに比べヨーロッパ人は形式が備わっている。毎日きちんとした生活。 恋愛に関してもロシア人は滅茶苦茶ヨーロッパは秩序がある。中沢新一「経済と愛」から経済は人間の欲望を満たすもので経済理論が成り立つ。近代経済の数量経済つまり利益を最大化して合理化で利益をさらに生む。性的欲求はカッコイイとお金持ちの対比でかんがえる。カラマーゾフの兄弟神はいるかが書かれ、お金と恋愛を中心に起こっている。19世紀後半産業はロシア社会が産業革命で変動期、エカテリーナ2世女帝、産業の拡充で上向き。ロシアの農奴制度で経済を不活性化であった。産業革命は安い労働力を要求し、辺境の植民地に需要を求める。再販農奴制反近代の方向に行く。原料国のロシアは強い振りしていながら分裂している。アレクサンド2世、1855年大改革で農奴制の解放。自給自足の生活から解放で賃銀消費を促進。 国があらかじめ貴族に奴隷の土地代金のお金を与え、農奴の土地をローンで返済する。そこで多くの貴族の富裕層が形成されヨーロッパの温泉地に出向く。しかし、ヨーロッパ最大の債務国のロシアは鉄道敷設で経済のバブルを迎えながら不安定に動く。こうした折ドストエフスキーも兄と一緒にたばこ会社、雑誌会社を経営し破産に追い込まれる。ロシア文学ではよく遺産が出てくる。事実プーシキン、トルストイは遺産が入ってくるまた結婚は金を得る手段でもあった。アレクセイが2回目のルーレットで勝った金は10万フローリン3.3億円。農奴の1年間の現金収入は3.5万円だから数100億円の価値があることになる。モラルエコノミー お歳暮など贈与交換マーケットエコノミー 交換可能経済市場交換短期交換に比べ贈与交換は繊細なやり取り物や金を得ることは得で普通であるが、贈与交換の場合損な場合がある。文化人類学でインディアンが最終的にこれ以上物をあげられないとわかると、自宅のもらったものを焼く。同じく愛蔵と贈与が補完的な関係になってゆく。ポリーナが市場交換でドクリエより高く買われた。2万から2.5万フローリンにアレクセイが渡した。再度中沢新一先生から市場交換と贈与さらに新たに純粋贈与(自然の恵み)がある。人格に対して負債を感じることはいらない。破壊することによってのみ自分がすべてを差し出すことを表現できる。お金を突っ返されたアレクセイは不快感解消のため、ポーリンのお金はブランジェが豪遊に使って初めてアレクセイの純粋贈与を証明できた。
November 30, 2015
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出席者 嶋田(室生犀星記念館)穴倉(泉鏡花記念館)藪田由梨(徳田秋声記念館)レフリー蔀際子先生開口一番、私の大好きな藪田さんから秋声のアッピールが始まった。藪田中原中也の学芸員から移ってきたので秋声文学の作品に戸惑った.わからないあまりに日常的だ。「折鞄」の小説で妻が脳溢血で倒れるシーンを読んで死生観で目覚めました。秋声のちょっとした指のささくれのような気になる部分(窓の外を見る行為など)に目を奪われてしまう。秋声は自分から求めていかないと理解できない。感性が磨かれ読み手に全部判断を任している。穴倉 大学の研究からこの道に入りました.大学時代の指導教官が熱心な鏡花研究者で、引かれてこの道に入りました。文学とは非日常の世界に連れて行ってくれる。その最高峰は鏡花です。言葉の組み合わせから見せられる感動がある。嶋田学芸員して13年になります。犀星の生命力が売りです。ペン1つで身を立てて学歴環境なし。北陸の作家はそういえば自殺しないんです。言葉が新しく作り出される。蔀 テーマ 来館客の実体とイメージの違いを感じないか藪田秋声は女性を書かせれば神様と言われたと、小学生に話したら「なんだ女好きか」小説「あらくれ」お島さんに対して厳しい書き方をしている。冷笑の対象。特別なイベントより普段の日常の生活を好む。穴倉鏡花の文字から女流作家と思っている人が多い。実生活がおどろおどろしている。30代後半に病気してそれから、ばい菌を気にしている。ヘンタイと思われているが私たちと変わらない。嶋田ふるさとは遠くにありて思うもの。このイメージから金沢嫌いと思われているが、ほんとは三文豪きっての金沢好き。晩年は自作の作品を作り替えている。「犀川」美しき川は流れたりなど。しかし最初の詩は手が一切入っていない。蔀 テーマ文学に志したきっかけは嶋田文学をやっていなかったらろくでもない人になっていただろう。人生斜に見て、青年放浪時代がある。裁判所も退職している。金沢は周りに俳句、文学を自然にやっていた。講談ものの絵が好きで一時期美術学校に入りたかった。穴倉江戸時代の草双紙が好きで、その影響は母が江戸生まれであった。子供の頃から物語に触れていた。紅葉「二人比丘尼 色懺悔」を読んで作家を志す。藪田四高時代文学雑誌が出ている環境にいた。犀川大橋で先輩から小説家になればいい。といわれて背中を押される蔀 テーマ作品数は穴倉明治25年からデビュー。鏡花は300~400作品、全集物では28巻。これだけ開きがあるのは作品の数え方がその1その2と細かく数えると大きく変わるとか藪田明治30年から昭和18年まで全集42巻600作品。徳田家の方から教えられた数は2000以上はあるだろう嶋田40年間で作品詩2000随筆2000俳句2000小説800蔀 テーマ作品の朗読をしてください。穴倉「春昼・春昼後刻」 色っぽい話だった。藪田「黒い幕」 秋声の妻のお母さんが亡くなった日嶋田「つくしこいしの歌」 犀星、桜橋でのプロポーズシーン蔀 テーマ作家の人間部分を教えて穴倉潔癖症、お刺身、だいこんおろし、アンパンなど煮て食べた関東大震災時缶詰を求めてハエが飛んでいたので買わなかった。「露宿」に詳しく書いてある。流言などはハエのように言い捨てる。藪田震災時金沢で結婚式だった。「不安の中に」で書かれている。作品と秋声自身の生活の区別が難しい非常時にシュミレーションすることが苦手だった。無精な性格。嶋田秋声と反対にまめだった。震災時朝子さんが生まれて4日目。神田病院に入院中だったが.車を雇って迎に行く。蔀 テーマ作家同士のつながりは犀星秋声は非常に仲がいい。庭作りのアドバイスを犀星に聞く犀星鏡花 数回の面会鏡花秋声 紅葉先生の死を小説に書いてそれから手紙のやりとりがない。鏡花の弟が秋声のアパートで亡くなったのを機会に和解というより大人の関係を持つ。感想 3人の性格が全く違って面白い文学解説になりました。穴倉さんは中心に座っていましたがボス的存在。藪田さんは機関銃のような解説で頭脳明晰。嶋田さんは長年の貫禄で詩犀川をその場で読んで晩年の変更箇所を解説していました。口数は多くはないけれど細やかな性格。その作家の学芸員は作品と人物も研究するので、作家と性格が似る。藪田さんは内面的に私生活も日常の出来事以外を敬遠し、穴倉さんは山姥のように奇怪な人格に変わり、嶋田さんは犀星の描く金沢の母のような暖かさに変わるのでしょう。今回は先生も含め全員女性。金沢文芸館長出雲さんも女性。文学の世界は女性進出が盛ん。まさに秋声作品「あらくれ」の女の独立して生活する世界が今金沢でも展開する。
August 30, 2015
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夏の暑い日が続きます。地元ではあばれ祭りなどキリコ祭りが能登の各地で開催されています。キリコ祭りの風景、金沢市内の観光スポットを恋愛小説に仕立てた本を出版する運びとなりました。ぜひ買っていただければ幸いです。
July 20, 2015
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会場は金沢文芸館。20人のメンバーは中学性2人高校生1人大人が多く年配者は1人だった。私は中学性の女の子の横に座った。ノートはさすが綺麗なサインペンで大事なことを囲ってあった。何を書いたらいいかわからない人がほとんど。4回出席で自分の短編小説をみんなと合わせて本にしてくださる。小説とは何か。人間を描くこと。良い短編諸説を書くにはいい小説を読むこと。芥川龍之介 少々難しすぎます夏目漱石 若いこと嫌いな作家だったが、晩年好きになりました。志賀直哉 小僧の神様心打つ、テクニック有り、引き込まれる、文章力がいい作家は永井龍男三浦哲朗書き出しで惹きつける川端康成 ての小説チェーホフヘミングウェイフラナリーオコナーアリスマンローレイモンドカーバー 村上春樹が好きな作家フォークナー「エミリーにバラを」メリメ「マテオファルコネ」宮本輝「魂が震えるとき」中高生に人生3回読んでください中学高校時代30歳50歳プロになりたい、ずっと小説書きたい人に文章まねてください。これは誰の小説かわかるようにしてください。地元で活躍している団体。月1000円程度の費用負担です。雪嶺文学桜坂北陸文学題材は人の中に入って探すエッセイは感動したもの、小説は心の中を覗いて描写する私小説は9割以上の作家は幼年期屈折しています明るい人は国語が苦手です。それは私です。何で苦しまなければ生けないのと悩む人は文章力があります。短編小説でエピソードや事件は出来るだけ少なくし深く掘り下げる。場所は大幅に移動しない単一主人公の視点で通す登場人物を多くしない。4人まで世界文学は宗教観が入っていますね。
May 12, 2015
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公開された図書館の本からひもとく。京都造形芸術大学の美術の勉強の成果である。日本人の鋭い感性は,四季のある日本の自然環境がはぐくんだ自然主義的な人間観に帰する。琳派は,安土桃山から江戸時代を経て明治に至る三百年以上に渉って続いた日本の装飾美術の結晶ともいえる日本美の粋や数奇といったダンディズムやカッコよさなどは、日本人特有の細やかな情緒性と自然観が最もよく現れっているのが琳派と浮世絵である。日本の伝統色と呼ばれる色は自然をもした色が多く、西洋の伝統的色彩より当然のことながら遙かに色数も豊富です。住居の間取りや障子襖のような端正な定型の中にも自然の形を見てみると,丸、三角、四角の形を取り入れようと自然素材を生かし,加工しないままの美しさを見せるように心がけ、ひずんで曲がった形の床柱、欄間にはめ込んだ不規則な自然の形の装飾から,いびつな茶碗や花入れまで好んで選びました。西洋人は自然はあくまで人間の支配の元にあり自然は征服されるべき対象であり、美の対象はあくまで崇高な人物像。人間主体美学を持っていました。琳派が誕生する土壌作りを作り上げる大きな契機となったのは狩野派の台頭です。狩野派は新しい濃絵とよばれる金地と濃密な色彩の障壁画を生み出すことです。狩野永徳は、初代大和絵と水墨画の良さを融合させた新しい表現を擁立し永徳のと雨情に酔って御用絵師達の集団が誕生します。洛中洛外図 投句の人物も近くの人物も同じ大きさの細密な濃絵の技法で表現されている.これは日本は明治まで遠近法が確立していなかった。そこで日本独自の雲を意匠化し不合理不要な部分を消し隠し、表現したい部分を際立たせる手法のです。歴史的に恒に二次元の平面に描写され、対象から抽象的な要素を捉え、形に表す抽象の美学をいち早く取得していたからこそ成り立ちました。琳派から学ぶべき点が多いと感じるのは、実はこの水と風流の装飾表現における美の普遍性と抽象性なのです。室町時代には、すでにポルトガルやスペイン渡来の南蛮絵など異国文化の影響を受けたバサラと呼ばれる荒っぽい破調の美と派手な華麗さを競う風潮が見られました。国宝指定名称:八橋蒔絵螺鈿硯箱(写真) 本阿弥光悦の様式を継ぎながら独自の作風を確立した琳派の中心的芸術家、尾形光琳(1658-1716)の硯箱である。 全体の形は、角を丸くとった長方形で、蓋を身より大きく造った被蓋(かぶせぶた)造りである。二段重ねの上段を硯箱とし、中央に縁を金地に仕立てた硯と、長方形の銅製水滴を置く。下段は料紙箱としている。 意匠は、光琳が好んで採り上げた『伊勢物語』第9段の「八橋」の場面による。表面には黒漆を塗り、蓋表と身の側面に燕子花(かきつばた)と板橋を描く。燕子花には厚手のアワビ貝を打ち欠いて用い、葉と茎は金の蒔絵で表現する。板橋は腐食させた鉛板で質感を出し、橋杭は銀板である。蓋表と側面には流水を表さず、内部の上下の箱の底に金の蒔絵で波文を描く。 蓋表は斜め上から見た図であるのに対し、連続する身の橋は真上から見た構図であるが、不自然さはまったくない。黒と金銀の対比、主題の本質を取り出す構図とも、光琳の繊細な感性と緻密な計算によって表現された大胆な造形である。琳派を取り巻く日本文化は公家や武家のような上流階級から町人まで身分や職階を超えて平等に教授できた装飾美術であり芸術文化であった。インテリアとして大画面で室内空間を飾る必要から迫真的なリアルさよりも次第に洗練された装飾美術的要素が求められるようになりました。浮世絵は流行を追い、格式よりも当世の風俗表現に心さいたのに対し,琳派あくまで高邁で雅の美で粋を追い求め、族から当座過労とした表現性を追求しつづけた。暈かしの中に美しい自然や色の景観が次第に変化していくうつろいの美を感じ取り美術や工芸品の装飾・紋様に好んでこの技法を採用しました。一面紋様で埋め尽くすのではなく、ほどよく余白を生かし.部分的に紋様を配するレイアウトや散点的な散らしの配置が平安時代後期からすでに試みられたことです。具象の情景と組み合わせるいわばコラージュのごとく異質な要素を一画面に融合させてしまう現代造形さながらの技法も会得した。同じ紋様でも大小さまざまな大きさの相似形紋様をランダムにレイアウトする、まさしく粋で風流な意匠も編み出されました。琳派には,自然界の何気ない風景や花鳥を美の対象とし抽象化や紋様化という高度なデザイン処理を経て表現する事に粋を感じる美学があります。日本人は古来よりハレの日の派手さとケの禁欲的な地味さが兼ね備わった美意識を受容するに至った。琳派の金銀泥で飾った華麗な屏風絵も簡素な雪舟の水墨画や、わびちゃのしつらえと同じ様で、日本人の美学は粋にあります。この粋という精神性は平安時代の雅の心やこれに続く風流、そして安土・桃山時代以降の粋に辿りつきます。小袖の衣裳は肩模様、裾模様、あるいは散点的な紋様配置です。琳派の表現性で最も卓越した特徴は平面性という特徴が挙げられる。西洋の写実が究極的に芸術のための芸術という純粋美術を至上目標としたのに対し,日本画は写実と装飾、つまり衣裳性を共存した美学哲学を有していた。ピータードラッカーは日本画の中の日本人の中で日本美術は装飾的というよりデザイン的である。日本美術の根底には空間概念があり余白が大きな意味を持っている。対象を見つめた現実と描写された表現との乖離を埋めるためにさまざまな技法を作り出し、暈かしの技法、描写のモチーフを中心位置に置くシンメトリーのコンポジションではなく画面のどちらかに寄せ、反対側に余白を作り出す非対称の配置法でした。先に述べた非対称の構図では断ち切られた主題のモチーフと相対する余白の空間を結ぶ目に見えない斜めのライン、いわば力線があります。
May 5, 2015
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会社で役立つ本を部分的に教えてもらった方は多いと思います。またこんな知識があれば人生豊になれるのにと思うこともしばし。それでインターネットに紹介されているお薦め図書。自分で読んで気に入った本、よい趣味などジャンルごとにまとめ上げました.読破するなら1日朝15分昼15分で1週間で1冊本が読むとこの紹介した本は1年で読破できるかもしれません。少々レベルは専門的です.一生おつきあいできる本ばかりです。エクセルが添付できないので本を羅列します。28歳からのリアル 20代に必ずやっておくべきこと 悪い食事とよい食事 完全版 ビタミン・バイブル 私は霊界を見た 良い墓悪い墓 夢と才能を育てる究極の脳力開花 七田式「魂の教育」 内定したとき読む本 マッキンゼー流 プレゼンテーションの技術 ロジカルシンキング 金持ち父さん貧乏父さん 藤巻健史の5年後にお金持ちになる「資産運用」入門 おカネの法則 投資戦略の発想法〈2010〉 となりの億万長者 THE マクロビオティック 方位学 社会人のためのマナーとルール クローズアップ現代 ラジオ深夜便 カンブリア宮殿 ロンリープラネットの自由旅行ガイド チャングム韓国語 イタズラなキス台湾 中国語 サウンドオブミュージック英語 仮想思考 マッキンゼー流 プレゼンテーションの技術18 考える技術・書く技術 ロジカルリスニング ロジカルシンキング バカの壁 ワード コトラーのマーケッテイング 競争の戦略 マッキンゼー成熟期の成長戦略 金持ち父さんの若くして豊かに引退する方法 ゲーテとの会話, 君主論 修身教授録 日本の歴史、 世界の歴史 ビジョナリカンパニー コーポレートファイナンス 孫子 大学 孟子 論語 老子 経営者の条件 松下幸之助 成功の金言365 二宮尊徳 社会人のためのマナーとルール ドラッカー 365の金言 世界大百科事典 ライトハウス英和辞典 般若心経入門―276文字が語る人生の知恵 仏教入門鈴木大拙 新約聖書 MBAビジネスプラン やさしい経営学 マネジメント基本と原則 人を動かす 道は開ける 自力整体 ホントのツボがちゃんと押せる本 般若心経入門―276文字が語る人生の知恵
March 10, 2015
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鈴木大拙記念館主催の「20世紀の禅 大拙と胡適」を歌劇座で受講した.講師は駒澤大学小川隆教授。有料なので受講生はみな真剣に聞いていた。禅は今はZENという言葉で世界に通じます。フランスでは教室でZENといえば静にという言葉であり、ZENという名の付いた部屋はしゃべってはいけない部屋であるほど,日常で使われている。大拙は禅を世界に広めた人で有名だがその禅の発祥地インドから中国に伝来し、中国の禅の歴史が途中でわからなくなった。大拙は中国研究者胡適の交流を伝えて禅の歴史を知る事になる。鈴木大拙の文献複写の依頼に対し胡適は敦煌から発見した文献を写真で送った話。人生で3度あっているなか、ニューヨークでの食堂での論争は英語で通じ無いときは漢字を使って紙や果てはテーブルクロスまで使って漢字を書き意見交換をした話などお聞きした.大拙のつたない中国語ではトップレベルの話が出来なかったが中国人と情報交換して敦煌の貴重な資料が大拙の研究を完成させた.やはり並の人の行動ではないことがわかる。今日本と中国は関係が良くないが,隣国でもっともっとお互い情報交換をする必要があるのにできないのは残念である。We studied a Zen at Suzuki daisetu Memorial organizers . Lecturer Takashi Ogawa Komazawa University Professor . Zen is famous for world who Suzuki spread the Zen in the world .Zen come from India . next to china . and It is not know old time .But At Tonkou in china It have a paper roll with hand writing.Among Suzuki and koteki are met three times .At New York they have used the Chinese characters when it is not comunicated in English . write the Chinese characters using up tablecloth.
November 29, 2014
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パネラー大木志門(山科大学)、松本徹(三島由紀夫文学館館長)、紺野謙介(日本大学)、尾形明子(元東京女学館大学) 昨日は午後2時から21世紀美術館地下で篤い話があった。私にとって味気ない秋声文学。今日も「新所帯」を読んで漱石以上に美文が多いので小説の手本にしている。講演のこういう背景があった事に愕然と胸を打つ。会場は満席で補助椅子も並べられて,話を聞こうという文学愛好者で賑わった.朝11時から秋声の菩提寺天神橋近くの静明寺で法要も行われた。30人近くの方が集まり偲んでいます。昭和一八年没の地元では神様のような存在の秋声の思想を少しは理解できた。秋声全集を作成した三人の先生と、かつて秋声を研究していた女流文学研究者尾形さんの話は1秒も聞き逃せない話だった。ここでは私のメモから要点を書きシンポジウムの概要を紹介したい。松本 秋声は戯曲1本のみで,小説がおもですが,ヨーロッパに習った近代主義文学です最高傑作は「黴」。山田順子との恋愛がジャーナリズムに餌を与える。今日ではスキャンダル小説は普通に行われている。翻訳から出発している.自前文学だから自由に書いている。紺野 全集には実はまだ収めきれない通俗小説もある。秋声を愛した人たちは,プロフェッショナルな人がよく読んでいる。1936年「現代」付録文壇大家花形自叙伝にも紹介された作家です。当時の流行作家と今は別の尺度で評価されている。夏目漱石のフィロソフィーがないということが,実はすごいのです。「仮装人物」は今の芸能人がやっていることと同じ恋愛すると同時に創作に入る。このことは職業作家として生きていく上で重要だった。かの漱石も芥川も新聞社と年間契約をしている。 妻である浜さん死後、作家仲間の集まりである二日会は四十五回開催され、久米正雄・・・多くのジャンル問わない作家が集まる。「あらくれ会」も四十四回おこなわれ,プロレタリア文学の方も参加している。堀口大学・・・。強い制約を作らないから実現できたのです。尾形 1999年パリの大学で研究員として留学しました。オリワス?先生から日本文学の授業で最初見たのは秋声の「縮図」が黒板書きされて日本を代表する作家ですと紹介していました。まさに盆栽のような宇宙観が広がっていますと、学生に講義していました。感動でしたね。 1928年「女人芸術」(全部で48巻)という雑誌。後に「輝き」(102号)に変更になりますが.この雑誌とリーフレットは学歴のない女性作家の登竜門としてほとんどの女性作家が登場しています。昭和前期の平林たえこなど・・。出版記念会の発起人に秋声が必ず記載されています。女性作家の味方でありながらそれ以上を求めていない。「仮装人物」はお薦めです。女性をきれいに書いています。林芙美子は秋声の女中になってもいい。いや妻の座を狙っていた形跡もありますと小説にも書かれています。 ここで「現代日本文学巡礼」を見る。かつて円本の発売を機に多くの作家が裕福に暮らせるようになったが,その発売前の十ほどの作家紹介前の映像がある.秋声は順子に促されて,家族と後ろのホテルでブランコで遊ぶ孫ブランコを押す息子と順子の映像が紹介されている。芥川龍之介が木に登る風景もみられた。松本 明治20年代の金沢は一番日本の中でも都会的でした。東京は田舎者が集まっています。経済的豊かさ,芸能の豊かさが秋声の自信の基礎になった。 昨日も徳田秋声記念館で行われましたが,新内流し。台詞と地の文では調子をつけて歌います。(昔御茶屋の道路を黒の紋付きの着物を着て三味線弾きながら練り歩き、茶屋の二階からお金を入れた紙包みのおひねりを投げて芸人をさそっていました。)秋声の見た金沢は町中に声が溢れていました。その事が小説を書く原動力になります。ヨーロッパ文学を適当に取り入れ自然主義へと移っていきます。リアリズム私小説と考えます。活版印刷になって明治末から大正にかけて婦人雑誌が出ますが、何十万部という発行です。男子は新聞を読み女性は雑誌という大事件の小説の描き手が秋声だったのです。今和服から普段でも洋服が多いですがそのために生活感も変わってきました。秋声は生活の心根も書いてくれています。 秋声の通った旧制四高は英語教育は原書で読ませました。リットン・・また浄瑠璃、近松にも触れていく機会がありました。翻訳のバタ臭さを自然主義で抜く。擬態語をどんどん使っているのは浄瑠璃の影響です。尾形 田山花袋は平易描写ですが、秋声は時空間が入り組んでいます。「仮装人物」男女が対等に書かれてますが,花袋は本の女性が泣きますね。近代の男と女の関係がよくわかりますね紺野 藤村はインテリが悩む作品で、自分の救済のためにゴールを目指します。秋声にはゴールがない。藤村は「処女地」を発刊しますがこれは無名作家の紹介の雑誌で,この中から自分の妻を見つけるのです。この点秋声は男女関係がない。学歴のない女性。正統でない女性,たとえば水商売ないしそれに近い世界に生きていく。松本 秋声文学の特徴は1過去を思い出しもう一度反芻して書く。文章表現と繋がっているんです。人間の主体性を確保しているのです.リアリスト。2ヨッロッパ形式を取り入れた。3俳諧的簡潔な文を書いています。「足跡」で何かが起きています。新聞でした表現が可能になってから、自分の形として取り込んで形成しています。秋声は眺望がきかない.不透明な事実を再現しています。その後の「あらくれ」語りとも、説話的要素があります。「仮装人物」ざっくばらんというか、融通無碍。情を結ぶのが得意でフィロソフィーが邪魔になるのです。松本 三島由紀夫は秋声に反して哲学の固まりです。有識論。私が自殺しないのは秋声の研究成ればこそです。紺野 1920年から作家が儲かる時代になりました.女性雑誌、円本から数千円の印税が入り,また私生活を露出される部分が多くなりました。自分自身のイメージと世間のとの落差がある。大木 時代の変動をうまく乗り切ってます。円本時代アパート経営に乗り出し、自分の書斎もなおす。また貧乏作家救済の文芸家協会を設立しています。 熱い討論が会場からも交わされました.会場からも自然主義の定義とはを聴きシンポジウムは混迷に入ります。最後に孫の徳田章子さんの挨拶で、現代の自分の目からして祖父は素敵な順子さんという恋人も作り幸せな人生だったと観想を述べていました.徳田秋声記念館では絶版になった秋声の本を販売しています.まずは電話で連絡ください。076-2514300
November 17, 2014
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本日19:30より徳田秋声記念館で死後という朗読があった。2階の会場は和傘を作る人、紙の切り抜き、紙で傘やストローでエビを作る人が演じる中で香を焚いて手に持つハーブが演奏された。 うう、朗読に集中できない。これは何という現代アートでしょうか。死後は多くの親戚の集まりの話と父の今際の状態葬式の風景を克明に伝える。自分の父親の臨終を思い出すのであった。そうか秋声文学は表現の厳格さから自分で見たり聞いたりした物が、鮮明に小説に書けるので身近なことを書いている。 今回は付録に瘤佐吉の話も出た。どうも見えない貧乏神の世界を表現するのには秋声得意ではないといえ、話は面白かった。上京して出世を狙いいなかをでて足止めにあって線路を渡る際に後ろから貧乏神が憑いてくる。橋を渡っている最中に貨物車が来て貧乏神が引かれ福の神が訪れ佐吉の瘤を割ると金が出てくる話。 秋声の克明な描写。映画になりそうなイメージさえする。今回の死後は学芸三界説すると秋声文学によくにている風景だそうである。物語の登場者がそれぞれ中心人物であるかの如く描かれて,今この会場のようにばらばらの光景が写る。
August 1, 2014
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今回最終回となる徳田秋声記念館主催「女性が読む秋声文学の今第三回」をお聞きした。最後まで読んで聞くが,参加者はどこまでこの小説を読んだか。読みにくい。 渡邊先生のエロスを全面に検討する激しさに,圧倒される。ここまで自然主義文学といえ自分のことをさらけ出して書くことの是非はともかく、賞賛を送りたい。この講演は漫談として聞いていただきたい。中国の纏足 男の言いなりになる為に足を拘束する物 一人で歩けないのが美女の条件で身動きが出来ない。私は高村光太郎 智恵子抄も暗記した。畳2畳の小屋に住む光太郎にあいにいった。帰りに山の端まで見送ってくれて話し言葉と景色を指さす光太郎の指先が印象的であった。「女みずから考えよ」光太郎 の中に自分の性の相対者となる女性を考えるとやっぱり男の生の凹凸にそぐう女性を考えているのであって・・・・男は女の都合を考えて進んでゆきはしない。新しい女性とは従来の習慣を破壊している人。と書かれている。では秋声はどうか。私自身あらくれが好きだが。吉田精一先生に秋声のあらくれは新しい女といわれたが,そうでなく庶民の女のことであったと。働くのは当たり前の時代。新しいのは理論、論理が必要だ。秋声が順子に溺れたのは大正15年から2年間。広津和郎も下宿していた娘に手をだす。籍に入れて生活費を出すも、別の女と同棲していた。妻子共に生活していなかったが、分かれるときに本当に辛そうだったと娘桃子が受戒している。桃子も後、作家になる。はまの死後葉子が会いに来ている。はまの生前も、自分の作品を見せに庸三に会いに夫と一緒に会いに来る。葉子はお腹に3人目を身ごもっていた。はまが死んだときに下の子は6歳。葉子がすぐにお手伝いとして庸三宅に来る。山田順子の作品は評価が低いが、いろいろな大家が序文を書くほどに美貌の女性だった。順子は秋声より10センチは高かった。はまが1月2日に死んで1ヶ月後に葉子と庸三は良いなかに入る。この小説がどういう評価をされているか。小林秀雄 読後感複雑 意外と淡泊 作者の経験を使った小説 瓢箪鯰正宗白鳥 がまんにがまん 私は満身冷や汗 秋声が順子に溺愛の境地に悦にいている。 松本徹 野放図の方法秋声の「元の枝へ」は自然文学で大変な評価を得ている。喧嘩をすると葉子が家から出ていく。葉子の実家は廻船問屋で金持ちな上、パトロンが郷里にいる。かといって、同棲生活も高い情操でとかされそうだったこの高い情操という表現に精神性も認められる。何で仮装にするの。仮装だから実物でないよ。ここが秋声のずるさ。30歳も違う女に溺れた。しかし長編小説の構想がない。相手の女性にも愛がない。官能と欲望の対象にしたのではないか。庸三に潤いを与える材料として葉子の存在が読めた。葉子は普段から贅沢。庸三は貧しい。秋声は葉子に金を出させて庸三のことケチな人ということを書いている。一緒に宿泊に買い物に食事によく行き,葉子が金を出している。葉子家出しても庸三と庸太郎が一生懸命探す。蝶子は病気で病床に伏しているが葉子がよく面倒を見ている。秋声は硯友社の代表作家であり、紅葉の死後自然主義文学へうつっていく。被差別部落を書いた小説 この分野は清水しきんの「移民学園」が有名である。この小説が藤村「破壊」に繋がったのじゃないか。この後縮図に入り小林正子と恋愛をする。代作は三島霜川らによって行われている。人生50年の時代。漱石は誉めている。分掌し待って新しい肴の如く候。だが小説に哲学がない。川端康成 日本の小説は源氏物語に始まり西鶴にとび、西鶴から秋声にとぶ。魂を食いちぎられたようにうっとり葉子は自分で生活費を出す。葉子の経済は庸三持たないスキャンダルになって新聞に載る。仮装人物は葉子と別れてから、何年もたって後書かれている。秋声はまあまあの顔ですが,そんなに魅力があったのか。いつも女性が周りにいる。葉子のいない寂しさを小夜子のところに行く。葉子は一流の店に行き,タクシーで行く。支払いは葉子。葉子は痔の病気で、庸三は手術に立ち会い,術後のガーゼの交換もする。またお化粧の焼き鏝を葉子のために何度も当てる。葉子が生活費を秋本に貢がせながら、庸三が愛だけを独占している。貞操は近代の人には漆黒であり、新しい時代にはいっている。庸三も葉子もそれに苦しんでいる。円本時代本が売れてお金が作家に入ってくる。庸三はよく外出している。玉突き、花札をよくした。商売人あがりの小夜子では、費用が高い。葉子は入院して 入院見舞いには金を持ってくるべきだというと、庸三はもう二度と彼女を見舞わないと誓う。2,3日後分かれた場合入院の関係をとがめられるのでお金を持っていった。これは愛ではない。執筆も病室でおこなわれている。物質的に協力していない。葉子が出る。庸三と庸太郎がさがす。庸太郎の友達園田との結婚が進む。まだ葉子の匂いが体から抜けきらず,愛執を追求せざるえない。何か腹いせに彼女を散々もてあそんでやりたい悪魔的な野心が起きないわけにはいかない。新聞のインタビューから「毒の花」と表現した言葉を記者が書いたことで葉子を激怒させた。何で大家がここまで書くのでしょうね。庸三と葉子は庸三が死んでも葉子が困らないようにすることを条件に正式に結婚することにする。庸太郎は二人の結婚を容認したが、入籍には反対した。其れを知った葉子は結婚を破棄した。手切れ金の1000万円も渡したが二人で温泉にいき使ってしまう。大晦日は葉子と清川がおかしい。清川に見せるための洋服を作っていた。庸三は誰ともしれない背後の影が感じられた。それで真夜中に二人を追い出してしまう。また葉子からすぐ着ての電話。葉子は視るたびに生活が汚れていった。突然清川から婉曲な拒絶の手紙を渡される。葉子が国民新聞の懸賞小説に応募する為部屋も借りて苦学する。しかし審査委員である庸三のため選外にされてしまった。葉子は渋谷に書店を開く。庸三も背広に替えてダンスホールに通い恋愛の疲れも癒されるようになっていた。秋声のずるいところは面をかぶって第三者になりきり自分は被害者だったとするところ。田村俊子の作品で大正13年から明治41年小説を書くが,秋声的確に批評を書いている。意思の人だと的確に批評しているのは秋声だけでした。女性を新しい視点で見るところがあったが、意思が官能の方に走ってしまったその後のプロレタリア文学には入っていけなかった。女性読者から秋声は自分の見にくいところをさらけ出して書き、だらだらと書いてしまうところが好きです。よくぞ書いた。先生曰く書きすぎですよ。現場主義の作家だったんですよ。「当世書生気質」に視る最高学府の男が娼婦相手にし、どこにも女学生が出てこない。作られた男が秋声文学にも見える。また三宅さんの「藪の鶯」の中で女性は結婚せず,自立を目指す姿を描く。そういう背景がある。
July 21, 2014
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シニアでは,お金をかけなくておしゃれを取り入れたいが,基準がみつからない。ところがおしゃれを数値化させたのは初めて見た。これいままで疑問に持っていたことの解決になる。なぜなら小説の主人公をおしゃれに出来る。しかも普通に安売り店でも十分応用できる。10k トラッド・かっちり・オン6~7kほどよいおしゃれ4kカジュアル3kラフ・オフ1k部屋着靴黒色で飾りも少なく足裏がつるつるの革靴10k足裏ぼこぼこ 9k以下顔肌に張りがある若い人ほどk値が高い輪郭が丸い人は低くなりますネクタイ蝶ネクタイはたかめ10kレジメンタイ8kニットタイ7kメガネメタルフレーム・オーバル型・黒縁スクエア7~9k帽子10kシルクハット8~9中折れ帽ボウラーハット7kベレー帽5kハンチング3kニット帽キャップ襟つきのシャツ黒白はK値がたかい10kのアイテムは10kしか使用できないテイストミックスはトラッド&カジュアル、カッチリ&ラフなどの相反する要素を同時に取り入れるk値6~7を目指すと簡単に取り入れれる。TPO似合って稲井空気の読め手亡い格好こそダサさの正体です。TPO別K値一覧会社通勤冠婚葬祭10k結婚式2次会8~9kデート、合コン6~7k友達、家族と5kコンビニ2k自分の部屋1kファッションエリア銀座丸の内8~10k六本木7~9青山6~8k・・ショップ別k値ユニクロ4~7kきれいなジャケットくださいというと8k位のジャケットを持ってきてくれます。全身ブランドでかためるのはNGメガネはオーバル型を避けることフレームの一番外側の幅が顔の幅と一致すること洋服屋で服を買えば勝手に流行が付いてきます。服屋さんで買う靴に外れなしおしゃれの極意は薄目にあり。コーディネートは単品だけをみて選ぶのでなく、全体のk値といろあわせだけ意識して服を選ぶこと似合わない色なんてない白いシャツはくたくたになっていなければ7kは出せます。ジーンズ辞めて優等生のチェック柄のパンツを穿く最初に下を買ってしまえば楽です。ぴったりめのものはk値は高い目の荒いものはk値が低いつるつるしたものはk値が高い初心者のためのコーディネート4種の神器長袖の白いシャツ 8~9k長袖なら夏に着ていても袖を捲ればいいチェックのパンツ8kつま先丸くて黒い靴8k黒の無地でつばが一周しているハット型色あわせの極意暖色 寒色無彩色 黒白グレー中性色 緑・真紫・茶色まずは ムサイダン(無彩色暖色)メインに1食サブに1色選ぶ3しょくの場合はダン・カン・ムサイをバランスよく同じ量にする。マフラーやストール、ベストでおぎなってもいい柄の入ったものは1アイテムまで全体の3分の1以下が柄だったらセーフバックの難易度斜めがけバックが一番使いやすいボストンバックショルダーバックトートバックリュックウェストバックセカンドバック全皮、真っ黒なバックはそれなりの店で買うことお勧めは2色色によるウェイトコントロールw値まずは安定のある三角形のファッション下が広がる感じ重いものゆったり,たっぷりしたシルエット+1重量感或る形・素材+1末広がりなデザイン+1大禁パッチポケット・ワッペン。飾り+1黒・濃い色+1軽いものぴったり・スリムなシルエット-1軽い素材-1丈の短めなもの-1白や薄い色-1上が逆三角形で下が三角形なら安定きゅっ・ドーンの法則色のメリハリ すっ・すっ・バーン無地柄のメリハリ むじっ むじっ ガラッシルエットのメリハリ きゅっ・ドーン値段のメリハリ やすっ・やすっ・たかっブランドのメリハリ ゆにっ くろっ ヴィトンダン・カン・むさい・チュウから2つ選んで組み合わせることに徹底してください。高い遊びようのスーツは色気があります。ジャケットの止め方2つボタン 上だけ止める3つぼたん 下のみ止めないスーツを無地にしてシャツやネクタイの柄を換えて遊ぶブランドは香水に似ているので女性の場合は多少多めにつけても許されるが,男性の香水強めはまず嫌われるハンカチや名刺入れにブランドアッピールするのがポイント巻物を選ぶ上で重視する順序は季節感素材色冬はなし皮は水分を吸収するので2日連続で穿いてはいけません。女子に受けないアイテムとんがりギャル男革靴メンズアクセ無精髭VネックTシャツ香水つけすぎ整髪料堅めすぎ爪汚い眉毛整え感丸出しこれ見よがしなブランド靴は3万円以上のものを裏がつるつるの革底は裏貼りすると滑らなくていいマフラーのペロンの洗濯表示を切るトランクスはゴムにブランド名が見えるものがいい
July 14, 2014
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作家が本を書く歳に既存の日本文学全集を読んで参考になる文法や表現の仕方を紹介する。気がついたのは形のない事柄を表現する際、あえて文法を乱したままで本を書くという工夫が随所に見られる。川端康成 雪国書くと言うことは書き直すと同義語になる出だし文で夜の底が白くなった。言葉に新鮮さを感じる。志賀直哉 暗夜行路普段はいかめしく手ぴりぴりしているのに笑うと笑窪が浮かんで愛嬌がでる。ぱっとひらめいてさらさらッと書いてお終い。あり得ないことをひょっとしたらやってのけているのではと想像する。森鴎外 雁視点のかき分けは岡田対お玉に関する描写だけではなく、小説の全体隅々にまで徹底して行われている。本の些細なことで人の運命など変わってしまう。永井荷風 つゆのあとさき女中の誰の目にも不必要な一語を1ついに見過ごしてしまった2迷ったがどうしてもけづれなかった3積極的に残した可能性の低い順に並べるという理由で,この小説の冒頭に書いてみせる。夏目漱石 こころ固有名詞を捨てて先生という呼び名の方を選び取ったのはこの小説の文体の要請である中勘助 銀の匙読点節約の書き方は作者の手が加わっていない感じ。技巧に走らず,素朴でしぜんなかんじ。それは要するに、この作品の内容、おさなくて純真で無垢な少年時代の追憶と調和している。普通なら漢字で書くところをあえてひらがなに直しているのは、より素朴により子供らしくという中勘助の計算の内である。樋口一葉 たけくらべ動詞句が起点になり,夢のようにすべりだしてはっと目覚めるように終わっている。物語のちょうど半分まで読者は加速度の付いた移動と着地の快感を繰り返し体験することになる。三島由起夫 豊饒の海直喩が多く用いられている山本周五郎 青べか物語話を私が又聞きしてここまで語っていたのだと言うことが明らかになる。聞こえたではなくて聞こえたそうだと書きかけてペンを止める私がいる。林芙美子 放浪記今は切ないわたしである。と書くとかいた瞬間に、そこに私の目にみえるもう一人別の私が存在することになる。日本語の文に主語がないと居心地がわるいと感じる人びとがいる。井伏鱒二 山椒魚小説をうまく書こうとはしていない。それは真っ直ぐな者を曲げて伝えようとする方法である。太宰治 人間失格私の文章とじぶんのぶんしょうとは同じ文体で書かれていると意図的に示されている。別々の私、二通りの私、それがこの小説を読む上でのポイントとなる。横光利一 機械語り手の私の信頼性がきわめて低いという小説、一人称の小説が存在する。語り手の私と語り手の私を見て他人事のように語る私と,この小説には明らかなように二人の私が存在するからである。織田作之助 夫婦善哉それで種吉は病院を訪ねて,見舞金だと百円蝶子に渡したおやのありがたさが身にしみた。主語は種吉で見舞金だと百円蝶子に渡したまで自然に来て突然、白いたまが赤いたまに変わるように主語は親のありがたさが身にしみた調子になっている。こういうたくみな指裁きのトリックがこの小説では随所に見られる。芥川龍之介 鼻作家としては最初から老成して誕生し、そして歳と共に若返りつつ、最後に成熟から遠ざかって亡くなった人なのではないか。菊池寛 形登場人物の人生に価値の高低があるとするのが菊池寛の立場である。痴人の愛愚かな人という意味で決して性的にアブノーマルな人ではない。松本清張 潜在光景犯人が誰だかわからないように三人称で書かれるのが推理小説の常道なのにこの短編では私が語り始めている。いっけんどうでもいいようなことから始まるのは私が言い渋っているからである。武者小路実篤 友情小説を書く楽しみ書いている自分の励ましがない。友情を読んで漱石の門を読めばわかるだろう田山花袋 布団ぼくの親の世代やそのまた親の世代の常識を笑うことになるし、あと百年たてば今どんなに若い人でも子や孫の世代から笑われることになる幸田文 流れる女小説の書き手としては素人の側に発って?と眼で聞くといった玄人の文学者が見たラメを潜めそうな大胆不敵な書き方も採用されている結城昌治 夜の終わる時負う側と負われる側の視点の転換を用いて書かれている。開高健 夏の闇3時間はセックスにかける時間だが、いったいどこの誰が恋人の肛門の皺を見たがるのだろう。彼の書くのはそろって視力がよく恋愛向きではなかった。でる。うごく。いく。ひらく。ひろがる。にぎる。明らかに司会に広がった素に表記法への執着が変わらない。吉行淳之介 技巧的生活完結で的確わかりやすい。形の整った昔話がすでに書けているのにそれを完璧にするのをいやがる。佐藤正午 取り扱い注意 筆者の本物語の代わりの見えないまま読者の前に放り出す。起があって、承があって、転があって、最後に結があるという物語の企画を崩していわば規格外の物語で締めくくる。
July 12, 2014
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旋盤工でありながら,学生時代から本を読むサークルに入り毎月の読書会を通して自分の作品の鑑賞眼を鍛えた作家。プロレタリアートのみもんです。現場に根ざした小説は書く人が少ないという。プロの旋盤工だからこそ金属と機械がわかり,工場に出入りする人たちから日本経済を肌で感じる。にてもに付かぬ関係ながら本が出ると多くの共感が得られる。生涯のテーマは人はなぜ働くのかに絞られた。そのテーマが自分の心棒のように体のの中に1本すくっと立ったときからこれなら書いていけるという自信のようなものがわいてきた。作家はこんな風に書いてくれたのかという作品の持つ遠心力と読者側の求心力との関係のようなものだ。みだりに人の師とならず。みだりに人を師とすべからず。吉田松陰地域性がとどまるほど小説は普遍性を獲得する蝉時雨に限らないが,藤沢周平の作品のほとんどが、その文章から地図が描けるほど地域的なものにとどまる。埋まり普遍性を得ている。私はメモをとることによって鋼を削るという仕事の奥ゆきの深さを自覚し同時に鋼を削る仕事の楽しさを発見することが出来たノートに私は数字と略図で記入している、つまりアナログな機械で仕事を仕事をしながらいつの間にかデジタルで記録していた。物作りのわざとはプロセスであって結果ではない現場の職人たちの実践的な工夫の多くに「捨」の字があることに気づいた。作者の思想形成の深部にあるものが今にして出てきたという自然さがあるのではないか人物を創造しなければ小説にならない。出身地と苦労話ならどんな口の重い人でもたくさんの思い出を持っている。勤めていた工場の廃業によって、小関さんが50年間誇りにしてきた肩書「旋盤工・作家」が消えた。仕事を守りつつ、生活と現実から実感する喜びと悲しみを作品として書くことは、人生にどんな意味をもつのか。いま、自分と社会について深く考えるために文章を書こうとする人々に表現することの精神と方法を、自らの体験をもとに語る。
July 12, 2014
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書評を読んでも太宰治の文芸評論家さえ高く評価している。まさに読んで知る室生犀星のすばらしさ。最初に知ったのは実は浅野川倶楽部朗読会で医王山を聞いたとき、うだつの上がらない登記所に勤める主人公が辞表を書けと上司に言われ、5人家族の妻からはお金と名誉ある公務員だから辞めないでという板ばさみから,登山で死を覚悟してゆくが死にきれない。妻はほんとに帰ってよかった。ここに庶民文学の感情の機微を見ます。涙なくてこの物語は聞けなかった。今回或る少女の死までが高く推薦されていたので,読むが医王山ほどのインパクトが感じられない。3部作の残り幼年時代、性に目覚める頃、を読んで解説も読んで、犀星が受けた環境、養い親がなんと昼間から酒くらい、男なら大きくなって給金を貢がせ、女なら女郎屋に売り渡すために孤児を育てたという環境のすごさに、この小説は理想の家族を求めて書いている。お寺に養子になった後も腹違いの姉の結婚、再婚だがほんとに結婚かどうか小説には遊びに行ってもここに来るなと姉に言われている。性に目覚める頃はお賽銭泥棒の美しい娘に恋をし,親の金を盗んではなんと賽銭箱に戻して、事実を隠す。おまけに娘の家にまで行き,下駄をその娘の分身を慈しむように盗んでははっと気がつきまた戻す展開が書いてある。素晴らしい感情の表現、医王山のような父の感情表出が出たのと同じ、子供の感情が神経表出してぴりぴり感じるくらいです。或る女の死までは最初の居酒屋の事件、友だちが居酒屋で口汚い客と口論して,表で指してしまう。警察で調べられ,示談にした話が先にあり,後半の9歳の少女と遊ぶ内好きというか恋心が芽生え、金沢に帰った後娘が病死する。犀星の文学で小説と詩が載っている。この詩とぴったり合うのが或る少女の死まで。悼詩がいきている。あにいもうとは川の風景、魚をとる風景など自然描写がいい。これは3文豪ならいずれもいい。傑作は養母の若い頃を見立てて、好きな男にはらませられて,男をもとめて酒場勤めになり,そんな妹をはらませた男が家族の前で謝罪にくる。父の立場、兄の立場、喧嘩を売ってなごりつけた兄を,よくもすきな彼氏に傷つけてと妹が喧嘩するあたりが感情急展開して面白い。還暦になって地元文豪の小説を読んで感激した。もっと小学生には必須で読本配って読ますべきである。
July 12, 2014
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病気の原因は肉体の周囲を取り巻くエーテルタイのアンバランスにあるとかんがえられる。人体の組織が液状構造というより、むしろ結晶構造に近いものだからだという。とりわけ、骨やコラーゲンは部分的に燐酸カルシウムの結晶そのものでできている。そうした人体の結晶構造のすべてに「共鳴的素因」がある以上、クォーツクリスタルの発する音が、非結晶的な材質でできたボウルや楽器の音よりも、人体の結晶構造に調和的であるのはとうぜんのことである。・クリスタルボウルが発する倍音にからだが共鳴するのを感じるときは、他のどんな治療法よりも治癒効果があると実感することができる。クリスタルボウルは人間の声と共鳴する音を発生する。その音はわれわれのからだに浸透し、エッセンスと共鳴して、内的な混乱や葛藤や不協和音を、たちどころに調和へと変える力をもっている。音は直接体に作用するだけでなく、感情・思考・霊的レベルに深く触れ、その人を変容させることで、結果的に体に作用する効果を持つ。音と体の関わりを総合医療の立場から説きおこす。この本は、音がからだに与える作用を、感情レベル、思考レベル、霊的レベルからとらえて、からだが変容されていくプロセスを、医師の立場、あるいは優れたヒーラーとしての立場から説明している。数ある呼吸法のなかで、歌うこと、笑うことは、すばらしい呼吸法である。声に共鳴するからだと意識のありようや、浅い呼吸によって引き起こされるストレス反応と、ホルモン、免疫、神経伝達物質などとの関わりも、詳しく説明されている。意識を集中し、深い呼吸を伴う方法はすべて、瞑想と同じ生理的変化をもたらす。そして「音」は、非常に即効性があり、リラクセーション反応の地平を大きくひろげるものであるということが、あらゆる症状の治癒過程を解説しながらわかりやすく掲載されている。ライフソングには無秩序な思考や判断や感情を調和的なものに変える力がある。ライフソングの押韻ホームの押韻ほーむぅろーむそーむろーむヴぉームよームにーの押韻ひーぅりーすぃーりーヴぃーいーブルーの押韻ふーぅるーすーるーぬーマームの押韻はーむぅらーむさーむらーむヴぁーむやーむふーむの押韻ふーむぅるーむすーむるーむヴぅーむゆーむボールを軽くならすかテープを聴くかしてそれぞれのマントラの音節を声にだします。やさしくボウルをひとつ鳴らすたびに大きな声でマントラをひとつ唱える全部できたら逆から唱えますボールのふちを3回たたき時計方向にボールのふちをこすります心の中に音を導きいれます。内部でもっと共鳴する音節が見つかるまで音節を告げ変えてみる例そーむ、まー、ターム ラーム、ま、とぅーム、 たーきーらー自然に発せられた声の調子にはすべて、その人自身を癒す力があり、自分を癒す声で歌えば、其れが他者を癒す力になる。ライフソングを大切にし安易に公開しないことをおすすめします。基本的な声とイメージの瞑想自分のエッセンスを象徴するイメージをつむぎだすことから始める直感的に自分のエッセンスだと感じるものならよい。呼吸と音を併用してそのイメージをさらに活発化させる。口から息を吸い口から吐く呼吸を始める。声に出してフーという。口から息を吸い鼻から吐く呼吸をする。心でフーと思う鼻から息を吸い口からは吐き声を出す。音と心の癒し参加者に現在の心境を語ってもらう数分間音の振動に身をゆだねる単純なマントラをりーどし、みんなに詠唱してもらう声と音を使う誘導イメージ法深い深呼吸をします鼻から息を吸い口から吐き出す。声はハームと出します。息を滝の流れに見て丹田に湖がありたまることをイメージします息を吐くときにあわせてボールをならしハームと唱えます息を吸うときに肯定的な言葉がからだに入るイメージをします限りない愛限りない平和限りない調和 恩寵 親切 勇気息を吐くときはラームと唱えます息を吐くときに自然な声を出してください息を吸うときに別の固定的な言葉が入ります限りないエネルギー 知恵 威厳 いのち 健康息を吐くときにぅらーむと唱え心臓の辺りに水晶のような透明な光を発して輝いているところをイメージしますイメージの中で心臓の周りに鎖や壁のようなものがないか調べますヤームと唱えてくださいマントラが波のように心臓の周りの鎖を溶かすイメージをして下さい。原因は何だったのかも見てください光り輝く心臓が傷ついた心臓を包むようにイメージします。おーむと唱えましょう相手に送っていたエネルギーを自分の心臓に戻しましょう。意識を呼吸に集中します。一瞬一瞬の時間をかけがえのないものにしようと誓ってください。エッセンス音瞑想始める前に否定的な感情の声を見つけてください。そのときの気持ちを声に出してみるのですしゅーしぃーあぁーうぅーいぃーおぉーだぁーふぅー深呼吸して鼻から息を吸い口から出す1呼吸1呼吸のプロセスに意識を集中します吸った息がおなかの上の湖に流れるイメージをします限りない愛 知恵 癒し 可能性 希望限りない平和 いのち 成功 健康 エネルギー 力限りない調和 恩寵 親切 勇気はじめましょう1再体験する否定的な感情がからだの中のどの部分にあるのかその大きさ、形、色、温度を探る否定的な感情の声を出しながらその感情に浸ってください頭のてっぺんあたりに光り輝く白い光をイメージしてください。其れがあなたもエッセンスです。2感じ取るライフソングを歌いながら声になったエッセンスの調和的な音を感じ取ってください。3あけわたす否定的な感情のエネルギーが頭上に輝いているエッセンスの光にすいこまれているところをイメージする。否定的な感情特有の超えに戻ってその語尾にムをつけますあぁーム など4つめよる否定的な感情を感じていて部位に癒しの光が送り込まれれところをイメージしその暖かさを感じることによって問題解決します。語尾にムをつけて否定的な感情を吐ききってしまいましょう5はぐくむ 否定的な感情がきれいさっぱりなくなってすがすがしい人生を送るというイメージをはぐくんでいきます。否定的な感情の言葉をとエッセンスの言葉を交互に繰り返しボールを奏でながら音に身をゆだねましょう。あぁー、あぁー、あぁーむ 6つくる問題解決の音を唱えることにより今後も自分のガイドになってもらいましょう7肉体化するそれぞれの細胞が無数の分子からなり無数の電子でできているところをイメージします。果てしない空間が広がっているところをイメージします。鼻から息を吸い口から吐き出す。限りない愛 光 平和 調和 信頼心の奥に葬り去った傷は自我を遠ざけより広い視野で問題点を見つめなおすきかいがあたえられれば自然に癒えていく日本人や中国人はエッセンスを気と呼びキリスト教では髪の永遠性と既存性と教える。最も効果的な聖音は身体を安定させるオームエネルギーを調和させるアー精神を調和させるフームシンキングボールは癒されるために学ぶことはすべて自分の内部にあるということを思い出させてくれるわれわれは音瞑想によって宇宙の生命エネルギーの知恵に波長をあわすことができる。音とイメージのエクササイズCDプレーヤー ノートを用意1テーマを決める今木になっていることの主題を決めノートに書く2音楽を選ぶベートーベン交響曲7番2学習同9番3楽章大地の音 安全な器を提供しますブラームス交響曲4番2楽章ドビュッシー牧神の午後への前奏曲ラベル ダフニスとクローエ組曲第一部火の音楽は 感情を探るための高揚した気分を喚起しますバッハトッカータとフーガブラームスピアノ協奏曲2番アレグロ・ノントロッポ同交響曲3番1楽章ドビュッシー海1楽章空気の音楽 想像力の力を解き放ってくれますバッハ管弦楽組曲3番2楽章ベートーベン交響曲9番1楽章ベルリオーズ幻想交響曲2楽章ラベル前奏曲とアレグロ水の音は感情に訴える音楽ですバルトーク弦楽器打楽器チェレスタのための音楽1楽章ベイトーベン弦楽四重奏ブラームス交響曲2番3楽章ドビューシー聖と俗のダンスリラクぜーションのためのエクササイズからだを締め付けるものは緩めてください深い呼吸を始めます緊張が見つかったら派区域と共に吐き出してください足の先から脛、腿、腰、おはら、胸、肩、頭と息を吐くたびに力が抜けます。音楽を道づれに内面を旅する音楽が連れて行くイメージの中にいき直感にしたがって参加しましょう日常に帰還する今経験したことをノートに書き留めるタイトルをつけるイメージの経験を簡潔に記録する霊性とは分別を超え主客の区分を超え個を超えた自覚そのもののことだ。
July 6, 2014
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アイカさんの著書に紹介されている本を読みました。かねてよりクラシック音楽やティンシャがこころを癒すものとは感じていたが、宗教上の儀式に取り入れられている。音が波長を伝え人間の体精神を震わせ共鳴させて、宇宙の知恵と通じる。乱れた現代の生活では正しく体を直すのは薬でなく普段の環境の波長が大切と感じる。スーフィズムの要諦は深い呼吸と詠唱の重視といわれている。倍音が聞こえるような詠唱はスーフィーの儀礼に固有なものである。スーフィーではそれぞれのチャクラに6つの聖なる母音とそれらの母音の総和とを配しているラーム 根チャクラ 鼠けい部ヴァーム 丹田チャクラゥラーム 太陽神経ぎょうヤーム 心臓ハーム のどオーム 眉間全音 冠チャクラピール・ヴィラヤト・ハーンはもし声帯から発して宇宙の振動ネットワークに参入する音に同調能力があるとすればそれはその音が宇宙交響曲とつながっているからである。シンキングボールが発する音の周波数と音調は天王星の輪が発している音と同じである。ライフソング エッセンス音瞑想のさなかにライフソングを詠唱すれば否定的な想念が次第に消え、より調和的、生産的な思考や感情が意識の空間を占めるようになる。い一番基本的で暗唱しやすいマントラは種子をいみするビジャのマントラといわれている。オームの詠唱から瞑想を始めるといい。言葉と音の本質はオームにある。ドラム音の周波数領域ーシーターは領域がトランス状態の誘発に一番効果がある。音や音楽を使って自己の限界を超え苦悩する自己そのものをこえて永遠の愛慈悲全体とのつながりを体現するきょうちにいたるとき、きこえているのはその「普段は聞こえない音」である。そのときわれわれは幾重物ベールを通して神秘に到達し、宇宙のエッセンスと直結している自己のエッセンスを発見する。深遠な音を聞く力を持ちそれについて瞑想する人はすべての心配、不安、おそれ、病気から開放される。あらゆる病気が生理レベル、分子レベル、遺伝子レベルにおける不調和であると考えられる。患者の呼吸パターンを観察することで問診から得られる情報に指摘するほどの情報を得ることができる。横隔膜呼吸法鼻から静かにゆっくり息を吸う。口からしずかみ今度はゆっくりと深く息を吐きます。息を吸いながら吸った空気が鎖骨のあたりにひろがって、さらにはいのそこにながれこんでいく息を吐くときはおはらをぎゅっとゆっくりと空気が完全に吐ききってください。吐ききってすいはじめるまでの間、すいきった吐き始めるまでの間に間をおかずに、吸う息と吐く息が大きな輪になるように呼吸をつづけてください。交互鼻腔呼吸法右手で鼻を軽く多い、ゆっくりと息を吐きます。つぎにおやゆびで右の鼻腔を押さえたまま左の鼻孔からゆっくり息を吸います。左の鼻孔からゆっくり息を吐いて今度は人差し指で左の鼻孔を抑えます。左の鼻孔を押さえたまま、右の鼻孔からゆっくり息を吸ってください、そのまま右の鼻孔から息を吐いて吐ききったらまた親指で右の鼻孔を抑えて左の鼻孔から息を吸います。神経を沈めるのに特に効果的です。肺活量の低さという因子のほうが寿命にたいする影響力を持っていることがわかった。主治医の信頼度の高いグループのほうが早く治る。チベット仏教の瞑想者はティンシャというこがたのシンバルのような形のちいさな鐘を二つ使う。音の微妙なずれによって毎秒4から8サイクルのあいだの超低周波が発声している。これは名掃除に生じる脳波と同じ周波数領域でありティンシャは脳波をその周波数に同調化させる作用があると考えられる。音楽はからだを変える不安を軽減し心拍数と呼吸数を低下させる心臓病に伴う愁訴をが軽減する血圧が低下する血圧と心拍の低下術後患者の神経過敏が軽減する免疫細部の増加検査中のストレスホルモン分泌が低下するエンドルフィンの分泌増加 免疫系の強化と健康増進作用がある30分の音楽は10ミリグラムのバリウム精神安定剤と同じ効果をもたらす。音楽を聴いたグループは指の皮膚温度が上昇したさらに出血量も350ccから200ccに低下し平均入院期間も1日短かった。パーキンソン病患者が一定程度運動性を回復する。脳卒中の患者にも効果的である。分娩中に音楽を聴いた妊婦はその半数が麻酔を必要としなくなる。未熟児低体重新生児に子守唄や童謡のテープを聞かせると体重が対象群より50%ふえ平均入院にすうも5日少なかった。中世フランスの修道院では、しに逝くもののために詠唱や音楽を捧げる習慣があった。モーツァルトの音楽によって創造性や集中力が高まり治療が促進されるトーニンぐとは不安や苦痛を除去するような音を声で表現することで母音を中心にする非言語的な音である。呼吸を深めエネルギーの流れを調整し、感情を開放し過去のトラウマを解決する。トーニングの基本鼻から息を吸う、口から息を吐くときにこえをだし、長い時間をかけて息を吐く背骨を伸ばしておはらの力を抜き、顎が自然にたれるような感じで声を出す母音オーム、ラーム、フーなど浄化と開放のためのトレーニングうめき声やうなり声。突き刺すような鋭い声やすさまじい絶叫はからだを鎧のように緊張させ感情を押し込めているブロックを破るために役立ちます慰撫と弛緩のトレーニングハミングには神経系を沈める効果があり、深い呼吸をするのに役立ちます。からだの痛みのためのトレーニング痛みや緊張を感じるところに意識をむけ、そこに意識をむけたまま呼吸をします古代の歌い手達はひとつの音階だけのおとだけを30分ほど詠唱し続けてエネルギーの中枢各所を調べたものだ。
July 6, 2014
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七五調のリズムから高度なユーモアまで、古典と呼ばれる文学作品には、美しく豊かな日本語があふれている。若い頃から名文に親しむ事の大切さを、熱く語りあう。 話題の書「国家の品格」の著者・藤原正彦氏(お茶の水女子大学教授)と、その小学校時代の図工教師だった安野光雅氏(画家)の二人による、日本語談義をまとめた書です。美しい日本語に触れないと美しく繊細な情緒が育たない。恋愛さえママならない数学でも言葉とイメージとの間を行ったりきたりする。特攻隊で出撃する学徒兵は前の晩にニーチェや万葉集を読んだりしている。大学の読書会で読んでいる本武士道世はいかにしてキリスト信徒になりしか茶の本日本的霊性宇検女性きけわだつみの声忘れられた日本人山びこ学校代表的日本人学問のすすめ福翁自伝戦没農民兵士の手紙を大切にしています文学以外にいい教材は考えにくい即興詩人は詩から受ける美しさに心引かれる夏休みの宿題から戦艦大和の最後特命全権大使米欧回覧実記今は小学校で国語は週4,5時間昭和15年で12時間です。3つ並べて最初に読めるようになる漢字は鳩、鳥、九の順です。漢詩、名言は朗読暗記すると脳によい日本人特有のリズム575とか57577ここも足しても素数です。音楽的に4拍子です1ふる2いけ3や 4 1かわ2ず 3とび 4こむ 1みず2のお3と 4遇遇 奇奇とかは躍動感がでないむかし57577のようなペース英語はred,head,dead,breadのように韻をふむシェークスピアは4万語。森鴎外は数十万語使っていたスペイン語フランス語は1000語覚えれば80%わかる。日本語の場合5000語知らないとわからない。江戸の識字率は50%。ロンドンの識字率は20%で日本が圧倒的でした。中国人が日本語訳す際に擬態語ないので苦労するという。5世紀から15世紀にかけては世界ではアーサー王がらみの騎士物語りカンタベリー物語ニーベルンゲンの歌デカメロン神曲日本では万葉集古今和歌集新古今和歌集枕草子平家物語方丈記徒然草源氏物語その国の言葉が美しいといえるのはその国の言葉で書かれた書物がどれだけあるか。文化の承継で子と親、おじいちゃん、おばあちゃんみんなで歌える歌がなくなってしまうのは大きな損失です。明治から大正、昭和のはじめにかけてモラエスという作家が徳島に住んでいました。日本人は歌ばかり歌っているという。其れが今では町から歌声がきえてしまいました。唱歌童謡というすばらしい物を失ったつけです。明治14年に小学唱歌の創設に当たった伊沢修二が人身に与える影響から見て短調より長調を優先すべし文章を書いてみて漢字が多いと思うと、大和言葉を入れて少しやらかくしようとします。俳句を書き下すときはいつもそのバランスを考えます。幹事でかけるのをわざわざ平仮名で書いたりもします。文章が少しだれてくると人間以外のものを主語にした文章をもってきて変化をつける。そういう微妙な調整が口語書き言葉の技法だと思う。イギリスでジェントルマンとして最も重要な要素は何かと、ケンブリッジ大学の人々を中心に十数人に聞いたところセンスオブヒューモアと答えました。ユーモアの真髄は意外性といいましたが独創的な数学者ってみんなヒューモアがあります。絵とは見えるものを描くのでない、むしろ見えないものを描くのだ。参考文献一部のみ漢字を学ぶ栗田ハックルベリーフィンの冒険歌の絵本 日本の唱歌より厄除け詩集海潮音東洋の思想二十四の瞳銀河鉄道の夜山びこ学校ドイツ日記小倉日記 森鴎外新唐詩選 意味が分からなくとも良いから幼いころから文語で書かれた書を読ませて、日本語のリズミカルな美しさを体にしみこませることが大切。小学唱歌や童謡などもその良き教材となりうるのであり、現代の生活にはなじみの薄い歌詞だからという理由で教えなくなった最近の風潮は嘆かわしい。などなど、いちいちごもっともと思える内容が満載です。 本書は日本人の言葉に対する自尊心をくすぐるエピソードも数多く載っています。1000年以上もの厚い歴史を持つ日本文学の流れ。江戸時代にすでに50%の高さに達していた識字率。英語やフランス語よりも日本語は日常使う単語が5倍も多いという事実。 しかし肝要なのは、そういう誇り高き日本語話者の一員に果たして自分を数えることができるかどうかを今一度見つめなおすことでしょう。確かに日本語は美しい。しかし自分の日本語が十分に美しいといえるほど鍛錬を積んでいるかどうかは別問題なのです。 自分もその一員であり続けたいという思いを新たにする一冊です。
July 6, 2014
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この小説を読んだ感想は秋声記念館で講演した先生と同じで何が書きたいのかよくわからない。別の女性の方は秋声のこの小説に秋声の毒を感じると言う。確かに歴代小説源氏物語、西鶴、秋声と小説を比較しながら日本文学に私小説というジャンルを設けたことは新しい。 自分は漱石文学の方が、哲学がありわかりやすいと思うのだが,先生は漱石より選ぶなら秋声でしょうとおっしゃる。日本文学の講義を初めて受けてその分析と先生の7回読破には敬意を賞する次第です。 「女性がよむ秋声文学 第一回 黴」 文教大学 名誉教授 江種満子秋声は女性小説を書かせては右に出る者がいない。黴はその代表作である。本を読むと言うことは自分自身のその物語を作って行く作業をいう。だから一つ一つの言葉に向きあって欲しい。秋声は実際体験した私小説の自然主義である。(作家の妻を書いた小説も目ずらしい。)夏目漱石が後で、あたらしい肴の如く候と評価したという。構成は住まいが8回変わっているのでその場面ごとに区分したほうがいい。三島霜川という影に怯えていく秋声を描く。三島の家に秋声が同居し,さらに飯炊きばあさんの娘が同居する。小説の冒頭、入籍と出産届は同時であった。何もかも遅れている。暫く この言葉に何がこもっているのか。これからでもどんどん物語りが作れる。次の段は過去から始まる。明治文学の一つの技法である。結婚願望旺盛な笹村は芸者遊びのみ。九州での話が,次は跳んで大阪の兄嫁が結婚相手を探そうかという話。転居は下宿3回、家5回お銀の顔はポキポキした顔でやせ形の顔。はじけるような美しい顔にチャームし、秋声焼き餅を焼いたり突っぱねる。1畳の蚊帳でお銀が寝る風景の艶っぽさ。7章「いやなものです。わかれられなくなります。」この一文と60章「いやなもんです。」が絡む構成になっている。60章は笹村がお銀の髪の毛を掴んで暴力をふるう結節点になっている。これは小説を書く前の三島の結婚式での夫婦喧嘩を書き込んだもの。8章はお銀に「帰ってくれ。おまえには用がない」といって深山のところに行く場面。さりとて「家を空けたら困るじゃないか。」とも10章ではお銀はかゆいところに手が届く女と表現している。Kという友人が上京して笹村は、おまへはKの女房になればいい、といわれても気にしないお銀。布団を持ってくるやら、やがてお銀の妊娠を知る。M先生の死は尾崎紅葉先生のこと。58章で深山が笹村の子をさして深山に「笹村に似てびっくりした」という。59章では笹村がお銀を解放(離婚)しようという。60章で初めてお銀が流す涙。ただれ目をしていると表現している。小説で泣いたのはこの1回だけである。この小説で不思議という文字は6回使われ,お銀4回笹村は60章で2回使う。こうして悪妻がよい小説を生む。秋声、漱石しかり。作家になるには悪妻と結婚すべし。(鬼嫁は別ですかね)。
June 15, 2014
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今回の小説はストーリーがあり、わかりやすいが、主語がなかったり、描写をゆっくり読まないとわからなくなる。おまけに後から 登場人物が増えて、関係がわかりにくく、やがて主従関係なのか、家族や夫婦なのかわかりづらい。なぜなら時間的な流れが前後している。そういうわけでゆっくり読んでいくほかない。個々の描写は 自然の描写もさることながら、風俗も明治のころを髣髴させる。文豪の名に恥じない出来である。表現では夏目漱石より心理描写がうまいと思います。特に会話に力が入っています。140614「女性が読む秋声文学の今 第二回あらくれ 立教大学特任教授 林淑美体格のよい顔は少々団子鼻の先生が登場した。書類を鞄から取り出す。ノートあり、ファイルあり、資料のコピー。さらに初版の松本とおるさんの本をコピーして持ってきている。先生はフェミニズム研究で有名で、中野重治の研究でも本を出されている。著書を紹介すると昭和イデオロギー―思想としての文学 林 淑美 (2005/8) 中野重治とモダン・マルクス主義 ミリアム シルババーグ、Miriam Silverberg、林 淑美、 佐復 秀樹 (1998/11) 増補 世界の一環としての日本2 (東洋文庫) 戸坂 潤、 林 淑美 (2006/8/10) 中野重治評論集 (平凡社ライブラリー) 中野 重治、 林 淑美 (1996/5) 思想と風俗 (東洋文庫) 戸坂 潤、 林 淑美 (2001/11) 批評の人間性 中野重治 林 淑美 (2010/4) 増補 世界の一環としての日本 1 (東洋文庫) 戸坂 潤、 林 淑美 (2006/7/11) 知的しょうがい者がボスになる日―当事者中心の組織・社会を創る 林 淑美、河東田 博、 パンジーさわやかチーム (2008/7) 中野重治連続する転向 林 淑美 (1993/1) 現代オーストロネシア語族と華人―口述歴史:台湾を事例として 林 淑美 (2011/12)この「あらくれ」は夏目漱石いわくフィロソフィーがないという。館長の前置きとして最初にこの物語の場所を特定している。東京の西新井大師 王子稲荷間を歩いている。ほぼ小説の場所は東京全図に載っているもので十分です。時代は明治42年ロシア戦争明治37年ですでに終わった時代にかかれた小説だった。まだ荒川放水路がないころの時代。荒川の地図を見せて説明する。生家とその周辺。この小説は女の自立の意思を描き、明治中期以降の女の庶民の意思を描き出した。読売新聞には大正4年に掲載が始まる。その後この新聞を初出紙として本に出る小説に出てくる場所を特定できないところが2箇所ある。養家 たぶん王子の近くです。また、ある山国は高崎から上の鉱山と温泉の町。長野の県境でしょう。文体の特徴は、この時期見られる結果を先に書いて過去にさかのぼって小説が書かれています。年齢が書いてあるのは1章のみですので年表を作りました。また最終章でいくつになったのかわからないと困るので年表にしましたが、最終24~25歳です。 ○年代の表記がいい加減と書評にあるが,年表を作成してみて時間の処理は極めて正確でした。上野の近くに住み東京の都会の風俗を見ることができます。○他の本の年表に違和感がある。時間が錯綜している為の誤解ではないか。中野重治の作品はしょっちゅう倒置が起こる。また記憶から来て思い出の順序そのままであると書評にある。料理屋に出たりは入ったりしていなく、あくまで結果を書いてから、その過程を書いている。洋服屋を開業した店は5軒あり、そのうち1軒は愛宕の3畳のアパート。○戦争が日清戦争日露戦争どちらなのかわからない。博覧会を当て込んだ事業の風俗描写がない東京の田舎について書かれてない。おくのわたし=荒川に決まっています。そのほかの描写もよく書かれていますが,戦争当時は日露戦争と書くものでしょうか。○町の気風が書いていない風俗の書き手としてはうまいです日露戦争を外国の戦争と規定しています。歴史性を否定していると書かれていますが、そんなことにはならない。庶民の女18歳で 責任の否認?嘘でしょう。18歳でまだ人生を判断できる歳ではない。お島の表現が実際のお島の行動に近いように書かれています。お島の行動に沿うように書かれています。お島は自転車を運転します。自立した女性をあらわす。労働服 当時はリボンのついたかわいい服。明治時代は洋服姿は少ないのです。被服的な使い道和服の場合消費服であり労働服であった。自ら労働する女と自己規定している自立について明治時代は女性の自立は野性的な本能としか描くしかなかったお島の男性遍歴はあるものの、性的に奔放ではなかった。どちらかというと性的行為は不得手であった。坂口安吾は「不感症の女」を戦後間もなく書いている。女性を男性から自由なものと描く。性的不感症は男性から女性が自由になる。小説では小野田に従わないから、ある程度自由である。つまり夫であるとともに仕事の相棒でもあった。そのことが小野田の技術の腕より木村の腕のほうが良かった。当時も仕事は一人でできなかった。この当時 女性の記事で 「高橋お伝」 毒婦の象徴として紹介されている。明治12年2月 性的に奔放であるが、お金をとり商売の元手にしている。その記事の中にも7~8歳 女らしからぬ「あらくれ」なる女と表記あり。当時の思想は良き家庭を作るために女性は奉職する思想があった。サロメ,マノンレスコーに紹介される毒婦に世間は道徳的に審判を下す。大学で講義すると女性の場合性的嫌悪感で、道徳的教育になります。自由な女は毒婦を担保します。性的な魅力にひきづられることなく仕事にひかれる。本の中の「自分」という表記1人称を語る。主人公の心理を描かず自分の名刺が頻発します。直接話法の従属で用います。つまり一人称の代名詞は直接話法としてつかいまた直接話法より、遠くへ行かす。自分というものは他の人称に移行できない明治21年 自分という文字が男子とことなる。西洋のように尊称を廃し、男女がわからないようにする。無人称の語り部で1人称に語る場合、無人称に語る場合がある。お島の場合1人称で語っている。お島の視点から内側をみせ、一個の人間の強調という面で外側からの視点がある。私という1人称に変えてもかまわない部分自分という言葉を外してもかまわないという部分さらにお島という主語を自分に変えている部分が見られます。自分という語はお島の自立心と関係する。男から自由な女。お島の自立心、反抗心、出生意欲の象徴女の自立心を性の乱れた「あらくれ」としなければ描けなかった庶民の女の原点がある。あらくれと表象されたことが問題です。そのため男女の遍歴で因果応報の物語にしなければならなかった。因果応報でない女の自立は先の時代を待つしかなかった。最後に夏目漱石をしてこの小説にはフィロソフィーがないという指摘は先生どう思いますかという質問に、これだけ男性遍歴があり若くして生きているお島の物語。物語から哲学はにじみ出ている。
June 15, 2014
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金沢文芸館で朗読をしているひとに伺った。源氏物語の原文を朗読するとやめられない。だから普通の現代文とあわせて源氏物語を朗読したい。実際録音した若紫の朗読に現代の響きとは違ったものが聞こえる。なぜかを知りたくてこの本を見つけた。 日本語は8世紀日本書紀は漢文で書かれて、源氏物語は古文後期11世紀の作品。男は子供のときから漢文を読みカタカナを書き、女子はひらがなを書く。そのひらがなで書かれた小説は世界一古い長編小説である。世界で一番売れてるシェークスピアより古い。その時代大学は全国に2箇所。だから日本語は宮中でも今の日本語に比べて幼稚なのである。母音が8つの単語の中には多くの意味がはいっているし、文章1文も源氏物語では10行も続くことがある。しかも主語がなく主人公がかわる。 この本には日本語の響きの点で昔はあの母音が少ない。たとえばウサギ追いしは今なら追ったとなるだろうが、古文は連体形で「し」が使われている。学研の古文学習法という辞書の付録には古文は格助詞が使われていなかった。撥音便も促音便もなし。そのためかの古文を読む上で流麗なおちょぼ口で朗読したときのよどみない響きとなって聞こえる。 この本から母音の「a」が日本語を聞きづらくしているように感じるとかかれている。なにげなく使われている日本語の美しさを妨げるものが母音aにある。大和言葉をもっと使い、流麗な日本語を楽しみたい。漢字文化に感謝しつつも、日本語のルーツを学ぶべく古文を親しもうといういう本であった。 本から気に入った箇所を紹介すると人々に好かれる言葉、言いやすい言葉、何かしら心に残る言葉は残され好まれない言葉、言いにくい言葉、何も心に残らない言葉は廃ってしまう。言葉には魂が宿ると古代日本人が考えて言霊信仰が広く流布していた。 係り結びは日本語の法則 ぞ、なむ、や、かを使うと文末が連体形。こそは已然形になる。現代の日本語にも現存しています。古文過去の「き」が現在の過去の「た」と違うのは文字としての見た目ではなく、言い安さ聞きやすさということだ。口を大きく開けるのは決して優雅ではなかった。「た」が強い母音a音を持つのに対して「し」はあまり口を大きく開けずにすむ母音i音をもつことによる「た」にたいし「し」のほうがなんとなく口にこもった感じがして余韻があったり、響きが美しいという印象がでてくる。 5つの母音のなかでは最も労力を払わなければならないのがa音であり、a音の連続は言うほうもいいにくく聞くほうも音が強く聞こえすぎてよい印象は受けないようである。「見れる」「食べれる」の“ラ抜き言葉”は口をあけ切らない舌足らずな音に聞こえてしまいその発言者に対してどこか幼稚性を感じてしまう。優美な言葉を知れば情緒もわかる。情緒を知った心はあなたを輝かせる。 センター試験で180点とると国語なら3793位数学21268位英語25412位国語を勉強すると他の受験生と比べて得点にかなりの開きが見られるので、上位の大学を目指しやすい。逆に上位の大学目指すなら古文、漢文の高得点は必須ですよ。
January 24, 2014
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